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日本本土決戦 知られざる国民義勇戦闘隊の全貌 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

藤田 昌雄 著の「日本本土決戦」を読破しました。

日本軍がメインではない独破戦線ですが、3月に出たばかりの本書は妙に気になりました。
このタイトルと副題の「国民義勇戦闘隊」、思い出すのはベルリン最終戦国民突撃隊です。
何度となく紹介したこの2つに関する悲惨な戦争と同じようなことが日本で行われていたら、
老若男女が根こそぎ戦闘に駆り出されていたら・・。
人間機雷「伏龍」特攻隊」でも、地雷を背負って戦車の下に飛び込む「もぐら特攻」や、
米軍上陸の可能性がある全国各地で行われていたという訓練の様子にも触れられてましたから、
そのような訓練課程と、兵器、戦術について勉強してみたいと思います。

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プロローグ」では、この馴染みのない国民義勇戦闘隊について簡単に説明します。
昭和19年末に「本土決戦」の準備を始めた日本と、陸海軍の防衛部隊編成。
その後方支援を目的として全国民を組織化した「国民義勇隊」の編制が開始され、
いざ敵上陸となれば、国民義勇隊をベースとした戦闘組織、「国民義勇戦闘隊」が登場。
そして総員2800万名にのぼるというこの国民義勇戦闘隊の編成が始まったところで終戦・・。

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第1部「本土決戦体制」では前途の件を詳細に解説し、
陸海軍の予備人員である在郷軍人から、昭和17年に「防空招集」として近郊の防空部隊へ増員、
しかし昭和19年10月には対象者の枯渇から、招集対象が17歳~45歳と広げられます。
もうひとつ「警備招集」というのもあり、これは正規軍未配備地域と、空襲激化に備えた
主要都市の混乱防止と警備を行う警備隊。
このような部隊と編制が一覧表を用いて細かく紹介されます。

その他の組織として3つの婦人会を統合した「大日本婦人会」や、統合された「大日本青少年団」、
そして女性隊員もいた「防空監視隊」、「満蒙開拓団」の国内版という少年たちによる
「食料増産隊」が写真とともに紹介。250枚の写真を掲載しているとのことです。
下の写真は鈴木貫太郎首相の見つめる中、官邸の中庭まで農地する食料増産隊(東京大隊)。
そういえば後楽園球場や不忍池も、畑になったなんて話を聞きましたね。

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本土決戦の戦闘構想は、敵の爆撃および艦砲射撃に徹底した偽装と築城で被害を避け、
敵輸送船に対する空中、水上、水中からの特攻により、可能な限り、敵兵力を洋上で撃破。
上陸した敵には堅固な沿岸陣地と、挺身斬込による「拘束部隊」が食い止め、
その間に内陸部で待機していた「決戦機動兵団」が上陸地点へ殺到して、水際で撃滅する・・。

う~む。。まるで連合軍のノルマンディ上陸に対するドイツ軍のようですね。

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また陸軍は、これまで僅少な兵力の島々の「守備隊」が、圧倒的な物量を持つ敵に対抗して
玉砕戦闘を行ってきた反面、大規模兵団同士の戦闘はなく、大兵力を擁する本土決戦では
逆に長大な兵站線を保持する敵侵攻軍に対して、逆の立場で有利な戦闘が出来ると判断。

先日、原作を読んで初めて観た映画「日本のいちばん長い日」でも、
世界のミフネ演じる阿南陸軍大臣が海軍大臣と激論を交わし、
「陸軍は小さな島々で戦ってきたに過ぎん。まだ大兵力を用いた決戦を行っておらん!」
と、本土決戦での勝機を訴えるシーンがありましたねぇ。
原作本も映画も、どちらもオススメです。

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第2部は本土決戦の際の国民統制組織として、昭和20年3月に閣議決定された「国民義勇隊」。
主任務は食糧増産、輸送支援、災害復旧、陣地構築など・・。
あわせて既存の国民勤労協力令や、女子勤労挺身令などが統合され、
「国民勤労動員令」が施行されます。
読売新聞、朝日新聞に掲載された記事の他に、
ココでは、昭和20年撮影の「女子挺身隊による戦車製造の状況」写真が何とも言えません。

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国民義勇隊は男女別に編成され、「男子隊」は国民学校初等科修了以上~65歳以下。
「女子隊」の場合は上限が45歳以下で、病弱者や妊婦などは除外、
もちろん非該当者でも志願することは可能ですから、
旦那と息子を失ったお婆ちゃんが「鬼畜米英!」と叫んで志願したかも知れませんね。

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昭和20年3月29日の朝日新聞には、国民義勇隊の編制以前に、民間レベルでの義勇隊が
存在したことが記されていると掲載していますが、まぁ、見出しがヒドいですなぁ。
「合言葉は一人十殺 竹槍なくば唐手で 老幼も起つ沖縄県民」
「討つぞ盲爆の仇 敵百万・引受ける覚悟」

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途中、「在郷軍人会徽章」の写真が出てましたが、本来の金属製ではなく、
「織出」と呼ばれる布製のレア物・・。戦争末期は悲しいほど物資不足ですね。
勲章徽章類好きなので、ちょっと調べてみましたが、
数多く現存する金属製よりも、市場ではレアな布製の方が3倍ほどもお高くなってました。

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第4部はいよいよ昭和20年4月に閣議決定された「国民義勇戦闘隊」です。
義勇兵役法や、施行規則が数ページに渡って詳細に書かれていますが、
「服装規定」を抜粋しましょう。
「隊員各自が私服を着用するとともに、階級章等はなく、唯一、戦闘隊員と一般国民との
識別のために胸右部に『戰』と書かれた縦6センチ、幅7センチの白布製の徽章をつける。
また役職等があるものは腕章を着用する」。

編成形態についても詳しく、最大単位は各都道府県の市や郡の国民義勇隊本部隷下に
「聯合義勇戦闘隊」として編成。「義勇戦闘隊」は1000人規模の大隊、
「義勇戦闘戦隊」は中隊規模、「義勇戦闘区隊」は小隊規模、
10数名の隊員と隊長らで編成された「「義勇戦闘分隊」が最小単位となります。

そして6月、内閣情報局が国民義勇隊の士気高揚を目的とし、「国民義勇隊の歌」を発表。
本書には楽譜と歌詞が掲載されていますが、ちょっくら聴いてみました。
そんなに悪い曲調とメロディーじゃないですね。この末期の歌は悲壮感があったりしますけど・・。



3番の歌詞だけ・・

命下りたり 大八洲
屍越えて われ征かん
撃て おそひ來る宿敵を
怒りに冴ゆる日本刀
われらは國民義勇隊

国民義勇戦闘隊に類似した組織として紹介されるのは、やっぱりドイツの「国民突撃隊」。
招集年齢は男子のみ、16歳~60歳で、総兵力は600万名と写真付き。

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もうひとつの組織は1940年5月に編成された英国の地域防衛義勇隊「ホーム・ガード」です。
こちらはそれほど知られていませんが、フランスが電撃戦で侵攻され、
大陸派遣軍がダンケルクから這う這うの体で帰ってくると、
今にもドイツ軍がドーヴァー海峡を渡ってきたり、パラシュート降下して来るのでは?? と
幻となった「あしか作戦」を恐れて編成されたんですね。

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第5部は「学徒の戦力化と国民闘力錬成」で、学徒義勇戦闘隊のための
戦闘訓練を含んだ体力錬成の要領を紹介し、
女子も含めた国民闘力錬成要領では具体的な運動項目も・・。
女の子でも手榴弾投擲訓練やってたんですねぇ。
このあたりは「帝国日本とスポーツ」を彷彿とさせます。

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第6部はメインとなる「国民義勇戦闘隊のマニュアルと武器」。
竹槍訓練マニュアルは昭和17年に登場したものの、
昭和20年4月には国民義勇戦闘隊専用の本土決戦マニュアルが配布されます。
その名も「国民抗戦必携」です。
新聞にも連載されたこのゲリラ戦マニュアルは表紙もなかなか強烈で、
国民服姿の日本人が米兵の喉元に刃物を突きつける・・というもの。

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本書では配布された冊子版ではなく、新聞掲載版全8回の全文をイラスト共に解説。
しかし第1回が「恐れずに敵戦車に肉薄」っていうのも容赦ないなぁ。
内容はM4中戦車(シャーマン)、M1重戦車(M26のプロトタイプに日本軍が付けた名称)に対し、
爆雷や火炎瓶を用い、天蓋や背面、履帯を攻撃する方法が詳しく述べられています。
終いには「また進行前面へ7㌔の急造爆雷を抱えて飛び込むのも適切な攻撃法である」。
コレ・・早い話、死ねって言ってますよね。。

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第2回の「練磨の挺身攻撃」では、高所から車背目掛けて叩きつける「フトン爆雷」なるものに、
「刺突爆雷」という新兵器も登場。戦車側面に突き刺すと爆発するそうで、
モンロー効果とあるので、構造的には「飛ばないパンツァーファウスト」って感じでしょうか??
ただ「銃剣の如く戦車を串刺しにする意気込みで突っ込め」って書いてあっても、
その瞬間に爆発するから、やっぱり「必死」ですな・・。

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第3回は「われらの必殺戦法」。
「挺身斬込みこそ皇軍が世界に誇る戦闘様式の精華だ」と始まるこの回は、
狙撃と手榴弾に続き、「白兵戦闘、格闘」について述べられます。
「上背のあるヤンキー共には突きが一番だ」と、鎌や出刃包丁でも挑むのです。

と、まあ、こんな感じで8回続きますが、完全に「赤軍ゲリラ・マニュアル」のような展開です。
そして図入り、絵入りの築城マニュアルである「国民築城必携」も全32ページ掲載。

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全国の武道家有志が結成した「振武義勇隊」は斬込訓練を施しただけでなく、
国民義勇戦闘隊の「斬込隊」の中核になる組織でもあったそうで、
その戦闘マニュアルは「米鬼必殺剣-斬込刀法」。。もはや時代劇のタイトルだな・・。
達人たちですから、上背のあるヤンキー共には突きが・・なんて野暮なことは言いません。
「日本刀を用いた斬込は、第一撃でつねに斜め左下から右上に斬り上げ(逆袈裟掛け)、
第二撃で斜め右上から左下に斬り下げ(本袈裟掛け)、
第三撃で斬り下げた力を利用してトドメの突きを心臓に加え、
第四撃で刀を引き抜く動作である」。

米軍もこんな「サムライ」みたいな連中が飛び出して来たらビビるかもしれませんね。
「戦国自衛隊」の千葉ちゃんみたいな・・。

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そして武器の数々・・。
といっても「国民義勇戦闘隊」は被服を含めて原則、自己調達。。
竹槍に私物の日本刀や猟銃、鎌、鍬などの農機具に、スコップなどの土木工具。
ただし、銃身が鉄パイプで、古式銃と同一の簡単な撃発装置が付けられた「簡易国民小銃」や、
「簡易国民拳銃」の開発も始まっていたようです。

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各部隊では「自活兵器」として、急造手榴弾を作成。
しかし物資不足から「陶製手榴弾」も多く作られます。
パイナップル型は京焼と備前焼の陸軍製、丸型は有田焼、信楽焼きの海軍製です。

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続いての武器は「弓矢」。
弓道部員の学徒は引っ張りだこになりそうですが、手作りのボーガン・スタイルもあり、
矢の先端に爆薬を設置した「爆矢」まで作られていますね。

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打撃用兵器としては、各種「打撃棒」シリーズが・・。
打撃効果向上のために鉄パイプで強化した棍棒やら、
バットや木刀には打撃効果向上のために釘を打ちつけると。まさにコレで鬼に金棒。。

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最後の第7部では、沖縄と樺太での義勇隊の戦いの様子を・・。
特に伊江島の戦いでは、断髪して軍服を着用した「婦人協力隊」隊長の大城ハルと、
「女子救護隊」隊長、永山ハルら5名が爆雷を持って米軍戦車へ突入して散華した・・と。

沖縄には少年たちによる「鉄血勤皇隊」なんかもありましたからねぇ。

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335ページの本書は、基本的に一次史料の掲載と、それについての解説という流れであり、
資料を基にした読んで楽しいストーリー展開はありません。
ですから、退屈だと思う方もいれば、事実のみを知りたい方には良いのかもしれません。

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個人的には本土決戦に至らなくて正解だったと思いますけれど、
歴史として見て、どうせ負け戦だとか、物量的にも勝てるわけがないなどと言うのは簡単ですが、
自分の街が占領されそうになったら、それが命令であっても人々は武器を取るんですね。
ドイツの「国民突撃隊」しかり、英国の「ホーム・ガード」しかり、
またドイツの婦人補助部隊に、連合国にも各婦人部隊が存在。
ソ連でも各地で市民が抵抗を示した例が数多くあります。
その一例として「レニングラード封鎖」でもこんな記述がありました。

迫りくるマンシュタインの装甲軍団に対し、レニングラードの党第1書記、ジダーノフは
8月20日、女性や10代の若者を含む、義勇兵大隊の創設を決めて次のように宣言します。
「義勇軍は猟銃、手製爆発物、各博物館所蔵のサーベルと短剣で武装される」。







タグ:国民突撃隊

英語を禁止せよ -知られざる戦時下の日本とアメリカ- [日本]

ど~も。ドイツ完勝で気分の良いヴィトゲンシュタインです。

大石 五雄 著の「英語を禁止せよ」を読破しました。

戦時中の「英語禁止」といえば、巨人のロシア人投手スタルヒン
「須田博」に改名させられたり、大阪タイガースが「阪神軍」になったり、
ストライクが「よし!」になったり・・と、野球関係では2冊ほど読んできました。
2007年に出た255ページの本書は、そんな戦時下の国民生活において敵性語として
「英語禁止」となっていった過程と背景について書かれたものです。

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第1章は「英語を禁止した日本」で、その背景として、
昭和に入ってから軍部主導国家となり、日中戦争から、英国、米国が敵国へと・・。
そして1940(昭和15)年は「皇紀2600年」の記念の年でもあり、
反英米気運とともに、この年から英語禁止の具体的措置が取られることになります。

その昭和15年、まずは3月に「芸能人の英語芸名が禁止」に・・。
内務省による芸名統制令では、「外人崇拝の悪風を助長するおそれがある」とされ、
ディック・ミネが「三根耕一」に改名させられます。
その他、ミス・コロンビアが「松原操」、リーガル千太・万吉が「柳家千太・万吉」。。

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この年の秋にはスタルヒンも・・。あの本から抜粋して2ページほど書かれていました。
ただ、内務省令ではなく、巨人のフロントによる改名措置ですね。

昭和17年2月になると、芸能界でもそのような自主規制が始まります。
英語だけでなく、「カタカナを用いた芸名、コーラス名の禁止」です。
ヤジローとか、キグハチ(キタハチ?)といった単なるカタカナの芸名もダメになって、
ビクター合唱団は「勝鬨」と改名し、コロンビア合唱団は「日畜合唱団」、
シンフォニック・コーラスは「交響合唱団」、モアナ・グリークラブは「灰田兄弟と岡の楽団」。。
今ならキンタロー。とかタモリ、サザン・オールスターズは許されないでしょう。
逆にゴールデンボンバーを「金爆」と呼ぶのは、まことに正しいのです。



文部省も昭和15年から「英語禁止」に乗り出します。
手始めに明治初頭からの歴史あるミッション・スクールが対象に・・。
ウヰルミナ女学院が「大阪女学院高等女学校」、フェリス和英女学校が「横浜山手女学院」。

続いては来ました、「英語スポーツ名・用語の禁止」です。
東京の六大学が加盟していた連盟、「米式蹴球」が、「鎧球」へと改称します。
コレ、なんの競技かおわかりでしょうか?
蹴球がサッカー(フットボール)なのをご存知なら簡単、「アメリカン・フットボール」です。
マズイのは「米式」なんですね。

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プロ野球も英語のチーム名を禁止し、大日本体育会も各種競技の日本語化を実施。
ラグビーは「闘球」、ホッケーは「杖球」、ゴルフは「打球」、スキーは「雪滑」へ・・。
またゴルフは用語も日本語化されて、パーは「基準数」、ホールインワンは「鳳」、
キャディなら「球童」・・。いや~、もっとあると思うけどなぁ・・。

東京では警視庁保安課によって「卓球」の英語が禁止。
試合前には「礼」を行い、「ファイブ・テン」とか、「シックスティーン・オール」などと
点数を言ってはいけなくなるのでした。

昭和18年3月には日本野球連盟によって英語が禁止。
審判用語ではワンストライクが「よし一本」、スリーボールは「三つ」、
ファウルは「だめ」、タイムは「停止」など・・。
野球規則用語だと、ストライクは「正球」、ボールは「悪球」、セーフは「安全」などと、
また違うのがややこしいですね。
実際、急な変更に審判も、「ストライク・・もとへ、よし一本」と言ってしまったそうな。。
昭和19年の秋にはプロ野球自体も中止になってしまいますから、
この英語禁止野球も1年半の命だったんですね。

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ちなみに、「昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち」という本も読みました。
公式には1941(昭和16)年から中止となった甲子園大会ですが、面白かったですねぇ。
主宰を朝日新聞社から文部省に移し、「大日本学徒体育復興大会」の一競技として開催。
当時は外地である、「台湾」、「朝鮮」、「満州」でも地区予選が行われていたり、
この昭和17年の「幻の大会」には台湾の台北工業が参加。選手は台湾生まれの日本人です。
選手といえば、この大会では文部省の決定により選手と言わず、「選士」・・。
突撃精神に反する行為はダメ・・ということで、「打者は投手の投球を避けてはいけない」や、
死力を尽くして戦うことが前提なので、「ベンチの控え選手との交代禁止」
といった特別ルールが・・。多少の怪我やピッチャーが打たれたくらいでは交代できません。
もちろん、名門の平安中でさえ、伝統の胸の「HEIAN」は漢字に変更。

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試合開始前の両チームの挨拶のときには、まず東方を向いて「宮城遥拝」。
イニングの合間には、「○○市の△△さん、公務急用のため、至急ご自宅にお戻りください。
武運長久を祈ります」と、招集令状が届いたことを観客に知らせる場内アナウンスが・・。
活躍した選手たち一人ひとりについても詳しく書かれ、卒業後にプロ入りした者もいれば、
戦死した者、大会後に明治神宮競技場で行われた「国民錬成大会」
手榴弾投擲競技に大人に混ざって優勝したのは水戸商のエース君だったり・・。
そして徳島県勢初の優勝を果たした徳島商。
昭和20年7月の徳島大空襲によって、校舎は焼け落ち、
優勝者の証である「表彰状」と「小さな旗」も焼失してしまうのでした。
遊びでも野球経験があり、このBlogをご覧になる方なら、読んで損はありません。



ちょっと脱線しましたので、本書に戻りましょう。
銀座界隈には1400軒余りのカフェや飲食店があり、そのうち半数が欧米風の名前です。
そうなると銀座を管轄する警察署は「欧米依存」だとし、
「ナイトクラブ」や、「チャイナタウン」といった店名が断罪され、
ミミーやメリーといった店員の呼び名とともに追放されるのです。
有名なワシントン靴店も「東條靴店」に・・。

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こうなってくると自発的に名称変更しようとする会社も多く出てきて、
欧文社は、欧州の翻訳出版社と誤解されるとの理由から「旺文社」へ、
後楽園スタヂアムも「後楽園運動場」、石橋さんのブリッヂストンは「日本タイヤ」へ、
リプトン紅茶は「大東亜」、ブルドック食品が「三澤工業」へと変更。
トンボ鉛筆は広告でもアツかったですから、「HB」や「B」といった濃さも「1軟」などに変更。

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明治30年創刊の英字新聞ジャパンタイムズまでが社名と新聞名を変更しますが、
新たな名称は「ニッポンタイムズ」です。
単に英語の「ジャパン」を日本語の「ニッポン」に変更することにどんな意味が・・??
いやいや、当時は大いなる意味があったんでしょう。。

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大蔵省専売局が「たばこ」の英語名を禁止。
ゴールデンバットは「金鵄」へ、チェリーは「桜」です。

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雑誌類からも英語は一掃されます。
オール読物は「文藝読物」へ、キングは「富士」、サンデー毎日は「週刊毎日」。
当時からあった「バスクリン」に至っては、製造中止です。

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鉄道省は駅の"ENTRANCE"(入口)、"WC"(トイレ)といった英語併記を取り除き、
プラットフォーム、ロータリーは禁止。それぞれ「乗車廊」、「円交路」となり、
日本アルプスなんていう山岳名ですら、「中部山岳」へと変更・・。
ふ~ん。この調子だと甲子園のアルプススタンドも、「中部山岳観覧席」だなぁ。。

外務省は外国人記者向けの記者会見で英語を使うことを止め、日本語一本へ。
記者のなかにドイツ人やイタリア人が多くなってきた・・というのが理由の一つ。。
そして政府は「極東」という表現を使用禁止に・・。
これは英語の「ファーイースト」の訳語であり、大英帝国から見た「極めて東」だからです。

内務省と内閣情報局が英語のレコードと演奏を禁止。まさにナチス・ドイツと同様です。
対象はやっぱりジャズ・・。「セント・ルイス・ブルース」などの他、米英、ハワイの民謡もNG。

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こうして残されたのは三国同盟の友、ドイツとイタリアの民謡やワルツなのです。
当時、中学三年生だったある少年は、米国民謡「ミネトンカの湖畔」を学校の休憩時間に
口ずさんだところを級友に密告され、恐怖の配属将校に呼び出された挙句、
「敵性歌曲を歌う売国奴」と罵声を浴びせられて、竹刀でメッタ打ちの刑に。。

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まだまだ、NHKも放送内容の米英的色彩の払拭を図ります。
まず昭和17年には「アナウンサー」の使用を禁止して、「放送員」へ。
翌年になると「ニュース」も禁止して、「報道」と言うことに決定。
そもそもNHKという名称も「日放協」にしなきゃいけませんね。

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バス会社では「オーライ」、「ストップ」が禁止されて、「発車」、「停止」なりますが、
日常的に使っていた合図を変更するってのは事故りそうで怖いですねぇ。

昭和18年2月の毎日新聞にはこんな見出しが・・。
「青い目をした人形 憎い敵だ許さんぞ 童心にきくその処分」。
これは昭和初期に日米親善として全国の小学校、幼稚園に寄贈されたお人形さんです。
全部で12000体にも及んだ「青い目をした眠り人形」は、"恐ろしい仮面の親善使"とされ、
文部省の課長曰く、「速やかに壊すなり、焼くなり、海に捨てるなりすることに賛成である」。

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最初は笑いながら読んでいましたが、ここまで来るとさすがに眉間にしわが寄ってきますね。。

そんな文部省、中学校の英語の教科書に掲載されていた英国国歌に着目します。
ゴッド・セイブ・ザ・キング」の歌詞は、"神よ、英国国王に勝利を与えたまえ"であり、
しかも、「みんなで歌いましょう」というイケナイ文章まであるのです。
「第一線の兵士が斃れている今、銃後の国民が英国国歌を学ぶとはいかなるわけか」と
衆議院の委員会で弾劾された結果、当然削除です。



93ページからは第2章、「英語禁止・追放の言論」です。
第1章に挙げた英語禁止措置を促した軍部と政府、それをマスメディアが支えたと分析。
昭和17年、陸軍参謀本部の防諜の権威とされる中佐は読売新聞に論評を発表します。
「街を歩いていても英語の看板のなんと多いことよ。
汽車に乗ると、"緩むな防諜"のポスターの後ろに『禁煙』とあり、
その下にいまだに"NO SMOKING"と英語で書かれている。
こうしたものは日常、目や耳から不断に入ることによって、日本人の思想感情が、
いつの間にか米英的になり、日本的なものとのケジメがつかなくなってしまうのだ。
そして米英的な思想謀略に蝕まれながら、"俺は日本人だ"と
思い上がっている点が一番危ないのだ」。

英国製の映画を観ているうちに知らず知らず英国崇拝の観念に捉われる・・とした後、
この参謀中佐はこう続けます。
「僕は若い女性に反省を求めたい。
自分の父や兄や夫を戦場に送り出しておきながら、
心の襞に米英崇拝の虫は巣くっていないか、
日本の女として、やがて母として恥ずべき点はないだろうか。
よく反省して、まずこれを改めることが防諜の根本だと思う」。

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密かに期待していた「敵国アメリカ映画謀略展」のような展開はありませんでした。
そもそも敵性映画の危険性については、上の一文だけでしたね。残念・・。

第3章の「日本語を重視したアメリカ」以降は、
まぁ、おまけといった感じですが、実は著者にとってはこちらがメインのような気もします。
陸軍情報学校が開校し、日系2世の情報部員の活躍が詳しく紹介。
日本軍の電文や暗号文を解読したり、捕虜の尋問などがメインで、
それを以って前半の日本と比較し、米国は日本と違って敵国語を重視した・・というのも
ちょっと苦しい展開です。
よってこの章は独立した「米軍における2世情報員の活動」として楽しむべきでしょう。
確かに本書の副題が「戦時下の日本とアメリカ」ですから、間違いではありません。

そんなわけで本書は前半こそ、予想通りの「英語禁止」を楽しく学ぶことができましたが、
中盤以降の米国については、個人的には・・う~ん。。

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とにもかくにも1940年以降、5年間の日本における英語対策が書かれた本書。
細かい、しょーもない・・と思わせるほど徹底している一方、
各軍学校では英語を学び続け、それは中学校でも科目として、教科書として残るのです。
そこから思うことは、軍部・政府によるキッチリとした計画があったわけではなく、
戦局の推移によって、各省庁が自らの管轄で出来ることはやってみよう・・という、
曖昧な措置の連続がこのような統一性のなさになっているんではと思いました。
1940(昭和15)年の東京オリンピックに向けて、
バスの車掌さんも英語を猛練習中していたりしていたんですしねぇ。

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もう15年以上前になりますか、年に一度の特番で、
「たけし、タモリ、さんまのBIG3ゴルフ」というのがあって、
そのなかの「英語禁止ホール」にいつも大笑いしていたことを思い出しました。
ドライバーとか、6番アイアン、バンカーにナイスショット、と言ったら「1ペナ」ですから、
「木の棒」やら、「鉄の6番」、「砂場」、「良い玉」なんて言っていたように思います。
休日の1日だけでも、家族で「英語禁止」なんてやったら楽しいんじゃないでしょうか?
テレビ、スマホ、パソコンも言っちゃダメですから、辛い生活になるでしょうね。





鉄の棺 -最後の日本潜水艦- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

齋藤 寛 著の「鉄の棺 -最後の日本潜水艦-」を読破しました。

もう5年も前に読んだ「鉄の棺 ―U-Boot死闘の記録―」。
若きUボート艦長ヘルベルト・ヴェルナーが書いた面白い回想録でしたが、
本書はその当時から、同じタイトルとして知っていた一冊です。
昭和28年に書かれた古い本ですが、最近、「深海の使者」や、「総員起シ」と
日本の潜水艦モノを読んだ勢いで、この2012年の新装版を購入。
伊五十六潜に赴任した若き軍医中尉の体験記に挑戦してみます。

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昭和19(1944)年8月初旬のある夜、内火艇に乗り込んで伊号第五十六潜水艦に向かう著者。
波も大きく暗い中、調子を計ってパッと乗り移る艦長に対して、
「間に落ちると死んじゃうぞ」と言われ、軍刀を手にして舷側にしがみついたまま。
なんとか乗り込んでも、潜水艦内部では鉄のハンドルに頭を激しくぶつけ、
せっかくの第2種軍装(夏季用の白い軍装)は気が付けば油で汚れて・・。

先任将校や機関長、航海長、掌水雷長、唯一の部下となる看護長らに自己紹介して、
やって来たトイレの時間。
もちろん艦内部にもありますが、甲板に出ると艦橋後部の2連装機銃座の下の両舷に
「大小厠」が各々1個ずつあるのです。
しかもこの厠は特別に掃除する必要もなし。
なぜなら、一度潜航すれば、綺麗に洗われてしまうからなのです。
若い方でも「厠」=「トイレ」ってわかるんですかねぇ??
ちなみに「内火艇」は、「ないかてい」じゃなくて、「うちびてい」と読むそうです。

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本書には著者の年齢、経歴ともに書かれておらず、巻頭に写真が載っているだけ・・。
amazonの著者略歴を見ると、大正5年小石川生まれの慶応大学医学部卒ということで、
ご近所さんですねぇ。
1916年生まれってことは、1944年当時は28歳。潜水艦初体験のまさに青年軍医中尉です。

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6月に就役したばかりのこの伊五十六潜の長さは107mで、乗員は117名。
愛称は「いそろく潜水艦」で、これは戦死した山本五十六長官に因んだものなのです。
そんな艦内を興味津々、探検する軍医中尉。
襲撃訓練を前にして掌水雷長は語ります。
「うちの魚雷ときたら、皆、いい子ばかりですからね。
同じように見えるあの子供たちが、一本一本性質が異なっているんですよ。
こしらえた人間も皆違いますからね」と、ドコの部品が何年何月何日にドコの工場で作られ、
なんという検査官が検査をし、ドコの工廟で組み立て、いつ平水発射実験を行ったか・・が、
事細かに書かれた一冊の本が魚雷ごとにあることを夢中になって教えてくれるのです。

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軍医長らしく、出撃前には総員身体検査の実施を提案。
病気持ちは下艦が当然と思いきや、先任将校は留意事項を・・。
「だけど軍医長、先任伍長はプラムもアールもあるけれど、あいつは別だからよろしく・・」。
艦の性能は単に機械ばかりでは決定せず、熟練した人間の技術も必要なのです。

Uボート好きの方ならご存知のような専門用語、ツリム(トリム)やら、ブローといった用語は
米印が書かれて、巻末に「用語解説」として掲載されていますが、
当時の日本、ないしは日本海軍独特の用語も結構、わからないもんですね。
ちなみにプラムは「梅毒」で、アールは「淋病」。なぜにアールが淋病なのかは不明です。。
しかし、いくら仕事ができるって言っても、梅毒&淋病持ちと1ヶ月も過ごすのはちょっとなぁ。

艦隊軍医長からは高温特殊環境にある潜水艦乗組員の体力管理のために、
バターを1日、60gずつ摂取させるようにとの命令が・・。
一片さえ手に入らない戦時下の食糧事情からすれば、申し訳ないほど有難い命令です。
しかし、兵員に配給されたバターはなかなか減りません。
バター炒めの料理も油っこいと不評で、ならばとバターを入れて炊いた白米も、
最初は評判が良いものの、だんだんと鼻について残飯が多くなってくるのです。
小石川育ちの大学出のいいトコのお坊ちゃん将校とは違い、
農村出身の若い兵員たちは、そもそもバターなど食べてこなかったのであり、
同様に配給された「キューピー印のマヨネーズ」の瓶の中身も食べずに海に捨てて、
歯磨き粉の瓶として使っている始末・・。

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このような「バターを喰え」命令が発せられた理由とは、
ペナンへとやって来たドイツUボートの乗員たちが上陸するや、元気いっぱい、
テニスに興じるなど、その姿に驚いた日本の軍医が調査したところ、
艦内生活は変わらないものの、非常に高脂肪食であったことが判明したのです。
ただ、パンにバターのドイツ人と、白飯主義の日本人じゃ基本が違いますからねぇ。
ヴィトゲンシュタインもマヨネーズ嫌いで、買ったことすらありません。。

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10月、ついに出撃のときがやって来ます。
「捷号作戦」発動による、伊56を含めた11隻の潜水艦がレイテ湾周辺へ。
輸送船1隻を轟沈して最初の戦果をあげると、続いて敵輸送船団に向けて6発の魚雷を・・。
やがてレイテ沖海戦は、彼我入り乱れての航空海上決戦となり、次々と暗号文を受信。
武蔵ハ魚雷三本ヲ受ケタルモ戦闘航海ニ支障ナシ」。
「大和ハ敵空母一隻撃沈一隻撃破セリ」。
高まる緊張感のなか、空母、巡洋艦、駆逐艦から成る敵艦隊に攻撃を仕掛け、
見事、空母と駆逐艦を轟沈せしめたという声が艦内に響くと、「万歳三唱」です。

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しかし、攻撃の後は一転、防御です。
水深100mまで潜航するも敵駆逐艦3隻のスクリュー音が執拗なまでに追随し、
恐怖の爆雷攻撃に晒されます。
10時間が経ち、一番温度の低い司令塔でも35℃・・。ジリジリと温度が上昇します。
タンクから飲料水を汲み出すのには、馬鹿でかい音を出すポンプを動かす必要があり、
この無音潜航状態では飲料水もすぐに尽きてしまうのです。

そこで渇いた喉を潤そう・・と、サイダーの栓を抜くものの、
気持ち悪くなるほどの甘味と温かく口内を刺激する炭酸の感覚が混じり合い、
「どうしてサイダーというものを、こんなに甘く作ったのか」と腹立たしくなるのです。

過酷な状況に倒れた潜舵手ですら、サイダーだけは断るほど・・。
そこでタケノコの水煮の缶詰に穴を開けて、その生臭い水を飲ませるのです。

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30時間が過ぎ、温度と喉の渇きとの他、汚れた空気との戦いが始まります。
士官室の炭酸ガスは4%を越し、酸素の欠乏により呼吸するのにも努力がいるのです。
彼は「引出し」を開けて、大切にとっておいた空気をスーッと吸い込みます。
「うまい。甘い。」
すぐに引出しを戻して、第2回目に使おうとしますが、次はもう新鮮な空気は残っていません。

2昼夜、50時間が過ぎると、「この苦しみのままでは死にたくない」と思い始めます。
「せめて一呼吸でも海上の新鮮な空気が吸いたい。そうすればもう思い残すことはない。
敵空母を沈めてるんだ。潜水艦が空母と刺し違えて死ぬのなら・・」。
そんな考えでは潜水艦乗りは勤まりません。
固く植え込まれた「忍」の精神と、艦長への信頼感が信仰にまで昴まっていることが重要。

やがて「忍」の精神が駆逐艦に勝利して浮上を果たします。
潜航時に聞こえていた怪しげな音の正体を確かめに行くと、そこには珍しい爆雷が・・。
数百発の爆雷を喰らい、最も近かった1発が不発・・。伊56は悪運強いのです。

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呉軍港へ帰投。
戦果も挙げて、表彰状が贈られ、お偉方も来艦してきます。
侍従武官からは乗員一同に「菊花御紋章入りの口つき煙草」が一箱ずつ贈られるのでした。

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次の出撃に向けて、艦の改修と新たな訓練に励みます。
それは特攻兵器「回天」の搭載・・。
「いやだなあ」と言う砲術長。
先任将校も「とにかく人間魚雷なんて戦の邪道だ」。

「回天」は遊就館で見ましたが、結構大きいんですよね。
ですから通常魚雷のように発射するのではなく、
艦橋の対空砲などを取り外し、そこに設置して発進するわけです。

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そして出撃前には映画「Uボート」のプロローグのように壮行会が開かれます。
士官は士官だけで集まりますが、違うのは日本らしく、こじんまりと開催するところ。
「艦長と先任はKAが来てるから、チョンガだけで先にやろうかと・・」。
こんな会話から著者がチョンガ会の幹事になるわけですが、
「チョンガ」って聞くの30年ぶりくらいですねぇ。独身の意味ですが懐かしい響き・・。
ちなみに「KA」は何となくわかりますけど、例の用語解説で確認すると、
「女房のこと。KAKAAの略」とありました。

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総員前甲板に整列。
回天搭乗員の4名も乗り込んできます。
司令部から来た秘密の封筒を手渡される著者の軍医長。
「極秘 回天発進に際し、搭乗員に手渡されたし」と書かれた紙が一枚。
それと同封されていたのは「青酸カリ」・・。
万が一、回天が爆発しなかった場合の、自決用なのです。
「いったい、何と言って渡せばいいんだろう・・」。

回天の目標はアドミラルティ湾港に停泊している敵艦船です。
柿崎実中尉を筆頭とした回天搭乗員に対する心遣いは徹底していますが、
会話も弾まず、気まずい雰囲気にもなるのです。
そしてアドミラルティ湾港に近づくも、すぐさま敵哨戒艦艇と飛行機が襲来。
何度も突入のやり直し。
柿崎中尉は言います。
「早いほうがいいですね。他じゃ皆、やったでしょう」。

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結局、今回の伊56による回天作戦は中止となり、
再び、爆雷攻撃を耐え抜いた44日後、帰港することに・・。
そこで待っていたのは信頼厚い艦長の転勤・・。潜水学校の教官配置です。
さらに機関長に航海長、砲術長、掌水雷長まで転勤となって大騒ぎに・・。
「やれやれ、これで助かった。『鉄の棺桶』ともお別れだ」とでも言っているように
荷物整理に勤しむ転勤者たちの姿。。
いまや先任将校と軍医長だけが古参の士官となってしまったのです。

そんな不安な状況も出港直前になって、軍医長の転勤命令を聞かされます。
士官室では誰も喋ろうとしません。
そして著者の心は「潜水艦を降りるという生命本能の喜び」に震えるのでした。

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巻末の「旧版・まえがき」では、新艦長の下に出撃した伊56が撃沈されたこと、
また、「回天」搭乗員、柿崎実中尉のその後についても書かれていました。
伊47で沖縄戦緒戦期に参加するも、発進の機会を得られず、
最終的に洋上敵船に向けて発進し、散華された・・ということで、
3回もの苦しい潜水艦生活を送った末の散華だそうです。
この人も調べてみましたが、享年22歳・・。

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同じ特攻兵器である「桜花」と比較してどっちが・・というつもりはありませんが、
「出撃します!」と叫んで、仲間たちに死地へと旅立つ見送りを受け、
母機である一式陸攻に乗り込んで、数時間後には・・という桜花搭乗員、
片や、いざ決行のときまで、2週間から1ヶ月もの時間を狭い潜水艦で過ごす回天搭乗員。
まさに己の死を見つめながらの実に苦しい時間を過ごしたのが良くわかりました。
いつ執行されるのか?? と不安で過ごす死刑囚のような気持ちにも近いでしょう。

「回天」を主題とした本は読んだことがない代わりに、以前にも書いたように
「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」という映画を以前に観て、概要は知っていました。
鶴田浩二, 松方弘樹, 梅宮辰夫といった東映オールスターキャストで、
ラストで「天皇陛下万歳!」と叫んで爆死する松方弘樹の姿に衝撃を受けたモンです。

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その映画のラストシーンから回天の攻撃の様子を知ることができます。



やっぱり個人の体験・・、回想録っていうのは面白いですね。
映画でも知られる「Uボート」は報道班員の少尉が主人公でしたが、
同じようなお客さんでも本書は乗組員の精神面をもケアする軍医長であり、
食事の献立まで作成して、下士官や兵卒からも信頼されているのがよく伝わってきます。

なお、伊56が実際に空母を撃沈したのかは、議論の対象にもなっているようですが、
本書のような体験記にとっては、どうでも良いことでしょう。
重要なのは、当時、撃沈したと信じたことであり、単独の商船ならいざ知らず、
駆逐艦がウヨウヨしているなかで魚雷を発射し、潜望鏡を突き出したまま、
ボンヤリと戦果を確認しているヒマなんてないことが伝わるかどうかでしょう。
言うまでもありませんが、「Uボート・コマンダー -潜水艦戦を生きぬいた男-
といったUボート戦記の名著がお好きな方にもお勧めします。




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総員起シ [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

吉村 昭 著の「総員起シ」を読破しました。

先日の「深海の使者」から、スッカリ著者に興味を抱くようになって、数冊まとめ買いしました。
本書は「深海の使者」、「関東大震災」の2年前、1971年に書かれたもので、
何度か文庫化され、今年の1月に「新装版」として発刊された一冊です。
317ページに5つのお話が収められた短編集であり、いずれも太平洋戦争を題材としています。
最初に書いておきますが、今回は「完全ネタバレ」ですので、ご注意を・・。
しかも、可憐な女性の方が深夜に読むには、ちょっと怖いかも知れません。

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最初は「海の柩」というお話。
北海道の小漁村に多数の兵士の死体が流れ着きます。
1日目には182体・・。将校の遺体はなく、ほとんどの襟章は一つ星。
村人は総出で遺体を収容しますが、腕のない死体が半数を占めていることを不審に思います。
手首が無い者、上腕から切断されている者・・。

生きて村落に辿り着いた陸軍将校は、沖合で輸送船が潜水艦の雷撃を受けて沈没、
2,3隻の漁船を出して生存者を救助して欲しい・・と語ります。
しかし、沖合は人の群れでとても収容しきれません。
3隻の上陸用舟艇で救助にも行こうとしない将校たちに対し、不満が爆発します。
「この船を出してください」と組合長。
大尉は言います。「すまんが、お前らだけでやってくれ」

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300人をなんとか救助しますが、600体近い遺体が漂着。
生き残り将校たちの不信な態度、トラックでやって来た中尉と憲兵は、
多くの兵の死体を目にしたことを決して他言してはならぬ・・と村長らを脅すのでした。

戦後、当事者の将校にインタビューする著者。
すでに沖縄に米軍が上陸し、占守島で編成された補充部隊が
逆上陸するための移動中に米潜水艦に撃沈された状況を語ります。

「舟艇に乗ったのは将校のみですね」
「主にそうです」
「兵士の腕を切りましたか」
「私は切りませんよ。暗号文を抱いてましたから・・」
「切った将校もいたのですね」
「船べりに手が重なってきました。海面は兵の体でうずまり、
乗ってくれば沈むということよりも、船べりを覆った手が恐ろしくてたまりませんでした。
将校が一斉に軍刀を抜きました。手に対する恐怖が軍刀をふるわせたのです。
切っても、切っても、また新たな手がつかまってきました」
「腕を切られた兵士は沈んでいきましたか」
「そうです。しかし、そのまま泳いでいる者もいました」
「兵士たちは何か言いましたか」
「天皇陛下万歳、と叫んでいました」。

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この50ページ弱の話の次は、「手首の記憶」です。
去年、「樺太」で起こった「真岡郵便電信局事件」、
九人の乙女 一瞬の夏―「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決」を紹介しましたが、
本書の話は同時期に同じ「樺太」で起こった、看護婦集団自決です。
太平炭鉱病院に勤務していた23名の看護婦たち。
33歳の看護長が最年長でほとんどが10代と20代、最年少は16歳です。

8月15日の終戦を告げる放送の翌日、上陸してきたソ連軍。
ソ連機が避難民に銃撃を浴びせかけていることから考えても、
ソ連兵たちが自分たちを凌辱し、殺害する可能性が高い・・。
3㌔先までソ連軍が迫っていたことを知ると、重傷患者らは口々に叫びます。
「早く逃げてください。
若い女たちであるあなたたちを犠牲には出来ない。
早く逃げろ、逃げるんだ」。

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暗闇のなか、一団となって退避する看護婦たち。
しかし、すでにソ連兵に退路を断たれていることを悟ると、婦長がみんなに告げます。
「これから歩いて行っても、無事に逃げられるかどうかわからない。
むしろ敵につかまって惨めなことになる公算の方が大きい。
私にも、あなた方若い人たちを守っていける自信がなくなった。
あなたたちを綺麗な身体で親御さんにお返しすることは出来そうもない。
日本婦人らしく潔く死のうと決めたが、あなたたちもついてきてくれる?」

一人ひとりに注射器で多量の睡眠薬が注射され、
婦長が手にしたメスで彼女たちの手首の血管を切っていきます。
それでも生き返ってしまった看護婦が数名。
自分でメスを突き立てたり、包帯で首を自分で絞めてみるものの、
絶命したのは婦長と、24歳の副婦長ら6名で、17名が奇跡的にも生存していたのです。

戦火もやみ、同僚の遺体を荼毘に付して、再び、病院で勤務する彼女たち。
彼女たちの自殺事件はソ連軍の知るところにもなりますが、
ソ連兵は手首に白い包帯を巻いた彼女たちに畏怖を感じるらしく、
近づくことも声をかけることもないのでした。

平成4年になって、札幌護国神社内に慰霊碑が建てられたようです。

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「烏の浜」は、同じく「九人の乙女」でも触れた、避難民を満載した「小笠原丸」が
国籍不明の潜水艦の雷撃を受けて沈没した話。

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4話目の「剃刀」は沖縄戦が舞台です。
沖縄防衛軍司令官の牛島中将と、長参謀長の割腹自決でこの戦いは終了しますが、
米軍司令官バックナー中将も戦死しています。おっと、全然、知らなかった。。
司令部と戦闘の終焉の地である摩文仁を訪れた著者は、
「洞窟壕を出て、近くの巌頭に座り古式に則った切腹をして、部下が首をはねた」
というガイドの説明に疑問を持ちます。
他の書物でも「白衣をつけて月光の下で割腹した」と書かれているなど、
米軍の激しい攻撃のなか、そんな芝居がかったものであるとは考えられないのです。

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最終的には、壕の奥でまず参謀長が割腹し、坂口大尉が介錯、
続いて牛島司令官が・・。その他の上官たちはピストル自殺をし、
軍司令官と参謀長の首は、吉野中尉がどこかに埋めたらしい・・という証言を得ます。
そして米軍の資料である、両将軍の遺体が写った写真を思い浮かべる著者。

気になって調べてみましたが、確かにこの写真がありました。
手前が長参謀長で、奥が牛島司令官と云われているそうですが、証拠はありません。
それどころか、この2人ではなく、別の将校の可能性もあるようです。
また頭部も写っており、首を埋めた・・という件でも何も見つかっていないそうな。。
米軍によると青酸カリ自殺ともされており、それはなくても切腹ではなく、
ピストル自殺だった可能性もあるでしょう。

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最後は本書のタイトルでもある「総員起シ」。
海軍で言うところの「起床!」っていう意味だそうですね。
昭和17年に竣工された一等潜水艦「伊33」。
完成後、トラック島泊地に入港するも、修理中に沈没・・。
艦名と同じ、33名が殉職します。
沈没位置は水深36mで、なんとか引き上げに成功しますが、
この水深も「33m」とした、恐怖のサンサンの呪いとしている場合があるようです。

その後の昭和19年、急速潜航訓練中に浸水してまたもや沈没。
乗員104名が閉じ込められてしまうのです。
和田艦長が命じる「メインタンク、ブロー」で20mまで浮上しますが、万策尽き、
艦橋へ通じるハッチからの脱出を試みて、遂に2名が成功。
しかし60mの海底に沈んだ「伊33」を引き上げることは技術的に可能でも、
敵機の空襲も激化し、戦局の急迫した今、海軍にその余力はないのでした。

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戦後となった昭和28年、戦時中に沈没した艦船を引き上げてスクラップにすることで
かなりの利益を上げられるサルベージ会社が活発となり、「伊33」もその対象に・・。
数ヵ月に及ぶ引き揚げ作業の過程が詳細に書かれ、
潜望鏡が海面まで上がってくると、100名の遺体が残されたままの「伊33」を
多くの新聞社が連日のように報道します。

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7月、遂に浮上した「伊33」にカメラを持って乗り込む中国新聞社の白石記者。
作業員がハッチを開けると、噴出した得体の知れぬ強烈な臭気に短い叫び声が。。
「中にはガスが充満しているんだ。危ないから換気するまで待て」という声も聞かず、
懐中電灯とカメラの閃光電球を手に、息を止めて前部兵員室に飛び込んだ白石記者は、
シャッターボタンと同時に光る電球の一瞬の明るさのなかに、多くの男を目撃します。

事故から9年・・、兵員室には遺骨が散乱しているはずなのに、
黒々とした髪に皮膚も筋肉もついた男たちがベッドに横たわっているのです。
まるで「総員起シ」の命令がかかれば、今にも飛び起きそうなその姿。
恐怖と息苦しさから何度も外に出ては再びハッチに潜り込み、写真を撮り続ける白石記者。

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そして、直立した男の姿が・・。
白い臀部が見え、引き締まった腿から足首にかけて逞しい線が描かれた、
立ったままの遺体。
上方から鉄鎖が垂れ、それが男の首に深く食い込んだままの首つり遺体なのです。
ずれた褌から隆々と勃起した男根がそのままに。。

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その区画の酸素はすべて男たちによって吸い尽くされ、酸素が絶えたことは、
区画内の雑菌の活動も停止させ、さらに海底の低い温度が腐敗作用を妨げていたのです。
そして立っている男は頑強な身体ゆえ、容易に死が訪れず、
その孤独さに耐えかねて、自ら鎖を首に絡ませたと想像されます。
彼らの13名の遺体は棺に納められると、時間と共に急速に腐敗が進んでいくのでした。

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いや~、面白かったです。
特に第1話と第5話は、読んでいてゾッとしました。
ちなみに首つり遺体が勃起していた件は、本書でも「生理現象」と推測されていますが、
確かにHの最中に首を絞めると勃起が持続する・・とか、
ドアノブに引っ掛けた紐で首を絞めながらセンズリしてて、死んじゃった・・
なんて話を何度か聞いたことがありますね。

著者について調べてみると、「ノンフィクション小説」という表現が出てきます。
個人的には「小説 = フィクション」と考えていましたので、
「ノンフィクション・フィクション」という意味不明なジャンルになってしまいました。
戦時の出来事を語れる関係者がいなくなってきたことから、
1980年以降は「歴史小説」を書かれたようで、
そういうことでは1970年代の作品は、「ノンフィクション」、または「戦記」で良い気もします。
内容は「ノンフィクション」なのに、「小説風」という意味なんでしょうか??
同じく短編集の「帰艦セズ」、それと「羆嵐」も買いましたので、読んでみます。





 



戦時広告図鑑 -慰問袋の中身はナニ?- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

町田 忍 著の「戦時広告図鑑」を読破しました。

去年の6月に「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」という本を紹介していますが、
1997年、219ページ本書も同じく、戦時中の広告を集めた一冊です。
大きな違いといえば、アチラが雑誌広告が対象だったのに対して、
コチラは新聞広告であり、その数、500点。
また、第2次大戦だけでなく、日清戦争、日露戦争時の広告にも触れられているということで、
このような広告は、銃後の世界が垣間見えるので、大好きですね。

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まずは「日清戦争」の広告が8ページほど。
明治28年には、陸軍軍医推薦の「印度 大麻煙草」がいきなり登場します。
大麻っていつまで合法だったんだっけなぁ??

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日露戦争だと明治38年の高野鐡道が「汽車賃全線六銭以上なし」とアピールしますが、
コレは「露苦戦(六銭)」のシャレになってるんですね。
「酒」の項ではそんな日露戦争時の新聞に掲載されていた酒にまつわる話を紹介しています。

ロシア軍が退去した後の人家で水瓶を見つけて、垢流しをしようと飛び込んだ将校。
「アッ」と叫んで飛び出したので、兵士が「どうなさいました」と言うと、
「イャどうも失敬失敬、水だと思ったら焼酎ぢゃった。
こうと知っていたら、入らないうちに飲むのであったのに、残念なことをした。
実はインキン・タムシへ浸みて痛かったので焼酎ということが判った」。
「オイオイ汚い、それでは飲めない」という兵士があると、
「ナニ、かまふものか、タムシが伝染する気遣いはないから、飲め飲め」と両手ですくったり、
水瓶の中へ首を入れてズーズーすする人もありまするし・・。

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他にも「斜面に散乱している両軍将校の屍を収容しよう」と休戦の約束がなされ、
ロシア軍の塹壕近くにあった多くの日本兵の屍をロシア兵が運んでくると、
両軍の将校たちは歓談し、酒杯を交わし、肩を叩きあいながら奮戦ぶりを称え、
旅順は陥落しない」と言うロシア人将校と、「否、必ず攻め落としてみせる」と言う日本人将校。
約束の時間になると、一人一人握手を交わし、今後の健闘を誓い合って別れていった・・と、
面白い話ですね。「戦場のクリスマス」を思い出しました。

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あっと言う間に昭和に入り、「銃」や「飛行機」といったテーマごとに広告が。
昭和13年9月には艦爆5機による「海軍機編隊急降下爆撃戦闘公開」なんてのも出てきました。

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「慰問袋」には仁丹とメンソレータムの広告が数多く、
正露丸は以前に、ロシアに勝ったから「征露丸」、戦後に「正露丸」になったと書きましたが、
実は最高裁判決で「一般的普通名詞とみなす」となって、いろんな会社が作っているそうです。
そして現在でも「征露丸」を販売する会社も存在しているのでした。
ロシア嫌いでお腹の弱い方は、コレを買いましょう。

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「果てしなき中・南支の湿地帯を征く皇軍将兵の足を悩ますのは大陸独特の頑固な水虫だ」。
というわけで、「水虫と兵隊」がキャッチコピーの「ポンホリン」。
慰問袋に入れましょう・・ということですね。

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空爆にキャラメル持って!」は森永ミルクキャラメルです。
「わが荒鷲部隊は、爆撃に行く時に、必ずキャラメルを持って行く。
機上では一番の、楽しい御馳走だ。慰問袋に感謝する!」
う~ん。商売は薬もお菓子も「慰問袋」に絡めた広告じゃないと厳しい時代なんですね。

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同じ森永ミルクキャラメルでは、「ドイツ・イタリーへ送る親善図画。四百万枚突破!」。
「親善図画の募集は6月末日を以て〆切りましたところ、別記の通り、
空前にして恐らくは絶後であらうと云われる膨大な・・」。

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コレは一体なんだろう??と調べてみると、良くできた作品は独伊に親善として送るというもので、
非売品のスパイラル綴じのものや、絵葉書などが出回っていて、
古書店でも10数万円で売っていました。

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映画」についても、当時のプロパガンダとしての映画論が書かれていて勉強になりますね。
映画広告も「チョコレートと兵隊」やら、「潜水艦第1号」など、
ちょっと観てみたい作品も紹介されています。

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「音楽」では、「造船音頭」はまだしも、ニッチクレコードの「陸軍現用機爆音集」が凄い。
コレはいわゆるテッチャンが列車の音を録音して聞いたりするのと同じ感覚なんでしょうか??

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そして良く知られた決戦の歌、「進め一億火の玉だ」を聴いてみました。
戦後のバージョンをちょっと紹介してみますが、オリジナルは最後に
「一億!どおんと行くぞお~!」と絶叫のセリフが入ってて怖い怖い。。
片面の「頑張りどころだ」という若干弱気なタイトルが何とも言えません。。

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途中、「大東亜の建築」として、1920年代後半から10年間に集中した
「帝冠様式」と呼ばれる、洋風ビルに日本風屋根の建築物を紹介。
上野の「国立博物館」はもともとは明治時代にコンドルの設計で建てられますが、

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関東大震災で本館が大破して、使用不能に・・。

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そして昭和12(1937)年、復興本館がコンペによって選ばれますが、募集規定には、
「日本趣味ヲ基調トスルコト」と書かれており、現在の姿になるのでした。

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本書では昭和9(1934)年建設された「九段会館(旧軍人会館)」も写真で紹介。
確かにココも好きな雰囲気なんですよねぇ。

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阪急西宮球場では「国防科学博」の閉場が迫っています。
武装落下傘降下実演」と、「新鋭戦車より火焔放射実演」とスリル満点。
その他、豆戦車無線操縦に、なぜか漫才、奇術も。。やっぱり関西だから??

灯火管制用電球」はまるでスポットライトですね。

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戦時下の国民生活では、昭和20年7月に新聞に掲載された「排尿から食塩が取れる」方法。。
「製法は簡単。尿をすのこ屑に吸収させ天日で乾燥した後、不燃性の容器に入れて燃焼し、
有機物を炭化させ、少量の水を加え、再びこれを普通の製塩法のように天日・・・」って、
全然簡単じゃありません。。ともかく場合によっては淡黄色を帯びたこの食塩が、
この方法で一人一年五キログラム作れるそうです。

まぁ、冗談みたいな話ですが、こういうのを真剣に考えてしまう悪い癖があります。
作り方はわかっても、イザ実行に移そうとすればいろいろ問題があり、
例えば、オシッコは尿瓶にして溜めとくか、母さんと姉さんのも使うのか・・とか、
その場合フレンドはしないで、母さんのやつは母さん用の塩にするのか・・とか、
何日分くらい溜めてから作業をするのか、当時は冷蔵庫もないし、夏は早く傷むのか・・とか。。

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国民服」は国防色で背広型の甲号と、詰襟制服型の乙号(青少年用)の2種類。
一応、陸軍被服協会が公募によるデザインを参考に制定したとされていますが、
本書では、当初からデザインは決まっていたと推測しています。
昭和15年の「主婦の友 付録」にも国民服の作り方が・・。 

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ナショナルは「ラヂオ普及率 世界第29位で満足すべきか・・」と挑戦的。
386万、53人に一台の普及率で、盟友ドイツが1000万の聴取者を動員して
大ドイツ帝国の建設に・・と、謳っています。
またゲッベルスの顔写真付きで「ドイツのラヂオ政策」を紹介したり・・。

ドイツのラヂオ政策.jpg

このようなドイツとの比較では、「ヒットラー・ユーゲントを見て、明日のドイツの輝かしさを思う
という「講談社」の広告もありました。
やっぱり彼らの来日はインパクトがあったんでしょうね。
それにしても、ラジオなのに「テレビアン」とはコレ如何に。。

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昭和12年当時、全国には3つの婦人団体があったという話は一番、面白かったですね。
陸軍省下の「大日本国防婦人会」、
内務省下の「愛国婦人会」、
文部省下の「大日本連合婦人会」です。

Dainihonkokubouhujinkai_1.jpg

いずれも目的はほとんど同じで、防空訓練、慰問品募集、傷病軍人や遺族の支援、
国防献金推進運動などですが、それぞれの勢力拡大のためにトラブルも多くなり、
戦争も泥沼化してきて昭和17年に統合され、「大日本婦人会」が発足したそうです。

各婦人団体の会員章がイラストで掲載されていたりと、
こういうのは大好きなので、いろいろと調べてしまいました。
大日本国防婦人会の会員章は色違いがあるんですが、残念ながら詳しいことは不明。。

Dainihonkokubouhujinkai.jpg

愛国婦人会は形は一緒ですが、コレは特別有功章です。

愛国婦人会特別有功章.jpg

愛国婦人会の「処女団」の会員章。
要は「未婚」女性という意味でしょう。婦人=「女性」ということかな??  
未婚=「処女」って、アイドル・オタクの妄想みたいですが、当時はそんな感じなんでしょう。

愛国婦人会「処女団」.jpg

大日本連合婦人会はこんな感じ。

大日本聯合婦人会之章.jpg

そして統合された大日本婦人会。
戦争末期の物資不足なのか、素材もちゃっちくなった気がしますね。

Dainihonhujinkai.jpg

このような当時の女性たちの生活そのものに、とても興味があるんですが、
ニセドイツ」の共産趣味インターナショナルVOL4が近々、出るようです。
『共産主婦―東側諸国のレトロ家庭用品と女性たちの一日』というこの本は、
旧共産圏、東ドイツ・ソ連・ポーランド・ハンガリー・チェコスロバキア・ルーマニア・ブルガリアの
主婦がどういう生活を送っていたか、当時の雑貨と、各国を代表するドールを用いて、再現・・、
という内容だそうで、オールカラーで実に楽しそうです。ただ、発売日が不明なり。。

共産主婦.jpg

戦時中の広告で面白いのは、どんなメーカーでも商品を沢山売りたいわけですが、
国策として節約を奨励しているため、その線に沿ったキャッチコピーに苦慮していることです。
他国と比較してみたり、慰問袋に入れると兵隊さんが喜ぶよ・・といった具合ですね。

実は「独破戦線」で密かな人気を誇る、「嘘八百 -明治大正昭和変態広告大全-」や、
資料が語る戦時下の暮らし -太平洋戦争下の日本:昭和16年~20年-」、
戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」といった日本の銃後生活や広告もの。
次は「世情を映す昭和のポスター -ポスターに見る戦中・戦後の日本-」を読んでみる予定です。








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