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ベルリン戦争 [第三帝国と日本人]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

邦 正美 著の「ベルリン戦争」を読破しました。

第二次大戦下ベルリン最後の日」、「ベルリン特電」に続く、
日本人が体験したベルリン最終戦シリーズの第3弾がやってまいりました。
1993年に出た340ページの著者は当時、舞踏家の留学生で、
前2冊の外交官、通信社支局長とはかなり立場が違いますね。
そんな著者の見たベルリンの戦争とはどんなものだったのか、興味津々です。

ベルリン戦争.jpg

1908年生まれの著者が1936年から留学したかつてのプロイセン王国の首都ベルリン。
東西が45㌔、南北38㌔という大都市は、バイエルン王国の首都、ミュンヘンの3倍の大きさです。
ハレンゼー地区の住宅街に住居を構え、ユダヤ人迫害を目にして、
開催された大美術展覧会では、ディックスやシャガールといった前衛作家の作品を鑑賞。
しかし実はこれ、あの「退廃芸術展」だったのです。

berlin_EntarteteKunst.jpg

1938年11月19日の朝、水晶の夜事件が発生したことを知ります。
「ひどいもんだよ。SAの奴らがあの立派な店のショーウィンドーをめちゃくちゃに・・」。
早速、出かけると、焼き打ちで煙を上げるシナゴーグの姿。

Synagogen brannten.jpg

翌年にヒトラーがポーランドに侵攻して戦争が始まります。
食料は配給となって、横暴なSAにナチ党嫌いのベルリン市民は戦争には反対の姿勢ですが、
東ではポーランドを破り、西でもマジノ線を突破して、パリに堂々と入るといったニュース
毎日のように発表されると、それを見るために映画館も超満員。
大の反ナチスだったインテリでさえフランス軍が降伏すると、
「ヒトラーは大嫌いだったけど、フランス軍に勝ってくれて胸がすっとした」と語るのです。

Brandenburg Gate & colonnade lit up at midnight in honor of Hitler's 50th birthday.jpg

そんなベルリンの中流社会で過ごす日本人の著者。
アーリア人を自負するナチ党員の集まりになるとこんな雰囲気です。
「お前は日本人か。日本人はモンゴーレだけど、特別扱いしているよ。
日本人は勇敢で戦争に強いから、いわばアジアのプロイセン人だ。
ドイツとは同盟国だし、名誉アーリア人だよ」。

また、ヒムラーの代理人であるSSの高官がベルリンの日本研究所にやってきて、
「金髪で青い眼をした昔のサムライの写真を探し出してくれ」と命令。
これは政治的結びつきが人種政策に沿う合理的なものであることを証明するための
ヒムラー苦肉の策で、確かにこの研究をしていたことが書かれた本を読みましたね。
自分のBlogで検索したらありました。シュペーアの回想録です。便利だなぁ。

The_Last_Samurai.jpg

1942年、たまたま出かけた先のカッセルで、空襲に遭ってしまいます。
なんとか中央停車場に辿り着くと、長い行列が・・。
戦争が始まってからの処世訓は、行列を見つけたら何でもよいからすぐに並ぶこと。
必ず良いことが待っているのです。
今回は無料のスープと黒パン、空襲で被災したという証明書をゲット。
ベルリンに帰ってこの証明書と無くした物リストを「空襲被害補償所」に持っていくと、
3日後にはリストに書かれた品々全て、新品のライカに背広一式と靴、
下着類などの細々した物までが揃えられ、しかもタダでくれるのです。

Allied 1943 Strategic Bombing Campaign_Kassel.jpg

もちろんベルリンでも空襲の頻度が増してきます。
画一的な四階建ての住居ビルには広々とした地下室があり、
そこに換気装置を付けて補強工事を行い、便所に電話、全員分のベンチが取り付けられ、
救急箱と飲料水入りの瓶を並べて、立派な防空壕が完成。

bunker.jpg

毎夜毎夜、しかも2年も3年も続けて同じ地下室に入り、2時間も一緒にいると、
相手が好きでも嫌いでもすっかり親しくなり、運命を共にする友人となるのです。
47人が入るこの壕も、いつの間にか「自分の席」も決まって、黙っていてもそこは開けてあり、
爆弾が近くに落ちて揺れようが、サロンのようにゴシップやニュースを語り合うのです。

Hot water storage in the large gallery.jpg

そして屋上に焼夷弾が落ちれば、男たちは壕を飛び出して消火に向かいます。
当初は、各自が自分の住居を守ろうという動機から始まった消火活動ですが、
焼夷弾と戦っているうちに、そのビル全体を守る心となり、
遂にはベルリンという都を守るために戦う・・という気持ちに変化していくのです。
戦争に勝とうとか、ヒトラーが良いの悪いのと考えることもなく、
ただ、愛するベルリンが無事でさえあれば・・。

パリで早川雪洲と付き合っていたソプラノ歌手田中路子がベルリンにやって来ると、
著者の友人の2枚目映画スター、ヴィクトル・デ・コヴァと豪邸で住み始めます。

Viktor de Kowa.jpg

結婚を希望する2人に、ゲーリングはOKを出しますが、ヒトラーとヒムラーはNG。
2枚目のアーリア人がモンゴールと結婚することは許されません。
解決策として田中路子は避妊手術を受けること・・。
彼女はこのナチスの非人道的な条件を呑み、デ・コヴァも同意します。

Michiko Tanaka.jpg

著者の交友関係は実に広く、芸術家だけでなく、軍関係者にも及びます。
1943年に他界した元最高司令官のフォン・ハマーシュタイン邸にも招かれていて、
「あの本」に書かれていた子供たちについても言及しています。

この頃でも30歳を過ぎた独身男性ですから、ちょっとしたドイツ人女性の話も・・。
クーアダムの大通りには売春婦とはハッキリ違う、品のよい美人がウヨウヨしていて、
このような金髪の若い女は、恐ろしいことにゲシュタポの工作員なのです。
狙いは外国人。ゲシュタポ美人に声をかけられた著者の友人Mくんは、
寝物語に他言してはならないことを喋ったおかげで、留置所で3日間過ごす羽目に。。

Achtung! Spione _Denk an Deine Schweigepflicht!.jpg

1944年の暮れも迫ってくると、戦局の悪化に「総力戦」を叫ぶゲッベルス
彼は宣伝相であるだけでなく、厄介なことにべルリンのガウライターであり、
ベルリン市民にとっては締め付けがより強くなるのです。
老人と子どもから成る「国民突撃隊」の訓練も始まり、
ベルリンの空襲も激しさを増して、ツォーの高射砲塔も狂ったように撃ちまくります。

Berlin, Zoo-Flakturm, Flak-Vierling..jpg

1月20日正午、グデーリアン参謀総長によるラジオの号外放送。
「本日、東部戦線では敵軍がドイツ国領内に侵入した」。
よくもそんなことをラジオで簡単に発表できたものだ・・と唖然として顔を見合わせます。

東から人の群れがベルリン市内に入り、西に向かって動き続けます。
着の身着のままで東プロイセンから逃げてきた、子供の手を引いた女性がほとんど。
そして今度はモスクワの放送がラジオから聞こえてきます。
「赤軍はドイツ市民をナチスから解放するために前進しているのだ。
文化高き赤軍の兵士は、あなた方に自由を取り戻し、保護することを
スターリン元帥は約束する。安心して冷静に赤軍を迎えてください」。

German refugees in Berlin. 1945.jpg

そんな戯言は誰一人として信じません。
見かける一群のなかには荷車に乗って寝ている16歳の少女がおり、
ソ連兵に20回も強姦されて、半死の状態で救い出されたとのこと。。
やがて道路のあちこちで古家具やコンクリートの塊で封鎖も始まるのです。

1945_Berlin_Panzersperre_am_Potsdamer_Platz1.jpg

ベルリンの空気は敗色に包まれ、同盟通信社の江尻くんに様子を尋ねます。
「ドイツ政府は南部へ移動する準備をしている」。
おっと、この江尻くんは、「ベルリン特電」の著者じゃないですか。

2月3日付の新聞には、精鋭部隊として名のあるルーデル将軍の突撃隊が
キュストリン付近に集結していた赤軍の戦車部隊を殲滅することに成功・・、
といった記事が出て、久しぶりの勝利の報に我を忘れて喜ぶベルリン市民。
コレはおそらく、
ルーデル大佐のシュトゥーカ部隊が、包囲されていたキュストリン要塞を救った・・
というヤツでしょうね。

Ace Lutwaffe pilot Hans-Ulrich Rudel with colleagues.jpg

ドイツ人の心は西に向かっています。
特にベルリン市民は100%、西から進撃してくる米軍を迎えたいと思っているのです。
もともと英国人とは親類のような血の繋がりを持っており、
第1次大戦後、米軍が飢えるドイツ人の食料を助けてくれたことを忘れていないのです。
その一方、東欧には親近感は持っておらず、モンゴルの襲来のことは忘れていません。
「野蛮人がやって来るよ!」と、ナチスは宣伝も繰り返すのです。

そういえば、1942年にSSのヒムラー公認で出た50ページほどの写真集があるようで、
どれだけの一般市民が読んだのかは不明ですが、
ロシア人の恐ろしさを描いた強烈なプロパガンダ写真集を参考までに紹介してみましょう。
タイトルは「Der Untermensch」、ズバリ「下等人種」。
この下等人種とはナチスが言うところのユダヤ人、スラヴ人、ロシア人、モンゴル人の蔑称で、
表紙も小銃を持った赤軍兵に、一番、凶暴で頭の悪そうな下士官ぽいヤツのアップ・・。

Der Untermensch.jpg

中身も「フン族が戻って来た」って感じで、下等人種のお顔紹介。。
特に左下のヤツは有名というか、他のプロパガンダ・ポスターでも見たことがありますね。
こんな連中に強姦されちゃったら・・。まぁ、似た顔の友達がいるんですけど・・。

Now the huns are back, distorted pictures of human faces, nightmares that became reality.jpg

ロシア女性と、幸せなアーリア人女性の顔を比較しています。

Russian subhuman woman compared to a happy German Aryan.jpg

ロシアの貧しい少年と、アーリア人の幸せな子供も比較・・。

We want to prevent our youth from suffering like the boy on the left.jpg

続いて男女の彫像比較・・。
下等人種の創ったものは怪しいお土産品レベルです。
まさに「退廃芸術」の極み・・。ウケるなぁ。

Two humans on the right and two subhumans on the left!.jpg

最後に両軍の将校の比較です。
右ページの左はドイツ陸軍将校にシュトゥーカ・パイロット。
右上のSS中尉はライプシュタンダルテのハインリヒ・シュプリンガーですね。
SS主幹の本ですから、武装SS一のイケメンとされているのかも知れません。
右下のUボート艦長はオットー・クレッチマーだと思います。

One of the most extreme pieces of anti-Jewish_anti-Russian SS literature!!.jpg

2月も終わりに近づきつつあるころ、著者は自分がどうするべきかを考えます。
日米戦争は激しさを増し、世田谷の自宅が焼かれているかもしれない・・。
それにもともとスイスに永住するのが夢であり、ドイツに踏みとどまっていた方が・・。
時々ベルリン・フィルも指揮する近衛秀麿くんも日本に帰るつもりがなく、
ソ連とは不可侵条約の関係で同盟国のような関係であるし、
例え捕えられても中立国の人間ゆえ、危害は加えられないはず・・。
しかし、日本が交戦中の米軍は、話の分かる文明国であるし・・。
ということで、市内から30㌔離れた別荘地、グロース・グリニッケ湖へと疎開します。

Groß Glienicker See.jpg

宣伝省は「ドイツ国政府機関は本日をもってベルリンを去り、他の所に移動する」と発表。
ただし、役人の6割が移動したのは事実ながらも、地方に疎開したわけではなく、
そのまま「国民突撃隊」に編入されてしまったということです。
また、ベルリン市内の警官も同様ですし、消防隊も1400台の消防車を残して・・。

Volkssturm_2.jpg

疎開しても自宅のあるベルリンが心配でなりません。
3日もすると、3タクトの小さなDKWで市内を走り回ります。
山下奉文という軍人と五目並べをやった日本料理店に、アロイス・ヒトラーという喫茶店。
そこの主人はヒトラーの兄と言われているほど、体つきも顔も髭も良く似ているそうで、
ひょっとしたら、ヒトラーの死体と云われている写真は、彼なんじゃないでしょうか??

日本大使館では大島大使らがすでに南へ逃れてしまっているため、河原参事官が留守番。
第二次大戦下ベルリン最後の日」ともリンクしてますねぇ。

gendarmenmarkt-may-1944.jpg

別荘では東プロイセンやポンメルンから逃れてきた女性たちによる報告会。
強姦と暴虐の限りを尽くす赤軍の獣のような恐ろしさを語ります。
修道女がロシア兵に次々と24時間も連続強姦された話などなど。。
4月20日のヒトラー誕生日も過ぎ、ゲッベルスは家族を連れて総統ブンカーに入ったと報じると、
ナチス幹部が南部へ逃げたり、自殺したりしているなか、
敢然と立ちあがったこの男を皆が見直します。
嘘八百だと思われていた「ソ連兵の強姦の脅威」も事実だと証明されたことも手伝って、
最後の最後に男を上げたゲッベルス。。

Dr Goebbels is greeted by a young admirer.jpg

既に新聞は発行されなくなっていますが、ここに至って「ベルリン前線新聞」という肩書の
「デア・パンツァーベア(装甲熊)」が創刊されます。
ゲッベルスの演説を編集したのは新聞局長のハンス・フリッチェです。

der panzerbär.jpg

それにしてもこの「装甲熊」のロゴ、可愛らしいですね。

der panzerbär_mag.jpg

4月25日、西の方から銃声や迫撃砲の音が聞こえだすと、
旭日旗のような旗を作って家の前に立てて、「中立国の家」としていたことから、
隣近所の奥さんと娘さん、10数人が匿ってもらおうと押し寄せてきます。
青い顔をして、強姦されるよりは死ぬつもり・・と語る娘に、
抵抗して殺されるより、要求に応ずる・・と言う若い母親。
予期せぬ重大な責任を負わされて、とりあえず全員を屋根裏部屋に・・。

そして遂にやって来た赤軍兵。
両手を高く挙げて「ヤポンスキー」と訴えますが、信じてもらえません。
しかし「シュナップス」がないことが判ると、腕時計を奪って出て行きます。
ベルリン市内では武装SSが地下トンネルで激しく抵抗し、赤軍も苦戦との情報が入るなか、
こちらにやって来たのは、ウズベク人とポーランド兵の質の悪い混成部隊だと判明します。

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流暢なドイツ語を喋る大佐のもとに出頭し、暴行を止めるように訴えます。
そこにはゲッベルスの寵愛を受けていたと言われる大舞台女優のオルガ・チェホワもおり、
ロシア語で楽しそうに談笑。「彼女がスパイであったという噂は本当らしい・・」。
ちなみにこの女性については、5月にアントニー・ビーヴァーの本が出ています。
「ヒトラーが寵愛した銀幕の女王: 寒い国から来た女優オリガ・チェーホワ」ですね。

The Mystery of Olga Chekhova.jpg

帰ってもやって来るのは「ドイチェ・フラウを出せ!」と怒鳴るポーランド兵たちです。
「ドイツ兵はポーランドの女を一人残らず暴行した。その仕返しをしてなぜ悪い。
私はドイツの女を全部強姦するためにやって来たのだ」。

ヒトラーも自殺して、近郊から集められた25人の日本人はモスクワへ送られることに・・。
2台の軍用トラックに乗せられて、戦闘が終わったばかりの荒廃したベルリン市内へ入ると、
交差点ではスタイルの良い制服を着た女兵士がテキパキと交通整理。

Регулировщица в Берлине, 1 мая 1945.jpg

国会議事堂の屋根にもブランデンブルク門にも赤旗がはためき
東に向かって大量のドイツ軍の捕虜が歩いています。
この捕虜の一団を先導しているのはポーランド人であり、、
強制労働者の立場から一転、その手には憎しみのムチが握られているのです。

Berlin, German prisoners of war.jpg

辿り着いたモスクワでは待遇良く、赤の広場にレーニン廟まで見学。
真新しい軍服に身を包んだ若い兵士たちは実に礼儀正しく、
「16歳から60過ぎの老婆まで強姦した鬼畜」を想像することは出来ません。

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彼らの胸には「ベルリンの勝利」でもらったという、新しい勲章が揺れています。
う~ん。「ベルリン攻略記章」っていうのが確かにあるんですね。
「大祖国戦争 対独戦勝記章」というのもありますし、
日本人が見たくもないと思うような「対日戦勝記章」もあります。
左からその順番で・・。

berlin_taidokusen_tainichisen.jpg

前2冊の日本人ベルリン最終戦シリーズに勝るとも劣らない一冊でした。
それどころか、ほぼベルリン市民と同化していますから、
戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45」の日本人体験版といった趣も・・。
政治的、軍事的視点が一般市民レベルというのが逆に生々しいですし、
情報の錯綜、独ソのプロパガンダに揺れる心も伝わってきました。
最初から最後まで興味深いエピソードの連続で、実に堪能しました。
以前にコメントで教えていただいた、東部戦線ハンガリー軍の従軍取材があるという
「第二次世界大戦下のヨーロッパ」もつい買ってしまいました。









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資料が語る戦時下の暮らし -太平洋戦争下の日本:昭和16年~20年- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

羽島 知之 編著の「資料が語る戦時下の暮らし」を読破しました。

去年に「遊就館」に行った影響で、日本についても勉強しているところですが、
膨大な数の書籍の存在する日本軍戦記の前に二の足を踏みつつも、
銃後の生活にも大変興味があります。
6月の「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」なんかもその一つですし、
ナチス・ドイツで言えば、「写真で見る ヒトラー政権下の人びとと日常」や、
健康帝国ナチス」、「戦時下のベルリン: 空襲と窮乏の生活1939-45」、
ヒトラーを支持したドイツ国民」などがソレに該当すると思います。
本書は2004年発刊で、165ページながらも大判のオールカラー。
銃後の写真やグッズが盛りだくさんの一冊です。

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昭和16(1941)年の太平洋戦争勃発から始まります。
最初の「出征」というテーマでは、まず「臨時招集令状」の実物が・・、いわゆる「赤紙」です。
続いて「千人針」。
コレは千人の女性が一針ずつ縫った布を身に付けていると、敵の弾丸に当らない・・
と言われているもので、「昭和館」でブロ友のIZMさんに教えていただきました。
本書は資料の解説だけでなく、このテーマごとの概説がわかりやすくて良いですね。

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「食料」では、調味料にお菓子、そして燃料も配給制となります。
「家庭用豆腐菓子購入券」や、「家庭用品燃料通帳」といった類が登場。
非常時に備え、食用野草や、調理設備のない場合の工夫を知っておくよう教育され、
コレを教える「決戦食講習会」の受講券というのは強烈です。

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綿花や羊毛の輸入量激減のため、「衣料品」も切符制の配給に・・。
1人に割り当てられた点数は、農村部(甲種)で80点、都市部(乙種)は100点で、
1年間有効です。
掲載されている衣料切符を見ると、1点の「手編み糸1オンス」に始まり、
最高点である63点の「背広三つ揃い、男子外套」まで詳しく書かれています。
ネクタイにハンカチーフなら2点、猿股、パンツ、褌、ブルマー、ズロースが5点、
ワイシャツ、スカートなら15点、婦人ツーピース上下揃一式だと35点、
国民服、訓練服、学生服が40点って結構、高いですね。
10点の「シゴキ」ってのはいったいなんでしょう??

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こんな時代の女性にオススメだったのが、決戦服と呼ばれた「もんぺ」です。
簡素で動きやすい活動着として普及したものの、その不恰好さに不評の声も。。
名古屋市主催の「決戦型婦人服装展」の案内は確かに微妙ですね。
なんでもかんでも「決戦」って付ければいいってもんじゃないでしょう。

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「供出」では以前に「ここに銀が要る!!」という広告がありましたが、
今回は研磨や切削加工に必要な物質である「ダイヤモンド」が対象です。
「隣組回報」(回覧板)では、「贅沢は敵だ!!! ダイヤモンドを売りませう」と書かれ、
「ダイヤモンド工具は航空機、電波兵器等の生産上なくてはならないものだ。
個人が死蔵しているよりも国家に捧げ、米英撃滅の為に役立たせた方が、
はるかに有益であろう」。
買い取り価格は1カラットに付、1500円となっております。

白金(プラチナ)も同様で、
もし白金に心があるのだったら、この決戦に自分の本来の使命を果たすために、
箪笥から飛び出してでも戦列に加わるでしょう。
米英撃滅のメスとして天晴れお役に立ちたいことでしょう」。

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「防空」、「慰問」と続いて、「娯楽」です。
軍歌や愛国歌のレコードが次々と発売され、ラジオからも流れてきます。
ビクターから出た「撃て!米英」という愛国歌は、歌詞が素晴らしいので紹介しましょう。

断乎と打ち斃せ 邪悪の國を
アメリカ イギリス われ等の敵ぞ
幾百年の長きにわたり
摂取謀略 飽く無き敵を
われ等の血をもて うち斃せ

と激熱です。一度聞いてみたいですね。

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相撲も食料事情の悪化で壊滅状態、
敵国に由来した野球も中止に追い込まれますが、
昭和17年の雑誌野球界」の表紙は、全員軍服で銃を担いだ写真。
なかも「巨人部隊の猛訓練」で、捧げ銃などを猛訓練しています。
また、競馬も金銀を使った優勝杯もなくなり、騎手も減少、
競馬場も閉鎖を余儀なくされるのでした。

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「子どもの教育」では各種児童雑誌が紹介されています。
機械化」という国防科学雑誌で専門的な兵器研究を・・。

国防科学雑誌機械化.jpg

少年兵の憧れ「航空少年」からは本文を抜粋。
「真珠湾、アメリカの水兵たちが、一撃にして米太平洋艦隊の全滅と、
みにくい残骸をさらした飛行機を目の前に見た時の
阿呆づらが見たかったと思います。
僕もきっときっと少年飛行兵になって、
あの憎い憎いヤンキー共をやっつけて見せるぞ」。

航空少年.jpg

他にも「週刊少国民」という兵士に憧れるような雑誌に、
戦争映画の与える影響も・・。
4年生男子「日本の兵隊さんがあんなに強いことがよくわかった」

6年生女子「戦いというものがどんなに大変であるかということを
聞かされていた以上にわかりました」

5年生女子「日本は本当に強い国だと思いました。
なんとも言えないほどうれしい気持ちになりました」

やっぱりゲッベルスのように映像、プロパガンダ映画の影響は強いですね。

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「子どもの遊び」にも戦争が浸透します。
おもちゃは戦闘機に兵隊人形、「紙工作の防毒マスク」までありました。
大東亜共栄圏を一巡する「すごろく」に、軍隊を模した「戦争将棋」。
この将棋は「主都」を中心に、「国民」に「海軍」、「斥候隊」、「工作隊」、
「騎乗隊」、「機化隊」、「衛生隊」などの駒があり、
「動き方が実戦に即しているので、興味津々、やめられぬ位面白い。」
というのがうたい文句です。

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子どもの次は「女性」。
昭和19年の「女子挺身勤労令」によって12歳から40歳までの女性に
1年の勤労が義務付けられ、工場、通信、交通関係の職場に
多くの女性が動員されて、真剣に労働に打ち込む姿が雑誌の表紙を飾ります。
写真でみる女性と戦争」を思い起こさせますね。

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しかし女性は子を産み育てることによって、国に尽くすことも期待され、
前線から帰還した傷病兵と結婚することも奨励されます。
このように若い女性を労働力とすべきか、
家庭に入り、人口の再生産とすべきかという問題は、
軍や政府の間で意見の一致を見なかったということです。
前者はソ連的考え方で、後者はナチス的考え方のように思いますね。

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「健康」。
戦時中に結核死亡率は過去最高に達したうえに、食料にも事欠くこの時代。
栄養補助剤を摂取しなければなりません。
となれば、やっぱり胃腸と栄養に・・の「わかもと」に、
充実した気力と旺盛な体力を盛上る・・「仁丹」。
鼻病は増産の敵だ・・の「ミナト式」も定番の広告ですね。

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「国の宝」という名の妊産婦用の通帳には、特別配給券が綴られていて、
妊娠5ヵ月目から、毎月1回「菓子パン3個」が、
出産予定月になった者は「石鹸」が購入できたそうです。
石鹸って・・。

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国民健康であれば「増産」も可能です。
昭和20年に「国民勤労動員令」によって中学生以上の学生や
40歳未満の未婚女子が根こそぎ徴用されます。
白紙」と呼ばれた徴用告知書は初めて見ました。
拒否すれば1年以下の懲役か、1000円以下の罰金です。

「産業報国新聞」には過労死が美談として掲載。
学徒報国隊」の腕章も印象的です。

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そして戦局は悪化の一途を辿り、遂に「学徒出陣」、「学童疎開」と続きます。
「本土空襲」が始まると、伝単と呼ばれる米軍の「宣伝ビラ」が・・。

日本国民諸氏 
アメリカ合衆国大統領 ハリー・エス・ツルーマンより一書を呈す。
ナチス独逸は壊滅せり、日本国民諸氏も我米国陸海空軍の
絶大なる攻撃力を認識せしならむ・・・と、電話をしている写真付きで。

dentan_1.jpg

またある時は、青森、西ノ宮、久留米などの都市名が書かれたビラを撒き、
裏面には以下のような文章が・・。

数日の内に四つか五つの都市にある軍事施設を米空軍は爆撃します。
御承知の様に人道主義のアメリカは、罪のない人達を傷つけたくありません。
ですから裏に書いてある都市から避難してください。

Firebombing_leaflet.jpg

そして「原爆」が投下されると、8月11日発行の「新聞共同特報」において
新型爆弾に対する心得16か条が発表。

一機でも油断は禁物だとか、壕内退避が有効であるなどの他に、
「軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない」やら、
「防空頭巾、手袋を併用すれば完全に護れる」、
「白い下着類は火傷を防ぐために有効である」など、
広島、長崎の実際の被害状況は隠されているのでした。

atomic-bomb-stamp.jpg

いや~、ホント面白かった。こういう本大好きですね。
小学生の子どもたちが戦争映画を観て、聞いていた話が具体的になったように、
第2次世界大戦について、いくら聞いたり、読んだりして知っていたとしても、
実物のカラー写真が持つ印象は圧倒的です。
「独破戦線」でも写真を多用しているのは同じ理由からでもありますが、
本書で一番興味深かった写真は、表紙下の「笑顔で小銃訓練する女性」です。
本文に載っていなかったのが残念ですが、私服のままだし、
まるでお祭りの射的をやっているかのような、不思議な写真です。

本書に続いて、
「神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか」を
読みましたが、こちらはタイトルからも想像できるように、おチャラけた雰囲気です。

神国日本のトンデモ決戦生活.jpg

靖国神社にまつわる章では、「靖国システム」や、「靖国フェチ」といった表現を用い、
当時の小学生なら「ハナタレたち」といった具合です。
「一年生のブルマーを上級生のお姉様たちが縫っていたのだ。これには激しく驚愕した」
と、表現もかなりオーバー。

「標準支那語早学」から抜粋した日本軍標準会話、
「お前は人夫に変装して軍状を偵察に偵察に来たのだらう」
「早く白状しろ」
「でないと銃殺するぞ!」
といった尋問の会話シナリオが書かれた興味深いページもあったかと思えば、
「写真週報」の3人娘、
ベルトーニ伊太利大使館附陸軍武官の愛嬢フランチェスカさん、
荒木十畝画伯の愛孫明子さん
オット独大使の愛嬢ウルズラさんを取り上げ、その後の消息を追うものの、
結局はわからずじまい・・。惜しいなぁ。

151.jpg

全体的に「写真週報」と「主婦の友」からの記事引用が多く、
それらに対してハシャギながら大袈裟に突っ込んでる・・といった内容で、
読んでる方は、当時の生活を冷静に分析するのは至難の技となっています。
笑える人とイラっとする人、極端に分かれるでしょうね。
最近も「ひと目でわかる「戦前日本」の真実 1936-1945」という本が出て、
コレまた気になったり・・。



最後に「資料が語る戦時下の暮らし」に戻りますが、
戦場というのは体験したことがないので理解するのは難しいですが、
銃後の生活はわりと簡単に置き換えてみることが出来ます。
ですから、壮絶な戦記に劣らず、戦争を理解するのに
申し分のない書籍ではないかと思います。





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第三帝国と音楽 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

明石 政紀 著の「第三帝国と音楽」を読破しました。

ヒトラーと退廃芸術」、「パリとヒトラーと私」といった第三帝国の美術品、
ミッキー・マウス ディズニーとドイツ」、「映画大臣」といった第三帝国の映画産業について
これまで読んできましたが、もうひとつあるジャンルが第三帝国の音楽です。
「第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影」や、
「モーツァルトとナチス: 第三帝国による芸術の歪曲」を今までチェックしていましたが、
1995年に出た213ページの本書があることを知ったので、一発目に選んでみました。
タイトルもシンプルだし、表紙を飾る有名なポスターも惹かれた要因ですね。

第三帝国と音楽.jpg

1920年代、ワイマール共和国時代の経済不況によって、
ドイツの音楽家たちの職は脅かされています。
さらにトーキー映画の出現で、それまでサイレント映画の伴奏をしていた音楽家たちは
大量にクビになり、ベルリンの映画館では1928年に200人いた音楽家が、
2年後には50人が残されただけ・・。
レコードの生産量も激減し、消費者の財布の紐も固いのです。

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そして1933年にヒトラーが政権を奪取すると、ナチ党の組織である
「ドイツ文化闘争同盟」が反リベラリズム、反ユダヤ、反モダニズムを掲げて、
忘却の彼方に追いやられていた後期ロマン派のドイツ人作曲家のオペラを歌劇場で
上演するよう推奨したりと、新体制に相応しい「ドイツ的レパートリー」を熱心にアピール。
この「ドイツ文化闘争同盟」を牛耳っているのは、やっぱりローゼンベルクです。

またベルリン音楽大学の幾人もの教師は「我慢ならぬユダヤ人のため」、
「いけ好かない性格のため」といった理由で退陣を求められ、
やがて官僚機構と公立音楽界は人種的にも、思想的にも「きれい」になっていくのです。

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党内では融通の利かないイデオローグであるローゼンベルクから、
ベルリンの大管区指導者であり、国民啓蒙・宣伝省の大臣となったゲッベルス
文化界の指導者として実権を握り始めます。
「全国文化院」が創設され、自らその総裁となったゲッベルス。

映画大臣」で触れられていた全国映画院(帝国映画院)の他、全国著述院、全国新聞院、
全国放送院、全国美術院、全国劇場院、全国音楽院の7つの専門院から成り、
「全国音楽院」配下の組織も詳しく、例えば音楽家組織にコンサート局、
ドイツ男声合唱団連盟など、第三帝国の音楽が一元管理されているのがわかります。

そして現存ドイツ人作曲家のなかで最も高名な人物である
リヒャルト・シュトラウスを音楽院総裁に任命。

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「伝統的無関心派」のシュトラウスはナチスを見下していたものの、
指導者原理を気に入ってそれなりに順応しますが、
第三帝国に対する「放言」が見つかって、総裁職を下ろされてしまうのでした。
ふ~ん。シュトラウスについては「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争」
という本が出ているようですね。



副総裁の同じく最も高名な指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ゲッベルスと衝突を繰り返して、副総裁を下りてしまいます。
しかし2年も経つと、彼らの威光に頼らなくてもよいほどに確固たる組織になるのでした。

Magda Goebbels Wilhelm Furtwangler Joseph Goebbels Zitla Furtwangler.jpg

総裁顧問会というのもあって、ここには「ライプシュタンダルテ」の上級軍楽隊長、
ヘルマン・ミュラー=ヨーンの名前もありました。
ここら辺は、もうちょっと詳しく知りたいところですね。

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ゲッベルスはそれまで不当な扱いを受けて、賃金が支払われなかったような
自由市場の音楽家たちに、相応しい賃金レートを制定し、
景気の回復によって、音楽家の失業率も回復。
財政難に陥っていた劇場やオーケストラにも救済策が講じられます。
その反面、彼らは「自由」を奪われ、1934年には外国語、または外国語風の芸名や、
アンサンブル名を名乗ることは禁止され、名前の「国粋化」が・・。
偉大なドイツ巨匠の作品の一部をメドレーにしたり、パロったりすることは
尊厳を損ねる不遜な行為として取り締まられ、
1938年になると「非アーリア人」のレコードが公式に発売禁止になりますが、
ポーランドの国民的作曲家であるショパンのピアノ曲だけは例外です。。

The Berlin Philharmonic Orchestra and the Third Reich.jpg

「ニーベルンゲン行進曲」は党大会のときに限って演奏が許可され、
ヒトラーのお気に入りのマーチである「バーデンヴァイラー行進曲」は
ヒトラー臨席時以外は演奏しないよう通達されます。
このヒトラーのテーマでもあるかのような「バーデンヴァイラー行進曲」。
第1次大戦でバイエルン近衛歩兵連隊が勝利したことを讃えた曲だそうで、
どんな曲なのか、聞いてみました。目覚ましにモッテコイだなこりゃ。



ヒトラーが崇拝した作曲家はワーグナーだけではなく、
総統と同じ、オーストリアの田舎者である、アントン・ブルックナーも。
その交響曲はナチスの巨大趣味と合致し、舞台装置としても徴用したそうです。

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ヒトラー政権以前からドイツではたくさんの音楽祭が開かれていますが、
1938年、ナチ党は新たに「全国音楽祭」をデュッセルドルフで華々しく開催します。

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ゲッベルスの肝いりで「ドイツ音楽のオリンピック」などと大々的に宣伝された
この1週間続く音楽祭は30もの催し物に、ヒトラー・ユーゲント歓喜力行団
陸空の軍楽隊、労働奉仕団と大管区の音楽隊といったあらゆる楽団が参加。
クライマックスはベルリン・フィルによる「第九」です。

The Musikkorps of the elite General Göring Regiment.jpg

ゲッベルスが生まれ故郷に近いこのデュッセルドルフを「新ドイツの音楽の都」にしようと
奮闘したのに対して、ヒトラーは1年前の「大ドイツ芸術展」のような興味を寄せません。
総統にはワーグナーのバイロイト音楽祭さえあれば、それ以上は必要ないのです。
そして「大ドイツ芸術展」の時に「退廃芸術展」を開催したのと同様、
ここでも「退廃音楽展」を開催します。
展覧会の主導者である古参党員のツィーグラー曰く、
「魔女のどんちゃん騒ぎと精神的・芸術的文化ボルシェヴィズムのいかがわしい姿であり、
下等人間、傲慢なユダヤ的厚顔無恥、完全な精神的痴呆が晒される」。

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しかし、音楽を展示するのは困難で、結局は下等人間たちのポートレートや楽譜、
オペラの舞台写真などが展示されたのみであり、
ゲッベルスも乗り気ではなく、予定よりも2週間も早く打ち切りになるのでした。
この「退廃音楽展」のパンフレットが、本書の表紙になっています。
これは1926年の黒人主人公の歌劇「ジョニーは弾き始める」をカリカチュア化したもので、
襟の折り返しにはカーネーションではなく、「ダビデの星」が飾られています。

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1931年に発足し、ブルックナーの交響曲を目前で披露した楽団に対して、
「総統のオーケストラ」を名乗ることを認可したヒトラー。
「ナチ全国交響楽団」と命名されて、副総裁のヘスが理事長に就任し、
総勢86名が総統案出の褐色のタキシードを着て、ドイツ各地で演奏します。

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このように第三帝国では保守的なクラシック音楽が重要な位置を占めていますが、
実際は他の国と同じく、民衆は軽いポピュラー音楽を望んでおり、
そのことを充分に理解していたゲッベルスは、娯楽映画と同様に
「気晴らし供給」をラジオを通じて実施します。
1939年には「国民受信機」の聴取者は1100万人にまで激増し、
大事なニュースや報道番組に耳を傾かせるために、
人気のあるポビュラー音楽を流すことで人々を引きつけるのです。

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とはいっても、なんでもかんでも流してよいわけではありません。
特に「ジョニーは弾き始める」がそうだったように、ナチスの目に映った「ジャズ」とは、
「ニグロ起源の音楽であり、それを流布しているのはユダヤ人であり、
人種的汚辱で、非芸術的な下半身音楽であり、音楽の姿を借りた文化ペストであり、
音楽大国であるドイツの文化的音楽を汚し、あらゆる形で破壊しようと目論んでいる」のです。

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もちろんジャズに敵対していたのはナチスだけでなく、ヨーロッパ各国の保守層も同じこと。
若者たちをたぶらかす、新大陸からの侵入物に激しく反発し、
シュトラウス大先生に言わせれば「ジャズなぞ、人食人種の音楽」。
まぁ、プレスリーの下半身の動きが前髪クネ男的でテレビ番組でNGだったり、
ビートルズのマッシュルーム・カットやエレキ・ギターが不良への道だったり、
セックス・ピストルズが・・、と、古今東西変わらない若者と老人の対立ですね。

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しかし問題なのは1932年にパーペン保守政権が「黒人音楽家の就労禁止令」を出したように、
ルイ・アームストロングに代表されるような「ニグロ・ジャズ」がマズイのであって、
ジャズの担い手にも白人が現れ、管弦楽団のごとき統制のとれたビッグ・バンドが登場すると、
「一線を越えない限り」ジャズ音楽を容認するようになり、
1936年のベルリン・オリンピックでは外国人観光客のために、バンド・リーダーたちに
「米国の曲の楽譜を揃えておくよう」促すほどです。

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ただし、「ニグロ・ジャズ」だけではなく、ユダヤ系音楽家は全面的に禁止ですから、
「典型的なスウィング・ユダヤ人」との烙印を押されたベニー・グッドマンのレコードは、
1937年には発売禁止となるのです。

ベニー・グッドマンといえば、「シング・シング・シング」が有名ですが、
林家こぶ平の「二木ゴルフ」のCMでもお馴染みですね。 「ヘイ、二木!」ってやつです。
それだけじゃあアレなので、「ベニイ・グッドマン物語」からご紹介します。
見どころはジーン・クルーパのドラムですよ。



対米戦が始まる1940年まではディズニーなど、米国映画も上映されていたドイツ。
ハリウッドのミュージカル映画も高い人気を誇り、
「踊るニュウ・ヨーク」の挿入歌は空前の大ヒット。
この当時のドイツの映画館では週間ニュースで怒号するヒトラーと、
ミュージカル映画で華麗に踊るフレッド・アステアが共存する世界だったのです。

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そんな奇妙な関係も1942年以降は、「敵性音楽」となって、英米のレコードが発売禁止に・・。
しかし禁止になったのはドイツ国内だけであり、周辺諸国からの外貨獲得のために
英米ジャズのレコードは生産され続けます。
こっそりと米ジャズを演奏する場合にはドイツ語の偽装タイトルが使われ、
「セント・ルイス・ブルース」なら、「ザンクト・ルートヴィヒ・ゼレナーデ」といった具合。。

ジャズ好きのドイツ兵は占領国でしっかりとレコードを買い集め、
聞くことを禁止されていた英BBCラジオから流れるダンス・ミュージックに歓心を寄せるのは、
ルフトヴァッフェの誇る大エース、ガーランドマルセイユです。
ついでにグレン・ミラーのファンだったのはメルダースだそうな・・。
そういうことなら、V1飛行爆弾にも負けない「イン・ザ・ムード」を「グレン・ミラー物語」から。



ティーンエイジャーたちはヒトラー・ユーゲントや歓喜力行団が主催する
フォークダンス大会で人生を楽しみますが、
ハンブルクをはじめとして、スウィング・ジャズで熱狂的に踊る若者の姿もあります。
「スウィング・ユーゲント」と呼ばれたこの若者たちは、
服装にも金をかけることもできたブルジョワ家庭の子どもであり、
英米かぶれで、16歳にもなって強制的に半ズボンを履かされることに抵抗し、
英国紳士を範にとって、仕立の良いジャケットに、ネクタイ、コート、
そして中折れ帽で街を闊歩し、ヒトラー・ユーゲントとの喧嘩に発展することも・・。

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このような不良少年の羽目を外した行動に怒りを表すのは、ヒムラーです。
「スウィング・ユーゲントをまず殴打し、最も厳しい形で教練し、労働させる」と
ハイドリヒに書き送り、ふしだらな音楽で踊り狂って秩序を乱す若者たちは
国防教練キャンプに送り込まれて根性を叩き直され、
徴兵年齢に達していた場合には戦線送り。
最悪の場合にはラーヴェンスブリュック強制収容所が待っています。
このスウィング・ユーゲントはなにかの本で読んで記憶がありますが、
1993年に「スウィング・キッズ」という映画になっていたようです。ただ評判はイマイチ。。
「スウィングガールズ」っていう邦画もありましたっけ。

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最後は、その強制収容所の音楽です。
SS隊員たちは囚人楽団のバラックに足しげく通って、好みの曲を演奏させ、
「アウシュヴィッツ少女楽団」の演奏するシューマンの「トロイメライ」に、
「ベルゼンの野獣」と呼ばれたヨーゼフ・クラーマーは涙を流します。

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音楽家だったユダヤ人たちはほとんどが収容所送りとなっていますから、
どこの収容所でも楽団があったんですね。

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通過収容所の役目を果たしていたテレージエンシュタットでは
外部へのプロパガンダのためにオペラの公演も行われて、
ヒトラーの好きなモーツァルトの「フィガロの結婚」や、「魔笛」も演奏されます。
さらにはジャズ・バンドまで。
その名も「ゲットー・スウィンガーズ」です。

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その他、日本人著者ということもあって、ハンス・フランクが統治するポーランドの
総督管区立劇場シンフォニーの客演指揮者として、近衛秀麿が招かれ、
フランクが昼食会でもてなした・・なんていう話出てきました。

第三帝国と音楽というと、どうしてもワーグナーやベルリン・フィルなど、
クラシック音楽を連想しますし、実際、出版されている本もそのようなテーマが中心です。
しかし本書は213ページというボリュームにもかかわらず、クラシックだけでなく、
ジャズにポビュラー音楽、強制収容所での演奏と、幅広く触れられていて、
このテーマを知るための入門書としては最適だったどころか、
改めてよく考えてみると、このテーマに興味のある方なら必読の、素晴らしい一冊です。

















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モスクワ攻防戦 -20世紀を決した史上最大の戦闘- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンドリュー・ナゴルスキ著の「モスクワ攻防戦」を読破しました。

11月の「クルスク大戦車戦」を読んでいた際に、妙に気になりだした「モスクワ攻防戦」。
その時にも書きましたが、もし1941年の冬にモスクワが陥落していたら・・??
といった妄想を更に深めてみようというのが今回の趣旨です。。
原著は2007年、本書は2010年に出た、ハードカバー484ページ、3000円弱の大作ですが、
いつの間にか、古書が700円台まで下がっていましたのでラッキーですね。

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序章では、スターリンとヒトラー、そしてジューコフとグデーリアンの4名が
各1ページづつ、写真付きで紹介されたあと、
このモスクワ攻防戦が世間から忘れられかけていると語ります。
歴史家は代表的な戦闘として、スターリングラードやクルスクの戦いを挙げ、
レニングラード包囲の感動的な人間ドラマに関心を寄せる・・。
しかし、最も多くの血が流されたとされるスターリングラード戦では、
360万人の将兵が駆り出され、両軍の犠牲者は91万人。
対してモスクワ攻防戦では、700万人もの将兵が投入され、250万人が犠牲になった・・と、
第1次大戦の「ソンムの戦い」、110万人と比較しても、史上最大の戦闘とします。

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第1章では、「開戦前夜」として、2人の独裁者を比較します。
女性問題では、スターリンの妻ナジェージダや、ヒトラーの姪ゲリなども紹介し、
なんとなく「対比列伝 ヒトラーとスターリン」といった雰囲気。
1940年の西方電撃戦の勝利の後、パリを訪れたヒトラーは、
アンヴァリッド(廃兵院)に立ち寄り、ナポレオンの柩を眺めます。
後に、「ナポレオンと同じ過ちを犯すつもりはない」と語るヒトラー。

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自信過剰となったヒトラーは4ヵ月でソ連との戦闘を終了させるとして、
当初、侵攻開始日を5月15日としますが、
ムッソリーニがギリシャでドジを踏んだばかりに、1ヶ月延期・・。
よく、この1ヶ月の遅れがモスクワ攻略の失敗の原因とも言われていますが、
この年(1941)は、例外的に5月まで春の雪解けが長引いていて、
いずれにしても電撃的な侵攻は出来なかっただろう・・と書かれた本も以前に読みましたね。

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東京からはゾルゲが「ドイツ軍の侵攻が始まる」と報告して、スターリンを激怒させ、
領空侵犯を繰り返すドイツ軍機を攻撃しないようにと、細心の注意を図ります。
4月18日、スターリンは珍しくモスクワ中央駅までわざわざ松岡外相を見送った後、
シューレンブルク大使を抱擁し、「これからも友人であり続けようではないか。
そのためには、あなた方ドイツ側も、そう努めてほしい!」と涙ぐましいほどに訴えます。

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しかし、スターリンの切なる願いは叶わず、6月22日、「バルバロッサ」が発動。
絶望的な戦況に6月30日、スターリンは別荘に引き籠ってしまいます。
しびれを切らしたモロトフにミコヤン、ベリヤら、政治局一行が別荘を訪れると、
「何をしに来たんだ!」と逮捕を恐れているかのように叫びます。
それでも話が新設の国家防衛委員会の話になると、議長に就任することを了承。
う~む。。この有名なエピソードはミコヤンの回想からのようですが、
個人的には議長という最高司令官に任命されるためのスターリンの作戦だったと思います。
もちろん、それが「賭け」であり、逮捕される可能性もあるわけですが・・。

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引き籠る前から、工場をまるごと、労働者も含めて、東部へ疎開させるよう
指示していたスターリンは、レーニンの遺体もチュメニに移送します。
腐敗しないよう定期的に特殊な溶液を塗ることが不可欠なレーニン。
科学者とその家族、警備員40名が特別列車で出発するのでした。

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8月、スターリンは有名な指令を発します。
「降伏した者は悪意ある脱走兵とみなし、その家族は裏切り者の家族として逮捕する。
包囲された兵士は最後まで戦い、味方の戦線に復帰できるよう努力しなければならない。
降伏を選んだ者はいかなる手段をもってしても殺害される」。
そしてNKVDには逃亡した自国兵の捕虜を撃ち殺す権利も与えられます。
ドイツ兵に捕えられても、どのみち死刑宣告に等しいことを悟る赤軍兵たち・・。
報告書によれば、「前線から逃亡した」兵士、66万人が10月までに連れ戻され、
そのうちの2万人が逮捕されて、1万人が銃殺。
残りの63万人で死の突撃を行う「懲罰大隊」が編成されるのでした。

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この緒戦でのソ連軍の敗走ぶりを説明するために、「大粛清」の章があります。
トハチェフスキー元帥らが処刑された話だけでなく、
「人民の敵の妻」として、8年の禁固刑に処せられていた元帥の奥さんが
モスクワ攻防戦の真っ最中の10月に処刑された話なども・・。
ポーランドやバルト3国から撤退するNKVDは、その地の囚人たちも殺害してから逃亡。
そして今度はやって来たドイツ軍、アインザッツグルッペンが仕事を始めるのです。

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第4章は「ヒトラーとその将軍たち」。
8月まで快進撃を続けるドイツ装甲部隊ですが、突如としてモスクワではなく、
ウクライナの首都キエフが軍事目標となったことで、
中央軍集団司令官フォン・ボックは、ヒトラーを説得するためにグデーリアン派遣します。

「モスクワが産業、交通、通信の要衝であり、この都市を占領すれば
ソ連軍は兵士や兵糧を各地に輸送するのが困難となるだけでなく、
ドイツ兵の士気が上がり、敵に精神的な打撃を与えることによって、
ウクライナなど、他の地域で勝利することも容易である」と力説するグデーリアン。
しかし、ブラウヒッチュをはじめ、ヒトラーを支持する高級将校の前に孤立無援で、
モスクワ進軍の代わりに、しぶしぶ全速力でキエフに向かうことになるのでした。

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次の章では相手方の将軍が登場。もちろんジューコフです。
ロコソフスキー曰く、「常に強固な意志と決断力を有し、
部下に対する要求が厳しく、ときに厳格さが許容範囲を超えたことも事実である。
例えばモスクワ攻防戦の最中に、時折、弁解の余地がないほどの激しさを見せた」。
1990年代に出版されたジューコフの回想録完全版からも引用して、
ソ連軍の主役となる元帥についてノモンハン、レニングラードも含めて紹介します。

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10月14日、北からモスクワへ雪崩れ込もうとするドイツ軍の玄関口となるルジェフが陥落。
モスクワへ通じる道には市民によって急ごしらえの対戦車障壁が設置されます。
そしてスターリンはヴォルガ川に面したクイブィシェフへの首都移転を決定。
外相モロトフを筆頭に、党、政府、および軍幹部を退避させるよう命ずるのです。

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第6章は「欺瞞の同盟」という章タイトルで、英米とソ連の駆け引きが・・。
フランスが降伏して以来、1年間、単独で本土と北アフリカでドイツ軍と戦ってきた英国。
地上からヒトラーの影を消し去るために、ボルシェヴィキの悪魔に手を差し伸べることを
意に介しません。しかしせっかくの援助も英国嫌いのスターリンの傲慢な態度に
苛立ちを隠しきれないチャーチルと、それよりは友好的な関係を築くルーズヴェルト

著者はポーランド系米国人で、ニューズウィーク誌の記者として、
モスクワ、ワルシャワ、ベルリンなど支局長を歴任したそうです。
そのため、本書では例えば「カティンの森」や、
ロンドンのポーランド亡命政府とスターリンの駆け引きなどにも触れられていました。

スターリンの側近であるミコヤンはバイクに乗ったドイツ兵が、
自分の別荘から30㌔離れた地点で目撃されたと報告します。
モスクワ防衛軍のサーチライトがドイツ爆撃機を狙う空中戦も激しさを増してきます。

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モスクワ攻防1941」にあった18歳の少女、ゾーヤ・コスモジェミャーンスカヤの破壊活動や、
日本はドイツ側の要請に応じずに、東南アジアに進出するという情報を送ったゾルケなど、
破壊活動家とスパイの章も面白いですね。
ゾルゲが逮捕されたのが10月18日、タイミングはギリギリです。

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その10月18日、自分のための専用列車が待つ駅に向かったスターリン。
しかし乗車はせずに立ち去った後、11月7日の革命記念日に軍事パレードを行うことを決定。
大雪が降り始めて、空襲の危険がなくなった赤の広場にスターリンが姿を現し、
参加した軍人たちは深い感銘を受けます。
スターリンが首都を離れたという噂を聞いていた兵士たちも同様、
「スターリンは俺たちと一緒にモスクワに留まることを選んだのだ!
これで俺たちは、ナチス野郎の棺桶に、釘を打ち込んでいるかのような気分になった」。

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そんなソ連軍兵士たちに手こずるドイツ軍。
第1装甲軍のフォン・クライストは驚きを隠せません。
「ソ連兵はあまりに原始的だった。無数の機関銃に取り囲まれても降伏しなかった。
ドイツ人の勇敢さは説明可能だが、ロシア人の勇敢さは、メチャクチャな蛮勇である」。

本書に限った話ではありませんが、敵兵を殺すという表現というのは、
英語や、ドイツ語などではどれだけのバリエーションがあるんでしょう??
例えば日本語では、
「ドイツ軍は赤軍1個大隊を包囲し、殲滅した」という表現もあれば、
「ドイツ軍は包囲したロシア兵1000名を殺害した」という場合もあります。
フォン・クライストの言う状況下の場合には、
「皆殺しにした」とか、「虐殺した」、「殺戮した」と書かれることもありますね。
降伏しない敵を殺した・・という事実が、言葉の違いによって印象が違ってきます。

「殲滅」だと、「敵を殲滅せよ!」なんて師団長命令の軍事用語にも感じますが、
「皆殺しにして滅ぼすこと」という意味ですから、その言葉から受けるイメージが違うだけ。
このようなことって日本語だから起こることなんでしょうか・・。

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またモスクワ南方の武器製造都市トゥーラをグデーリアンから守るために
日本軍の侵攻の危機が去った東部からシベリア師団がやってきます。
そして気温は氷点下20℃から、35℃にも下がり、完全な冬季装備のソ連軍に対して、
夏季軍装のままのドイツ軍将兵は凍傷に苦しみます。

German soldiers surrendering to Soviets on the outskirts of Moscow.jpg

女性物の衣服やストールだろうが、何でも活用し、
耳を凍傷から守るためか、頭にブラジャーを巻きつけているドイツ兵の死体も・・。
この苦境をヒトラーに進言したグデーリアンは12月6日、部下に別れを告げるのです。

Germans soldiers plight at Moscow.jpg

ついに力尽きたドイツ軍に向けての反撃を陽気に指示するスターリン。
ジューコフは砲兵の弾薬が嘆かわしいほど不足していると警告しますが、聞き入れられません。
ヴャージマとルジェフのドイツ軍を包囲・撃破するハズが、逆に包囲されて全滅する始末。。
あのウラソフ将軍も登場して、見事な戦いを見せますが、
翌年、彼がドイツ軍の捕虜となり、裏切り者として最期を迎えるところまで書かれています。

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最後の12章は「あまりにも犠牲を出し過ぎた勝利」。
自国民の命よりも、銃弾や砲弾の数の方を優先するスターリンの非情な論理。
開戦当初の失敗は大祖国戦争の記録から抹消され、
モスクワ攻略を断念したヒトラーもまた、自らの戦略の失敗をグデーリアンをはじめ、
陸軍総司令官に軍集団司令官らを罷免することで責任を転嫁します。

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こうして著者は、「もしモスクワが攻略されていたら・・」と、推察。
グデーリアンの進言の通りに進んでいれば、8月末には首都を手に入れられていただろう。
そしてスターリンの指揮命令系統への打撃は、極めて深刻だっただろう・・とする説に、
戦いは長引いても、遅かれ早かれドイツ軍は敗退しただろう。
スターリンはどこまでも資源と兵士を投入し、最終的にはドイツ軍を撃退しただろう・・という説。
後者はソ連の大方の見方であり、多くの歴史家もこれを支持しているそうです。

ちなみにヴィトゲンシュタインはグデーリアン好きですが、それでも後者を支持します。
何故かと言うとグデーリアンはマトモですが、スターリンはマトモじゃないからです。。
言い方を変えると、1940年に電撃戦で敗れたフランス首脳からしてみれば、
マンシュタイン・プラン」やグデーリアンの突進は、マトモじゃなかったんでしょう。
このレベルでは常人が考えうる戦略を超えたところに勝敗が存在する気がします。

Red Square 1945.jpg

読み終えた印象としては、ソ連側7、ドイツ側3、という具合でしょうか。
ドイツ側の記述は、ほぼヴィトゲンシュタインが過去に読んできた本からの抜粋であり、
新たな発見はありませんでした。その一方、ソ連側は初めて知った部分は多く、
これは新たに公開されたNKVDの機密文書、重要人物の子どもたちへのインタビュー、
未刊行の日記、手紙、回想録の類を大いに活用していることによるようです。

敗戦国のドイツから新史料が発表されることはほとんどなく、
勝者であり、20年ほど前に崩壊したソ連からそのような史料が出てくるのは当然で、
また英米側の記述も、ソ連との連合軍の駆け引きとして取り上げられていることから、
ソ連側が大きなウエイトを占めてしまうのは、しょうがないところでしょう。
とは言ってもスケールが大きく、写真も所々掲載されていて楽しめました。
なかなかのボリュームですが、3日で独破したくらいですから。。



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東京裁判 〈下〉 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「東京裁判 〈下〉」を読破しました。

251ページの下巻は昭和22(1947)年の新春から始まります。
元旦こそ、法廷はお休みですが、欧米らしく1月2日からは開廷です。
監房の小窓が大破していたものの、一向に修理されず、寒風にさらされていた
66歳の元軍令部総長、永野修身元帥はこの日、寒気を覚えて入院しますが、
5日に急死してしまいます。

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米人弁護人は上巻でも登場したような「熱心組」がいる一方で、
怠け者のアル中にしか見えない「スパイ組」と呼ばれる弁護人も多く、
被告たちも「米人弁護人に本当のことを話して差し支えないか」と心配です。
そこで三文字弁護人は、米人弁護人の心構えを直し、日本側に引き付けるため、
天皇の弟である高松宮臨席のもと、お座敷洋食店で飲めや歌えやの宴会を開催。
米本国では皇室廃止の声も高いなかでのギャンブルですが、
玄関に慣れぬ正座をして高松宮を迎える米人弁護人軍団。
数日後には千葉御料地の鴨猟にも招待する、「洗脳作戦」が続きます。

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巣鴨プリズンでの被告の生活は、ゲーリングの自殺の一件が大きく影響し、
夜も電灯をつけたままで就寝。
監視兵は靴音を立てて終夜、廊下を歩き、数回は目が覚めます。 
法廷から帰ってきて獄舎用衣服に着替える際には、
検査官に肛門まで調べられる屈辱に毎日、耐えねばなりません。
そして粗暴な米兵たちは転任が決まると、戦犯No.1である東條にサインをねだるのでした。

The International Military Tribunal for the Far East.jpg

2月、8ヶ月に渡った検事側の苛烈な論告に対する、弁護団の冒頭陳述が始まります。
「満州事変、支那事変、太平洋戦争は原因も別なら、当事者も別であり、
一貫した世界征服計画によるものではないことは容易に証明される」。
盧溝橋事件は事前の中国側の激しい挑発行為によるもので責任は中国側にある。
ノモンハン事件は「協定済」の事件であり、ソ連侵攻の意図はなかった。
逆にソ連は「日ソ中立条約」を無視して対日参戦する、明らかな中立条約違反ではないか。
太平洋戦争の開戦は米国の経済圧迫、英、蘭、中国と連結した日本包囲体制から
免れんとする自衛のあがきにほかならなかった・・。と熱く語る清瀬弁護人。

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「南京虐殺事件」の反証も始まり、中国側は第6師団による市民殺害23万人、
第16師団によるものが14万人、その他が6万人の、計43万人と主張していますが、
著者は「正確な数字は確かめようもないが、43万人は拡張であろう」としています。
しかし、南京警備司令官を命ぜられた中島中将が第16師団に
峻烈な残敵掃討を命じたこと、一部の兵による、掠奪、放火、強姦が行われたのは
間違いなく、12月17日に方面軍司令官の松井大将が南京城に入って、
初めて虐殺行為を知り、不心得者の処罰、被害者に対する補償などを下命したということで、
日本軍以外の、中国側敗残兵、一部市民の蛮行も推測されるそうです。

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この事件は20年位前から興味があるんですよね。
個人的な感覚では本書の見解は正しく思います。
すなわち、日本兵による蛮行は少なからずあった。
あまり言いたくありませんけれど、11月のフィリピン・レイテ島の台風被害で
市民が略奪に走っている姿を見ると、火事場泥棒じゃありませんが、
混乱に乗じて盗みや強姦を犯す現地人がいないと考える方がおかしいと思いますね。
「松井石根と南京事件の真実」という本があるので読んでみようかな。。

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そして中国側は、すでに第6師団長の谷寿夫中将を南京法廷で裁き、
第6師団が攻略した南京城外で両腕を押さえて跪かせ、
後頭部に銃弾を叩き込んで処刑済み・・。

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一見残酷に感じる谷中将の公開処刑ですが、判決はともかくとして、
当時の中国の基準からすれば、人道的な処刑方法だと思います。
ズラッと並んだ銃殺隊による銃殺では即死せずに、トドメの一発が必要な場合もあり、
後頭部から脳髄を狙う一発は、確実に即死します。
また、ヨーロッパでは一般的な犯罪者に適用され、死亡するまでに数10分もかかる
絞首刑ではなく、貴族や軍人に対しては名誉ある銃殺刑が適用されており、
ニュルンベルクではカイテル元帥が銃殺を希望したものの拒否されて、
全員絞首刑・・という経緯もありました。
まぁ、「図説 死刑全書」や、最近、「図説 公開処刑の歴史」をコッソリ読んだ限りですが・・。

東條大将と同等の「大物」被告とされているのが、天皇の側近第一人者である木戸内大臣です。
天皇の意志を誰よりも良く知っており、上巻でも宮中、軍部、政府の各最高首脳の動きを
緻密に描いた克明な「日記」を提出しています。コレ、本として出てるんですね。

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そしてこの日記と口供書は、陸軍関係の被告にとってはそれまでの立証を吹き飛ばす
まことに厄介なものであり、武藤、佐藤両中将は、往復のバスの中で木戸内大臣を指さします。
「笹川くん、こんな嘘つき野郎はいないよ。
『戦時中、国民の戦意を破砕することに努力してきました』とは、
なんということを言うヤツだ。この大馬鹿野郎が・・」。

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証人訊問のために、この大物被告のケンカに巻き込まれてしまった笹川くんとは、
「世界は一家、人類は皆兄弟」でお馴染みの、笹川良一です。。
A級未起訴組だったということしか書かれていない、エキストラ・レベルの脇役ですが、
気になったので、ちょっと調べてみると、国粋大衆党の総裁として
イタリア、ファシスト党に似せた黒シャツを私兵に着せ、
崇拝するムッソリーニとも会見してるんですねぇ。

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11月までかかって、被告たちの個人反証が続き、ついに東條の出番です。
日本文の口供書は220ページに達する大作で、弁護人の朗読には3日を要します。
イヤホーンを付け、証言台に座る東條大将。

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その姿を見つめる米主席検事のキーナンは、すでに「東條工作」の手を打っているのです。
それは米政府、およびマッカーサーは天皇の起訴は望んでいない・・というもの。
占領政策の成功と日本の赤化防止、日本の団結の為に、天皇は必要であり、
弁護人を通じて、「この戦争は陛下の命令に背いて始めたものだ」と証言するよう頼むのです。
しかし、「それは無理な注文ですよ。陛下の御裁可があったからこそ開戦した」と答える東條。。
それでも「陛下は嫌々ながら開戦をご承認になった」と証言することを了承します。

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また年も明けて2月になり、検察側の論告文が読み上げられます。
その次に待っているのは「判決」ですが、その判決文が英文で1200ページ超えであり、
8月から26人体制で行われている翻訳作業に時間がかかっているのです。
11月になって、やっとウェッブ裁判長のよる判決文の朗読が・・。
オーストラリア人裁判長が読み終わるのは、1週間後と推測され、
その間には、誰が助かって、誰が死刑かの憶測が飛び交うのです。

そんな被告たちに家族らの最後の面会。
死刑を悟っている東條は夫人に語ります。
「日本で処刑されることは日本の土になるのだからうれしい。
特に敵である米人の手で処刑されるのがうれしい。
自分も戦死者の列に加わることができるであろう」。

武藤中将も極刑を悟り、夫人と令嬢に語りかけます。
「千代子は早晩結婚しなければならぬが・・、検事だとか、判事だとかは避けるが良い。
今度の経験で彼らは人間の屑だということが判った・・」。

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こうしていよいよ判決の時。
被告席のドアから一人づつ姿を現し、ウェッブ裁判長が宣告文を読み上げます。
「被告荒木貞夫・・、被告を終身の懲役刑に処する」。
続く土肥原賢二大将は、「デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」。
広田弘毅元総理、東條大将ら、7人に死刑判決が下るのでした。



この結果は、ニュルンベルク裁判以上の過酷さ・・と評価されます。
「平和に対する罪」、「殺人に対する罪」など、起訴内容の大部分が立証不十分とみなされ、
死刑はせいぜい2~3人に留まり、無罪者も出ると見込まれていたものの、全員が有罪。
弁護人らは怒りをぶちまけます。
「法廷は愛国心を頭から退け、有罪とみなした。
愛国者を処罰する国際法があってはたまらないではないか」。

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不満をあらわにするのはキーナン検事も同様です。
「なんという馬鹿げた判決か。重光は平和主義者だ。無罪が当然だ。
松井、広田が死刑などとは、まったく考えられない」。
またオランダ、インドなど、少数派ながら死刑反対の判事も存在します。
「落日燃ゆ」って聞いたことがありましたが、広田弘毅の生涯を描いたものだったんですね。

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12月23日早朝に巣鴨プリズンにおいて死刑執行が行われることが決定。
まず土居原、松井、東條、武藤の4人が手錠をかけられて登場します。
武藤中将は万歳を三唱しようということで、松井大将が音頭を・・。
大日本帝国バンザイ、天皇陛下バンザイ、バンザイ、バンザイ・・」。
そして黒のフードが被せられ、ロープが首に、
フェルプス大佐の号令と共に瞬時に落下する4人。
死亡が確認されると、第2組の板垣、広田、木村の番です。

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著者は、生死も不明なウェッブ裁判長にオーストラリアで会うことができ、
米国でも関係者から取材したことを「あとがき」で語ります。
新たな調査・研究によって出版される第2次大戦関連本も悪くはありませんが、
戦後、これだけの時間が経ってしまうと、
どうしても過去の文献からの抽出作業になってしまいます。
ヴィトゲンシュタインが古い本を好きなのは、本書のような著者の実体験や
当事者への直接インタビューなど、より生々しい記述に惹かれるからなんですね。

天皇陛下が裁かれることだけは、なんとしても避けなければ・・という被告たち。
一方、ドイツではほとんどの被告が、責任をヒトラーに押し付けています。
この違いはなんなのか?? 国民性の違い?? 君主制度と歴史の違いなのか??
もしヒトラーではなく、皇帝ヴィルヘルム2世であってもそうしたのか??
或いはヒトラーと天皇、自殺したのが逆でも、彼らは同じことを言ったのでしょうか??

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本書を読む前に自分の知識でもって「ニュルンベルク裁判」と比較したい・・と
思っていましたが、予想以上に本書でも比較がなされ、
また、裁判当時も法廷や被告、関係者が意識していたのは驚きでした。
映画「東京裁判」も観てみたくなりました。

そしてA級戦犯に関連した、いわゆる「靖国問題」とは何なのか・・?? ということでも、
本書で裁かれた被告たちをもっと知らなければ語れないことだと改めて思いました。












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