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たのしいプロパガンダ [世界の・・]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

辻田真佐憲 著の「たのしいプロパガンダ」を読破しました。

先月に出た224ページの新書。
「本当に恐ろしい大衆扇動は、 娯楽(エンタメ)の顔をしてやってくる! 」
という謳い文句で、表紙のセンスもなかなか・・、と気になったところ、
著者は「世界軍歌全集―歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代」の方で、
この謳い文句と世界軍歌全集を足して考えれば、「コリャ面白そうだ・・」と購入しました。
大日本帝国、ナチス、ソ連といった大戦期から、中国、北朝鮮などの東アジア、
そして現代のイスラム国(ISIL)によって行われているプロパガンダまでを広く解説しています。

たのしいプロパガンダ.jpg

「はじめに」では本来、「宣伝」という意味である言葉、「プロパガンダ」が、
「政治的な意図に基づき、相手の思考や行動に影響を与えようとする組織的な宣伝活動」
という、一般的な解釈を説明しながら、本書の目的を解説します。

そして第1章は「大日本帝国の思想戦」。
陸軍のプロパガンダの関心は、明治以来モデルにし、あれほど強かったドイツが
どうして大戦で負けてしまったのか。
陸軍の結論はプロパガンダの戦いに敗北し、内部から崩壊してしまったのだ・・。
総力戦では国民の戦争協力を欠かすことができず、やる気を無くさせようものなら
工場も鉄道も止まり、戦争どころではない。ドイツもロシアもそのようにして敗れたと・・。

ということで、1938年に陸軍省新聞班の清水盛明中佐による説明を紹介。
「由来宣伝というものは強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら知らず知らずのうちに
自然に啓発教化されて行くということにならなければいけないのであります」。
そして人気コメディアン古川ロッパの舞台の合間に、5分ほど「支那事変」の解説をさせ、
笑いながら楽しんだ客は「支那事変」の真意義を聞かされて帰る・・という戦略です。

ロッパ.jpg

一方の海軍では海軍省軍事普及部のエリート将校、松島慶三が宣伝を研究し、
数多くの軍歌の作詞を手掛け、あの宝塚歌劇団のレビューの原作にも手を伸ばします。
「太平洋行進曲」に始まり、「軍艦旗に栄光あれ」、「少年航空兵」、「南京爆撃隊」といった
「軍国レビュー」を次々と繰り出すのでした。
そういえば「戦う広告」にも宝塚の軍国レビュー広告が載ってましたねぇ。

南京爆撃隊 宝塚.jpg

有名な「写真週報」にも触れ、その第二号に掲載された一文を紹介。
「映画を宣伝戦の機関銃とするならば、写真は短刀よく人の心に直入する銃剣でもあり、
何十万何百万と印刷されて撤布される毒ガスでもある」。

確かにこのBlogのコメントでもたま~にありますが、頑張って2000文字のレビューを書いても、
オマケで貼りつけた一枚の写真に喰いつかれる方もいるので、その効用はよくわかります。
そういえば「『写真週報』に見る戦時下の日本」を読むのを忘れてました。



その機関銃たる映画、円谷英二が特撮を手掛けた1942年の「ハワイ・マレー沖海戦」など
軍の後援を受けた迫力ある映画は大ヒットし、志願制であった飛行兵の募集にも貢献。
1943年には「桃太郎の海鷲」というアニメも公開。
桃太郎率いる空母機動部隊が鬼ヶ島を空襲する血なまぐさいストーリーで、
「ハワイこそ! 悪鬼米英の根拠地鬼ヶ島ではないか!」

桃太郎の海鷲1.jpg

1945年4月という時期には続編「桃太郎 海の神兵」も公開され、大東亜共栄圏の諸民族を現す
動物たちに桃太郎がアジア解放の大義を教えるシーンもあるなど、より生々しいそうな・・。
本書では白黒で小さいながらも所々に写真も掲載されています。

桃太郎 海の神兵.jpg

第2章は「欧米のプロパガンダ百年戦争」。
まずはプロパガンダ国家というソ連からで、水兵の反乱と革命を描いた「戦艦ポチョムキン」を
共産主義のプロパガンダ映画の代表格として紹介。
この1920年代のソ連では国立映画学校が設立され、アニメにも力を入れており、
惑星間革命」というSFアニメの内容は、赤軍の闘士「コミンテルノフ」が宇宙船で火星に向かい、
プロレタリア革命を起こして資本家たちを打倒する・・というもの。。

大祖国戦争真っ只中の1942年に製作された短編アニメ「キノ・サーカス」は、
ヒトラーとファシスト軍をを徹底的に茶化した3本立てで、
犬の姿をしたムッソリーニホルティアントネスクをヒトラーが調教したり、
ナポレオンの墓を訪れたヒトラーが世界征服のアドバイスを求めるも・・。
4分ほどの短編ですから、ちょっと覗いてみてください。



1930年代に刊行された対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」というのは初めて知りました。
ロシア語だけでなく、英語、仏語、独語といった様々なバージョンがあり、
見上げるように撮影された雄々しい兵士や、合成された巨大なスターリンの写真。
神の如き偉大な指導者を演出しているのです。

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続いてはナチス・ドイツ。
「戦艦ポチョムキン」を褒め称えたゲッベルスが主役で、映画、音楽を統制します。
ベルリン・オリンピックは反ユダヤ色を廃し、ギリシャからの聖火リレーも発明
「意志の勝利」のレニ・リーフェンシュタール監督による記録映画「オリンピア」も好評・・と、
やや駆け足ながらサクサクと進みます。

そしてやっぱりソ連の対外宣伝グラフ誌、「ソ連邦建設」と同様の「ジグナル」についても解説。
1940年の創刊で、1945年3月まで刊行され、最大250万部を発行した有名グラフ誌です。
今年の1月に「ヒトラーの宣伝兵器―プロパガンダ誌『シグナル』と第2次世界大戦」という
大型本が出ましたが、実は休止中にコッソリ読みました。気になる方は図書館へGO!

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米国ではディズニーが1943年に「総統の顔」を製作します。
ドナルド・ダックが「ハイル・ヒトラー! ハイル・ヒロヒト! ハイル・ムッソリーニ!」と挨拶させられ、
わが闘争」の独破を強要され、軍需工場へ駆り出されるというお話。
その年のアカデミー短編アニメ賞に輝きますが、調べてみるとネタが枢軸だからなのか、
日本で発売されているDVD-BOXには未収録なんだそうです。

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第3章は「戦場化する東アジア」。
最初は現代のプロパガンダ国家の鑑・・とでも言えそうな北朝鮮です。
そのキーマンは第2代の「将軍様」、金正日で、彼は1964年に大学を卒業後、
党の宣伝扇動部でそのキャリアをスタートさせ、25歳で文化芸術指導課長に、
1973年に党書記(党組織および宣伝扇動担当)に選出されるという、
一貫したプロパガンダ畑を歩み続けて出世した人物であり、
TVアナのおばちゃんが勇ましくアナウンスするのも、「戦闘的で革命的な」という
金正日の1971年の指示によるものだそうです。

そしてやっぱり映画好き。ハリウッド・コレクションに「寅さんシリーズ」の全フィルムも所有。
抗日武装闘争がテーマの映画には、予算からシナリオ、撮影にも口を出すなど、
まさに北朝鮮のゲッベルスですね。
1985年には怪獣映画「プルガサリ」の製作のため、東宝のスタッフも招かれるのです。

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音楽の面でも大衆が楽しめなければ・・という考えのもと、「ポチョンボ電子楽団」を1985年に、
3代目の金正恩も亡き父の教えを受け継ぎ、ガールズユニット「モランボン楽団」を立ち上げ
ミッキーやプーさんらしき着ぐるみと共にディズニー・メドレーを披露。
コレはニュースにもなりましたね。

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対する休戦国家、韓国は・・というと、若者の徴兵制への不満もあるなか、
国防部は2012年になって軍隊生活のイメージ・アップを図るため、
既存の軍歌を今風にアレンジして、有名歌手や芸能人が歌い、
人気作曲家に依頼してバラード風の軍歌「自分を超える」を製作し、
兵役中の歌手、パク・ヒョシンが歌って、ミュージックビデオを全部隊に配布・・。
これを「K-POP新軍歌」と言うんだそうです。

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中国では抗日映画がTVドラマへ変化するも、日本兵はさながらハリウッドにおけるナチスであり、
中国人が弓矢、刀で絶対悪の日本軍をいくら打ち倒しても問題なし。
決まりきったストーリーで、予算もかからず、一定の視聴率も稼げるということで、
まぁ、「遠山の金さん」とか、「桃太郎侍」みたいなモンなんでしょう。
しかし2013年まで放映された「抗日奇侠」、カンフーで日本兵を真っ二つにする過剰演出が
物議を醸して、中国政府が抗日ドラマの規制に乗り出したそうな・・。
どう真っ二つかを見たい方は、「抗日奇侠 真っ二つ」でググると出てくるかも・・。

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モデルガンで日本兵をやっつけることの出来る抗日体験アトラクションが充実したテーマパーク
「八露軍文化園」も紹介。
2014年には党機関紙「人民日報」の傘下のWEBサイトに「打鬼子」というゲームが公開。
「鬼畜を打て」という意味のこのゲームは、 東條英機を筆頭とする「A級戦犯」を選び、
その顔を描いた看板を射撃して点数を競うというもの・・。エゲツないなぁ。。

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第4章はちょっと雰囲気が変わり、「宗教組織のハイテク・プロパガンダ」と題して、
「オウム真理教」のプロパガンダ手法について詳しく振り返り、
インターネットとSNSを大いに活用した最近のイスラム国(ISIL)のプロパガンダを警戒します。
そして彼らが同じ黒い服を着て、黒い旗を掲げ、指を立てるポーズは、
ナチスに良く似ている・・という指摘もあるんだとか・・。

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こうして最後の第5章で現在の日本にはプロパガンダが浸透しているのか? を検証。
「右傾エンタメ」とされる「艦これ」や、特に百田尚樹著「永遠の0」について大いに私見を述べ、
同じ時期に公開された宮崎駿の「風立ちぬ」と比較します。
個人的にはどちらも未見なので、何とも意見のしようがありませんが・・。

最後に「自衛隊」のプロパガンダ。
防衛庁の1962年の要領には、「映画会社に対しては、防衛意識を高めるようなもの、
ないし自衛隊を正しく興味深く取り扱うものを製作するよう誘導する」と書かれ、さらに
「自衛隊色を表面に出さず、観客に自然と防衛の必要性、自衛隊の任務等が理解されるよう・・」。

原則、自衛隊は無償で映画製作に協力しているわけですが、
要は「悪く書くなら協力しないよ」であるとも言え、このようなことは、「レマゲン鉄橋」でも
GIがドイツ兵の死体から双眼鏡と腕時計を外す場面をカットしなければ撮影に協力しない
言い出したり、ナチス映画「最後の一兵まで」でも、国防大臣ブロムベルクが
艦隊が激しい攻撃を受ける場面を取り除いてほしい」との要望を出したのと同様ですね。

確か「野性の証明」は内容的に問題が多くて、自衛隊は協力しなかったと・・。
仁義なき風の松方弘樹が、ヘリから機関銃を狂ったように撃ちまくるんではねぇ。。

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そして昨今の「自衛官募集ポスター」にはアニメ風に描かれた絵の採用が増え、
このような若者をターゲットにした「萌えミリ」効果は、少なからず見られるそうです。
大戦中の米国「婦人補助部隊」募集ポスターは綺麗でキリっとしたおねぇちゃんだったなぁ。。
その他、自衛隊の歌姫や、「ガルパン」への協力姿勢にも言及していました。

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224ページの新書なので、ゆっくり読んでも2日も持ちませんでしたが、
時代と文化の異なる国々を広範囲に、非常に巧くまとめていました。
その理由としては、自国民に対するプロパガンダとは、楽しくなければならない・・、
という論理が歴史的にどこの国でも繰り返されているわけで、
新聞、ラジオといった媒体から、映画、TV、インターネット、ゲームと変化した娯楽コンテンツに
組み込まれる・・というだけの違いしかないのでしょう。
著者の主観が強すぎるような記述もありましたが、このような本では許容範囲で
気軽に読める「プロパガンダ入門」として最適だと思います。
各国のプロパガンダをより細かく知りたい人には、巻末の参考文献が役立ちそうです。













ラスト・オブ・カンプフグルッペIV [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ラスト・オブ・カンプフグルッペIV」を読破しました。

前作の「ラスト・オブ・カンプフグルッペⅢ」が出版されたのが2012年。
ということは、小学生でもわかるように3年ぶりの新作です。
ちなみに第1弾は2001年ですから、実に14年続いているシリーズですか。
購入後、すぐに独破してしまうのはもったいないので、3週間ほど熟成させて、
かつ、2週間ほどかけて、全9章をゆっくり楽しみ、さらにもう一度読み直しました。

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第1章からいきなり列車砲・・。「アンツィオ・アニー」です。
1943年9月、イタリアに連合軍が上陸すると、ケッセルリンクは強力な砲兵部隊の派遣を要請。
そこでフランスのパド・カレーで平和に暮らしていた列車砲中隊がアルプスを越えて、
イタリア戦線に派遣され、1944年2月、連合軍が陣取るアンツォ湾施設に
15発の巨弾を送り込むことに。

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2門の列車砲「28㎝ K-5 (E)」は、それぞれ「ロベルト」、「レオポルト」と呼ばれ、
突如として降り注いでくる死の恐怖にGIたちは「アンツィオ・アニー」という綽名をつけるのでした。

このような列車砲の運用も詳しく、キッチンやベッドなど隊員が寝起きしたり、
弾薬を保管するために10℃に保つ空調設備のある特殊貨車が随伴。
1回の砲撃は6発~8発に制限され、敵機の来襲前にササッとトンネルへ退避するのです。
しかし6月には巨弾も尽き、終焉の時を迎え、放置された「アンツィオ・アニー」は、
研究のために米国本土へと運ばれ、アバディーンの兵器博物館から、現在は、
ヴァージニア州フォートリーの軍事施設野外展示場で見ることができるそうな・・。

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第2章は「ディエップで朝食を」と題して、カナダ軍中心のディエップ奇襲の顛末を・・。
まぁ、コレについては「グリーン・ビーチ」を読んでいましたので、だいたいのことはアレですが、
さすがに戦況図に編成図、装備表と写真が掲載してあってわかりやすいですね。

第3章は1945年の2月~3月にかけてのポンメルン防衛戦。
主役となるのは、わずか2ヵ月間だけ存在した戦車師団「ホルシュタイン」です。
いや~、いよいよ「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」らしくなってきました。
東部戦線での壊滅的な事態に対し、第233予備戦車師団を母体にして、
機甲擲弾兵補充旅団「グロースドイッチュラント」、戦車射撃学校「プトロス」、
戦車学校「ベルゲン」、その他、教育突撃砲旅団が集まって、
戦車師団「ホルシュタイン」を編成。。

その戦力はⅣ号戦車が46両、マーダー自走砲が9両とⅢ号突撃砲Ⅳ号駆逐戦車ラングです。
参謀総長グデーリアンによって「冬至(ゾンネンベンデ)作戦」が計画されるも、
肝心のヴァイクセル軍集団司令官がヒムラーでは、戦線の大崩壊は必至の状況で、
次長のヴェンクがヒムラーの代理として派遣されます。
あ~、グデーリアンを出向かえた、ヒムラーの参謀長ラマーディングSS少将も思わず、
「あの司令官をなんとかしていただけませんでしょうか・・?」
て言ってしまったエピソードを思い出しました。


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出来たてほやほやの「ホルシュタイン」を視察しに来たヴェンクは擲弾兵連隊長が輸送途中、
空襲により戦死したことを知ると、同行していた柏葉章拝領者のOKH機甲擲弾兵監察官、
エルンスト・ヴェルマン大佐を当座の指揮官任命。師団長も未着任のため、
そのまま彼が師団長代理として指揮を執ることになるのでした。
ん~。。こういう仕事の出来る人たちの臨機応変さっていうのは、実に気持ちがイイ。

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しかし帰路の途中、三日三晩、不眠不休だったヴェンクは運転を誤り、鉄橋の橋脚に激突。
頭蓋骨と肋骨5本を骨折して静養するハメに・・。

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ソ連の2個軍12万名と対峙するポンメルン防衛線。
兵力不足のドイツ第3戦車軍といえば、SS「シャルルマーニュ」とSS「レットラント第1」という、
フランス人、ラトヴィア人部隊が中心で、ホルシュタインは予備部隊。
案の定、ソ連軍に粉砕されて、その後、フォン・テッタウ中将指揮の「テッタウ作戦軍団」として、
ホルシュタインはSS義勇兵の残余と共に再編され、退却戦へと進むのです。
途中、ヴォルフガング・パウルの名著「最終戦」から引用するなど、
この戦役部分だけ引っ張り出して、再読したくなりました。

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次の章も興味深い「SS第14/15コサック騎兵軍団」です。
まずは最初に投降したコサック部隊として1941年のバルバロッサにギブアップをし、
スターリン体制と戦うことを宣言するイヴァン・コノノフ率いるソ連の軽歩兵連隊を取り上げます。
投降した赤軍兵士から成る義勇兵部隊の編制がヒトラーに許可されて、
第600コサック大隊と命名され、コノノフ自身も晴れてドイツ陸軍中佐に昇進するのでした。

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このようなコサック部隊があちこちに誕生すると、それらを大規模な部隊として運用しようと、
元SA指導者で騎士十字章を持つ、ヘルムート・フォン・パンヴィッツに白羽の矢が立つことに。
参謀本部のシュタウフェンベルク少佐の働きかけがあったと書かれていますが、
あの「幻影 -ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語-」にあったエピソードですね。

そして1943年4月、ついに「第1コサック師団」が誕生しますが、旅団長や連隊長といった
ドイツ人将校は馬術技能に秀でていないと、部下のコサックたちに舐められてしまいますから、
フォン・なにがし・・といった名前を持つ、騎兵部隊の親分肌のベテランが集められるのです。

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1944年になると2個師団から成る「コサック軍団」を編成しようとするパンヴィッツ。
しかしこの時期、すでに陸軍にはコサック部隊なんぞに物資を提供する力はなく、
ヒムラーのとの会談の結果、「SSコサック軍団」となり、パンヴィッツ自身もSS中将に・・。

かと言っても武装SSの制服は着用せず、終始コサック風だったそうですが、
最終的にはウラソフのロシア解放軍も登場し、「遠すぎた家路」にも書かれていたような
悲惨な運命が彼らを待っているのでした。

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第5章はあの最弱と呼ばれる「空軍地上師団ついに逃げ勝つ」と題して、
1944年、ギリシャに駐留していた第11空軍地上師団がルーマニアの寝返りや
ブルガリアの枢軸からの離脱といったバルカン方面の危機に直面し、
プリンツ・オイゲンハントシャールといったSS義勇兵部隊と協力しつつ、
一大パルチザン帝国であるユーゴスラヴィアを突破し、
オーストリアを目指してひたすら撤退する・・という切ないお話。。

ラスカン①」では、マーケット・ガーデン作戦に対する寄せ集め戦闘団の戦いを、
ラスカン③」では、ワルシャワ蜂起に対する寄せ集め戦闘団の戦いを、
そして本書では3つめの寄せ集め戦闘団の戦い、「スロヴァキア蜂起」の登場です。

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1944年8月はワルシャワ蜂起パリ陥落、ルーマニアの脱落・・という状況で、
ソ連軍はスロヴァキア国境の手前カルパチャ山脈にまで進出中・・。
国境をソ連と接しておらず、フィンランドやルーマニアのように歴史的領土問題もないこの国では、
すでに厭戦気分が広がっており、東部、中部、西部に配置されたスロヴァキア軍が蜂起し、
同じスラヴ民族であるソ連軍を手引きしようということに・・。

しかし機甲連隊を有する最強の東部軍は、カルパチャ山脈持久戦を展開していた
ハイリーチ軍集団による「ジャガイモ刈り作戦」であっさりと武装解除。。
8月31日、ドイツ軍はSS本部長ゴットロープ・ベルガーをスロヴァキア防衛軍の責任者に任命し、
近郊のSS工兵学校や武装SS後方治安部隊、陸軍補充部隊を必死にかき集めます。

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兵力2200名のSS戦闘団「シル」や、中古Ⅳ号戦車15両だけの戦車師団「タトラ」、
SS第18義勇機甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセルの分遣隊であるSS戦闘団「シェーファー」
再編中の第14SS武装擲弾兵師団 ガリツィーエン中心の戦闘団といった、
数々の寄せ集め戦闘団が誕生。。いや~、こりゃ、かなりヤヤコシイ。。

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Ⅳ号戦車2両で攻撃を開始した戦車師団「タトラ」ですが、蜂起軍側のマーダーⅢによって撃破。
同胞だったスロヴァキア軍はシュコダ製戦車だけでなく、ドイツ軍から提供されていた
ドイツ軍兵器で善戦するのでした。

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9月22日、蜂起軍鎮圧作戦がスローペースなのに業を煮やしたヒムラーによって
ベルガーは解任されてしまい、ヘルマン・ヘーフレSS大将が後任になると、
SS部隊の増援による総攻撃を決意し、ホルスト・ヴェッセルとガリツィーエンの全部隊に加え、
あのワルシャワ蜂起鎮圧で疲れて編制中の、SS特別連隊「ディルレヴァンガー」も投入。
しかし北方線区で第1スターリン・パルチザン旅団の逆襲に遭遇してしまったディルレヴァンガー。
捕虜136名を出す大損害を蒙って撃退され、コレがスロヴァキア蜂起における
ドイツ軍最大の敗北という汚名を着ることに・・。

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そうはいっても兵力に勝るドイツ軍。2週間頑張ればソ連軍が来ると信じて戦った蜂起軍は、
実に2ヵ月に渡って死闘を繰り広げるも、ハインリーチの巧みな防御の前に大損害を出した
ソ連軍は、遂にやって来ることはなかったのでした。。

11月8日にはティソ大統領も出席した祝勝パレードも行われ、本書ではこの時のみならず、
写真、戦況図、編成図などを掲載しているものの、正直言って、難しいなぁ。。
2回読み返したのに、まだモヤモヤしているほどです。寄せ集め戦闘団、恐るべし・・。

Jozef Tiso 31. októbra 1944 vyznamenáva v Banskej Bystrici nemeckých vojakov, ktorí potlačili povstanie.jpg

次の章も「蜂起」。なかなか読めない「プラハ蜂起」です。
1945年3月、ソ連軍がチェコ領内に侵攻するも主力部隊はベルリン攻撃作戦に転用され、
5月1日を迎えた頃、西部のベーメンでも米軍が進撃中という状況。
ポーランドの「国内軍(AK)」と同様に、チェコにも地下抵抗組織「国民防衛(ON)」が存在し、
首都プラハではこのタイミングでドイツ軍を駆逐しようと武装蜂起します。

駐留するドイツ軍部隊は2万名程度で、ヘッツァーを有する部隊があるものの、雑多な小部隊。
ベーメン・メーレン保護領担当相カール・ヘルマン・フランクは、
この僅かな兵力でプラハの防衛と治安維持を行うのは不可能であるとして、
5月3日にヒトラーに後継者に指名されたデーニッツ大統領と会談し、
プラハを病院都市として攻撃対象から外すよう連合軍と折衝することが承認されますが、
米第3軍司令官であるパットンとの接触工作は失敗に終わるのです。
ふ~む。。初めて知ったエピソードだなぁ・・。

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この状況だけでもすでに四つ巴ですが、ここに問題を複雑にする軍団が登場。
ウラソフのロシア解放軍(РОА)です。
中央軍集団シェルナー元帥の命令を無視して戦線から離脱していたロシア解放軍は、
チェコの「国民防衛」から武装蜂起部隊への支援を要請されて、「プラハへ行軍!」
簡単に言うと一度寝返った人たちが、ここに来て、また寝返った・・ということですね。。

German MP (Feldgendarme) and a soldier of the Russian Liberation Army.jpg

ドイツ人市民を救出したいフランクは、保護領武装SS司令官ピュックラー=ブルクハウスに
緊急出動を依頼し、武装SSの各兵科学校や補充教育部隊の教官、生徒が動員され、
ココにSS緊急動員部隊「ヴァレンシュタイン」が誕生するのでした。

部隊名は、この地の三十年戦争期の英雄「アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン」から
頂戴したようで、武装SSにはよくあるパターンですね。

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そしてもう一つ、ウィーンで大損害を負った「ダス・ライヒ」の残余、デア・フューラー連隊の
戦闘団を率いるのは剣章拝領者のオットー・ヴァイディンガーSS中佐で、
ベルリン方面への移動命令はフューラーの死によって無効となり、
ピュックラー=ブルクハウスの緊急出動命令を受領して、プラハを目指すのです。
おぉ~、ヴァイディンガーか・・。お久しぶりです。。

Otto Weidinger.jpg

「ヴァレンシュタイン」はいくつかの「戦闘団」となって戦うわけですが、
途中、ジェット戦闘機Me-262が地上掃射したり、SA連隊「フェルトヘルンハレ」と合流するなど、
かなりカオスな展開が繰り広げられた挙句、
ウラソフの部隊はチェコのパルチザンに捕えられてソ連軍に引き渡され、
ヴァイディンガーは1000名を失うも、残った車両にドイツ難民を乗せ、米軍のいる西へ撤退。

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ピュックラー=ブルクハウスは6000名の将兵と共に降伏し、文書に署名した後に自決・・。
この人は第1次大戦で1級鉄十字章を授与された大尉で、戦後はSA少将、
1938年には陸軍大尉となって歩兵師団の作戦参謀を務め、
ヒムラーからの懇願を受けて武装SSに転入し、バッハ=ツェレウスキにも従えて、
SS第15「レットラント第1」師団長を拝命する・・という非常にカオスな人生を送っています。

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ラス前の第8章は「第三帝国最後の戦車師団出撃す!」
1945年4月の西部戦線・・。モーデルのB軍集団32万名が「ルール・ポケット」で包囲
そこでOKWは弱体な第11軍をハルツ山地に集結させて、強力な米3個軍の東進を防ぎつつ、
編制中であるヴェンクの第12軍と連絡して反撃させ、B軍集団の解囲を図る・・という、
まさに夢のような壮大な作戦を立案するのです。

主役となるのは第12軍に配属される予定で編成が進んでいた3個師団です。
再編された第84歩兵師団の他、歩兵師団「アルベルト・レオ・シュラゲーター」は
第1RAD(国家労働奉仕団)歩兵師団であり、7500名のRAD隊員と
壊滅した第299国民擲弾兵師団の残余・・という、これだけで泣けそうです。
シュラゲーターといえば、第26戦闘航空団(JG26)の愛称として知られていますが、
RADだけに、まさかメインとなる武器はシャベルってことはないだろうな・・。

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そしてもう一つの師団が戦車師団「クラウゼヴィッツ」であり、
第3章で壊滅した戦車師団「ホルシュタイン」、
戦車旅団「フェルトヘルンハレ」などが再編された師団です。
一応、ティーガー、パンター、ヤークトパンター、Ⅲ号突撃砲を装備しているものの、
悠長に完全編成の師団として出撃するわけではなく、逐次「戦闘団」として
先に孤立してしまった第11軍の救出に投入されるのです。

この3個師団は「第39戦車軍団」となりますが、軍団長はあのカール・デッカー大将
いや~、これまたお久しぶりです。この人はシュトラハヴィッツとやり合う気の強さがあって、
以前から気になっていた戦車将軍なんですね。

Karl Decker.jpg

4月14日、ヴァレ少佐率いる突撃砲20両による英軍への夜間攻撃。
そして明け方、チャーチル歩兵戦車の2個戦車中隊が近づいて来たのを確認すると、
歴戦の叩き上げフリードリヒ・アンディング少尉とシュティッツレ伍長の3人は、
パンツァーファウストによる攻撃に打って出るのです。
ヴァレ少佐は7両、アンディング少尉は6両と、次々に仕留めるまさに戦車猟兵の鑑・・。
本書の帯にも「歩兵3人vs戦車30両!!」と書かれているだけのクライマックスです。

Friedrich Anding 1.jpg

また、このアンディング少尉はその眼つきと右袖の「戦車撃破章」の数から気になっていた人物。
肉薄攻撃による敵戦車1両撃破で「銀章」、5両で「金章」、彼は3個ずつ付けているわけですね。

⑨Tank Destruction Badge in Gold and Silver2.jpg

4月20日、「クラウゼヴィッツ」師団長ウンライン中将らとトランプを楽しんだデッカー軍団長。
「明日は死か捕虜か2つの選択肢しかない。しかし米軍は私を捕虜にすることはできない」。
翌日、パンター2両を先頭に、デッカーの乗ったSd Kfz 234/2「プーマ」が続き、
敵歩兵中隊を50㎜砲と機関銃で掃射しながら突っ走ります。
う~ん。。プーマの戦記って初めて読んだ気がしますね。しかもデッカー軍団長が乗車中。。
その軍団長は拳銃自殺を遂げるのですが、まったく男らしい・・。

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結局、クラウゼヴィッツと「第39戦車軍団」のハルツ山地までの無謀な奮戦。
すでに第11軍は存在せず、救うはずのB軍集団も降伏したあと・・。
「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツの名を冠し、たった25日で生涯を終えた戦車師団・・
というのも、まったく歴史の皮肉に感じますね。。

最後は「ドイツ海軍 高射砲艦」です。
この高射砲艦やら、防空巡洋艦・・などという名称自体、完全に初耳ですが、
船団護衛艦の防空力を高める必要性を感じた英海軍によって旧式の軽巡洋艦が改装され、
それを見た金満米海軍は防空巡洋艦11隻を建造・・という歴史を解説します。
魚雷発射装置と15㎝カノン砲を撤去して、高射砲、機関砲を設置する・・ということで、
わかりやすく言えば、IV号戦車の車体を用いた対空戦車ヴィルベルヴィントのようなモンですね。

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そしてドイツ海軍には「船団護衛」というテーマは無いにしろ、湾港施設に停泊している艦船を
敵の空襲から守る必要があり、そのためどれだけ低速でも、極端に言えば、
動力機関すらない、曳航式でもOK・・。
こうして鹵獲されていたノルウェー、デンマーク、オランダ等の外国製旧式艦艇7隻が
栄えある「高射砲艦」として生まれ変わるのでした。

このような外国人義勇兵的高射砲艦以外にも、純血アーリア人的高射砲艦も2隻存在します。
それは第1次大戦で活躍したガツィレ級小型巡洋艦、「アルコナ」と、「メデューサ」で、
1940年、動力機関が撤去された曳航式の高射砲艦としてデビュー。
乗員数は将校2名に下士官25名、兵員220名で、105㎜高射砲4門に
40㎜高射砲2門、20㎜機関砲6門を搭載して、ヴィルヘルムスハーフェンの湾港沖で
防空任務に就くのです。
しかし終戦間際に敵爆撃機の攻撃により中破・・、乗員22名が戦死するのでした。

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と、まぁ、今回も興味深い戦いが数多くありました。
特に「スロヴァキア蜂起」、「プラハ蜂起」、「クラウゼヴィッツ」の3連チャンはかなり濃く、
例えば「プラハ蜂起」で、「ヴィルヘルム・フリック総督が・・」という記述に驚き、
よくよく調べてみると、確かにノイラートの後任のベーメン・メーレン保護領総督でした。
ヤヤコシイですが、ノイラートの穏健な統治がヒトラーから嫌われて事実上のクビになり、
ハイドリヒが副総督としてやって来るも、暗殺されてダリューゲがその後任に・・。
そのダリューゲも心筋梗塞で重体になると、内相の座をヒムラーに奪われて、
暇だったフリックが正式に総督として腰かけでやって来た・・という流れでした。

Obergruppenführer K. H. Frank, Protector of Bohemia and Moravia Wilhelm Frick and army commander of Bohemia and Moravia Ferdinand Schaal.jpg

他にも、最弱の空軍地上師団なんて、脚本次第で戦争コメディ映画にもなりそうな気が・・。

このシリーズを読み終わっていつも困ることは、早く次を読みたいと思ってしまうことです。
果たして第5巻がいつ出るのかはわかりませんが、
それまで、過去の「ラスカン」3冊に、「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」、
ドイツ武装SS師団写真史」をちびちび再読して誤魔化そうかと・・。