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Uボート、西へ! 1914年から1918年までのわが対英哨戒 [Uボート]

ど~も。突如復活したヴィトゲンシュタインです。

エルンスト・ハスハーゲン著の「Uボート、西へ! 」を読破しました。

5ヵ月ほど前に出た本書を最初見かけたとき、「あ~、アレが再刊したのね・・」と思いました。
「アレ」とは朝日ソノラマの航空戦史シリーズがお好きな方ならお分かりのように、
エドウィン・グレイ著の「Uボート西へ」です。
しかし、今更ハードカバーで出るのもおかしく、著者も別人・・。
さらには訳者さんが「Uボート部隊の全貌」、「始まりと終わり」でお馴染みの方・・、
また、去年は第1次大戦勃発から100周年というのも手伝って、勢いよく読みました。

Uボート、西へ!.jpg

まずは第一次大戦開戦当時のUボートの戦い。
有名なヴェディゲン艦長が英装甲巡洋艦3隻を立て続けに撃沈するも、
やがて壮絶なる戦死の様子が簡単に語られます。
この人は以前に「潜水艦の死闘」で紹介しましたね。
おっと、この著者もエドウィン・グレイでした。

続いて本書の著者ハスハーゲンは1915年にU-22の先任としてUボートデビュー。
しかし急速潜航時に潜舵が下げ舵いっぱいのまま固着してしまい、逆立ち状態で沈んでいくと
更に蓄電池液が漏れ始めて、バッテリーから塩素ガスが発生・・。
ここの深さは底なし。艦内では生存の見込みなし。海上には敵という絶体絶命のピンチ・・。
結局この9日間の哨戒はトラブルに見舞われただけに終わりますが、数名が鉄十字章を受章。
敵前で勇猛さを示すこともできずに・・と恐縮してしまうのでした。

U22.jpg

「Uボートの世界」の章では、この当時のUボートについて詳細に解説します。
バラストタンクに水上ではディーゼル、水中では電動機で航行するなど、
全長7メートルの魚雷、甲板にある2門の砲も含め、第2次大戦のUボートとイメージは同じです。
また意外だったのが写真の多さですね。全部で20枚以上は掲載されていました。

1916年、UB21の艦長となったハスハーゲン。
UBというのは沿岸型で魚雷4本、乗員23名という小型Uボートです。
小さいながらも念願の艦長になったのも束の間、戦争の雲行きは怪しくなり、
ドイツは「拿捕規定」に従ってのみ潜水艦戦を実施することを誓うのです。
コレは軍艦に対してだけは雷撃が許可されてはいますが、
商船に対しては、まず停船させてキッチリと臨検し、問題が無ければ解放するということです。
その結果、せっかくの獲物も20隻中13隻を開放することに・・。

UB21.jpg

Uボート戦を「陰険な泥試合」と表現する著者。
その主役を演じるのがUボート囮船、すなわち仮装巡洋艦などの「Qシップ」です。
無害な商船を装ってUボートをおびき寄せ、至近距離に来たら突如、偽装を剥ぎ取り、
不意打ちでUボートに砲撃を加えるというのが、「ドイツ野郎」を罠にかけてやろうと
志願してきた英国の冒険好きの船員を含んだQシップなのです。

このUボート最大のライバルかのようなQシップのその策略について細かく書いていることから、
よっぽど嫌な思いをしたのが伝わってきます。
Uボートから警告射撃を受けたQシップは、まず逃げようとする素振りを見せ、
次の段階では機関員や水夫、コックらからなる寄せ集めの「パニック集団」が登場し、
救命艇へと殺到。何人かが海に落ちたり、規律なく、艇の漕ぎ方も無様で、
艦長に化けた航海長も一緒という不自然なところがない演技を披露・・。

first-world-war-centenary-ww-i-.jpg

こうしてまんまと疑似餌に喰いついてしまった不幸なUボートは、
近づいたところを船内に隠れていた本物艦長の指揮による、死の砲火に襲われるのです。

UB21で6回の長期哨戒を経験した後、遂に全長70m、乗員40名の大型艦U-62の艦長に・・。
まずは宿敵Qシップを魚雷で撃沈します。
潜望鏡に写真機を取り付け、1000mから250mまでの「Q12」の3枚の写真まで掲載。

q12_u62.jpg

思わず笑ったのは、「一番管-撃てぇ!」の撃てぇに「ロース」とルビが振られていて、
「『ロース』は、歌うような調子で長めに叫ぶ・・」と、本文でも解説します。
Uボートの映画を観てる方ならすぐに思い出すでしょう。アレですよ。低くシブい声で「ロ~ス!」。
間違っても戦車長みたく、「フォイヤー!!」なんて叫んではいけません。

Roy Lichtenstein Torpedo los (1963).jpg

そして救命艇にいたQ12の艦長、ルイス中佐を見せしめのために捕虜にすることに。。
野蛮人のUボート野郎の捕虜になったことで、「私を殺そうというのだな、艦長」と
観念していたルイス中佐も、「こちらで一杯どうぞ」とまず勧められた後、
彼らの懇切丁寧な騎士道的振る舞いに徐々に感銘を受け、
タバコは好きなだけ、士官食堂で過ごして、寝心地の良い寝台をあてがわれ、
嬉しいことに読書用に米国の雑誌12冊を持ってきてくれたのだ・・と、
U-62での19日間の捕虜生活を戦後、新聞に発表します。
本書にはこの時の2人の艦長の楽しげな写真と、12年後に英国で再会した2人の写真まで。

Louis_hashagen.jpg

戦争も後半、1917年になってくると、英国は対Uボート戦に様々な兵器を投入してきます。
特に防潜網と機雷で徹底的に封鎖された「ドーバー=カレー海峡」。
ココを突破するのは至難技で、詳細な図を用いて解説。実にわかりやすいですね。
第2次大戦のジブラルタル海峡よりも強烈なんじゃないでしょうか?

更に駆逐艦は体当り攻撃から、新たに開発した爆雷を用いた戦術に変化し、
特に太陽を背にした航空機攻撃なんて、この時代にあったことが驚きです。

first-world-war-centenary-ww-i.jpg

また、17世紀からの伝統的な「護送船団=コンボイ」との戦いも始まります。
23隻から成るコンボイを発見したU-62。
ところが攻撃のために浮上してみると、なんと船団の真っ只中・・。
すかさず汽船マドゥラ号を討ち取ると、英軍の注意は船団の外側に向かうのです。
翌日は1万3千㌧の巨大な仮装巡洋艦「オラマ号」を見事に仕留めて意気揚々。

Orama 1917.jpg

偶然から起こったこのような攻撃。
まさにクレッチマーらの実施した闇に乗じて船団内に潜り込み、
浮上したまま魚雷攻撃を仕掛ける・・といった戦術の元祖とも言えそうです。
いや、ひょっとしたらクレッチマーは本書を読んだのかも知れませんね。

それにしても巻頭に掲載されているハスハーゲン艦長、カッコイイですねぇ。
本文にも書かれていますが、袖の2本線は金色で大尉を現しています。
そして左胸にはお馴染み「一級鉄十字章」が・・。
この鉄十字章がドイツ軍の伝統的なものであることは御存じかと思いますが、
Uボートエースの喉元を飾る騎士十字章はヒトラーの発案であり、
第一次大戦当時、それに該当するのは「プール・ル・メリット章」です。

hashagen.jpg

ハスハーゲン自身はソレを受章していない代わりに、その他の勲章が妙に気になりますね。
ソコソコの勲章好きですが、第一次大戦当時のドイツはプロイセンやら、バイエルンなど、
地方によって勲章が存在し、コレがなかなかわかりにくいんです。
それでも、このポートレートとドイツ語サイトを手掛かりに、ちょっくら調べてみました。

まず「一級鉄十字章」の下に付けている同じような十字章。
コレはメクレンブルク・シュヴェリーン大公国の「戦功十字章」のようです。

Military Merit Cross (Mecklenburg-Schwerin).jpg

もうひとつ、ボタンに引っ掛けたリボンで吊るしている勲章はというと、
有名なUボートサイトによると、プロイセン王国の「ホーエンツォレルン家勲章」とされていますが、
形は似ているものの、別のサイトで受章したとされている「剣付き赤鷲勲章」だと思います。
まぁ、コレもプロイセンのものですが、二級鉄十字章のリボンを流用する決まりがあって、
第2次大戦の赤白と違い、当時は黒白のリボンですね。

Krönen Orden des Rotes Adler Ritter Klasse.jpg

戦争の最終年には大海原での戦いでもドイツは窮地に陥ります。
敵はあらゆる船舶の9割が武装、聴音装置まで発明してUボートが潜む海底をまさぐるのです。
戦果が減る一方、米国の建造ペースは上がり・・。
まるで1945年にも起こったことが既に1918年にも起きていたんですねぇ。

そんな状況下でもフランスの装甲巡洋艦デュプティ・トゥアールを撃沈して
U-62とUボート部隊の戦いは終焉を迎えるのでした。

Dupetit-thouars 1918.jpg

215ページですから、どれだけジックリ読んでも2日で読み終わってしまいましたが、
巻末の「訳者あとがき」では第1次大戦時のドイツ潜水艦戦について簡潔に書かれていて、
本文でも紹介された「Qシップ」による損害から、「無警告撃沈」作戦に移ったものの、
米国人の乗った客船を撃沈したことで、米政府からの抗議を受けて消極的になっていったなど、
著者が後半で無知な政治家による誤ったUボート運用を毒づいている理由が理解出来ました。

Crew-on-conning-tower-of-U62.jpg

ハスハーゲンは1905年に海軍兵学校に入校し、あのカナリス提督と同期の桜だそうです。
そして戦後、1931年に原著の初版が出版され、1941年に再刊、本書はその1941年版です。
日本でも愛國新聞社から当時、出版されたそうです。へ~、知らなかったなぁ。
タイトルも同じだったのなら、朝日ソノラマのほうがパクリになるでしょうね。
ちなみにその朝日ソノラマの方は小説だということもあって未読ですが、
もともと1975年に白金書房から出てるんですね。
「Uボート西へ」は同じですけど、副題の「総統命令=生存者を残すな」はちょっと酷いなぁ。。

Uボート西へ.jpg

興味深いのは1941年~42年、ハスハーゲンは少佐として
バルト海のUボート乗組員錬成部隊の指令を務めていたということです。
その時期に本書が再刊されたということは、まさに新米Uボート乗りたちへの
教材としての意味合いもあったのではないでしょうか??
また、プリーンやクレッチマーらの大エースたちも、1931年版を読んでいたんじゃ・・と思うと、
まさしく本書は「Uボート戦記の元祖」であるように感じました。

U-Boats Westward by Ernst Hashagen_1931.jpg

改めて巻頭を読み返してみると、「誰それに捧ぐ・・」っていう部分。
「家族を顧みなかった自分を恥じ、妻や子供などへ捧ぐ」っていうのが一般的ですが、
本書ではこのように捧げられていました。

忘れがたき往年のUボート部隊と
蘇った新生Uボート部隊に捧ぐ

だとすると、誰かに成りきって読むのが好きなヴィトゲンシュタインからしてみれば、
「鉄の棺」のヘルベルト・ヴェルナーや、「U‐ボート977」のハインツ・シェッファーらに
成りきって読むのが本書の正しい読み方のような気がしてきました。





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