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卵をめぐる祖父の戦争 [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・ベニオフ著の「卵をめぐる祖父の戦争」を読破しました。

いつの間にやらamazonの「ほしいものリスト」に登録していた本書。
ひょっとしたら4月の「レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44」のときに見つけて 
そのままにしていたのかも知れませんが、無性に小説が読みたくなったので
2011年に文庫化された469ページの本書を選んでみました。

卵をめぐる祖父の戦争.jpg

LAで脚本を書いている「私」がロシア系の祖父母から
戦争の話を聞き出そうとするところから物語は始まります。
1942年の最初の一週間、祖母に出会い、親友ができ、ドイツ人を2人殺したことを語る祖父。
このようにして始まる戦争小説や戦争映画は、もはや定番ですね。

1941年の夏に侵攻してきたドイツ軍によって包囲されたレニングラード。
母と妹はすでにヴャージマに疎開し、暗殺されたセルゲイ・キーロフの名に因んで付けられた、
「キーロフ」という集合団地に住む17歳の若き祖父、レフが主人公です。
彼がこの地元の都市のことを「ピーテル」と愛称で呼ぶあたりはいいですね。
ペトログラードの名残りなんでしょうか。
そんな大晦日の夜、パラシュートで落下してきたドイツ兵の死体からナイフを盗んで、
逮捕されてしまったレフは、拘置所で20歳の脱走兵コーリャと一緒になります。

Leningrad fortified region.jpg

こんな理由でも死刑になったり、拘置所で餓死してしまうという当時のレニングラード。
2人はNKVDの大佐から特別任務を授かります。
それは来週金曜日に結婚する娘のために奥さんが造るケーキに必要不可欠な
「卵」を1ダース見つけてこいというもの。。
一般市民は飢餓に苦しんでいるなかで、砂糖に蜂蜜、小麦粉などは貯め込んでいるものの
「卵」だけはどうしても見つからないのです。
元ボクサーのような風貌のNKVDの大佐は、粛清の拷問を受けた傷跡が残る、
タフでおっかないオッサンで、こんな ↓ イメージ。。

Полковник НКВД.jpg

命にかかわる「配給カード」と引き換えに、
半年前なら1000個の卵が買えた400ループルもの大金と
このNKVDの大佐の署名の入った絶対的な許可証を渡されて、いざ出発です。
まぁ、「鷲は舞い降りた」のヒムラーのヤツと同じようなモンですね。

leningrad.jpg

闇市の露店が並ぶセンナヤ広場では、「ウォッカ」の名をした「メチルアルコール」に、
本の製本糊を煮詰めて棒状にした「図書館キャンディ」に金を払ってしまう2人。。
「図書館キャンディ」は蝋のような味がするものの、命を繋ぐ蛋白質が含まれているそうで、
以前、壁紙を剥がして糊を・・というのは読みましたが、そんな理由なんですね。

そして「卵を売ってやる」と言う大男に連れられて、そのアパートに行くと、
鉤爪に引っ掛けられた子供の胸郭、皮を剥いだ女性の太腿が・・。
命からがら逃げだす2人。いや~、食人鬼夫婦、こわいですねぇ。。
「悪魔のいけにえ」を思い出しました。キャ~!

texas-chain-saw-massacre_1974.jpg

続いて、噂に聞いた鶏を飼っている爺さんのもとを訪れて、なんとか最後の一羽をゲット。
ダーリンと名付けて、卵を産む瞬間を今か今かと待ちますが、
雄鶏であることに気づき、スープに変身・・。

「ピーテル」には一個の卵もないことを悟った2人は、戦線の向こう側、
50㌔離れたムガの集団農場に向かうことを決意します。
ムガを占領しているドイツ兵だって、卵を食べるだろう・・と推測するわけですが、
レニングラードに卵がない理由は、犬、猫、ネズミまで食べてしまうくらいですから、
卵を産む鶏なんて、とっくに食べちゃってるんですね。

防衛陣地では白い網がかけられ、カモフラージュされたKV-1戦車に、
ドイツ軍が「スターリンのオルガン」と呼んで恐れるカチューシャ・ロケットのトラックが・・。
大佐の許可証の効力は絶大で、それを見た軍曹は、
「すべてわかってる。パルチザンの組織化、だろ?いいねぇ」。

katyusha_2.jpg

そして郊外では背中に木製の箱が取り付けられ、死にかけた牧羊犬の姿。
気が付けはそんな犬の死骸がそこらじゅうに・・。
地雷犬に気づいたドイツの狙撃手に仕留められた犬たちなのです。

dog mines.jpg

ムガへの方角も間違え、夜になって辿り着いた一軒の農家。
そこにいたのは元気な4人の女の子たちです。
村の男たちは虐殺され、女はドイツの工場へ労働者として送られ、
彼女たちは侵略者の快楽のためにここに残されていたのです。

russian girls 1941.jpg

さらにここに来るドイツ人は国防軍兵士ではなく、「アインザッツグルッペン」。。
クラースナヤ・ズヴェズダー「赤い星」でも、この殺人部隊によって殺害された
ロシア人で埋められた塹壕の写真を掲載しており、すでに有名なのです。

1939-po-wkroczeniu-wehrmach.jpg

襟に4つの星を付けた、アインザッツグルッペン最年少の少佐であり、
首から騎士十字章を下げたアーベントロートはチェスと14歳のゾーヤが好み。
彼女たちが語るところによれば、逃げ出したゾーヤを捕まえてきて戻ると、
両手両足を押さえつけさせて、彼女の両足首をノコギリで・・。
イメージ的にはこんな感じの ↓ ヤツですかね。。

SS-Sturmbannführer Rafael Wolfram.jpg

このような悪いドイツ人が沢山出てくることで知られる1985年のソ連映画、
炎628」のDVDが年末に再発売されるようです。
観たくても廃盤でプレミア価格だったので、買っちゃおうかな。。



そんな極悪非道を絵に描いたようなアインザッツグルッペンAのゾンターコマンド隊長の
アーベントロートの命を狙っているパルチザン一行と行動を共にすることになった2人。
そしてリュドミラ・パヴリチェンコの記録を狙う、若い女性狙撃者のヴェラに
レフは淡い恋心を抱いてしまうのでした。

Soviet partisans.jpg

いまだ「卵」を求める2人とパルチザン一行は、アインザッツグルッペンAと行動する
エーデルヴァイスの部隊章を付けた第1山岳師団に追われると
敢えて彼らの捕虜になる道を選びます。
目的はドイツ軍の「卵」と、アーベントロートの「命」。
生き残った3人、レフとコーリャ、そしてヴェラの作戦は・・。

Gebirgsjäger-Division.jpg

いや~、最後の1行まで楽しめた戦争小説でした。
というより、青春ドラマというか、戦争ファンタジーと言っても良いかもしれません。
休日の朝っぱらから読み始めて、2回の食事休憩を挟みながら、
469ページを夕方までに読み倒してしまいました。

祖父である主人公のレフは小柄で痩せた、でか鼻で童貞のユダヤ人。
相棒のコーリャは背も高く、美男子で話の巧さも天下一品ですが、
後半に語られる彼が脱走兵となった理由も笑えます。とんだポコチン野郎で・・。
下品な会話が散りばめられた凸凹コンビの珍道中でもあります。
もちろん男の子のようなヒロインの狙撃者ヴェラも良い味出してますね。

著者は2004年の映画「トロイ」の脚本を手掛けているそうです。
監督が「Uボート」のウォルフガング・ペーターゼンだからってわけじゃありませんが、
この映画、結構好きなんですよねぇ。

Troy.jpg

そうそう、映画っていえば、8月の「戦争の世界史 大図鑑」で観たい、と書いていた
「高地戦」をWOWOWで観ました。
本書のヴェラのように若い女性狙撃手が登場するんですが、
コレが個人的な好みで、なかなかよろしい・・。
映画自体も非常に非情な戦争モノで、今年観たなかでNo.1です。

TheFrontLine-2011.jpg

最後の「謝辞」では、ソールズベリーの名著「攻防900日」は現在でも、
レニングラード包囲戦について英語で書かれた最も素晴らしい本であり、
「いつもそばにいて助けてくれた」と、著者は感謝しています。
もう一冊、クルツィオ・マラパルテ著「壊れたヨーロッパ」のドイツ軍vsパルチザンにも触れ、
「本書の物語を構成する上で不可欠だった」と述べています。
後者はまったく知らない本ですが、amazonにありました。5000円超えですけど・・。

壊れたヨーロッパ.jpg

また、世の中には「Twitter文学賞」なるものがあるそうで、
本書が2010年にハヤカワ・ポケット・ミステリとして出た際に、
「ツイートで選ぶ2010年ホントに面白かった小説」の第3位になっているようです。
なるほど・・。確かに戦争小説ファンじゃなくても楽しめる一冊かもしれませんね。
ソ連を舞台にした小説、「チャイルド44」と、「グラーグ57」 も読んでみたくなりました。



















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へんな商標? [ジョーク本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

友利 昴 著の「へんな商標?」を読破しました。

なにかの拍子に気になってしまった本書。
2010年に出た192ページの単行本で定価1500円です。
まえがきでは年間11万~12万件も出願されるという登録商標とはなんぞや??
と、簡単に解説し、さまざまな名商標、珍商標を集め、
その登録に至った事情や権利の強弱、商標制度の課題をわかりやすく考察しよう
という趣旨であることが述べられます。
今回、記念すべき500回目の記事ですが、300回400回とジョーク本ですし、
こういうタイミングの巡り合わせなんでしょう。
そんな話はさて置いて、早速、行ってみましょう。

へんな商標.jpg

一発目に登場する商標は、『1・2・3・ダァーッ』。
2002年に登録された、この有名な掛け声。。
権利者は「インタナショナル・エンタテイメント・エージェンシー」で、
アントニオ猪木の肖像権などを管理する資産管理会社です。
普通、商標と聞くと、商品名とか、ロゴマークを想像しますが、
いきなり「掛け声」で始まるところが、本書も只者ではないですね。

123_Daaa.jpg

「あの人の意外な商標」というのがこの第一章で、続いて『デヴィ夫人』とか、
イチロー』、『どこでもドア』と続きます。
1992年に『新・民主党』が登録されますが、権利者は中松義郎という方です。
東京に住んでいる方なら誰でも知っているであろう大発明家の「ドクター中松」ですね。
面白いのは出願日1989年というのが、管直人らが今の民主党を結成する7年も前・・。
当選したこともないのに、さすが考えることが凡人とは違います。

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2009年に東映が登録したのは、『仮面サイダー』です。
飲料メーカーとの協業によるサイダーの商品名だそうですが、全然、知りませんでした。
ショッカー戦闘員はなかなか良い図柄ですね。

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第二章は「その商標を取る意味は?」で、まずは『へっ』。
審査において拒絶査定とされたものの、コレに不服を申し立てた菊水酒造。
「『へっ』は人が驚いた時などに発する言葉の一つで、ちゃんと意味がある」。
そして3年後に登録されますが、特に『へっ』ていうお酒があるわけじゃなさそうです。

1935年には『ルナヨシナ』が登録・・。
時代が古くて右から読むんですね。

National.jpg

有名な権利者では任天堂の『Vii』があります。
大ヒット商品である『Wii』のインチキ商品対策によるものですが、
実際は『Vii』だけでなく、『Mii』とか『Yii』とか、17種類も登録済み。
『G-SHOCK』のカシオ計算機も、『A-SHOCK』から『Z-SHOCK』まで、
アルファベット26文字を登録しているそうです。

また、インチキ商品は商品名だけでなく、そのブランド(企業)名もパクるものです。
となれば『リニー』を登録したのは、「ソニー(SONY)」です。
もちろん『SOMY』や、『ZONY』も商標登録していますが、
ニセモノ大国中国では『SQNY』のラジオや乾電池が売られているのでした。

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任天堂の『ファミコン』は一筋縄とはいきません。
それは1979年にシャープがオーブンレンジ『ファミコン』を発売していたからです。
結局1985年に任天堂がシャープから商標を譲渡されたそうですが、買取額は不明なり。
本書ではこの『ファミコン』以外、商品が載っていないのが惜しいですね。

シャープ レンジ ファミコン.jpg

1945年の戦時中登録には、あの『ヒロポン』が・・。
2001年登録の『ゴリラの鼻くそ』は、上野動物園近辺で良く売っていますね。
最近は「ゴリラの鼻くそアイス」とか、「パンダの鼻くそ」なんてのも続々発売中だとか。。
ヴィトゲンシュタインは食べる勇気がありません。

ゴリラの鼻くそアイス_パンダの鼻くそ.jpg

第三章は「それどんな商品だよ!」。
ある意味、本書のメインとなる章でありますが、
最初の商品はコチラ。『草刈機まさお』。
筑水キャニコムが1997年に登録した、二枚目の草刈機です。

kusakariki masao.jpg

そういえば今年、マキタ草刈り機のCMが突然流れてきて、大笑いしました。
草刈正雄本人がタキシード姿で爽やかダンディに草を刈るCMです。



同じ筑水キャニコムが2005年に登録した『草刈機まさお』の後継機は、
1000/masao』。
・・・・ど~も、草刈は関係なく、「まさお」ブランドが確立しているようです。

1000masao.jpg

2004年にセパレーター協同組合が登録したのは、『梁ポッター』です。
ワーナー・ブラザースから異議申請が提起されたものの、無事、却下された逸品。。

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男前豆腐』も出てきました。
近所のスーパーに売っていて、何度か買ったことがあります。
確かに購買意欲をそそるネーミングですねぇ。

男の3連チャン 男前豆腐.jpg

第四章「勘違いされちゃうだろう!」で気になったのは、『切腹最中』ですね。
切腹っていうのは、映画やドラマみたいに腹切ってバッタリ死んでしまうわけではなく、
腸が飛び出して、介錯してもらわなければ痛さにのたうつ、実にグロい行為です。
そんな腹から臓物が飛び出したような商品が『切腹最中』です。
「切腹さいちゅう」ではなく、「切腹もなか」。
新橋の名物だそうですが、一度もお目に掛かったことがありません。おかしいなぁ。

Seppuku Monaka.jpg

1952年に出願された「ほも」も良いですねぇ。
トンボ鉛筆が昭和27年に発売した最高級鉛筆「HOMO」の商標で、
その由来は英語の「Homogeneous(均質な)」から来ているそうです。
しかし徐々に「ホモ」と言えば「同性愛者」ということになり、衰退。。

Tombow_HOMO.jpg

本書ではその他の「ホモ商品として、「ホモ牛乳」に、「ホモソーセージ」を挙げていますが、
確かに子供の頃、飲んだり食ったりした記憶が・・。

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最後の第五章は「その商標に逸話あり」。
ミッキーマウスに良く似たシルエットの『Lucky Mouse』。
当然のようにディズニーからクレームが付いて、権利消滅します。
そして『ミッキーランド/MICKYLAND』にもディズニーは黙っていません。
登録無効を求める主張は、
「『ミッキー』はミッキーマウスの略称として広く知られている」、
「『ランド』も開園以来、ディズニーランドへの連想性が強い」という横暴なもので、
それでは「ミッキー吉野」や、「よみうりランド」の立場がないじゃないか・・と。
最終的に特許庁はディズニーの主張を退けるのでした。
にしても、ディズニーは世界中で何勝何敗なんでしょうね??

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HOUND DOG』はメンバー間のゴタゴタによって、商標出願争いを繰り広げています。
結果として特許庁は誰の申請も認めず、
「6人組のバンドとして知られているのだから、6人全員の承諾が必要」と、
「商標登録をしたければ、仲直りをしなさい」と諭された形に・・。

本書では「ff(フォルテシモ)」等のヒット曲で知られるロックバンドとして紹介されていますが、
パッと思い浮かぶのは、1982年の「浮気な、パレット・キャット」ですね。
ヴィトゲンシュタインはHOUND DOGを一度だけライブで観たことがあります。
たぶん、1981年の日比谷野音での「100円コンサート」だったと思いますが、
今でいうところの「ジャパン・ロック・フェス」みたいなもんです。
中学生だったから、100円でいろいろなバンドが観れて嬉しかったですね。
他にはシーナ&ザ・ロケッツとか、ARB、トリはアナーキーだったような・・。
昔、カラオケ歌いましたが、今聞くと、ちょっと恥ずかしい。。



本書の大トリを飾るのは、コチラ、『KUMA』です。
もう説明するのは野暮ってもんですね。
「クマ」なのに、どうしても「クーマ」と読んでしまうあなたは、負けています。
面白いのはコレ、OKなんですよ。

kuma.jpg

いや~、笑った、笑った。。
嘘八百」や、「戦う広告」にも通じるところがあり、実に楽しめました。
特に『草刈機まさお』の次に、『1000/masao』が出てきたときには。。

今回、取り上げなかったものの、楽しめた商標を以下に記してみます。
チンチンシェイク』、『貼っといて!Cool』、『のどちん子』、『シャツを着たケーキ』、
ねまきを着たりんご』、『セフレ』、『お魚くわえたどら猫』、『メタボニート』・・。
どんな商品なのか?? 想像するのも楽しいですが、あくまで商標であって、
全て商品化されているわけではありません。
ですから、著者によるグダグダな推理が、本書の読みどころでもあるんです。

10月に第三章のタイトル「それどんな商品だよ!」として、文庫化されたようです。
ページ数も増えて、増強改訂版なのかもしれませんが、
とりあえず、続編の「へんな商標?2」を読んでみます。



と、いつもなら終わるところですが、そんな悠長なことは言ってられず、
勢い余って「へんな商標?2」も読んでしまいました。。

へんな商標2.jpg

一発目は『鉄子の部屋』。。
1992年に登録され、指定商品は清涼飲料ですが、なんなんでしょう??
著者は「鉄骨飲料」大ヒットしていた時期だ・・と推測しています。
この「徹子」ならぬ、「鉄子」って、今では鉄道女子の俗称でもあるんですねぇ。
愛称だと男性の場合は「鉄ちゃん」ですが、女性形もあるんでしょうか?



続いて『カレーなる一族』。
株式会社オリエンタルのカレールーのようですが、ちょっと調べてみたら、
あの田代まさしがやっていたカレー屋さんが「カレーなる一族」でした。
やばいネタだな。。

tashiro.jpg

同じカレーでは『18禁カレー』が登場。
これは去年、どこかのスーパーで見かけて驚いたことがあります。
本書でもどこらへんが18禁なのか??
もしかしたら具の形があんなことやこんなことになっているのかも・・と
心配しつつも、購入して食した結果、超激辛カレーであることが判明したそうです。
amazonでも売ってますよ。大人の方はチャレンジしてみてはどうでしょうか。



モッコリホラーズ』も危険な商標名です。
「モッコリ」がどのように「ホラー」なのかを著者は冷静に検討します。
夜道、会社帰りのOLの目の前に、ロングコートの中年男性が立ちはだかる。
おもむろにコートの前をはだけると、そこには・・
モッコリ・・・。
ギャ~~!
現実には踏んづけてもすぐに元の形に「モッコリ」と戻る、お化け人形なのでした。

モッコリホラーズ.jpg

第三章では「昔のへんな商標」と題して、明治大正などの古い商標を紹介。
薬剤なのに単なる『エロ』とか、薬剤なのに『悪魔祓』、
馬鹿石鹸』に、『強力殺虫粉 絶滅』などなど。まさに「嘘八百」の世界です。

後半のお気に入りは『熟女ライス』です。
権利者はソフト・オン・デマンドと、どこかで聞いたことのある会社だと思ったら、
AVメーカーでした。うぇ~、知ってたのが恥ずかしい。。
いわゆる「レンジでチンするごはん」なわけですが、
どのあたりが「熟女」なのかというと、前年収穫の「古米」なんだそうです。
しかしパッケージには「アダルト米」、そして「今が食べ頃・・」がソソラレます。 
でもやっぱり「新米」のほうが良いなぁ。つやつやしてて。。お米の話ですよ。

adult rice.jpg

吉本興業が販売差し止めを喰らった『面白い恋人』と、なぜかOKな『黒い恋人』など
まぁ、他にも紹介したいのがあるんですが、
あんまり書き過ぎると著者の方に怒られそうなので、この辺で・・。
それでも最後にひとつだけ・・、
先の『まさおブランド』で有名な??筑水キャニコムが1997年に登録した乗り物、
その名も『駆動静香』。

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ちゃんちゃん。







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クルスク大戦車戦 -独ソ精鋭史上最大の激突- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェフレー・ジュークス著の「クルスク大戦車戦」を読破しました。

このタイトルの本を読むのは3冊目で、最初は小説、2冊目は朝日ソノラマ
今回は1972年の第二次世界大戦ブックスです。
著者は1月に紹介した「モスクワ攻防戦 -ドイツ軍クレムリンに迫る-」と同じ方で、
アレはちょっとソ連軍寄りでしたね。

クルスク大戦車戦.jpg

まずはこのクルスクが大戦車戦の主戦場になった経緯から。
スターリングラードでの大勝利の直後、ソ連軍が楽観しすぎた結果、生まれた産物であった」と
1942年11月からの独ソ戦を振り返ります。
出てくる写真もヴォロネジ方面軍司令官のゴリコフと、南西方面軍のバトゥーチンからで、
窮地に陥ったドイツ軍をドン軍集団司令官に任命されたマンシュタインが撤退と
その後のハリコフ奪還作戦をヒトラーに進言します。

Golikov_Vatutin.jpg

見事、ハリコフとベルゴルドを奪還したマンシュタインは、次の段階として
この攻勢をクルスクに向けて継続し、中央軍集団の第2装甲軍はオリョールから南進、
南から北進するマンシュタインの部隊と手を握ろうと計画しますが、
「不敗の英雄ジューコフ元帥」が呼び寄せられ、応急対策が・・。
こうして春の雪解けがはじまって、クルスクに対する攻撃はお預けになるのでした。

Manstein relaxing on his favourite horse, Osman.jpg

この第2章は「ジューコフ対マンシュタイン」という章タイトルですが、
ジューコフの回想録もプレミア価格、マンシュタインの回想録も高いですし、
戦っていない「パットン対ロンメル」って本もあるくらいですから、
「ジューコフ対マンシュタイン」って本があっても良さそうなモンですけどね。

Georgy Konstantinovich Zhukov.jpg

ただ、今月末に「スターリンの将軍 ジューコフ」が白水社から出るようです。
白水社のHPでは「新資料により公正に描いた評伝の決定版!」と猛アピール。。
418ページで、3780円。悩むなぁ。

スターリンの将軍 ジューコフ.jpg

ソ連がほとんどT-34とKV戦車の2種類のみを生産し、
T-34に至っては月産1000両に達しているのに
ドイツ軍戦車といえば種類は豊富なものの、最新のティーガーが月産25両。
T-34のコピーともいえるパンターの生産も始まりますが、大量生産には程遠い状態。
そこで隠居生活を送っていたグデーリアンが装甲兵総監として復活。
本書では「ポルシェ博士のような狂気の科学者がムチャなアイデアを売り込んだり・・」や、
「軍需相であった無能なトート博士が飛行機事故で死亡・・」など、結構、辛辣ですね。
第二次世界大戦ブックスは20冊ほど読んでいますが、
「ドイツ装甲軍団―グデーリアン将軍の戦車電撃戦」を読み忘れていました。

Model-Guderian.jpg

1943年4月15日、「ツィタデレ作戦」が起案されますが、開始日時は未定のまま・・。
マンシュタインの南方軍集団は、ホトの第4装甲軍とケンプフ作戦集団(ケンプフ軍支隊)、
クルーゲの中央軍集団はモーデルの第9軍がクルスク突出部を切り取るハサミになります。
しかしティーガーにパンター、そしてフェルディナンドといった新型戦車を
大量に使用したいヒトラーは、なかなか作戦開始を決定できません。

Hitler, Ferdinand Porsche, and Albert Speer.jpg

対するソ連軍はそのスキに深さ180㌔にも及ぶ縦深防御陣地を構築。
ツィタデレの情報を流した「スパイ・ルーシー」こと、ルドルフ・レスラーが写真付きで登場すると、
なぜかシェレンベルクも写真で紹介され、「ルーシーの一味」とキャプションが・・。
本文には出てこないシェレンベルクなんですが、コレはなんなんでしょうね。
しかも有名な ↓ ニヤけた写真が使われています。。

schellenberg.jpg

結局、7月4日までずれ込んだツィタデレ作戦の開始。
いまや時すでに遅しと考えるマンシュタインと、作戦反対派のグデーリアンですが、
クルーゲは作戦実施を望みます。
その理由は、異常なまでに仲の悪いグデーリアンが反対しているからというもの。。

Hans Günther v. Kluge, Adolf Hitler.jpg

北部の攻撃を担当する第9軍のモーデルは、装甲部隊を突入させるための突破口を開くのに、
歩兵と砲兵の攻撃による昔ながらの戦法をとりますが、
強力な装甲部隊の代わりをするだけの砲兵力を持っていなかったために苦境に追い込まれます。

elefant.jpg

一方、南部はマンシュタインの配下の第4装甲軍のホト自身が有名な装甲部隊指揮官であり、
1人のドイツ軍司令官に任されたものとしては、最大の数の装甲師団を与えられます。
第3、第6、第7、第19の各装甲師団に、精鋭グロースドイッチュランド装甲師団
ライプシュタンダルテダス・ライヒトーテンコップから成る、強力な第2SS装甲軍団も。
しかももう一つの戦車大部隊であるケンプフ作戦集団がベルゴルドの南に位置していたことから
ヴォロネジ方面軍のバトゥーチンは、どちらが主攻撃なのかと判断に苦しみます。

Generäle Hoth und v. Manstein.jpg

そんなこんなで有名な「プロホロフカ戦車戦」も、写真と戦況図を用いて進みます。
第48装甲軍団長のクノーベルスドルフや第2SS装甲軍団長のハウサーも登場。
ソ連軍もカツコフの第1戦車軍に、ロトミストロフの第5親衛戦車軍などが・・。

Zitadelle.jpg

読んでいて、つい独ソ戦をボクシングに例えてみたくなりました。
1941年の初戦は、第1ラウンドからヒトラーのバルバロッサ・パンチの猛ラッシュで
スターリンはダウン寸前。しかし力を振り絞ったタイフーン・パンチの打ち疲れたヒトラーに
温存していたシベリアン・ブローでスターリンが反撃してドロー。

1942年のリターンマッチはスターリンの攻勢から始まりますが、
"青"・コーナー、ヒトラーのブラウ・カウンターがヒット。
脚を使ったスターリンのアウトボクシングも"赤"・コーナーに追い詰められますが、
第9ラウンドに起死回生の天王星パンチが炸裂して、一転、フラフラとなったヒトラー。
トドメの火星パンチをなんとか防ぎ、必死に繰り出す冬の嵐パンチは凌がれたものの、
マンシュタイン・バックハンドブローが見事に決まって、またも引き分け・・。

そして迎えた1943年の夏、3度目の試合。
鍛え上げた左右のパンチでぶちのめそうとするヒトラーに対し、
今度はガッチリ守ってカウンター狙いのスターリン。
左のモーデル・ジャブは完全にガードされますが、強烈な右のホト・ストレート
そしてケンプフ・フックは的確に捉えます。
しかしスターリンも狙い通りのステップ・カウンターを合わせて、互角の激しい打ち合いが・・。
と、まぁ、プロホロフカ戦車戦まではこんな感じでしょうか。。

Stalin beats up Hitler.jpg

7月13日、ヒトラーに呼び出されたクルーゲとマンシュタイン。
連合軍がシチリアに上陸し、ツィタデレ作戦も北部でのソ連の反撃が始まったのです。
グデーリアンが嫌いとかいう理由で、やる気満々だったクルーゲも
自分の戦線に大穴が空いたいま、「作戦は中止しなければ」と意見しますが、
互角の戦闘を続けている南部では、ソ連側の損害は甚大であると判断して、
「このまま続行すべき」と意見する強気のマンシュタイン。

von Manstein mit Ritterkreuz und Eichenlaub vor Karte in mittlerem Schützenpanzer.jpg

ロコソフスキーの中央方面軍だけでなく、ソコロフスキーの西部方面軍、
ポポフのブリャンスク方面軍の反撃を受けるドイツ軍ですが、
ここにきて「防御の達人」であるモーデルが本領を発揮します。
8月の前半いっぱいをかけて、オリョールから第9軍と第2装甲軍を整然と撤退させたモーデル。
スターリングラードのような悲劇は起こらなかったものの、
14個師団に相当する兵力を失い、ドイツ軍にはもはやこのような大損害を
補充する力は残っていないのです。

Walter Model.jpg

南部でもソ連の攻勢によってベルゴルドを明け渡し、再び、ハリコフ争奪戦へ。
「なんとしてもハリコフは保持せよ」と厳命するヒトラーと対立するマンシュタイン。
参謀総長のツァイツラーが司令部にやって来ると、「お説教」する軍集団司令官。
「統帥部はもはや、どの師団が抽出できるとか、クバンの橋頭堡が保持できるかという、
個々の問題に首を突っ込む時期ではない。もっと大きな問題を考えるべきだ。
ソ連軍はわが軍の南翼を撃滅しようとしているのだ」。

前にも参謀総長のハルダー大将に向かって、軍集団司令官のフォン・ボック上級大将が
「きみ」呼ばわりで意見する・・という話がありましたが、
ツァイツラー大将とマンシュタイン元帥だと、同じパターンなんでしょうね。
参謀総長といえど、ヒトラーだけでなく、口うるさ型の元帥がいっぱいで大変そう。。

Panzergrenadier Division Großdeutschland Zitadelle 1943.jpg

9月にはドニエプル川にかかる橋梁を目指して、ドイツ軍とソ連軍の競争が始まります。
800㌔もの正面に展開している軍隊をわずか5ヶ所の橋梁で川を渡らせ、
今度は川の西岸に沿って650㌔の正面に再展開させるのがマンシュタインの仕事です。
こうして11月、キエフがソ連軍の手によって解放されたところで本書は終了。

Schlacht der Dnepr-Karpaten-Operation.jpg

1942年11月のスターリングラード包囲から始まって、第三次ハリコフの戦いを経て、
クルスク突出部が誕生。
メインの「クルスクの戦い」から、キエフ奪還までが書かれた本書。
後半のドニエプル川まで撤退するドイツ軍と怒涛の進撃を見せるソ連軍の場面では、
パウル・カレルの「焦土作戦」を思い出しました。
実際、あの本も同じような展開であり、そういった意味では、
204ページ本書はクルスク戦というよりも、焦土作戦のダイジェスト版とも言えそうです。

ただ、戦域が大きいですし、登場するソ連の各軍や将軍たちの数を考慮すると、
このボリュームではとても網羅しきれていない印象も持ちました。

歴史の「IF」として、もしクルスク戦でドイツ軍が勝っていたら?? というのがありますが、
やっぱり戦車を含めた膨大な戦力を独ソ共に消耗し、
単に突出部が消えて、戦線がまっ平らになっただけで、再度、睨み合い・・、
というヤツを支持します。

Saviors.jpg

しかし、もし1941年の冬にモスクワが陥落していたら??というのになると、これが難しい。。
前年のフランス政府もパリからボルドー、あるいはロンドンに逃げて・・ですし、
ギリギリまでクレムリンに留まっていたスターリンがどうしたかを推測することになります。
むざむざドイツ軍に捕えられたり、ヒトラーみたく自殺するような人間とはとても思えない。
これは開戦当初にスターリンが打ちひしがれて別荘に引き籠ったというのを
その通りに考えるか・・によると思います。
個人的にアレは、書記長で首相という政治家としては確かに失敗したと認め、
けれども最高司令官として新任されるためのポーズであった・・という説を取ります。

ですから、スターリンとしては、敵はヒトラーではなく、側近と赤軍を含む内部にあり、
和平を目論む連中のクーデター(スターリン粛清)を一番恐れていたんじゃないでしょうか。
グルジア出身だし、若いころに何度もシベリア送りを経験しているだけに、
ドイツ軍から逃れるためには、いくらでも東に行ったでしょうし、
そのような段取りも考えたうえで、モスクワに踏みとどまるポーズをしていたと思うのです。

結局、ドイツ軍にモスクワを占領されたとしても、
側近たちの信任を得ている間は、ウラル山脈の向こうからでも徹底抗戦したと思いますし、
逆にドアを蹴破れば、ソ連は崩壊するだろうと語っていたように、ヒトラーとしては
共産党の内部分裂と、赤軍、またはソ連市民の反乱が起こることによって、
スターリンを失脚させ、その後、和平を結ぼう・・と期待していたのではないでしょうか。
もちろん、モスクワが占領されたという事実によって、
これらが引き起こされることもありますが・・。
スターリンがロンドンで亡命政府を・・なんてことになったら笑いますけど。。

Churchill and Stalin.jpg

と、こんな妄想には答えはないのがわかっていますが、
とりあえず、「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」購入しました。
寒くなってきましたから、コレを読むにはもってこいですね。

ちなみに今日は11月19日。
1942年にはスターリングラードで「天王星作戦」が発動された日です。
それから25年後、ヴィトゲンシュタインが生まれたのでした。









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帝国日本とスポーツ [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高嶋 航 著の「帝国日本とスポーツ」を読破しました。

9月の洋書写真集「第三帝国のスポーツ」と偶然にも似たタイトルの300ページの本書は、
昨年に発行された時から、そのレトロ雰囲気の表紙からして気になっていました。
戦前、戦中のプロ野球や、大相撲についても読んできましたので、
明治神宮競技大会を中心とした、大日本帝国のスポーツとは如何なるものであったのかを
キッチリ勉強してみたいと思います。

帝国日本とスポーツ.jpg

第1部は「極東選手権競技大会の系譜」です。
1910年にフィリピンのYMCA体育主事に就任したエルウッド・ブラウンによって
「極東オリンピック」が提唱されます。
19世紀末にフィリピンを領有することになって、アメリカ化を推進していた米国は、
中国や日本をまわり、極東オリンピック協会の設立を協議しますが、
大日本体育協会の会長であり、IOCメンバーでもある嘉納治五郎は、この提案に消極的。
その理由は、
①フィリピン、中国にいるアメリカ人が主導権を握っている。
②キリスト教の宣伝に利用されている。
③オリンピックで充分である・・など。。

20代のころは講道館の近所に住んでいましたので、嘉納治五郎の銅像とは
毎日のように顔を合わせていました。当時は「柔道の父」とだけ知っていましたが、
オリンピックにも深く関わって、「日本の体育の父」とも呼ばれていたんですね。

Kanō Jigorō.jpg

1913年に開催された極東オリンピックは、本家のクーベルタン男爵からクレームを付けられて、
第2回から「極東選手権競技大会」へと改称することに・・。
そして隔年で東京や大阪でも開催され、アメリカ人の影響もなくなって
日本、中国、フィリピンの3国の極東人の手による極東大会となりますが、
審判の不公平によって選手団が試合放棄するなどの問題も・・。

Far Eastern Championship Games 1923.jpg

また1931年に満州国が誕生すると、中国ともこじれ、独立を目指すフィリピンの立場など、
3ヶ国の外交はキナ臭くなってきます。
そして1936年、次回1940年の東京オリンピック開催権を獲得した日本。
ベルリン・オリンピックで導入されたギリシャのオリンピアからの聖火リレーも、
「聖火」ではなく、天孫降臨の地か、神社で採火した「神火」をリレーすべきとの意見も。。
これもオリンピックが皇紀2600年の奉祝行事の一環であるという認識からですが、
結局、日中戦争の勃発によって1938年には開催権を返上することに・・。

ポスターまで作ってたのに残念ですが、ハニワってセンスが凄い。。
1936年のガルミッシュパルテンキルヒェン冬季オリンピック切手を彷彿とさせますね。

1940 Tokyo Olympics.jpg

「極東選手権競技大会」も消滅し、「東京オリンピック」も返上することになった日本。。
満州国と中華民国臨時政府という、日本の傀儡国との国際スポーツ競技会を開催します。
「紀元2600年奉祝東亜競技大会」と銘打って、1940年6月に東京と大阪で開催。
日本選手294名、満州国から196名、中国82名、フィリピン77名、ハワイからも17名、
蒙古から12名、在留外国人が26名の、総勢704名です。
実施競技は陸上、サッカー、テニス、ホッケー、ボクシング、バレーボール、ラグビー、
バスケットボール、ヨット、レスリング、自転車、卓球、野球など。

東亜競技大会.jpg

「勝てばよいという西洋の競技中心主義を根こそぎ捨てて、東亜スポーツ精神を昂揚させた」
と言いつつも、「盟主日本の面目にかけて優位に立つ」ことが必要です。
結果は、35種目の競技のうち、25種目を制する日本の圧勝。
しかし準備不足も手伝って、観客も不入り。開会式でさえバックスタンドの芝生席はがら空きで、
ベルリン・オリンピックの再現は「夢想」に終わるのでした。

the 26th centenary asia athletic meet 1940.jpg

第2部は「明治神宮大会の系譜」です。
1924年10月、完成間もない神宮外苑競技場で内務省主催による
「第一回明治神宮競技大会」が挙行されます。
これは名称を変えながらも1943年まで続き、
戦後は「国民体育大会(国体)」に形を変えて、現在に至っているわけですね。
本書は白黒ながらも所々で当時の写真や、ポスター、参加章などが掲載されていて、
今は無き、明治神宮外苑競技場の全景も・・。

Athletic Grounds at the Outer Precincts of Meiji Shrine.jpg

先の「紀元2600年奉祝東亜競技大会」もここで開催されており、
1956年に取り壊され、1964年の東京オリンピック向けて、「国立競技場」が建設されます。

National Olympic Stadium (Tokyo).jpg

東京オリンピックの時には姿形も無かったヴィトゲンシュタインですが、
1995年のトヨタ・カップなど、3,4回は足を運んだことがあります。

ajax_TOYOTA_cup.jpg

しかしこの「国立」も、来年には取り壊し工事が始まり、
2020年のオリンピックに向けて「新国立競技場」となるんですね。
近未来的なデザインも悪くはないですけど、50年もすれば、また古臭くなるんだから、
日本らしい、例えばお城などをイメージできるような外観も良いと思うんですけどね。

新国立競技場.jpg

さて、明治神宮大会は「国民の祭典」として、広く国民すべてが同じ土俵で戦おうというもので、
当時、日本で唯一のプロ・スポーツである「相撲」のみ、素人限定とされます。
オリンピックもアマチュア・スポーツと定義されていますが、
1920年のパリ・オリンピックの日本予選では、長距離競争のプロが排除。
彼らは「車夫、郵便配達夫、牛乳配達夫、魚屋」であり、
脚力を職業としている「プロ」扱いなわけです。
しかし、この明治神宮大会では彼らのマラソンへの参加などが認められるのでした。

jinguugaien-jyuyo.jpg

「明治神宮国民体育大会」と改められた1939年の第10回大会。
これまで「明治天皇を敬慕し、平素の鍛錬の成果を奉納する」ことであった大会の趣旨は、
日中戦争が始まったいま、「体育国策」として、「国民精神総動員の具現」へと変化・・。
国家にとっての重要性を示す序列化が行われ、
剣道、柔道、弓道、相撲、国防競技、集団体操、陸上、馬術、射撃、体操、蹴球、
ラグビー、野球、排球、籠球、漕艇、庭球、ホッケー、卓球、ヨット、自転車と、
武道が上位に、球技と乗り物が下部に置かれます。
人気スポーツのサッカーやバレーボールが、集団体操にも負けるわけですね。。

10th medal.jpg

また、ボクシングに至っては除外されてしまいます。
「日本には武道があるから、そういう外来の拳闘などはいらん」。
参加を申請していたフェンシングとレスリングも同じ理由で不承認です。
ちなみに「国防競技」には、行軍競争、障碍通過競争、手榴弾投擲突撃、土嚢運搬継走、
牽引競争といった種目があるそうですが、種目単位しかないんでしょうか?
現在の陸上十種競技のように、得点に換算して勝者は
「キング・オブ・国防」と称えられたり・・、なことはないですね。。

手榴弾投擲.jpg

1941年の第12回大会になると、さらに戦時色が濃くなってきます。
軍事的見地から、「体力章検定級外甲合格」を大会参加資格としますが、
1939年に制度化されたこの運動能力テストは15歳~25歳の男子を対象とし、
合格ラインとなる初級の場合、100m走を15秒、2000m走を9分、走幅跳を4m、
手榴弾投を35m、40kg運搬を50mで15秒、懸垂を5回・・。
こりゃ結構、キビシイですね。ナチス・ドイツでも似たことやってましたっけ。。

体力章検定 .jpg

さらに競技種目の整理。
前回大会で朝鮮人選手の独壇場となった重量挙げが除外され、
ホッケーやハンドボールも。
あらゆる階層に浸透しつつあった卓球も同様ですが、戦時下のスポーツとしては、
「女わらべのお手玉遊びに類する競技をもって、真摯敢闘の精神云々も・・・」。

1934_Table tennis team.jpg

この12月に太平洋戦争が始まると、翌年は「明治神宮国民錬成大会」と改称されます。
厚生省、文部省が主導する各種大会も開かれ、スポーツ界は活況を呈する反面、
民間主催の大会は中止を余儀なくされ、朝日新聞社も野球の甲子園大会を中止。
「錬成」の主たるものは「体操」で、明治神宮大会に占める比重は大きくなり、
各種集団体操の多さにスタンドからも「また体操か」との声も上がります。

jingu taiso.jpg

本書では大会ごとの体操を一覧表で・・。
鉄道省体操団1300名による「国鉄体操」に、土浦海軍航空隊1000名の「海軍体操」、
女子専門学校連合1200名の「女子専門学校体操と大日本女子青年体操」などなど・・。

明治神宮国民練成大会 1942.jpg

最後の第3部は「大東亜会議と明治神宮大会」と題して、
神宮外苑競技場ではよく映像でも流れる「学徒出陣」にも言及します。
また、1943年の最後の大会はより詳細に分析し、
最後に残ったのは集団訓練と体操、そして演武形式による相撲と武道。
スポーツといった対等に勝敗を争い、ときに偶然が勝敗を決める競技ではなく、
指導者の号令に従い、ただ黙々と身体を動かす体操には偶然性や自主性が
つけ込むスキはありません。そしてそれが戦時下では大きな利点だとしています。

学徒出陣_明治神宮.jpg

予想以上に楽しめた一冊でした。
集団体操など、思わず喰いつくような写真がいい塩梅で出てくるあたりも
読んでいて興味が途切れない理由でしょう。

著者は中国史の研究者である京大の准教授の方ですが、
ありがちな論文のような書き方ではなく、この時代のアジア全般についても
非常にわかりやすく書かれていて、勉強になりました。
とはいえ、中国の傀儡政権だけは、ど~もややこし過ぎますね。
コレを理解するのには、「ニセチャイナ」を読んでみる必要がありそうです。

ニセチャイナ.jpg

英米的、自由主義的、個人主義的という言葉を冠せられた「スポーツ」。
外来のスポーツは日本において発展するどころか、
戦局と共に武道と体操、軍事訓練に場所を譲る羽目になったのです。
2020年の東京オリンピックに向けて、本書のように
日本スポーツの歴史を振り返ることも大事なことかもしれませんね。





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ニュールンベルク裁判 -暴虐ナチへ“墓場からの告発”- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオ・カーン著の「ニュールンベルク裁判」を読破しました。

過去に紹介した「ニュルンベルク・インタビュー」と、「ニュルンベルク軍事裁判」に続く、
3回目のニュルンベルク裁判モノの紹介です。
しかし、先の2冊がいずれも上下巻の大作であったのに比べ、
本書は1974年の第二次世界大戦ブックスだけあって、204ページとコンパクトです。
それにしても副題が最高すぎます。。
「暴虐ナチへ“墓場からの告発”」・・。
ナチスが悪役なのはごもっともとしても、今じゃつけられないような副題ですね。
まるで、ナチス・ゾンビとか、C級ホラー映画の邦題みたいで笑ってしまいます。

ニュールンベルク裁判.jpg

終戦後の裁判に至る前段階として、1943年の10月に起こった出来事。
一つは国連戦争委員会の正式設立で、1945年3月までに2000人の戦犯リストを作成。
二つ目はルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの3首脳が署名した「モスクワ宣言」。
この宣言では戦犯を2つに分け、別の裁判を行うことを選択します。
「小物」の扱いは以下のとおりです。
「残虐行為、殺害、処刑に責任を持つか、承認したドイツ軍将兵およびナチ党員は、
犯行が行われた諸国へ送還され、裁判を受けて処罰される」。
ルドルフ・ヘースなどの強制収容所所長とか、ワルシャワ・ゲットー鎮圧のシュトロープ
マルメディ虐殺のパイパーなんかがこの部類に入るんでしょうね。

peiper_hoess_Stroop.jpg

そして「大物」たちについては漠然とした表現で、
「特別の地理的場所を持たない戦犯たちは、連合国政府の共同決定によって処罰される」。
この1943年10月という時期を考えると、東部戦線ではクルスク戦が終わって、
ソ連軍の逆襲が始まり、南では北アフリカから連合軍がイタリアへ・・という状況ですから、
ホロコーストを筆頭としたナチス・ドイツの蛮行がこれから明るみになってくるわけですね。

The Palace of Justice at Nürnberg.jpg

そして連合軍が勝利した戦後早々に、裁判に向けた意識合せがロンドンで行われます。
主導権を握る米国は、ナチの戦争が不法であったという論拠で、
フランスなどドイツに占領された国々は、ナチが集団強盗であったことを示そうと、
ソ連は基本的には米国と同じ考え方ながらも、条件付き・・。
それは「犯罪の定義は、ドイツとその同盟国の行った侵略行為にハッキリと限られるべきである」。
1939年のポーランド侵攻からがナチの犯罪として、裁判の対象となったことから、
東からポーランドに侵攻し、その後、フィンランドにも攻め入ったソ連としては、
自分たちは対象外にしてもらうのが条件になるわけです。

Russian_judges_Iona Nikitchenko_at_Nuremberg.jpg

「共同謀議」、「平和に対する罪」、「戦争犯罪」、「人道に対する罪」の内容が定義され、
「上官の命令」をもとに行動したと証明できても、責任は逃れられず・・・、といった
判断の難しい問題も定義されています。
そのための証拠集めが始まると、ナチの哲学者で東方占領地域相だった
ローゼンベルクの記録がとある城の壁の隠し場所から発見され、
外務省のほとんど完全な記録、500㌧も押収。
ポーランド総督のハンス・フランクは逮捕時に大量の日記を引き渡します。

Jodl, Frank, and Rosenberg.jpg

こうして始まったニュルンベルクの裁判。四ヵ国の裁判官と検事らが紹介されますが、
初めての「同時通訳システム」も導入します。
「大物」と認定された24人の戦犯も、本書はプロマイドのように写真付きで紹介。
するといきなり、「ロベルト・ライはこの便所用の水道管にタオルをくくりつけて自殺した」と、
その不気味な ↓ 写真が・・。

The cell where Robert Ley hanged himself.jpg

幸い、ライの死体写真はありませんでしたが、
「1945年、敗戦で夢破れて自殺したライプチヒ市長一家」というキャプションで
2ページぶち抜きの写真が出てきて、相変わらずこのシリーズはビックリします。
この人、アルフレート・フライブルクという1939年から市長を務めていた古参ナチ党員です。
奥さんと娘さんも一緒かぁ。。

Alfred Freyberg Wife & daughter _Leipzigsuicide.jpg

1945年11月21日の第1日目は罪状認否。
被告全員は無罪を申し立てますが、唯一、欠席中のボルマンについても、
「無罪を申し立てたものと推定された」そうです。そんな決めつけなくてもねぇ・・。

被告たちは総統について、「脅迫的な嘘つき」であり、
「成功によって狂人に変わった神経病患者」であり、
「自国民の破壊者」であることに気付いたものの、手を打つには遅すぎたと語ります。
そして変態的なユダヤ人嫌いのシュトライヒャーは当然ながら、
RSHA長官のカルテンブルンナーも「SSのブタ野郎」と被告仲間からも嫌われ、
副総裁ヘスは「進行性健忘症」・・。
麻薬中毒から復活したゲーリングが統一戦線を築こうと頑張りますが、
それに反発するのはシュペーアという図式です。

nuremberg-trials-Goering_Rosenburg 1945.jpg

重要な証言者たちも登場。
「ナチ指導部の根本的目標はヨーロッパ大陸の支配であった」と証言するのは、
ヒトラーの通訳だったシュミット
悪名高い「コミッサール命令」について証言するのは、オーレンドルフ
このことはOKW作戦次長だったヴァーリモント将軍も同意見です。

SS chief Ernst Kaltenbrunner.jpg

アウシュヴィッツ強制収容所の実情については所長のヘースが証言し、
リディツェ村オラドゥール村の虐殺行為、ワルシャワの鎮圧
ローゼンベルク特別部隊による、絵画や彫刻などの美術品の組織的な略奪行為も
明らかにされていきます。
つい先日、みのもんたの居なくなった「朝ズバッ!」から、
突然、「退廃芸術」という聞きなれたフレーズが流れてきましたが、
ミュンヘンで「ナチス略奪絵画1500点発見」というニュースでした。



「ナチスは当時、ドイツや欧州各地でユダヤ人の所有する美術品を多数、没収したり
買いたたいたりして略奪した。」

まぁ、没収が略奪なのはわかりますが、買いたたくのが略奪なのかはわかりません。
しかし最近、ナチス関連ニュースが多いですね。

1年近くに及ぶ裁判。判決の時が近づいてきます。
しかしドイツにも優れた弁護人がおり、「あなたも同じ」作戦を繰り出します。
特に「無制限潜水艦戦争を行った罪」で告発されたレーダーデーニッツですが、
米英両国も明らかに同じことを行っていたという理由で、コレについては罪を免除。

Nuremberg-trial_Raeder_Donitz_1946.jpg

また、告発されたのは個人だけではありません。
ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SS、SA、内閣、軍参謀部および軍司令部の7つの組織が該当。
結局のところ、ナチ指導部、ゲシュタポ、SD、SSが犯罪組織と認定されますが、
こういう結果からも国防軍や参謀本部が潔癖であると言われるようになったんでしょうか。
ただし、裁判官の満場一致ではなく、ソ連の裁判官ニキチェンコ将軍は不服意見です。

Nuremberg trial.jpg

予期された被告12人に死刑判決が下ります。
この人数に収まったことについて著者は、情状酌量の状態が考慮されたと推察します。
最後の章では「裁判の総括」として、「ほぼ、完全に公平であった」とも結論付けています。
その一方で、ロンドン会議の席で米代表が適用される法は、連合国側が同様の犯罪を犯せば、
それにも適用されなければならないと主張して、ソ連側と対立したように、
第2次大戦後、ドイツと日本に適用された法が、それ以降、他の国の
主要戦犯には適用されておらず、また近い将来に適用される見込みもない・・
という事実に目をつぶってはならないと締め括っています。
まぁ、勝利国による裁判ですから、ドコまでが公正公平なのか・・ですね。

Nuremberg Trials_nazi_death.jpg

ニュルンベルク・インタビュー」は、ナチスの被告たちの精神状態を検証したもの。
ニュルンベルク軍事裁判」は裁判全体をドラマティックに描いたもの。
そして本書はニュルンベルク裁判そのものの意義を振り返ったもの・・、
という風に区別できると思います。
ボリュームは無くても、相変わらずうまくまとめられた第二次世界大戦ブックスで、
この裁判について知りたいと思われる方にはピッタリです。
まだ、ヴェルナー・マーザーの「ニュルンベルク裁判―ナチス戦犯はいかにして裁かれたか」
が残っていますが、そろそろ「東京裁判」モノも気になっているところです。
しかしナニを読めば良いのやら。。





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