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ドイツ軍装備大図鑑 制服・兵器から日用品まで [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アグスティン・サイス著の「ドイツ軍装備大図鑑」を読破しました。

いやいや、なんですかね、この本・・。
偶然、ネットで見つけた去年の11月に原書房から出た大型本ですが、
318ページで定価はなんと、9450円!
先日も大きな本屋さんの軍事モノのコーナーに行って来たばかりですが、
こんなのは売っていなかったと思います。
しかし、値段が値段ですし、内容もイマイチ不明なことから図書館で調べてみると・・、
ありました。しかも「在架」・・。ニヤニヤしながら早速、図書館へ・・。
そして手に取ってみると、この大型本はオールカラーで当時の現物の写真集であるという
通常は洋書でしかありえない、スゴイ代物であることが判明しました。

ドイツ軍装備大図鑑.jpg

原著は2008年、スペイン人のコレクターによるもので、「プロローグ」では、
「軍隊暮らしにおける所持品やその使い方を図版で生き生きと観察することで、
戦闘員の姿を身近に理解してもらうことにある」と執筆の目的を語ります。
ただ、出だしの「1930年までベルリン士官学校の校長を務めたクラウゼヴィッツ・・」には、
かなりビックリしましたが・・、でも以降は気になる誤字はありませんでした。

続く「序章」ではナチ党員の有名な丸い赤白のバッジのカラー写真と共に、
逆三角形の青ベースの「ナチ党婦人部のスカーフ用バッジ」が載っていました。
これは初めて見ましたが、「母親十字章」もそうですが、ドイツの伝統、またはナチ党に、
女性ものには「青」を使うというなんらかの理由があるんでしょうか??

Nat. Soz. Frauenschaft Members Pin.jpg

本文は「鉄ヘルメット」からです。
第1次大戦までの、美しく様式化された「スパイク付きヘルメット」が1916年に近代的なものとなり、
1918年にはさらに進化(M1918)、それをベースにナチス・ドイツのM35ヘルメットが・・ということも
最初に紹介され、M40、M42と3つのモデルを写真で比較しながら、
戦局悪化とともに素材も工程も仕上げも、徐々に粗雑になっていく様子が、目で理解できます。
がんこなハマーシュタイン」で ハマーシュタインがかぶっていたのが
「M1918」モデルだったんですねぇ。
この「鉄ヘルメット」だけで12ページ・・。これでもか・・という徹底ぶりで驚きました。

Heer-M1918_M35.jpg

次は「制服」。タイトルである「ドイツ軍」とは、本書では「陸軍」のことを指しているわけですが、
この「制服」でも「野戦帽」から始まって、「野戦服とズボン」、「国家鷲章」、「襟章」、「肩章」、
そして襟の裏の「カラー」に「サスペンダー」と身に付ける物すべてを紹介する勢いです。
「シャツ」にしてもM33のシャツにM41のシャツと実物で・・。
こうなってくるともちろん「下着」も・・。さすがにパンツにはM40とかの規格は無いようですね。。

下着.jpg

まだまだ「セーター」に「ハンカチ」、「手袋」、「靴下」と新品も紹介され、「オーバーコート」が登場。
「迷彩服」も詳しく紹介し、「軍靴」へ・・。
「行軍用ブーツ」ではM41モデルの裏に計44個の鋲が打たれていることを写真とともに解説します。
ドイツ軍ブーツの靴底は初めて見ましたが、最初に思ったのが、「モスクワ攻防戦」で
この鉄の鋲が打たれたブーツで、多くの兵士の足が凍傷にやられた・・というヤツでした。。

ブーツ.jpg

そんなことを思いながら読み進めていると、やっぱり防寒靴の「フェルト製ブーツ」が登場し、
靴底の鋲は「革」に変身・・。読んでて足元も寒かったですから、ほっとしました。

フェルトブーツ.jpg

プロローグで「「軍隊暮らしにおける所持品やその使い方を・・」と書かれているとおり、
ココからはそれらのお手入れグッズとお手入れ方法を紹介します。
支給品の「靴墨」に「裁縫道具」。
この解説では「ドイツ軍は装備の維持管理規則が極めて厳格だった」として、
破れや取れたボタンのない完璧な状態に保つ責任を兵士は負っていたそうです。

裁縫道具.jpg

次の章「ベルトとバックル」では、このドイツ陸軍のベルト・バックル(コッペルシュロス)に
書かれている言葉が、プロイセンのモットー「GOTT MIT UNS(神は我らとともにあり)」
であることに著者は、公然と聖職者の権力に反対する国家にしては驚くべきこと・・としています。
SSのバックルは有名な「忠誠こそ我が名誉」ですが、空軍も違うようです。
新しい軍だからSSと同じかも知れません。
ちなみにヒトラー・ユーゲントのバックルは「血と名誉」みたいですね。

Wehrmacht - Gott mit uns,SS - Meine Ehre heißt Treue,HJ - Blut und Ehre.jpg

次は「ガスマスク」です。
この解説ではドイツ軍のよる英国本土上陸作戦が実施されていたら、
英国は「毒ガス」を使う気だった・・という話や、ワルシャワ蜂起にドイツ軍は「毒ガス」を使用し、
すぐに世界に向かって「不幸な誤りだった」と世界に謝罪した・・ということです。
前者は初めて聞いたことですが、後者は諸説あるのでなんとも言えません。。
軍に支給されたものだけではなく、何百万という女性や子供にも支給された
「ドイツ国民ガスマスク(ディ・ドイチェ・フォルクスガスマスケ)」の新品と説明書を含めて
「ガスマスク」の章は25ページも続きます・・。
ガスマスク・マニアの方ならこれだけで購入決定でしょう。

Deutsch volks gasmaske.jpg

「野戦装備」の章はまず、「水筒」からです。
「背嚢」では教範の絵と、そこに示されている規則どおりの詰め方の写真・・。
本書ではいくつか教範も紹介されてて、どんなものにも教範があるのがわかりました。。
「飯盒」も蓋がフライパンになるなど、初めて知りましたが、そういえば良く
こんなのを持ちながら食事している兵士の写真を見ますねぇ。
さらに「シャベル」に「弾薬パウチ」、「銃剣」に「近接戦用ナイフ」、「銃カバー」と続きます。

飯盒.jpg

「観測、通信」の章になると、カラーペンやらペンケースやら分度器やらが・・。
「地図」では、「軍は自前の地図ばかり使っていたわけではなく、定期的に更新される
市販の道路地図も頼りにした」ということで、
ノルマンディ地方の当時の「ミシュラン・ガイド」が出てきました。
その他、「双眼鏡」に「野戦電話機」。「ホイッスル」もココに含まれます。

野戦電話機.jpg

いよいよ「武器」の章へ。
「モーゼルKar98K 小銃」が8ページ、その後、「MP40 短機関銃」、「StG44 突撃銃」、
「MG34 機関銃」。拳銃では「ブローニングHP35」から、「ルガーP08」、
そして「ワルサーP38」を紹介。
手榴弾もドイツらしい「M24 柄付き手榴弾」から、らしくない「M39 卵型手榴弾」まで。
ここまでで、300ページ強の本書の2/3です。

武器.jpg

後半の「身のまわりの装備品」はちょっと気色が違うというか、好き嫌いは分かれるでしょうが、
万年筆などの「筆記具」から、レターセット、切手、時計と続きます。
「腕時計」では、国防軍から要求される厳格な仕様と数量にドイツの会社が応じきれなくなり、
1942年、スイスの「ロンジン」が最初に注文を受け、その後は複数のスイスのメーカーが
製造したそうですが、あらゆる交戦国からの需要が増えたために、単に刻印が違うだけで
同じモデルの時計がドイツと英国のために製造されることもあったようです。

German Army MILITARY WW2 Watch WWII DH.jpg

「眼鏡」に、有名なライカを中心とした「カメラ」、「懐中電灯」に「現金」が続くと、
次の章は「文書類」です。
兵役の年齢に達した際に登録し、与えられる「ヴェーアパス(兵籍手帳)」と
動員されたときに代わりに受け取る「ゾルトブーフ(給与手帳)」を
それぞれ中のページまで詳しく紹介。
「認識票」に「射撃記録帳」、「国防軍運転免許証」も写真は1枚ではなく、
それぞれ数枚の写真があります。

文書類.jpg

ヴィトゲンシュタインの好きな「勲章と徽章」の章も出てきました。
陸軍の一般兵の生活が本書の構成の基礎になっていますから、まずは「2級鉄十字章」からです。
他には「戦功十字章」、「東部戦線従軍章」、「歩兵突撃章」、「戦傷章」、「クリミア・シールド」など。
「歩兵突撃章」の銀色は歩兵、ブロンズは自動車化部隊の兵士に・・、ほう、そうでしたか。

勲章類.jpg

「健康と衛生」では、ニベア・クリームなどのメジャーなドイツの商品以外にも、
軍の公式コンドームに、国防軍専用のバージョンなるマイナーなコンドームが。。
寄生虫を駆除するパウダーでは、以前に読んだヒトラー物の本にも登場した
モレル博士印のパウダー」が写真つきで・・。マニアックですが、コレは面白いですね。

公式コンドーム.jpg

「糧食」はスプーンとフォークが一体化した官給品に始まり、各種ナイフや肉の缶詰まで。
コカコーラとファンタの瓶の話はなかなか興味深く、
1936年のベルリン・オリンピックのスポンサーになり、ヒトラーとゲーリングも大ファンだった
コカコーラ社ですが、両国が敵対関係になると、アトランタの本社は
「敵兵に飲ませるわけにはいかない」と原液の第三帝国内への供給を中止。
この事態にドイツ法人のコカコーラ社はサッカリンを甘味料に使った果実ジュースを作り、
それが「ファンタ」になったということです。

coca-cola_nazi_germany_1938.jpg

「プロパガンダ媒体」では国民ラジオから始まりますが、驚いたのは「ダス・ライヒ」紙です。
Uボートが米国東海岸を荒らしまわった「パウケンシュラーク作戦」の紙面が載っていますが、
この記事を書いたのは、あの「Uボート」の著者、ロータル=ギュンター・ブーフハイム です。。

「音楽」ではアコーディオンやハーモニカ、「煙草」では当時の紙巻煙草にパイプとライター。
本当に日常使う品々が出てきますから、軍事に興味が無くても、
自分が普段使っている品々や商品が当時、ドイツで使われていたことを知ると
彼らを身近に感じることが出来るのではないでしょうか。

battle_kursk_German soldiers.jpg

これだけの写真の量ですが、とても読みやすかった理由として、
当該写真のキャプションが必ず同じページにあるということですね。
軍事関連の写真集では、左ページの写真のキャプションが右ページにあるなんてことは
あたりまえで、場合によってはめくった次のページとか、4ページ後に・・というのがザラですから
本書のような丁寧な編集はとても良いですね。そもそも当たり前とも言えますが・・。
また、ひとつひとつのキャプションも短いながらも
例えば、「双眼鏡は、将校・下士官の階級に関係なく、分隊長に割り当てられる」などと
勉強になるのも多くありました。

まぁ、ただ値段が高いですから、購入に悩んでいる方の参考になれば幸いです・・。



ドイツ戦闘機開発者の戦い -メッサーシュミットとハインケル、タンクの航跡- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

飯山 幸伸 著の「ドイツ戦闘機開発者の戦い」を読破しました。

著者は「英独航空戦」や「ソビエト航空戦」など興味深い本を書かれている専門家の方ですが、
ヴィトゲンシュタインは今回が初めてです。
2004年の発刊で444ページの本書をなぜ購入したのか・というと、
もう2年半ほど前なので、良く覚えていません・・。
おそらく兵器よりも人間に興味がある体質ですから、
タイトルに釣られて買ってしまったんでしょう。。

ドイツ戦闘機開発者の戦い.jpg

第1次大戦後に小さな製造工場を興したエルンスト・ハインケル。
水上機の開発では日本海軍の求めに応じて、来日し、HD25が14機製作されます。
やがてルフトハンザ航空向けの高速郵便旅客機となったHe-70の高性能ぶりが注目され、
注文依頼が拡大するものの、すでに注文主はルフトハンザではなく、
ナチス政権下の新生ドイツ空軍であり、社屋にもナチ党の党旗を掲揚するよう圧力をかけてきます。
しかしこれに恭順を示さなかったハインケルは嫌がらせを受け始めますが、
制式採用された複葉の戦闘機、He-51は1936年のスペイン内戦のコンドル軍団向けに
135機が派遣され、あの「ゲルニカ爆撃」でも活躍します。

He 51 of the Kondor Legion.jpg

また、爆撃機開発ではHe-70をベースとして、He-111が完成し、
スペインでも試験されて上々の結果を得ます。
そしてHe-51の後継主力戦闘機としての最有力候補に挙げられていたHe-112ですが、
メッサーシュミットのBf-109の前に敗北・・。
当然、採用されるもの・・と思っていたハインケルのプライドを大いに傷つけるのでした。

He112.jpg

初代空軍参謀総長ヴェーファーの主張する戦略爆撃思考に答えて開発した
四発爆撃機He-177グライフは、ヴェーファーの事故死と
技術局長ウーデットの異常なまでの急降下爆撃思考に翻弄され、開発が難航・・。
それを知ったヒトラーですら、さすがに激怒して四発爆撃機を急降下させるという
無理難題の要求を取り下げさせたということです。

He.177a-1 Greif.jpg

1939年に第2次大戦が勃発すると、ジェット・エンジン開発に力を入れるハインケル。
He-178、He-280と初のジェット機を作り上げますが、
ジェット機を信用しない空軍上層部に、ハインケル側も空軍のテストパイロットの搭乗を
拒否し続けるなどして、両者の関係は悪化・・。
これには空軍No.2の次官である、あのエアハルト・ミルヒの存在も大きいようで、本書でも
「意に沿わない会社の仕事を防げるためならば、国の滅亡も辞さず・・というところまで
その権勢欲はエスカレートしていた」
また、「先に作り上げた方が最良の航空機とは言えない」という理由からも、
このジェット機でもメッサーシュミットのMe-262にその座を奪われてしまいます。

Udet, Milch, Heinkel.jpg

さらに双発戦闘機開発ではあの「ル・グラン・デューク」の主役機、He-219ウーフーを製作。
夜戦エースのヴェルナー・シュトライプ少佐が実用試験型のウーフーで
ランカスター爆撃機5機を撃墜するも、またしてもミルヒの妨害・・、
アルミ資材の供給妨害を行って、生産機数の少なさから不採用。。
その悪代官ミルヒも味方を失って1944年に遂に失脚すると、軍需相シュペーアによって
軍用機生産は単発戦闘機とジェット、ロケット戦闘機に限定。
こうして、最後の最後になって「国民戦闘機」こと、単発ジェット戦闘機He-162が・・。

A line up of Heinkel He 162 A-2s at Leck May 1945.jpg

1923年に「メッサーシュミット航空機製造」を設立した"ヴィリー"・メッサーシュミット
モーター・グライダー中心の会社ですが、4年後にはバイエルン州政府が設立した
バイエルン航空機製造(BFW)に吸収合併されてしまいます。
そして設計部門はメッサーシュミットの技術陣が占める新会社の10人乗り旅客機M20が
相次いで墜落死亡事故を起こしてしまうと、その後の態度がルフトハンザの専務であった
後の悪代官ミルヒに、拭いようのない悪印象を与えてしまいます。

m20b.jpg

天才的な幕僚であるものの、敵視した相手を巧妙に失脚させる才能にも恵まれて、
権力をこよなく愛し、ゲーリング譲りの贅を尽くした日常を望んだというミルヒ。。
ある意味、本書の主役の一人です。

次期主力戦闘機の開発はハインケル、アラド、フォッケウルフ各社に要求されますが、
BFWの単発スポーツ機Bf-108タイフンを認めたウーデットの要請によって
ミルヒも渋々メッサーシュミットと開発計画を結びます。
そして誕生したのが名機Bf-109。続く双発のBf-110はバトル・オブ・ブリテンでは
苦労をしますが、それでも夜間戦闘機として活躍し続けます。

Messerschmitt Milch udet.jpg

その後も大型戦略輸送機Me-323ギガント、ロケット戦闘機Me-163コメートと続き、
ジェット戦闘機Me-262へと進みます。
爆撃機の失敗機の話も出てきますが、メッサーシュミットはミルヒとの確執があっても
ゲーリングには信用されていたために、採用され続けたように感じました。

Me163.jpg

バイエルン航空機製造(BFW)という名前で思い出しましたが、
発動機製造の会社が、あの「BMW」ですね。
本書ではエンジンについても詳しく書かれているため、ダイムラー・ベンツなども
頻繁に出てきます。

また、1938年にメッサーシュミットが独立会社となったことで、会社記号がそれまでの
バイエルン航空機製造(BFW)の「Bf」から「Me」に変更になったことも書かれていて
メッサーシュミットの戦闘機がBf-109だったり、Me-262だったりしていることも理解できます。
戦闘機に興味を持ち始めた頃は、コレが良くわからなかったんですよねぇ。
基本的にMe-109とするのは、まぁ、OKですが、Bf-262というのはNGです。。
ちなみに"-"ハイフンを付けるのかというと、正式にはブランクが正しいのかも知れません。

Bf109.jpg

メッサーシュミットがワイン商の息子だったというのは知りませんでした。
25年来のワイン呑みですので、ちょっと調べてみましたが、
現在では特に生産、販売をしているわけではないものの、
バイエルンのバンベルクでメッサーシュミット家がホテル経営をしているようです。
その名は「ロマンティック-ホテル ワインハウス メッサーシュミット」 。
死ぬまでにバイエルンに行けたら、泊まってみたいですね。。

Romantik-HotelWeinhausMesserschmitt.jpg

1930年、BFW社に移ってきたクルト・タンク技師。
彼は航空機設計だけではなく、テスト・パイロットとしての技量を高めることも希望しています。
1年後にはメッサーシュミットと袂を別ち、新興のフォッケウルフ社へ・・。
次期主力戦闘機開発要求に応えるため、Fw-159を開発しますが、
性能不足により、あえなく落選・・。
双発戦闘機でもFw-57やFw-187が不採用・・と苦難の時が続きます。

fw159.jpg

しかし1936年、ルフトハンザから依頼された四発長距離旅客機Fw-200コンドルがヒット。
世界各地でデモ・フライトを行い、ベルリン=ニューヨーク間を無着陸で翔破。
東京まで飛行すると、大日本航空から5機の注文が・・。
さらに日本海軍から長距離洋上偵察機転用が打診されると、
ドイツ空軍にとっても「眼から鱗」となり、その後はUボート好きにはお馴染みの展開に・・。

Fw 200 C Condor.jpg

単発戦闘機の制式機はBf-109ではあっても、制式機に致命的な欠陥が見つかった場合、
改善されるまで全機が使用不能という事態に陥りかねないというリスクを解消するため、
英空軍でもスピットファイアとハリケーンが用意されていたように
ドイツ空軍でもBf-109と併用できる単発戦闘機の開発が指示されます。

Josef Priller Kurt Tank JG 26.jpg

He-112の不採用に納得のいかないハインケルが、画期的なHe-100で勝負してきますが、
今度はクルト・タンク作、Fw-190の前に再び、敗北。。
Fw-190は、Bf-109にも決して劣ることのない名機として、配備されるのでした。
さらに新技術を加えた高性能戦闘機が要望されると、
高高度戦闘機として知られるTa-152が誕生します。この「Ta」は、会社記号から、
貢献度が評価されたタンクの個人名に変更されたという「説」が多いようですね。

fw190-flight.jpg

3人の生い立ちは、第1章で1898年生まれの"ヴィリー"・メッサーシュミットと
クルト・タンク、彼らより10歳年長のエルンスト・ハインケルが
如何にして飛行機に夢を持ち、グライダー設計や第1次大戦の複葉機開発に携わったかが
30ページほど簡単に書かれていますし、戦後についても各章で語られています。

しかし開発者3人の生涯を扱ったというほどでもなく、どちらかというと各機の開発過程がメインで
「開発者の戦い」というほど人物の苦悩などに焦点を当てているものではありませんでしたが、
なかなか読みやすく、専門的な部分も初心者向けに気が利いていて勉強になりました。
また、本書では競争相手として、ユンカースにドルニエといった老舗メーカーが度々登場してきます。
こうなってくると、短い章でも良いからゴータやヘンシェルも含めて書いて欲しかったですね。

個人的にはハインケルが最も開発者として戦っていたのが印象的でした。
彼の回想録「嵐の生涯―飛行機設計家ハインケル」が
フジ出版から松谷 健二氏訳で出ているので、手を出してみようと思っています。





ベルリン 地下都市の歴史 [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

D&I.アルノルト、F.ザルム共著の「ベルリン 地下都市の歴史」を読破しました。

去年の9月に発刊された本書は、当時偶然、本屋さんで積まれたものを見つけて
「なんだこりゃ?」と手に取って、パラパラ見てみると、カラー写真も豊富で
オドロオドロシイ雰囲気満載。。しかし、いかんせん3990円という値段が・・。
それ以来、気になっていたのもあって、ちょっと図書館で借りてみました。
ベルリンの地下といえば、ヒトラーの地下壕や、最終戦での舞台になったりと
いろいろありますから、現在の姿にも大変、興味があります。

ベルリン.jpg

そうは言っても、知識が全くないベルリンの地区名や、その地下の歴史・・。
本書は最初に「ベルリン地下世界入門」と題して、そのあたりを解説してくれます。
パリやモスクワのような都市は石灰砂岩層の上に築かれており、
地表で建設するための石をその層から切り出したことでできた空洞が地下墓所となって
都市の地下の歴史が始まったものの、ベルリンは地下水の水位が高いことが要因となって
その歴史が浅いということです。
このような話は、世界首都ゲルマニア建築の際に、地盤が弱くて、ヒトラーが求めたような
巨大な建築物を建てることが難しかった・・といったことを思い出しました。

本書は2ページに一枚の割合で、当時や現在の白黒写真や、19世紀の絵、
20世紀初頭の都市図や地下鉄路線図などが出てきます。
これらを眺めながら、その地下の歴史を学んでいくわけですが、
これがベルリンを地理的にわかっていないと、なかなか厳しいですね。

ベルリン2.jpg

例えば、「今日のベルリン地域でもっとも大規模な地下防衛施設は
シュパンダウ・ツィタデレ(城塞)にあり、これはハーフェル川の渡河地点を守るためなどに
16世紀に建築されたもので、シュパンダウ地区はベルリンとつながりがあったものの、
当時独立した都市だった」。
シュパンダウ・ツィタデレがあの、ナチス戦犯が拘留されたシュパンダウ刑務所あたり・・
というのは想像できますが、シュパンダウ・ツィタデレ(城塞)というは知りませんでしたし、
ハーフェル川もわかりません・・。

SpandauPrison.jpg

そんなこんなで読み進めると、地下の給水施設では、1914年に地下倉庫となった元の貯水場が
1933年には「突撃隊(SA)」が天然の強制収容所として濫用した・・などという話も・・。
また、かつてベルリンには何世紀にも渡り、名高い葡萄栽培地があったり(1740年の厳冬で壊滅)、
ビールの醸造も始まったことから、地下が活用されたという、酒飲みにも興味深い歴史も紹介。
さらに排水溝に地下道と、単に地下といっても、その必要性や活用方法はさまざまで、
本書では各々の歴史を解説しています。

ベルリンの散策路であり、閲兵式も行われるウンター・デン・リンデン通りに完成した
路面電車のリンデントンネルにまつわる話では、街路を横切りたいという鉄道会社の要請に
皇帝ヴィルヘルム2世が「下に通すのだ。上を通過させてはならぬ」と語った逸話があるそうです。

Keizer Wilhelm II paradeert met zijn zes zonen op Unter den Linden 1914.jpg

20世紀の初頭の地下鉄建設工事も第一次大戦や、その後の大恐慌もあって、計画変更や
工事の中断によって使用されなくなった駅や、出口のないトンネルとなってしまうことも・・。
それを引き継いだナチス政権も責任者の建設大臣シュペーアのもとで、
ゲルマニア計画と連携した遠大な目標が立てられますが、結局は再び始まった戦争の前には
「重要ではない」と中止の憂き目に・・。

Albert_Speer winter.jpg

この地下鉄部分は2ヶ月前に観たNHK「ブラタモリ」の地下鉄編で、
銀座線の幻の新橋駅や、一時だけ使用された秋葉原の駅などが詳しく紹介されて、
大喜びしたことを思い出しながら読んでいました。

そして「地下壕と爆弾」の章へ進むと、陸軍総司令部(OKH)の巨大な複合地下壕
マイバッハⅠおよびⅡ」がツォッセンに、空軍もポツダムに、
海軍もベルリン北方のロベタールに秘匿名「サンゴ」を設置します。
市民に対しても地下壕が作られ、「出口なきトンネル」も改装されて
アレキサンダー広場の地下には1万人が退避可能となります。
しかし、物資不足はシュペーアの地下壕計画を再三、行き詰らせ、
建築コストの安い地上防空室に比重が移って行きます。
このあたりの経緯は「ドイツを焼いた戦略爆撃」にも書かれていましたね。

alexanderplatz_bunker.jpg

興味深かったのは1943年に多発した、地下の「爆弾テロ」事件です。
フリードリヒ通り駅、ツォー駅などでも爆弾が炸裂し、数十名の死者を出し、
後に下手人はワルシャワの地下組織「OSA-KOSA」のメンバーによるものだと
判明したそうで、こんな話は初めて知りましたが、これは当局が
市民の士気が下がることを恐れ、ゲシュタポによって怪我人は守秘義務を課されて
厳格な報道管制が敷かれた・・ということです。

Berlin,_gesprengter_S-Bahn-Tunnel.jpg

ベルリン爆撃が激しくなると軍需工場は最優先で地下壕が割り当てられています。
ミュラー通りの地下では、ヘンシェル社が急降下爆撃機の胴体を組み立て、
オリンピア・シュタディオンの観客席の地下構造や、マラソントンネルも活用。
テンペルホーフ空港にはフォッケ・ウルフ社が入居して、FW-190の最終組み立てを行って、
完成した戦闘機は、そのまま滑走路へ・・。

Flughafen Tempelhof, Bau der Ju87 Stuka & FW190.jpg

ベルリン防衛司令官ヘルムート・ライマンや総統官邸の防衛を任されたモーンケSS少将も登場し、
ソ連軍とのベルリン最終戦でアンハルター駅の地下防空壕が前線となった様子なども
数ページに渡って書かれています。

そして総統地下壕・・。その建設の様子から1949年に始まった総統官邸の廃墟の撤去、
地下壕も埋め立てられ、付近一帯は緑地となりますが、ベルリンの壁が出来ると1967年に
東ドイツ保安当局がティーアガルテン公園の地下にトンネルが発見されたのを受けて
東西をつなぐ連絡路があるとの噂から、大々的な発掘調査を実施して
1973年、総統地下壕が再発見されます。

Goebbels' room in the Fuehrer's bunker.jpg

この総統地下壕よりも「運転手地下壕」と呼ばれるものが興味深かったですね。
「アドルフ・ヒトラーの装甲師団の車両を防護するためのもの」だそうですが、
これは「ライプシュタンダルテ」のことなんでしょうかね?
この地下壕は1990年に1945年当時のままの状態で偶然発見されたそうで
SSが書いたと思われる「壁絵」も完全な形で見つかっています。
見たことのある絵ですが、そんないわくつきだったんですねぇ。
「壁絵」なんてなると、もう2000年も前の遺跡発見のような感じですが、
本書ではちゃんとカラー写真で紹介してくれています。裏表紙もソレでした。

ベルリン3.jpg

戦後は瓦礫の山となったベルリンと高射砲塔についての章です。
特に高射砲塔は以前から詳しく知りたいと思っていましたので、勉強になりました。
空襲で焼け出された人々の避難場所となっていた高射砲塔は
連合軍から出された命令によって除去されることに・・。
完全に爆破するか、外壁を15%除去し、非武装化するかの2案のうち
ベルリンは前者が選択されます。

Berlin,_Flakturm_am_Zoo.jpg

ティーアガルテンの有名なツォー高射砲塔のほか、
フリードリヒスハイン、フンボルトハインの高射砲塔の運命も詳しく書かれています。
1946年にフリードリヒスハインがソ連軍によって爆破され、真っ二つになると、
ツォーの高射砲塔はその頑強さに歯が立たず、英軍は失敗・・。
1948年になってやっと「巨象」は崩れ落ちます。
フランス軍が受け持ったフンボルトハインの高射砲塔も厄介極まりないもので、
何度も試みたものの、北側だけは崩れなかったそうです。

Berlin__gesprengter_Bunker_im_Friedrichshain.jpg

最後の章では、現在でもまだまだ埋まったままの不発弾処理の問題、
映画「ヒトラー 最期の12日間」の撮影現場の写真、
社団「ベルリン地下世界」が1997年に発足し、「ベルリン地下世界博物館」を運営するなど、
より広く一般の人々の身近なものになるように活動していることなどが紹介されます。

正直な感想を書くと、やっぱりベルリンという都市にある程度精通していないと、
本書の面白さは理解できないと思いました。
シリーズで「パリ」と「ニューヨーク」も出ていますが、
ヴィトゲンシュタインが地元「東京」の地下に面白さを感じるように
「あそこの地下にはこんなのがあるんだ」という身近にある新たな発見が
本書を楽しめるかどうかだと思います。
それでもカラーも含めて写真が多いのは良かったですし、地下だけではないベルリンの歴史も
知ることが出来ましたし、個人的には高射砲塔が出てきたのが予想外で楽しめました。

ちょうど年末にも「ドイツ高射砲塔―連合軍を迎え撃つドイツ最大の軍事建造物」
という文庫本が出ましたので、購入準備中です・・。





ドイツ参謀本部 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

バリー・リーチ著の「ドイツ参謀本部」を読破しました。

なぜか今まで購入するのを忘れていた、かなり有名な一冊ですが、
原著は1973年、最初の翻訳版は1979年というやや古いもので、
今回、2001年の新装版を選んでみました。
著者のリーチは12年間英陸軍砲兵隊に勤務した後、
旧ドイツ陸軍の研究を行ったという方です。
過去に紹介したゲルリッツの「ドイツ参謀本部興亡史」が大作だったことに比べ、
本書は261ページとボリュームが少ないのが、ちょっと心配なんですね。

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1935年、ヴェルサイユ条約によって閉鎖されていた「陸軍大学校」再開式典のために
ベルリンに集まった将軍たち・・。
髑髏軽騎兵連隊の礼装姿の老マッケンゼン元帥を筆頭に、モノクルをはめたフォン・ゼークト
廃止された参謀本部の伝統と機能を維持し続けてきた彼の周りを固めるのは
佐官から出世した国防相ブロムベルク、陸軍総司令官フリッチュ、さらにベック、ルントシュテット、
ヴィッツレーベンといった現役の軍指導者たちです。

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そして100年以上の歴史を誇る参謀本部の歴史を簡単に振り返りながら、
防衛なきところに国家の存在はありえないとしたクラウゼヴィッツが
「陸軍の生存の方が国家の生存よりも優先する」と信じたという話を紹介し、
この哲学が20世紀においても参謀将校団の哲学の基礎になっていた・・としています。

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ゼークトの10万人軍隊では高い比率で保持された参謀と、その教育課程が語られます。
教官を務めたのはリストクルーゲ、マンシュタイン、パウルス、モーデル、ハルダー、
さらにグデーリアン、ヨードル、ラインハルトと、後の上級大将か元帥という錚々たるメンバーですね。

そして作戦課の一員であったマンシュタイン少佐によるドイツ軍の拡充計画の話では
編成課の計画を拒否し、上級司令部を恐れるような男ではなかったというマンシュタインの態度が
「同僚や上官にとっては許しがたいほど傲岸であった」とヴェストファール将軍が語ります。
ちなみに、そのマンシュタインに拒否られた、想像力が貧弱な編成課の課長の名は、
ヴィルヘルム・カイテルです。。

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1933年にヒトラーが政権を握ると、「がんこなハマーシュタイン」でも書かれていた
軍管区司令官たちとの会食の様子が・・。
参謀総長アダムは10月には、より慎重なルートヴィヒ・ベックに交代。
翌年には計画通り、陸軍3倍化計画を開始しますが、空軍の新設のために
陸軍は将校200名を含む適任者を出さねばならなくなり、混乱に陥ります。
こうして空軍に転出したのはシュペルレシュトゥーデントリヒトホーフェンらであり、
最初の空軍参謀総長のヴェーファーを含め、彼の後任ケッセルリンクや、
シュトゥンプイェショネクは陸軍参謀本部の出身なのでした。

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ブロムベルクが1927年には参謀総長、1930年には陸軍総司令官と昇進することで、
ゼークト失脚後の権力を獲得することを恐れた国防相シュライヒャーとの争いも出てきます。
国境の安全措置の手落ちの責任を負わされて、東プロイセンに左遷させられますが、
首相となったシュライヒャーに対してヒンデンブルク大統領にヒトラーを推薦し、
復讐は成功・・。ヒトラー政権下で国防相の地位に就くのでした。
いや~、本書は対人関係が細かくてドキドキしますねぇ。

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このヒトラー派のブロムベルクの右腕が、彼をヒトラーに紹介したライヒェナウですが、
辞職したハマーシュタインの陸軍総司令官の後釜を狙うものの、
ヒンデンブルク大統領に政治的過ぎることを理由に拒否され、フリッチュが選ばれることに・・。
そのライヒェナウの要請によって国防軍最高司令部(OKW)が創設されると、
ベック参謀総長は、能力があり、野心的なヨードル大佐を送り込みますが、
あまりにも利己的で上司たちから嫌われていたための厄介払いでもあったようです。

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結局、野心剥き出しのライヒェナウは新任の総司令官ブラウヒッチュに敬遠されて
軍管区司令官に転出されてしまいますが、その彼の後任に選ばれたのはカイテルです。
ヒトラーがブロムベルクとの対話からカイテルを選んだ話も出てきますが、
本書では「参謀本部の団結にとって、ずっと危険な人物であった・・」。

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また、フリッチュのスキャンダルに伴う、総司令部の大人事異動で作戦部長マンシュタインが
歩兵師団長へ転出された件については、ベック参謀総長と、彼が後継者と目していた
マンシュタインのコンビがブラウヒッチュ総司令官にとって、決して魅力のあるものではなく、
この強力にして自信に満ちたプロイセン人を追い出すのに反対する理由はなかった・・
としています。
その理由も具体的で、軍管区司令官当時のブラウヒッチュが
参謀本部から派遣されたマンシュタインの高飛車な態度に腹を立て、
その恨みが尾を引いていた・・ということです。
いやはやマンシュタインは敵づくりの天才のような気もしますが、
平時にあえて強敵を作って、戦術の勉強でもしてたんでしょうか・・?

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オーストリア併合では、武力による軍事行動計画の動員命令を急いで作成するため、
一介の歩兵師団長であるマンシュタインが首相官邸に呼び出され、チェコ危機では
遂にベックが辞任し、マンシュタインの後任の作戦部長だったハルダーが参謀総長に・・。
こうしてポーランド作戦、西方作戦と進んでいきますが、
彼はもはや、軍を代表して国家元首に軍事の助言をする責任者ではなく、陸軍総司令官さえ、
影響力を失い、ヒトラーはゲーリングやカイテル、ヨードルの主張に耳を傾けているのでした。

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そしてブラウヒッチュとハルダーが「中途半端な利口者」と見る、重鎮ルントシュテット・・。
その軍集団参謀長となっていたマンシュタインによる西方作戦計画・・、
いわゆるマンシュタイン・プランがハルダーの頭を悩ませます。
今度も「しつこい邪魔者」を歩兵軍団長へ昇進させて、始末した陸軍総司令部・・。

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さらにもう一つの重要な軍集団司令官を務める、「気まぐれなプリ・マドンナのような性格」の
フォン・ボックには、堅実さと忠誠心を持った参謀長を付ける必要がありますが、
ボックの参謀長、ザルムート将軍はマンシュタイン同様、扱いにくい人物で、協調性がなく短気・・。
しかし、軍隊が大幅に拡大し、陸軍大学校もすでに閉鎖した現状では参謀将校は不足しています。

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「電撃戦」で制した西方戦役に続き、東部での「バルバロッサ作戦」に向けて、
ハルダーは自ら手を出さず、多くの部下に作戦計画を委任します。
より近代的な参謀本部という印象をヒトラーに与えるため、保守的なシュテルプナーゲルに代えて、
新たに登用した作戦部長は、グデーリアンの参謀長も務めたことのある
ヒトラーの熱心な支持者、パウルスです。

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その「バルバロッサ作戦」直前にまたしてもハルダーの頭を悩ます事態が発生。
北アフリカで「あらゆるところに威力偵察を行い、兵力を分散させていた」ロンメルです。
自ら赴くことを思いとどまり、友人のパウルスをこの
「戦闘指揮についての責任を取ろうとしない、狂った軍人」のもとに送ります。
ロンメルのリスクを顧みない「即戦即応方式」に驚いたパウルスは、
補給を充分にして海岸を防備するよう勧告しますが、著者は
英国にとって「不幸」だったのは、この勧告をロンメルが無視したことである・・。

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ポーランドでのSS部隊による残忍な行為を知っていた軍の指導者たち。
対ソ戦においては、有名なパルチザンと政治将校の射殺命令がヒトラーから伝えられますが、
ボックだけは自分の軍集団に適用されることを拒否します。
しかし彼の作戦参謀であるトレスコウらは、ヒムラーの行動隊が進撃する軍隊についてまわり
数万人を逮捕しては虐殺するのを恐怖を持って見つめるのでした・・。

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そしてモスクワ前面で攻勢が頓挫すると、いまやハルダーが「あの藁人形」と呼び、
ヒトラーの恫喝の前に硬直を繰り返していた総司令官ブラウヒッチュが辞任。
陸軍参謀本部とOKWの上級メンバーが毎日、会議で顔を合わせ、2つの派閥の分裂は
広がらなくなったものの、本来なら、軍団参謀長の地位もどうか・・と思われる人物であり、
1938年にハルダーが参謀総長に就任したころには、参謀本部の忠実な一員として、
最高司令部に対する批判に上機嫌で同調していたOKW総監たるカイテルと、
それよりも大人物で軍事的才能もありはしますが、自己過信が強すぎるヨードルに対して
侮辱の念を抱くハルダー。。。

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最後までブラウヒッチュの後任の総司令官になると恐れられていた第6軍司令官、
ヒトラー派のライヒェナウが急死すると、その後任にヒトラーはパウルスを指名します。
しかし軍集団司令官のボックはハルダーに苦情を・・。
「パウルスはその任に耐えず、物事の暗い面だけを見、自軍将兵の力を過小評価し、
端的に言って気迫にも欠ける」
さらに「融通の利かない人物」として、どうしてもと言うなら新しい参謀長を付けるべきということで、
アルトゥール・シュミット将軍が第6軍参謀長に任命されたそうですが、
スターリングラード包囲の最後では、彼が実質的な司令官になったという話も良くありますね。

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ソ連の国力を過小評価してきたことを反省し、有能な参謀部員であったラインハルト・ゲーレン
東方外国軍課の長に据えますが、時すでに遅く、疲れ切ったハルダーはヒトラーにより解任。。
この彼が辞任をせず、解任されるまで粘ったのは、カイテルやヨードルら、
OKWの参謀連中に対する意地だったようにも感じました。

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後任は西方軍総司令部の参謀長として、英加軍による「ディエップ奇襲」を撃退したツァイツラー
作戦部長のブルーメントリットがその穴を埋めることになります。
1943年にはクルスク戦が失敗に終わり、翌年にはシュタウフェンベルクの爆弾が炸裂して
関与はしていなかったものの、ヒトラーは彼を罷免。
後任は装甲兵総監のグデーリアンですが、ベルリンへと迫るソ連軍の前に彼も罷免され、
最後の参謀総長クレープスも自ら命を絶つのでした・・。

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いや~、かなりの本のネタ本と思われますが、面白かったですねぇ。
261ページというページ数で、1ページ14行と、文字数は少ないですが、
まるで大奥のようなドロドロ感満載で、あの人とこの人はそうだったのね・・
という発見が本書の読みどころでした。
あくまで参謀本部が主役ですから、度々出てきたマンシュタインも野戦司令官になれば
お役御免ですし、ココに挙げなかった参謀将校も沢山登場してきて勉強になりました。
ゲーレンとウラソフ将軍の話では、シュトリク・シュトリクフェルト大尉が出てきてビックリ。。
幻影」以外でシュトリク・シュトリクフェルトが出てくる本があるとは思いませんでした。

所々でOKHやOKWの機構図や、戦況図に写真も掲載されています。
しかし事実上、戦記部分は無いと言ってよく、1939年~1945年の戦局の推移や
今回挙げた軍人くらいはある程度知っている方でないと、ちょっと難しいかも知れませんが、
古書価格も安いですから、ドイツ陸軍に興味のある方は是非ど~ぞ。
著者の「独軍ソ連侵攻」も無性に読みたくなりましたが、ドコ探しても売ってません・・。
以前はあったのになぁ・・。



将軍たちの夜 [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・ヘルムート・キルスト著の「将軍たちの夜」を読破しました。

今回は2年以上前に紹介した「戦争映画名作選 -第2次大戦映画ガイド-」の表紙の主役、
ピーター・オトゥール演じるサイコなタンツ中将で有名な映画の原作小説です。
この映画は10数年前にTVで一度観たっきりなので、ドイツ軍に関係する細かいところは
ほとんど覚えていませんが、猟奇殺人スリラーとして、非常に印象に残っています。
著者キルストの小説も、手に入る文庫は結構前に読んでいて、
それは「長いナイフの夜」と「軍の反乱」の2冊です。
前者はSA粛清事件モノ、後者はヒトラー暗殺未遂事件モノの小説ですが、どちらも面白かったので、
489ページ の本書が1年半前に再刊されてから読むのを楽しみにしていました。

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著者のキルストをまず紹介しますが、1914年、東プロイセン生まれ。
1935年に復活したドイツ国防軍に志願し、ポーランド戦から対ソ戦まで従軍、
最終階級は中尉という経歴の持ち主です。
戦後は作家として活動し、1954年に第2次大戦時のドイツ軍の実相を描いたという
「零八/一五」を発表。
これは三部作で翻訳もされていますが、絶版かつ、プレミア価格なので残念ながら未読です。
また、彼のこの出世作は映画にもなっているようです。

というわけで1962年に発表された「将軍たちの夜」ですが、1966年に映画化され、
最初の翻訳版もハヤカワ・ノヴェルズから発刊されています。
映画の俳優陣もピーター・オトゥールしか覚えていませんでしたが、
鷲は舞いおりた」でヒムラーを演じたドナルド・プレザンスや、
「アラビアのロレンス」のコンビ、オマー・シャリフも出ていました。

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1942年のワルシャワ。真夜中の殺人事件現場に呼び出されたのは
この地区の防諜活動責任者、グラウ少佐です。
メッタ刺しにされて殺されていたポーランド女性はドイツ防諜部のために働いていたこともあり、
呼び出された彼ですが、偶然トイレの隙間から容疑者を見かけた人物は
犯人は「ズボンに沿った赤い線」と「首のところに金色のもの」とその特徴を証言します。
このふたつの特徴が示すモノ・・、それはドイツ陸軍の将軍です。

当時4000人も存在していたというドイツ国防軍の将軍。
ワルシャワ市内には7人が、その内の4人にはアリバイがあり、
残る3人は、軍団長フォン・ザイトリッツ・ガープラー大将と
軍団司令部主任(参謀長)カーレンベルゲ少将、そして、
精鋭を集めた特別師団「ニーベルンゲン」師団長タンツ中将です。

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ローマ時代の剣闘士のように鍛え上げられた筋肉質の身体で
英雄的な要素を余すところなく詰め込んだ絵のような男、タンツ中将は、
大の潔癖症で独身、戦争のために一日たりとも休暇を取らず、
総統のために闘い続ける戦闘マシンのような人物です。
ワルシャワ市内での暴動を危惧し、ブロックごとに火炎放射器も使用して遠慮なく
住民を制圧していきますが、この辺りはなんとなく、シュトロープSS少将をイメージさせますね。

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そして3人の将軍に付きまとい、殺人事件について聞き出そうとするグラウ少佐は
軍団長ガープラー大将の意向によって、中佐に昇進し、
厄介払いとしてパリ勤務が命ぜられるのでした。

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第2部は1944年のパリが舞台です。
ガープラー大将とカーレンベルゲ少将の軍団はパリで勤務中・・。
そこに東部戦線で消耗し尽くしたタンツ中将の「ニーベルンゲン」が補充を求めてやってきます。
嫌がるタンツに数日間の休暇を命令し、芸術に造詣の深いハルトマン上等兵を
運転手として与える軍団長。
その理由は3日後の7月20日に、ある事件が起こることを掴んでいるからなのでした。
本書でもこの反乱グループについて、西方軍司令官フォン・クルーゲはハッキリと共感を示し、
フランス方面軍司令官フォン・シュテルプナーゲルの参加も確実、
国内予備軍司令官フロムも行動を起こす準備が出来ていると紹介されます。

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一方、この機会に徹底的に休暇を過ごすことを決めたタンツはハルトマンの案内で
ルーヴル美術館巡りなどを楽しみますが、
気難しいことで有名なシェルナー将軍に7日間従えたことに誇りを持つハルトマンも
タンツの潔癖ぶりには辟易・・。実は映画ではこのシーンを一番良く覚えています。。
こうして7月19日の夜、タンツの選んだ売春婦とともに彼女のアパートへと送り届けますが、
タンツに呼ばれて部屋に入ると、そこにはメッタ刺しにされた女性の死体が・・。
ハルトマンに犯人の汚名を着せ、逃亡するようしたたかに語るタンツ・・。

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師団長であるにも関わらず、最前線で武器を取って戦うタンツは
レニングラード戦線でソ連軍に包囲され、全滅の危機を迎えたものの、何とか生き延び、
ワルシャワ蜂起では彼の乗る自動車が地雷に触れ、何日間も意識を失い、
ドン河橋頭堡で川に流されながらも、瀕死の状態で助かった男・・。
冷静で厳格さを貫き通すこの男の張りつめた精神には、
このような猟奇殺人が必要であり、それがひと時、彼を解放するのでした。。

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当然、この事件に興味を示すのは、このパリの地へ飛ばされていたグラウ中佐です。
信頼するフランス人警官プレヴェールとともにハルトマンを発見するものの、
ワルシャワの事件を知る彼は真犯人は別人だと確信しています。
そのころ、シュテルプナーゲル将軍は「ベルリンでゲシュタポが反乱を起こし、
総統が暗殺された」と告げ、パリにいるゲシュタポ、SD、SSのトップまで、
直ちに逮捕することを命令。。

ワルキューレ」の合言葉が届いても、行動することに逡巡する軍団長ガープラー。
SSの反乱に疑問を持つタンツはゲッベルスから
「破廉恥な反動将校によるもので総統は死んではいない」と電話で聞かされます。
毅然として、軍団長の机に陣取り、鎮圧指示を出すタンツのもとを訪れ、
前夜の殺人事件に関する質問をするグラウ中佐ですが、
総統の意志を代行していることを理由に、逆に逮捕、そして射殺・・。

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第3部は1956年のベルリン。
終戦時、ソ連側に捕らわれていたタンツは東ドイツで軍人として活躍中。
西ドイツで退役軍人として名声を挙げつつあるガープラー大将の招きで西側へ向かいます。
しかしこれはパリ警視庁に戻っていたプレヴェールの「罠」なのでした。

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ストーリーを知らない方でも、タンツが犯人なのは途中でわかりますので、
謎解きのような小説ではありませんが、いくらか映画を覚えているヴィトゲンシュタインでも
時間の許す限り、没頭してしまいました。
基本的には実際に起こった出来事に架空のタンツらが絡む展開で、
ハルトマン上等兵のロマンスなどもあって、楽しい小説でした。
しかし本書の表紙でも、映画でも途中からタンツ中将はSSの制服に変身していますが、
この経緯は良くわかりません。

特別師団「ニーベルンゲン」は国防軍の架空の師団ですが、国防軍のエリート師団、
グロースドイッチュランド」をイメージしているように思いました。
「ワルキューレ」の真相をゲッベルスから聞くところも、そんな感じですし・・。
ひょっとしたら武装SSの終戦直前に編成された「SS第38擲弾兵師団 ニーベルンゲン」が
本書の師団名に使われているのかも知れません。

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ただヒトラー派の悪役師団長なので、映画では武装SSに転属したようにも思いますし、
また、映画のラストではこの師団の戦後の集まりにタンツ師団長が招待されて・・
という展開だったように思いますが、この原作では違いますね。
映画はうろ覚えの部分が多すぎて、DVDを買って見直そうと思っています。