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ベルリン攻防戦Ⅱ 激闘 東部戦線(4) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グランドパワー別冊の「ベルリン攻防戦Ⅱ 激闘 東部戦線(4)」を読破しました。

2000年に発行された162ページで、定価2350円の本書。
いま気が付きましたが、「ベルリン攻防戦 激闘 東部戦線(3)」が2001年の発行で、
発行順が逆転していました。
実は「東部戦線(3)」は、「増補改訂版」で、本書はそうじゃないということなんですね。
しかし改めて「ベルリン攻防戦」を楽しく勉強しているところなので、
そのままの勢いで行ってみましょう。

ベルリン攻防戦Ⅱ.jpg

巻頭は「第三帝国の崩壊・特選カラー写真集」として8ページ。
ドイツ軍捕虜の姿に、合流した米ソ将兵、ベルリンの廃墟といったカラー写真です。
その後、白黒写真の本文となりますが、24ページまでは戦略爆撃目標となったベルリンです。

Flakturm Humboldthain.jpg

ベルリンとハンブルクの高射砲塔の写真に、英空軍の夜間無差別爆撃の主役である、
ランカスター、ハリファックス、そしてモスキートといった爆撃機写真集。
米軍のB-17に、迎え撃つドイツ空軍の戦闘機も紹介します。
なかでもベルリンのフランス教会が被爆し、壮麗なドームが崩れ落ちる写真が良いですね。

Französischer Dom.jpg

続いては「鉄火のスチームローラー」。ソ連軍地上火砲の目標となったベルリンです。
T-34に始まり、KV-85、IS2重戦車、SU-76、SU-100といった自走砲に、
Yakや、Il-2といった航空機。
ここではソ連軍最大の野戦砲であったという「203㎜榴弾砲MB4」が印象的ですね。
キャタピラ付きなのに自走能力はなく、トラクターで牽引するそうですが、大迫力です。

direct-fire-203mm-soviet-wwii-urban-combat.gif

そしてベルリンへと肉薄するソ連軍写真集。
2ページぶち抜きの写真では、東プロイセンやポーランドで強制労働させられていた
フランス兵捕虜と民間人がソ連軍によって解放され、西の故国へ向かうべく
トリコロール国旗を掲げた馬車を先頭にIS2重戦車の横を進み、
それを茫然と見守るドイツ人避難民の姿・・。

Soviet tanks IS-2 and the column of the liberated French soldiers.jpg

その他、交差点でトーチカと化したパンターパンツァーファウストを担いだ国民突撃隊
市電の残骸でバリケードを構築する姿など、以前に紹介した写真も多いですね。
こうして53ページから「凄惨、史上最悪な市街戦」へと進みます。
大型榴弾砲だけでなく、いつものカチューシャ・ロケット。
噴き上がる火炎で発射位置がバレるため、米国製のスチュードベーカーに搭載して、 
すぐに移動するよう強く指導されていたそうです。

loading_Katyushas_1945.jpg

ドイツ軍抵抗拠点のビルに砲撃を浴びせるSU-76自走砲は良いアングルです。

samohodnoe_orudie_su-76_vedet_ulichnie_boi.jpg

ベルリンの中心部、アンハルター駅前広場には、88㎜高射砲やバリケード市電の残骸が散乱。

broken-german-88-mm-gun-Anhalter-platz-berlin-1945.jpg

ミュンヘベルク装甲師団が遺棄したケーニッヒスティーガーと思われる写真や、
武装SSノルトラントの有名な写真もありますが、一番、ビックリした写真はコレ・・、
「第1次大戦の老兵、英軍のマークⅣ戦車」です。
キャプションでは「どこでどう入手したかは分からないが、
これとぶつかったソ連兵は新兵器登場かと思ったろう」と書かれています。

Berlin1945iMkIV.jpg

このマークⅣ戦車についてはいろいろと調べてみました。別の写真もあったり・・。

berlin_1945_mk_iv.jpg

するとどうやら、第1次大戦の鹵獲戦車としてベルリンに運ばれ、
1919年の「スパルタクス団蜂起」で参戦しているようです。
その後は、ベルリンの博物館でず~と眠っていたところを起こされたって感じですね。
まさしく『戦車版国民突撃隊』と呼んでも差し支えないでしょう。しかも義勇兵・・。

The Spartacist uprising_Mk IV Tank in Berlin, 1919.jpg

75ページからは「栄光の勝者、敗者の屈辱」。
表紙の写真のようにブランデンブルク門を通ってウンター・デン・リンデンに入るIS2重戦車など、
ベルリンの象徴の無残な姿・・。

Brandenburg Gate 1945.jpg

そのブランデンブルク門に赤旗を掲げるソ連兵。
4頭の馬のうち、3頭が銃砲撃で倒れ、ねじ曲がっていたそうです。

Red banner on the Brandenburg Gate.jpg

有名な国会議事堂(ライヒスターク)に赤旗を掲げるソ連兵の写真も様々な角度で・・。
そして武装解除されるドイツ兵、国民突撃隊の老兵たち、ヒトラー・ユーゲントの少年。。

berlin-1945.jpg

そんな少年たちの運命は現場指揮官の自由裁量に任され、多くの場合、
「家に帰んな」の一言で解放された・・としています。良かったですね。
それにしても右端は女の子じゃないかなぁ??

Soviet Photo of Child Defenders of Berlin May 1945.jpg

ライプチヒ北東のトルガウで肩を組んで交歓する米軍第69歩兵師団と、
ソ連軍第58親衛狙撃師団。

us_soviet_troops_elbe.jpg

カイテルやヨードルが降伏文書に署名するシーン。
大量の瓦礫に立ち向かうベルリンの女性たち・・。
そんなベルリン市民たちに野戦炊事車で炊き出しを行うソ連軍。
疲弊しきったソ連国内から穀物10万㌧、ジャガイモ6万㌧を緊急輸送したそうで、
あたりまえですが、ベルリンのソ連兵全員が強姦魔ということはありません。

Soviet soldiers distributing hot food to Berlin women, 1945.jpg

こうして106ページで写真集は終わり、「ヒトラーの自決と帝都ベルリンの陥落」と題した、
文章中心の最終戦が最後まで続きます。
総統ブンカーでの様子は「ヒトラー 最期の12日間」や、「ヒトラー最期の日」、
ヒトラー最後の十日間」、「ヒットラーを焼いたのは俺だ」から抜粋した感じで進みます。
ヒトラーの遺体については、2000年にヒトラーのものとみられる頭蓋骨の一部を
モスクワの連邦公文書館が初公開したことが書かれていました。

skull_hitler.jpg

そんな話、あったっけ?? と調べてみると、2009年、米コネチカット大学の調査結果は、
「20~40歳の間の女性のもの」だそうな・・。実はエヴァだったりして。。



ソ連軍vsドイツ軍の攻防戦もかなり詳しいですね。
第1白ロシア方面軍などの作戦準備に始まり、各軍ごとの戦闘状況まで・・。
一方のドイツ軍はベルリン防衛の指揮官ヴァイトリンクの第56装甲軍団隷下まで細かく、
高射砲部隊、ラウヒ少将の第18装甲擲弾兵師団、モーンケSS少将の総統警護旅団、
武装SSシャルルマーニュなどの各兵力までを記載しています。
例えばヒトラー・ユーゲント突撃大隊なら、兵力約2000名といった具合です。
さらにミュンヘベルク装甲師団と武装SSノルトラントの奮戦も詳しく書かれています。

tigerⅡ berlin 1945.jpg

ヒトラーが自殺しようとしている4月30日に行われた国会議事堂争奪戦では、
正面玄関の大扉がレンガで補強されていて、爆破が失敗。
そこで203㎜榴弾砲を持ってきて、射距離ゼロで1mの大穴を開けてから突入。
立て籠もるSS部隊と手榴弾、銃剣による白兵戦を繰り広げます。
5月1日の朝、遂に白旗を掲げて、第150狙撃師団に降伏を申し出て、停戦となりますが、
その直後、約束を反故にして戦闘を再開、建物に放火して抵抗するSS部隊・・。

T-34 of 3rd Soviet tank army in Berlin and German captives.jpg

ここにはSS部隊の他に、ロストクの海軍兵学校から空輸されてきた
海軍小銃中隊も踏ん張っていたそうで、最終的に翌日降伏した時には、
死者・負傷者2500名、捕虜2604名を出したそうです。

berlin-1945-dead-german-soldier.jpeg

最後のオマケは独ソ両軍の戦闘序列を表にして掲載。
ソ連の各方面軍は4月16日現在の師団指揮官までわかる限り記載され、
ドイツ軍ベルリン防衛軍、ヴァイクセル/中央軍集団の戦闘序列も
4月30日現在として、戦闘団指揮官まで書かれています。たいしたもんだ。。

Berlin in Summer of 1945 (6).jpg

正直言って「激闘 東部戦線(3)」より断然、面白かったですねぇ。
あくまで個人的な興味がこちらの方が多かったという理由からですが・・。
この「激闘 東部戦線」シリーズは、「激闘 東部戦線(1)1941~43」と、
「激闘 東部戦線(2) 1943~45」が前2作としてありますから、一度、読んでみたいところです。
ただし、本書だけはamazonでも古書が手に入らないようで、
ヤフオクとか、一般の古書店で入手するしかないようです。
それにしてもベルリン最終戦はいろんな意味でドラマチックですね。






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ベルリン攻防戦 激闘 東部戦線(3) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グランドパワー別冊の「ベルリン攻防戦 激闘 東部戦線(3)」を読破しました。

過去に6冊紹介している「独ソ戦車戦シリーズ」の
「ベルリン大攻防戦: ソ連軍最精鋭がベルリンへ突入」を読みたいと思っていたところ、
先日の「第2次大戦 ドイツ武装親衛隊」と一緒に本棚から出てきました。
2001年に発行された188ページで、定価2350円。
たくさん掲載されている写真を見ているうちに結局、そのまま読破してしまいました。

ベルリン攻防戦.jpg

巻頭には「廃墟のベルリン・特選カラー写真集」として4ページ、15枚のカラー写真が・・。
しかし、ほとんどがフィルム映像のようで若干不鮮明ですね。
「ブランデンブルク門でイギリス勲章GCB(ナイト最高勲章)を授与されたジューコフ元帥」
も同様で、コレは「バス勲章」のナイト・グランド・クロスだと思いますが、
写真では赤の大綬が写っているだけ。。
モンティと一緒に写った綺麗な写真を見つけましたが、肘の下に勲章も見えます。

Monty_Zhukov.jpg

続いて「東部戦線ドイツ軍・特選カラー写真集」が8ページ。
1941年のバルバロッサからクルスク戦、1945年5月、チェコで武装解除されるドイツ軍・・、
といった写真です。このBlogに登場した写真も何枚かありますね。
こうして本文、1945年4月~の「ベルリン最終攻防戦」白黒写真集が始まります。
「オーデル川の前線を視察するハインリーチ上級大将」がいきなり登場。
これも「ヒトラー 最期の12日間」で使った写真ですね。
ハインリーチは久しぶりなので、カラー写真でも。。

Gotthard Heinrici & Heinrich von Vietinghoff.jpg

そんなドイツ軍の防衛の様子が4ページ紹介されると、
残りはほとんどが一方的に攻めるソ連軍です。
ジューコフの第1白ロシア方面軍の主力である第8親衛軍チュイコフに、
第2ウクライナ方面軍司令官のロコソフスキー
第1ウクライナ方面軍は司令官のコーネフ以外にも、その先鋒を務めたという
第3親衛戦車軍司令官のルイバルコ大将なども写真付きで紹介。

Pavel Rybalko.jpg

そしてベルリン近郊、さらにベルリン市内へ突入する強力なソ連軍部隊。
写真も鮮明なものが多いですし、キャプションもかなり詳細で、元はソ連側のものなんでしょう。
例えば下の写真なら、「1945年5月、国会議事堂を攻撃する第89重榴弾砲旅団の
M-1937型32口径152㎜重榴弾砲で、第1白ロシア方面軍第3打撃軍第79狙撃軍団の
重火力支援用に配属された、第1白ロシア方面軍第4突破砲兵軍団第12突破砲兵師団から
分遣されたもの」だということです。。「突破砲兵師団」て初めて聞きました・・。

russian-152-mm-gun-berlin-april-1945-ML-20.jpg

当然、カチューシャ・ロケットのキャプションも詳しく書かれ、
「132㎜ロケット弾の弾胴には『第3帝国をぶっ飛ばせ』と書かれている」。

loading_Katyushas_Berlin1945.jpg

また、戦車や自走砲もバンバン出てきます。
T-34は思ったより少なくて、目立つのは「ISU-122」、「ISU-152」といった重装甲自走砲。
ドイツ軍のティーガーやパンターを撃破したことから、「アニマルハンター」の綽名も。。

isu122berlinapr1945.jpg

他にも「SU-85」に、「SU-100」といった中装甲自走砲。
ちなみに表紙の写真は「ベルリン市街地に突入するIS2M型重戦車」で、
スターリン重戦車の後期型ですか。
この122mm砲の重戦車は各親衛重戦車連隊に配備されているそうですが、
連隊といっても5個中隊で、1個中隊は中隊本部と2個小隊から成り、
1個小隊は2両の重戦車を持っているだけ・・。
ですから、1個中隊は5両だけであり、連隊長車の1両を加えると26両という計算になりますが、
ココでは合計21両となっています。4個中隊の間違いなのかな??
いずれにしても戦車連隊で20両ちょっとというのは名前負けしてますね。

is-2-BrandenburgGateBerlin45.jpg

砲火の下、炎上するベルリン市街を逃げまどう婦人たちの写真に、
「短機関銃PPShを突きつけられ、引きずり出されたドイツ兵」の写真。

russian-soldier-pulls-out-german-from-amanhole-april-berlin-1945.jpg

58ページでソ連軍は勝利してしまい、
以前に「1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども」で紹介した、
市民のために食料の配布をする占領軍の写真に、

Red Army soldiers distributing bread to Berlin residents after Germany surrender in 1945.jpg

その一方、女性から自転車を強奪しようとするソ連兵の姿・・。

bicycle.jpg

63ページからは1944年1月~の「ソ連軍、ポーランド制圧」。
ドイツ軍のティーガーⅢ号突撃砲、ヘッツァーも申し訳程度に出てきますが、基本はソ連軍で、
「SU-122」とか、「SU-152」が登場しますが、細かいキャプションを読んでいると、
「SU」シリーズはKV(ヴォロシーロフ)戦車の車体、
「ISU」シリーズがIS(スターリン)戦車の車体であることが判ります。

German people watch helplessly as a Red Army tank trundles on a street in Konigsberg in 1945.jpg

その後はケーニヒスベルクでの戦闘写真、東ヨーロッパでの戦闘写真へと続きます。
下の写真は、第503重戦車大隊のティーガー231号車のそばで談話する、
SS第22義勇騎兵師団「マリア・テレジア」の機関銃弾薬手とハンガリー兵士だそうです。
やっぱりお互いハンガリー人なのかな??

SS Division grenadier talking with a Hungarian soldier in Budapest, October 1944. The King Tiger is from the schwere Panzer-Abteilung 503.jpg

チェコ解放の写真は多いですね。
面白いのは西側の亡命チェコスロバキア軍の旅団は「クロムウェル」で凱旋し、
東側の独立チェコスロヴバキア第1戦車旅団は第4ウクライナ方面軍に配属され、
鹵獲Ⅲ号突撃砲や、IS2M型重戦車でプラハでの勝利を祝っているところです。

IS-2m of the 1st Czechoslovak Army Corps, in Prague in May 1945.jpg

133ページからは、「東ヨーロッパ戦線(1945)」と題して、最後の5ヵ月間を解説します。
ヴィスワ河橋頭堡の攻防戦に始まり、東プロイセン、オーデル河、ハンガリー戦区
シュテッティン橋頭堡、キュストリン橋頭堡、そして首都ベルリン制圧作戦と、
攻撃側のソ連軍を中心に1ページ1枚程度の写真と戦況図を掲載しながら進みます。
50ページ以上ありますから、コレはちょっとした最終戦本を読んでいる感じですね。
それどころか、こんなに細かく書かれた戦記なんてあったかな。。

T-34-85 of Soviet 7th Guards tank corps in 1945.jpg

なかなかマニアックな一冊で、買った当時に読んでいても理解できなかったんでしょう。。
でも今回はソコソコ楽しめました。
特にソ連戦車と自走砲はこれだけ出てくれば、中盤以降になると
車種が即答できるようになったりして、身になりましたねぇ。
続編の「ベルリン攻防戦Ⅱ 激闘 東部戦線(4)」もありますので、続けて読んでみます。




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第二次世界大戦下のヨーロッパ [第三帝国と日本人]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

笹本 駿二 著の「第二次世界大戦下のヨーロッパ」を読破しました。

1月の「ベルリン戦争」を楽しんだ勢いで購入した本書は、1938年から日本公使館員として、
その後、朝日新聞特派員としてヨーロッパ各国に滞在した著者によるもので、
1970年の岩波新書、220ページとコンパクトな一冊です。
経歴だけを見れば、外交官の著者による「第二次大戦下ベルリン最後の日」と、
朝日新聞特派員の著者による「最後の特派員」を連想しますね。

第二次世界大戦下のヨーロッパ.jpg

まずは1939年9月1日、ドイツ軍によるポーランド侵攻からです。
このようなタイトルの本で、一行目からこの日というのは好感が持てますね。
しかし本書でのポイントは、「ドイツが攻め込めば必ず助ける」と約束して、
ポーランドをけしかけてドイツに挑戦させておきながら見殺しにした英仏首脳です。

Poland, September 1939, German motorized units on their way to the front..jpg

チャーチルの回顧録から抜粋して、「ガムラン将軍だけを責めることは出来ない」などと、
よそ事のような言葉で誤魔化そうとしている・・とし、
2か月半前にパリで行われた「英仏作戦会議」ですでに、
「戦争の初めにおいてポーランドを助けることは出来ず、
ポーランドの運命を決めるのは戦争が終結した後のことである」と決定されていたとします。
このことを知っていたら、ダンツィヒ問題などでドイツにあれほど強く抵抗するほど
「ポーランドも馬鹿ではなかっただろう」。

先日、ダンツィヒ問題と現在のクリミア問題が似ている・・と書きましたが、
米国とEUはウクライナの為に、戦争出来るんでしょうか??

Gamelin Churchill.jpg

この戦争が始まった同じ日に、著者の滞在するスイスでも総動員が行われ、
総人口の1割以上の43万人が招集。
中立国であるものの、万一攻め込まれれば、断乎として戦うという決意です。
また、ワルシャワから逃げ出してきたS大使は、ワルシャワ爆撃の酷さ、
そして「ヒトラーのゴロツキの奴、あいつは必ずこの戦争で滅びるのさ」と憎しみを持って、
著者の聞く、「ヒトラー没落説」第1号を語るのでした。

Germans prepare for a victory parade in Warsaw 1939.jpg

翌年のフランス敗戦をマンシュタイン・プランなどにも触れながら紹介し、
その後、11月にモロトフを招いて行われた独ソ首脳会談をかなり詳しく解説します。
特に日独伊の三国同盟に、ソ連を加えた「四国同盟の草案」の件で、
「ドイツの仲介努力によって日ソ関係が最近改善し、日支関係については、
その解決を助けることは独ソの任務だが、支那の名誉を保つ解決でなければ・・」
と語るモロトフ。
帰国後にヒトラーヘの回答として、フィンランドとブルガリア問題の他、
「日本は北樺太の石炭、石油利権を放棄する」というスターリンの条件提示が印象的でした。
このあたりは日本人著者ならでは・・でしょうかね。

ヒトラーとしてはベルリンでのモロトフの強情で傲慢な態度に憤慨したこともあって、
バルバロッサ」への決意を固めるわけですが、
スターリンは「三国同盟の仲間入りを高い値段で売りつけることができる」とばかりに、
交渉と宥和を駆使し続けた結果、大きな痛手を被ったとします。

Molotov hitler.jpg

1941年3月に「ヒトラーさん、リッベントロップさんとお互い顔も知らないではお話にならぬ」
と言ってやってきた松岡外相はヒトラーと2回、リッベントロップと3回会談しますが、
ドイツ側が示唆した「独ソ衝突の可能性」を無視して「日ソ中立条約」を調印し、
帰国後はその件を閣議に報告せず、独ソ開戦の噂も否定したとして、
ヒトラー・松岡会談議事録の「日本では機密がすぐに漏れるのです」などといった、
自国のアラやボロを暴き立てる無神経ぶりに著者は「甚だしく不見識」と厳しい判定。。

hitler matsuoka ooshima.jpg

フランスの敗戦後にスイスのベルンから、ハンガリーのブダペストに移っていた著者。
4月上旬、突然ドイツ軍が現れ、南へと走り去っていきます。
ユーゴスラヴィアへの攻撃など知らなかったブダペスト市民は肝をつぶしますが、
翌日にリベラルな政治家であったテレキー首相が自殺して、さらなる衝撃を味わいます。

これは4ヵ月前にユーゴと友好条約を結んだばかりであるにもかかわらず、
枢軸の加盟国としてドイツに協力する義務を負い、そのユーゴ撃滅の為に
ハンガリー国内の通過と軍事行動の要請をヒトラーから受ける一方、
英国からは「ドイツのユーゴ攻撃に味方するならば、ハンガリーに宣戦する」
という脅迫を受けていたのです。

Teleki_Hitler 1940-11-20.jpg

ソ連に対するドイツ軍の攻撃はモスクワ前面で行き詰まったころと時を同じくして、
日本軍の真珠湾攻撃が・・。
ソ連の参戦で「これで勝った」と喜んでいたチャーチルは、再び「これで我々は勝った」と大喜び。
日本の大戦果を知ったヒトラーも米国に対して宣戦布告。
ブダペストでは「枢軸側の最後の勝利をもたらすのは、ドイツではなく日本である」と、
日本の陸軍武官は一躍、ブダペスト社交界のスターに・・。

朝日新聞のバルカン特派員となった著者は、1942年の「ブラウ作戦」に従軍します。
ポーランドのルジェフではゲットーのユダヤ人の姿にショックを受け、
廃墟と化したキエフを通って、6月26日に終点のクルスクへ・・。

Hunarian-2nd-Army-1942.jpg

堂々としたハンガリー軍総司令官ヤーニー大将が語るところによれば、
「ロシアから石油地帯を奪い取ること、これが最大の目標です。
これに成功すれば今度の攻勢は目標を達成する」。
ふ~ん。ハンガリー軍でもドイツ軍からキチンと説明は受けていたんですね。

Model_Gusztáv Jány.jpg

28日に始まった「ブラウ作戦」では、敵の迫撃砲にあわや・・という著者の戦記。
ドイツ軍とハンガリー軍の将校で満員の宿泊所では、
「7月中にはスターリングラード落としてみせる」と鼻息高いドイツ軍将校と相部屋になり、
なかには「スターリングラードまで一緒に来ないか」と真面目に誘ってくる将校も。。

Panzer IV in front of damaged church. Near Stalingrad, September, 1942..jpg

しかしヴォロネジの町が燃えているのを見届けて東部戦線に別れを告げた著者。
客として好遇してくれたハンガリー軍は、スターリングラードの激戦の末、
ドン河のほとりで雪と氷の中に消え、ヤーニー大将は戦後、銃殺刑に処せられるのでした。

Gusztáv Jány_Gusztáv Jány Hungarian Second Army.jpg

ルーマニア、ブルガリア、ユーゴ、そしてトルコを周って、1943年にはパリを訪れます。
パリ見物のために自動車と案内人を付けてくれる親切なドイツ占領軍。
シトロエン自動車工場の労働者も、被服廟の女工さんたちも、案外陽気に働いていますが、
消極的なサボタージュは大っぴらで、これにはドイツ軍も手を焼いているそうな。。
混乱と反発を恐れて、東欧でやっているような厳しい強制労働は出来ないのです。

paris-Musique militaire 1943.jpg

10月にベルリンへと入りますが、朝日新聞支局があるホテル・カイザーホーフが
大空襲によって1週間後に焼け落ちてしまいます。
宣伝省はすぐさまホテル・エクセルシオールを世話してくれたものの、
2ヵ月後にはこちらも焼けて、ホテル・エスプラナードへ・・。
しかし食料や衣料の配給切符もドイツ人の10数倍という高待遇ですから、
日常生活に不便さはありません。

kaiserhof_1943.jpg

1944年にはノルマンディに連合軍が上陸し、報復兵器も登場。
7月20日の夕方、ホテルの事務所でボンヤリしていると、
周囲のただならぬ様子に何かが起こったと気が付きますが、
近所の陸軍省やゲッベルス邸が舞台となって、ヒトラー暗殺未遂の大事件と、
シュタウフェンベルクらの反乱が鎮圧されたことを夜になって知るのでした。

1944.7.20_Berlin, Bendlerstraße, Waffen-SS-Männer_Otto Skorzeny.jpg

ベルリンから姿を消したユダヤ人の問題については、
想像を絶した恐ろしい話が伝わってきてはいて、多くのドイツ人も知っていたと・・。
「我々は何も知らなかった」という主張を無条件に認めるわけにはいかないとしながらも、
「あの時のドイツ人には何の術もなかった」ことも認めてやらねば・・としています。

berliners_bus_stop_1945.jpg

アルデンヌ攻勢が起こった12月、著者はスイスへと戻ります。
最後に連合国三国首脳の「ヤルタ会談」を詳しく取り上げ、
ベルリンを目前として余裕しゃくしゃくのスターリンに対し、
ドイツを倒したあと、18ヶ月は続くと想定される対日戦で本土上陸をやれば、
50万人の死傷者を出すと計算し、満州の関東軍を掃討するためにも
ソ連の対日参戦がどうしても必要だとするルーズヴェルト

そして70歳のチャーチル、65歳のスターリン、62歳のルーズヴェルトが
奇妙なことに若い順で死んでいったことを挙げ、
もしこの順番が逆でルーズヴェルトがもっと長生きしてくれたら、
強硬な反共論者のトルーマンが大統領になることもなかったし、
反共の総大将であり、冷戦の巨魁であるチャーチルが米国中を歩き回って
「赤禍論」をぶち歩くことを許さなかっただろう・・と熱く語ります。
著者はチャーチル大嫌いみたいですね。
それにしてもルーズヴェルトでも「原爆」使ったのかなぁ??

Yalta Conference 1945.jpg

このように本書は、まず戦争の政治的背景の説明、大きな戦局の推移がメインで、
そこに当時の著者の体験談がプラスされるという展開です。
しかし政治的背景は日本人らしい視点が独特で、思わず、なるほど・・と頷く部分もありましたし、
体験記としてはちょっと物足りなかったものの、ハンガリー軍が大収穫でした。
このボリュームとしては、うまくまとめられた一冊だと思います。
ちょうど1年前に出たハードカバー 536ページの大作、
「不必要だった二つの大戦: チャーチルとヒトラー」も読んでみたくなりました。



そういえばお正月にwowowで放映された映画「カサブランカ」。
ハンフリー・ボガートの「君の瞳に乾杯」で有名な、アカデミー作品賞も獲った映画ですが、
1942年に公開された米国プロパガンダ映画という話もあって、初めて観てみました。
ラストシーンは幾度もTVで見ているので、わかった気になってパスしていたんですね。

casablanca-poster.jpg

舞台となるのは北アフリカのフランス領モロッコのカサブランカ。
ドイツ軍の電撃戦に敗れたフランスは本国の南部を含めて、
ナチス・ドイツの傀儡政権である「ヴィシー政府」の管轄となっており、
ここカサブランカにも中立国のポルトガルから米国へ亡命しようと、多くの人が集まっています。
そんな不思議な賑わいを見せる街で酒場を営む米国人がハンフリー・ボガートです。

ドイツ人のクーリエが殺された事件を調査するためにやって来たドイツ軍一行。
責任者のドイツ空軍の少佐の名前はハインリヒ・シュトラッサーです。
ヒムラーとグレゴールを足したような、いかにもナチって名前ですね。

Conrad Veidt as Major Heinrich Strasser.jpg

クロード・レインズ扮する現地の警察署長はそんなドイツ人に媚を売るフランス人。
米国人のボギーともなかなかの付き合いです。

Claude Rains as Captain Louis Renault.jpeg

そこへやって来たのが陥落したパリで姿を消した元恋人のイングリッド・バーグマンです。
オスロ出身のイルザって名前なので、ノルウェー人役かな??
いや~、それにしても綺麗だなぁ。今まで観た彼女の映画で一番です。
吉永小百合と江角マキコ足して、スウェーデン人にしたみたい・・。

Ingrid Bergman as Ilsa Lund.jpg

そして彼女の連れが実は旦那さんであり、チェコ人のレジスタンスの大物で、
自由フランスと連携しており、ドイツ軍に狙われてボギーに亡命の手助けを頼むのです。

Paul Henreid as Victor Laszlo.jpg

と、ザックリこんな感じのストーリーですが、
シュトラッサー少佐に一生懸命話しかけるも無視されるイタリア軍将校やら、
ボギーの店で愛国歌を大声で唄うドイツ人に反発して、全員でフランス国歌を唄うシーンなど、
普通に観ていても各国の関係は楽しめます。

しかし前半から「俺は中立だよ」と語るボギーの台詞などを注意していると、
彼らがその国を代表していることに気が付くのです。
すなわちボギーはまだドイツと戦っていない米国、ルーズヴェルトであり、
バーグマンはロンドンへ亡命したノルウェー国王・・というより、米国に助けを求めるチャーチル。
そのレジスタンスの旦那ヴィクトルは、もろにドゴールであり、
フランス人警察署長はペタン元帥なわけです。
ボギーに助けを求めるブルガリア難民の若い奥さんなんかも、
まさに大国に挟まれて苦悩するヨーロッパの小国そのもの・・。

Joy Page as Annina Brandel, the young Bulgarian refugee.jpg

イタリア人の悪徳事業家フェラーリは最後にボギーの店を買ってあげたりして、
なんとなく、シチリア上陸の「ハスキー作戦」に協力したと云われる、
ラッキー・ルチアーノなどの米本土のイタリアン・マフィアにも思えました。

Sydney Greenstreet as Signor Ferrari.jpg

そしてラストシーンでバーグマン夫妻を無事、飛行機に乗せて、
ナチスの化身、シュトラッサーを撃ち殺す米国人のボギー。
フランス人警察署長は「ヴィシーの水」と書かれたボトルをごみ箱に捨て、
ボギーと一緒に闘うことを誓ったかのように2人で歩き去っていきます。

casablanca last scene.jpg

この映画が製作されていたのが1942年というのも興味深いですが、
米国で公開されたのがその年の11月26日。
まさにこの時、モロッコを含む北アフリカ上陸の「トーチ作戦」が行われていたんですね。
そして年明けの1943年1月14日には連合軍首脳による「カサブランカ会談」が開かれるのです。

Casablanca Conference.jpg

まぁ10年前だったら、戦時中を舞台にしたキザなラブ・ストーリーとしか思わなかったかも・・。
よく、「『カサブランカ』ってそんな名作か??」って話も聞きますが、
このような当時の世界情勢と、ラブ・ストーリーのなかに織り込まれたプロパガンダを理解し、
その時代に並行して公開されたことを知ったうえで評価するべきでしょう。

それにしてもボギーをルーズヴェルト、バーグマンがチャーチルと考えてから、
愛し合う2人の写真を見ると、ちょっと気持ち悪くなってしまいました。。おぇっ!

Bogart and Bergman.jpg






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戦時広告図鑑 -慰問袋の中身はナニ?- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

町田 忍 著の「戦時広告図鑑」を読破しました。

去年の6月に「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」という本を紹介していますが、
1997年、219ページ本書も同じく、戦時中の広告を集めた一冊です。
大きな違いといえば、アチラが雑誌広告が対象だったのに対して、
コチラは新聞広告であり、その数、500点。
また、第2次大戦だけでなく、日清戦争、日露戦争時の広告にも触れられているということで、
このような広告は、銃後の世界が垣間見えるので、大好きですね。

戦時広告図鑑.jpg

まずは「日清戦争」の広告が8ページほど。
明治28年には、陸軍軍医推薦の「印度 大麻煙草」がいきなり登場します。
大麻っていつまで合法だったんだっけなぁ??

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日露戦争だと明治38年の高野鐡道が「汽車賃全線六銭以上なし」とアピールしますが、
コレは「露苦戦(六銭)」のシャレになってるんですね。
「酒」の項ではそんな日露戦争時の新聞に掲載されていた酒にまつわる話を紹介しています。

ロシア軍が退去した後の人家で水瓶を見つけて、垢流しをしようと飛び込んだ将校。
「アッ」と叫んで飛び出したので、兵士が「どうなさいました」と言うと、
「イャどうも失敬失敬、水だと思ったら焼酎ぢゃった。
こうと知っていたら、入らないうちに飲むのであったのに、残念なことをした。
実はインキン・タムシへ浸みて痛かったので焼酎ということが判った」。
「オイオイ汚い、それでは飲めない」という兵士があると、
「ナニ、かまふものか、タムシが伝染する気遣いはないから、飲め飲め」と両手ですくったり、
水瓶の中へ首を入れてズーズーすする人もありまするし・・。

japan_russia.jpg

他にも「斜面に散乱している両軍将校の屍を収容しよう」と休戦の約束がなされ、
ロシア軍の塹壕近くにあった多くの日本兵の屍をロシア兵が運んでくると、
両軍の将校たちは歓談し、酒杯を交わし、肩を叩きあいながら奮戦ぶりを称え、
旅順は陥落しない」と言うロシア人将校と、「否、必ず攻め落としてみせる」と言う日本人将校。
約束の時間になると、一人一人握手を交わし、今後の健闘を誓い合って別れていった・・と、
面白い話ですね。「戦場のクリスマス」を思い出しました。

nichiro_kanpai.jpg

あっと言う間に昭和に入り、「銃」や「飛行機」といったテーマごとに広告が。
昭和13年9月には艦爆5機による「海軍機編隊急降下爆撃戦闘公開」なんてのも出てきました。

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「慰問袋」には仁丹とメンソレータムの広告が数多く、
正露丸は以前に、ロシアに勝ったから「征露丸」、戦後に「正露丸」になったと書きましたが、
実は最高裁判決で「一般的普通名詞とみなす」となって、いろんな会社が作っているそうです。
そして現在でも「征露丸」を販売する会社も存在しているのでした。
ロシア嫌いでお腹の弱い方は、コレを買いましょう。

seirogan_正露丸_征露丸.jpg

「果てしなき中・南支の湿地帯を征く皇軍将兵の足を悩ますのは大陸独特の頑固な水虫だ」。
というわけで、「水虫と兵隊」がキャッチコピーの「ポンホリン」。
慰問袋に入れましょう・・ということですね。

ポンホリン.jpg

空爆にキャラメル持って!」は森永ミルクキャラメルです。
「わが荒鷲部隊は、爆撃に行く時に、必ずキャラメルを持って行く。
機上では一番の、楽しい御馳走だ。慰問袋に感謝する!」
う~ん。商売は薬もお菓子も「慰問袋」に絡めた広告じゃないと厳しい時代なんですね。

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同じ森永ミルクキャラメルでは、「ドイツ・イタリーへ送る親善図画。四百万枚突破!」。
「親善図画の募集は6月末日を以て〆切りましたところ、別記の通り、
空前にして恐らくは絶後であらうと云われる膨大な・・」。

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コレは一体なんだろう??と調べてみると、良くできた作品は独伊に親善として送るというもので、
非売品のスパイラル綴じのものや、絵葉書などが出回っていて、
古書店でも10数万円で売っていました。

nichidukuita.jpg

映画」についても、当時のプロパガンダとしての映画論が書かれていて勉強になりますね。
映画広告も「チョコレートと兵隊」やら、「潜水艦第1号」など、
ちょっと観てみたい作品も紹介されています。

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「音楽」では、「造船音頭」はまだしも、ニッチクレコードの「陸軍現用機爆音集」が凄い。
コレはいわゆるテッチャンが列車の音を録音して聞いたりするのと同じ感覚なんでしょうか??

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そして良く知られた決戦の歌、「進め一億火の玉だ」を聴いてみました。
戦後のバージョンをちょっと紹介してみますが、オリジナルは最後に
「一億!どおんと行くぞお~!」と絶叫のセリフが入ってて怖い怖い。。
片面の「頑張りどころだ」という若干弱気なタイトルが何とも言えません。。

一億.jpg



途中、「大東亜の建築」として、1920年代後半から10年間に集中した
「帝冠様式」と呼ばれる、洋風ビルに日本風屋根の建築物を紹介。
上野の「国立博物館」はもともとは明治時代にコンドルの設計で建てられますが、

1881_上野博物館遠景之図 J.コンドル筆 明治時代.jpg

関東大震災で本館が大破して、使用不能に・・。

1923.jpg

そして昭和12(1937)年、復興本館がコンペによって選ばれますが、募集規定には、
「日本趣味ヲ基調トスルコト」と書かれており、現在の姿になるのでした。

TOKYO National Museum.jpg

本書では昭和9(1934)年建設された「九段会館(旧軍人会館)」も写真で紹介。
確かにココも好きな雰囲気なんですよねぇ。

Kudan_Hall.jpg

阪急西宮球場では「国防科学博」の閉場が迫っています。
武装落下傘降下実演」と、「新鋭戦車より火焔放射実演」とスリル満点。
その他、豆戦車無線操縦に、なぜか漫才、奇術も。。やっぱり関西だから??

灯火管制用電球」はまるでスポットライトですね。

灯火管制用電球 matsuda.jpg

戦時下の国民生活では、昭和20年7月に新聞に掲載された「排尿から食塩が取れる」方法。。
「製法は簡単。尿をすのこ屑に吸収させ天日で乾燥した後、不燃性の容器に入れて燃焼し、
有機物を炭化させ、少量の水を加え、再びこれを普通の製塩法のように天日・・・」って、
全然簡単じゃありません。。ともかく場合によっては淡黄色を帯びたこの食塩が、
この方法で一人一年五キログラム作れるそうです。

まぁ、冗談みたいな話ですが、こういうのを真剣に考えてしまう悪い癖があります。
作り方はわかっても、イザ実行に移そうとすればいろいろ問題があり、
例えば、オシッコは尿瓶にして溜めとくか、母さんと姉さんのも使うのか・・とか、
その場合フレンドはしないで、母さんのやつは母さん用の塩にするのか・・とか、
何日分くらい溜めてから作業をするのか、当時は冷蔵庫もないし、夏は早く傷むのか・・とか。。

yellow salt.jpg

国民服」は国防色で背広型の甲号と、詰襟制服型の乙号(青少年用)の2種類。
一応、陸軍被服協会が公募によるデザインを参考に制定したとされていますが、
本書では、当初からデザインは決まっていたと推測しています。
昭和15年の「主婦の友 付録」にも国民服の作り方が・・。 

主婦の友 昭和15年.jpg

ナショナルは「ラヂオ普及率 世界第29位で満足すべきか・・」と挑戦的。
386万、53人に一台の普及率で、盟友ドイツが1000万の聴取者を動員して
大ドイツ帝国の建設に・・と、謳っています。
またゲッベルスの顔写真付きで「ドイツのラヂオ政策」を紹介したり・・。

ドイツのラヂオ政策.jpg

このようなドイツとの比較では、「ヒットラー・ユーゲントを見て、明日のドイツの輝かしさを思う
という「講談社」の広告もありました。
やっぱり彼らの来日はインパクトがあったんでしょうね。
それにしても、ラジオなのに「テレビアン」とはコレ如何に。。

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昭和12年当時、全国には3つの婦人団体があったという話は一番、面白かったですね。
陸軍省下の「大日本国防婦人会」、
内務省下の「愛国婦人会」、
文部省下の「大日本連合婦人会」です。

Dainihonkokubouhujinkai_1.jpg

いずれも目的はほとんど同じで、防空訓練、慰問品募集、傷病軍人や遺族の支援、
国防献金推進運動などですが、それぞれの勢力拡大のためにトラブルも多くなり、
戦争も泥沼化してきて昭和17年に統合され、「大日本婦人会」が発足したそうです。

各婦人団体の会員章がイラストで掲載されていたりと、
こういうのは大好きなので、いろいろと調べてしまいました。
大日本国防婦人会の会員章は色違いがあるんですが、残念ながら詳しいことは不明。。

Dainihonkokubouhujinkai.jpg

愛国婦人会は形は一緒ですが、コレは特別有功章です。

愛国婦人会特別有功章.jpg

愛国婦人会の「処女団」の会員章。
要は「未婚」女性という意味でしょう。婦人=「女性」ということかな??  
未婚=「処女」って、アイドル・オタクの妄想みたいですが、当時はそんな感じなんでしょう。

愛国婦人会「処女団」.jpg

大日本連合婦人会はこんな感じ。

大日本聯合婦人会之章.jpg

そして統合された大日本婦人会。
戦争末期の物資不足なのか、素材もちゃっちくなった気がしますね。

Dainihonhujinkai.jpg

このような当時の女性たちの生活そのものに、とても興味があるんですが、
ニセドイツ」の共産趣味インターナショナルVOL4が近々、出るようです。
『共産主婦―東側諸国のレトロ家庭用品と女性たちの一日』というこの本は、
旧共産圏、東ドイツ・ソ連・ポーランド・ハンガリー・チェコスロバキア・ルーマニア・ブルガリアの
主婦がどういう生活を送っていたか、当時の雑貨と、各国を代表するドールを用いて、再現・・、
という内容だそうで、オールカラーで実に楽しそうです。ただ、発売日が不明なり。。

共産主婦.jpg

戦時中の広告で面白いのは、どんなメーカーでも商品を沢山売りたいわけですが、
国策として節約を奨励しているため、その線に沿ったキャッチコピーに苦慮していることです。
他国と比較してみたり、慰問袋に入れると兵隊さんが喜ぶよ・・といった具合ですね。

実は「独破戦線」で密かな人気を誇る、「嘘八百 -明治大正昭和変態広告大全-」や、
資料が語る戦時下の暮らし -太平洋戦争下の日本:昭和16年~20年-」、
戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」といった日本の銃後生活や広告もの。
次は「世情を映す昭和のポスター -ポスターに見る戦中・戦後の日本-」を読んでみる予定です。








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第2次大戦 ドイツ武装親衛隊 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グランドパワー別冊の「ドイツ武装親衛隊」を再度、読破しました。

去年に2冊紹介したグランドパワー別冊の「ドイツ海軍 Uボート」。
本棚を整理していたら8年ほど前に購入した同じくグランドパワー別冊の本書が出てきました。
1996年に出版された160ページ、定価2350円のデルタ出版です。
もう内容はまったく覚えていませんし、
スッカリ武装SSに飢えていますので、気晴らしに楽しんでみましょう。

第2次大戦 ドイツ武装親衛隊.jpg

表紙をめくると、いきなり有名な「ヴィットマン・クルー」の写真がお出迎え・・。
それから8ページは「武装親衛隊カラー・アルバム」です。
そしてベルヒテスガーデンのゼップ・ディートリッヒ。

SS-General-Sepp-Dietrich-leader-of-hitlers-leibstandarte.jpg

SS騎兵旅団など、ココで過去に紹介した写真の他、ポリツァイ師団、
コサック騎兵師団や、砲撃訓練に励む、ムスリムの「ハントシャール」のカラー写真など・・。

Waffen SS Handshar Division troops firing an artillery piece.jpg

本文の100ページは白黒の「武装親衛隊写真集」です。
まずはポーランド戦の勝利を労うヒトラーが固く握手するヘルメット姿のゼップと、
それを見つめるマックス・ヴュンシェ

Hitler Sepp Dietrich Max Wünsche _poland 1939.jpg

続いては1930年代のライプシュタンダルテの写真が中心です。
1934年2月の第1中隊はフリッツ・ヴィットSS中尉がボスですね。
上段、真ん中からチョイ左 ↓ の将校帽がヴィットです。

waffen ss-1st_company_of_the_lah_in_juterbog__feb_1934._fritz_witt.jpg

「将軍と将校たち」では、ロンメルと談笑するゼップも良いですが、
降下猟兵の大御所マインドルパウル・ハウサーの写真もナイスですね~。
本書には掲載されているものではありませんが、
ハウサー、ロンメル、マインドルのスリーショットはこんな感じ。同じときの写真かな??
いや~、こんな3人が前から歩いてきたら、反射的に直立不動。。漏らすかも・・。

Paul Hausser, Rommel Eugen Meindl  St. Lo 1944.jpg

プリンツ・オイゲン」師団長のアルトゥール・フェルプスの写真は2枚。
ルーマニア軍の将軍から武装SSに転身したという変わり種の人で、
めでたく独破戦線初登場となりました。

Otto Kumm _Artur Phleps_Erich Eberhardt Prinz Eugen.jpg

その他、有名な武装SSの将軍が目白押しです。
シュタイナーギレビットリッヒクリューガークムフェーゲライン・・。
「眼つきが妖しい・・」とキャプションに書かれているのは、ディルレヴァンガーです。
ただ、1936年、ダッハウ強制収容所を視察したロベルト・ライと、アイケの写真ですが、
アイケとされているのはSS少佐ですし、別人でしょう。
本書のとは違う別の写真では ↓ 確かにアイケがいるんですけどね。

Theodore_Eicke_with_Robert_Ley_during_Dachau_insp_1936.jpg

「闘う兵士たち」ではティーガー戦車の砲塔内の写真が良い感じです。
また「ヒトラーユーゲント」師団のオートバイ隊と書かれている下の写真ですが、
コレも1940年の西部戦線という説もある有名な写真です。
ただし、「兵士たちのゴーグルの形状が皆違うのが面白い」というキャプションは
そのとおりですね。

WaffenSS-West.jpg

Kar98K小銃を構えて歩哨に立つ"ダス・ライヒ"師団の兵士」。
1942年夏のロシアなので、藁の下は裸と推測しています。フルちんかな??

Waffen-SS 1942.jpg

「ポーランド・バルカン・イタリア」では、「カマ(クロアチア第2)」という珍しい写真が・・。
しかし写っている氏名不詳の将軍がカール=グスタフ・ザウバーツヴァイクに似ているので、
「ハントシャール(クロアチア第1)」かも知れません。

handschar_Karl-Gustav Sauberzweig.jpg

「西部戦線」では、パリの凱旋門付近を走るパンターに、SS重戦車大隊のティーガー
そして「バルジの戦い」での写真です。
「東部戦線」ではハリコフの戦いクルスクの戦い、有名な写真も多いですね。
「捕虜・負傷・戦死」では、ヒトラーユーゲント師団の若い兵士たちの姿・・。

12th_SS_troops_captured-surrender_to_Canadians,_Normandy_1944.jpg

「武装親衛隊の小火器」。
MG34機銃から、対戦車地雷の設置まで。
ルガーP08ワルサーP38の他に、モーゼルC96も出てきました。

Mauser C96 Waffen-SS.jpg

あ~、コレは久しぶりに見ました。木製ストックが付けられた写真も掲載されていて、
子供の頃、憧れたもんです。。超合金の合体するヤツとか好きだったし。。

C96SCHEL.jpg

「武装親衛隊の戦車」は、ロシア南部と思われるヤークトパンターがまず出てきますが、
ホントに武装SSのヤークトパンターなのかは疑問です。
それから騎馬兵から書類をもらうナースホルン、いいアングルですね。

A Rider Delivers Mail to Nashorn Crew.jpg

「武装親衛隊の求人ポスター」も10枚ありました。
ノルウェー向けや、ドイツの若者向けなど、いくつかは紹介しているものですが、
オランダ向けのポスターのオジさんは、著名なパウル・クルーガーという人物だそうで、
調べてみると、南アフリカ、トランスヴァール共和国の初代大統領として、
英国相手にしたボーア戦争の英雄のようです。

DUTCH SS POSTER.jpg

109ページからは文章を中心とした「武装親衛隊の歴史」です。
アルゲマイネ(一般)SSの誕生から、SA、レームの粛清「長いナイフの夜」、
そしてヒトラーの護衛部隊としての「ライプシュタンダルテ」と、
SS-VTの「ドイッチュラント」、「ゲルマニア」、「デア・フューラー」連隊。
前者はヒトラーとゼップ・ディートリッヒとの友情が、SS内でも独立的な地位を可能とし、
SS全国指導者であるヒムラーも戦前に、こう語っていたそうです。
「ライプシュタンダルテは治外法権である」。

SS Leibstandarte .jpg

そして陸軍バリの訓練を受けるSS-VTもパウル・ハウサーに仕切られ、
手出しの出来ないヒムラー・・。
そこで強制収容所部隊である、テオドール・アイケの「髑髏部隊」を
自分を目立たせるための戦闘部隊として訓練させ、前線に投入。
このようにシンプルながら面白い解説が続きますが、
誤植というか、誤字が多いのがイタイですね。
例えば、いきなり「セオドア・マイケ」って人が出てくると厳しいです。。

Heinrich_Himmler_und_Theodor_Eicke.jpg

フェリックス・シュタイナーも度々、「スタイナー」になりますし、
ベオグラードに突入したフリッツ・クリンゲンベルクに至っては、
「クリンゲルベルク」だったり、「クリンゲン・ベルク」と、残念ながら全て不正解。。
フォン・ファルケンホルスト将軍も「フォン・ファルケン・ホルスト」になったり、
余計な区切りが笑えます。

Heinz Lammerding,  Fritz Klingerberg,.jpg

騎士十字章受章者も詳しく書かれているのは良いんですが、
クルト・マイヤー・・・最終経歴:SS旅団指揮官兼武装SS少尉(HJ師団長で柏葉)
とか、少尉で師団長はないだろう・・ってトコですね。

SS Obersturmbannführer Kurt Meyer.jpg

まぁ、それでも40ページほど、写真も1ベージに1枚以上掲載しながら、
この複雑な武装SS興亡史をうまくまとめていると思います。
1944年~1945年の師団一覧表もありますし、充分ですね。

waffen_ss-divisons.jpg

148ページからは最後の章、「武装親衛隊紳士録」です。
ドイツ語名はありませんがアルファベット順で、まずはバッハ=ツェレウスキから。
次はウィルヘルム・ビトリシですか、本書はビットリッヒはビトリシで統一しています。
第6SS山岳師団「ノルト」を率いたカール・ハインリヒ・ブレンナーは、
ドイツ武装SS師団写真史〈1〉」で、元妻がゼップに・・・って話で登場しましたっけ。
あとは先に名前を挙げた有名どころは写真付きで紹介され、
クルト・フォン・ゴットベルクは第12SS軍団長という経歴、
ハインツ・ハルメルフリードリヒ・イェッケルン
マティアス・クラインハイスターカンプは、ビットリッヒの次の「ダス・ライヒ」師団長。

kleinheisterkamp.jpg

フーゴ・クラースハインツ・ラマーディングヴィルヘルム・モーンケ
「フロリアン・ガイエル」師団長などを務めたグスタフ・ロンバルトはフェーゲラインと並ぶ
SS騎兵史に残る名として紹介されます。

Gustav Lombard.jpg

ヴェルナー・オステンドルフは「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」師団長を務め、
ノルマンディで、あのフォン・デア・ハイデと激論した人ですね。。
それからヘルマン・プリースも。

Werner Ostendorff.jpg

ライネフェルトは1940年の西方戦で陸軍軍曹として騎士十字章を受章し、
「どこをどう出世したのか不明だが、1944年夏には警察少将になっており・・」と、
ワルシャワ蜂起鎮圧の顔つきその他、個人的にも興味ある人物なんですよね。

Heinz Reinefarth, head-and-shoulders portrait.jpg

まだまだ、マックス・ジーモンスコルツェニーシルベスター・シュタドラー
ユルゲン・ヴァーグナーテオドール・ヴィッシュにフリッツ・ヴィットなどと続きます。
この下の写真も本書に掲載されているものではありませんが、好きな一枚、
ヴィッシュに「お前はアホか・・」とばかりに睨まれているのは、ヨッヘン・パイパー。。

Peiper_Wisch_1944.jpg

写真中心の一冊とはいえ、鮮明じゃないもの、有名すぎる写真も多いですし、
キャプションも100%信じられないですが、なかなか楽しめました。
続編も持っていますので、また武装SSロスになったら読んでみます。

また本書は現在、レア物なようで、ヤフオクにはありますが、amazonでは手に入りません。
amazonに「グランドパワー別冊 ドイツ武装親衛隊【改訂版】2010年11月号」がありますが、
調べたところ、こちらは本書の改訂版ではなく、
1990年の別冊「武装SS大平原の決闘(1),(2)」の合本再編集版のようです。



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