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第三帝国の興亡〈4〉 ヨーロッパ征服 [ナチ/ヒトラー]

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈4〉」を読破しました。

いよいよ第4巻、後半戦に突入です。
バラつきはあるものの、各巻上下2段組みで350ページほどありますから、
なかなか大変なボリュームです。
本書で取り上げられる資料としては、陸軍参謀総長の「ハルダーの日記」に、
OKW作戦部長「ヨードルの日記」、イタリア外相「チアーノ日記」、
そしてポーランド総督「ハンス・フランク日記」と、どれも抄訳でも良いから
翻訳して欲しい日記ばかりで、読んでてちょっとイライラしてしまいます。。
エンゲルの「第三帝国の中枢にて-総統付き陸軍副官の日記」が出てるんですからねぇ。。

第三帝国の興亡〈4〉.jpg

1940年5月10日、ベルリン駐在ベルギー大使とオランダ公使は、
両国に対する英仏軍の攻撃が切迫しているので、その中立を保護するため、
ドイツ軍が彼らの国に進駐しつつあることを外相リッベントロップから通達されます。
さらに「もし抵抗があれば、あらゆる手段をもって粉砕する。
そして流血の責任はベルギー、オランダ両政府にある」という、とんでもない最後通牒が・・。

この遂に始まった西方電撃戦
いわゆる「マンシュタイン・プラン」の大胆さにヒトラーが惹かれ、
その計画立案者ハルダー参謀総長から個人的に好まれていなかったことから左遷・・、
という作戦計画が二転三転して決定するまでの様子も書かれています。

manstein On the eve of the French campaign, May 1940.jpg

多くの民間人が犠牲となったロッテルダム爆撃の死者は、最初の報道では
「3万人」と報じられ、1953年の大英百科事典でもその数字が挙げられていたそうですが、
オランダ政府自身がニュルンベルク裁判に「815名」という数字を提出しているそうで、
こういうのを読むと、戦後勝戦国が、如何にナチス・ドイツの非道性を作り上げようとしたか
なんとなくわかるようです。

Aftermath of bombardment Rotterdam, Holland on the 14th of May 1940.jpg

ベルギーとフランスを席巻し、英国派遣軍も本土へ追いやったところで、イタリアが参戦・・。
ムッソリーニはフランスとの休戦交渉を共同でしようと、ヒトラーに提案しますが、あっさりと無視・・。
遅ればせながらやって来た友人に、歴史的なコンピエーニュの森でそれを行うことすら教えません。
そして米国人ジャーナリストの著者は50ヤード離れた場所からヒトラーの
「真剣で厳粛だったが、復讐心が滲み出ていた」顔も観察します。

Forêt de Compiègne 1940.jpg

フランス代表団は「我が国を打ち破ることのなかったアルプスの向こうの別の国が、
同じ要求を出したとすれば、フランスは屈服せず、あくまで戦うだろう」と語ります。
司会役だったヨードルは、絶望的に打ち負かされた敵の、
イタリアという卑劣な国名さえあえて使わない反抗的な言葉に驚きつつも、
イタリア側について言ったことは「よくわかる」と言わざるを得ない・・。

その2日後に仏伊休戦協定がローマで署名されます。
この件については初めて読んだ気もしますね。
ムッソリーニは彼の軍隊が征服した地域を獲得することができたわけですが、
それはフランス領土内へわずか数百ヤード食い込んだ地域・・です。。

Mussolini giving an address from the top of an armoured vehicle, circa 1940.jpg

一方、ヒトラーとドイツ軍はダンケルクから逃亡した英国を屈服させるため
英国本土上陸の「あしか作戦」をレーダー元帥の海軍主導で進めるものの、
この計画にハルダーは湯気をあげて反対。
「上陸部隊をソーセージ製造器に放り込むのも同然である」。
かくして、ドイツ空軍によるバトル・オブ・ブリテンが主流となり、
ロンドンへの爆撃も始まりますが、9月10日の総統指令では、
「純粋な住宅区域に関するテロ攻撃は、最後の圧力手段として留保する」と
英国対してはまだまだ気を使います。

London, 1940.jpg

「侵攻が成功していたら」という章は興味深かったですね。
戦後、押収された文書から陸軍総司令官ブラウヒッチュの署名のある指令などを紹介し、
「17歳から45歳までの肉体的に強壮な男子住民は大陸に送致する」、
そしてヒムラーとハイドリヒ率いる恐怖の的であるRSHA(国家保安本部)は
あのフランツ・アルフレート・ジックスをロンドンでの指揮に当たらせようとしていた・・として、
ハイドリヒの命令、「やむを得ない場合には英国の各地に
小さなアイザッツグルッペンを設置することを許可する」。
また、その地域もバーミンガム、リヴァプール、マンチェスター、エジンバラ・・と具体的。

う~ん。これも初めて聞いた話ですが、ポーランドでの状況とジックスの役割などを考えれば、
決しておかしくない妥当な人事だと思います。
レン・デイトンの「SS-GB」を再読したくなりました。

Himmler_Heydrich 1939.jpg

このような西部での戦いを眺めていたソ連は、フランスが休戦を求めた日、
モロトフがドイツ大使シューレンブルクを招いて、
「ドイツ国防軍の素晴らしい成功について、ソ連政府のこの上なく暖かい祝意を表明」します。
しかしスターリンはこの成功をただ傍観していたわけではありません。
あっと言う間にバルト3国に侵攻し、ドイツ公使館の閉鎖も通告。
ヒトラーに負けず劣らず、それどころか乱暴で情け容赦なく、一層シニカルでさえあります。
英国侵攻に忙しいヒトラーは、なに一つ対抗策を打てず、屈辱を感じるのみ・・。

日独伊の三国軍事同盟が調印されそうになると、ソ連政府は
「調印される前にそのテキストを見る権利があり、秘密議定書があれば同様」と
かなり疑心暗鬼になってきます。フィンランドからのドイツ軍の撤退も要求し、
ブルガリアやルーマニア問題にも細かく介入してくるモロトフにうんざりし、
冷血なゆすり屋、スターリンという好敵手に出くわしたヒトラー。

Иосиф Виссарионович Сталин.jpg

地中海問題でも、南部での一大ツアーで解決しようと試みるものの、
誤魔化し上手なフランコ、間の抜けたムッソリーニ、老いぼれたペタンに邪魔されて
解決の糸口さえ掴めぬまま、憤慨を繰り返すのみ。。

第三帝国の要人たちが登場する際には、第1巻でのシュトライヒャーやローゼンベルクのように
そのダメさ加減と俗人ぶりも紹介する本書ですが、
ゲーリングは出てくる度に「デブの国家元帥は・・」という程度でまだマシなほう。。
ゲッベルス、ヘスなどは登場機会が少ない分、著者が考える第三帝国の「二大バカ」は
リッベントロップとローゼンベルクのようで、この巻でもチンチンに紹介されています。

Hermann Göring.jpg

こういうムダにけなすのは、ふつう読んでいて嫌な気がするものですが、
ココまで徹底して、ほとんど「お約束」にようになっていると、さすがに笑ってしまいますね。
ちなみにこの巻で東方相として登場するローゼンベルクは
「頭が朦朧としたバルト人で、当人が生まれ教育されたロシアの歴史についてまでも
まごうことなき誤解の天才だったこのナチの薄のろは・・」。

始まった「バルバロッサ作戦」の様子はやっぱり「ハルダー日記」が中心となっています。
特にフォン・ボック率いる中央軍集団のモスクワ攻撃を中止し、
フォン・レープの北方軍集団のレニングラード
フォン・ルントシュテットの南方軍集団を強化させる展開となると、ハルダーの日記も
「我慢がならぬ。聞いたこともない」と怒り爆発し、陸軍総司令官ブラウヒッチュとともに
辞任することを提案しますが、「ブラウヒッチュは拒絶した」。
前任参謀総長ベックのときと同じ展開ですね。
そして現場の指揮官としてグデーリアンが呼ばれる展開になると、
彼の回想録からの引用も多くなってきます。

Alfred Jodl Franz Halder and Walther von Brauchitsch and Wilhelm Keitel.jpg

その他、リデル・ハートの「ナチス・ドイツ軍の内幕」や「運命の決断
なども当時の将軍連が考えていた話として引用もしていますね。

こうして行き詰ったモスクワ前面を前にしての兵も装備も凍りついた12月の挫折。
ルントシュテットとボックは交代させられ、後任のクルーゲとの確執から
「近代戦にあれほどの革命をもたらした機甲戦の創始者である果敢なグデーリアン将軍までが
免職となった。同じく輝かしい戦車隊長であったヘプナー将軍は位階を剥奪され、
軍服の着用を禁じられた」。

Guderian & von Kluge_1941.jpg

破局を避けるために全面的後退の必要があるとわかる程度の頭はあった、
お追従もののカイテルまでもそれを言うだけの勇気を奮い起こしますが、
ヒトラーに「間抜けめ」と怒鳴りつけられると、惨めなOKW長官はピストルを傍らに置き、
辞表をしたためます。その姿を見たヨードルは、そっとピストルを取り除けて、
総統の暴言を引き続き我慢するよう説き伏せるのでした。

Time_1941_07_14_Wilhelm_Keitel.jpg

「ナチよりもさらにナチのような印象をこの著者に与えた人物」として
登場するのは大島大使です。
ここからは独日の関係と各々の戦争に対する考え方がかなり詳しく書かれていました。
特にドイツからしてみれば米国は中立のまま放っておいて、英国かソ連に対して戦ってほしいと
希望しますが、まず敵は米国と考える日本は、その場合、
ドイツは参戦してくれるのか・・?が心配事です。

Hitler with the General Oshima.jpg

そして「真珠湾攻撃」。リッベントロップは、三国同盟の規定に従えば
「日本は明らかに侵略国であり、必ずしも米国に宣戦する必要はない」と主張します。
しかし日本の軍事力をとんでもなく過大評価し、その海軍を「世界最強」と信じていたヒトラーは
日本が太平洋で英米を片づけた時には、ソ連に矛を転じ、東方の大征服を援助してくれる・・。
中立国であったはずの米国から散々嫌がらせを受けていたレーダー提督も
「6隻の大型Uボートが出来るだけ早く米東部海岸に出撃することになっている」と
あの「パウケンシュラーク作戦」をヒトラーに進言します。

Erich_Raeder,_Adolf_Hitler.jpg

ヒトラーお得意の「不意打ち」である、すばらしい「真珠湾奇襲攻撃」も賛嘆の情を掻き立て
大島大使が「金の鷲有功ドイツ大十字勲章」を受章。
この勲章には詳しくないのでちょっと調べてみましたが、
基本的にはナチス・ドイツに貢献した外国人に送られるようです。
受賞者は他に、ムッソリーニにチアーノのイタリア・コンビ、ブルガリアのボリス三世
ルーマニアのアントネスク、スペインのフランコ、ハンガリーのホルティ
フィンランドのマンネルヘイム・・と、枢軸関係者揃い踏みですね。

Goldenes Großkreuz des Deutschen Adlerordens.jpg

1942年の夏、東部戦線では南のカフカス目指して順調に進撃するドイツ軍。
北アフリカではロンメルがエル・アラメインまで驀進すると、そのままエジプトを征服して
増援をもって中東の油田地帯を占領し、ドイツ軍がソ連領内で握手するのを阻止することは
もはやできないとまで連合軍は考えます。

Erwin_Rommel_with_members_of_his_vaunted_Afrika_Korps_during_the_North_African_campaign.jpg

結局は、スターリングラードが包囲されて、カフカスからの撤退を余儀なくされ、
第6軍のパウルスが降伏を許されなかったのと同様、補給の尽きたロンメルに対しても
「勝利か死か」の総統命令が・・。
ドイツアフリカ軍団司令官フォン・トーマ将軍は、「ヒトラーの命令は前代未聞の気違い沙汰だ。
こんなことにはついて行けない」と参謀長のバイエルラインに語ると、
全ての勲章を身につけ、炎上する戦車の上に立って英軍に降伏し、
その晩、英第8軍モントゴメリーと夕食を共にするのでした。。

Montgomery_General von Thoma, commander of the Afrika Korps.jpg

本書で「ヒトラーは全地球的戦略について、まったく理解を欠いていた」と書かれているとおり、
「ロンメルの北アフリカでの驚くべき成功をどう利用するかを知らず、元帥杖は与えたが、
補給も増援も送らなかった」。
その数ヵ月後、チュニジアに上陸した連合軍を追い落とすため、大量の独伊軍がつぎ込まれますが、
その1/5でもロンメルに与えていたら、砂漠の狐はナイルを渡っていたに違いないとしています。

ヒトラー、ハルダー、ヨードルらの対ソ戦へ全力投球する上層部の前には
北アフリカは「裏庭程度・・」の扱いであるのはしょうがなく、
まずソ連を撃破せねばならないとの戦略を肯定しているロンメル本もよく読みます。
コレはいまだに意見の分かれるところであるのが楽しいですね。
10年後には自分なりに研究してみたくなります。







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第三帝国の興亡〈3〉 第二次世界大戦 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈3〉」を読破しました。

前巻でオーストリアを併合し、チェコスロヴァキア全土も獲得した第三帝国とヒトラー。
ここまで読んだ印象では予想していたよりも、かなり公平に書かれています。
ヒトラーの逸話だけではなく、各国の関係者を含めた政治的駆け引きの様子も
戦後に公開された数多くの記録文書を掲載しながら進み、
また、当時のドイツ国内の様子も著者の体験談として語られるところも面白いですね。

第三帝国の興亡〈3〉.jpg

1939年早々、リッベントロップやヒトラーと会談するのは、猛烈なロシア人嫌いで
パリ駐在武官当時に、言いがかりをつけられて追放になったことでフランスに恨みを抱いていた
ポーランド外相のベックです。
彼はこのような経緯から、伝統的なフランスとの結帯を弱めつつ、ナチス・ドイツに対して
より親しくする努力を6年に渡って続けていたのでした。

Joachim von Ribbentrop and Józef Beck. Warsaw, 25 January 1939.jpg

ヴェルサイユ条約によってダンツィヒを奪われ、ポーランド回廊によって東プロイセンを本土から
切り離されたドイツは、1922年にゼークト将軍がドイツ陸軍の態度を規定しています。
「ポーランドの存在は到底我慢できず、ドイツの生存の本質的条件と両立しない。
ポーランドは消え去らなくてはならず、それはロシアの支援を得て達成し得る」。
ドイツ陸軍としてはゼークト時代から親ソ、反ポーランドの姿勢であったわけですが、
なるほど・・。予言的言葉ですね。

Generaloberst Hans von Seeckt - 70. Geburtstag.jpg

しかしダンツィヒとポーランド回廊問題については頑なな態度を取るポーランド政府。
そんな折、英仏との軍事同盟によってナチス・ドイツに対する安全保障政策の提唱者であった
ソ連のリトヴィーノフ外相が突如、罷免され、首相のモロトフが後任に・・。
ココからは「ヒトラーとスターリン 死の抱擁の瞬間」の展開となっていきますので、
かぶった話は端折って、本書ならではのエピソード中心で・・。

kaitel ribbentrop molotov 1940.jpg

イタリアの軍事力を信用しないドイツ国防軍ですが、ヒトラーはムッソリーニとの
軍事同盟締結を急ぎます。イタリア外相チアーノとリッベントロップの会談によって
枢軸の「鋼鉄条約」が5月に総統官邸で署名されると、チアーノはドイツ外相に
「アヌンツィアータ首飾り章」を送りますが、コレに目に涙を浮かべ、歯ぎしりをして悔しがるのは
勲章大好きのゲーリング・・。
同盟を実際に促進したのは自分であり、首飾り章は自分に授けられるべきだと
人前もはばからず、騒動を起こします。

勲章ネタというのは面白いものが多いですが、、ヴォロシーロフ元帥を中心とした
軍事代表団に対して、交渉に乗り込んだ英仏代表団の話も出てきますが、
本書ではさすがに「バス勲章」の件はありませんでした。

Ordine Supremo della Santissima Annunziata.jpg

8月14日、ヒトラーはオーバーザルツベルクに国防軍将校団を集め、
ポーランド侵攻計画について語ります。
「英国は1914年と違って何年も続く戦争に巻き込まれるようなヘマはしないだろう。
それが富める国の運命である」。
参謀総長ハルダーの書いたこの速記記録によると、フランスについても
「西方の壁に向かって進撃するとは考えられず、ベルギー、オランダを通って北方を迂回したのでは、
迅速な勝利は得られず、いずれもポーランドの役には立たない。
そこでポーランドを1、2週間で屈服させれば、世界はポーランドの崩壊を認めて、
これを救おうと試みることはしないだろう」。

Military demonstration at Hitler's 50th birthday celebration in Berlin. April 20, 1939.jpg

グライヴィッツの放送局襲撃でっち上げ作戦は、ニュルンベルク裁判で証言した
ナウヨックスの供述によって詳しく判明しているようです。
そして「SSとゲシュタポの典型的な産物で一種の知能的ギャングで、
ヒムラーやハイドリヒが思いつく、あまり芳しからぬ企ての実施役を勤めた」と紹介される彼は
1944年に米軍に投降したものの、自身の裁判の前に脱獄して逃亡。
本書が描かれている時点では、いまだ捕まっていない・・ということでしたが、
政治や国防軍だけではなくて、SSの作戦についても結構シッカリと書かれていますね。

naujocks.jpg

8月26日土曜日にはゲッベルス指揮する新聞宣伝が最高潮を迎えます。
ベルリナー・ツァイトゥンクの一面の見出しは
「ポーランド、完全な混沌状態。ドイツ人家族避難。ポーランド軍、ドイツ国境に迫る」。
その他、「ドイツ旅客機3機、ポーランド側から射撃さる。回廊でドイツ人農家焼き打ちさる」。
翌日曜日のフェルキッシャー・ベオバハターは「ポーランド全土の戦争熱。150万動員さる」。
もちろん、すでに2週間前から始まっていたドイツの動員についてはなんの言及もありません。

Hitler 1939.jpg

そして遂に9月1日、ドイツ軍がポーランド国境を越えて侵攻開始
ただこの時点ではまだ、独ポの局地的戦闘であり、世界大戦が始まったわけではありません。
特に悩みに悩んだ末、ドイツとの同盟の義務からの解除をヒトラーに伝えたムッソリーニは
英仏の圧倒的な軍事力が、ドイツの同盟国イタリアの上に襲い掛かることを心配して
今一度、ミュンヘンの手配をしようと必死になっています。

hitler_Mussolini.jpg

英外相ハリファックスは交渉の条件としてポーランドからの即時撤退を求めますが、
フランスも包囲されているポーランドに対する義務から逃れるための脱出口を探し回ります。
英仏からの最後通牒の回答を故意に遅らせて、その間に出来るだけ多くのポーランド領土を
奪取したあとで、「太っ腹な平和提案」をヒトラーが言ってくることを心配し、
結局、英仏は宣戦布告することを余儀なくされますが、フランス外相ボネはギリギリまで粘り、
ベルギーのレオポルド国王を説いて、ムッソリーニと一緒にヒトラーを説得するよう頼み込んだりと、
はまり込んだ罠から救い出してくれるかも知れない・・という希望に頑強にしがみつきます。

Hitler_1939.jpg

ヴィルヘルムシュトラーゼの総統官邸前で英国の宣戦布告を拡声器が告げると
集まっていたベルリン市民は呆然として、ヒトラーが世界戦争に引きずり込んだことを
彼らは良く理解できなかった・・とその場に居合わせた著者は語ります。

ハインツ・グデーリアン将軍がその戦車隊をもって初めて名声を馳せたとする回廊の戦い。
ポモルスカ騎兵旅団の猛反撃を受けたものの、戦車に立ち向かう馬。騎兵の長い槍。
勇敢で、豪胆で、向う見ずだったポーランド兵は、あっさりドイツ軍の猛攻によって圧倒・・。
シャイラーは数日後、現場を訪れ、その胸がむかつくような殺戮現場を目撃します。

Hitler, Heinz Guderian '39.jpg

独ソ不可侵条約と秘密議定書によって、ドイツ軍の分け前に与ることとなっていたソ連。
モロトフは「ソ連が介入するためにドイツを非難しても差し支えないか」と
リッベントロップに尋ねます。
もちろんドイツ側の回答は「もってのほかである」。
そこでソ連のポーランド侵攻の理由はこのように。。
「ポーランドは解体して、もはや存在しない。
したがってポーランドと締結された一切の協定は無効である」。

It shows a German, a Russian and a Polish soldier sitting together!.jpg

ドイツ軍に占領されたポーランドはヒムラーのSSによって「掃除」が始まります。
そしてその情報は陸軍総司令官ブラウヒッチュやハルダーの耳にも入ることに・・。
「文明開化の化粧板の底には冷酷無残な殺し屋が潜んでいた」と紹介される
ハンス・フランクが総督となり、副総督にはザイス=インクヴァルトが任命・・、
ふ~ん。ザイス=インクヴァルト・・、コレは知らなかったですねぇ。

Polen, Krakau, Polizeiparade, Daluege, Frank.jpg

一方、ドイツの工業地帯であるルール地方を爆撃することで、フランスの工場がドイツ空軍の
報復爆撃の目標となることを恐れるフランスは、英国に対してドイツを爆撃しないよう主張します。
このように及び腰の英仏連合軍との「まやかし戦争」が陸上では続き、
海上ではグラーフ・シュペー号などのポケット戦艦Uボートが暴れ始めています。

Batalla del Río de la Plata_grafspee.jpg

一刻も早く、打倒英仏を求めるヒトラーに、反ヒトラーたちが再び集結します。
12月30日時点の計画は、「相当数の師団がベルリンに滞留している時を選び、
ヴィッツレーベンがベルリンに出てきてSSを解散する。この行動を背景として、
ベックがツォッセンに赴き、ブラウヒッチュの手から最高司令部を接収する。
ヒトラーはその職務に堪え得ないと声明して拘留する。
戦争は継続するが、妥当な基準に立つ平和は受諾する用意がある」。
本来、これらを実行する立場にある参謀総長ハルダーですが、ポーランド戦に完勝し、
軍人としての本能に目覚めたのか、西方作戦計画策定にも没頭して、
悲しいかな、反乱計画すべては非現実的なものになっていたのでした。。

Hitler_Keitel_Halder_ Brauchitsch.jpg

そんなドイツ軍とヒトラーにとって戦略的状況を根本的に変える問題が発生。
ソ連によるフィンランド侵攻です。
この小国を支援するため、ノルウェー、スウェーデンを経由して遠征軍を送ろうとする英仏。
輸送路維持を口実としてその地に駐留し、ドイツへの鉄鉱石の供給を遮断する狙いがあると
ヒトラーは見て取ります。こうしてノルウェー侵攻作戦「ヴェーザー演習」と、
ノルウェー陸軍士官学校を首席で卒業した過去を持つファシスト政党の党首である
クヴィスリングが登場。ナチス・ドイツ国際局の親玉、ローゼンベルクと接触するなど、
彼のことがこれほど詳しく書かれたものは初めて読みました。
ちなみに第1巻でもチンチンに書かれていたローゼンベルクですが、この巻でも
「このバルト生まれの薄のろ男は・・」と著者はなにか恨みでもあるんでしょうか??

vidkun quisling.jpg

フランスのダラディエ首相は、フィンランドが連合軍の救援を「正式」に要請しないのを叱りつけ、
ノルウェーとスウェーデンの抗議を無視しても連合軍を派遣するとほのめかしますが、
マンネルヘイム元帥はフランスが自国の戦線ではなく、フィンランド戦線で戦おうとしていると
疑いを持ち、あくまで拒否するのでした。

The Winter War.JPG

著者は「もし、英仏遠征軍がフィンランドに到着し、ソ連軍と戦うようなっていたら、その結果、
交戦国間にいかなる混乱が起こったか・・」として、この時、ソ連と同盟のドイツは、
1年後にソ連と戦い始めた場合、「西方の敵は、東方の味方となったろう」としています。

このような「もし」は考えたことがありませんでしたが、今回、本書を読んで、ふと思ったのは
「もし、ポーランド政府に妥協的な人物がいたら・・?」ということです。
ズデーテンランドの時と同様に、各国からの要請によってダンツィヒと回廊をドイツに引き渡し、
その後、ドイツはうやむやにポーランド全体を占領・・。
その時点で戦争は始まっていないとすると、西部への電撃戦は行なわずに、
ソ連にはやっぱり侵攻するヒトラーとドイツ軍。
英仏はソ連ためにドイツに対して宣戦布告はせずに、中立の傍観者となりそうです。
う~ん。第2次世界大戦ではなく、単なる独ソ戦。
西側はヘビー級の両者が打ち合い疲れたところでレフェリーよろしく、休戦調停・・??





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第三帝国の興亡〈2〉 戦争への道 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈2〉」を読破しました。

第2巻は1933年、ヒトラーが政権を取った「第三帝国における生活」から始まります。
特にカトリックが迫害され、第1次大戦時のUボート艦長からプロテスタントの有名な牧師となった
マルティン・ニーメラーや、ヒトラー崇拝者のルートヴィッヒ・ミュラー牧師、
そしてプロテスタントの偉大な創設者、マルティン・ルターが熱烈な反ユダヤ主義者であり、
4世紀をへだてて、この影響がヒトラー、ゲーリング、ヒムラーによって実行された・・という話は、
著者もプロテスタントなだけに、かなり込み入った展開です。

第三帝国の興亡〈2〉.jpg

「頽廃芸術」の烙印を押されたのは、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンピカソ・・。
1937年、ヒトラーはミュンヘンに「ドイツ芸術の家」を開館し、900点の作品の最後の選択に
ヒトラー自身が当たりますが、実際に入館した著者によれば
「どこの国でも見たことないような愚劣なガラクタ揃いだった」。

Haus der Deutschen Kunst.jpg

しかしゲッベルスが人民に示すためにシャガールなどの近代絵画を展示した
「随落した芸術展」は大入り満員で、腹を立てたゲッベルスは間もなく閉鎖してしまいます。。
ちなみに ↓ はその頽廃芸術を鑑賞して唖然とするヒトラー・・の図です。

Adolf Hitler-Entartete Kunst-Ausstellung.jpg

活発になったヒトラー青年運動も、著者の見たままを語っているのが面白いですね。
女の子たちが所属するBdMでは18歳のなると、農園での1ヵ月間の奉仕義務があります。
しかし農家で妊娠してしまう娘や、近くに設けられている青年キャンプも妊娠問題の原因でもあり、
婦人指導者たちもドイツのために子供を産む義務について、
「やむを得ない場合は結婚しないでも良い」と説いていた・・。

BDM_in_der_Landwirtschaft.jpg

そして金持ち貴族から労働者の家庭で育った都会の若者が、6ヵ月間の労働奉仕を一緒に行い、
筋肉労働の価値を知ることは良いことであり、健康的であったことは否めず、
信じられないほどのダイナミックな青年運動であったと認めざるを得ないとしてます。
それは1940年5月、日焼けして凛々しいドイツの兵隊と、2つの戦争の間、
無責任に放置していた、なで肩で青ざめた顔の英兵捕虜が好対照であった・・とし、
ドイツ軍に占領されたパリジェンヌが「ドイツ軍兵士は格好良かった」と語っていたのも
まんざらウソではないように感じました。

Thousands of young men flocked to hang upon the words of their leader.jpg

さらに「歓喜力行団」KdFの話も詳細で、「国民車」ことフォルクスワーゲンにも言及。
米国が5人に1台の割合で保有している自動車ですが、ドイツでは50人に1台持ってるだけ・・。
990マルクで買える自動車をポルシェ博士の監督下に設計し、
年間150万台の世界最大の工場建設にも着手して、「フォード以上だ」と総統はご満悦。。
労働者は毎週5マルクを前払いし、750マルクで注文番号票が受け取れるシステムですが、
結局、ただの1台も購入者には渡らず、フォルクスワーゲン工場は陸軍のために量産するのでした。

Volkswagen cars as KdF.jpg

また、ヴィルヘルム・グストロフ号ロベルト・ライ号の2隻のクルーザーが
べらぼうに安い費用で休暇旅行に・・。著者シャイラーも参加したそうですが、
「船上生活は拷問に近いまで規律化されていたが、ドイツの労働者たちは、結構楽しそうだった」。

Gustloff.jpg

ヴェルサイユ条約で制限されていた10万人陸軍は、ヒトラーによって36個師団、50万人と拡大。
しかしこの数字は、もっと小さい陸軍から出発したい参謀本部には相談もされず、
ラジオで知ることに。。フォン・マンシュタインは、「相談を受けたならば21個師団を提案しただろう」。
こうしてラインラント進駐・・、その行動における国民投票で98.8%の承認を得ますが、
あの爆発事故で有名なツェッペリン飛行船「ヒンデンブルク号」で各都市を巡航したゲッベルスは
「船中の賛成票42票」と発表。しかし乗員は2票足りない40名しかいないのでした・・。

Hindenburg1937-hanger.jpg

ここからヒトラーの軍事を絡めた政治戦略へと続いています。
「無能で怠け者で自惚れが強くて傲慢でユーモアが無くて、そのような地位を与えたのは
ゲーリングが言うように、この上ない間違いだった」と紹介されるのはリッベントロップですが
1937年、ヒトラーが密かにオーストリア侵攻を打ち明けた時の外相はノイラートです。
国防相ブロムベルクと陸軍総司令官のフリッチュの3人は、このような戦争と破滅の危機に反対。
やがてこの3人はその地位から追われることになります。

Hitler,Blomberg,Fritsch.jpg

まずはブロンベルクの再婚の奥さんが売春婦であったとして、次にフリッチュが同性愛者として・・。
ついでに陸軍上層将官連、ルントシュテット、レープ、ヴィッツレーベン、クルーゲクライスト
16名は指揮権を解除され、その他44名はナチズムに対する献身の熱意が足りないと転任。。
外相ノイラートもリッベントロップと交代させられ、外交、軍事は反対者が一掃されるのでした。

ちょうど真ん中から、1938年のオーストリア併合(アンシュルス)が始まりますが、
ヒトラーがオーストリア首相シュシュニクをベルヒテスガーデンに呼び出して恫喝し、
それに抵抗するシュシュニクが「国民投票を実施する」と言い出す展開は
今まで読んだことがないほど詳細でした。

Schuschnigg.jpg

コレは前年の終わりに本拠地をベルリンからウィーンに移していた著者という偶然もあって、
当時、占領される側からこの「強奪」を観察することが出来たということですが、
本書でも語っているとおり、だからと言って全てを見たどころか、実際に知ったことの少なさに
驚いていて、本書の記述のほとんどは1945年以降の証言、証拠に基づくとしています。

ということで、シュシュニクの実施しようとした国民投票も、1933年以降独裁的だったオーストリアは
ヒトラーが行っていたものと比べても民主的ではなく、国民に4日間の予告が与えられただけで、
反対党のナチスや、そのナチスよりシュシュニクの方が害が少ないとする社会民主党も
宣伝戦を行う準備も出来ず、シュシュニクに勝利をもたらすことは疑問の余地がなかった・・と
公平な書き方ですね。

Nazi Propaganda Postcard-Anchluss of Austria.jpg

結局、併合されたオーストリアが「オストマルク」となると、ヒトラーとドイツ軍だけではなく、
SSのヒムラーハイドリヒもやって来て、ユダヤ人を片っ端から逮捕。
何万人もドイツ国内の強制収容所に輸送するのは面倒なことから
マウトハウゼンに巨大な収容所を設置します。
ルイ・ド・ロートシルト男爵は、銀器や絵画が豪華な邸宅からSSによって運び出され、
その製鉄工場をヘルマン・ゲーリング工場に引き渡し、ようやくウィーンから出ていく許可が・・。
また、逮捕されたシュシュニクの運命も印象的です。

Himmler in Graz, Austria during Hitler's Austrian election campaign, April 1938.jpg

ゲシュタポのでっち上げと判明したフリッチュ事件は、このアンシュルスが起こったことで
ウヤムヤにされていましたが、免職となったフリッチュはゲシュタポの首領に決闘状を・・。
参謀総長ベックが厳格な軍の名誉律に則って書き上げ、先任陸軍将校である
ルントシュテットに提出。しかしSSの隊長に手交するのに逃げ腰となったルントシュテットは
何週間もそれをポケットの中で温めた挙句、しまいには忘れてしまうのでした。。

Hitler von Rundstedt.JPG

気を良くしたヒトラーの次なるターゲットはズデーテンラントです。
コレもいろいろな本を読んできましたが、本書では100ページ以上当てていて知らない話も・・。
特にチェコスロヴァキアの軍事力とフランスの介入を危惧するベック率いる参謀本部が
「ヒステリーの元首が腹立ちまぎれに大きな戦争の危険を冒しており、
このままではドイツは破滅する」とヒトラーの逮捕と裁判を計画する件は随所に登場します。

Ludwig August Theodor Beck.jpg

戦争準備をやめるようにヒトラーに最後通牒を突きつけ、将校団のストライキを行えば・・と
考えるベックですが、フリッチュの後任、ブラウヒッチュと将校連にはそんな勇気はありません。
参謀総長と総司令官が揃ってヒトラーに辞表を提出しようとするも、
熱狂的なナチの奥さんの影響を受ける陸軍総司令官は
「俺は軍人だ。従うのが義務である」と語り、ひとり辞任した参謀総長ベックは
「ブラウヒッチュは私を見殺しにした」とつぶやきます。

Milch,Keitel,Brauchitsch,Raeder.jpg

ベックの反乱の意思を引き継いだ新参謀総長のハルダー
彼らの計画のキモは、3人の陰謀者が重要な部署の指揮権を持っていることです。
ヴィッツレーベンは首都ベルリンを含む最重要の第3軍管区司令官であり、
ブロックドルフ=アーレフェルトはポツダム駐屯部隊の司令官。
そしてチューリンゲンの装甲部隊を指揮するヘプナーは、
ミュンヘンからベルリンの救援に赴こうとするSS部隊を撃退できる立場です。

von Witzleben.jpg

しかしハルダーはヒトラーが攻撃命令を出すと、直ちにこれを打倒する中心人物でありながらも、
参謀総長たるもの、そのチェコスロヴァキア侵攻作戦計画を立てなければならず、
その説明を聞いたヒトラーに計画をズタズタに引き裂れては、
臆病と軍事的無能をこき下ろされると、不愉快な立場に置かれることとなる・・
という、実に摩訶不思議な状況です。

Generaloberst Franz Halder.jpg

西の壁、ジークフリート線も視察し、チェコと協定を結んでいるフランス軍の侵攻に備えるヒトラー。
実はソ連もチェコと協定を結んでいますが、まずフランスが軍事介入したら・・という条件付き・・。
口やかましいアダム将軍に西部軍の指揮全体を任せつつ、9月には陰謀組の2人、
ベックとハマーシュタインが退役から呼び戻され軍団司令官に・・。
この理由は今までナゾのままで、本書でも残念ながら書かれていませんが、
この一世一代の大作戦の前に、信用できない将軍だろうが全員動員しようとしたんでしょうか?

Hitler and Heinrich Himmler inspect the West Wall (Siegfried Line) in August 1938.jpg

一方、英首相チェンバレンが和平のためにヒトラーの元を訪れ、
最終的にムッソリーニとダラディエも交えた4ヵ国首脳のミュンヘン会談が行われ、
ズデーテンラントがドイツに引き渡されるまでも詳しく書かれていますが、
3ヶ国語を操る「不撓不屈の通訳官シュミット」の記録も多用しています。
それにしても「不撓不屈」って書いてある本、初めてです。まさに通訳界の横綱ですね。

chamberlain_mussolini_paul_schmidt_hitler.jpg

初めてといえば、外務次官ヴァイツゼッカーも、「ヴァイツゼッカー男」と書かれていて、
最初は脱字と思ってましたが、3回も4回も出てくると、「あ~、これは男爵のことなのね・・」。
伯爵の時には「○○○○伯」というのがありますからね。。

最後には「ミュンヘンにおける英仏の降伏は必要だったのだろうか?」と検証します。
OKW長官カイテルニュルンベルク裁判で、「軍事的見地からすると
チェコの国境要塞を突破する攻撃手段を欠いていました」と証言し、
マンシュタインも当時の情勢を同じ場で証言します。
「戦争が勃発していたなら、東西国境を防衛することは出来なかったでしょう。
チェコが防戦したならば、その要塞によって食い止められたことにはいささかの疑いもありません」。

The Czech crisis of 1938.jpg

政治的な話は思いっきり割愛しましたが、過去に読んだヒトラー中心ではなく、
このように裏で激しく動いていた軍事クーデター計画の様子と、
果たしてヒトラーは武力に訴えるつもりはなく、「ハッタリ」をかましていたのか・?
という疑問にも多面的に挑んでいました。







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第三帝国の興亡〈1〉 ヒトラーの台頭 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈1〉」を読破しました。

この独破戦線でもNHKのドキュメンタリー並みに恒例となった?「全○回シリーズ」。
パウル・カレルの「バルバロッサ作戦<全3回>」、「焦土作戦<全3回>」から始まって、
ヒトラーの戦争<全3回>」、「ヒトラーの戦い<全10回>」、
チャーチルの「第二次世界大戦<全4回>」、
最後は去年の11月に「アドルフ・ヒトラー<全4回>」をやりました。
今回はシリーズものとしては「大本命」であり、
この世界の方なら知らない者はいないと言ってもいい、とっておきの「全5回シリーズ」です。

第三帝国の興亡〈1〉.jpg

とにかく少年の頃から神保町の古書店に行くと、
ハーケンクロイツのマークの入った黒い函入りの5冊セットが紐で縛られて積まれている・・
という光景をしょっちゅう目にしたものです。
そもそも古書店っていうのはちょっと汚くて、暗くて、店のじいさんも怖そうで、
入るのにも勇気がいるような場所でした。
そんな子供ながらに、このいかがわしい謎の黒い物体が特に気になってはいましたが、
数年前に第三帝国モノを読み出してからこの本の内容を知り、いつかは買おうと思いつつも
フジ出版の「髑髏の結社 SSの歴史」と双璧をなす毒々しさがありますから、
恐ろしくて手に触れたことすらありませんでした。

第三帝国の興亡 2008年.jpg

そして2008年、本書が再版されると、いよいよ本格的に購入を検討し始め、
その綺麗な再版の5冊セットを10000円で購入する寸前、なぜか急に気が変わり、
結局、1961年の旧版セットを購入してしまいました。。セットで2500円也。
やっぱりこの黒い函が無いと「第三帝国の興亡」らしくありません。
今から思えば正解だったかな?
子供の頃から気になっていた「黒い物体」をやっつける・・という宿命にも似た感じすらします。

第三帝国の興亡.jpg

さぁ、気合を入れていざ! の前に、このような特別な本を読むに当たっては、
著者の経歴と本書の一般的な評価を知った上で、挑まなければなりません。
著者のシャイラーは1904年生まれの米国人ジャーナリストで、1934年からベルリンを中心に
CBSヨーロッパ支局長として活躍し、戦争が激しくなった1941年に米国に帰国。
本書の前書きにも書かれていますが、戦後、押収された膨大な量の資料や
陸軍参謀総長ハルダーや、OKW作戦部長ヨードルの日記などを元に書き上げ、
原著は1960年の発表されて、全米図書賞を受賞したということです。

この独破戦線でも、何度か「シャイラーによると・・」と書かれている本を紹介していますし、
本文に書かれていなくても、本書が参考文献となっている第三帝国本は数多いと思います。
しかし、いかんせん50年以上も前の本ですし、シャイラー自身が「ナチ嫌い」と述べていることから、
ナチス・ドイツ、またはヒトラーなどを公平公正に描いているとは、ちょっと思えませんね。
逆に言えば、1960年当時、西側でのナチス・ドイツの評価が如何なるものだったのか・・?
を知ることになる気がしています。

shirer_william_cbs.jpg

第1章はヒトラーの生い立ちから始まります。
両親や少年時代、唯一の親友クビチェクくんにウィーンの浮浪者のような最悪の時期・・と、
正直、こういう出だしだとは予想していませんでした。1920年あたりからかと思ってましたので・・。
「ヒトラーは煙草も吸わず、酒も飲まず、女との関わり合いも持たなかった。
調べ得る限りでは、それはなんら変態性によるものではなく、単に生まれながらにして、
はにかみ屋だったのである」。
そして第1次世界大戦、続いて戦後へ・・。
ここまでトーランドの「アドルフ・ヒトラー」と似た感じですが、こちらが元ネタなんですね。

Adolf Hitler, early 1920s.jpg

ナチ党の中心人物になったヒトラーの周りには、レームゲーリングといったSA指導者以外にも
「かんばしからぬ連中」が群がってきます。
しかしヒトラーは自分の役に立つ限りは、同性愛者だろうが、麻薬中毒者だろうが、
ポン引きだろうが関係ありません。
それらの変人の筆頭とばかりに紹介されるのは、やっぱりユリウス・シュトライヒャーでした。
「この下品なサディストは小学校教師として出発し、当人が自慢していたように有名な人妻泥棒で、
自分の情婦になった女の亭主まで恐喝し、また、有名な猥本収集家だった」。
「猥本」という単語は初めて見ましたが、再版では訳も新たに「エロ本」になってるでしょうか・・?
ポックリ行っちゃって「アイツは猥DVD収集家でさぁ・・」なんて言われるのは勘弁してほしいので、
今のうちに処分しとこうという気になりました。。

1923年のミュンヘン一揆では警官との銃撃戦のなか、舗道に倒れ込むヒトラー。
そして並んで横たわるシュトライヒャーが見捨てない限りは、私はこの男を見捨てまい・・と
心に誓ったということです。

Hitler-Goering-Streicher.jpg

本書ではこの頃のヒトラーを「わが闘争」から多く引用しています。
ナチ党の忠実な党員が読みずらい・・とこぼし、終わりまでとうてい読みきれなかったと
著者が何度も聞かされたという「わが闘争」は、
ヴィトゲンシュタインもあまり読む気がなかったんですが、
やっぱりこんなBlogをやっている以上、読むべきかしら・・?と思ったりして・・。
だいたい日本では「わが闘争」なのか、「我が闘争」なのかもよくわからないので
ちょっと調べてみました。

すると、現在、角川文庫から出ているのは(1973年から売り続けている)「わが闘争」。
しかし戦時中には「我が闘争」というのがあって、また夏目漱石が書いたような「吾が闘争」。
さらに昭和7年の初の翻訳版は「余の闘争」と、歴史は遡ります。
ついでに「まいんかむぷ(Mein Kampf)」という漫画のような版までありました。。
「吾が闘争」くらいなら買ってみても良いですね。

昭和7年_余の鬪爭,昭和14年_まいんかむぷ,昭和15年_我が鬪爭,昭和17年_吾が闘争.jpg

いよいよ混迷するワイマール共和国の政権奪取に向けて、ナチ党は拡大。
選挙戦の話になってくればゲッベルスも登場してきます。
このあたりは「ゲッベルスの日記」を情報源として活用していますが、
「1925年ごろの日記は、恋する女たちについてのノロケでいっぱいである。
例えば、かわいいエルゼ・・」と、ヴィトゲンシュタインのレビューと同じ感想を持ってます。。

それから姪のゲリも・・。著者はヒトラーがゲリを愛していて、お互いの嫉妬と仲違いが
彼女を自殺に追い込み、「この打撃からして肉食を絶つ決意が生じたものと私は考える」。
この有名な説は本書によるもののようですね。

Adolf Hitler mit Abgeordnete der NSDAP - 1932.jpg

当時のナチ党の重要人物としてシュトラッサー兄弟内相フリックヒムラー
シーラッハライらが紹介されますが、トリを務めるローゼンベルク
「頭の悪いバルト生まれの似非哲学者で、これ以上ないようなでたらめな内容の本や
パンフレットをやたらと書き散らかし、その挙句が「二十世紀の神話」と題した700ページの著作で、
彼の北欧民族の優越性の生半可な知識をこね合せた馬鹿げた代物で、
笑止千万にも・・・うんぬん」とケチョンケチョンにけなされていますが、
コレも「わが闘争」を読んだら、1938年(昭和13年)に出たヤツを読むことになりそうです。
やっぱり、読みもしないで「イデオロギーのげっぷ」と解釈するのは如何なものか・・と。
ただし、「独破戦線」最初で最後の「途中で挫折しました・・」というレビューになる可能性も大ですな。

Der Mythus des 20. Jahrhunderts.jpg

中盤からは1930年、ブリューニング内閣時代から選挙に次ぐ選挙によって、
1933年1月、ヒトラーが首相まで上り詰める政治的駆け引きは、以前に読んだ
国防軍とヒトラー」と同じか、それ以上詳しく書かれています。
必ずしもヒトラーを中心とした展開ではなく、ヒンデンブルク大統領にブリューニング首相、
フォン・パーペン、そして裏で暗躍するフォン・シュライヒャー将軍が主役です。

Schleicher_ Papen.jpg

ヒンデンブルク元帥の再選を賭けた大統領選挙にヒトラーも立候補しますが、
国会でヒンデンブルクを侮辱する発言をしたゲッベルスは議会から除名・・。
それでも1日に3000の集会を開き、蓄音機のレコードを拡声器で
トラックの上から街頭に流すという、ドイツの選挙で初めての宣伝戦を展開します。

Hindenberg_hitler.jpg

そして本書ではヒトラーよりも策士で悪人として描かれるシュライヒャー将軍が、
上官である国防相のグレーナー将軍を失脚に追い込むために、たちの悪い人身攻撃を始め、
なかでも「最近の結婚後、5か月で子供が生まれ、陸軍の名誉を汚したと公言・・」という話は
ほとんど、後の国防相ブロムベルクに対するハイドリヒの作戦と同じですねぇ。
ひょっとしたらヒムラーとハイドリヒは、この件を参考にしたのかな??
とも思いました。

しかも弟子の裏切りで落胆していたグレーナーは、国会で自己弁護に努めるも、
ナチの議席から悪口雑言を浴びせられ、思う存分の辱めを受けて力尽き、議会から退出・・。
う~む。。「出来ちゃった婚」などというものは、名誉にかかわるということを
ひとりの男として、改めて理解しました。

Wilhelm Groener.jpg

また、軍の人事をも動かせるシュライヒャーが首相となって、ナチ党No.2のシュトラッサーを
引き抜きにかかり、ナチ党分裂の危機・・という展開は、今の日本の政治を見てても
有り得ない話ではなく、この苦境を党首ヒトラーは良く凌いだという印象を持ちました。
知っていた話ですが、本書は政治的駆け引きの部分がとても良く書かれているんですよね。

ヒトラーが政権獲後、すぐに炎上したその国会議事堂についての真相は、
永久に知られることがないだろう・・としていますが、著者の見解では、
「ベルリンのSA隊長カール・エルンストが一団を率いて忍び込み、
ガソリンや自然発火性の化学薬品をまき散らして退散したところに、
薄ばかで放火狂のフォン・デア・ルッベも同時に入り込み、あちらこちらに火をつけた。
それはナチにとって神からの贈り物だった」と信じられないような偶然の一致だとしています。

Karl Ernst & Ernst Röhm.JPG

動き出したヒトラー独裁への道も、いままで読んだことがないほど各分野に渡って詳細です。
傍若無人に暴れまわる今や主人となった陸軍の30倍もの人員を誇る巨大なSA
陸軍に取って代わろうとする幕僚長レームの野望と、それを危惧する陸軍の構図。
大統領からの信任を得る副首相パーペンのヒンデンブルクへの進言が、
事態が収拾されないならば政権を陸軍に引き渡すことをヒトラーに告げます。

SA - In front - 1933.jpg

こうして遂にレームを含むSAの粛清へと進み、不死身と思われていたヒンデンブルクも
87歳で死んでしまうと、その前日に制定されていた法律により、首相と大統領の地位が合体。
さらに軍の将兵に対してヒトラー個人への忠誠を宣誓させて、
国家元首で軍の最高指揮官、総統およびドイツ国首相と呼ばれるヒトラーが誕生するのでした。

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上下ニ段組で400ページありますから、文庫にしたら2冊分のボリュームですね。
1934年までがそれくらい書かれているということで、このあたりの濃さがおわかりになると思います。
トーランドの「アドルフ・ヒトラー」や「ヒトラーの戦い」のネタ本なのは良くわかりましたが、
それよりも濃く、ヒトラー自身よりもその周りで起こっていることも丁寧に解説しています。
そのため、どのようにヒトラーが政権に上り詰めたのかが、客観的にわかる感じですね。









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バービイ・ヤール [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クズネツォーフ著の「バービイ・ヤール」を読破しました。

バービイ・ヤールといえばホロコーストもの、特にアイザッツグルッペンものでは
良く登場するキーワードで、ウクライナ・キエフにある峡谷の名前です。
バルバロッサ作戦開始後の1941年9月29日から30日の2日間に
連行されたユダヤ人3万人以上がこの谷で銃殺され、
この「大虐殺」以降も2年間に渡ってバービイ・ヤールでは殺害が続いたということですが、
キエフ生まれのウクライナ人著書による、1967年発刊で324ページ本書を
5年も前に買っていたのは、「ドキュメント小説」とも呼ばれるその内容が
とても高い評価を得ていると聞いていたからです。
コレでもホロコースト物は苦手なので、長い間眠らせていましたが、
最近、ソ連ものに興味出てきている勢いで挑戦してみました。

バービイ・ヤール.jpg

「1941年9月21日、わが軍はキエフを放棄した」というソ連邦情報局の公報とともに
撤退する味方と、やって来たドイツ軍の姿を目撃する12歳の著者。
ゴツゴツした格好の自動車が止まると、奇術師のように身軽なドイツ兵たちが
たちまち大砲を連結したかと思うと全速力で走り去ります。
そんな様子を一緒に見ていた祖父は言います。
「なーるほど・・。ソヴィエト政権もおしまいだな・・」。

続いてポケット会話読本を持ったドイツ兵たちが登場し、
ページをめくっては、歩道を歩く娘に叫びかけます。
「オチョウサン、ムシメサン!ボルショヴィク おしまいね。ウクラーイナ!
おさんぽしましょう。ビッテ!」
そして老人たちは「パンと塩」をお盆に乗せ、ドイツ軍将校に差出して歓迎するのです。

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4人家族の著者。パパは離婚して出ていき、
教師のママは「キエフが占領されたなんて悪夢だわ」。
レーニンと同い歳の祖父は、若い頃にドイツ開拓民の元で働いていたこともあって、
「ドイツ人というのは何をすべきか心得ているからな。この世の天国になるぞ」と大はしゃぎ。
しかし祖母は「立派な人たちがみんな死んでいくのに
あんたみたいなゴクツブシがいつまでも生きててさ・・」。
このような家族の意見の相違や、ウクライナ人の反ソ的な考え方も
小説を読んでいるかのように楽しく理解できました。

しかし間もなく、ドイツ軍警備司令官からの告示が・・。
それは略奪の禁止、余分な食料の提出、武器やラジオの提出。違反者は銃殺という厳しいもの。
そんな折、警備司令部の建物が爆破され、クレシチャーチク街のあちこちでも連続爆破が発生。
キエフ中心街は数日間渡って燃え続け、多くのドイツ兵が死亡。
犯人はハッキリしていないようですが、簡単に言うとパルチザンの自爆テロだと推測しています。

The priest on the ruins of bombed Uspenski Cathedral of the Kiev-Pechersk Lavra, November 1941.JPG

ようやく火災が収まるとキエフ市及びその近郊の全ユダヤ人に対する出頭命令が・・。
身分証明書、現金、貴重品、下着なども携帯するようにとの内容に、
ユダヤ人嫌いの祖父は「こいつはめでたいぞ!」とまたもや興奮。。
大勢のユダヤ人たちからは「ゲットー!」という言葉や「殺されるのよ!」との声も聞かれます。
そして著者もバービイ・ヤールから「タタタ・・」という機関銃の発射音を耳にするのでした。

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その地獄から命からがら逃げだしてきた女性の物語。
多くの人々と同様、列車に乗るものだと思っていた彼女は荷物が山積みになっているのを見て
不安に駆られます。駅もなければ、近くからは機関銃の音・・。
さらに進むとキエフ出身ではないウクライナ人警官が乱暴に殴ったり、
わめきながら「服を脱げ!早くしろ!」
彼女は見逃してくれるドイツ兵にも出会い、なんとか逃げ出すことに成功するのでした。

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アインザッツグルッペによって、その2日間で3万人以上が殺された「バービイ・ヤール大虐殺」。
このあたりは「慈しみの女神たち <上>」にも出ていましたが、
本書は殺される側の視点、あちらはブローベル率いるゾンダーコマンド4aによる殺す側の視点・・
というのがなんとも不思議ですね。

babi-yar.jpg

食糧難は徐々に激しくなり、著者も闇市でタバコを売ってなんとか食いつなぎます。
年も明けた1942年1月には、ドイツ本土での外国人労働者としての輸送の布告が。
「ボリシェヴィキは工場を破壊し、君たちからパンと賃金を奪った。
ドイツは素晴らしい報酬を得る労働の可能性を君たちに提供するものである。
家族については常に配慮が払われるであろう。
17歳から50歳の金属工諸君は進んで申し込むべきである。」

ukraine-kiev.JPG

その結果、ドイツ行きの列車は満員。
しかしドイツから祖国に宛てて書いた手紙には絶望が記されています。
「私たちは奴隷です。奥さんという人は、まるで犬畜生です。
口から唾を飛ばして、気違いみたいに怒鳴ってばかりいます・・」。

まだまだ身を隠しているユダヤ人やパルチザンを密告すれば、1万ルーブルか、
食料品、或いは雌牛1頭が与えられるとの布告も張り出され、
捕虜となった赤軍兵士たちもバービイ・ヤールへと向かうことになります。
そしてこの3万人以上が埋められた峡谷には収容所が建設されます。

A German patrol caught two disguised Soviet soldiers. September 1941, Kiev, Ukraine..JPG

ディナモ -ナチスに消されたフットボーラー-」で紹介した
元ディナモの選手達が結成したチームである「スタルト(スタートの意味)」が
ドイツ枢軸軍サッカーチームに対し、連戦連勝を重ねた結果、
この強制収容所送りとなり、殺害されてしまった話もなかなか詳しく書かれていました。
先日のEURO2012でも、このディナモ・キエフのスタジアムが決勝戦の舞台となっていましたが、
「デス・マッチ」と呼ばれたこの試合が今年、ロシア映画として製作されたようです。

FC Start and the infamous Death Match.JPG

本書では単にラーゲリと呼ばれているこの収容所は
「シレツ強制収容所」という名前のようですが、
責任者(所長)のパウル・フォン・ラドムスキーというのが、またかなり悪いヤツで、
「シンドラーのリスト」のアーモン・ゲート級の残酷SS将校です。
ちょっと調べてみましたが、1902年生まれのナチ党古参闘士で、
確かに金枠党員章に、「ナチ・ドイツ軍装読本」で読んだ1929年党大会章も付け、
ゼップ・ディートリッヒの出来損ないのような顔をした、
典型的な能無しで暴力だけが取り柄のSS将校・・といった風貌ですね。。

Paul Otto von Radomski with the rank of SS-Untersturmführer..JPG

人肉を食いちぎる訓練を受けているという牧羊犬レックスだけではなく、
ラドムスキーの代理人である赤毛のサディストや銃殺専門家、チェコ人の班長と
獣のように女囚人を打ちのめす女班長らも登場し、
点呼で5人目になった者は銃殺・・、食事の列に2列に並んだために銃殺・・、
パルチザンの銃殺に、わざと実の弟のウクライナ人警官を指名したり・・。

A German guard lets his dogs have fun with a “living toy”..JPG

次の冬になると、パルチザンによる破壊活動が活発になってきます。
毎晩のように工場が爆発したり、ファシストが殺されたり・・。
ミュージカル劇場ではウクライナ総督のエーリッヒ・コッホも出席した将校集会に
時限爆弾が仕掛けられ、爆発15分前に偶然ドイツ兵が発見して命拾い。。

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1943年の春にもなると完全に形勢は逆転し、ソ連空軍の爆撃機による空襲も始まります。
8月にバービイ・ヤールのシレツ強制収容所も爆撃され始めると、死体の掘り起し作業が・・。
「掘り起こし作業」の責任者として来たSS将校は、トパイデとなっていて、
注釈でもこのような名前のSS将校が戦後も見つからなかったということなので、
ひょっとするとこの人物は大虐殺を指揮したパウル・ブローベル自身と
特別行動1005部隊なのかも知れません。

german_babi-yar.jpg

しかし、当初はただ埋めていた死体を、戦局の悪化に伴う撤退と証拠隠滅のために
重機まで投入して掘り起こし、焼却するというのは、「トレブリンカ」と同じですね。
こうなるとSSのトップからの命令であったのは命令書がなくても判断できます。
それにしてもこの期に及んで、1年も2年も前の死体から、いちいち金歯を抜いたり・・と
このような話も逃亡者の一人であるダヴィドフの証言から詳しく書かれています。

babi-yar2.JPG

いよいよソ連軍はドニエプル河を渡って、キエフ市内は戦闘区域に・・。
著者の家にはドイツ軍の偵察チームが転がり込み、ソ連軍の激しい砲撃の前に、
ほうほうの体で戻ってきます。
そんなドイツ人の古参兵と17歳の少年兵との「交流」の場面は一番、印象的でした。

著者の祖母はすでに病気で死に、ドイツびいきだった祖父も
「ろくでなし!貴様らは死んじまえ、神様の火の唸りでやられちまえ!」と心を入れ替えてます。 
こうして2年前にやって来たドイツ軍は、今度は逆に向けて著者の目の前を通り過ぎて行くのでした。

Red Army engineers build a bridge across the River Dnieper, north-east of Kiev.JPG

読む前まで本書は「バービイ・ヤール大虐殺」を中心としたもの・・と想像していましたが、
2日間の大虐殺と、2年続いた収容所での悲惨な実情と反乱は
そこから生き残った者の証言によって数10ページに渡って構築されているものの、
実際は1941年9月にドイツに侵攻され、1943年暮れにソ連軍によって奪還されたキエフが
如何にして廃虚と化し、住民の1/3が失われたかを少年の目を通して見たものが軸であり、
祖父やママの食い違う意見に混乱し、解放者だったドイツ軍が冷酷な、
ならず者の殺し屋に変貌していくなかで、彼自身も戦争というものを理解しながら、
生き残る術を身に付けていく・・という、戦争ドラマの意味合いが強い印象を持ちました。

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著者アナトリー・クズネツォーフは1929年のキエフ生まれ。
1966年に検閲を受けつつ、ソ連で本書を発表し、2年後に亡命した英国で
未検閲版が1970年に出版されたということです。
本書は大光社から1967年に出版された翻訳版ですから、当然ソ連の検閲版です。
1970年の未検閲版は、同じタイトルで講談社から1973年に出ているようで、
どのくらい未検閲なのか、試しに読んでみたくなりましたが、恐ろしくレアな古書のようですね。
Amazonでは、17000円からとなっております。。





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