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クルスク大戦車戦 -独ソ精鋭史上最大の激突- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェフレー・ジュークス著の「クルスク大戦車戦」を読破しました。

このタイトルの本を読むのは3冊目で、最初は小説、2冊目は朝日ソノラマ
今回は1972年の第二次世界大戦ブックスです。
著者は1月に紹介した「モスクワ攻防戦 -ドイツ軍クレムリンに迫る-」と同じ方で、
アレはちょっとソ連軍寄りでしたね。

クルスク大戦車戦.jpg

まずはこのクルスクが大戦車戦の主戦場になった経緯から。
スターリングラードでの大勝利の直後、ソ連軍が楽観しすぎた結果、生まれた産物であった」と
1942年11月からの独ソ戦を振り返ります。
出てくる写真もヴォロネジ方面軍司令官のゴリコフと、南西方面軍のバトゥーチンからで、
窮地に陥ったドイツ軍をドン軍集団司令官に任命されたマンシュタインが撤退と
その後のハリコフ奪還作戦をヒトラーに進言します。

Golikov_Vatutin.jpg

見事、ハリコフとベルゴルドを奪還したマンシュタインは、次の段階として
この攻勢をクルスクに向けて継続し、中央軍集団の第2装甲軍はオリョールから南進、
南から北進するマンシュタインの部隊と手を握ろうと計画しますが、
「不敗の英雄ジューコフ元帥」が呼び寄せられ、応急対策が・・。
こうして春の雪解けがはじまって、クルスクに対する攻撃はお預けになるのでした。

Manstein relaxing on his favourite horse, Osman.jpg

この第2章は「ジューコフ対マンシュタイン」という章タイトルですが、
ジューコフの回想録もプレミア価格、マンシュタインの回想録も高いですし、
戦っていない「パットン対ロンメル」って本もあるくらいですから、
「ジューコフ対マンシュタイン」って本があっても良さそうなモンですけどね。

Georgy Konstantinovich Zhukov.jpg

ただ、今月末に「スターリンの将軍 ジューコフ」が白水社から出るようです。
白水社のHPでは「新資料により公正に描いた評伝の決定版!」と猛アピール。。
418ページで、3780円。悩むなぁ。

スターリンの将軍 ジューコフ.jpg

ソ連がほとんどT-34とKV戦車の2種類のみを生産し、
T-34に至っては月産1000両に達しているのに
ドイツ軍戦車といえば種類は豊富なものの、最新のティーガーが月産25両。
T-34のコピーともいえるパンターの生産も始まりますが、大量生産には程遠い状態。
そこで隠居生活を送っていたグデーリアンが装甲兵総監として復活。
本書では「ポルシェ博士のような狂気の科学者がムチャなアイデアを売り込んだり・・」や、
「軍需相であった無能なトート博士が飛行機事故で死亡・・」など、結構、辛辣ですね。
第二次世界大戦ブックスは20冊ほど読んでいますが、
「ドイツ装甲軍団―グデーリアン将軍の戦車電撃戦」を読み忘れていました。

Model-Guderian.jpg

1943年4月15日、「ツィタデレ作戦」が起案されますが、開始日時は未定のまま・・。
マンシュタインの南方軍集団は、ホトの第4装甲軍とケンプフ作戦集団(ケンプフ軍支隊)、
クルーゲの中央軍集団はモーデルの第9軍がクルスク突出部を切り取るハサミになります。
しかしティーガーにパンター、そしてフェルディナンドといった新型戦車を
大量に使用したいヒトラーは、なかなか作戦開始を決定できません。

Hitler, Ferdinand Porsche, and Albert Speer.jpg

対するソ連軍はそのスキに深さ180㌔にも及ぶ縦深防御陣地を構築。
ツィタデレの情報を流した「スパイ・ルーシー」こと、ルドルフ・レスラーが写真付きで登場すると、
なぜかシェレンベルクも写真で紹介され、「ルーシーの一味」とキャプションが・・。
本文には出てこないシェレンベルクなんですが、コレはなんなんでしょうね。
しかも有名な ↓ ニヤけた写真が使われています。。

schellenberg.jpg

結局、7月4日までずれ込んだツィタデレ作戦の開始。
いまや時すでに遅しと考えるマンシュタインと、作戦反対派のグデーリアンですが、
クルーゲは作戦実施を望みます。
その理由は、異常なまでに仲の悪いグデーリアンが反対しているからというもの。。

Hans Günther v. Kluge, Adolf Hitler.jpg

北部の攻撃を担当する第9軍のモーデルは、装甲部隊を突入させるための突破口を開くのに、
歩兵と砲兵の攻撃による昔ながらの戦法をとりますが、
強力な装甲部隊の代わりをするだけの砲兵力を持っていなかったために苦境に追い込まれます。

elefant.jpg

一方、南部はマンシュタインの配下の第4装甲軍のホト自身が有名な装甲部隊指揮官であり、
1人のドイツ軍司令官に任されたものとしては、最大の数の装甲師団を与えられます。
第3、第6、第7、第19の各装甲師団に、精鋭グロースドイッチュランド装甲師団
ライプシュタンダルテダス・ライヒトーテンコップから成る、強力な第2SS装甲軍団も。
しかももう一つの戦車大部隊であるケンプフ作戦集団がベルゴルドの南に位置していたことから
ヴォロネジ方面軍のバトゥーチンは、どちらが主攻撃なのかと判断に苦しみます。

Generäle Hoth und v. Manstein.jpg

そんなこんなで有名な「プロホロフカ戦車戦」も、写真と戦況図を用いて進みます。
第48装甲軍団長のクノーベルスドルフや第2SS装甲軍団長のハウサーも登場。
ソ連軍もカツコフの第1戦車軍に、ロトミストロフの第5親衛戦車軍などが・・。

Zitadelle.jpg

読んでいて、つい独ソ戦をボクシングに例えてみたくなりました。
1941年の初戦は、第1ラウンドからヒトラーのバルバロッサ・パンチの猛ラッシュで
スターリンはダウン寸前。しかし力を振り絞ったタイフーン・パンチの打ち疲れたヒトラーに
温存していたシベリアン・ブローでスターリンが反撃してドロー。

1942年のリターンマッチはスターリンの攻勢から始まりますが、
"青"・コーナー、ヒトラーのブラウ・カウンターがヒット。
脚を使ったスターリンのアウトボクシングも"赤"・コーナーに追い詰められますが、
第9ラウンドに起死回生の天王星パンチが炸裂して、一転、フラフラとなったヒトラー。
トドメの火星パンチをなんとか防ぎ、必死に繰り出す冬の嵐パンチは凌がれたものの、
マンシュタイン・バックハンドブローが見事に決まって、またも引き分け・・。

そして迎えた1943年の夏、3度目の試合。
鍛え上げた左右のパンチでぶちのめそうとするヒトラーに対し、
今度はガッチリ守ってカウンター狙いのスターリン。
左のモーデル・ジャブは完全にガードされますが、強烈な右のホト・ストレート
そしてケンプフ・フックは的確に捉えます。
しかしスターリンも狙い通りのステップ・カウンターを合わせて、互角の激しい打ち合いが・・。
と、まぁ、プロホロフカ戦車戦まではこんな感じでしょうか。。

Stalin beats up Hitler.jpg

7月13日、ヒトラーに呼び出されたクルーゲとマンシュタイン。
連合軍がシチリアに上陸し、ツィタデレ作戦も北部でのソ連の反撃が始まったのです。
グデーリアンが嫌いとかいう理由で、やる気満々だったクルーゲも
自分の戦線に大穴が空いたいま、「作戦は中止しなければ」と意見しますが、
互角の戦闘を続けている南部では、ソ連側の損害は甚大であると判断して、
「このまま続行すべき」と意見する強気のマンシュタイン。

von Manstein mit Ritterkreuz und Eichenlaub vor Karte in mittlerem Schützenpanzer.jpg

ロコソフスキーの中央方面軍だけでなく、ソコロフスキーの西部方面軍、
ポポフのブリャンスク方面軍の反撃を受けるドイツ軍ですが、
ここにきて「防御の達人」であるモーデルが本領を発揮します。
8月の前半いっぱいをかけて、オリョールから第9軍と第2装甲軍を整然と撤退させたモーデル。
スターリングラードのような悲劇は起こらなかったものの、
14個師団に相当する兵力を失い、ドイツ軍にはもはやこのような大損害を
補充する力は残っていないのです。

Walter Model.jpg

南部でもソ連の攻勢によってベルゴルドを明け渡し、再び、ハリコフ争奪戦へ。
「なんとしてもハリコフは保持せよ」と厳命するヒトラーと対立するマンシュタイン。
参謀総長のツァイツラーが司令部にやって来ると、「お説教」する軍集団司令官。
「統帥部はもはや、どの師団が抽出できるとか、クバンの橋頭堡が保持できるかという、
個々の問題に首を突っ込む時期ではない。もっと大きな問題を考えるべきだ。
ソ連軍はわが軍の南翼を撃滅しようとしているのだ」。

前にも参謀総長のハルダー大将に向かって、軍集団司令官のフォン・ボック上級大将が
「きみ」呼ばわりで意見する・・という話がありましたが、
ツァイツラー大将とマンシュタイン元帥だと、同じパターンなんでしょうね。
参謀総長といえど、ヒトラーだけでなく、口うるさ型の元帥がいっぱいで大変そう。。

Panzergrenadier Division Großdeutschland Zitadelle 1943.jpg

9月にはドニエプル川にかかる橋梁を目指して、ドイツ軍とソ連軍の競争が始まります。
800㌔もの正面に展開している軍隊をわずか5ヶ所の橋梁で川を渡らせ、
今度は川の西岸に沿って650㌔の正面に再展開させるのがマンシュタインの仕事です。
こうして11月、キエフがソ連軍の手によって解放されたところで本書は終了。

Schlacht der Dnepr-Karpaten-Operation.jpg

1942年11月のスターリングラード包囲から始まって、第三次ハリコフの戦いを経て、
クルスク突出部が誕生。
メインの「クルスクの戦い」から、キエフ奪還までが書かれた本書。
後半のドニエプル川まで撤退するドイツ軍と怒涛の進撃を見せるソ連軍の場面では、
パウル・カレルの「焦土作戦」を思い出しました。
実際、あの本も同じような展開であり、そういった意味では、
204ページ本書はクルスク戦というよりも、焦土作戦のダイジェスト版とも言えそうです。

ただ、戦域が大きいですし、登場するソ連の各軍や将軍たちの数を考慮すると、
このボリュームではとても網羅しきれていない印象も持ちました。

歴史の「IF」として、もしクルスク戦でドイツ軍が勝っていたら?? というのがありますが、
やっぱり戦車を含めた膨大な戦力を独ソ共に消耗し、
単に突出部が消えて、戦線がまっ平らになっただけで、再度、睨み合い・・、
というヤツを支持します。

Saviors.jpg

しかし、もし1941年の冬にモスクワが陥落していたら??というのになると、これが難しい。。
前年のフランス政府もパリからボルドー、あるいはロンドンに逃げて・・ですし、
ギリギリまでクレムリンに留まっていたスターリンがどうしたかを推測することになります。
むざむざドイツ軍に捕えられたり、ヒトラーみたく自殺するような人間とはとても思えない。
これは開戦当初にスターリンが打ちひしがれて別荘に引き籠ったというのを
その通りに考えるか・・によると思います。
個人的にアレは、書記長で首相という政治家としては確かに失敗したと認め、
けれども最高司令官として新任されるためのポーズであった・・という説を取ります。

ですから、スターリンとしては、敵はヒトラーではなく、側近と赤軍を含む内部にあり、
和平を目論む連中のクーデター(スターリン粛清)を一番恐れていたんじゃないでしょうか。
グルジア出身だし、若いころに何度もシベリア送りを経験しているだけに、
ドイツ軍から逃れるためには、いくらでも東に行ったでしょうし、
そのような段取りも考えたうえで、モスクワに踏みとどまるポーズをしていたと思うのです。

結局、ドイツ軍にモスクワを占領されたとしても、
側近たちの信任を得ている間は、ウラル山脈の向こうからでも徹底抗戦したと思いますし、
逆にドアを蹴破れば、ソ連は崩壊するだろうと語っていたように、ヒトラーとしては
共産党の内部分裂と、赤軍、またはソ連市民の反乱が起こることによって、
スターリンを失脚させ、その後、和平を結ぼう・・と期待していたのではないでしょうか。
もちろん、モスクワが占領されたという事実によって、
これらが引き起こされることもありますが・・。
スターリンがロンドンで亡命政府を・・なんてことになったら笑いますけど。。

Churchill and Stalin.jpg

と、こんな妄想には答えはないのがわかっていますが、
とりあえず、「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」購入しました。
寒くなってきましたから、コレを読むにはもってこいですね。

ちなみに今日は11月19日。
1942年にはスターリングラードで「天王星作戦」が発動された日です。
それから25年後、ヴィトゲンシュタインが生まれたのでした。









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ニュールンベルク裁判 -暴虐ナチへ“墓場からの告発”- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオ・カーン著の「ニュールンベルク裁判」を読破しました。

過去に紹介した「ニュルンベルク・インタビュー」と、「ニュルンベルク軍事裁判」に続く、
3回目のニュルンベルク裁判モノの紹介です。
しかし、先の2冊がいずれも上下巻の大作であったのに比べ、
本書は1974年の第二次世界大戦ブックスだけあって、204ページとコンパクトです。
それにしても副題が最高すぎます。。
「暴虐ナチへ“墓場からの告発”」・・。
ナチスが悪役なのはごもっともとしても、今じゃつけられないような副題ですね。
まるで、ナチス・ゾンビとか、C級ホラー映画の邦題みたいで笑ってしまいます。

ニュールンベルク裁判.jpg

終戦後の裁判に至る前段階として、1943年の10月に起こった出来事。
一つは国連戦争委員会の正式設立で、1945年3月までに2000人の戦犯リストを作成。
二つ目はルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの3首脳が署名した「モスクワ宣言」。
この宣言では戦犯を2つに分け、別の裁判を行うことを選択します。
「小物」の扱いは以下のとおりです。
「残虐行為、殺害、処刑に責任を持つか、承認したドイツ軍将兵およびナチ党員は、
犯行が行われた諸国へ送還され、裁判を受けて処罰される」。
ルドルフ・ヘースなどの強制収容所所長とか、ワルシャワ・ゲットー鎮圧のシュトロープ
マルメディ虐殺のパイパーなんかがこの部類に入るんでしょうね。

peiper_hoess_Stroop.jpg

そして「大物」たちについては漠然とした表現で、
「特別の地理的場所を持たない戦犯たちは、連合国政府の共同決定によって処罰される」。
この1943年10月という時期を考えると、東部戦線ではクルスク戦が終わって、
ソ連軍の逆襲が始まり、南では北アフリカから連合軍がイタリアへ・・という状況ですから、
ホロコーストを筆頭としたナチス・ドイツの蛮行がこれから明るみになってくるわけですね。

The Palace of Justice at Nürnberg.jpg

そして連合軍が勝利した戦後早々に、裁判に向けた意識合せがロンドンで行われます。
主導権を握る米国は、ナチの戦争が不法であったという論拠で、
フランスなどドイツに占領された国々は、ナチが集団強盗であったことを示そうと、
ソ連は基本的には米国と同じ考え方ながらも、条件付き・・。
それは「犯罪の定義は、ドイツとその同盟国の行った侵略行為にハッキリと限られるべきである」。
1939年のポーランド侵攻からがナチの犯罪として、裁判の対象となったことから、
東からポーランドに侵攻し、その後、フィンランドにも攻め入ったソ連としては、
自分たちは対象外にしてもらうのが条件になるわけです。

Russian_judges_Iona Nikitchenko_at_Nuremberg.jpg

「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」の内容が定義され、
「上官の命令」をもとに行動したと証明できても、責任は逃れられず・・・、といった
判断の難しい問題も定義されています。
そのための証拠集めが始まると、ナチの哲学者で東方占領地域相だった
ローゼンベルクの記録がとある城の壁の隠し場所から発見され、
外務省のほとんど完全な記録、500㌧も押収。
ポーランド総督のハンス・フランクは逮捕時に大量の日記を引き渡します。

Jodl, Frank, and Rosenberg.jpg

こうして始まったニュルンベルクの裁判。四ヵ国の裁判官と検事らが紹介されますが、
初めての「同時通訳システム」も導入します。
「大物」と認定された24人の戦犯も、本書はプロマイドのように写真付きで紹介。
するといきなり、「ロベルト・ライはこの便所用の水道管にタオルをくくりつけて自殺した」と、
その不気味な ↓ 写真が・・。

The cell where Robert Ley hanged himself.jpg

幸い、ライの死体写真はありませんでしたが、
「1945年、敗戦で夢破れて自殺したライプチヒ市長一家」というキャプションで
2ページぶち抜きの写真が出てきて、相変わらずこのシリーズはビックリします。
この人、アルフレート・フライブルクという1939年から市長を務めていた古参ナチ党員です。
奥さんと娘さんも一緒かぁ。。

Alfred Freyberg Wife & daughter _Leipzigsuicide.jpg

1945年11月21日の第1日目は罪状認否。
被告全員は無罪を申し立てますが、唯一、欠席中のボルマンについても、
「無罪を申し立てたものと推定された」そうです。そんな決めつけなくてもねぇ・・。

被告たちは総統について、「脅迫的な嘘つき」であり、
「成功によって狂人に変わった神経病患者」であり、
「自国民の破壊者」であることに気付いたものの、手を打つには遅すぎたと語ります。
そして変態的なユダヤ人嫌いのシュトライヒャーは当然ながら、
RSHA長官のカルテンブルンナーも「SSのブタ野郎」と被告仲間からも嫌われ、
副総裁ヘスは「進行性健忘症」・・。
麻薬中毒から復活したゲーリングが統一戦線を築こうと頑張りますが、
それに反発するのはシュペーアという図式です。

nuremberg-trials-Goering_Rosenburg 1945.jpg

重要な証言者たちも登場。
「ナチ指導部の根本的目標はヨーロッパ大陸の支配であった」と証言するのは、
ヒトラーの通訳だったシュミット
悪名高い「コミッサール命令」について証言するのは、オーレンドルフ
このことはOKW作戦次長だったヴァーリモント将軍も同意見です。

SS chief Ernst Kaltenbrunner.jpg

アウシュヴィッツ強制収容所の実情については所長のヘースが証言し、
リディツェ村オラドゥール村の虐殺行為、ワルシャワの鎮圧
ローゼンベルク特別部隊による、絵画や彫刻などの美術品の組織的な略奪行為も
明らかにされていきます。
つい先日、みのもんたの居なくなった「朝ズバッ!」から、
突然、「退廃芸術」という聞きなれたフレーズが流れてきましたが、
ミュンヘンで「ナチス略奪絵画1500点発見」というニュースでした。



「ナチスは当時、ドイツや欧州各地でユダヤ人の所有する美術品を多数、没収したり
買いたたいたりして略奪した。」

まぁ、没収が略奪なのはわかりますが、買いたたくのが略奪なのかはわかりません。
しかし最近、ナチス関連ニュースが多いですね。

1年近くに及ぶ裁判。判決の時が近づいてきます。
しかしドイツにも優れた弁護人がおり、「あなたも同じ」作戦を繰り出します。
特に「無制限潜水艦戦争を行った罪」で告発されたレーダーデーニッツですが、
米英両国も明らかに同じことを行っていたという理由で、コレについては罪を免除。

Nuremberg-trial_Raeder_Donitz_1946.jpg

また、告発されたのは個人だけではありません。
ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SS、SA、内閣、軍参謀部および軍司令部の7つの組織が該当。
結局のところ、ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SSが犯罪組織と認定されますが、
こういう結果からも国防軍や参謀本部が潔癖であると言われるようになったんでしょうか。
ただし、裁判官の満場一致ではなく、ソ連の裁判官ニキチェンコ将軍は不服意見です。

Nuremberg trial.jpg

予期された被告12人に死刑判決が下ります。
この人数に収まったことについて著者は、情状酌量の状態が考慮されたと推察します。
最後の章では「裁判の総括」として、「ほぼ、完全に公平であった」とも結論付けています。
その一方で、ロンドン会議の席で米代表が適用される法は、連合国側が同様の犯罪を犯せば、
それにも適用されなければならないと主張して、ソ連側と対立したように、
第2次大戦後、ドイツと日本に適用された法が、それ以降、他の国の
主要戦犯には適用されておらず、また近い将来に適用される見込みもない・・
という事実に目をつぶってはならないと締め括っています。
まぁ、勝利国による裁判ですから、ドコまでが公正公平なのか・・ですね。

Nuremberg Trials_nazi_death.jpg

ニュルンベルク・インタビュー」は、ナチスの被告たちの精神状態を検証したもの。
ニュルンベルク軍事裁判」は裁判全体をドラマティックに描いたもの。
そして本書はニュルンベルク裁判そのものの意義を振り返ったもの・・、
という風に区別できると思います。
ボリュームは無くても、相変わらずうまくまとめられた第二次世界大戦ブックスで、
この裁判について知りたいと思われる方にはピッタリです。
まだ、ヴェルナー・マーザーの「ニュルンベルク裁判―ナチス戦犯はいかにして裁かれたか」
が残っていますが、そろそろ「東京裁判」モノも気になっているところです。
しかしナニを読めば良いのやら。。





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空軍元帥ゲーリング -第三帝国第二の男- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロジャー・マンベル著の「空軍元帥ゲーリング」を読破しました。

いままで読んできたいわゆるナチ本でも、「ダメ国家元帥」とか、「デブの帝国元帥」などと、
散々に言われてきたゲーリングの第二次世界大戦ブックスです。
ゲーリング本としては過去に「ゲーリング -第三帝国の演出者-」と
ゲーリング言行録 -ナチ空軍元帥おおいに語る-」を読みましたが、
著者は同じ第二次世界大戦ブックスの「ゲシュタポ -恐怖の秘密警察とナチ親衛隊-」の方で
アレはかなり内容が良かったですから、本書も期待できます。

空軍元帥ゲーリング.jpg

1893年1月生まれのヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング。
カッコ書きで明治26年と書かれているところが第二次世界大戦ブックスです。
父はハイチ駐在の総領事という家庭ですが、その父が引退し、
まだ若い母は友人の金持ち独身男の愛人となって、
ベルデンシュタインのお城でヘルマン少年は成長。
12歳でカールスルーエの士官学校に入り、軍事訓練大学に進学。
19歳の時に第112プリンツ・ヴィルヘルム連隊に勤務することになります。

young Göring.jpg

2年後には第1次大戦が始まり、国境近いアルザスで戦いますが、
親友のブルーノ・レルツァー少尉が飛行訓練学校に転属すると、彼も後を追いかけることに。
は~、後のレルツァー将軍とはこんな付き合いでしたか・・。
そして1918年にはプール・ル・メリット章を受章するエース・パイロットとなり、
戦死した"レッド・バロン"・リヒトホーフェン飛行隊の指揮官に任命されるのでした。

Bruno Loerzer _ Hermann Göering.jpg

そういえば、去年WOWOWで放送された映画、「レッド・バロン」をようやく観ました。
複葉機の空中戦もCGで迫力あるものに仕上がっていましたし、
リヒトホーフェンを演じたマティアス・シュヴァイクホファーくんも良かったですね。
後半にはウーデットも登場し、従弟のヴォルフラムも初戦でドキドキ・・。
リヒトホーフェンが撃墜され、英軍によって埋葬されるシーンも欲しかったですが、
エンド・クレジットでヴォルフラムについて、「第1次大戦を生き延びた」とだけで、
その後の「コンドル軍団」、電撃戦の要として、ナチス空軍の元帥にまでなったことが
紹介されていないところが、イヤラシイ・・とも思いました。

DER ROTE BARON.jpg

戦後はスウェーデンで最初の奥さんとなる、カリンと出会い、
1922年に初めてヒトラーの演説を聞くことに・・。
ゲーリングの経歴を気に入ったヒトラーが29歳の彼に任せたのは、
ドイツ陸軍飛行隊の将兵の代わりに、
失業者の群れである初期のSA(突撃隊)の訓練です。
しかし36歳の「党参謀長」であるエルンスト・レームは自分の方が上と考え、
ヒトラーはそのレームを押さえるためにゲーリングを必要とし、
ゲーリングを押さえるためにレームを操る・・という、得意技をすでに駆使しています。

Röhm Goering Hitler.jpg

ビアホール一揆で太腿の付け根に銃弾を受けたゲーリング。
逮捕を逃れながらも国外で治療を受け、やがてモルヒネ中毒に・・。
1931年には選挙戦に明け暮れるなか、
ヒトラーは愛する姪であるゲリを失って打ちひしがれ、
ゲーリングもまた最愛の妻カリンを失うという非常事態・・。
そんな彼らは1933年に政権を奪うまで、がむしゃらに選挙で戦い続けるのでした。

Goering delivers a speech ibn Weimar.jpg

プロイセン州の内相となって「ゲシュタポ」を創設する部分を書かれていますが、
本書では「国会議長」としてのゲーリングの役割が良く書かれていました。
しかしヒトラーの独裁が始まれば議会が開かれることはもうありません。
女優のエミー・ゾンネマンと愛し合うことになりますが、
「再婚してもカリンを裏切ることにはならない」と説得されて、
ようやく1935年にエミーとの結婚を決意し、カリンとの思い出のために
大きな別荘、カリンハルを建てるのです。

Göring and his wife Emmy showing off pet lion cub to Benito.jpg

贅沢三昧を始めたゲーリング。
ゲシュタポはヒムラーに譲って、ドイツ空軍の創設に乗り出します。
派手で飽きっぽい性格からして、ゲシュタポのような陰険な仕事には向かず・・
という話も良く聞きますが、確かにそう思いますね。

himmler göring.jpg

狩猟嫌いのヒトラーから、森林、および狩猟長官にも任命されます。
総統とは違って狩猟大好きゲーリングですが、著者は彼の狩猟法の改正は
大変優れたもので、彼のやった仕事の中で唯一の恒久的なものであり、
この狩猟法の条項は今日もなお、効力を持っているとしています。
それらは生きたまま皮をはいだり、肉をとったり、残酷な罠の禁止・・。
ゲーリングは鳥獣に対するフェアプレイと、保護や繁殖にも注意を払います。

Hunting Goering.jpg

カリンハルの写真も多い本書。
贈り物の高価な芸術作品に溢れ、2階の部屋には大きな鉄道模型が・・。
ほほぉ、ゲーリングも"テッチャン"だったんですね。。
カリンハルはショルフハイデという広大な領地にあるそうですが、
ここの広さは横浜市ほどもあるという、ハンターの楽園です。
自分を偉大な行政官と自負する彼ですが、公式には総統に次ぐNo.2ではありません。
もともとはナチ党の「副党首」という立場だったルドルフ・ヘスが、
ヒトラーが国家元首の総統になると、自動的に「副総統」ということになっていたのです。

Hermann Goering with his Märklin model railway at Carinhall. The other fellow could well be Franz von Papen.jpg

戦時経済立て直しの4ヶ年計画の責任者となり、「大砲かバターか」の問題に直面すると、
彼は演説で「バターが我々のためにしてくれたことは、太らせただけだ!」と喚き、
己の突き出た腹を叩いて聴衆を笑わせる国民の人気者ヘルマン・・・。

「戦争か平和か」という1938年になっても愛妻や、
6月に生まれた愛娘のエッダと過ごすことが楽しみであり、
平和的手段によってドイツの地位が向上できるならば、楽で贅沢な生活が維持できる・・
と考えているのです。

Hermann Emmy Edda Göring.jpg

オーストリア併合ではザイス=インクヴァルトとの緊迫した電話でのやりとりが詳細で
楽しめましたし、英国に盗聴させようとしたロンドンにいるリッベントロップとの
長い電話も印象的でした。
そして英仏との外交にも積極的なゲーリングですが、
外務大臣となったリッベントロップとのライバル争いと、ヒトラーの独断政治の前に
徐々にその存在感は薄くなり、ポーランド侵攻が始まってしまいます。

Ribbentrop Hitler Goering,Berlin, Germany, August 1939.jpg

そのポーランド戦ではゲーリングの空軍は急降下爆撃機の活躍もあって完勝したものの、
ダンケルクバトル・オブ・ブリテンから、英国本土上陸作戦と失敗続き・・。
英国征服がすっかり自分だけに任されきって、誰もバックアップしてくれない・・。
孤立していることを悟った彼は前線から引っ込んで、ガーランドに任せるのです。。

Poland, September 1939, Goering with airforce officers at the front..jpg

翌年に独ソ戦が始まると、英国へと飛んで行った副総統ヘスに代わり、
めでたく副題のとおりの「第三帝国第二の男」となった国家元帥。
「ユダヤ人問題の全面的解決」をヒムラーの第一の子分であるハイドリヒに引き継ぎ、
手詰まりとなったドイツ空軍も盟友ウーデット、参謀総長イェショネクが相次いで自殺。
ケルンは大爆撃に遭いマルタ島の征服も失敗、ロンメルへの補給にも失敗。
ゲーリングは自分への批判は一切無視し、ドイツの戦時経済と、
空軍への利益になるモノ、そして個人的な道楽・・のあいだを彷徨います。。

Wonderful Porcelain Plaque Depicting Hermann Göring in Uniform.jpg

スターリングラード包囲に対する空中からの補給を約束しても
1943年1月という第6軍が崩壊して死に直面しているその時、
ベルリンで恒例の誕生パーティを開き、美術品などの贈り物が続々と届きます。
レンブラントにルーベンス、ゴヤなどの名作絵画コレクション。
本書ではシュペーアシェレンベルクが語るゲーリングの話もあり、
ヒムラーに言わせれば、「闇市の帝王」ということです。

Goering, three-quarter length, in Slavic attire.jpg

1945年4月、死を覚悟しているヒトラーに電報を打ち、それがライバルであるボルマンによって
「裏切りである」と認定され、罷免されたうえ、SSに逮捕されたゲーリング。
5月6日には新大統領となったデーニッツにメッセージを送ります。
「あなたがヨードルを交渉のためにアイゼンハワーの元へ派遣すると聞いております。
わたしも元帥対元帥としてアイゼンハワーと正式に接触することが、
わが国民の利益にとって重要であると考えます。
わたし固有の雰囲気を添えることで、成功することを請け負います」。

Goring_on_what_appears_to_be_a_subsequent_day,_sitting_down_with_U_S__forces.jpg

結局、このようなメッセージはゲーリング嫌いのデーニッツに無視され、米軍の捕虜となり、
ニュルンベルク裁判へと続き、ここでもジャクソン検事との応酬が詳細です。
そして最後には1967年に明らかにされた刑務所長のアンドラス大佐に宛てた
ゲーリングの遺書を掲載し、彼が毒薬のカプセルを如何に隠し持っていたか・・。

goering  hess  ribbentrop_nuremberg.jpg

ふーむ。。かなり出来の良いゲーリング伝でしたねぇ。
珍しい写真も多かったのも「第二次世界大戦ブックス」らしいですが、
この223ページというボリュームながら、生い立ちから、その死の様子まで
余すことなく、公平に書かれていました。
コレは最初にも書きましたが、やっぱり著者が良いんでしょうね。。
モズレーの「ゲーリング -第三帝国の演出者-」の方がボリュームもありますが、
ややレア本で古書価格も高くなっていますから、ゲーリングに興味のある方は、
古書価格もお手頃の本書をまず読んでみることをオススメします。









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モスクワ攻防戦 -ドイツ軍クレムリンに迫る- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェフレー・ジュークス著の「モスクワ攻防戦」を読破しました。

2年半ほど前に出た「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」でも
そろそろ買ってみようか・・と思っていたところ、同じタイトルである
1972年の第二次世界大戦ブックスの本書を先に読んでみることにしました。
著者は以前紹介した名著「スターリングラード―ヒトラー野望に崩る」の方で、
訳者さんも大好きな加登川 幸太郎氏というコンビです。
東京はモスクワのごとき大雪となりましたので、我ながらナイス・タイミング。。

モスクワ攻防戦.jpg

「はじめに」を書くのは、ハッソ・フォン・マントイフェル装甲兵大将です。。
思わず「うわっ!」と仰け反ってしまいました。
こういう古い本というのは、このような驚くような仕掛けがあるのが嬉しいですね。
4ページほどバルバロッサ作戦の経緯が語られ、
当時、彼は連隊長の大佐(第7装甲師団)であったということです。
そして著者の「スターリングラード」、「クルスク大戦車戦」にも触れて、
本書に対するお墨付きまで・・。
そ~ですか。そういうことなら未読の「クルスク大戦車戦」も早速、読まなければ・・!
まさか「はじめに」を書いているのはヘルマン・ホトじゃないでしょうね?

Hasso-Eccard Freiherr von Manteuffel 1941.jpg

第1章は「北国の白熊-ジューコフ」です。 
予想を裏切る出だしですが、まずはここで「陥落寸前のモスクワを救った男」として、
1896年(明治29年)生まれの彼の簡単な生い立ちから
第1次大戦と、それに続く内戦が終わった時、彼は赤衛軍の精鋭である
ブジョンヌイの第1騎兵軍の中隊長であり、旅団長であったティモシェンコがとの触れ合いが
のちに国防大臣と44歳の若き参謀総長という関係に繋がって行くことを紹介します。

zhukov.jpg

第2章はうって変わって、ポーランドとフランスを席巻したグデーリアンのドイツ軍装甲部隊と
対ソ戦の戦略を練る参謀総長ハルダーが、当時、第18軍参謀長だった
エーリッヒ・マルクス少将を特別補佐官として攻勢作戦を研究させていたということです。
お~、この人は1944年にノルマンディ地区の責任者だった人ですねぇ。
そして1941年6月22日に始まった「バルバロッサ作戦」。
1日平均、30㎞に近いスピードでフォン・ボック元帥の中央軍集団は驀進。
先鋒を務めるのはグデーリアンとホトの第2、第3装甲集団です。

Guderian_Hoth.jpg

開戦19日目にして680㌔も前進してスモレンスクまで侵入し、
モスクワまで残り420㌔・・。今までの前進速度なら、あと2週間の行程です。

panzers in russia 1941.JPG

一方のソ連側ではティモシェンコとジューコフのコンビが必死で防戦。
前線ではコーネフエレメンコなどが登場しながら独ソ戦記が続きます。
そして8月、とりあえずはモスクワへの前進を中止する総統命令が・。
キエフ包囲のために南方軍集団へと向かうグデーリアンの装甲集団。
ドイツ軍の前進速度は75%も落ち、逆に損害は50%増大するという事態に陥るのでした。

Barbarossa-PanzergrGuderian.jpg

そしてヒトラーはレニングラード、モスクワ、キエフの3ヵ所の目標から
首都モスクワを外します。これに大反対するのは陸軍総司令部です。
「ソ連側の狙いが冬まで持ちこたえようとしているのは明らかだ。
もしソ連がそれに成功すれば、避けなければならない二正面戦争に
引きずり込まれることにもなろう。
それを避けるための最上の方法はモスクワを攻撃することである」というのがその主張です。

russia_1941.jpg

9月、ソ連の歴史上最大の敗北である「キエフ大包囲」によって、
スターリンは50万人の死者、捕虜、行方不明者を出します。
グデーリアンにとっては彼の装甲戦闘理論の正しいことを自ら証明し、
いよいよ、モスクワに目を向けるのでした。
そして"秋の上天気"の最中、9月30日に開始されたモスクワ侵攻「台風作戦」。
しかし10月6日には早くも"悪路の季節"が到来してしまい、進撃速度はガタ落ちに・・。

horse drawn supply.JPG

レニングラードを立て直したジューコフは危機迫るモスクワ防衛を任され、
100万という大部隊を指揮することになります。
そして204ページの本書のちょうど真ん中を過ぎた112ページから、
後半にかけての必死の防衛、そして反撃を「ジューコフ元帥」が振り返ります。

Soviet POWs.jpg

10月15日には党中央委員会と政府がモスクワから撤収を開始。
避難先は東へ800㌔のタタール自治共和国のクイビシェフです。
そんななかでモスクワ市民は奮い立ちます。
10万人の労働者が戦闘部隊に招集され、
2万人弱の婦人や娘たちも看護婦などの訓練を受け、
モスクワ周辺の大部分が女性から成る労働者が首都に通じる接近路の
防御工事に駆り出されます。
お偉方はさっさと逃げて、まぁ、どこまで労働者が自主的だったのか、
あるいは強制的だったのか・・は、本書では読み取れませんね。

russia 1941.JPG

クレムリンから僅か23㌔の所まで迫ったドイツ軍ですが、
寒さと抵抗によって阻まれ、11月末には全く動けなくなってしまいます。

the road to moscow.JPG

まさしく「冬将軍」と「ジューコフ将軍」、2人の強烈な将軍がタッグを組んだ防衛戦。
やがて12月3日になるとソ連の反攻作戦が始まり、
ドイツ軍は150㌔~285㌔も撃退されてしまうのでした。

Deutsche Soldaten vor einem brennenden Dorf 1941.jpg

ということで、第1章がジューコフで始まったのが意外だったとおり、
終始、ジューコフ中心で進む一冊でした。
後半は「ジューコフ元帥回想録」からの抜粋・・というか、ほぼそのまま掲載。。
個人的には「手抜き過ぎだろ・・」と思いましたが、
まぁ、ソ連側から見た経緯としては決して悪くはありません。
それにジューコフの回想録は600ページ弱と強烈ですし、古書価格も1万円ですから、
読まれていない方には、その雰囲気が味わえるかも知れませんね。

stugiii 1941.jpg

また、本書は相変わらず写真が素晴らしい。。
ドイツ軍の対戦車砲兵が「獲物を仕留めてバンザ~イと喜ぶ」写真に、
「軍事訓練を受けるモスクワの婦人たち」、
さらには「ワンワン爆弾」こと、爆薬を背負った地雷犬が倒れている写真まで登場し、
キャプションでは「出陣むなしく? 敵弾に倒れた"勇者"」

Anti-tank dogs.jpg

これで「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」に挑むことが出来ます。
内容的には本書のような戦記中心ではなく、西側も含めた各国の政治的駆け引きが
近年公開された資料に基づいて書かれているということなので、
コレはコレで楽しそうな一冊ですね。







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虐殺!アウシュビッツ -ユダヤ人集団殺害-戦慄の記録- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ワード・ラザフォード著の「虐殺!アウシュビッツ」を読破しました。

我が家の未読本棚に1冊だけ残っていたホロコースト物の本書は
いかにも第二次世界大戦ブックスらしく、実にオドロオドロしいタイトルです。
表紙も死体とおぼしき写真ですし、本文も写真タップリなシリーズですから、
読むのを躊躇っていましたが、勇気を振り絞ってペラペラ覗いてみると、
思っていたほどでもなし・・。
原著のタイトルもホロコーストではなく「ジェノサイド」。
どうやらアウシュヴィッツ絶滅収容所に限定したものとは一味違う、
ユダヤ人迫害の歴史から、ナチス・ドイツによる虐殺の過程を追及したものでした。

虐殺!アウシュビッツ.jpg

第1章は「ユダヤ人迫害の歴史」として20ページほど勉強です。
紀元前11世紀のダビデ王のもとで建設されたイスラエル王国ですが、
自分の宗教の方が優れていると考える無礼な小国を我慢ならなかったのはローマ人です。
エルサレムから追放され、西ヨーロッパのユダヤ人はキリスト教徒から迫害されます。
十字軍の戦士たちによって虐殺され、中世のスペインではゲットー制度が始まり、
耐えられなくなったユダヤ人たちは東ヨーロッパと移り出します。
しかしポーランドとロシアの間で紛争が起こると、
ポーランドではユダヤ人はロシアに味方している言われ、
一方、ロシアではポーランドに味方していると言われて、結局、虐殺の憂き目に・・。

Burning_Jews.jpg

再び、西を目指し、ドイツやフランスまで移動するユダヤ人ですが、
キリスト教会はユダヤ人を脅威と考え、誰からも歓迎されず、身を寄せ合って生きるのみ。。
19世紀には反ユダヤ主義が大きく広がり、第1次大戦の敗戦は
ドイツやオーストリアにとってさらに根深いものとなるでした。

こうして第2章「ヒトラー政権の台頭」へと進みます。
ヒトラーの反ユダヤ思想に触れ、「小柄で近視のババリア人」ヒムラーが紹介されます。
ココでは1ページフルフルのヒムラーのポートレートのような写真が出てきますが、
初めて見るものですねぇ。相変わらず、写真は素晴らしい。。
1933年にダッハウに「模範的な」強制収容所を開き、
秩序と規律がヒムラーらしく徹底されます。
鞭打ちや絞首刑をいかに行うか・・から、死刑執行人の労務に対しては
「ダバコ3本」が支給されるといった細かな規定です。。
また、SSに編成された看守部隊の名は「死人の首」部隊です・・。
もちろん「トーテンコップフ」、普通、和名では「髑髏部隊」ですが、これにはビックリしました。

ss_totenkopfverbande.JPG

1935年には「ニュルンベルク人種法」が制定され、ナチス・ドイツでのユダヤ人迫害が、
政府の政策とも呼べるものになると、「水晶の夜」事件が発生し、
パリの暗殺者グリューンシュパンくんも登場しながら話は進みますが、
本書では彼はゲシュタポの手先ではなかったとしても、そそのかされて、
この事件を引き起こしたのであろう・・・としています。
まぁ、この事件もいろいろな説があるもんですねぇ。

Synagoge in Baden-Baden.jpg

ドイツ、ポーランド、ルーマニアの3国は自国からユダヤ人を除きたいと世界に説明。
1938年7月、ルーズヴェルト大統領のイニシアチブによって
スイスで32ヵ国による会議が開かれるものの、
どの国も、ユダヤ人の子供でさえ引き取るつもりがない、と述べ、結論は出ず。。
ヒトラーはこの会議の失敗から、世界はユダヤ人の運命に対して、
極めて冷淡であると理解するのでした。

poster-behind-enemy-powers.jpg

フランス外相からは彼らの植民地である「マダガスカル」にユダヤ人1万人を移住させるという
有名な計画を考慮しているとも伝えられますが、
オーストリア併合によってナチスの支配下にあるユダヤ人は18万人であり、
ヒトラーの手に落ちたチェコでは30万人と膨大な数です。

追い出し作戦を能率よく行おうと、てきぱきと一生懸命に働くのは、
ユダヤ人問題の責任者アイヒマン
しかし高い代価を支払い、自由を求めて出国しようとするユダヤ人は、
時には直接SSに支払い、それは国家保安本部(RSHA)の腐敗した担当者のポケットに入って、
彼らは偽造した書類を渡すのです。

Jews 1941.JPG

「ユダヤ人虐殺の黒幕」として紹介されるのは、ラインハルト・ハイドリヒです。
オーストリア併合やズテーテンラント進駐時の「アインザッツグルッペン」の行動にも触れて、
黄色いダビデの星の着用、ポーランドへの移住、大量処刑、ゲットー
そしてヴァンゼー会議における「最終的解決」へ・・。

Goering,Himmler , Heydrich.jpg

しかしポーランドでは、クラクフのヴァヴェル城に陣取り、中世の王のよう振る舞う
SS嫌いの総督ハンス・フランクが自分の領地である総統府に
ユダヤ人を移住させることに激しく抗議。
ヒムラーとの対立はハイドリヒの計画を遅延させるのでした。

Hans Frank_NSKK.jpg

また、同じくポーランドではルブリンのSS隊長で警察長官のグロボクニク
「アル中で嘘と誤魔化しにかけては天才的」と紹介されるとおり、
自分と同様に腐敗しているドイツ企業と手を組んで、ユダヤ人の強制労働によって
ひと財産を築きあげます。

Odilo Globocnik.JPG

しかし、対ソ戦が始まると、再度、アインザッツグルッペンが大活躍・・。
オーレンドルフも登場し、酒飲みの建築家パウル・ブローベルが「大ガス室」を設計したと
紹介され、彼はキエフでの大虐殺にも関与します。
また、同盟国ルーマニアでも虐殺が始まり、あっという間に7000人のユダヤ人が死亡。
アントネスクは我々よりもずっと過激なやり方で問題を片づけている」と
ヒトラーも賞賛します。

hitler Antonescu.JPG

ハイドリヒがチェコで暗殺された後も、アイヒマンは命令を忠実に実行。
しかしオランダでは混血ユダヤ人8000人が追放の代わりに「断種」を申し出ます。
首尾よく行われた「断種」手術を聞かされたアイヒマンは怒り心頭です。
彼の任務は全ヨーロッパのユダヤ人を東の強制収容所へ移送することなのです。
ワルシャワのゲットーもシュトロープによって駆逐され、生き残った者はトレブリンカ送り。

getto9.JPG

金持ちや著名なユダヤ人は、まず中継収容所であるテレージエンシュタット収容所へ
送られるわけですが、本書ではこの収容所で発行された「紙幣」が載っていました。
こんなの初めて見ましたねぇ。。

Theresienstadt Eine Krone banknote.jpg

こうして後半の第6章になって、本書のタイトルである「アウシュビッツ」が・・。
所長のルドルフ・ヘースもなかなか詳しく紹介され、
3つの離れた収容所から成り立っていたことなどにも触れられます。

Holocaust oven.jpg

そしてフランス、オランダ、ベルギー、ノルウェーのユダヤ人の運命の他、
デンマークでは、そのナチスの政策が失敗した理由として、
クリスチャン国王の勇敢な態度を挙げています。
それは、「ダビデの星を付けさせようとするのであれば、
私と宮廷は真っ先にそれを付けるであろう」と語り、
コペンハーゲンのユダヤ教会の儀式にあえて出席する・・といった行動です。
この話も初めて知りましたが、とても印象的でした。

Christian 10.jpg

最後はソ連軍の迫るポーランドの絶滅収容所からの撤退と、
ユダヤ人を身代金としての交渉に臨むヒムラーの哀れな姿。。

ダッハウのガス室の写真など、現在、一般的にはガス室はなかったとされている
強制収容所についても、その存在を肯定している本書でしたが、
まぁ、古い本なのでここらへんは軽く流してOKでしょう。
というわけで、最新のホロコースト研究書ではもちろんありませんが、
古くからのユダヤ人迫害の歴史から、ナチスの崩壊までをコンパクトにまとめた1冊で、
まさに原題どおり、ジェノサイドの入門編といったところでした。

ちなみに最新のホロコースト研究書ということでは、
「ホロコースト・スタディーズ: 最新研究への手引き」という本がつい最近、出ました。
様子を見ながら来年にでも読んでみようかと思います。





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