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東部戦線のドイツ戦闘航空団 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェルナー・ヘルト著の「東部戦線のドイツ戦闘航空団」を読破しました。

大日本絵画の188ページの写真集がぽっこりと出てきました。
この定価2400円の本書を購入したのは2008年で、著者は「アドルフ・ガラント」と同じ方ですね。
読んだ記憶はありませんが、東部戦線で戦ったエースパイロットといえば、
ハルトマンにバルクホルンやら、300機撃墜スーパーエースたちの宝庫ですから、
そんな彼らの写真をジックリと眺めてみましょう。

東部戦線のドイツ戦闘航空団.jpg

最初に「東部戦線に投入されたドイツ戦闘航空団」と題した概説が2ページ。
番号の若い順に第3戦闘航空団(JG3)は部隊名に"ウーデット"が与えられ、
東部戦線を離れ本国の防衛戦に向かったのが1943年夏だった・・と、
JG5"アイスメアー"、JG51"メルダース"、JG52(部隊名なし)、
JG53"ピック・エース"、JG54"グリュンヘルツ"、JG77"ヘルツ・エース"についても簡単に・・。
この7つの戦闘航空団の部隊エンブレムもカバーの裏にカラーで掲載されています。

JG Emblems.jpg

早速、東部戦線の初日である1941年6月22日、バルバロッサ作戦開始。
いきなりJG51を率いてコックピットに座るメルダース中佐が登場します。
鹵獲したポリカルポフI-15やI-16に乗り込んで故郷の恋人に送ったプライベート写真に、
Fi 156 シュトルヒで飛び立とうとしている第8航空軍団司令リヒトホーフェン将軍の姿。
ふ~ん。はじめて見る写真ばかりですねぇ。
ちなみに航空団エンブレムの他にも、中隊マークなどが機体に描かれます。

BF109G-2_JG54Grunherz.jpg

先の戦闘航空団(JG)は基本的にBf-109装備の戦闘機集団なわけですが、
本書では駆逐航空団(ZG)のBf-110も出てきました。
ヴェスペ(すずめ蜂)航空団と名付けられたZG1は、双発機の対地攻撃部隊ですが、
戦闘機パイロットとしての訓練を受けた強者ばかりだったそうで、
自走砲のような名前のこの航空団のBf-110は、ちゃんと"すずめ蜂"です。

Messerschmitt-Bf-110E-Zerstorer-ZG1-waspe.jpg

陸空共同作戦を検討するメルダースとグデーリアンは良いですねぇ。
本書に掲載されているのとは別のショットですが、こんな感じです。

Molders_Guderian.jpg

JG3の指令はリュッツォウ少佐です。
野戦基地の中で作戦を練る姿や、第Ⅲ飛行隊指揮官エーザウ大尉とのショットなど、
リュッツォウ・ファンのヴィトゲンシュタインでも初めて見る写真です。
他にもJG53指令のフォン・マルツァーン男爵を尋ねてきたリッター・フォン・グライム将軍
「ドイツの偉大なエースの1人」として紹介されるクルト・ウッベン大尉は印象的です。
JG77で90機撃墜と活躍し、1944年にはJG2"リヒトホーフェン"指令となったそうですが、
顔が好きです。。ハイドリヒを恰好良くしたみたい・・。

Kurt Ubben.jpg

JG53で目覚ましい活躍を見せ、地中海に転進した後、再びロシアへと戻り、
JG3の司令となってからも撃墜を重ねたというヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ少佐。
あ~、彼は「柏葉騎士十字章受勲者写真集」にカラー写真が載っていました。

Wolf-Dietrich Wilcke.jpg

どこかで見た顎のしゃくれた横顔と思ったら、あの"ロケット野郎"シュペーテ中尉。
奇跡的な脱走で知られるフォン・ヴェラ大尉に、ケッセルリンクと話すメルダースと続きます。
また、250㌔爆弾を懸吊して爆撃任務に向かうBf-109の写真はとても秀逸ですね。

Bf 109 E-4B JG54.jpg

JG54"グリュンヘルツ"の指令はトラウトロフト少佐。
レニングラード戦線が管轄です。
熟練パイロットの1人として登場するのは、童顔で有名なオスターマンです。
そして最初の戦闘機隊総監となったメルダースとリュッツォウ指令も良い写真だなぁ。
左はⅣ/JG51飛行隊指揮官のノルトマン大尉だそうです。

Nordmann mölders Lützow.jpg

あのパウルス将軍がJG51にやって来てハインツ・ベーア中尉らと話し合っていたり、
メルダース亡き後の総監となったガーランドが航空団巡りをしていたり・・。
1941年ですから、パウルスはまだ参謀本部次長の立場でしょうね。
冬を迎えるとコルムとデミヤンスクで包囲されたドイツ軍部隊のために、
物資を満載したJu52が空輸に飛び立ち、それを援護するJG51とJG54のBf-109。

1942年3月に66機撃墜で柏葉章を受章した5./JG51飛行中隊長のハンス・ストレロブ少尉。
まったくアイドル俳優といった風貌ですね。

Hans Strelow1.jpg

しかし2ヵ月後、愛機が損傷すると、ソ連軍戦区への不時着を余儀なくされて、
自らの命を絶つのでした。
彼も「柏葉騎士十字章受勲者写真集」に載っていました。カラーでも良い男。。

Hans Strelow.jpg

JG77を率いて南方戦線で活躍し、1942年6月に107機撃墜で
剣章を受章したゴードン・ゴロップ少佐。
1942年10月の時点で200機撃墜という物凄い男、ヘルマン・グラーフは特別扱いです。

Hermann Graf  Willy Messerschmitt.jpg

本書はそんな大エースばかりでなく、整備員がエンジンと格闘する姿も収められ、
ハフナー軍曹は60機撃墜して、特大サイズの騎士十字章を戦友たちから贈られてご満悦。。
こんな姿を勲章にうるさいゲーリングが見つけたらきっとマジギレするでしょうね。
「わしの『大鉄十字章』よりも大きいではないか!」

anton-hafner.jpg

大きいと言えば、途中、巨大グライダー、Me-321"ギガント"が出てきましたが、
6基のエンジンを付けた巨大輸送機Me-323もロシアへ飛んできました。
その他、ゴータのグライダー、Go242と、輸送機Go244も珍しいですね。

Gotha Go 244.jpg

最終的に撃墜数No.3となるJG52のギュンター・ラル
ユーゴのパルチザンに惨殺された、JG3当時のヨアヒム・キルシュナーと続き、
スターリングラード戦が終わると、JG52の飛行隊指揮官となったバルクホルンが登場してきます。
同じ中尉では、ノヴォトニーも台頭。9日間で24機を撃墜するほど大暴れ・・。
戦闘機もこの頃からBf-109から、Fw-190へと移行して写真にも変化が見られます。

Gerhard Barkhorn.jpg

1943年の夏は「クルスク戦」。
JG51のフーベルト・シュトラッスル曹長は、初日の7月5日だけで敵戦闘機15機を撃ち落とし、
翌6日にも10機、続く2日で5機と、たったの4日間で30機撃墜という離れ業を演じます。
しかし日を追うごとに戦果も下がったように明らかなオーバーワーク。
5日目、空戦中に機体を損傷して脱出しますが、
高度が低すぎてパラシュートが完全に開かず・・。

Hubert Strassl.jpg

あ~、独ソ戦車戦シリーズの「クルスク航空戦」も読みたいところですねぇ。。



146ページになって、「あの男」の姿が・・。
1943年9月、100機撃墜のJG52、ハルトマン少尉です。
JG54では123機撃墜でようやく騎士十字章を受章した男、オットー・キッテル曹長も名を挙げ、
最終的には267機と、ルフトヴァッフェNo.4となるのでした。

Otto Kittel.jpg

ハルトマン、バルクホルンのJG52からはクルピンスキーも輩出します。
それから「203の勝利」のリッペルトも・・。
それでも1944年9月、300機撃墜を成し遂げたハルトマン中尉が着陸すると、
花輪を掛けられ、肩車されて、もみくちゃ・・。
戦局悪化のなか、最高の栄誉、ダイヤモンド章を受章するのです。

hartmann_300.jpg

次のページには、そんな世界No.1戦闘機乗りを越える男が姿を現します。
黄金ダイヤモンド章を唯一、受章したシュトゥーカ乗りのルーデル大佐です。
この対戦車攻撃のスペシャリストは、御用達のJu87Gを手に入れると
両翼下についた3.7㎝砲で次々と敵戦車を血祭りに上げ、
確実なものだけで519両の戦車を撃破した・・というソ連人民最大の敵なのです。

ju87g.jpg

そうは言っても、本書のタイトルからして最後を締めくくる写真は、
352機のハルトマン、301機のバルクホルンの有名なツーショットです。

結局、読み終えても購入当時に読んだのかは思い出せませんでしたが、
かなり楽しめました。
全て白黒ですが珍しい初見の写真が多く、それらのキャプションも詳しいことから、
個人が所蔵していたものがベースになっていると想像できます。
時系列で紹介されるのも良いですし、写真で登場するパイロットたちの確認戦果や、
ちょっとしたエピソード、そして最期にまで触れられているのは非常に良心的だと思います。
実際、知らなかったエースパイロットについて、かなりの勉強になりました。



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コンドル兵団 -スペイン内戦に介入したドイツ人部隊- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カルロス・カバリェロ・フラド著の「コンドル兵団」を読破しました。

今年の一発目、「スペイン戦争」を読んで以来、ちょこちょこ関連本を探しましたが、
オスプレイ・ミリタリー・シリーズの本書を発見して早速購入しました。
この「世界の軍装と戦術」シリーズは以前に、「第二次大戦のドイツ軍婦人補助部隊」と、
第二次大戦の連合軍婦人部隊」で、薄い本ながらも大変勉強になりました。
本書は2007年のシリーズ第1弾で、67ページの薄さでも2415円。。
綺麗な古書をなんとか半額で購入できました。

コンドル兵団.jpg

まずは1936年7月から始まったスペイン内戦を簡単に解説します。
フランコ反乱軍は自らを「民族主義者」と呼び、本書では一般的という「ナシオナリスタ」を使い、
対する政府側は彼らのことを単に「ファシスタス」と呼びますが、
そんな敵を「ナシオナリスタ」は、「アカども(ロホス)」と呼ぶのです。

そしてヒトラーのドイツがこの内戦に介入した理由を3つ挙げます。
フランスにおいても人民戦線政府が選出され、ソ連と軍事同盟を結ぼうという動きがあり、
それにスペインを含めた軍事的包囲に置かれるのでは・・という懸念。
次にイタリアとの強固な同盟関係を築くためのナシオナリスタ支援。
最後に、前年から公けになった再軍備における、兵器、戦術の実質的な試験場・・です。

A surrendered rebel led to a summary court-martial July 27, 1936 in Madrid..jpg

とりあえず、Ju-52輸送機を20機、アフリカ軍司令官フランコ将軍のスペイン領モロッコに送り、
18000名を超えるスペイン・アフリカ軍の最精鋭部隊である「スペイン外人部隊」と、
モロッコ人から成る「正規軍」をスペインの地へ送り届けます。
1日に4回も飛び、17人乗りのJu-52に40名もの将兵と武器、装備品を詰め込みます。
そしてこれが史上初めての戦略的な兵員輸送となるのです。

Guardia Mora Legion condor.jpg

ドイツ人パイロットには戦闘任務を避けるよう厳命されていますが、
ジブラルタル海峡を哨戒する共和国政府海軍艦艇から砲火を浴びせかけられると、
8月13日、お返しとばかりに爆撃機型Ju-52で「ハイメ一世」を攻撃して、損傷を負わせます。
これが男爵フォン・モロー中尉によるスペインにおけるドイツ人最初の戦闘行動だそうです。

JU-52  LEGION CONDOR.jpg

また、スペイン人パイロットにHe-51戦闘機の訓練を行うも、戦意旺盛なドイツ人は
「スペイン人はハインケルを飛ばすことができない」と嘘の報告をベルリンに送り、
彼ら自身が「戦ってよい」という許可を得るのでした。
この策士は不明ですが、限りなくガーランドがやりそうな手口ですね・・。
ちなみに後に送られてきたBf-109による最初の勝利は、
ギュンター・リュッツォウによるものだそうです。さすがだなぁ。。

Gunther Lutzow.jpg

スペイン語が話せた指揮官、フォン・シューレ少佐の後任としてやってきたのは、
前途有望な陸軍将校、その名もヴァルター・ヴァーリモント中佐です。
敵がソ連から武器の供給を受け始めたことを知り、彼はより多くの飛行機と対空砲に加え、
戦車と対戦車砲も必要と報告します。
こうしてⅠ号戦車2個中隊と3.7㎝対戦車砲を送ることが決まり、
リッター・フォン・トーマ中佐が「ドローネ(雄蜂)」の暗号名の戦車大隊指揮官に任命されます。

Wilhelm von Thoma.jpg

しかしソ連の強力なT-26戦車などの兵器によってマドリードへの攻撃が阻止され、
ドイツはナシオナリスタの弱点を補うために一層、戦闘部隊を派遣することとし、
これによって「コンドル軍団(兵団)」が創設されます。

本書には1ページに1枚の割合で写真が掲載されており、キャプションも勉強になります。
例えば、コンドル軍団所属の航空機に書かれた数字の意味・・。
黒丸を挟んで左側の数字が飛行機の形式を表し、右は個々の機の就役番号。
形式は、2=He51、6=Bf109、22=Ju52、25=He111、27=Do17、29=Ju87など。

He51 Condor Legion.jpg

コンドル軍団の構成も詳しく解説し、指揮官も初代のウーゴ・シュペルレ
その後任はヘルムート・フォルクマン、最後はフォン・リヒトホーフェンです。
写真は一番知られていないフォルクマンがありました。
リヒトホーフェンは表紙の右で敬礼していますね。

続いて「制服」。
ドイツ人だと気づかれないようにスペイン陸軍伝統のオリーブないし、カーキ・ブラウンが選ばれ、
黒ネクタイにドイツ空軍型の野戦帽に略帽。将校は銀色のパイピング付きです。
ドローネ戦車大隊ではスペイン製の黒いベレー帽をかぶり、
後にトーテンコップと銀のハーケンクロイツがピンで留められます。

Condor Lgion Panzer Baskenmütze.jpg

戦闘機隊は「88戦闘大隊(JG88)」と呼ばれ、ガーランドやエーザウなど、
100機以上のスコアを挙げた大エースを7名排出しています。
スペインでのトップは第3中隊長だったメルダースの14機。
この中隊マークは「ミッキーマウス」で、前任者はガーランドですね。
メルダースのBf109は「6●79」のようです。

Condor Legion_Werner Mölders_Bf 109.jpg

最近、そのメルダースが2005年に名誉剥奪されていたというのを知ったんですが、
その理由は、メルダースが「ゲルニカ爆撃」を行ったコンドル軍団に志願していたことを
当時のペーター・シュトルック国防相が問題視して決定したんだそうです。
メルダースがスペインへ行ったのは、「ゲルニカ爆撃」の後ですから、直接の責任はなく、
あくまで、そんな「非人道的な軍団に志願した」ことが問題なんでしょう。
ドイツ連邦軍の将軍数名がこの決定に反対したそうですし、
このシュトルック元国防相も1年前に亡くなってますから、名誉回復もあるかも知れませんね。
それにしても1998年に制定されたコンドル軍団参加者の名誉剥奪法ってのがよくわからん。。
ソートー」に怒られるよ。

Werner Mölders in Spain.jpg

そして第2中隊のマークは「シルクハット」。

Condor Legion 2.J/88.jpg

本書には出てきませんが、第1中隊のマークの「Holzauge」ってなんなんだろう・・?
「木目」って意味のようですが、「あっかんベー」にしか見えません。。

Condor Legion 1.J/88.jpg

爆撃機隊は「88爆撃大隊(KG88)」と、「88急降下爆撃隊」です。
悪名高い「ゲルニカ爆撃」はこの爆撃機隊によって行われますが、
本書のスペイン人著者は、死者は300人前後と推定されるものの、
当時、世界のメディアは「何千人」もの死者が出たと誇大に報じたとします。
そして敵が退却するルート上の市内に架かる橋は軍事目標として合法的であり、
ナシオナリスタ軍当局が「ゲルニカ破壊はアカどもの仕業」だと非難するという
不器用なやり方が余計に共和国政府側のプロパガンダに繋がったとしています。

legion_condor He-111.jpg

また有名な「爆弾を掴んだ鷲」マークは、もともとパーソナル・マークのようで、
後に第53「コンドル兵団」爆撃航空団」マークとなったそうです。

Legion Condor propagandistic plaque.jpg

次は「高射砲大隊(F88)ですが、面白いのはこの部隊がコンドル軍団最大の部隊で、
1400名の人員を擁していたということです。
20㎜の軽高射砲隊と、88㎜重高射砲隊。さらにはサーチライト小隊まで・・。
特に部隊名と同じ88㎜高射砲は61機の敵機を屠っただけでなく、
完全自動車化ですから、攻勢の際には地上部隊に追随。地上目標も撃破します。
スペイン人も大喜びして、自国軍の9個中隊に装備できるほどドイツから買い入れるのでした。
1940年にロンメルがフランスで初めて水平射撃させたとか書いた奴はいったい誰だ??

Condor Lgion_flak88.jpg

ドイツ陸軍の地上部隊、「ドローネ」戦車大隊は、1個中隊にⅠ号戦車16両の3個の
戦車教育・実験中隊から成り、整備班などを合わせて兵員300名の小ぶりな組織です。
1937年にはナシオナリスタ軍が購入したⅠ号戦車も含めると、122両がスペインで働きますが、
最も強力な戦車中隊は、悲しいかな「鹵獲T-26」装備なのです。
そんなT-26の操作方法をスペイン人に教えるのも、ドローネ隊員の重要な役目。。

legion_condor pz1.jpg

ドイツ軍はⅢ号、Ⅳ号戦車を大量に生産する必要と、装甲部隊の集中使用を認識しますが、
非力なドイツ軍戦車のスペインでの不成績を知ったフランスは、
装甲と火力に勝るフランス戦車に自信を持ち、歩兵の支配下に置くようになるのです。
それにしてもフォン・トーマが部隊のために作らせた415個の特製「戦車バッジ」
戦争が終わるまで非公認だったそうですが、「戦車突撃章」のような基準はなかったんでしょうか。

ドイツ海軍にも4ページほど触れられています。
ポケット戦艦のドイッチュラントだけではなく、アドミラル・シェアグラーフ・シュペー
その他の艦艇に、Uボート14隻が交代しながら配置されたそうです。
そして「スペイン戦争」に書かれていたドイッチュラントがやられた報復として、
アドミラル・シェアが地中海岸の都市、アルメリアに砲撃を加えたり、
U-34がマラガ沖で政府軍潜水艦C-3を魚雷攻撃により撃沈・・。
へ~、スペイン内戦のUボートなんて、初めて知った気がします。
何かに書いてあったかなぁ??

Spanish Civil War_u34.jpg

数十名の海軍将校がスペインに派遣されますが、その暗号名は「北海集団」です。
地中海なのに「北海」・・。
超重戦車「マウス」に、ミニ戦車「ゴリアテ」と同様の、ドイツ得意のセンスですね。。

1939年4月、ナシオナリスタ側の勝利でスペイン内戦は幕を閉じ、
5月、大規模な観閲式が行われます。
ドイツとイタリアのパイロットたちにはスペインの勲章が授与され、
フランコ将軍はコンドル軍団の働きに感謝して、「栄誉の軍旗」を贈ります。
本書の中盤には表紙のようなカラーイラストが8ページ、
軍服だけでなく、この軍旗や各種勲章がイラストで描かれていました。
表面はドイツ空軍の鷲と鉄十字、四隅のうち2つはスペイン国章とファランヘ党章
裏面はスペイン国章になっています。

Condor Legion Standarte.jpg

コンドル軍団軍楽隊の振鈴木旗だと、表面がスペイン国章になるようです。

Parade of Legion Condor having returned from Spain.jpeg

全員が帰国した6月、ヒトラー主催によるパレードに1万4千人が参加します。
新たに制定された「スペイン十字章」が一括して授与されますが、
スペインで授与された各種勲章の解説が細かくて、勲章好きには嬉しいですね。

legion-condor-on-its-return-from-spain-in-berlin-6-june-1939a.jpg

スペイン十字章はまず、剣付きと剣無しに分けられ、
剣付きは金、銀、銅の3等級、戦闘員に対して贈られます。

1. Klasse Spanienkreuz in Gold mit Schwertern.jpg

そして剣無しは「非戦闘員」向け。等級は銀、銅のみです。

Spanienkreuz in Bronze.jpg

端折りましたが、階級章についても詳しく書かれていて、
1本の金色横条を左胸と略帽に付けたこの兵士は、伍長となります。

Condor Legion 1939.jpg

スペインの最高位勲章「聖フェルナンド月桂冠十字章」を受けた者はいませんが、
2番目に高い勲章「個人軍事勲章」がパイロットを中心として63名に与えられます。
最後の参謀長だったハンス・ザイデマンも授与されたそうで、左襟に付けていますね。
そして3つの八茫星は大佐であることを現しています。

oberstleutnant-hans-seidemann-stabschef-of-legion-condor-in-parade-ceremony.jpg

また、3代の司令官、シュペルレ、フォルクマン、リヒトホーフェンには、
ダイヤモンド飾りを施した、特製の「個人軍事勲章」が贈られたそうで、
スペインの伝統から全く外れたこのデザインは、ドイツ人の好みに譲歩したもの・・と、
推測しています。

その次の高位勲章は「戦争十字章」で、1000人ほどが受章。

CROSS Legion Condor, Spain 1936_badge.jpg

続いて5500人以上が受章したのは「軍功赤色十字章」です。
また、全員に与えられたのが「1936-1939出征勲章」で、
早い話、この勲章と「スペイン十字章」は、ほぼ全員がもらったということですね。
下 ↓ は左から個人軍事勲章、軍功赤色十字章、1936-1939出征勲章となります。

str-spa.jpg

逆にスペイン十字章の最高位「剣・ダイヤモンド付きスペイン黄金十字章」は27名。
63名が受章した「個人軍事勲章」と両方を受けたのは、ガーランドら、わずか15名で、
メルダースでさえ「個人軍事勲章」は受章してないんですね。

最後にカフタイトルにも簡単に触れています。後の第53「コンドル兵団」爆撃航空団、
及び、第9高射砲連隊などが使用を許されたそうです。

legion-condor-cuff-title.jpg

もうひとつ、初めて見た赤いカフタイトルはドイツ陸軍の記念袖章で、
戦車教導連隊、もしくは通信教導大隊に参加した者だけが付けることを許されたと・・。

1936-1939 SPANIEN_Cuff Title.jpg

本書では"Legion Condor"を「コンドル兵団」とし、そのドイツ語名称となった経緯も
解説していますが、確かに"Legion"はドイツ軍でも外国人義勇兵部隊に付けられ、
「軍団」であれば複数師団から成るアフリカ軍団のように、"korps"でしょう。
実際、コンドル軍団は1個師団にも満たないので、「兵団」が正しいかな。
ではなぜ日本語で「コンドル軍団」と一般的に呼ばれているのかというと、
推測ですが、先日、「第九軍団のワシ」という映画を観ていてふと思ったことに繋がり、
帝政ローマ時代の"legion"という基本的な戦闘単位が「軍団」とされているんです。
最強の「ローマ軍団」というヤツですね。
そのため、この「レギオーン・コンドル」が"軍団"と和訳されたのかなぁ・・と
思っているところです。

eagle-of-the-ninth.jpg

いや~、でもこの「世界の軍装と戦術」シリーズは本当に薄いんですけど、良い本です。
余計な話は一切ヌキで、知りたかったことが実に詳しくギュッと詰まった感じです。
あえて言えば、このページ数なら定価が1000円台にならないものか・・ということと、
これ以上、読みたい本がないことです。
オスプレイの別のシリーズに手を出してみようかな・・。
対決シリーズの「ティーガーIIvs IS-2スターリン戦車: 東部戦線1945 」とか、
ヴィットマンの最期、「ティーガー1重戦車vsシャーマン・ファイアフライ 」なんて
そこそこ気になります。








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ドイツ空軍全史 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアムソン・マーレイ著の「ドイツ空軍全史」を読破しました。

これまでにもルフトヴァッフェ興亡史のような本は何冊か読んできました。
ドイツ空軍、全機発進せよ!」、「ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記-」、
攻撃高度4000 -ドイツ空軍戦闘記録-」なんかです。
ガーランドの「始まりと終わり」も、ある意味そうだと言えますね。
本書は1988年に朝日ソノラマ発刊、439ページの買い忘れていた1冊で、
2008年には学研M文庫から再刊されています。

ドイツ空軍全史.jpg

第1章「ドイツ空軍の創設と戦争準備」では、1930年代を通して、鉄鋼、アルミ、ゴムなど
原料物資のと外貨の不足によって、大規模な"戦略的"爆撃兵力を造り上げるには不十分であり、
大陸内の国家というドイツの戦略的条件があるため、陸軍が再軍備を優先的に握ったと解説。
これは海を隔てた英国と米国との比較がわかりやすかったですね。
特に米国の場合、最初に解決すべき問題はどのようにして戦域まで進出するかという、
兵站・補給の問題をまず考えなければならない一方、
ドイツはもともと戦域の中にあると言ってよく、眼の前の作戦と戦術の問題を
直ぐに解決する必要があった・・という説明です。

第1次大戦の開戦早々にはツェッペリン飛行船による英本土空襲と、
それに続く大型爆撃機によるロンドン空襲・・。
コレは「宮崎駿の雑想ノート」のやつですね。

over-londons-roofs_Zeppelin im Krieg.jpg

そして本書では「おでぶちゃん」と命名されている航空相ゲーリングと技術局長ウーデット
ルフトハンザの社長から航空省次官となったミルヒらが登場。

国防相のブロムベルクは新設の空軍には、「強烈な攻撃精神を持ったエリート将校団が必要」
と考え、第一級の陸軍将校と参謀幕僚を空軍に転属させるよう、取り計らいます。
空軍参謀総長候補はヴァルター・ヴェーファーと、フォン・マンシュタイン。。
ゲーリングはヴェーファーを選びますが、その彼が1936年に事故死すると、
今度はフランツ・ハルダーを推挙しようと考えます。
結局、ケッセルリンク、続いてイェショネクが後任の参謀総長になりますが、
イェショネクって陸軍大学を首席で卒業した超エリートだったんですねぇ。

Walther Wever.jpg

「ウラル重爆」と呼ばれた戦略爆撃思考だったヴェーファーの死によって
四発重爆であるDo-19と、Ju-89の開発が放棄されたという説に対し著者は
「それは事実ではない」とします。
開発中止の理由は、当時のドイツには高馬力のエンジンが無かった・・。
そんな英米よりも遅れていた再軍備の開発は1937年に、あのHe-177へ・・。
また、ミルヒと折り合いが悪いうえに、威張りかえった近視眼的なイェショネクは、
ヒトラーの魔力による支配下に陥り、「総統の史上最高の指揮能力」という文句を
頭から信じ込んでしまうのでした。

Do-19.jpg

第2章は「緒戦快勝、対英戦へ」。
ポーランド侵攻から西方電撃戦にまつわるドイツ空軍が描かれますが、
まずズデーテンラント問題などの政治的な状況もしっかりと解説し、
リヒトホーフェンが指揮するシュトゥーカ急降下爆撃機だけではなく、
ルントシュテットからグデーリアンといった陸軍の将軍に加え、
陸軍の装甲部隊の戦術についてもかなり言及します。
もちろんエーベン・エメール要塞攻略ダンケルクなど空軍の作戦もあるわけですが、
基本的には陸軍を空から補佐する戦術空軍であるために、
戦略的に見た時にはどうしても陸軍の戦略が基礎になるわけですね。

A formation of Junkers Ju-87 B.jpg

そして戦闘機部隊による「バトル・オブ・ブリテン」と、爆撃機部隊による「ロンドン爆撃」。
本書では「ドイツ空軍損失機比率」とか、「英独戦闘機パイロットの損耗実数対比」といった
表やグラフが掲載されているのが大きな特徴であり、
本文中にも細かい数字を挙げて、成否などを論じています。

German and British fighter planes engaged in an aerial battle appear in the sky over Kent.jpg

第3章は「ソ連侵攻作戦」です。
ここでもいきなりバルバロッサ!というわけではなく、独ソ不可侵条約など、
政治的な状況が語られた後、ムッソリーニのイタリア軍によるバルカン軍事行動が・・。
「ドイツにとって不運なことに、迷惑な事態が南の方で始まった」で始まるこの部分、
どんな本でもダメ出しされるイタリア軍ですが、本書も実に笑えます。

「陸軍は時代遅れの兵器と欠陥だらけの基本戦法を抱え、
海軍は最新鋭主力艦の増備は進めていたが、艦艇を実戦に使う意志に欠け、
空軍は保有機の数も正確に把握していない有様。
これはイタリア人の勇敢な性格とは関係がない。
戦うための存在ではないというイタリアの軍隊の性格が原因だった。
イタリアのある将軍が自分の軍隊生活を振り返ってこう述べている。
『素晴らしいスパゲッティが一生涯保障され、その上にいくらか楽しみがあれば、
誰もそれ以上は望まないものだ』」。

Mussolini testing a new type of gas bomb during a demonstration in Rome of various chemical weapons.jpg

さて、1941年6月22日に始まったバルバロッサ作戦も基本は陸軍の行動です。
マンシュタインの装甲軍団の進撃に陸軍参謀総長のハルダー、
そしてモスクワ前面での停止・・。
独立空軍であるにも関わらず、陸軍の間接支援を要求されるドイツ空軍は
広域な戦線と絶え間ない作戦の連続と移動によって整備機構に大きな問題が・・。
デミヤンスクで包囲された地上部隊を救うための空輸補給では
1日あたり延べ100機から150機が飛び、武器や食糧2万㌧以上と
兵員15000名を送り込み、負傷者2万人以上を救出します。
しかし輸送機兵力の30%に及ぶ、輸送機265機を喪失するのでした。

Demyansk Pocket.jpg

第5章「外周戦域敗退と連合軍航空攻勢」になってくると気分も重くなってきます。
東部戦線ではスターリングラードの危機が起こり、今度は不可能な空輸を求められ、
その結果、Ju-52が269機、He-111が169機、Ju-86が42機、He-177が5機・・など、
輸送機部隊が壊滅的な損害を被ります。
地中海でもアフリカ軍団の支援のために航空兵力を割かねばならず、
ドイツ本土は英爆撃機軍団によって空襲に晒されています。

Ju_52_approaching_Stalingrad_late_1942.jpg

そんななか空軍参謀総長のイェショネクが自殺。
著者は、「イェショネクは工業、兵站補給、技術の基盤を無視していた。
彼のこうした盲滅法なやり方が、空軍と祖国を絶望的な状況に導いていったのである」と
かなり辛辣に評価します。
その一方で、悪代官のように扱われることの多いミルヒについては評価している感じですね。

Göering_Jeschonnek.jpg

第6章「本土上空消耗戦」になってくると、カムフーバーガーランドといったドイツの将軍よりも、
攻める側、すなわち英空軍のハリスリー=マロリーテッダーらが前面に。
英米の「戦略爆撃」に対して、戦闘機で対抗したいドイツ空軍ですが、
攻め好きのヒトラーは戦闘機の量産は認めずに、爆撃機によるお返し戦術しか頭にありません。
やがて連合軍は圧倒的な航空勢力によって、ノルマンディに上陸するのでした。

Bremen im Bombenhagel der RAF.jpg

ここまで読んで、改めて「訳者あとがき」を読んでみるとこのように書かれています。
「ドイツ空軍とヒトラーの率いるドイツ第三帝国と、それを相手に戦った連合軍の
政略、戦略、戦闘、その背後の経済・生産力など広い範囲に及び、
単なる戦史を超えた戦史論評になっている」。

また、原著は1944年9月までであり、最後の第8章「最後の戦い」は
訳者さんが書き加えたそうで、報復兵器V-1、V-2からジェット戦闘機Me-262
エルベ特攻隊といったお馴染みの断末魔の様子を紹介します。

V2.jpg

著者は米空軍整備将校出身のオハイオ州立大で
軍事史・戦略史研究プログラム部長という肩書を持ち、原題は単に「ルフトヴァッフェ」ですが
このようにドイツ空軍以外の幅広い視点で研究されたもので
本書の「ドイツ空軍全史」というタイトルも含めて、好き嫌いは分かれると思います。
エース・パイロットの活躍や、各種戦闘機や爆撃機の詳細、またはその装備といったことを
期待している読者には不向きな内容ですが、
逆に世界史的観点から見たドイツ空軍とは・・?
といったことが知りたい読者にはとても興味深い1冊と言えるでしょう。





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始まりと終わり ドイツ空軍の栄光 -アドルフ・ガランド自伝 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アドルフ・ガランド著の「始まりと終わり」を読破しました。

今年の4月に「完全新訳」という形で再び世に現れた、知らぬ人のいない一冊です。
もともとはフジ出版社から1972年に出た「始まりと終り―栄光のドイツ空軍」が有名で、
この独破戦線でも以前に紹介しています。
その際、本書の訳者さんらしき方から「英語版の翻訳で完全版ではない」旨のコメントを頂戴し、
ならばと「独語完全版を翻訳、出版していただけませんか?」なんてやり取りが・・。
それから3年・・。その時の熱い思いが伝わったのかどうかはわかりませんが、
704ページの分厚い本書をジックリと楽しんでみたいと思います。

始まりと終わり.jpg

再刊された本を読むというのは初めての経験ですので、まずは見た目から比較してみましょう。
第1にタイトルがビミョーに違いますね。
副題が違うのは明らかですが、旧版は「始まりと終り」、新版は「始まりと終わり」です。
第2に著者の名前も・・、旧版は「アドルフ・ガーラント」、新版は「アドルフ・ガランド」。。
これについては渡辺洋二著の「ジェット戦闘機Me262」にも書かれているとおり、
本人から「ガランド」であるとの回答を得たということで、そちらになったようです。
ちなみに独破戦線では間を取って??「ガーランド」です・・。
第3にページ数、旧版が398ページで、新版は704ページですが、
なんといっても旧版は上下2段組みで文字も小さいですから、ページ数ほどの差はないでしょう。
その他、旧版は函入りかつ、高級感溢れる製本だったりと、愛着もありますね。

始まりと終わり_旧新.jpg

第1章は「アルゼンチンの地の上で」。
戦後、1955年までアルゼンチン空軍で顧問を務めていたガーランド。
大統領のペロン将軍とのエピソードでは、スペイン語を話し始めてようやく
ドイツ人だと気付いてもらえた・・というその「北方ゲルマン」的ではない風貌。
メルダースに続いて柏葉騎士十字章を受章し、ヒトラーと初めて対面した際にも、
またもや肌の浅黒い「ちんちくりんのゲルマン人」の姿を見て、総統は笑いながら言います。
「まったく、いつになったら金髪碧眼のゲルマン人が来るんだ」。

原著の発刊は1954年(旧版では1953年となってますが・・)ですから、
この出だしは本書がアルゼンチン時代に書かれたことを意味しているようです。
ちなみにペロン将軍の奥さんはマドンナが演じたことでも有名な「エビータ」ですね。

Die Ersten und die Letzten 1953.jpg

続いて第2章は「パイロットになろう・・」。
4月に紹介した写真集「アドルフ・ガラント」でも少し触れられていた、
17歳のグライダー飛行少年アドルフが見習いパイロットとしてルフトハンザに入り、
1935年、ドイツ国防軍史上、初めて軍服にネクタイと襟が付けられたドイツ空軍へ。
伝統ある陸軍兵からは「ネクタイ兵」という綽名が付けられるのでした。

第7章は「コンドル軍団に呼集」です。
1937年5月8日、正真正銘のオンボロ船でなんとかスペインに辿り着き、
その直前に起こった「ゲルニカ爆撃」にも触れながら話は進みます。
そして「ミッキーマウス中隊」と呼ばれた第88戦闘飛行隊第3中隊の指揮を任され、
他の中隊ではリュッツォウ中尉も・・。は~、そうですか。

Legion Condor Oberleutnant Adolf Galland.jpg

翌年には波乱に満ちた15ヶ月間のスペイン時代も終わりを告げ、
後任にメルダースがやって来ます。
「さらば第3中隊、さらば内戦、さらばスペインよ」と、
まるでヘミングウェイを読んでいるかのようです。

El Capitán Werner Mölders como oficial de la Legión Cóndor.jpg

117ページからの第10章は「西方戦役における戦闘機隊」で、旧版では第1章の「始まり」。
実はここまで英語版のフジ出版では、まるまる削除されていたわけですね。
いわゆる「始まりの始まりがあった」と云われている所以です。
ドイツ語オリジナル版完全新訳というのも本書のウリですので、
この章の1ページ目を少しだけ比較してみましょう。

まずは「旧版」から。
「東部ポーランドにおける電撃戦のあと、西方でのすわりこみ戦争が続いた
そのために関係者全員が激しい神経の緊張を強いられた。
私は、二週間ごとにわれわれの航空団に所属する三つの連隊全部の指揮をとり、
その間にそれぞれの隊の指揮官が交代で休暇を取った。
<中略>・・・誰かが実際に撃墜されたこともあった。それは友軍機の一つで、
FW-58ワイヘであり、操縦していたのは連隊長だった。だが何ごともなかった。」

これが本書になると・・、
「東方での電撃的勝利に続いたのは西方の「奇妙な戦争」だった。
当事者にとっては大変な緊張感だった。
私は所属航空団の三飛行隊長がそれぞれ二週間の休暇を取っている間、
代わる代わる指揮を執った。
<中略>・・・誰かが実際に撃墜されてしまった。それは友軍機のFw58ヴァイエで、
乗っていたのは戦闘機隊指導官(ヤー・フュー)だった。なんたるザマか!
不幸中の幸いは、これ以外は何事もなかったことだった。
それにしても、よくも「ヤー・フュー」はそんな機で飛んでいたものだ!」

いかがでしょう?
連隊と飛行隊、連隊長と戦闘機隊指導官と、よりドイツ空軍らしい表記ですし、
「ヤー・フュー」はカッコ書きではなく、戦闘機隊指導官の横に小さくふりがなで表記、
同じく電撃的勝利は「ブリッツズィーク」、奇妙な戦争は「ズイッツクリーク」と
ドイツ語読みのふりがながドイツ軍好きには嬉しい気遣いですね。
そして一番の相違点は、過激な文言の有無です。

Focke-Wulf Fw 58 Weihe.jpg

本文は基本的に旧版の「始まりと終り」と同じですから、以降は重複を避けて
今回気になった箇所を挙げていきましょう。
まずは「バトル・オブ・ブリテン」。
この英軍機との戦いでエース・パイロットとなった著者ですが、
英国本土爆撃が主体となり、戦闘機は爆撃機の護衛を命ぜられます。
しかし満足に援護が行えないことが判明すると、
「よろしい、これからは戦闘機で英国まで爆弾を運んで行ってもらおうか」。

Adolf Galland bf109.jpg

このようにして戦闘機の1/3が戦闘爆撃機に転換されることとなり、
それまで能力向上のために余計なものを全て捨てて速力をわずかでも絞り出し、
航続距離を伸ばすために再三要求してきた「増槽」の代わりに、
Me-109に爆弾投下器と250㌔爆弾を頂戴するという冒涜に耐え忍ぶのです。
そしてしぶしぶ遂行し、士気も疲弊しきった戦闘爆撃機任務。
ゲーリングは吐き捨てるように言います。
「こうした任務が与えられたのは己が無能であったからであり、
もしこれにも不適当であることがわかったら、戦闘機部隊などまるごと解散した方がマシだ」。
「なんたる仕打ちか!」と前線青年将校は激怒して指導部を激しく批判するのでした。
う~ん。すでに「終わりの始まり」のように感じますね。

G. Lützow, A. Galland, G. Freiherr von Maltzahn, T. Osterkamp, W. Mölders.jpg

1942年1月、メルダースに続く2番目の軍人として、ダイヤモンド柏葉剣付騎士十字章を受章。
「総統から授かったダイヤモンドというのがそれだな」
と言うのは勲章&宝石マニアのゲーリング。
そしてご機嫌よろしく手のひらの上で吟味すると、「こりゃダイヤじゃないぞ。クズだ。
総統もしてやられたな。大砲や戦車なら知っているのだろうが・・」。
こうして御用達の宝石商に特製ダイヤで作り直させて、子供のようにはしゃぐ国家元帥。

Galland_Hitler2.jpg

その後、ヒトラーの元に出頭することとなったガーランド。
ヒトラーは改まって「今ここにドイツ最高の勲章の最終デザイン版を貴官に手渡す。
貴官がこれまで佩用していたものは暫定的なものだ」。
ゲーリングによって新調されていることなど露程も知らないヒトラーは、
国家元帥版のダイヤ片手に、新しいものを片手にし、
「さぁ、違いがわかるかね。これはクズで、こちらが本物のダイヤだ」。
しかし、「クズ」の方がずっと大きく、何倍も美しい・・。

まぁ、3年前に一度読んだだけですから、すべての内容を覚えていませんが、
途中、何度か「こんな話あったっけ?」と思った箇所が20数か所はありました。
その都度、旧版を読み返して確認してみましたが、
2回に1回はやっぱり旧版ではカットされていた箇所でした。
このダイヤモンド章のエピソードも旧版ではまるまるカットなんですね。

Galland_.jpg

米軍のドイツ本土爆撃が始まると、この昼間空襲を阻止するためにヒトラーヘ意見具申します。
「わたくしとしては米軍の護衛戦闘機と同数の戦闘機を更に要求せねばなりません」。
しかしコレを知ったゲーリングは越権行為だとして最大級の怒りを爆発。
「総統に対してヌケヌケと・・、精神のたるんだ敗北主義者の妄想もいいところだ!」

若干30歳にして少将に昇進し、「戦闘機隊総監」となったガーランド。
ヒトラーとゲーリングに直属する役職ですが、だからといっても空軍内には
参謀総長もいれば、大将に元帥といった階級のお偉いさん方もいっぱいいます。
ライバルの爆撃機隊は優遇され、戦闘機隊は風当たりが強い。。
この状況を現在のグループ企業のような大きな会社に置き換えてみると、
ナチスドイツ・グループの新参会社である空軍の、特命部長あたりでしょうか・・?
無能な"ふとっちょ"社長から頻繁に叱責され、決済するのはワンマン会長のヒトラー。
嗚呼・・、まさに過労死するか、鬱になるかと思わずにはいられません。
実際、取締役だったウーデットやイェショネクも自殺に追い込まれているのです・・。

Adolf Galland 1941.jpg

1943年7月、初めての英米昼夜兼行連続爆撃がドイツの一大都市を襲い、
ハンブルクが地獄と化します。
半年ほど前に起こった軍事的危機、「スターリングラード」の方がより衝撃的であったものの、
数千㌔も離れたヴォルガ河畔ではなく、ハンブルクはドイツの心臓部たるエルベ河畔なだけに、
ドイツ国民の心理的側面から言えば、危機的な重大事件なわけです。

Bomberverbände Hamburg.jpg

そして1943年の秋には空軍の部隊指揮官不足が非常に深刻な事態に・・。
22歳のドイツ軍最年少の大尉であり、わずか1年足らずのうちに158機を撃墜し、
不敗のまま戦死したマルセイユを著者は「傑出した名手」と褒め称え、
まるで後のジェームズ・ディーンのような大スターを彷彿とさせる
このような戦闘機パイロットを目指す若者たちはいくらでもいます。
しかし「国家社会主義航空団(NSFK)」などで準軍事的飛行訓練を受けた若者は、
直接、空軍に引き渡されず、まず「国家労働奉仕団(RAD)」が介在します。

Nationalsozialistisches Fliegerkorps .jpg

このRADとは、基本的に半年間、農業やら道路、鉄道、飛行場建設といった労働を行い、
若者に社会での実践的な教育を施す機関ですが、
それによってこれまでの飛行訓練の連続性を絶たれただけでなく、大勢の若者の中に埋もれ、
それから個々の軍種が必要とされる者を引き抜いてしまうのです。
例えば、リーダーシップがある若者なら陸軍に、
寡黙な男前なら??海軍に、気が強ければ武装SSに・・といった具合ですか。。
航空訓練を受けた者をRADに編入しないよう、ヒトラーに対して何度も要請がなされても、
すべて失敗。。この義務から免れたのは、女性ダンサーや女優のみなのでした。。

RAD  Reichsarbeitsdienst.jpg

海戦は船を乗っ取っての白兵戦から、敵を視認できないほどの距離での砲撃戦へ、
戦車の有効射程距離も800mだったが、最新型なら3㌔以上の距離で渡り合える・・、
しかし戦闘機だけがこうした発展から遅れを取り、
いまだに400mまで近づかなくてはいけない有様だ・・。
こんな発言をするのはもちろんヒトラーしかいません。
そして誕生したのがMe-410駆逐機です。
Ⅲ号戦車5センチ戦車砲を航空機搭載砲に改良し、機首から3mも砲身を突き出した化け物。。
あ~、ナチスの開発したUFOにティーガーやパンター戦車の砲塔ってここから来てるのかも・・。

Galland_Hitler.jpg

このBK5という対爆撃機用機関砲は、約15発の自動装填式ですが、
5発も撃つとひどい装弾不良を起こし、1000mどころか、
たかだか400mの距離で命中できる程度・・。まったく意味がありません。
「2,3発撃って四発機を縮み上がらせた後は、サンダーボルトを砲身で串刺しにすりゃいい」
と、皮肉るだけです。
ちなみに旧版だと、この串刺しの部分「体当たりしてやるさ」です。
たいした違いはないようですが、写真を見ると洒落っ気の面白さが違いますね。

me410a.jpg

この期に及んで本土防衛にいっそうの関心を抱くに至ったゲーリング。
部隊から部隊へと視察に回って激励スピーチ。その標語は「わたしを見捨てないで!」。。
今や戦闘機隊を直接指揮し、来襲機との戦闘にも介入しますが、
「国家元帥が陣頭指揮に立っている」と言われたところで、部隊の士気は高まりもしません。

Goering_Politica.jpg

フォッケウルフ最終組立工場に対する米軍の爆撃。
敵が帰路についたという情報にガーランドは机を立ち、FW-190で僚機とともに追尾します。
200機から300機の敵爆撃機を追う、「天空を漂う戦闘機隊総監」。
本来、こんな役職であれば戦闘機に乗ることすら許されません。
しかし、堪らず落伍した爆撃機に背後下から攻撃します。
20㎜機関砲四門と機銃二挺をありったけ連射し、教範どおりの撃墜!

B-26.jpg

ダイヤモンド章の逸話に、本土防空戦に挑む戦闘機隊総監のアクション・シーンなど、
ガーランド個人のエピソードがこの完全版では多いのが読んでいてわかります。
確かに旧版の副題は「栄光のドイツ空軍」であり、ドイツ空軍を総括したもの。
一方、本書は副題に「アドルフ・ガランド自伝」と銘打っているだけあって、
前半の少年時代から、本文中のちょっとした個人的な話は、より「回想録」チックです。

adolf-galland-1912-1996.jpg

チャーチル"ボマー"ハリスの回顧録、アイゼンハワーの「ヨーロッパ十字軍」など、
連合軍側の本や資料も活用している本書。
英米の爆撃機がドイツ本土を空襲した後、そのままソ連領の飛行場に着陸する・・という
共同作戦をスターリンは了承します。
しかし日本に対する戦略爆撃機用に、シベリアにもこのような拠点を設けることには、
さしあたって拒絶・・。前者は有名な話ですが、後者の話は覚えてませんでした。

ようやく誕生したジェット戦闘機Me-262はヒトラーの鶴の一声で「電撃爆撃機」に・・。
150機撃墜で剣章を受章したシュタインホフは、謁見の際、ヒトラーに申し出ます。
「わが軍機は速くなるどころか遅くなる一方であります。敵戦闘機とは70㌔の差が・・」。
気まずい沈黙・・。「ではいったい何が欲しいと言うのだ。新型機か何かか」。
「そうであります。ジェット戦闘機を!」
「ジェット戦闘機、ジェット戦闘機・・、取り憑かれておるな。そんな話は2度と聞きたくない!」

Adolf Galland_johannes steinhoff.jpg

しかし、戦闘機隊総監を解任されたガーランドは、ジェット戦闘機の実戦上の価値を
自ら証明できるよう、Me-262を配備した部隊の編制を任されます。
こうして「反乱の先導者」として飛ばされていたリュッツォウら、騎士十字章のエースが集まり、
パイロットとして中将1人、大佐2人、中佐1人、少佐3人、大尉5人、少尉8人、
そして同数の下士官から成る「第44戦闘団」が誕生するのでした。

me262.jpg

望んだ椅子でもない「戦闘機隊総監」となってからは、敵である連合軍のみならず、
上司ゲーリングを筆頭としたドイツ空軍内部とも戦い続けるガーランド。
劣勢続きで、読んでいてもストレスが溜まってくるだけに
最後のMe-262の話に辿り着くと、こっちのテンションも上がってきました。

Me-262はそのスピードだけでなく、火力もいっそう強力になります。
一発でも命中すれば四発重爆を撃墜できる「R4Mロケット弾」を両翼に24発収納。
最後の攻撃に飛び立ちますが「終わり」の時はすぐそこに・・。

r4m me262.jpg

写真はHe-111に無理やり乗り込む巨体のゲーリングといった初見の写真も含め
所々にまとめて掲載されており、数え間違いがなければ79ページです。
ちなみに旧版が巻頭に32ページですから、倍以上はありますね。
その分、旧版には付録と人名解説索引が巻末に60ページあって、
コレはコレでフジ出版らしい魅力があるんですね。

それでも所々で書いたように、前半の9章までがカットされていただけでなく、
以降の章においても100か所以上が部分的に省略されていたということですから、
旧版をお持ちの方でも、手にしてみる価値は充分あると思います。

日本語版wikiのアドルフ・ガーランドでは著書の項目に
「『Die Ersten und die Letzten (邦訳:始まりと終り)』:全世界で翻訳され、
300万部を超えるベストセラーとなった。日本では1972年にフジ出版社より刊行されている」
とありますが、どなたか編集してみてはいかがでしょうか。









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アドルフ・ガラント [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェルナー・ヘルト著の「アドルフ・ガラント」を読破しました。

ルフトヴァッフェに有名人は数多いですが、やっぱりこの人がNo.1でしょうか。
このBlogでも何回登場したかわからない、ダイヤモンド章受章者のエース・パイロットで、
最年少の将軍、戦闘機隊総監、最後はジェット戦闘機隊を率い・・という、
ドイツ空軍の歴史を体現したかのような人物です。
本書は1993年と、20年前に発刊された187ページの白黒写真集で、
古書で1000円で売っていたので、ついつい買ってしまいました。

アドルフ・ガラント.jpg

それにしても「Adolf Galland」という名前は、毎度毎度、大変です。
本書では"ガラント"ですが、彼の書いた「始まりと終り―栄光のドイツ空軍」は"ガーラント"ですし、
第44戦闘団」の副題は"ザ・ガランド・サーカス "。。
おまけに独破戦線では"ガーランド"で統一しているという、超有名人なのに
これだけ名前が統一されていないのも摩訶不思議ですね。

まずは1ページフルフルでガーランドといえばコレっていうポートレート写真から・・。
そして「グライダーからジェット・パイロットへ」と題した半生が4ページ続き、
ヴェストファーレン州の実家に、5歳のアドルフ少年など、1ページ当たり、
2~3枚程度で写真が掲載されていきます。
グライダーに乗る17歳のガーランドはもちろん髭は生やしておらず、
なかなか精悍な顔ですね。

Adolf_Galland.jpg

その後1932年に、4000人のうち合格者20名という狭き門である
ドイツ航空学校(DVS)への入学が認められ、
翌年には基本的な軍事教練を終えるためにドレスデン第10歩兵連隊へ。
その集合写真では歩兵の軍服を着た、士官候補生ガーランドの姿もあります。

1937年になると「旅行者グループ先導員」という肩書でスペインに・・。
コレはスペイン内戦に参加する「コンドル軍団」の兵士たちの欺瞞ですね。
第88戦闘飛行隊第3飛行中隊は、通称「ミッキーマウス中隊」と呼ばれ、
He-51の白十字に、まだ葉巻と斧を持っていないミッキーの写真も登場します。
そして近接支援任務の発展に貢献した功績によって、
ダイヤモンド付きスペイン十字章を受章。
コンドル軍団でも受章者はわずか9人ということです。

galland_Condor Legion 'Micky'.jpg

また、帰国後はその経験を買われてベルリンの空軍省で、
2つの近接航空支援航空団の編制に携わり、1939年のポーランド戦には
第2教導航空団の中隊長としてHs-123で参加するのでした。
ここまでの写真もすべて見たことないものばかりですし、
彼の回想録「始まりと終り」では、1940年からの始まりなので、勉強になりますね。

Hermann Goering and Adolf Galland at the airport.jpg

バトル・オブ・ブリテン」が始まると、第26戦闘航空団(JG26)の若き司令となり、
JG51の盟友メルダースに、視察に訪れる大ボス、ゲーリングなどの写真が多くなります。
柏葉騎士十字章の3番目の受章者となって、ベルリンでヒトラー総統とも会談
ついでにブランデンブルク門をバックに記念撮影・・。

Galland 1940.jpg

その冬には第2次大戦を通じて初の、そして唯一となった「休暇」をスキーで楽しみ、
バルバロッサ作戦が始まっても「西部戦線の独空軍」であるJG26はわりあい平和です。
JG2司令官のエーザウや、大島大使もガーランドの司令部を訪れています。
撃墜したスピットファイアの連隊指揮官、義足のダグラス・バーダーを客として招き、
親交を深めた逸話も出てきますが、そういえば本書の「序文」を書いているのもバーダーでした。

Douglas Bader Adolf Galland.jpg

この撃墜王は獲物を仕留めるのがとにかく好きなようで、
暇さえあれば狩猟に明け暮れています。
舎弟のミュンヘベルクも楽しそうに付き合っていますね。
それも束の間、12月にはメルダースが事故死したことで「戦闘機隊総監」を継ぐことに。。
イェショネク参謀総長とのツー・ショットや、各地の航空団を視察する写真が多くなります。
JG27のマルセイユの写真では、「おそらく第2次大戦のパイロットの中で
並ぶ者のいない"名人"だったと言えるだろう」と最高の評価です。

galland.jpg

古巣のJG26の司令になったのはヨーゼフ・"ピップス"・プリラーなわけですが、
ガーランドの2人の弟、ヴィルヘルムとパウルもこの航空団に所属しています。
しかし、1942年に末っ子のパウルが、1943年にはヴィルヘルムも戦死・・。
その埋葬時の写真も掲載されていますが、尊敬するガーランドから預かっていた
大事な弟2人を戦死させてしまったプリラーの心境を考えると・・。

wilhelm_paul_galland.jpg

1944年にもなると大エースのエーザウ大佐が撃墜されて、やっぱりお葬式に。。
301機撃墜でトップ・エースとなったハルトマンは、彼の死を恐れた空軍によって
戦闘行動を禁止されてしまいます。
とても納得できないハルトマンはガーランドと共にゲーリングに直訴するのでした。
は~ん、こんな話もありましたねぇ。ハルトマンの写真集読み返すかな・・。

Galland Hartmann  Goering.jpg

ちょっと話は逸れますが、先日の選抜高校野球の決勝で、連戦連投の
済美の2年生エース、安楽くん(初戦で見たとき、やべっち似だなと思いましたが・・)が
5回ににつかまって以降、ネットでは「将来のある投手の肩を壊す気か!」とか、
「サディストの監督は刑務所に送れ!」とか、なかなか盛り上がっていました。
個人的には、青春ど真ん中の16歳の少年が部活で好きでやってることに対して、
赤の他人の日本人は優しいなぁ・・と思いますね。
なんとなく、この件とハルトマンの件も一緒のような気がします。
やってる当人は事務机やベンチじゃ、燃えたぎる魂は抑えられないのです。

やれ「高校野球にも投球制限をつけろ」など、メジャーの考え方が本当にわかっているのか、
受け売りなのか不明ですが、アホかと思うような意見のほうが多く、
そのくせ、同じ日に完全試合を逃したダルビッシュには100球超えてるのに
「せめて完投させてやれ」や、「WBCに出て欲しかった」なんて勝手な意見が多いのも
まったく矛盾していますね。
「肩や肘が壊れる」なんて知ったかぶってる連中は、まずボールを持って外に出て、
全力投球で100球ばかり放ってみるべきですね。
翌日にドコが痛いかを身をもって知るべきでしょう。

済美 安楽泣く.jpg

え~、スイマセン。。変な方向に行き過ぎましたので、本書に戻りましょう。
1945年、戦闘機隊総監の任を解かれ、ジェット戦闘機隊「第44戦闘団」を編成。
ノヴォトニーが死に、シュタインホフも全身大やけど、
いまや親友となったリュッツォウ大佐も行方不明に・・。
この2人の写真は、リュッツォウの最期の写真なんだそうです。

Galland_Luetzow1945.jpg

108ページからは戦後のガーランドです。
捕虜となった姿から、アルゼンチン政府の要請で空軍顧問として働きます。
しかしココでも有名で人気もあった爆撃機パイロットのバウムバッハが事故死。
1955年になってやっとドイツに帰国する彼ですが、
「あの政治的精神錯乱者のルーデルとなんら関係を持たなかったのは特筆すべき」。

Baumbach_with_Hans-Ulrich_Rudel_&_Adolf_Galland_in_Argentina 1951.JPG

新設の西ドイツ空軍には加わらず、民間のコンサルタントなどで生計を立て、
国内の様々な飛行大会にも参加します。
1961年には愛すべきJG26司令官"ピップス"プリラーが不意の死を遂げて、また葬式。
しかし1966年には初めての子供が誕生し、多数の元パイロットが祝福に駆け付けます。
写真の11人の撃墜数は合わせて、1127機。。
左からシュタインホフ、ハルトマン、バルクホルンなど、英空軍のパイロットまで・・。

luftraf.jpg

映画「空軍大戦略」のコンサルタントとして参加し、「幻の英本土上陸作戦」にも・・。
1972年には60歳の誕生日、またまた内外から大勢のパイロットが訪れます。
オステルカンプギュンター・ラルクルピンスキーなどですね。

Galland  Steinhoff Krupinski Rall 1984.jpg

1975年に元英空軍パイロットでもあったチャールズ皇太子はRAFミュージアムを開設。
ドイツの主賓は当然ガーランドです。2人の写真は上から目線で微笑むガーランドの貫録勝ち。
久しぶりに会った同い年のハンナ・ライチュおばあちゃんを愛おしそうに抱きしめ、
1983年に亡くなったバルクホルンと彼の妻のために集まった将官たち。

380枚ほどの写真が掲載されている本書は
著者ヘルトが一緒に写っている写真もあるように、ガーランド本人から提供された
珍しいものや、プライベート・フォトもあったりと、初見のものがほとんどでした。
それもあってか、キャプションも非常に詳細で、極力写っている人物の名前まで。
「始まりと終り」、「第44戦闘団」、そして本書を読めばガーランドは完璧ですね。
もちろんガーランド寄りから見た、ガーランドですが・・。

AdolfGalland.jpg

本書の原著は1983年のようで、ガーランドが亡くなったのは1996年ですから、
70歳までの元気なおじいちゃん姿までが網羅されていました。
今回登場したエースたちだけでなく、戦後のドイツ軍人の生き様もいろいろと知りたくなりました。
とはいっても、そんなことが書かれた本はありませんよねぇ・・。

しかし4月30日に「始まりと終り」が、
「始まりと終わり ドイツ空軍の栄光―アドルフ・ガランド自伝」として再刊されます。
しかも、旧版の英語版ではなく、ドイツ語オリジナル版完全新訳ということです。
そしてコレを翻訳するは、Uボート本の傑作である「Uボート部隊の全貌」などを訳され、
この独破戦線でも度々コメントしていただく、謎の「某訳者」さんであります。
ふ~・・すげータイミング。。わっ!704ページに増えてる!

ちなみに3末に出たばかりの「西方電撃戦: フランス侵攻1940」を求めて
神保町に行ってきたんですが、ドコにも売ってませんでした。。
書泉グランデに無かったらドコで売ってんだよ・・。







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