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ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間- 〈上〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンソニー・リード, デーヴィッド・フィッシャー共著の「ヒトラーとスターリン〈上〉」を読破しました。

「ヒトラーとスターリン」というタイトルだと、アラン・ブロックの全3巻「対比列伝ヒトラーとスターリン」
の方が有名かもしれませんが、本書の原題は表紙のイラストが物語っているとおり、「死の抱擁」。
「悪魔の契約」とも云われる、1939年のポーランド侵攻直前に締結された
「独ソ不可侵条約」の全貌を英国BBCのジャーナリストが追ったものです。
2001年発刊で2段組の上下巻を購入したのはほぼ3年前・・。
今、最初から読み始めたところですが、どうも30ページほど読んだ形跡が・・。
覚えていませんが、購入当時にちょっと読んで、挫折していたようですね。。

ヒトラーとスターリン上.jpg

その30ページほどを再び読んでみると、生涯、一度も会うことのなかったヒトラーとスターリン。
多くの歴史家が語る「もしも2人が会っていたならお互いを理解しえただろうし、
戦争も起こらなかった」などという都合の良い考えは、
両国を取り囲む現実を無視したモノである・・、として
紀元前5世紀の初期のスラヴ族とチュートンの一部族であるゴート人の話まで遡って、
両種族間の反目が現代まで絶えることがなかったと解説します。

そしてスラヴ民族を劣った人種としながらも、彼らに席捲される恐怖に脅えていたドイツ民族。
20世紀初頭の帝政ロシアの人口が1億7千万人だったのに対して、
ドイツの人口は約1/3・・。さらにその差は広がるばかり・・。
その理由はスラブ人の出生率がドイツ人の3倍だったからという話では、
ヒトラー政権が、なぜあれほど出産を激励し、「母親十字章」まで制定したのか・・が
わかったような気がしました。

mutter und kind.jpg

続いて第1次大戦に敗北した、ドイツとロシア。
その両国から多くの領土を奪ったばかりでなく、その住人までさらって誕生した新生ポーランドには
「存続の権利はない」という考えで一致していた両国。。
ヴェルサイユ条約で10万人に制限されたゼークトのドイツ軍とロシア軍が
友好的な軍事協力と貿易を続けますが、ヒトラーの台頭によってそれも半減・・。
外交に暗いヒトラーは外国生活経験者のリッベントロップを特命大使に任命し・・
という1938年のオーストリア併合までの独ソ両国の外交を中心に解説されます。

ズデーテンラント要求では、独英仏伊の4ヵ国によるミュンヘン会談が・・。
当該国であるチェコの会議参加も認められなかったという話は良くありますが、
ココでは共産主義を頑として憎しみ続けた英首相チェンバレンによって、
ソ連の会議出席が無視されたことが、スターリンの心に焼きついた・・としています。

Klapp-Postkarte zum Münchner Abkommen 1938.jpg

2人の怒りっぽい巨人に挟まれているポーランドの中心人物は
偉大な英雄ピウスツキー元帥のお気に入りとしてのし上がった、44歳の外相のベック大佐です。
彼らの外交政策の原則は2つの隣国と友好関係を結び、決してどちらか一方に与しないこと・・。
そのベックは1939年早々にヒトラーの山荘に招かれ、独ポの懸案となっている
ダイツィヒと回廊問題を話し合い、両国が以前から目を付けているウクライナをを奪取して
分け合おうなどというヒトラーの提案が・・。

hitler_Jozef beck.jpg

興味深かったのは当時、ポーランドではユダヤ人に対する暴力行為が激しくなり、
ドイツよりも多い、40万人のユダヤ人がポーランドから逃げ出し、
さらにポーランド政府はマダガスカル島へ追放する案を出したとして、
コレがナチスがこの有名な案を検討し始める以前のことだとしています。

1939年3月、ズデーテンラントだけではなくチェコそのものまで飲み込んでしまったヒトラーを危惧し、
英ポ仏ソの4ヵ国が協議を検討しようとすると、
ソ連が関わることはヒトラーを怒らせてしまうことを理由にポーランドのベックは拒否しますが、
英仏ソと組んで対抗しようと英国の圧力が・・。
ここから、ポーランドを巡る大国の思惑が激しくなり、
ヒトラーは東西の大国が今まで同様、傍観してくれることを望んで侵攻作戦を立て、
スターリンは英仏とヒトラー、どちらと組むことが利益になるのか・・?

chamberlain hitler.jpg

ヒトラーの2時間にも及ぶ演説は、ソ連に対しての批判や悪口が一言もなく終わると、
ユダヤ人のソ連外相リトヴィノフが突如解任され、首相のモロトフが外相に・・。
このようにヒトラー、スターリン双方がお互いに対してサインを送り出しますが、
派手に手を差し伸べて断られるような、みっともない真似だけは避けねばなりません。

モスクワではロシア人からも好かれ、尊敬されている貴族のドイツ大使、シューレンブルクが
頻繁にモロトフを訪ね、リッベントロップと外務省の次官、57歳のヴァイツゼッカーらが、
スターリンの本心を探ろうと懸命です。
ヴァイツゼッカーの息子は、後の大統領で知られていますが、シューレンブルクも
ベルリン・ダイアリー」で主人公の「おじさま」的人物で印象に残っていた人です。
2人とも反ヒトラー派なんですね。。

Graf von der Schulenburg.jpg

英国では海外総軍監督で15ヵ国語を操るアイアンサイド将軍がポーランド軍を視察し、
騎兵隊が草原を疾走するロマンチックで感動的な姿に怒りを覚え、
その作戦計画と装備のお粗末さに呆れかえり、「武器調達の金を早く送れ」と
ロンドンを急き立てますが、内閣はフランスも出すなら・・と渋るのでした。。
しかし、この将軍も「ダンケルク」で登場する人物で、本書は今まで
ちょっと気になっていた人物が多く出てくるのが、実に楽しめます。

Edmund_Ironside.jpg

ポーランド侵攻まであと1ヶ月となった7月末、ヒトラーはバイロイト音楽祭に出席し、
10日間のワーグナー浸けの日々を送る一方、英国では議会が8月4日から休会し、
チェンバレンと外相のハリファックスも夏休みの釣りと狩りの準備に大わらわ・・。
再開は10月3日です。。
しかし英仏はこの間に、軍事使節団をモスクワに送り、ソ連との軍事協定についての交渉を
だらだら長引かせる戦略を立てているのでした。

Berchtesgaden, Germany, 1939, Hitler hosting a charity concert at his home.jpg

以外に面白かったのが、この英仏の軍事代表団がモスクワを訪れ、
ヴォロシーロフを中心としたソ連側軍事代表と連日、暑苦しい攻防を繰り広げるシーンです。
特に、いざ戦争となった際にどれだけの兵力を投入できるのか?と聞かれた英仏ですが、
ソ連が裏でドイツと繋がっていて、スパイの役目をしているのでは・・という疑念が拭えません。
一旦、席を外して「作戦会議」。
「とりあえず、3倍に水増しして言っておけ。どうせ向こうは1/3に見るだろうから・・」。
しかし、その水増しの数字でも「少なすぎる!」と信用しないヴォロシーロフ。。
もちろんその後、提示されたソ連側の戦力もまったく信用しない英仏です。

Kliment Voroshilov.jpg

さらに全権を委任している証明として自らの経歴を説明する英国代表団団長ドラクス。
ガーター勲章の説明では、その歴史にソ連側も畏怖の念を感じるものの、
バス勲章がそのままロシア語に訳されると、さしものヴォロシーロフ元帥も
「風呂勲章とはいったい・・?」と驚きを隠せません。。

Order of the Bath  Breast Star.jpg

その間にも侵攻に向けてポーランドを挑発し続け、英仏の介入が起こらないことを確信し、
モスクワでの英仏の交渉が不調であることから勇気づけられたヒトラー。
スターリンは英仏と軍事交渉する反面、政府としてはドイツと密かに交渉中・・と、
どちらのカードに賭けるか、未だ思惑中・・。
しかし、ドイツ軍の攻撃日程まであと1週間余りとなって、東へ進出したドイツ軍が
どこで停止するかは誰もわかることではなく、「不可侵条約」が調停されれば、
ソ連国境の手前で停止してくれる・・とスターリンは信じるのです。

Panzer IV Ausf. A tanks parading in Sudetenland, Germany, Oct 1938.jpg

一方のヒトラーはスターリンの「じらし作戦」の前に地獄の責苦のような緊張が続きます。
そしてスターリン宛ての「私信」を書くという、型破りな行動に打って出ます。
翌8月21日、「スターリンが呑んだ!モスクワへ飛んで奴と条約を締結するぞ!」と
スターリンから届いた返信に大興奮するヒトラー。
この私信が「型破りな行動」だった理由とは、当時、西側では公的地位を持たないスターリンの
存在を公式に認めておらず、国家元首ではなく、首相ですらなく、単なる党書記長に過ぎない
スターリンに誰も手紙を書いたり、話をしたりしたことがなかったということです。

the day he was elected as a Chancellor.jpg

まさに同じ国際社会の除け者の独裁者心理を嗅ぎ取った、ヒトラーの動物的直感力が
この「独ソ不可侵条約」が締結したカギのようですね。
そしてヒトラーから「何でも呑め」と言われて早速、モスクワへ飛ぶリッベントロップ。
ヒトラーの連絡官ヘーヴェルに通訳のシュミット、ヴァイツゼッカーに写真家ホフマンが従い、
大使のシューレンブルクも長年モスクワにいながら、初めてスターリンと対面することに・・。

Abschluß des Hitler-Stalin Paktes.jpg

英仏が誰も知らない軍人たちを送って来てグズグズするのに対して、
ドイツが全権を持った外相を送って来たことも、ソ連のプライドをくすぐり、
空港にはモスクワ映画撮影所の「反ナチ映画」の撮影に使われていた
「鉤十字の旗」が集められ、なかには古い逆向きの「」の旗も・・。
ソ連の軍楽隊はにわか仕込みの「世界に冠たる我がドイツ」も演奏します。
万が一、この曲を知らない方は ↓ をどうぞ・・。



いかがでしたか?
ヴィトゲンシュタインは3番しか歌えません・・。
ちなみにソ連の軍楽隊はナチ党党歌「ホルスト・ヴェッセル・リート」も演奏しようと
奔走したそうですが、楽譜が手に入らず断念・・。

この電撃的な協定の結果、日本では衝撃を受けた平沼内閣が倒れ、
ドイツ国内ではナチ党員がイデオロギー的な裏切り行為であるとして、
ナチ党本部である「褐色の家」に外した腕章を投げ込んで抗議したことに心を痛めるヒトラー。。
ソ連でもそれまで「ファシストのハイエナ」と報道されていたナチスは、
「ドイツ当局」という表現へとすぐさま変更・・。
スターリンは語ります。「これはもちろんどっちが巧く相手を騙すかというゲームだ。
ヒトラーは巧く出し抜いたと思っているだろうが、実は出し抜いたのは私の方だ」

Newsweek_1939 Stalin Ribbentrop.jpg

上下2段組の文字が326ページ、ビッシリと続く本書ですが、
途中2箇所で10数枚ずつ写真が掲載されています。
ポーランドの騎兵隊の写真では、「ベルリンのウンター・デン・リンデンまで疾駆突撃すると自信満々」
という切ないキャプションが笑えますし、条約を締結させたリッベントロップを
「でかした!」大喜びで迎えるヒトラーとその面々の写真。
SS副官当時のあのマックス・ヴュンシェも右端で嬉しそうですね。
しかしキャプションではSS副官なんぞには触れず、
リッベントロップの背中越しの「ヴァイツゼッカーの表情が気乗りしない様子・・・」と。

Ribbentrop und Hitler freuen sich über den Abschluss des Freundschafts und Wirtschaftsvertrages mit Stalin, inklusive seiner geheimen Zusatzabkommen.jpg

前半の100ページあたりまでは、なかなかシンドイ展開で、
「こりゃ、2~3年前に挫折したのもしゃあないなぁ・・」と自己正当化・・。
しかしソコを過ぎると、本書ではじめて知った重要な登場人物たちにも慣れてきて、
独ソと英仏、ポーランドといった当該国以外のイタリア、日本の思惑なども絡んだ
国際政治の駆け引きがコレでもか・・と続き、良い悪いは別にして、
各国の方針・・それが必ずしもひとつではない・・ことが楽しみながら理解できました。

他にもドイツ国防軍では陸軍最高司令官のブラウヒッチュに参謀総長のハルダー
防諜部(アプヴェーア)のカナリスに、SSのハイドリヒと"やくざ者"ナウヨックス仕掛けた作戦
英国と陰で交渉するゲーリングと、その友人でスウェーデン実業家ダーレルス。
危機の迫るダンツィヒの様子と大管区指導者フォルスターといった面々も登場します。

Albert_Forster.jpg

予想に反し、この上巻で「死の抱擁の瞬間」を迎えてしまいましたが、
下巻はポーランド戦と1941年、スターリンに殴りかかるヒトラーまでが描かれているようです。



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戦艦ティルピッツを撃沈せよ! [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオンス・ペイヤール著の「戦艦ティルピッツを撃沈せよ!」を読破しました。

以前に紹介した「ロンメル将軍」と同様に、子供の頃からハヤカワNF文庫のコーナーに
必ず陳列されていた、個人的に有名な一冊です。
最初の翻訳版は1970年で、この473ページの文庫版は1980年の発刊ですが
ドイツの誇る巨大戦艦の割には何もすることなく撃沈されたという実績??を持ち、
タイトルどおり、英国寄りと思っていた本をやっと読んでみようという気になったのは
去年の10月に独破した「極北の海戦 -ソ連救援PQ船団の戦い-」で
大魔神のごときティルピッツの存在が非常に印象的だったのと、
リデル・ハートの「第二次世界大戦」での戦艦武蔵の件・・。
いわゆる2番艦というのが子供の頃から好き・・というのと同様、
ビスマルク級の2番艦がティルピッツだという、No.2繋がりなんですね。

戦艦ティルピッツを撃沈せよ!.jpg

1942年1月、ロンドンの首相官邸で物思いにふけるチャーチル・・。
半年前にドイツの巨大戦艦ビスマルクを大追跡の末に屠ったものの、
その姉妹艦「ティルピッツ」の存在が彼を悩ませます。
英本国艦隊の最大艦艇群をスカパ・フローに釘付けにしているだけではなく、
そもそも英海軍の最強の軍艦を上回る強力な敵の戦艦が遊弋している事実が面白くなく、
腹にもすえかねているのでした。

Battleship Tirpitz in Fetten-ferd.jpg

そのティルピッツを指揮するのは、巡洋艦エムデンの航海長だったカール・トップ大佐です。
精悍で厳しい、この海軍軍人は2400名の乗員を載せた強力戦艦の初代艦長にうってつけです。
そして彼も半年前に起こった姉妹艦の壮絶極まりない運命に思いを馳せ、
ただの「一発」でフッドを撃沈させた火器を思えば、ティルピッツの威力も心強く感じています。
それは4基の38㎝口径8門の砲。
前部砲塔は「アントン」と「ブルーノ」、後部砲塔は「シーザー」と「ドーラ」。
う~ん。。陸軍の巨大砲も大抵こんな名前ですね。しかもちゃんとABCD順です。。

Battleship Tirpitz_Dora.jpg

戦艦ビスマルクを知らない方でも「ビスマルク」という名はご存知だと思います。
日本で一番有名なのは、ヴェルディ川崎とか鹿島アントラーズにいたビスマルク・・?
じゃなくて、やっぱり「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクでしょうかね。。

では「ティルピッツ」というと、さすがに授業では習わなかったと思いますが、
ドイツ帝国海軍元帥で第一次大戦では海軍大臣を務めたアルフレート・フォン・ティルピッツで、
彼の名の付いたこの戦艦の大きな食堂にも、ヒトラーの肖像画とともに飾ってあり、
英海軍ではこの戦艦のことを「アルフレート・フォン・ティルピッツ」と口頭でも文書でも
長ったらしく呼ぶことにいら立ちを隠せない、第一次大戦時の海軍相チャーチル。。

Alfred von Tirpitz.jpg

ノルウェーのトロンハイムに投錨するティルピッツの情報は、英国および、ノルウェーの
協力者(スパイ)たちによって英国本土へと伝えられます。
トップ艦長がドーヴァー海峡を突っ切って、フランスのブレスト艦隊と合流しようという作戦を
本国に提案するのと同様に、英側もその危険を想定して、ティルピッが収容できる
ただ一つの乾ドックである、サン・ナゼールのドックの破壊を命じます。
しかし逆にドーヴァー海峡を突っ切ったのはシャルンホルストらのブレスト艦隊。。
こうして北方艦隊が強化され、名実ともにその旗艦となったティルピッツ・・。

The Channel Dash.jpg

60ページほど読んで思いましたが、本書はまったく英国寄りではなく、
英、独、ノルウェーの3ヶ国の話が短い章で交互に、公平に書かれています。
登場人物たちの会話も豊富で、まるで小説のよう・・というか、
映画を観ている感じすらしますね。

7月には「PQ17船団」に対して出撃しますが、すでに空軍とUボートによって狩りは終了・・。
なんの戦果もなければ、2級鉄十字章すら貰えずに士気も下がり始めると
暇をもてあました水兵が脱走する事件が起きてしまいます。
「ココではさっぱりなので英国か、米国の海軍で服務したかった」と
馬鹿正直に語る彼にトップ艦長は死刑を宣告。
ティルピッツの艦上で、食卓仲間の銃殺隊によって一斉射撃が・・。

Friedrich Carl Topp.jpg

ベルリンでは一回の作戦で大量の油を喰う、レーダー元帥の水上艦艇をヒトラーが
「くその役にも立たない」とののしり、すべて解体して、砲塔は陸上の堡塁にすべし・・。
すったもんだの挙句、レーダーが辞任して、デーニッツが後任になりますが、
Uボート男デーニッツでも、戦艦の存在が敵に与える恐怖を充分理解しているのでした。

HitlerundRaeder.jpg

少将へ昇進したトップ艦長はティルピッツに別れを告げ、後任にはハンス・マイヤー大佐が着任。
その間にも英国は、地中海のアレキサンドリアで戦艦クイーン・エリザベスとヴァリアントが
イタリアの人間魚雷によって大破したことにヒントを得て、
小型で4人乗りの潜航艇「X-艇」を開発。訓練に勤しんでいます。

X-craft_submarine.jpg

1943年9月、いよいよX-5号からX-10号までの6隻がそれぞれ親潜水艦に曳航されて出航。
X-5号~X-7号はティルピッツを、X-9号とX-10号はシャルンホルストを、
X8号はリュッツォーを攻撃するこの計画ですが、X-9号が途中で行方不明に・・。
X8号もトラブルに見舞われて断念。
結局、親潜水艦から切り離された4隻のX艇がソールオイ水道へ突入することに・・。

X-5_.jpg

X-6号艇長キャメロン中尉を中心としたこの「ソース作戦」の様子はかなり細かく書かれています。
首尾よく、魚雷防御網をくぐり抜けて、
ティルピッツの艦底に時限式爆雷を仕掛けることに成功するものの、
発見されて捕虜となった彼ら・・。じきに爆雷も爆発します。
英語を話す少尉が疲れ切った彼らにコーヒーとチョコレートを振る舞い、
キャメロンも愛用の曲がったパイプに煙草を・・。その時、凄まじい爆発が・・。

Lieut_D_Cameron.jpg

ティルピッツは戦死者1名、負傷者40名を出し、本国で大修理をしない限り、
本来の速力は取り戻せないほどの重傷を負いますが、マイヤー艦長は
「捕虜は静かに眠らせてやれ。彼らはそれに値するだけのことをやってのけたのだ・・」

英軍のさらなる攻撃を避けるため、入り組んだフィヨルド内をゆっくりと移動するティルピッツ。
しかし1944年4月、今度は空母から飛び立った英国機の襲来を受け、
マイヤー艦長も爆風で吹き飛ばされ、両耳もちぎれた血まみれの顔で艦橋に倒れるのでした。
今度は戦死者122名、負傷者は316名にも達し、その多くが重傷です。

Hans Karl Meyer.jpg

それでも浮かび続けるティルピッツはヴォルフ・ユンゲ大佐に艦長が交代。
意地でもティルピッツを沈めたい英国は、重さ5トンの大型爆弾「トールボーイ」を開発し、
爆撃機軍団長のアーサー・ハリスによって作戦が立てられます。
9月に「トールボーイ」を積んだランカスター爆撃機33機がティルピッツを発見しますが、
一発が右舷前甲板に命中したのみ・・。

Lancaster_Tallboy.jpg

しかし大穴の空いたティルピッツは、戦闘不能の片輪者に過ぎません。
トロムセへと隠れるように移動して、ロベルト・ヴェーバー砲術長が艦長に昇格。
これはすなわち、もはや軍艦ではなく、浮かぶ「ティルピッツ要塞」と化したことを意味します。

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1944年11月12日、遂に最期の日を迎えたティルピッツ。
ランカスターの襲来を察知し、アントンとブルーノの両砲塔が火を噴きます。
しかし高高度から落とされた巨大な爆弾が一発、二発とティルピッツを貫きます。
3分余りで10度も傾き、やがて135度に達して、上下が逆さに近い状態に・・。

28_tirpitz_nov_12_1944.jpg

ヴェーバー艦長は司令塔に閉じ込められて戦死。
その後の数日間に及ぶ、生存者救出作戦までが詳しく語られます。

実はこうして読み終えるまで、本書は「X艇」の活躍に特化したものだと思っていたので、
「トールボーイ」でティルピッツがひっくり返るところまで書かれていたのは予想外でした。
なぜ、そう思い込んでいたのかは良くわかりませんが、
フジ出版の「怒りの海 -X艇 戦艦ティルピッツを奇襲-」とゴチャゴチャになっていたのかも・・。

Tallboy_Lancaster.jpg

ティルピッツの艦長が計4人もいたとか、海軍としてのプライドの高い英海軍とチャーチルが
「わが国よりも凄い戦艦をもってるのはけしからん」とばかりに
戦略を度外視したような執念ともいえる執拗さ・・。
ビスマルクの追跡もかなり執拗でしたが、ティルピッツに対しても
ここまでやっていたのか・・と、初めて知ったことも多くありました。

29_wreck_of_tirpitz.jpg

またビスマルクについても以前に読んだ「巨大戦艦ビスマルク」以外に
やっぱりフジ出版から「決断」という本が出ています。
こんなタイトルだけだと、どんな本だか、わかったものじゃありませんが、
副題が「ビスマルク号最後の9日間」というんですね。最近、知りました。
いずれ、この2冊もやっつける予定です。

著者のペイヤールはフランス人で、実は以前から本書よりも「潜水艦戦争」を
読んでみようと思っていた海戦専門の方です。
いま調べてみたら「大西洋戦争」という上下巻の本もありますし、
翻訳されていないようですが、「ラコニア号事件」なんて本まで書いています。。。
うぅぅ~。コレ読みたい・・。









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ナチスの知識人部隊 [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリスティアン・アングラオ著の「ナチスの知識人部隊」を読破しました。

今年の1月に出たばかりの本書。
534ページという素晴らしいボリュームですが、定価3360円。。。
しか~し、早くもヤフオクで半額で落とせました。
アインザッツグルッペンの「SD」を主題にした小説、「慈しみの女神たち」を独破中だったので、
早く読みたい衝動に駆られつつも、その後しばらくガマンしていました。
同じようなタイトルの「ナチ親衛隊知識人の肖像」という本も読んでいますが、
あちらがハイドリヒやオーレンドルフ、ジックスら、5人に絞っていたのに対して、
本書は「約80名の若者たちを詳細に分析した戦慄の研究」だということです。

ナチスの知識人部隊.jpg

本書で言う「知識人」の定義は「大学修了者」のことで、また、それらは
第1次大戦後に大学で学んだ若者たち、1900年から1910年生まれが中心です。
そんな彼らに共通する最初の「トラウマ」とは、当然、少年期の戦争の体験であり、
ドイツ国民の半数が、近親者と死別するという経験をし、
戦時中の食糧難にも苦しめられたとするところから本書は始まります。

この第1部「ドイツの若者たち」では、
ハイドリヒの右腕でRSHA(国家保安本部)の副長官だったヴェルナー・ベストの伝記も抜粋して、
彼が11歳の時に父親が戦死し、気力を失った母親と弟に対する責任を負い、
15歳にして不安、仕事、責任を抱えた暗い青春を送ったことも紹介します。

Disabled_Veteran,_Berlin,_December_1918.jpg

第2部「ナチズムへの加入 -ある政治参加」では、
ナチ党がドイツ国内で躍進し、1933年に政権を奪取するまでの期間に
大学で法科などを学び、国粋主義の学生サークル活動にも参加していた
「戦う愛国者学生たち」に目を付けるナチ党。
後にSDの国内部門を任されたヘルマン・ベーレンズは党の法律顧問となり、
同じくSDで「ドイツ国民の生活問題」の責任者となったラインハルト・ヘーンに、
そのヘーンに誘われたアルフレート・ジックスなどが登場してきます。

Reinhard Höhn.jpg

ハイドリヒが設立したSD(SS保安部)ですが、この機関はナチ党の組織のひとつである
「親衛隊(SS)」のなかの情報部という、当初はとても小さいものです。
SSに詳しい方ならご存知の通り、SS隊員は必ずしもナチ党員である必要はありません。
本書では大学出の彼らがSDに入った経緯を分析し、
当時はナチ党への入党希望者が大きく増えたことから入党を制限し、
その一方で法律の知識のある若者がエリートとして、
SDへと直接リクルートされていたことが良くわかります。
要はSDへ入ることに比べ、SS隊員になったり、ナチ党員になったりすることは
形式程度で大したことではないという感じですね。

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また、ヴェルナー・ベストの意向によって、国家試験後にゲシュタポの地方支部の
トップに採用された若い法律家たちも、一部はSD入りしたという話も紹介されますが、
この「ナチスの知識人部隊」への道は、イデオロギーの証明が重要な要素です。

しかし例外も存在します。その男の名はオットー・オーレンドルフ・・。
彼は1925年、18歳で入党という古参党員であり、大学で法学も学びながらも、
集合住宅の監視をするといった「班指導者」(大管区指導者(ガウライター)等の一番下の階級)も
務めていた経歴も持つ、生粋のナチ党闘士です。

otto-ohlendorf.jpg

やがてSDがRSHA(国家保安本部)として警察業務などと統合されると、
すでにハイドリヒから不興を買っていたベスト、
敵研究の提唱者ジックス、そしてシェレンベルクの三つ巴の論争と対立が・・。
本書では人物だけでなく、SDの組織面にも光を当てています。
ただ、写真やSD、RSHAの組織図などが1枚もないので、
頭のなかを整理したり、なにかで確認しながらでないと、混乱して
人物を間違えたりしてしまいました。

Werner Best 44.jpg

1938年のオーストリア併合では、「敵研究」のジックスによって「特別手配者リスト」が作成され、
エーリヒ・エーアリンガーのアインザッツコマンド(出動部隊)をジックスがベルリンで指揮します。
そしてチェコへの進駐では規模も大きくなり「保安警察とSDのアインザッツグルッペ」として
最初の1週間で1600名を逮捕・・。

こうしてちょうど200ページから第3部「ナチズムと暴力」へ・・。
1939年7月、SD局員、SSの知識人らに警察学校への出頭命令が出され、
そこには武装SSとゲシュタポ、刑事警察(クリポ)の職員たちから成る部隊が集結しています。
軍事訓練を受け、ポーランドの風俗や習慣を学んで、
ついに「オスト・アインザッツ(東部出動」)と呼ばれる任務へと出発・・。

einsatzgruppen-brutal-germans-nazi-death-squads.jpg

実はポーランド戦におけるアインザッツグルッペンの行動についてはあまり書かれていません。
その分、1941年からの「下等民族の暮らす征服すべき処女地」は大変なものです。
このバルバロッサ作戦における国防軍の態度について、第6軍司令官ライヒェナウ
過激なフレーズが掲載されたものもありますが、
本書では同様なフレーズ・・「敵を憐れむことなく事に当たり、とりわけ、
ボリシェヴィキの擁護者に対しては、絶対に容赦してはならない」と訓示するのは、
第4装甲集団司令官のヘプナー将軍です。

Erich Hoepner.jpg

ほとんどの兵士に配られた「敵を知っているか」というチラシは面白かったですね。
「背後から狙撃するために死者や負傷者がそのように装っていると考えなければならない」とか、
「両手を挙げて進んでくる相手も背後から攻撃するための策略であることも多い」、
「見つけたものは一切、食べてはならず、検査していない水を飲んではならない」、
「一般人の落下傘降下員は兵士ではなく、義勇兵であり、そのような者は殺さなければならない」
しかし、これらが強迫観念となり、やがて極度の暴力的行動を生み出すこととなったとしています。

Leibstandarte at artillery post with Russian POW Kursk 1943.jpg

また、ハイドリヒが通達したアインザッツグルッペンの行動時の留意事項・・、
例えば「帝国に敵対するあらゆる人物の逮捕」などという、かなり曖昧で、
隊長たちの幅広い解釈が可能な司令も・・。
そして「処刑」の対象者も「すべての政治家、党の関係者、それらの役職に就いているユダヤ人。
ただし、占領地の経済再建のために支障がない程度に留めること」。

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シュターレッカーSS少将が率いるアインザッツグルッペA。隷下のアインザッツコマンド3隊長、
イエーガーSS大佐は、労働ユダヤ人の家族を射殺できなかったことで、市当局や国防軍と
激しい論争になったことを述べ、最後には「男の労働ユダヤ人の断種を直ちに始め、
それでも妊娠したユダヤ女は殺すべきである」と語ります。

Karl Jäger EK3.jpg

このアインザッツグルッペAには、マルティン・ザントベルガーが指揮するゾンダーコマンド1aと
エーリヒ・エーアリンガーのゾンダーコマンド1bもあるわけですが、
おおむねゾンダーコマンド(特別部隊)が対パルチザン戦を引き受け、
アインザッツコマンド3がバルト諸国のユダヤ人のジェノサイドを行ったということですが、
その他のアインザッツグルッペB~Dを見ても、そのような決まりごとはなく、
その活動と構成は体系的に見てもかなり自由(司令官の好み??)であったようです。

Erich Ehrlinger.jpg

これら4つのアインザッツグルッペの活動の様子は、「普通の人びと」や「慈しみの女神たち」に
勝るとも劣らないほど詳しく、生々しく、3万人を虐殺した有名な「バービ・ヤール」から、
ユダヤ人の女子供に対するものまで・・。
また、銃殺隊員が故郷の妻や両親に送った手紙と共に紹介されます。

Einsatzgruppen0.jpg

殺害方法も、もともと定められたものがあるわけではなく、
その場でその部隊が思いつくままに考案します。
穴の淵に後ろ向きに立たせて、またはひざまずかせて、あるいは、穴の中にうつぶせに・・。
離れた所から数人で一斉に撃つのもあれば、首筋に一発・・。
アインザッツコマンド5では自動小銃による処刑を行いますが、生存者や怪我人があまりに多く、
結局、穴の中で息の根を止めなければならなくなり、「狙い撃ち」方式に戻ることに・・。

Einsatzgruppen.jpg

そして、そのような虐殺とは別の公開処刑。ミンスクでは二人の女性が見せしめの絞首刑に。。
その理由は子供殺して、遺体を解体し、肉片を町の市場で売った罪です・・。
女子供も無差別に銃殺するのは良いけど、人肉食べるなんて野蛮なことししちゃダメよ・・
ってことのようです。もちろん支配民族目線ですが。。

1941_Execution of Masha Bruskina, Minsk.jpg

また銃殺隊が陥ったトラウマにも言及します。
「血だらけの山積みの死体の中にまだ動くものがあり、その絡み合った死体の山から
いきなり人が立ち上がって、片腕を上げるのです・・」。

Einsatzgruppen-Po-egzekucji.jpg

このような心理的負担を軽減するため、軍隊式の一斉射撃を実施し、
将校の命令で撃った後は回れ右をして10歩後退・・。
コレで自分が殺した人間を見ずに済むのでした。

さらに発明されたガス・トラックも、その汚物にまみれた凄惨な数10体の死体を
引き出すことが、あまりにも心理的負担が大きく中止・・。

wsaw-exec.jpg

休みなく続く虐殺・・。2ヵ月程度で現場から解放されたジックスのような隊長もいれば、
ハイドリヒに志願してアインザッツコマンド9の隊長となったアルベルト・フィルベルトは、
神経障害と重いうつ病によって4ヵ月でベルリンへ・・。
その後は2年近くRSHAの組織図から姿を消し、1943年末になってようやく配属されたのは
汚職撲滅担当の警察部局という下級ポスト・・。
「戦う知識人」が出世への道であるこの世界で、「弱さの告白」をすることは
要職へ就くことを禁じられたのと同じことなのです。

1944年、敗北を意識した「戦う知識人」たちは様々な行動に出ます。
ゲリラ部隊である「人狼部隊」が検討されると、RSHAⅥ局の学校が破壊活動の学校へと変わり、
あのスコルツェニーがトップに就任。
爆発物の取り扱いや尋問、ゲリラ戦のカリキュラムの作成を指揮したのはザントベルガーです。
また、オーレンドルフは1945年、デーニッツ新政府を訪れ、シュペーアの補佐官に・・。

Martin Sandberger.jpg

そして戦後・・。
ハイドリヒと衝突して1940年にRSHAから離れ、デンマークで死刑判決を受けるも
恩赦で釈放されたベストは、元ゲシュタポ局員の裁判での弁護の調整に当たります。
「絶対服従」の論拠を盾にし、「最終的解決」については何も知らなかったと証言するようにと・・。

一方、アインザッツグルッペDの司令官として1年間に行った数万人にも及ぶ殺害行為を
自らの責任と認め、死刑執行されたオーレンドルフ。
しかし、何人かの隊長たちとは違い、彼が自ら手を下した事実は確認されていない・・
ということですが、本書では彼だけは最初から最後まで特殊なケースとして
描かれている気がしました。

Einsatzgruppen Trial.jpg

後半の約100ページが原注なので、本文は436ページです。
もともと博士論文がベースになっていることから、ちょっと専門的で
スラスラと理解できるものではないですが、充分読みごたえがありました。

個人的には個々の「戦う知識人」たちよりも、アインザッツグルッペンとは何か・・?
ということがある程度、確認することが出来ました。
当初は情報部らしいSDの任務として、占領地の敵対者を特定し、
ゲシュタポによって逮捕するといった、ユダヤ人を絶滅することが目的ではなく、
ドイツ国内での任務と変わらなかったアインザッツコマンドが、ソ連侵攻となると、
その規模が大きくなり、イデオロギー的な命令と、戦争に対パルチザン戦、
バルト諸国と白ロシアにウクライナの民族性、A~Dの司令官やコマンド隊長の各々の考え方、
未知の劣等民族への扱いも含めて、徐々に行為がエスカレートし、
後に「アインザッツグルッペ = 絶滅部隊」と呼ばれるようになった・・。

Nebe,Heydrich,with Walter Schellenberg on the far right.jpg

裁判では全体的に、ユダヤ人処刑命令をすでに死んだハイドリヒに押し付けていますが、
やっぱり、もしハイドリヒが暗殺されなかったら、これ以上、何が起こっていたのか・・。
恐ろしすぎて想像が付きませんが、ふと、思ってしまいました。

このようにアインザッツグルッペンという部隊ですら、一括りにすることはできず、
彼らが数万から数十万人を虐殺したことには変わりありませんが、
それを実行するに当たっては様々な要因と部隊ごとの「個性」が存在していたことが、
理解できたつもりです。

原題は「信じることと皆殺しにすること、戦う機関SSの知識人たち」というもので、
著者アングラオは、いま最も期待されるフランスの若手研究家だそうです。
2010年に発表された本書の前著である、
「黒い狩人たち -ディルレヴァンガー旅団-」も、ぜひ翻訳して欲しいところです。



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ジェット戦闘機Me262 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

渡辺 洋二 著の「ジェット戦闘機Me262」を読破しました。

この独破戦線では「最後の反乱―ゲーリング弾劾と独ジェット戦闘機隊」と
第44戦闘団 -ザ・ガランド・サーカス-」で紹介しているメッサーシュミットのジェット戦闘機。
ですが、この2冊を読んだのは3年近く前なんですねぇ。
それ以来、ルフトヴァッフェ興亡史本には最後に必ず登場するMe-262ですが、
先日の「ロケット・ファイター」を読んだ勢いで購入しました。

ジェット戦闘機Me262.jpg

実は本書は、その3年前から気になっていたものですが、
同じと思われる本が3冊あるんです。
一つ目は1982年、第二次世界大戦ブックスの「ジェット戦闘機Me262―ドイツ空軍最後の輝き」、
二つ目は1990年、朝日ソノラマから出た本書。
そして三つ目が2001年、光人社から出た「ジェット戦闘機Me262―ドイツ空軍最後の輝き」です。
最初が第二次世界大戦ブックスということもあって、コレが写真もタップリ・・
というのは想像できますが、朝日ソノラマはそんなでもないしなぁ・・とか、
20年の間に、中身も改定されているのかなぁ・・とか、いろいろと悩んだ挙句、選んだのは、
「間を取った」朝日ソノラマの本書です。自分で言うのもなんですが、大人な選択・・。
今現在、唯一新品が手に入る光人社の表紙が完全な「やっつけ仕事」なのも。。

ジェット戦闘機Me262―ドイツ空軍最後の輝き_第二次世界大戦ブックス_光人社.JPG

まずは1933年からハインケル社で開発されたジェット・エンジンの歴史から
その構造と特徴と続きます。
概念図まで出てきて、思っていたより専門的な感じです。
そして1939年、初のジェット機であるHe-178が誕生しますが、
社長のエルンスト・ハインケルが航空次官ミルヒのウケが悪いことから関心も持たれず、
やがてメッサーシュミット社に開発が移行していきます。
このような経緯は先日の「ドイツ戦闘機開発者の戦い」にも詳しかったですね。

He-178.jpg

航空省の契約を受けてジェット・エンジンを開発するのはBMWですが、
信頼が低く、ユンカース社のエンジンがピンチ・ヒッターに登場。
遂に完成したMe-262は1942年7月、名テスト・パイロット、フリッツ・ヴェンデルの手によって
12分間の初飛行に成功するのでした。

FRITZ WENDEL.jpg

この1942年から43年というのは東部戦線でもスターリングラードでの大敗北が起こった
いわゆる「転換期」でもあり、ドイツ空軍にとっても四発重爆の必要性が取りざたされたり、
主力戦闘機Bf-109の後継機として、Me-209やMe-309の開発が始まるものの、
その性能はパッとせず、その結果、悪代官ミルヒもメッサーシュミットのジェット戦闘機に対して
厳しい視線を送るのでした。

Erhard Milch.jpg

そして1943年4月、ロケット戦闘機Me-163の実験隊を率いていたシュペーテが、
空軍パイロットとして試乗。その性能に驚いた彼はガーランド戦闘機隊総監
報告すると、ガーランドも早速、搭乗します。
ミルヒに「Me-262はものすごい成功作です」と報告し、Bf-109の生産を停止して、
単発戦闘機はFW-190に限定し、余剰生産能力はすべてMe-262に傾注すべし・・。

Me262A.jpg

ちなみに著者は執筆にあたって、「参考文献を繋ぎ合せて本を書くのは好きではない」ことから、
ガーランドに手紙を出し、Me-262の飛行特性や戦闘法、隊の運用などを訊ねたところ、
この異国の名も知れぬ質問者に対し、折り目正しく2回も回答してくれたそうで、
「Galland」の読み方が「ガーラント」なのか、「ガラント」、「ガーランド(独破戦線はコレ)」、
果てはフランス読みの「ギャラン」なのかまで、表音記号で尋ねると
「ガランド」であるとの回答を得たそうです。

Adolf Galland and Mickey Mouse.jpg

1944年4月になってようやく「262実験隊」が編成。
「5機のBf-109よりも、1機のMe-262を!」と要求する戦闘機隊総監を尻目に、
フランスへの連合軍上陸に向けて、250㌔爆弾を搭載した「超高速爆撃機」として
量産することを要求するヒトラー・・。
こうして爆撃機仕様となったMe-262A-2aですが、30度の降下爆撃でも時速900㎞という
凄まじいスピードであり、そんな高速に合う爆撃照準器は存在しません。。

me 262.jpg

それでもノルマンディからフランスを席巻する連合軍に対して「262実験隊」が遊撃に出ます。
Me-262による初戦果から、いくつかの空戦が紹介されますが、絶対数が不足・・。
ヒトラー暗殺未遂事件後になって、「爆撃機型20機こどに戦闘機型1機」の生産を
ようやくヒトラーが許可。。
11月には本格的ジェット爆撃機である、アラドAr234Bの作戦準備が整ったことで、
Me-262は戦闘機型として生産することも承認します。

ar234v5.jpg

「262実験隊」は隊長の名前を取って「ノヴォトニー隊」に改編されますが、
そのヴァルター・ノヴォトニーは視察に来ていたガーランドの目前で墜落・・。
ガーランドはMe-262による戦闘航空団の編成をゲーリングに取り付け、
「第7戦闘航空団」の司令に剣章受賞者シュタインホフ大佐を任命。
「ノヴォトニー隊」は天才パイロットの名をそのまま残して、
第Ⅲ飛行隊に編入されるのでした。

Walter Nowotny.jpg

また、制空権を失ったことで、Ju 88やDo-217といった低速な爆撃機航空団が
次々と解隊されると、余った爆撃機パイロットをMe-262A-1aに乗せることを決定。
部隊名称も「第54爆撃航空団(戦闘機)」というややこしい名称へ丁寧に変更。
爆撃機パイロットから戦闘機パイロットへの移行も、計器飛行に慣れていることや
同じ双発機である・・といった利点もあるそうです・・。

1945年の元旦に決行された「ボーデンプラッテ作戦」でのMe-262の活躍も紹介し、
「鹿の角」と綽名されたレーダーを装着して夜間戦闘機Me-262B-1a/U1にも改良。
英爆撃機モスキートに挑みます。

Me-262B-1aU1  Night Fighter.jpg

量産はされていたものの、このように様々な航空団と指揮下にあったMe-262。
3月末にジェット機とロケット機の全権代理委員に任命されたカムフーバー中将
Me-262の全部隊を掌握すると、ガーランドが望んでいた邀撃任務に
すべてのMe-262を振り向ける体制がやっと確立されます。

Manfred Meurer, seen here receiving the Ritterkreuz out of the hands of Gen. Josef Kammhuber.jpg

一方、ゲーリングとの確執により、戦闘機隊総監をクビになって干されていたガーランドは
ヒトラーの取り成しもあって、ジェット戦闘機による1個中隊の編成が認められ、
第44戦闘団」の準備に奔走します。
「ゲーリング弾劾」でやっぱり干されていたシュタインホフにリュッツォウ両大佐を筆頭に、
300機撃墜のバルクホルンクルピンスキーなどのスーパーエース、
その他、騎士十字章受章者が集まったエリート中隊。
中隊長が「中将」というドイツ空軍史の最後を飾るにふさわしい精鋭集団の誕生です。
しかし戦局はすでに、絶望的・・。

Me262A-1a.jpg

シュタインホフ大佐の離陸時の事故の様子が出てくると、
思わず「あ~・・」と、暗い気持ちになってしまいました。
コレは以前読んだ彼のジェット戦闘機隊回想録である
最後の反乱 -ゲーリング弾劾と独ジェット戦闘機隊-」で
顔が変わってしまうほどの大火傷を負った彼の苦悩が詳しく書かれていましたから・・。
でもこの本、凄いプレミア価格になっていますねぇ。

steinhoff.jpg

一口にMe-262と言っても様々なバリエーションと部隊の運用、
そしてストーリーがあったことを知りました。
エルベ特別隊」の体当たり任務にMe-262が護衛として参加していた話なども
興味深かったですね。
またMe-262の操縦方法が5ページに渡って書かれていたり、
そのとても広い範囲を可能な限り網羅しようと努めている印象も持ちました。

ただ、その分、この278ページの文庫ではちょっと無理があるというか、詰め込みすぎというか、
写真もそれなりににあったりして、まぁ、もともと第二次世界大戦ブックスだったから
しょうがないですが、個人的には倍のボリュームが欲しいくらいでした。
ちなみに第二次世界大戦ブックス版から「全面的に改訂、新原稿を加え」ているということです。







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無敵! T34戦車 -ソ連軍大反攻に転ず- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・オージル著の「無敵! T34戦車」を読破しました。

「第二次世界大戦ブックス」では珍しい、ソ連軍寄りの一冊を紹介します。
このシリーズは「ガソリンある限り前進せよ」とか、副題の見事さが印象的ですが、
本書はズバリ、邦題のタイトルが良いですね。。「ヨーロッパで最も危険な男」に匹敵します。
そもそもこの「無敵!」っていうのが無かったら買ってません・・。
しかしT-34戦車っていうのは、映画でも「鬼戦車T-34」という強烈なのがあるくらい、
タイトルに恵まれた?戦車ですね。
序文を書くのは、前回の「ドイツ機甲師団」や「ドイツ装甲師団とグデーリアン」でお馴染みの
ケネス・マクセイ。訳者さんはこれまた加登川 幸太郎氏です。

無敵! T34戦車.jpg

「非常に優れた戦車だ。これに比べられる戦車は我が軍にはない・・」
と驚きを隠せない、第48装甲軍団参謀長メレンティン少将の語るT-34。
その起源は皮肉なことに、戦車に関する明確な理念を教え込んだドイツ軍だった・・として、
ヴェルサイユ条約によって戦車の製造を禁じられていた、ゼークトの10万人ドイツ軍が
ソ連軍との負け組協定によってロシアの奥深くで、戦車戦闘の共同訓練を行う話から始まります。

そしてソ連は外国から、多数の戦車を輸入・・。
英国のビッカース6㌧戦車からT-26戦車が生まれ、T-28に、5砲塔の45㌧戦車、T-35と続き、
米国のクリスティー10㌧快速戦車からは、有名なBT快速戦車シリーズが誕生します。
やがて1939年、「偉大な戦車設計家コーシキン」によって、T-32が作られると、
遂にT-34の試作車2台が、1940年初めに当局の厳しいテストを受けることになるのでした。

T-34.jpg

4人の乗員の役割を詳しく解説していますが、コレがなかなか面白かったですね。
砲塔には2人、西側の"吊り籠"方式とは違い、イスが砲塔の環部に取り付けられているため、
イスから身をよじらせながら、回転する砲塔についていかなければならなかった・・。
また、戦車長は「砲手」も兼ねているため、眼鏡照尺を覗き込んで「発射」すると、
反動で35㎝後退する砲にぶつかるのを避けるため、やっぱり身をよじらなけばなりません・・。

以前読んだ小説「クルスク大戦車戦」では、T-34内部での映写が細かく、
車長の息子が操縦手の親父の肩に足を乗せ、右肩を踏んだら右に曲がる・・
なんてシーンを思い出しました。

russian-tanks-T34.jpg

世界の戦車専門家に「装甲戦の女王」とみなされていたドイツ軍の誇る「Ⅲ号戦車」。
しかし37㎜砲や50㎜短砲身のⅢ号戦車の栄光も、1941年の「バルバロッサ作戦」までであり、
76㎜砲を備え、傾斜装甲や戦車史上最高の馬力を誇る、この"劣等民族"が密かに開発した
革新的な新型戦車の前には「オモチャよりマシ」な戦車でしかありません・・。

Panzer_III_mit_Panzersoldaten.jpg

そうはいっても戦車の性能だけで、戦争の勝敗が決まるわけではありません。
「機械化赤軍」を目指していたトハチェフスキー元帥らが「大粛清」によって排除され、
生き残ったのはブジョンヌイヴォロシーロフ、ジューコフら保守的な騎兵出身者のみ・・。
1939年のフィンランド戦で、惨めな戦いを繰り広げた末、
再び、戦車旅団を拡大することを決定しますが、
ドイツの攻勢をまともに喰らった第14機械化軍団は、本来あるべきはずのT-34、420両、
KV-1重戦車126両の代わりに、時代遅れのBT戦車が500両あっただけ・・。その結果は
敵を防ぎきれずにスターリンの怒りを買った、西軍管区司令官パヴロフ大将の銃殺です・・。

Dmitry Pavlov.jpg

夏から秋にかけて、ドイツ軍を驚かせるようになったT-34。
モスクワ前面を防衛し、12月には寒さに震えるドイツ軍に対して反撃に出ます。
ウラル地方に疎開した戦車工場では大量のT-34が生産され、
搭乗員の訓練が追いつかないほど・・。
本書では「もしヒトラーが2000両のⅢ号戦車ではなくて、2000両のT-34が使えていたなら
世界の歴史は変わっていただろう」と断言していますが、
ドイツ軍の鹵獲T-34戦車は終戦まで、いったい何両あったんでしょうかねぇ?

Panzerkampfwagen T-34-76.jpg

フランス電撃戦当時の「短気な第一線部隊長ではなくなっていた」グデーリアンは、
鹵獲したT-34を直ちに調査することを要求します。
Ⅳ号戦車は75㎜砲が装備されるようになるものの、「同等」では十分ではありません。
88㎜砲を備えたⅥ号戦車ティーガーの実験が、翌年の総統誕生日である4月20日に
間に合わせるために急がれていますが、そのような重くて遅い戦車ではなく、
「T-34を正確に真似て作った戦車が欲しい」というのが前線指揮官たちの要望です。

提案そのものは「ドイツ人の誇りが許さない」こともあって拒否されたものの、
こうして完成したのが傾斜装甲で75㎜砲を搭載したⅤ号戦車「パンター」です。

panther Ⅴ.jpg

一方のソ連軍も黙って満足していたわけではありません。
装甲も厚くし、苦情の多かった砲塔も改良。
そしてより強力な85㎜砲に載せ替えて、T-34/85が完成。

自信を取り戻したスターリンが、1942年の4月に先手を打って攻勢に出ますが、
ドイツ軍の予備兵力を「張子の虎」と見くびっていたティモシェンコの作戦は、大失敗。。
クライストの第1装甲軍の反撃の前に、せっかく整えた貴重な戦車旅団14個が
撃破されてしまうのでした。
本書は単なる戦車の解説だけではなく、カフカス戦スターリングラード戦なども、
独ソ平等に織り交ぜて進んでいくので、想像していたよりかなり面白いですね。

Russland,_T-34.jpg

やがて広大な土地の機動戦では戦車だけではなく、自走砲にも注目が集まります。
ドイツ軍は優秀なチェコ製の38(t)戦車の車体に、鹵獲したT-34の76㎜砲を載せた
マーダーⅢ」自走砲を生産します。
さらにⅢ号戦車やⅣ号戦車の車体から「突撃砲」も量産。

Marder III_a.jpg

負けじとソ連軍も「SU-76」から、T-34/85の自走砲版ともいえる「SU-85」。
最終的にはJS重戦車の車体を利用し、152㎜榴弾砲を搭載した「SU-152」までにエスカレート・・。

両軍とも準備万端で始まるのは、1943年のクルスク戦です。
北から攻勢に出るモーデルの第9軍に配備され、正面から受ける放火の雨をものともせず、
「のっしのっし」と前進する重駆逐戦車「フェルディナンド(エレファント)」は、
狙撃兵の決死の突撃によって次々と撃破されてしまいます。
この機銃を持たないポルシェ博士の生み出した怪物には装甲兵総監グデーリアンも
「大砲でウズラを撃つようなもの・・」と自嘲気味に語ります。
そろそろ「続・クルスクの戦い」買おうかなぁ。。

Ferdinand and Soviet infantry, Kursk, July 1943.jpg

南からのマンシュタインの攻勢は、ホトの第4装甲軍が「プロホロフカ」へと進撃すると
まるで昔の騎兵突撃のように、T-34が至近距離で斜めに通過突進。
1500両以上の戦車がこの草原で入り乱れて撃ち合う、史上最大の大戦車戦が展開されます。

battle_kursk_83.jpg

これ以降、副題のとおり「ソ連軍大反攻に転ず」となってくると、
主役になるのは「悪魔のように無慈悲な男」ジューコフです。
スターリングラードでもクルスクでも、まず「防御」して、戦車による「攻勢」に出るという戦術を実施し、
騎兵的過失である「手を伸ばしすぎない」ことも学んだジューコフ。
ドイツ軍と互角に戦うには「血を流すしかない」ということも知っています。
また、そのライバルであり、酒も飲まず、トルストイを読み、スターリンを尊敬するコーネフも・・。

KONEV _ZHUKOV.jpg

チェルカッシィ包囲ではマンシュタインの指揮する脱出作戦をソ連軍が待ち受け、
4時間にも及ぶ大殺戮・・押し寄せるT-34によって数百人が踏み潰され、
戦車の及ばない場所には、騎兵がドイツ兵を追いまわして、軍刀で切り刻みます・・。

Korsun-Cherkassy pocket.jpg

そして、ジューコフとコーネフにとって最も経験のある恐るべき敵、ホトとマンシュタインが
ヒトラーによって罷免されたことで、心理的にも大きな勝利を収めて、いざベルリンへ・・
しかしいまやジューコフは万全な準備を整えるまでは攻勢には出ません。
それはまるで、英軍のモントゴメリー化しているようです。。。

Montgomery Zhukov.jpg

最後は操作性の悪いT-34で戦い続けた搭乗員たち・・。
彼らはドイツのⅢ号戦車や、米国のシャーマン戦車、英国のクルセイダー戦車の
搭乗員たちと、同じ種類の若者たちではなかったとしています。
それは戦前のソ連では彼らが自動車を運転するチャンスなどなく、
村から引っ張り出された百姓が、T-34の操縦と射撃を叩きこまれ、
比べられるものもなく、欠点も気づかず、ありのままを受け入れたのだ・・。

eef1_1945.jpg

開戦当初までの部分は「バルバロッサのプレリュード」を思い起こさせる展開でした。
しかし、あの独ソ戦車戦シリーズほどソ連寄りではありませんので、
ドイツ軍目線で読んでも楽しめます。
T-34戦車に特化したものではなく、ソ連戦車を主役とした「独ソ戦記」といえば
わかりやすいでしょうか。

戦車入門編としても成り立つような、とても読みやすい一冊ですし、
なんとなく、「鬼戦車T-34 」のDVDも買おうか・・という気にもなってきました。
先日、このDVDのおすすめメールがamazonから来た!っていうのもありますが。。

「日夜虐待を受けるソ連兵捕虜がドイツ軍の新型対戦車砲の標的としてT-34に乗り込まされ、
隙をついて戦車ごと脱走を計るという、シュールであると同時に哀調のある、
1942年に実際にあった話を映画化したソ連軍版『大脱走』」。
タイトルに勝るとも劣らない内容のようです。。。

ЖАВОРНОК 1964.jpg

著者のオージルの経歴は載っていませんが、第2次大戦で戦車戦の経験があるようで、
未読ですが、「ドイツ戦車隊―キャタピラー軍団,欧州を制圧」も書いています。
まぁ、これも「キャタピラー軍団・・」という口に出すのも恥ずかしい副題が素敵なので、
今度、読んでみます。









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