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完全分析 独ソ戦史 -死闘1416日の全貌- [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山崎 雅弘 著の「完全分析 独ソ戦史」を読破しました。

10月に独破した「詳解 西部戦線全史」の前に発売されたものですが、
最新の600ページを超える大作、「宿命の「バルバロッサ作戦」」がちょっと気になっているので、
それを読む前に、未読だった同じ独ソ戦の本書を選んでみました。
文庫で382ページですが、「詳解 西部戦線・・」が644ページでもダイジェスト的な
印象だったことを考えると、今回のは「完全分析」とか、「全貌」となっていても、
もっと概要程度になっているような気がしますが、果たして・・。

完全分析 独ソ戦史.jpg

まずは、ヒトラーによる対ソ戦構想と、陸軍参謀本部による作戦構想を解説します。
スウェーデンやフィンランドの鉄やニッケルなどに依存するドイツ軍需産業のためにも
北方のバルト海とレニングラードの占領は優先目標であり、
南部のウクライナも豊富な農作物がとても重要です。
これにより、中央のモスクワ占領の位置づけは「曖昧」にされたまま・・・。

ここでは1941年3月、中央軍集団司令官フォン・ボック元帥
「命令文によれば、~となっておりますが?」と参謀総長ハルダー上級大将に質問し、
それに対して「それは、~と言っているのだよ」と答えるという展開ですが、
いくら参謀総長相手とはいえ、4歳年上の元帥が、上級大将に敬語を使い、
上級大将が元帥に上から目線でそんな言い方して良いんでしょうか?
西方戦役の前には同じ状況で、ボックはハルダーを「きみ」呼ばわりしていた本がありましたが、
実際のところはどうなんでしょう・・?

Time_1941_12_08_Fedor_von_Bock.jpeg

一方のソ連側については≪スターリンは「愚か者だったか≫として、
ドイツの攻撃情報が山ほど入っていたにもかかわらず、それに目をつぶった「真の動機」を
明確にしようとしていますが、結局はよくわからず・・。

Stalin_Voroshilov.jpg

80ページから、いよいよ対ソ戦の幕が上がります。
水路と城壁に囲まれた「ブレスト要塞」の攻防は本書では1ページほどですが、
これには大変興味があるんですね。
この戦いだけで1冊書かれた本が読みたいくらいですが、詳しく書かれたものさえ
ほとんど読んだことがありません。

Brest Fortress.jpg

ただ、いま調べたら、まさにこの戦いの映画が製作されていたのを発見しました。
2010年のベラルーシ/ロシア合作のようですが、コレは面白そうですね。
どこかのメーカーさんがDVD出してくれるのを期待しています。

The Brest Fortress (2010).jpg

やがて中央軍集団がモスクワ攻略を目指す「タイフーン作戦」が発動されますが、
訪れた冬将軍の前に敗北を喫するドイツ軍。
ヒトラーの有名な死守命令を「あの状況下では間違いなく正しい判断だった」と語る
第4軍参謀長ブルーメントリットの言葉を紹介しつつ、
防寒着類の不足によって凍傷となったドイツ兵が22万人に達したとしています。

TankFlag.jpg

翌1942年5月の「第2次ハリコフ戦」では26万人の将兵を失ったソ連軍。
この時期は作戦的に何をやってもドイツ軍の方が一枚も二枚も上手です。。
クリミア半島では第11軍司令官となったマンシュタインによる「セヴァストポリ要塞戦」が・・。
ネーベルヴェルファーやカール自走臼砲列車砲ドーラ
ありとあらゆる火砲を集めた、一大見本市会場と化したこの有名な戦いも大好きですねぇ。
本書では一次も含めて8ページほどの解説ですが、
やっぱりこの戦いだけで1冊書かれた本が読みたいくらいです。

Vzorvannaya tower number 35 coastal batteries of Sevastopol.jpg

1943年、スターリングラードのドイツ第6軍が包囲壊滅し、
ハリコフ防衛を任されたランツ軍支隊に所属するSS装甲軍団司令官ハウサー
ランツ中将に撤退を求めるも、彼は総統命令を優先し、拒絶・・。
しかしSS軍団に属するグロースドイッチュランド師団の指揮権を持つ、ラウス軍団司令官
ラウス中将と協議の末、SS師団ダス・ライヒと共に脱出させることを決定します。
これが「SSの総統命令違反」として知られる件のいきさつのようです。

Raus_Lanz.JPG

クルスクにおける「ツィタデレ作戦」の発動をヒトラーが悩みに悩んだ末、
「政治的理由から必要」と判断した件について本書では「トルコに対するもの」と
力強く解釈していました。
そして満を持して投入されたティーガーなどの重戦車に対して、
「ソ連軍の猛獣ハンター」として紹介されるのは、KV重戦車の車体に
152㎜野砲を搭載した自走砲「SU-152」です。

SU-152.jpg

ドニエプル川を越えて撤退するドイツ軍に追い打ちをかけるべく実施された
ソ連軍1万人の空挺降下作戦。
しかし半数程度しか目標地点に降下させることができず、
ネーリングの第24装甲軍団の真上に降下して、着地する前に機銃掃射により
絶命する者も多数出る始末・・。
それでもキエフが遂に陥落すると、第4装甲軍司令官のホトがこの責任を取らされることになり、
ヒトラーによって罷免されてしまいます。。。

Hermann Hoth.jpg

チェルカッシィの包囲戦、逆に900日間包囲されていたレニングラードの解放
ソ連軍の大攻勢「バグラチオン作戦」の発動・・とオーデル川まで押し戻されたドイツ軍。
1945年2月にはジューコフの第1白ロシア方面軍に対する反抗「冬至(ゾンネンベンデ)作戦」で
起死回生を図りますが、燃料弾薬は3日分、わずか5㌔前進ただけ・・。
ある指揮官は「敵は我々が反撃したことに気づいてくれただろうか」

Manstein_greeting_soldiers_from_72_Inf_Div_who_had_escaped_from_the_Cherkassy_pocket.jpg

ベルリンの最終戦ではヴァイクセル軍集団司令官のハインリーチと第9軍のブッセ
第3装甲軍のマントイフェルといったお馴染みの面々が登場してくると、
それまでスターリンとジューコフ、ヒトラーとマンシュタインの有名な会話以外、
ほとんど言葉のやり取りがなかった本書も、他の最終戦モノの同様に
上記の3人が頻繁に喋り出します。。

manteuffel_color1.jpg

また、ワルター・ウェンクなどと出てくると、さすがに違和感を感じました。
本書では読みやすさを優先して、「W」を「ワ」読みで統一しているわけですが、
普通にヴァルター・ヴェンク(Walther Wenck)と一般的な読み方で
どんな不都合があるのか・・?

berlin 1945.jpg

「あとがき」をちゃんと最後に読みました。
それによると本書は主に、この筋の初心者を対象にしたものだそうです。
そういう意味では全体的によろしいんじゃないでしょうか?
個人的には今回紹介した部分以外に、特に目新しいものはありませんでしたが、
以前に紹介した、同じ「学研M文庫」から出ているソ連軍目線の「詳解 独ソ戦全史」よりも
独ソの双方をバランスよく、その独裁者同士の戦略や、軍集団、軍レベルでの戦術の解説も
必要なものは記載されていました。
「詳解 西部戦線全史」と同様な戦況図も所々に出てきましたが、
欲を言えば、独ソ将軍連の顔写真か、せめて似顔絵なんかがあると、
初心者にはもっとイメージしやすいんじゃないかと思います。

erich_von_manstein_caricature_cartoon_painting_drawing_art_krim_shield.jpg

また参考文献では、冷戦後に発表された資料を活用していると書かれていましたが、
主に「独ソ戦車戦シリーズ」のことを指しているようです。
これは「独破戦線」でも何冊か紹介しているものですが、まだ本棚に「カフカスの防衛」がありました。
他にも「死闘ケーニヒスベルク」や、「東部戦線のティーガー」、「ベルリン大攻防戦」なんかは
読んでみたいですね。
翻訳されていない文献では、やっぱり「ハルダーの日記」は気になります。
「フォン・ボックの日記」というのもあって、こういうのこそ、どこか翻訳してくれないですかねぇ!







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世界の戦車 1915~1945 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

P.チェンバレン/C.エリス共著の「世界の戦車 1915~1945 」を読破しました。

1996年発刊で375ページ、定価3990の本書を古書で1600円で購入したのがちょうど4年前・・。
買ってはみたものの、これは敷居が高そうだな・・と、そのまま本棚に眠り続けていましたが、
ここまでヴィトゲンシュタインの培ってきた戦車に対する知識を確認する意味でも
今回、挑戦してみました。著者は「ジャーマンタンクス」と同じ方ですね。
アレはなかなか勉強になりました。

世界の戦車.jpg

まず、最初の20ページほどは「小林源文イラストエッセイ」と題して、
第一次大戦における戦車の登場から、フラーやグデーリアン
ドイツが農業用トラクターの名目で開発した戦車の操縦訓練に対戦車障害物、
戦車の装甲などが解説されます。これはなかなかタメになりますねぇ。
小林源文氏のまんが、ちょっと物色中です・・。
本文の紹介順はアルファベットの生産国順で、最初はオーストラリア、カナダと続き、
かつ試作戦車を含む、開発の古い順です。
この順番は系統だてて理解ができるので良いですね。

NSKK.jpg

「チェコスロヴァキア」では、ドイツ軍が大いに使用した35(t)戦車と38(t)戦車
登場してきましたが、38(t)戦車ってシュコダ(スコダ)社製じゃないんですね・・。
てっきり、35(t)戦車の直系の後継車だと思っていました。

PzKpfw 35(t) of the 6th Panzer Division in France-1940.jpg

各国の戦車の紹介の前には、その国での開発の歴史が数ページ書かれていますが、
「フランス」くらいになると、それは6ページにもなってきます。
第一次大戦中に実戦に投入されたシュナイダー突撃戦車とサン・シャモン突撃戦車。
そしてこのような大型の突撃戦車とは別の2人乗り歩兵支援用戦車、ルノーFT17軽戦車
これが世界初の360度旋回式砲塔を搭載した戦車だったんですね。。
う~ん。自分の知識の無さに驚きつつ、勉強になりました。

French FT-17.jpg

「ドイツ」では、第一次大戦末期に開発された18人乗りの「A7V」から始まり、
Ⅰ号戦車からⅣ号戦車まで、それぞれF型やらナニ型まで、写真つきで細かく紹介。
Ⅴ号パンターⅥ号ティーガーマウスまで続きますが、
本書は「世界の戦車」というように、突撃砲や駆逐戦車は対象外となっています。

A7V_1918.jpg

最後にはドイツ軍戦車として活躍した、各国の鹵獲戦車が写真で登場。
オチキスやアフリカ戦線と思しきマチルダ、雪をかぶったM4戦車も珍しい・・。

Hotchkiss, Fra_Bel 1944.jpg

面白いのは、「監修者注」というのが結構多く、場合によっては
著者による本文が4行なのに対して、それを否定しながら10行くらいガッチリ書いてたり、
本文の記述を「意味不明」と片付けていたり・・。
最初は「訳者注」かと思ってましたが、どうも原著における「監修者注」のようで、
原著の内容そのまんまで、翻訳をしているんでしょうか?
これはちょっと読みにくいというか、いったん読んだことをすぐ否定されたりすると
理解するのもシンドイですし、著者と監修者は仲悪いのか・・?
などと余計なことまで考えてしまいました。

Pz38t, Fra 1940.jpg

「イギリス」は戦車の種類が多いんですね。
第一次大戦の有名な菱形戦車に始まり、英国初の全周旋回可能な砲塔を持ったビッカース
クルセイダーにクロムウェル、ヴァレンタインチャーチルと、その地雷処理車も出てきます。
ページ数もブッチギリの第1位。
ちなみにドイツの40ページに対して、74ページとなっています。
そのくせアフリカ軍団を苦しめたエース格のグラント
ヴィットマンを屠ったとされるファイアフライは、もともとアメリカ製・・。

churchill captured during Dieppe raid.jpg

軽戦車王国「イタリア」ではムッソリーニの要望によって開発された「重戦車」、
カルロ・アルマートP26/40というのが興味深いですね。
重戦車といっても75㎜砲は備えているものの、重量は26トンで、
しかも生産が開始されたのは1943年からであり、9月の休戦までには21両が完成しただけ・・。
さらに工場のある北イタリアはドイツ占領下となり、200両分の資材はそのままドイツの手に落ちて、
100両単位のこの戦車がドイツ軍によって使用されたといわれているそうです。
なんとも不思議な運命を持った戦車ですね。

Carro Armato P26 40.jpg

「日本」の戦車はまったくと言っていいほど知らなかったんですが、
「チハ」とか、「九五式」なんかの意味もはじめて知りました。
軽戦車の「ケ」、中戦車の「チ」と、まるでモジモジくんのような付け方で、
次のコードがイロハ順・・。「チハ」だと、中戦車3型ということです。

「九五式」は、「皇紀」という初代天皇、神武天皇が即位したとされる年を元年とする暦で、
「西暦」よりも660年古いため、1935年の戦車は、660年を足した2595年となり、
その下2桁を使用したものだそうです。
1940年代(2600年代)になると、下一桁で「四式」などになるようですが
むぅ~。日本人なのに、余計にわかりにくい・・。暗号のようですね。
砲塔の「せ」とかも、意味不明・・。

type97_chi-ha.jpg

「ポーランド」、「スウェーデン」と小国も紹介され、続いて「アメリカ」、「ソ連」と大国が。
しかし「フランス」のルノー FT-17 軽戦車は本書の後半まで各国が輸入しており、
また出てきた・・という感じがしましたが、
それだけ、この旋回砲塔を搭載した最初の戦車というのは革新的だったのでしょうか。
それとビッカース6㌧戦車も同様ですね。

KV-2a.jpg

ヴィトゲンシュタインとしては、本書も勉強になりました。
ドイツ戦車は「ジャーマンタンクス」などを読んでいたのでアレですが、
特にフランス、イギリス、アメリカの戦車開発とその歴史、またはネーミングなど、
今まであまり知らなかったこともある程度、理解できました。
各国の装甲部隊についても書かれた名著「ドイツ装甲師団」も再読したくなりましたが、
やっぱり4年前に読んでいたら、途中で寝てたでしょうね。
今のタイミングで正解でしたが、知識のなさを暴露したお恥ずかしいレビューになりました。。



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第二次大戦の連合軍婦人部隊 [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マーティン・ブレーリー著の「第二次大戦の連合軍婦人部隊」を読破しました。

先日の「オスプレイ・ミリタリー・シリーズ」の1冊、「ドイツ軍婦人補助部隊」が
予想以上にタメになりましたので、有言実行で続編である「連合軍」を早速、読んでみました。
こと女性の問題になると、我ながら動きが機敏です。。
定価2415円は一緒ですが、51ページから55ページへと増量・・?
著者は変わって、軍事写真家であり、長年、軍装品の蒐集もしている方だそうです。

第二次大戦の連合軍婦人部隊.jpg

「序章」では有史以来、19世紀まで戦いに赴く兵士たちは、
従者や妻を引き連れていくのが習わしだった・・という話から、
第1次大戦開戦当初の英国が、軍隊への女人禁制となり、長引く戦いで
甚大な損害を出してから、後方の事務員やコックが女性に取って変わられた・・という話まで。

Auxiliary Territorial Service cook.jpg

紆余曲折を経て英国陸軍の婦人部隊「国防義勇軍補助部隊(ATS)」が1938年に編成され、
いざ開戦となると、対空砲兵隊に女性も配属されます。
しかしATS(アッツと呼ぶそうです)向けの装備は間に合わず、
とりあえずは男性用戦闘服でガマンすることに・・。
チャーチル首相の末娘もこの対空砲部隊に勤務していたことなども写真で紹介。
1942年には女性の徴集が承認されると、翌年に女性兵力は21万名もと膨れ上がります。

ATS AT AN ANTI-AIRCRAFT GUN SITE IN BRITAIN, DECEMBER 1942.jpg

海軍の「英国海軍婦人部隊」、通称WRNS(レンズ)も1939年当初は事務職、
自動車輸送部、調理部、伝令などに配属されていたものの、
最盛期には7万名を超え、水兵として通貨船、沿岸水路警備艇などにも
乗り込んでいたそうですが、これら船舶乗組員はわずか500名強です。

WRNS Sally.jpg

「空軍婦人補助部隊」、通称WAAF(ワフ)も徐々に規模は大きくなり、
終戦時には英国本土の空軍兵力の22%である、18万名にも達したそうです。
職種も75種類にも及び、レーダー地図の標識員から、阻基気球繋留隊員まで・・。
しかし、ここまで写真は多いですが、制服と階級章などにはあまり説明はなく、
「キャプションとイラストを見ろ」といった感じです。

elizabeth-oats-as-waaf.jpg

米国では「陸軍婦人補助部隊」、通称WAAC(ワック)の成立は困難だったようで
ジョージ・C・マーシャルまでもが婦人兵導入構想について激しい非難を浴びますが、
1942年5月、参戦5か月後になってようやく発足。

WAACs UniformFirst3.jpg

翌年には正式に米軍に所属することとなり、名称からも「補助(Auxiliary)」が取れて
「陸軍婦人部隊(WAC)」となります。
職種も150以上に渡り、ヘルメットもかぶり女性用の戦闘服も作られますが、
ロング、レギュラー、ショートの規格サイズだけで、
女性として重要なバストやヒップのサイズは当初、全く考慮されず・・。

Women’s Auxiliary Army Corps.jpg

このWAACについては制服と徽章などがある程度述べられており、
特に士官用の帽子は「モンキーハット」と揶揄された挙句、そのデカイ鷲章も不恰好なことから、
「歩くガチョウ」やら、「歩くアホ鷲」と呼ばれたそうです。
ヴィトゲンシュタインに言わせれば「ペギラ」以外の何者でもないですが。。

Women's Army Auxiliary Corps chocolate brown hobby hat, 1942.jpg

続いて、その他の西側諸国。
カナダやオーストラリア、南アフリカ、インド、ニュージーランド、ビルマと
英連邦軍の婦人部隊が紹介されます。
そういえば「輸送船団を死守せよ」のヒロインは、カナダの女性補助部隊でしたね。

Canadienne des HMCS.jpg

真ん中には「ドイツ軍婦人補助部隊」と同様、表紙のようなカラーイラストが8ページあり、
24人の制服の婦人補助員が登場します。
ちなみに表紙の3名は左から「ハワイ勤務の米国海兵隊婦人予備部隊の伍長」、
「WAAF上等兵」、「カナダ海軍補助部隊の水兵」です。

Pilot trainee Shirley Slade she sits on the wing of her Army trainer at Avenger Field, Sweetwater, Texas, July 19, 1943..jpg

後半には「ソヴィエト連邦」の章がありました。
ソ連において女性が前線で勤務したことは、この「独破戦線」でも何度か紹介していますが、
本書によると、陸軍においては前線の医療部隊のうち、40%が女性で占められ、
1945年には、控えめな概算でも80万名・・、陸軍総兵力の約10%が婦人兵ということです。

soviet women.jpg

そして西側連合軍とは違い、機関銃兵、戦闘工兵、伝令オートバイ兵に
戦車や自走砲の乗員としても活躍。
これらは男女混成部隊であって、男女は完全に平等だったそうです。
また、なんと言っても「狙撃兵」が良く知られていますが、
確認戦果309人のリュドミラ・パヴリチェンコ中尉も紹介されています。
ただし、個人的にこの「戦果」は、眉唾モノだと思っていますが・・。

Lyudmila Pavlichenko_3.jpg

ソ連陸軍航空隊では、「スターリングラードの白薔薇」リディア・リトヴァクも紹介されますが、
「ソヴィエト連邦」の章、全部合わせても2ページだけ・・ちょっと残念でした。

最後は「外国人義勇部隊」。
なんだか武装SSを彷彿とさせる章ですが、これはドイツ軍占領地の亡命軍ですね。
政府が亡命した英国で編成された自由ポーランド軍には
独自の婦人補助部隊(PSK)があり、制服こそATSのものを着用しますが、
「POLAND」の肩章と、ポーランド鷲を襟と帽子に付けています。
そして西側連合軍とは違い、婦人兵の火器携帯を禁止する規則がなく、
歩兵用兵器の操作訓練も受けたそうです。

pomocnicza stuzba kobiet.jpg

フランスも自由フランス軍の婦人義勇兵が存在します。
また、解放されたオランダでも王国陸軍が再編され、婦人補助部隊も。
連合軍に勤務するデンマーク人女性は100名を超え、
200名のノルウェー軍婦人部隊も編成されたそうです。

volontaire feminine.jpg

全体的にはボリュームと比較して範囲が広いことや、著者の違いもありますが、
各々の部隊の創設の歴史などが中心で、制服や徽章などについては
「ドイツ軍婦人補助部隊」の方が詳しかった印象があります。
また、「看護補助部隊」には触れられず、これは著者が別の本で取り上げる予定のため、
割愛した・・ということでした。。

ATS Bagpiper Accompanies Sword Dance.jpg

最後のフランス、オランダ、デンマーク、ノルウェーの女性補助部隊の存在を知って思ったのは、
これらの国々の男性が、数は少なくともドイツの武装SS義勇兵として戦っていただけに
戦前、彼氏と彼女だった2人が、運命のいたずらから一方はドイツ軍として戦い、
一方は連合軍の補助部隊員として・・。そして終戦とともに再会・・なんてストーリー、
なかなかドラマチックで良くないですか?



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蟹の横歩き -ヴィルヘルム・グストロフ号事件- [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ギュンター・グラス著の「蟹の横歩き」を読破しました。

11月の「武装親衛隊とジェノサイド」でも書かれていたギュンター・グラス・・。
1999年にノーベル文学賞を受賞した著名なドイツ人作家が戦時中、武装SS隊員だったと告白し、
大バッシングを浴びた・・ということですが、彼の本は読んだことがありませんでした。
今回、初挑戦ということで、「バルト海の死闘」でも知っている
ヴィルヘルム・グストロフ号事件が描かれた本書を選んでみました。

蟹の横歩き.jpg

ギュンター・グラスとして知っているのは「ブリキの太鼓」の映画くらいのもの・・。
子供の頃、映画館やTVの予告編・・オスカル少年が「ア~~!」「テケテケ」「パリ~ン!」
というヤツですが、さすがに当時は観に行くこともなく、大人になってからTVで一度だけ観ました。
それでも、なんとも不思議な映画で、良く理解できなかったですね。
グラスは1927年、ポーランドのダンツィヒ生まれ。
そんなことから「ブリキの太鼓」も含め、ダンツィヒなどを舞台とした小説を多く書いているようです。

Günter Grass_Die Blechtrommel.jpg

本書の一風変わったタイトルもそうですが、内容についてまったく予備知識なしで挑みましたが、
一言で書くと、過去の「ヴィルヘルム・グストロフ号事件」の実話を掘り起こしながら、
現代のネオナチ問題を問いかけるというもので、
ノンフィクションとフィクションが半々に入り混じった2003年の小説です。

主人公の"わたし"は、うだつの上がらぬ記者・・。
生まれは1945年1月30日、ヴィルヘルム・グストロフ号が沈没し、
救助された母親がその場で産み落とした人物です。
あるとき、ドイツではタブー視されていたヴィルヘルム・グストロフ号の件が書かれた
インターネット・サイト「www.殉教者 de」を発見します。

gustloff.jpg

こうして、ヴィルヘルム・グストロフ号とはなにか?
そもそも船名の名前になっているヴィルヘルム・グストロフとは何者か?
ということが語られていきます。

ヴィルヘルム・グストロフはスイスにおけるナチスの地区指導者でしたが、
1936年、クロアチア出身のユダヤ人、ダヴィド・フランクフルターに自宅で暗殺されます。
この事件はもちろんナチ党にとっては大きなもので、
グストロフの葬儀にはヒトラー以下、党の幹部が出席する盛大なものとなり、
当初、「アドルフ・ヒトラー号」の名が予定されていた新造客船にも
彼の名が付けられることになります。

wilhelm_gustloff.jpg

一方、下手人のダヴィド・フランクフルターはスイスで裁判にかけられますが、
中立を守るスイスによって、懲役18年の刑で済むことに・・。

Der Attentäter David Frankfurter während seinem Prozess 1936.jpg

このようにしてドイツ労働戦線全国指導者ロベルト・ライのもと、
歓喜力行団(KdF)の旗艦ともいえる客船「ヴィルヘルム・グストロフ号」は
一般勤労者に等級のない客室で、安価な地中海クルーズやノルウェークルーズを提供。

gustloff maiden voyage to Madeira2.jpg

ヴィルヘルム・グストロフ号に姉妹船があって、
それが「ロベルト・ライ号」っていうのもひどい話ですね。
初めて知りましたが、自分の名前をつけるっていうのは、まったく図々しい・・。

KdF-Schiff Robert Ley, Empfang von Bulgaren.jpg

やがて戦争が勃発すると、この客船は病院船に就役。さらにバルト海のゴーテンハーフェンで
潜水艦訓練部隊の兵営として繋留されることになります。
そして1945年1月30日、ソ連軍から逃げ惑う1万人とも云われる避難民を乗せて出航・・。
マリネスコ艦長のソ連潜水艦S-13により魚雷攻撃を受けてしまうわけですが、
この呑兵衛で不運なマリネスコ艦長についても、本書は平行して語り、
沈没するヴィルヘルム・グストロフ号の阿鼻叫喚の世界も同様ですが、このあたりは
「バルト海の死闘」とさほど変わりはありません。

Marinesko.jpg

ネオナチ・サイト「www.殉教者 de」では、管理人のヴィルヘルムに対抗するユダヤ人、
ダヴィドがチャット(本書ではチャート)に登場し、スポーツのような激戦を繰り広げ出します。
そして主人公の"わたし"は、このヴィルヘルムが15歳の息子のコニーであることに気づくのでした。

インターネットの世界から抜け出して、直接対面することとなったヴィルヘルムとダヴィド・・。
ここから突然、思いもよらぬ展開へとなっています。

KdF_1939-08-04_47th_Norwegenreise.jpg

正直言うと、後半の「うわっ」となるシーンまで、フィクション部分はなんだろな~という感じで
読んでいました。ちょっと難しく考えすぎていたのかも知れませんが・・。
そして最後まで読み終えて、もう一度、最初から256ページの本書を読んでみました。
現代と過去を行き来し、そしてノンフィクションとフィクションが入れ混じった小説ですから、
ある程度の予備知識がないと、ちょっと難しいかも知れませんね。
ただし、全体が理解できると(ヴィトゲンシュタインは2回目でしたが・・)
凄い構成の本だな~・・という感想になっていきます。

また、ヴィルヘルム・グストロフ号事件が詳しく書かれた「バルト海の死闘」は
日本では1984年に出版されていますが、ひょっとしたらドイツでは
翻訳されていないのかも知れませんね。
グラスが武装SS(第10SS装甲師団 フルンツベルクの戦車砲手らしいですが)にいたことを
告白した「玉ねぎの皮をむきながら」も今度、読んでみようと思います。

そういえば、映画「スターリングラード」のヨゼフ・フィルスマイアーが監督した
「シップ・オブ・ノーリターン ~グストロフ号の悲劇~ 」もまだ観てませんでしたが、
イタリアの豪華客船「コスタ・コンコルディア号」が座礁、転覆のニュースが
ちょうど報道されています。
そして、とっとと逃げたとされる船長・・。う~ん、やっぱりイタリア人?

costa-concordia-night_The ship's captain gets into a police car.jpg









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私はガス室の「特殊任務」をしていた [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シュロモ・ヴェネツィア著の「私はガス室の「特殊任務」をしていた」を読破しました。

3年ほど前に発刊された256ページの本書は以前からかなり気になっていたものですが、
古書価格がだいぶ安くなってきましたので490円で買ってみました。
タイトルは「私はヒトラーの秘書だった」や、「ヒットラーを焼いたのは俺だ」的な感じですが、
原題は「ゾンダーコマンド」。これは「特殊任務部隊」という意味で、
①アウシュヴィッツに到着したユダヤ人をガス室へと送り、
②死体をガス室から引き出し、
③髪の毛を切り、金歯を抜き、
④迅速に焼却する
という任務を遂行するユダヤ人被収容者の部隊のことです。

私はガス室の「特殊任務」をしていた.jpg

第1章は「収容前-ギリシャでの生活」です。
1923年、ギリシャ生まれのシュロモ・ヴェネツィアの生い立ちが語られ、
その昔、スペインにいた先祖がユダヤ人追放政策によってギリシャに落ち着く前、
イタリアに住み、その街の名前「ヴェネツィア」が家族名となったそうで、
これはスペイン系ユダヤ人には当時、家族名がなかったことが理由ということです。
そんなことからギリシャでもイタリアの市民権を持っていた「ヴェネツィア」家。
しかし父が亡くなり、戦争の足音が近づく1938年には
2つ上の兄がイタリアの学校からユダヤ人を理由に追放されて帰国・・。

1940年にイタリアがギリシャに宣戦を布告すると、兄はギリシャ警察に逮捕されますが、
進撃してくるはずのイタリア軍は逆に撃退される始末。。
結局、やって来たのは助っ人のドイツ軍なわけですが、ユダヤ人であることよりも、
同盟のイタリア人であるために、彼らはドイツ軍からも守られるのでした。

Shlomo-Venezia,-20-anni.jpg

しかし1943年にイタリアが降伏すると、事態は悪化します。
1944年4月1日には「ユダヤ人」ヴェネツィア家も遂に強制収容され、
アウシュヴィッツ行きの列車に乗り込むことに・・。
この11日間にも及ぶ「死の列車の旅」は大概、壮絶なもので、
水も食料もなく、ギュウギュウ詰めのなか、排泄用の空き缶がある程度で、
到着した時には死人もわんさか・・というのが知られていますが、
彼らの場合には赤十字が食料と毛布を配ったことで、なんとか生き延びることに成功します。

auschwitz03.jpg

本書はインタビュー形式によって進みますが、ひとつの質問に対してシュロモは
1ページから8ページほども一気に語りますので、
細々したやりとり(例えば、Q:「~だったのですか?」 A:「そうです。」)はなく、
彼の話をジックリと聞いている感じです。

第2章からはアウシュヴィッツの生活が始まります。
列車を降りると、鞭とビンタで2列を作らされ、選別で残ったのは男性320名。
この時に着いた2500名のうち、同様に選別された女性328名以外は、
そのままガス室行きだったということです。
また、「右、左!」と指示するドイツ人将校も「あのメンゲレだったかも知れないが、
確かじゃない」というこの部分を読んだだけで、彼がコトを大げさに、
センセーショナルなものにしようとしていないことがわかりました。

Mengele8.jpg

そして「アウシュヴィッツⅠ」へと送られ、腕に登録番号の入れ墨を入れられたのち、
兄や従兄たちと再会するものの、母や妹たちの運命は知れず・・。
小部屋の3段に分かれた「簡易ベッド」ひとつには、少なくとも5人が寝ます。
上段は割れた窓に近すぎて風が入ってきますが、
下段も頭から「ありがたくない物」がたくさん落ちてきます・・。

Selection for Gas Chambers by David Olère.jpg

やがて「特殊任務部隊」に選抜された20歳のシュロモ。
悪名高い「アウシュヴィッツⅡ」こと、ビルケナウのバンカーへと向かいます。
ガス室から死体を引っ張り出し、墓穴へと運んで燃やす仕事を命ぜられますが、
死体を墓穴に置くのは経験のある先輩ゾンダーコマンドで、
死体を詰め過ぎて空気が通らずに火が消えるのを防ぐようにしてうまく落とします。

Burying the Remains of Children by David Olère.jpg

「アルバイト!仕事だ、ユダヤの犬どもめ!」と、たけり狂った動物のようにわめき散らし、
理性を失って死体を持ったまま動けなくなった者を射殺する「死の天使」、
恐怖のオットー・モル曹長が登場します。
焼却棟の責任者として君臨したというこの人物は初めて知りましたが、
とんでもないサディストです。。。

Moll, Otto.jpg

24時間、地獄の作業を行った翌日、職業を床屋と偽っていたシュロモは、
ガス室から引き出された死体の髪を切る作業に従事・・。
そのうち死体を引き出す作業もやらされるようになりますが、
手で引っ張っても汚れて滑るため、杖を首に引っ掛けて運んだそうです。
老人はガス室送りですから、杖が不足することはありません。

Gas-chamber and furnace.jpg

巻頭に写真が数枚、掲載されていますが、本文では、彼の語る「特殊任務」を
わかりやすく見せるために、所々に挿絵(スケッチ画)が出てきます。
そしてこれが非常に印象的なもので、ダヴィド・オレールという「ゾンダーコマンド」の
生き残りの画家によって、戦後、描かれたものだそうです。
あくまでイメージ画のようですが、迫力がありますね。
彼はこの白黒のスケッチ画以外にも、カラーの絵画も描いてますが、
印象が変わりますね。個人的にはスケッチ画のほうが生々しくて、ゾクっときます。。

Unable to Work by David Olère.jpg

新しい焼却塔では地下の脱衣所とガス室で髪を切り、金歯を抜き終えると、
死体はリフトに乗せて、1階にある焼却炉へと運ばれます。
このような作業も詳細に語り、作業が遅れてドイツ人に怒られることを恐れ、
実に手際よく、プロフェッショナルと呼べるほど効率的で迅速に行われています。

The Oven Room by David Olère.jpg

さらに血や汚物で汚れたガス室の掃除・・。「シャワー室」と騙して入れるこの部屋に
そんな跡が残っていれば、次に入れられた人たちが半狂乱に陥ってしまいます。

Nos cheveux, nos dents et nos cendres.jpg

「ゾンダーコマンド」はあまりに重要な仕事に就いているため、食事の量も多く、
ベッドもひとり一台と特別扱い。またSSも「最悪中の最悪」のオットー・モル以外は
そっとしておいてくれます。
特にひとりのオランダ人SS隊員はより人間的で、「ドイツ人は有能と信じてSSに入ったのに
本当のことを分かったときには遅すぎた」と後悔します。
東部戦線行きを恐れ、何も言わずに、出来るだけ人を殺さないように努めるオランダ人のSS。。

Dans la chambre à gaz.jpg

ガス室に入る前の脱衣所任務では、「シェロモ!」と声を掛けられると
その声の主は、父の従兄弟のレオンです。
ここまで肉体労働で生き延びていたものの、膝の怪我で用無しとなってしまった彼は、
「死ぬまでにどれくらいかかるんだい?すごく苦しむのか?」と質問攻め・・。
本当は空気を求めて10分~12分はかかるのに、「長くかからないし、苦しくもないよ」と
ウソをついて安心させるシュロモ・・。

Undressing cellar.jpg

やがて大規模な反乱が計画されますが、これは失敗に終わり、多くのゾンダーコマンドが処刑。
シュロモはうまく立ち回り、この危機も乗り越えます。
10月には列車が到着することもなくなり、その存在を消すために焼却棟の解体命令が・・。
そして遂にアウシュヴィッツは、東から迫るソ連軍から逃れるために撤退を開始。
しかしこの収容所のすべてを知るゾンダーコマンドが生き残ることは許されません。
それでも他の5000人の囚人たちに紛れ込んだシュロモは、真冬の「死の行進」で西へと向かい
10日以上歩き続けて、1月末オーストリアのマウトハウゼン強制収容所にやっと辿り着くのでした。

Gassing by David Olère.jpg

大きく分けて3部構成ですが、メインの「ゾンダーコマンド」の部分だけではなく、
前半のアウシュヴィッツに辿りつくまでの部分、
後半の「死の行進」から米軍に解放されるまでの部分も大変興味深く読みました。
基本的には彼の実体験だけが書かれており、せいぜい兄や従兄弟から聞いた話まで・・。
質問に対しても、見聞きしなかったことには「知らない」とはっきり答えます。
度々、彼もこのような世界で生き延びることを自問自答しますが、
もし自分がその立場だったら、果たしてどうするのか?
そんなことを考えざるを得ない、迫力のある良書でした。



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