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写真・ポスターに見るナチス宣伝術 -ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

鳥飼 行博 著の「写真ポスターに見るナチス宣伝術」を読破しました。

今年の7月に発刊された本書は、タイトルと表紙のカラーのポスターともに
第三帝国のポスターが大好きな自分のツボにハマった感もあり、
これらのプロパガンダ的なポスターと写真を解説している本をイメージして
速攻で手に入れて読んでみました。

写真・ポスターに見るナチス宣伝術.jpg

第1章の冒頭では「ナチ・プロパガンダを考察するにはヒトラーの生い立ちと
青年時代を無視できない」としてそのまま、両親や学生時代、
ウィーンでの放浪の様子を解説します。
4ページに1枚程度、小さい白黒写真が掲載され、中学校のクラス写真やらが、
なかなかしっかりしたキャプションで出てきます。

第1次大戦後のヴェルサイユ条約がドイツにとって屈辱的なものであり、
それがナチ党勃興の契機となった・・とされていることに、本書では異を唱え
オーストリア帝国やハンガリー帝国、オスマン帝国が、その領土2/3を失ったことを思えば
ドイツのそれは「寛大な条件だった」としています。

deutsches_reich_1919.jpg

続く、ワイマール共和国の混乱期はかなり詳しく書かれています。
フランスとのルール地方を巡る攻防では、あの英雄シュラゲーターについても触れられ、
ミュンヘン一揆へと続いていきます。
ここからは1933年にナチ党が政権を取るまでの選挙について、かなりのページを割き、
1924年から1930年までナチ党は第8党に過ぎず、資金不足から安上がりに注目を集めるための
プロパガンダの手段として、突撃隊(SA)による乱闘騒ぎを起こした・・としています。
白黒ですが、当時のナチ党の選挙ポスターが数枚出てくるのは興味深いですね。

Poster of NSDAP in Weimar Republic calling Hitler for President of the Reich.jpg

しかしここまで1/3程度を読んだ時点で、当初、想像していたのとは全然違う本・・
ということに気が付きました。
タイトルの「写真・ポスターに見る・・」は、あくまで補足というかオマケであって、
文章によってナチ党が政権を掴むまでを細かく解説しているものでした。
表紙のカラーポスターも本文には登場しないので、結局なんのポスターかもわからず・・。

社会民主党のポスターはヒトラーとナチ党を批判していたりして、とても面白いんですけどねぇ。
本書では白黒の小さい紹介ですが、大統領選のヒンデンブルクのポスターも、
「英雄は重荷を支える! 私はまだヒトラーよりはるかに強い!」

Poster Hindenburg heldenlast erfordert helden.jpg

本書は基本的にナチ党の政党としてのプロパガンダを批判しているものですが、
なかにはこれも良く知られた「血染めの党旗」に触れ、
「ミュンヘン一揆当時、鉤十字の党旗はほとんど使用されていないため、
犠牲者の血染めの党旗が本当にあったとは思えない」と、
その後のニュルンベルク党大会などでヒトラーが行った儀式を
「捏造してまで・・」としていますが、ど~も、ちゃんとした根拠はありませんね。

blutfahne.jpg

その他、選挙でも得票数などを細かく挙げつつも、「インチキがあったと思わざるを得ない・・」
というような書きっぷりですが、これも特に証拠があるわけでもなく、
根拠が薄弱で著者が単にそう考えているだけのようです。
大抵の人が「インチキがあったんじゃ・・」と思っているわけですから、
そんな風に書かれてもなぁ・・。
どうせなら、「インチキの証拠は発見できない」と堂々と書けば良いのに・・。

wahl_1932.jpg

そして対ソ戦が始まると、軍事的なものはそれほどなく、ユダヤ人問題がメインです。
武装SSの話では、ノルウェーでの兵募集ポスターもひとつ紹介され、
特に後半は、ホロコースト中心で、写真もエグいものが多くなりますが、
チューリンゲンの地下工場でV2ロケット生産に従事する囚人労働者の話では
巻頭のカラー写真がなかなか生きてましたね。

Gefangene des Konzentrationslagers Mittelbau-Dora bei der Montage der V2-Rakete.jpg

最終的にヒトラーの死ニュルンベルク裁判で終了。
最後の章「ナチ・プロパガンダの真実」では、本書のまとめとして30ページ近く解説します。
アウトバーンやら景気回復は、ヒトラーが考案したものではなく、
ヒトラー政権以前の政策で始められていたものが、ヒトラー政権後に結果が出たり、
注目されたもの・・という話で締め括られます。
でも、こういう話は本文で書くべきだし、最後の結論やまとめは簡潔にすべきだと
個人的には思います。

Der Wahn von der Autobahn.jpg

ヴィトゲンシュタインはいつも本にカバーを付けて読んでいるんですが、
今回は読んでる途中、「この本のタイトルなんだっけ??」と、4回は確認しました。
「写真・ポスターに見る」がオマケだとしても、「ナチス宣伝術」というのも
本文ではそれほど明確に語られず、最後の章で、あーだのこーだのと整理している感じです。
まぁ、イメージ的には「写真で見る ヒトラー政権下の人びとと日常」に似た風でもありますが、
少なくとも、タイトルと表紙から想像しうる限度を超えた内容であるのは間違いありません。

wallon_waffen_ss.jpg

読んでてこれだけイライラしたのは久しぶりなので、最後の章もあまり頭に入りませんでしたが、
初めて知った話も皆無で、つまんないことをダラダラ書かずに、
カラーの「写真・ポスター」をメインにして、キャプションだけで仕上げた方が、
よっぽど納得のいく1冊になったでしょう。
まぁ、表紙だけ見て飛びついた自分が愚か者だった・・と反省しています。。



がんこなハマーシュタイン -ヒトラーに屈しなかった将軍- [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー著の「がんこなハマーシュタイン」を読破しました。

2009年に発刊された450ページの本書は、マンシュタインやらグデーリアンやら
ドイツの将軍たちの本を読み漁っていたときから気になっていたものでしたが、
このハマーシュタイン(クルト・フォン・ハンマーシュタイン)は第二次大戦時には退役していたことや
「がんこな・・」とちょっとトボケた感じのタイトルが読破することを敬遠させていました。
しかし今回は、すでにこのblogでも「国防軍とヒトラー」や「ヒトラーの戦い」で登場したこともあり、
ヒトラーが政権を握った1933年に「陸軍最高司令官」という立場だった
この「がんこなハマーシュタイン」個人に興味を持って読んでみました。

がんこなハマーシュタイン.jpg

ハマーシュタイン男爵一族は1000年の歴史を持ち、営林官の父は
1878年生まれの息子クルトを陸軍士官学校へ入学させます。
そして、ここで後の首相、クルト・フォン・シュライヒャーと出会い、20歳になると揃って
近衛第3歩兵連隊へと配属される・・という生い立ちが簡単に書かれ、
カールスルーエの野戦砲兵隊参謀長、フォン・リュトヴィッツ男爵の娘、マリアと恋に落ちますが、
この裕福で厳格なマリアの父は「貧乏な家の将校を家族にするのは御免・・」という態度。。
いろいろありながらも1907年にめでたく結婚。3人の娘に恵まれます。

ちなみに「ハマーシュタイン」なのか、「ハンマーシュタイン」なのかですが、
wikiでは「ハンマーシュタイン」を採用していますが、「Hammerstein」ですから、
以前に紹介したヒムラー(Himmler = ヒンムラー)と同じ感じでしょうね。。

von Lüttwitz.jpg

第1次大戦で敗北した直後の動乱の時代は、本書独特の「死者との対話」という形式で解説します。
著者エンツェンスベルガーとハマーシュタインとの対話では、
1920年のカップ一揆でならず者集団エアハルト海軍旅団を率いて暴動を鎮圧したのが、
義父のリュトヴィッツだっという話や、同じ死者のシュライヒャーも登場し、
親友ハマーシュタインと彼が参謀本部と首相に上り詰める経緯が紹介されます。
このような話は真面目に書くと大変、難しいものですが、この対話形式は楽しく理解できますね。

kurt_von_schleicher.jpg

こうして1929年には当時の陸軍参謀総長である兵務局長となり、
翌年には陸軍最高司令官へ昇進したハマーシュタイン。
子供も7人に増えて、ノーマルな仕事をことごとく避ける
天才的な「怠け者」としてベンドラー街の国防省内で家族と共に生活。。
本書では自他ともに認める「怠け者」のハマーシュタインを様々な人が評価します。
例えば、近衛第3歩兵連隊の後輩であるフォン・マンシュタイン
「私が出会ったなかで、最も利口な人間のひとりだろう。"指示はバカな人間のためにある"は
いかにもハマーシュタインらしい。戦時なら、ずば抜けた指揮官だっただろう」

Kurt_von_Hammerstein.jpg

1924年から1932年にかけてはソ連との軍事協力。
トハチェフスキー元帥が何度もドイツを訪問し、逆にドイツからはブロムベルクにアダム、
ブラウヒッチュパウルス、マンシュタイン、カイテルグデーリアンという錚々たるメンバーが
ロシアを訪れ、そして赤軍にとって最も重要な人物がハマーシュタインなのでした。
国防相ヴォロシーロフとも仲良く会談し、「赤軍はいい軍隊だ」と東の路線を公けにすることで、
外務省などからは激しく攻撃されますが、彼は
「防衛の時にはよく戦うだろう。ロシア人たちは侵略戦争ができないことがわかっている。
道路も鉄道も酷い状況で、自国の国境でしか戦うことができない」
と、その評価は10年後に確認されることになります。

Hindenburg_Tuchatschewski.jpg

いよいよ、ヒトラーとナチ党の出番です。
実は最初のページでハマーシュタインとヒトラーの出会いについて書かれていて、
1928年頃、「参謀本部で自分がどう思われているか」確認するために
ハマーシュタイン邸を訪れたヒトラーは、冷淡な態度の彼に気に入られようとして、
その後、ナチの雑誌を無料予約購読で送ってきたそうです。

Kurt von Hammerstein-Equord.jpg

こうして「国防軍とヒトラー」に書かれていたのと同様、シャライヒャーとともに
ナチ政権参加の方が内戦の危機よりも「害が小さい」と判断し、
「飼い馴らすことが出来る」と信じてしまうのでした。。
結局、ヒトラーとは上手く行かないことを悟ったハマーシュタインは1933年の暮れに辞任。
半年後には「長いナイフの夜」によって、友人シャライヒャーが殺され、
ハマーシュタインすらいつ逮捕されてもおかしくない状況です。
それでも同い年の国防相、ブロムベルクの強い命令を振り切って、
将軍としてただ一人、シュライヒャーの埋葬に出かけます。

hammerstein-hitler.jpg

やがては後任のフリッチュやブロムベルクといった仲のよろしくなかった国防軍のトップも
ヒトラーによって排除され、1939年のポーランド侵攻が・・。
その直前、本書でも「説明しにくい」というハマーシュタイン突然の現役復帰。
西部防衛の最高司令官に任命されますが、ポーランド戦終了と同時に再び、退役。。
これはワリと知られた、視察に訪れたヒトラーを勾留して、失脚させようという
策謀に繋がって行くわけですが、コレを説明するのは、あのシュラーブレンドルフです。

Leeb, Fritsch,Himmler, Blomberg, Körner,Raeder, Rundstedt.jpg

陰の「反ヒトラー派」と言われたハマーシュタインは1943年4月、自宅で死んでしまいます。
ですが、本書はハマーシュタイン一家の物語であって、子供たちの物語も並行して進みます。
そしてこの子供たちも大変なもので、長女と次女はなんとバリバリの共産主義者・・。
ソ連のスパイである彼氏のために、陸軍最高司令官の父の金庫を開けるのを手伝ったり、
ゲシュタポの尋問を受けたり・・。

maria-therese-hammerstein.jpg

一方、年の離れた息子二人は、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂に関与します。
ベンドラー街の本部では、SSの武装解除をする任務が・・。
しかしクーデターが発覚すると、腕を撃たれたシュタウフェンベルクの姿を目撃しつつ、
どっちの味方かわからない中佐から、
「総統に対するクーデターだ。お前は私の指揮下に入れ」と言われる幸運。
兄にも逮捕の危機が迫りますが、SSと見間違えられることもある
グロースドイッチュランド戦車服に身を包み、軍用列車で逃亡に成功。

Großdeutschland Panzerjacke.jpg

この事件の関係者に対するゲシュタポの執拗な追跡は、
新たに制定された「家族連帯責任」によって、母のマリアと娘たちと末っ子の弟、全員を逮捕し、
ブッヘンヴァルト強制収容所送りに・・。
そこにはシュタウフェンベルクの家族の他にも、元参謀総長のハルダー
ファルケンハウゼンシャハトといった将軍や政府高官。
ヒムラーが西側との和平交渉の人質としていたイタリアのバドリオ元帥の息子に、
スコルツェニーが拉致したハンガリーのホルティ提督の息子まで。。
4月、米軍の進撃が強制収容所まで近づくと、ヤケクソになった移送責任者のSS少尉は
彼らに質問します。「どこへ輸送したらよいか?」

なんとも不思議な味わいのある1冊でした。
得てして難しく、理屈っぽくなりがちな思想や、その背景については、
補足的に「死者との対話」という表現で読ませますし、また、逆に
公文書などの資料も写真付きで、キッチリと裏取りしてみたり・・。
この辺りの構成の妙は、著者の作家のスキルとして伝わってきます。

hammerstein.jpg

当初の予想である「がんこなハマーシュタイン」個人にだけターゲットを絞ったものではなく、
ハマーシュタイン一家の歴史というもので、そういった意味では
父の国 ドイツ・プロイセン」をなんとなく髣髴とさせるものでもありました。
特に後半は4人の娘と3人の息子たちが、各々どのような立場で敗戦を迎え、
戦後の東西に分かれたドイツとベルリンで、どのような人生を送ったのか・・まで。。
ハマーシュタイン自身に、何とも言えない魅力があるのもそうですが、
決して一般的ではない、ハマーシュタイン一家に混在した政治思想と彼らの行動・・。
ですが、これが当時の極端なドイツ人の思想の縮図のようにも感じました。



普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリストファー・R. ブラウニング著の「普通の人びと」を読破しました。

1997年に発刊された本書。Amazonの紹介文では「ヒトラー時代、普通のドイツ人が、
いかにして史上稀な大量殺戮者に変身したのか。知られざる警察予備隊の衝撃の実態。」
というもので、以前からかなり気になっていました。
しかしホロコーストものは、いつもちょっと腰が引けるのと、警察予備隊という地味な部隊が
主題であることもあって見送っていましたが、やっと読んでみる気になりました。
個人的にホロコーストに関与した人々すべてが、反ユダヤ主義者、
もしくはサディストだとはコレっぽっちも思っていないだけに、
どのような状況が普通のドイツ人を殺戮者にしてしまったのか・・?
このような疑問を本書はある程度、説明してくれるものですが、
その代わり、その内容の凄まじさ・・、要はガス室とは違う、具体的なユダヤ人の抹殺手段が
286ページの最初から最後まで続きます。
そんなわけで今回は、「独破戦線」史上、最もエゲツないレビューになりそうなので、
これ以降は、本当に興味のある方・・だけお読みください。

普通の人びと.jpg

著者ブラウニングは米国のホロコースト研究家で、「序文」ではこの第101警察予備大隊を
本の主役とした経緯が述べられています。
それはドイツ連邦検察庁の1962年から10年間にも及ぶ、この部隊に対する取り調べと
法的起訴の法廷記録を閲覧することが出来、500人の部隊員のうち、210人の
尋問調書について研究を行ったことで、彼らが殺すか殺さないかの個人的決断に直面したことに
心をかき乱される衝撃を受けた・・ということです。

そしてこの中年の警察予備官からなる大隊の殺戮の様子の前に、
「通常警察(秩序警察) = オルポ」の制度などの説明から始まります。
全ドイツの警察のトップに君臨するのはSS全国指導者のヒムラーで、
保安警察の刑事警察(=クリポ)と秘密国家警察(=ゲシュタポ)はハイドリヒが、
通常警察はクルト・ダリューゲが長官を務め、ここに採用された警官は
国防軍に徴集されることが免除されます。

Daluege_Himmler_heydrich.jpg

しかし1939年に戦争が始まると、武装SSの第4SS警察師団が編成されたり、
憲兵として国防軍に配属されたり・・。
また、ポーランドやフランスなどの占領地の治安を維持するためにも、その規模は膨れ上がり
新たに編成された中年の警察予備大隊も各国での任務が命ぜられるのでした。
ポーランドにはヒムラーの代理(HSSPF)としてフリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーが任命され、
「残忍なやくざ者で、かつて汚職によって党幹部の地位を追われたヒムラーの旧友」、
オディロ・グロボクニクがルブリン管区に君臨します。

Globocnik und Himmler.jpg

1942年になると、ポーランドにおける「ユダヤ人問題の最終的解決」の責任者となった
グロボクニクによってアウシュヴィッツシュタングルのゾビボルなどの絶滅収容所のガス室に向け、
各地のゲットーからユダヤ人を送り込まれますが、
各国からの移送列車から吐き出されるユダヤ人を処理しきれず、移送が停止する事態に・・。
そして痺れを切らしたグロボクニクは、銃殺部隊による大量処刑の復活を決定するのです。。

Jews from the Lodz ghetto in Poland are placed on a train bound for Auschwitz.jpg

ポーランドに到着して3週間足らずの、ハンブルクを本拠とする第101警察予備大隊を率いるのは
第1次大戦にも従軍した経歴を持つ、53歳の職業警察官トラップ少佐。
中隊長たちはヒトラー・ユーゲント出身の20代後半のSS隊員、
下士官の年齢は27歳~40歳、兵士の平均年齢は39歳で、ドック労働者にトラック運転手、
船員に事務職、薬剤師に教員と実に様々な職業を持った「普通の人びと」です。

Members of Police Battalion 101 posing.jpg

1800人のユダヤ人の住むユゼフフ村に大量の装備で到着し、整列した大隊。
トラップ少佐が青ざめた顔で、目に涙を浮かべながら全員に任務を伝えます。
「働くことの可能な男性は分離して収容所へ、残りのユダヤ人・・女性と子供、老人は、
本隊によって射殺されなければならないのである」
彼は付け加えます。「この任務を遂行できないと感じる者は、誰でも外れることが出来る」
そして10人が前に進み出て、銃を返却・・。

Police Battalion 101 Inspection at Lodz.jpg

命令を下しはしたものの、森の処刑場へは姿を見せないトラップ少佐。。
彼は村の校舎で一人泣き続けています。「おお、神よ、なぜ私にこんな命令が・・?」
一方で部下たちはユダヤ人の駆り集めに精を出しますが、
さすがに小さい子供を抱いた母親は暗黙の裡に見逃して・・。
銃殺部隊に指名された第1中隊は、犠牲者を即死させるための射撃方法の講習を
大隊付き医師から受け、いざ森に出発。。。
トラックから降ろされた40人のユダヤ人が1列になって伏せると、同数の警官が背後から近づき
肩甲骨の上の背骨にライフルを当て、一斉に引き金を絞ります。

einsatz.jpg

調達してきたアルコールによって夕暮れまで休みなく続けられ、
自分がいったい何人を殺したのかすら、わからなくなってしまうほどです。
しかし「他の仕事に変えて欲しい」と訴える者、「これ以上、続けられない」と上官に泣きつく者、
故意に犠牲者を外して撃つ者、なかには気づかれるまで隠れている者も・・。
ユダヤ人を運ぶトラック運転手でさえ、一度の運搬で神経が参ってしまいます。

このような進捗の遅れのため、第2中隊にも銃殺任務が下されますが、
「講習」を受けていない彼らは自由裁量で撃ち始め、その結果、
「しばしば頭蓋骨全体が引き裂かれ、血、頭蓋骨の断片、脳髄があちこちに飛び散り、
射撃手に降りかかったのです」
「4人目には耐えきれなくなって森に逃げ込み、胃液を吐き出して、3時間は座り込んでいた」と
証言する者もいれば、「努力して子供だけは撃てるようになった」という者も・・。
これは母親を隣りの警官が撃つことで、母親がいなければこの子は生きていけないのだと
自分を納得させることが出来た・・という理由です。

einsatz1.jpg

銃殺を一切、拒否し、仲間から「弱虫野郎」と言われた隊員の証言も出てきます。
38歳の土木会社社長の少尉は「私は職業警察官ではなく、
その経歴が失敗するとしても大したことではなかった」
逆に率先していた若い中隊長たちについては「将来、出世したがっていた職業警察官だった」
う~ん。。確かに、このような「シャバ」での立場の違いは大きいと思いますね。

この大虐殺が終わっても、翌月には再び大量銃殺の任務が・・。
今度は根っからのユダヤ人嫌いのウクライナ人、ラトヴィア人、リトアニア人から成る、
残虐性も十分な志願兵(対独協力者)との共同作戦です。
第2中隊長も含め、全員が泥酔状態のなかでの虐殺・・。
墓穴のなかに地下水と血が混じり合い、膝まで浸かった状態で銃を撃ち続け、
溢れて漂う死体に、致命傷を受けずに呻き続ける犠牲者・・。

einsatzgruppen-brutal-germans-nazi-death-squads.jpg

また、町で第1中隊の軍曹がポーランド抵抗組織に殺される・・という事件が起こると、
報復として、ポーランド人200人の処刑命令が・・。
最初の任務では泣き崩れていたトラップ少佐も、この頃には任務に順応しています・・。

さらにベルリンから楽士と役者で構成された「前線慰問団」がやってきますが、
彼らは翌日の作戦のことを聞きつけていて、参加させてくれるよう懇願します。
そして当日の銃殺隊は、大隊の銃で武装した娯楽部隊の志願者が中心です・・。
まぁ、ハワイなんかに行って銃を撃ってくる、今の日本人と同じ感覚なんでしょうか?

einsatz1a.jpg

最後は4万人以上を虐殺した「収穫感謝祭」作戦。
ルブリンの労働収容所で働く、この地で最後に残ったユダヤ人も抹殺しようという作戦です。
グロボクニクの後任者、ヤコブ・シュポレンベルクが指揮し、武装SSSD、警察連隊が
クラクフやワルシャワ管区からも集められ、もちろん第101警察予備大隊の姿も・・。
3メートルまで積み上げられた死体の上に次の犠牲者が・・という
「もっとも、おぞましい」殺害方法ですが、警官たちはすっかり慣れてしまって、
戦後の取り調べでも、大して印象には残っていなかったようです。

Police Battalion 101 Celebrating Christmas.jpg

終戦後、帰還した第101警察予備大隊の多くは、元の職業に復帰したものの、
トラップ少佐は告発され、1948年、ポーランドで処刑。。。
その他の「普通の人びと」は、1962年に告発されました。

著者はまとめとして、戦争による虐殺行為は付きものであり、日米軍の間に起こった
ジャングル戦での「捕虜にしない」方針や、米兵が日本兵の死体の一部を
戦争土産として日常的に集めていた・・という例なども挙げています。
WOWOWで放映したドラマ、『ザ・パシフィック』でもこのシーンはありましたね。

the pacific.jpg

それにしてもここでは書きませんでしたが、前半から「移送列車」の現場での凄まじさ・・。
裸にしたユダヤ人を何十両と貨車に詰め込めるだけ詰め込み、
それでも乗り切れない者は全員、射殺・・。
ゲットーでの駆り集めでも、対象のユダヤ人に対するドイツ兵の人数が妥当であれば
問題なく移送が出来るものの、人手が少ない場合は逆にそれがプレッシャーとなって、
ちょっとしたことで「射殺」という荒っぽい手段が起こったり・・と
期限に追われた、現場レベルでの任務と残虐行為との関係も理解できるものでした。

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まぁ、このようなホロコーストものを読むときはいつもそうですが、
自分がその場にいたら・・ということを想像しながら読んでみます。
復讐心や戦場での狂気が起こした虐殺とは別の、国家の政策による虐殺命令・・。
本書の部隊は、加害者でありながら、また被害者でもある気がします。
彼らも任務をこなすうちに慣れていったように、読んでる自分も気が付くと
今まで読んだことないほどの本書のエゲツない表現にも、慣れてしまっていました・・。





総統からの贈り物 -ヒトラーに買収されたナチス・エリート達- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

G.ユーバーシェア, V.フォーゲル共著の「総統からの贈り物」を読破しました。

昨年暮れに発刊された本書は、そのタイトルからスキャンダラスな感じがして気になっていました。
過去に読んできた本のなかでも、ヒトラー総統からお金や絵画プレゼントされたり、
グデーリアンが土地貰ったり・・という話もありましたが、
それが副題の「買収」に当たるのか、また「ナチス・エリート達」とはどのような人物
(国防軍の将軍連なのか、SS隊員、またはナチ党員)を指すのかが読み取れませんでした。
「総統からの贈り物」を貰ったことが、当時、或いは現在「罪」なことなのか?
と・・若干、本書のテーマを自分が消化できるのか、疑問に思いながらも読んでみました。

総統からの贈り物.jpg

「下賜金と贈与の歴史」という第1章では、1600年代の神聖ローマ皇帝や、その後のナポレオンが
功労のあった将帥や知人などに途方もない規模の下賜金授与を行い、
戦争によって「解放」された土地も領土して分け与えた歴史を解説します。
まぁ、これは日本でも戦国時代や江戸時代でも同じですかね。
武勲のあった人には、金○○両に100万石を与える・・というヤツですか。
そう思うと、実は歴史というものは、規模はどうあれ戦争によって土地を奪い合い、
勝利に貢献した人にはお金と土地、貴族などの称号や名誉が与えられるということが
繰り返されているだけのような気もします。
しかし第三帝国では勝利とは関係なく、ヒトラーによる個人的な下賜金がばら撒かれていた・・
ということになっていきます。

それまで大統領と首相に与えられていた自由裁量基金が1934年、助成金や贈与金、
名誉給付などの漠然とした名前で、総統であるヒトラーが自由に引き出せることが可能となり、
その仕事を一手に引き受けるのは内閣官房長ハインリヒ・ラマースです。
当初はナチ党の政権抗争時代の仲間や未亡人に褒賞金が配られ、第1次大戦中、
負傷したヒトラーを介護した元看護婦さんにも、月額200ライヒスマルク(RM)の年金を与えます。

Hans_Heinrich_Lammers.jpg

その前大戦の偉大な元帥に対してもヒトラーは援助を惜しみません。
前大統領でもあるヒンデンブルクの86歳の誕生日祝いに100万RM、
マッケンゼンにも公有地が下賜され、このような光輝あるプロイセン元帥がヒトラーから
大々的に、しかも有難く受け取ったことは、国防軍の将官たちの手本ともなるのでした。
しかしヒトラーからしてみれば、これは政治上の抱き込み工作であり、
特に「長いナイフの夜」で殺害されたシュライヒャーとブレドウ将軍が参謀将校団体
「シェリーフェン協会」に所属し、その会長がマッケンゼンであったことなど、
ヒトラーの当初の乱暴な政治をと国防軍の不満とを揉み消す狙いとしています。

August von Mackensen_hitler.jpg

1940年、フランスを電撃戦でやっつけると、一気に12人もの「元帥」を誕生させます。
これについてヒトラーは、「特別な功労があった者にはプロイセンの王たちも
大々的にやっていた大きな贈り物をすることで、賞賛を与えている人物に対する宣誓と
義務を負わせることになるのだ」と計画的な行動だったことを陸軍副官のエンゲルに語ります。

同じく空軍の副官を長く務めたフォン・ベローは、当時の首席副官だったホスバッハ
副官たちに毎月100RMの補助金を支給するらしい・・と打ち明けて、海軍副官プットカマーを加え、
3人の間で議論になり、ホスバッハは「ヒトラーから金を受け取るのは、将校の独立性の保持から、
自分の信念に反する」としたものの、フォン・ベローの意見は全く違います。
「金を受け取っても独立性の保持は可能だし、悩んだこともない。それにホスバッハは大佐だが、
自分は大尉で給料も安いうえ、総統付き副官の特別な衣装のために金も掛かるのだ」

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軍人だけでなく文官、党幹部に対しても誕生日(50歳、60歳、65歳、70歳)と称し
10万RM~60万RMの小切手が下賜金として送られ、同時に秘密保持も求められます。
バルバロッサ作戦で北方軍集団司令官としてレニングラード攻略を目指していたフォン・レープ
1941年9月の誕生日に25万RMの小切手を総統副官シュムントから手渡されます。

ちなみにこの25万RMは現在の日本円に換算すると約1億円・・ということで、
この後もクルーゲルントシュテットといった元帥たちのパターンも紹介され、
なぜかハルダーモーデルは受け取ったことがないとか、ロンメルもうまく断った・・、
ツァイツラーも返却した・・という証言もあるようですが、いずれも公文書が存在しないため、
貰った、貰わないは不明のようですね。

Ritter von Leeb.jpg

また、毎月の特別の「手当」が支給されることになり、本棒が2000RMの上級大将と元帥、
一人ひとりに無税の加棒として上級大将に2000RM、元帥には4000RMが・・。
う~む。本棒と同じか、倍以上の手当ですねぇ。。そしてこれも裁量基金からのものであるため、
いつでもヒトラーによって中止される可能性があるのです。
さらにゲッベルスは7400RM、ゲーリングはなんと2万RM・・まぁ、帝国元帥だからなぁ・・。
感じ悪いのは、このヒトラーの裁量基金を預かるラマース本人が、8000RMもお手盛りして
私腹を肥やしていたということで、最終的にはこの管理もボルマンに取られてしまいます。
こうなると総統ブンカーでのブルクドルフの叫びもやっぱり登場・・。

ヒトラー政権下の労働者賃金も紹介されていて、例えば女子の織工が月、80RMに対し、
強制収容所の未婚で25歳の女性看守の場合、185RMと高額・・。
そのためか希望者は年々、増加していったそうです・・。
そういえば「ナチ・ドイツ軍装読本」にも本書のような「手当」が書かれていましたねぇ。

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その他の代表例として、元外相ノイラートにリッベントロップ、ベルリン警視総監ヘルドルフ
SA幕僚長ルッツェ、ヒトラー専属運転手のケンプカや侍従長リンゲの下賜金パターンを紹介し、
ライプシュタンダルテの戦車野郎、マックス・ヴュンシェも結婚のお祝いに1万RMを頂戴・・。
ヴュンシェはもともと総統付きだったことがあるので、その縁なんでしょうね。

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武装SSの将軍ではゼップ・ディートリッヒが50歳の誕生日に10万RMを、
テオドール・アイケは同じく5万RM。。
SSだからって、国防軍より高い訳じゃないところがヒトラーらしい感じがします。
外国への政治家への贈り物もヒトラーの思うがまま・・。
スペインのフランコ将軍にはオフロード用ベンツ。
ムッソリーニには特別列車、ハンガリーのホルティ提督にはヨットを一隻・・。

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最後はカイテルグデーリアンの土地を含めたパターンを詳しく紹介し、一方で、
マンシュタインが下賜金を貰ったか・・については「不明である」ということです。

個人的には、中盤くらいで「こりゃ、ヒトラーに絡んでる人はほとんど貰ってるなぁ」と
思いながら、280ページの最後まで読み進めました。
まぁ、いずれにしてもお金の問題は難しいですね。。。
向こう(ヒトラー)から勝手に大金をくれるというのを断るのは、人間大変ですし、
内密に個人に渡してるといっても、それぞれお互いの元帥たちも知っていたんじゃないかって
気がしますし、「あいつが貰ってて、なんでわしにはくれんのだ?」と、
トップからの評価のひとつと考えていたようにも思えます。

また、何度か出てくる、「1943年のスターリングラード敗北後も・・」という表現も
逆に、敗戦を意識しだしたことで、敗戦国としての戦後の生活や、家族のためにも
お金や土地が欲しい・・という気が高まったとも考えられます。
実際、副官時代に断っていたホスバッハが1944年11月の軍司令官の際の誕生日には
5万RMを喜んで貰っているということからも、軍人として「清廉潔白」うんぬんではなく
その前に純粋な夫としての、或いは一家の主として当然のように感じるんですね。

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フォン・レープが「断っていたらどうなっていたか、わからない」という発言も本書では
「なにも起こらなかった」とあっさりと退けていますが、それは結果論ですし、
当時の彼らの立場(特に反ヒトラー派)からしてみれば、
「なにか悪いことが起こる可能性」も充分、考えられます。
そんなリスクを負うよりは、波風立てずに有難く頂戴しておくに越した事はありません。

よって、本書を読んだことで、グデーリアンを筆頭にほとんどの国防軍の将軍たち、
ヒトラーの副官に党幹部たちが給与以外の大金を貰っていたことが確認できましたが、
現代の日本人である自分にとっては、彼ら、それぞれのケースがどこまで「罪」なのか・・、
または「買収」されたのか・・ということは残念ながら、いま一つ理解できませんでした。



ヒトラー最後の十日間 [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ゲルハルト・ボルト著の「ヒトラー最後の十日間」を読破しました。

先月の「ヒトラーの最期 -ソ連軍女性通訳の回想-」を読んで気がついた、
未読だった有名なヒトラーの最期モノの一冊を紹介します。
著者のボルトは大戦末期、陸軍参謀本部の伝令将校を最後まで勤め
グデーリアンや、その後任のクレープスといった参謀総長や副官のローリングホーフェンと共に、
ヒトラーの地下壕でも作戦会議に出席していた人物です。
戦後、西側連合軍に捕らえられ、その際に書き記したものが早くも1947年に出版され、
後に、加筆されて発刊されたものが本書となります。
日本では1974年に出版された284ページの古い本ですが、ヤフオクで2500円也・・。
ちなみに訳者さんは、この世界で絶大な人気を誇る、松谷 健二氏です。

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まずは「私が帝国官房に入るまで」という章から始まります。
1918年、プロイセンのリューベック生まれの著者ボルトが音楽と良書、ボートと乗馬で
青春を謳歌した・・というくらいですから、良いトコのお坊ちゃんのようです。
しかし1933年、ヒトラー政権となると15歳になった彼はヒトラー・ユーゲントに入り、
やがてリーダー的な立場にもなりますが、自分の意見を持った「生意気な大口」が災いし、
1936年にはヒトラー・ユーゲントから去ることに・・。
翌年にはリューネブルク第13槍騎兵連隊に志願し、愛馬と共に訓練に勤しみますが、
1939年には落馬で大怪我を・・、そして直後にポーランド戦役が・・。

結局、初陣は1940年の西方戦役です。
偵察大隊に編入され、左胸に銃創を負い、戦傷章と2級鉄十字章を受章。
バルバロッサ作戦では、機械化工兵小隊を率いてバルト3国へ進軍。
1943年に騎士十字章を受章し、1944年にはハンガリー第1騎兵師団ドイツ軍連絡本部長に
就任しますが、この地に押し寄せるソ連軍の前にハンガリーからも撤退。
本国へ呼び戻された次の任地は、なんとラインハルト・ゲーレンの東方外国軍課です。
ちなみに下のチーム・ゲーレンの集合写真、2列目、左から3番目が著者ボルトです。

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ベルリン近郊、ツォセンの広大な松林のなかに一見、普通の民家のような外観の
巨大地下壕「マイバッハⅠ」と「マイバッハⅡ」があり、
それぞれに国防軍総司令部(OKW)と陸軍総司令部(OKH)が入っていて
その5番壕にはグデーリアン参謀総長が入っているなど、詳細に解説しています。
ゲーレンの印象は「軍服を着た教授」というもので、洗練された尊敬すべき上司。
こうして彼と共に不慣れな情報将校としてソ連軍の情報収集に明け暮れます。
いや~、この章は後から書かれたものだそうですが、ビックリするくらい面白いですねぇ。

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ゲーレンのチームがどのように情報収集し、それを整理/分析して、グデーリアンに提出するか、
勤務状況や会議の開始時間など、すべてはヒトラーへの報告時間が基準になっていて
また、気ままな総統に振り回されたりと、現場の視点で解説・・。
例えば、完璧な資料を持参するも、それにはヒトラーが目もくれなかったことから、
帰ってきたゲーレンは打ちのめされていた・・・。

3ヵ月程度過ぎた1945年1月、今度はグデーリアン参謀総長の首席伝令将校に任命されます。
3軍の戦況会議に初めて出席し、ヒトラーにも紹介されることになった彼は大型のメルセデスで
グデーリアン、そして副官のベルント・フォン・フライターク・ローリングホーフェンと共に
すでの壊れかけた新帝国官房へと向かいます。

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会議の様子も作戦部長ヨードルが説明する西部戦線だけで4ページも書かれ、
次にグデーリアンが東部戦線の状況をハンガリーから順にヒトラーに説明します。
戦略的なものがすでになくなった空軍は、突然「ゲーリング、新型戦闘機は?」と問われ、
全員でうろたえる程度・・。最後にグデーリアンと共同戦線を張っているデーニッツが
孤立しているクーアラントからの部隊の海上撤退を進言します。

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ある戦況会議の際にボルトが地図を準備しますが、ハンガリーの地図から始まり、
クーアラントで終わるという順番を逆に重ねてしまうという失態・・。
彼曰く「死罪に等しいもの」という大チョンボのまま、会議が始まってしまいます。
ハンガリーの戦況について説明を始めるグデーリアンは途中で口をつぐみ、睨みつけると、
ヒトラーも彼を見上げ、退屈気に椅子へもたれて・・。
なにやら意味不明な言い訳を呟き、床に沈みそうになるボルト。。
しかし一同が重大犯人であるかのごとく見つめるなか、慰めの言葉をかける救世主が・・。
海軍総司令官たるデーニッツがにっこり笑い、地図の山を持ち上げ、「重ね直しなさい」

ここからは激しさを増す東部戦線の模様を、上司グデーリアンvsヒトラーの様子も織り交ぜながら
語りますが、さすが参謀総長の首席伝令将校だけにその内容はかなり濃密です。
あのライネフェルトSS中将が司令官の包囲されたキュストリン要塞への突破作戦も
総統随伴師団ミュンヘベルク装甲師団などによる攻撃が失敗に終わったと
ヴァイクセル軍集団のハインリーチから報告を受けたグデーリアンがどんなにガッカリしたか・・。

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3月後半にはそのグデーリアンも大バトルを演じた末、遂に罷免されてしまいますが、
ボルトが最も感銘深かったとして、第2軍司令官の任命式のためにヒトラーの元を訪れた
フォン・ザウケンのエピソードを挙げています。
会議後現れたザウケンは、7/20事件以降定められた「ハイル・ヒトラー」と腕を挙げた敬礼もせず、
預けるべき騎士サーベルに左手を当て、モノクルまで付けたまま、浅く身を屈めて挨拶するという
3つの大罪を犯してしまいます。
これにはグデーリアンとボルマンも「嵐の到来」を予感し、石のように立ちすくみ・・。
ヒトラーの挑発的な視線を伴った話にも、エレガントなザウケンは、「我が総統」ではなく
「ヒトラー殿」と反論する暴挙・・。しかしヒトラーは爆弾を落とすこともなく「よろしい・・」

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しかしこの「ヒトラー最後の十日間」ですが、特に最後の十日間に限定したものでもありません。。
原題も「ヒトラー:総統官邸最後の日」という感じですし、なんでこんな邦題になったのか・・?
気になって調べてみると、1973年に英/伊合作の「アドルフ・ヒトラー/最後の10日間」
という映画が作られていて、原題も「HITLER: THE LAST TEN DAYS」。
そして、本書はこの映画のネタ本になっているということでした。
この日本未公開の映画でヒトラーを演じるのは「サー・アレック・ギネス」です。
「戦場にかける橋」の主役やスター・ウォーズの「オビ・ワン・ケノービ」を演じた名優ですね。 

alec guinness hitler the last ten days.jpg

ついでに「ヒトラー 最期の12日間」はどうだったか・・というと、やっぱり原著にも、
映画の原題にも「12日間」という日数はなく、本の内容も確か「14日間」だったんじゃ・・。
う~ん。今から思うと、誰がこのタイトル考え付いたんでしょうかね。。

後任の参謀総長クレープスに慰留されたローリングホーフェンとボルトのコンビ。
年齢や階級は違うものの、これからは親友のような関係となっていきます。
4月20日にもなるとソ連軍のベルリン作戦が本格化し、危険になった「マイバッハⅠ」と
「マイバッハⅡ」もヒトラーの反対を押し切って移転。
総統ブンカーの一つの部屋で、参謀総長チーム3人での共同生活が始まります。
希望の星であるヴェンクの第12軍は「クラウゼヴィッツ」に「シャルンホルスト」、「ポツダム」、
「シュラゲーター」と名前はカッコいいものの、大半は書類上の師団でしかありません。。

そしてシュタイナー軍集団がぜんぜん反撃をしていないことを知ったヒトラーは
「カイテル、ヨードル、クレープスは残れ」と言って、最大級の怒りを爆発させます。
その様子もなかなか詳しく書いていますが、まぁ、この場面を読むと、
どうしても「総統MAD」のあのシーンを思い出しますね。「畜生め~!」

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その後も、シュタイナーにオラニエンブルク北方の攻撃を・・とブルクドルフがウッカリ言うと、
「自惚れ屋で退屈でグズのSSか。あいつは使えん。シュタイナーが指揮を取り続けるのは許さん!」
と、ヒトラーは息巻いてます。。

himmler-steiner.jpg

絶望的な雰囲気が漂い始めた総統ブンカー。
それまで、国防軍将校に対して冷たい態度を取っていたヒトラーの護衛のSS隊員たちは、
突如として友情の権化と化し、「どうでしょう、いつヴェンクがベルリンに?」、
「我々は西へ血路を開きますか?」と質問攻めです。
ベルリン各区からの戦況報告も、もはや当てにならず、電話帳から選んだ適当な番号で
望みどおりの成果を得ます。
「すみません、奥さん。ソ連軍はもう来ましたか?」

ブルクドルフが「あんた方の贅沢な生活と権力のために彼ら若い将兵が死んでいったのだ!」と
ボルマンに対して叫んだり、ヴァイトリンクハンナ・ライチュといったお馴染みも全員登場。
ボルトが直々にヒトラーにベルリンの戦況を報告している際にも重砲弾による振動が・・。
異様な目つきで報告を中断させ「どうだろう。どのくらいの口径で撃ってきてると思うかね?
ここまで貫通するだろうか?君は前線将校だから、知っているハズだが!」

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そして4月29日の朝、ローリングホーフェンに起こされ、ヒトラーとエヴァの結婚を知らされます。
思わず2人でゲラゲラ笑うと、カーテンの向こうからクレープスの断固たる声が・・。
「気でも狂ったのか、総統を笑いものにするとは!」
この最後の最後に、彼らはベルリンを脱出してヴェンクに連絡をつける・・という計画を策定し、
クレープス、そしてヒトラーにもなんとか了承されます。
こうして、いざ決行のとき・・。

Gerhard Boldt was one of the last men in the Berlin bunker in 1945.jpg

実に楽しく読み終えて、当初想定していた内容である「ヒトラー最後の十日間」は
後半の100ページでしかありませんでしたが、それより、なんと言っても
前半から中盤にかけての、ゲーレンやグデーリアンの元での仕事っぷりが
良い意味で期待を裏切る、すごい面白さでした。
よって、実のところ本書は「ヒトラーの最期」モノというジャンルに特化したものではなく、
「最後の参謀本部将校の回想録」というのが正しいですね。

現場での個人の回想という意味では、ミッシュ著の「ヒトラーの死を見とどけた男」もありますが、
まぁ、ちょっと彼とはレベルが違うというか、一介の電話番のSS兵のミッシュとは、
ヒトラーの死を目撃していないだけで、比較にならないほどの濃い内容です。
実際、ヒトラーとも直接絡んだりしてますし、また、彼が大のSS嫌いなのが
端々から伝わってくるのも、回想録らしくて面白かったですね。
ひょっとしたら「友情の権化と化し」たSS兵にミッシュも含まれていたのかも・・。

過去に読んだかなりの本のネタになっていると思われる本書ですが、
次はローリングホーフェンの体験がネタにもなっていると云われている
トレヴァ=ローパーの「ヒトラー最期の日」を予定しています。



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