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ポーランド電撃戦 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山崎 雅弘 著の「ポーランド電撃戦」を読破しました。

ドイツ軍名将列伝」の著者によるポーランド戦争を描いた本書は
450ページというなかなかなボリュームと「電撃戦」の文句に惹かれて購入しました。
この「電撃戦」というものは、やはり以前にレン・デイトンのを紹介しましたが、
そこでは「フランス戦役のみが電撃戦であった」と結論付けていたこともあり、
ポーランド侵攻作戦が果たして「電撃戦」だったのか・・、本書の見解は如何に・・。

ポーランド電撃戦.JPG

前半は、10世紀頃のポーランド原形となるポラーニ国の歴史から始まり、中世~18世紀、
東西の大国、ロシアとプロイセンに領土をむしり取られていく宿命、
そして第一次大戦とその後の独立までが予想以上に丁寧に書かれています。

自由都市ダンツィヒの帰属を求めるヒトラーと実質的に管理下に置くポーランド。
多くのドイツ人も住むこのダンツィヒにSA参謀長のルッツェが訪れて大歓迎されたり、
すでにドイツに吸収されたオーストリアやチェコスロヴァキアの運命を目にしている
ポーランド国民が、過去の領土割譲された記憶から、この問題に反対していたことなどが
解説され、英仏に助けを求める外交政策と、そのポーランドを守る必要のある英仏の政策。
それはドイツにとって東の側面が安定すれば、間違いなく自分たちの西へ攻めて来るだろう・・
というのが理由です。

Picture card Danzig is German 1939.jpg

ドイツでもゲーリングなどが独自に戦争回避の道を探りますが、
1939年8月「独ソ不可侵条約」が締結。
通称「ルントシュテット作業班」・・・マンシュタインブルーメントリットゲーレン
作戦参謀チームが作成したポーランド侵攻がいよいよ始まります。

しかしその前に、まず、両国の戦力比を表をもって詳しく解説します。
もう本書の半分を過ぎているのに、なかなか「電撃戦」は始まりません・・。

ポーランドは将校団が保守的であることから伝統的な騎兵が主役です。
しかし戦車もそれなりの数を揃えていたようですが、最も多い国産の偵察戦車
「TK3」と「TKS」という2人乗りで装甲も薄い、別名「豆戦車」というもの。

TKS tankette.jpg

280ページから「ダンツィヒの戦い」がやっと始まります。
ここでは陸上からの攻撃以外にシュトゥーカ急降下爆撃機も早速活躍しますが、
ダンツィヒ湾に面した運河から「シュレスヴィヒ=ホルシュタイン」という
ドイツ海軍の練習艦がポーランド軍の兵営に対して艦砲射撃を行ったという
話がとても興味深く、ポーランド戦に海軍が参加していた話って何かに書かれてたっけ??

German drill ship Schleswig-Holstein opens fire on the polish bunkers at the Westerplatte, a woody peninsula near Danzig.jpg

全てが自動車化、または装甲部隊ではないドイツ陸軍。
ポーランド領内に侵攻する歩兵部隊に精鋭のポーラント「槍騎兵」部隊が襲い掛かります。
このサーベルを抜刀しての騎馬突撃の前にドイツ軍は蹴散らかされるものの、
増援の装甲部隊が到着すると形勢は一気に逆転。
鋼鉄の鎧にはまったく歯が立たない騎兵は連隊長も戦死し、
大損害を受けながら東へ退却して行きます。

The Polish cavalry rides out to meet the armies of the Third Reich in 1939.JPG

このようなドイツ装甲師団は通常「第○装甲師団」といった番号が付与されますが、
「ケンプフ装甲師団」という特別編成の師団が登場してきます。
第7戦車連隊とSSドイチュラント歩兵連隊、SS砲兵連隊といった
陸軍と武装SSの混在編成という非常に珍しい部隊です。
また、師団長のケンプフ少将は、なぜかこのような正規の編成ではない部隊を率いていますねぇ。
後のロシア戦線などでも「ケンプフ軍支隊」を率いていましたし、
実は昔、カレル本で覚えた最初の将軍の名は、このケンプフとホリトだったりします・・。

Werner Kempf.jpg

ポーランド軍は計10本の装甲列車を持っており、本書では以前に紹介した
「シミャウィ(勇者)」号ラインハルト中将の第4装甲師団にも立ち塞がります。
最終的にはソ連に鹵獲されたようですが、その後はドイツ軍の装甲列車として
1944年も戦ったんですね。まさに運命に翻弄される「装甲列車」です。

Śmiały.jpg

表紙も飾るグデーリアンの第19軍団の戦いも紹介されながら、遂にワルシャワを包囲。
南の友好国、ルーマニアへの脱出をも図るポーランド政府と残存部隊・・。
そこへ西からソ連軍がドイツ軍を上回る規模で侵攻してきます。
これを英仏の要請を受け、ポーランドを助けるための来援と思い込んだ
ポーランドの上層部の人間もいたそうです。

German Army invades Poland, September 1, 1939.jpg

この新たな敵に対しても数日間、頑強に防衛したポーランド軍ですが、
結局は、各地で独ソの部隊が手を繋ぎます。
ドイツ軍の占領していたブレスト要塞もグデーリアン出席の元、ソ連に引き渡され、
ワルシャワも陥落・・。ヒトラーも出席しての戦勝パレードが盛大に執り行われます。

Guderian and Krivoshein, joint parade, Brest '39.jpg

ドイツとポーランドの緊張状態。英国、フランス、ソ連の3カ国の政治的傍観姿勢。
そしてポーランドがドイツ軍によって侵攻され、これによって第二次大戦が始まっていく過程を
著者は知識の無い人でも理解しやすく、かつ興味をもってもらうことを目的としているということで、
「電撃戦」についてもあとがきで「ポーランド戦争は後の電撃戦の試験的なもの」であった
としながらも「あえて『ポーランド電撃戦』というタイトルとした」と述べられています。

A father and daughter share a stretcher at a Warsaw first aid station 1939.jpg

これは純粋な読み手と買い手としての意見を言えば、はっきり言って「タイトルに偽りあり」です。
副題もなく「ポーランド電撃戦」であれば、1939年8月から10月くらいまでを濃密に
描いたものであり、「電撃戦」であったと結論付けている・・と想像してもおかしくないでしょう。

実際、ポーランド戦についてあまり詳しくない自分にとって、
後半の「戦記」部分は非常に楽しめましたし、
前半から中盤にかけてのポーランドの歴史や各国の思惑なども勉強になりました。
ですが、さすがに半分ぐらい読み進むと、知っている話も出てくることで「まだかまだか」とイライラ・・。
内容自体は良いものですが、やはり、この内容なら別のタイトルにして欲しかったですねぇ。

Hitler views the victory parade in Warsaw 1939.jpg

そういえば、学研のポーランド電撃戦 (欧州戦史シリーズ )というのも何年か前に読みました。
このシリーズはほとんど持っていますが、確かに文章の書き方など、似た感じもします。
今度、ちょっと読み返してみますか・・。

2010年の「独破戦線」はこれにて終了です。
相変わらず、納得できるレビューが書けませんが、来年も精進いたします。
それでは皆さん、良いお年を・・。





ナチス裁判 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

野村 二郎 著の「ナチス裁判」を読破しました。

元朝日新聞の司法記者という経歴の著者が関係者に自らインタビューも行い、
1993年に発刊された、戦後のナチス裁判について調査をした1冊です。
このナチス裁判ということでは以前に「ニュルンベルク・インタビュー」を紹介していますが、
本書は戦後の西ドイツを中心に、ヨーロッパ各国がナチス戦犯に如何に取り組んだのか・・や
その告発された被告の責任というものにも、言及しています。

ナチス裁判.png

前半は戦後の西ドイツ、1958年に「ナチス犯罪追跡センター」が設置され、
司法省から15人の検事が派遣、80人のスタッフと共に活動を始めるものの、
「いまさらナチスを裁く必要があるのか」と火炎瓶までが投げ込まれるといったまりさま・・。
そして1965年には初代所長のシューレ検事が「元ナチ党員である」とソ連から告発され、
辞任に追い込まれるといった苦難の時を紹介します。

終戦から20年が経ち、証人の証言もマチマチ・・、犯罪の立証も困難となったことで、
有罪率も低下します。するとこの東西冷戦時代もあいまって
ナチス・ドイツの被害国であった東欧諸国からは「西はもうナチス追及をやめたいのが本音だ」と
激しい非難を受けます。

The Malmédy Massacre Trial.jpg

そして2回の時効を延長してきた西ドイツは1980年、ナチス犯罪も含む時効の廃止を議決。
それでも「戦場で上官の命令に従っただけの一般兵士に対し、
その責任を追及するのには無理がある」や
「ナチス犯罪はナチス政権という特異な時代の産物であり、
30年経って裁判をしても意味がない」という声も・・。

中盤は本書のメインとなる「被害国による峻烈な処罰」の章で、
ポーランドではアウシュヴィッツ絶滅収容所の所長、ルドルフ・ヘース
ワルシャワ・ゲットー蜂起で悪名を馳せたユルゲン・シュトロープ
死刑を執行されるまでを紹介します。

hoess6.jpg

特にポーランドの作家、モチャルスキーが冤罪により10年を超える拘置生活で
同刑務所に収容されていたシュトロープとの会話をまとめた本こそ、
有名な「死刑執行人との対話」であるということを初めて知りました。
早速、amazonで購入! ちなみに古書で¥600でした。

JurgenStroop_b.jpg

チェコスロヴァキアや旧ソ連、1万人以上を有罪にし100人以上を処刑した東ドイツ、
そしてオランダと続き、
オーストリアではマウトハウゼン強制収容所が1945年、米軍によって解放される直前、
収容者が決起し、逃げ出そうとする収容所幹部を捕えて、針金で絞首刑にした話・・。

フランスはポーランドをも凌ぐ10万人とも言われる処刑を行ったようです。
これらは戦争終結前後にレジスタンスなどによって行われたもので、
数字には諸説あるものの、いわゆる対独協力者も多いようです。
もちろん、「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビーについても触れられています。

Klaus Barbie.jpg

温情を見せるイタリアでは「マルツァボット虐殺」の下手人、ヴァルター・レーデルSS少佐が
終身刑を受けたものの、28年間服役した後、1985年に釈放されたという話と、
「アルデアティーネの虐殺」を指揮したローマのゲシュタポ長官、
ヘルベルト・カプラーSS中佐も登場。
1977年、胃ガンのため、陸軍病院に収容されていた48キロに痩せ細ったカプラーを
夫人がトランクに入れ車で西ドイツまで運び去った・・・。

Herbert Kappler (left).jpg

マルティン・ボルマンの噂についても触れていて、1958年にボリヴィアで農園を経営、
1972年にはコロンビアにいるとかの未確認情報。 そして1973年には
フランクフルト地検が「ブランデンブルク門近くの鉄橋で自殺した」と判断しています。

デーニッツシュペーアらが収容されていた有名なシュパンダウ刑務所。
1987年、93歳のかつての副総裁ルドルフ・ヘスが「自殺した」と発表されます。
遺族が疑問を投げかけ、遺体は解剖されますが、これにも陰謀説や暗殺説がありますね。

hess1985.jpg

後半には3人の「ナチ・ハンター」、アイヒマンやシュタングル逮捕の功労者で有名な
ヴィーゼンタールらが取り上げられます。

Adolf Eichmann.jpg

そして最後には東西ドイツの統一後、の特異な裁判が・・。
かつて東側からベルリンの壁を越えて西側に脱出しようとした市民を射殺した
東ドイツ国境警備兵の裁判です。
「国境警備の武器使用は国際法で認められている」ものの、その有罪判決では
「上官の命令に従ったとはいえ、人間的良心を放棄することは許されない」というものです。

1992年から始まったこの種の裁判の焦点はやはり、「ナチス裁判」と同様、
「命令に服従」したことが犯罪なのか・・という問題です。
不当な命令に服従するか、しないかは最終的に個人が「人間的良心」から判断し、
責任を負わねばならない・・ということが明確になったとしています。

East German guards watching over the Berlin wall 1965.jpg

なにか司法の専門家が書かれたものだと難しくなりそうな感じですが、
本書は著者が直接関係者から聞きだした話だったり、また、それらが様々な意見であること、
230ページのボリュームながら、ある意味バラエティに富んだ内容でもあり
かなり勉強になりました。
個人的には重要な人物や裁判にもっと焦点を当てて、
倍ぐらいのボリュームがあっても良かったくらいです。



突撃砲兵 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

フランツ・クロヴスキー著の「突撃砲兵」を読破しました。

以前に紹介した「ヘルマン・ゲーリング戦車師団史」の著者による、
突撃砲独立大隊興亡史といえる内容の1冊で
1935年にフォン・マンシュタインによって歩兵支援の装甲化自走砲として提言された
この兵器が紆余曲折の末、開発され、歩兵の守り神として全線戦において活躍し、
最終的に1945年の終焉を迎えるまでが詳細に描かれています。

突撃砲兵.JPG

まずは戦車との違い、回転する砲塔を持つ戦車と違い
多少の俯角はつけられるものの、相手に正面を向いて砲撃する突撃砲は
それゆえ防御のため、前面装甲を厚くし、車体も低くすることが条件となり、
結果的に乗員の数も戦車の5名に対して、4名、また、車長とは言わず、砲長と呼ぶそうです。

Sturmgeschutz Battalion Advancing toward Stalingrad.jpg

これは兵科の違いも大きくあり、戦車科ではなく、砲兵科に属する突撃砲は
そのユニフォームも前はダブル仕様ですが、黒ではなく、フィールドグレー、
襟章などのバイピングも砲兵の赤を使用します。

そして1940年前半、砲兵教導連隊に突撃砲中隊が配属されると、
いきなりフランツ少尉が登場。「おっ!」と思って読み進めると
やはり彼は後にグロースドイッチュランドで柏葉騎士十字章を受けることになる
ヴィトゲンシュタインの好きなペーター・フランツでした。

Peter Frantz GD.jpg

本書はフランス戦役、バルカン戦役、ほとんどを占めるロシア戦役は年毎に、
また軍集団毎に細かく、その突撃砲大隊の戦いが出てきます。
数ページ毎にクリアーな写真が出てくるのが救いですが、結構、シンドイ展開なので
好き嫌いは分かれますね。

それでも楽しい回想というか、報告もあり、例えばユーゴでは
発電所が破壊されて町の冷蔵庫も停電となったことから、
ここの所長は冷凍されていた1万羽のニワトリを形式的な受け取りだけで、
ドイツ軍兵士たちに提供。どの突撃砲もこのニワトリを携行し、大いに役立つものの、
後にロシアの奥深くでこのときの請求が「非友好的」な計算書で届き、
部隊の上級主計長が頭を抱えた・・。

sturmgeschutz inside interior.jpg

バルバロッサ作戦で中央軍集団に配属された第191突撃砲大隊の指揮を取る
ギュンター・ホフマン・シェーンボルン少佐は本書のなかでも特別に印象に残ります。
「韋駄天」と呼ばれた活躍で、柏葉騎士十字章も授章。その後も頻繁に登場し、
突撃砲学校の校長を勤めるという、まるで突撃砲兵の父のような雰囲気です。

Günther Hoffmann - Schönborn.jpg

ここから始まる東部戦線の戦いは有名な戦役が目白押しです。
セヴァストポリも一次と二次、デミヤンスクとホルム包囲戦、
ハリコフ戦役からスターリングラードではいくつかの突撃砲大隊が全滅。
ツィタデレ作戦水牛作戦と1943年までが上巻で紹介されます。

Cholmschild.jpg

本書では頻繁に、「1級鉄十字章や騎士十字章を授与された」という記述が出てきますが、
その中間に位置する「ドイツ黄金十字章」の授章記録以外にも
なかなか記述された本は少ない「武勲感状徽章」にまでしっかり触れられています。
この「武勲感状徽章(Ehrenblatt Spange des Heeres)」は、
「陸軍名鑑章」などとも訳されますが、位置づけ的には
ドイツ黄金十字章と騎士十字章の間ということです。
空軍、海軍にも各々ありますが、胸ボタンの2級鉄十字章のリボンに装着するようですね。

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○○シュミット大尉や△△ベルガー少尉といった名の数多くの突撃砲兵たちが
入れ代り立ち代り登場し、その多くは1回出てくるだけ・・なので、
その名をいちいち覚える必要はありませんが、
「ガッターマン」という中隊長が出てきたときだけは、凄い名前だなぁ・・と
暫く頭の中で子供の頃に良く見た、2つのアニメ・ソングが流れていました・・。

Stu.H.42 Ausf.G Zėlovo aukštumose, 1945.jpg

下巻では防御一点張りとなった突撃砲の戦い・・西部戦線、チェルカッシィ
包囲されたクーアラント軍集団での突撃砲の戦いも出てきます。
ここでは糊の利いた「KURLAND」のアームバンドを受領する場面が・・。
しかし、このカフタイトル・・近ごろ流行のノルディック柄ですね。お洒落です・・。

Ärmelband Kurland.jpg

途中、回転砲塔を持たないフェルディナンド(エレファント)やブルムベアが出てきますが、
これらは駆逐戦車、突撃戦車と呼ばれ、兵科も戦車科であることから
本書の対象外とされています。

Brummbar_Sturmpanzer IV.jpg

しかし、兵器生産量の低下により突撃砲部隊にⅣ号駆逐戦車が補充されたりもしたそうで、
これら突撃砲と駆逐戦車の割合によって「駆逐戦車大隊」などへ変更していったようです。

また、個人的にはティーガー戦車で活躍する前の突撃砲兵ヴィットマンなどが
出てくるのも楽しみにしていましたが、装甲師団内で編成されている突撃砲中隊も本書では
触れられていません。よって武装SSの部隊も一切なし・・。ちょっと残念でした。

wittmann_Stug III.jpg

当初の短身砲から長砲身へと進化していく突撃砲の、
兵器としての解説は最初の章に述べられているだけなので、
突撃砲のそのような内容を求める方には不向きな内容かもしれません。

司令部に戻ってみると、そこが20名ものロシア兵に占領されていて、
友好的な態度でタバコを勧め、なんとか窮地を脱したという「雪の中の軍曹」ばりの話もあったりと、
突撃砲マニアでなくとも楽しめる部分もありますが、
よほど心してかからないと、かなり大変な1冊(2冊?)です。





1945年のドイツ 瓦礫の中の希望 [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

テオ・ゾンマー著の「1945年のドイツ 瓦礫の中の希望」を読破しました。

最近、購入した本書はいわゆる「最終戦」や「ベルリン攻防戦」をテーマにしたものではありません。
個人的には帯に書かれている「ドイツが降伏したとき、私は14歳だった」に惹かれて
少年の眼から見た、終戦の記録・・的なものと勝手に想像していました。
しかし、これも完全な間違いで、実は1945年の1年間をテーマに
ドイツの敗戦、そして勝者によって無慈悲に分割されていく「ライヒ」。
それにもちろん、当時のドイツ市民が瓦礫の山のなかでどのようにして生きていたのか・・と
遥か遠く、日本でも終戦を向かえる過程もかなり詳しく書かれている
ドイツ人ジャーナリストによる1冊です。

1945年のドイツ.JPG

まずは著者の14歳当時の生活が簡単に語られますが、
アドルフ・ヒトラー学校の生徒として兵器工場に動員され、V2ロケットの操縦装置のネジを締め、
午後には山岳兵に混じって、突撃兵になるための訓練を受けるというものです。
そして1945年春に彼は「特命」を受け、仲間2人と首都ベルリンに向かうことになりますが、
この「特命」とは、バイエルンでのゲリラ戦争・・いわゆる「人狼部隊」の活動のことです。

結局はソ連軍の迫るベルリンに辿り着くことが出来ず、終戦までを
小屋に隠れて過ごすことになったそうですが、
充分興味深い、このような話は、あくまで彼の経歴のひとつとして紹介されているだけで、
これから本文が始まります。

BERLIN  1945 _1.jpg

1944年の秋から1945年の1月にかけての東西戦線の様子が解説され、
すなわち、バルジの戦いが失敗した西部、ソ連軍の大攻勢が始まる東部戦線です。
それらの連合軍の進撃に伴い、解放されて行く収容所・・アウシュヴィッツしかり、
ブッヘンヴァルトダッハウ、ベルゲン・ベルゼンでは6万人が開放されるものの、
ほとんどが「生きる屍」の状態であり、蔓延しているチフスにより、その半数が死亡・・
その中には、アンネ・フランクの名も・・。
さらにマウトハウゼンでは恐ろしい事態が・・飢餓が多くの拘留者をカニバリズムに駆り立てて・・。

anne_frank.jpg

しかし、このような強制収容所に代表されるような残虐性と非道性は、ドイツだけではなく、
続いて行われた東プロイセンでのソ連軍の蛮行が紹介されます。
避難民の群れの中にT-34が驀進し、馬と人が引き倒されドロドロのお粥のような状態で
転がっていた・・。
12歳の少女も強姦され、手を扉や大八車に釘で打ち付けられた裸の女性・・。

BDM girls.jpg

そのソ連軍がドイツの占領地域で略奪と強姦を働いていた頃、
英米軍は未占領地域を空から強姦していた・・、すなわち無差別爆撃です。
ハンブルク、ケルン、ドレスデンが廃墟と化し、英爆撃機司令官アーサー・ハリス
3月末には、爆撃目標がなくなってしまったことを嘆く一方で、
チャーチルは「我々は動物なのか・・」と自問しています。

hist_us_20_ww2_pic_dresden_streetcar.jpg

ベルリンの戦いもダイジェスト的にヒトラーと国防軍の最後の様子から、
最近発刊された匿名の日記・・「ベルリン終戦日記」のことだと思いますが・・、も取り上げ
恥辱にまみれ、数百人の女性が自殺した・・などの話も多数出てきます。

第4章は「戦争を継続する日本」です。
栗原中将の新戦術・・「バンザイ突撃」を禁止し、「10人の敵を殺して死ぬことを義務とする」という
硫黄島での壮絶な戦いの記録から、それ以上の犠牲者を出した沖縄戦・・。

「生きて還ることなかれ。君たちの任務は確実に死ぬことにある。死を選び、最大の戦果を達成せよ」
という神風特攻隊の最重要命令が紹介され、彼らの多くが20歳も超えておらず、
充分な訓練も終えていないことなど、9.11の世界貿易センターへ飛行機ごと突っ込んで行った
アル・カイーダのテロリストと同じである・・と書いています。
日本人からすると賛否がありそうですが、客観的に見れば確かにそうかも知れませんね。

plane 9.11.jpg

ドイツ国内だけではなく、チェコスロヴァキアなどの占領地も解放され、
立場の逆転によってドイツ系住民が暴行を受けたり、迫害されたりと困難なときを向かえます。

また、1930年生まれのヘルムート・コール元ドイツ首相の体験談・・、
ヒトラー・ユーゲントのユニフォームを着ていた彼らが収容所から出てきたポーランド人に暴行され、
米軍によって救出された話なども興味深いものでした。

Russian President,  Helmut Kohl and US-President.jpg

7月には、連合軍による「ポツダム会談」が開かれ、ドイツ分割とポーランド問題などが
「ヤルタ会談」に続き、連日行われます。
そのとき、米国ニュー・メキシコ州では原爆の実験が成功し、インディアナポリス号
「リトルボーイ」を輸送中・・。3発目の「ファットマン」も用意されています。

nagasaki-bomb-fatman.jpg

しかし、未だ原爆の及ぼす効果にも疑問符が付くことから、トルーマン大統領は
1945年11月1日に九州を攻撃する「オリンピック作戦」と
1946年3月1日に東京湾に上陸する「コロネット作戦」も計画しています。
このような話はまったく知りませんでしたが、本書によると
日本本土での戦いとなった場合、予想される米軍の戦死者は最低でも30万人であり、
100万人でさえ最大数ではなかったということです。

荒廃したドイツ国内では各国の占領軍によって様々な嫌がらせも起こっています。
例えば、フランスの占領地域では、ドイツ人が自転車に乗ることが禁止され、
押して歩かなければならなかったり、
アメリカの占領地域ではビールの醸造を禁止する命令が出されたり・・。
それでも「南ドイツ新聞」は、ヒトラーの「我が闘争」を印刷した鉛の組み版を溶解し、
それを植字にして最初の紙面を印刷するという、過去からの脱却を試みています。

1945 berlin kids.jpg

そして「瓦礫の中の希望」のタイトルどおり、シュトゥットガルトでは「破片の山」、
ベルリンでは「ガラクタ山」と呼ばれた瓦礫を片付ける中心となっているのは、
伝説となっている「トリュマーフラウエン」(瓦礫婦人)です。
1945年、戦死したり、捕虜となっていた男性よりも730万人も多かった女性は
いまや身を粉にして家族を養い、ドイツ人があの困難な時代を乗り切ることが出来たのも
彼女たちのおかげであると断言しています。

A Soviet soldier uses a German officer’s dagger to cut bread given to German women in post-war Berlin.jpg

最も考えさせられたのがオーストリアの運命です。
1938年にヒトラーによって「併合」されたオーストリアには、戦時中「60万人」の
ナチ党員がおり、重要な役割を果たしていたにも関わらず、
連合軍よって「占領」されず、「開放」された・・・。
これはオーストリアがヒトラーの拡張政策の最初の犠牲者とみなされたことによる
「神話」であるとしています。
確かにSSでも「デア・フューラー連隊」やスコルツェニーカルテンブルンナーなどは
オーストリア人ですし、もっと言えば、ヒトラーにしてもそもそもは・・。



武装親衛隊 -ドイツ軍の異色兵力を徹底研究- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

広田 厚司 著の「武装親衛隊」を読破しました。

最近、似たようなタイトルの本を独破したばかりですが、今回は仕事帰りに
立ち寄った本屋で偶然見つけた、10月に発売されたばかりの「武装SS」モノです。
著者は聞き覚えがあるなぁと思って帰ってきてから調べてみると
ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」の著者ですね。
本書は文庫ですが、500ページの書き下ろしで、帯にも書かれているとおり、
多数の写真も掲載し、広い視点から武装SSを解説したものです。

武装親衛隊.JPG

まずは、SSモノではすっかり定番である、ナチ党とヒトラーの台頭、そしてSAと国防軍、
レーム殺害と、SSが組織として発展していく様子。そしてヒトラー護衛隊として発足した
ゼップ・ディートリッヒの「ライプシュタンダルテ」。
それに平行してアイケの収容所監視兵「髑髏部隊」が武装SSとなっていく過程・・。
もちろん、SS-VTを仕切るパウル・ハウサーも詳しく紹介されています。

Hausser2.jpg

その後もSS連隊として初陣となるポーランド戦、そしてフランスの電撃戦。
ギリシャ戦役から東部戦線へ、1944年には再び西部戦線で消耗し、
ベルリン攻防戦での終局までがダイジェスト的に書かれています。
有名な戦いや逸話も多く、また、2ページに1枚の割合で写真も出てくるので、
武装SS初心者の方でもなかなか楽しめるんじゃないでしょうか。

武装SSの組織も詳細に解説されていて、本部長ゴットロープ・ベルガー
アーリア人によるエリート部隊から、異教徒、ロシア人なんでもありの徴兵ぶりもさることながら、
本書では、SS作戦本部長であり、SS予備軍司令官、
そして武装SSに関するヒムラーの代理を務めたハンス・ユットナーが何度も登場し、
彼もまたヒムラーの思想とは違うことを知ることが出来ました。

Hans Jüttner.jpg

次の章では、武装SSの軍装などが紹介されます。
各師団のマーキングやカフタイトルも写真付きで紹介され、
このような独特な軍装や襟章などに、まず興味がある方でもなかなか楽しめます。
特に襟章の解説ではクリスチャン・タイクゼンSS大尉とオットー・ヴァイディンガーSS中尉が
ツー・ショットでモデルになっている?という素晴らしい写真もありました。

Sylvester Stadler - Hans Weiss  - Christian Tychsen - Otto Kumm - Vinzenz Kaiser - Karl-Heinz Worthmann.jpg

後半は、エリート師団を取り上げて、その師団史と共に師団長にもスポットを当てています。
ただし、「ライプシュタンダルテ」では前半活躍したクルト・マイヤー
ノルマンディ攻防戦では、戦死したヴィット師団長に代わって臨時師団長を務めた・・・など、
第12SS師団「ヒトラーユーゲント」とごちゃごちゃになったりしています。

ダス・ライヒ」ではヴィルヘルム・ビットリッヒ(Bittrich)が頑なに「ヴィットリッヒ」になっていたり、
ダンマルク」の写真の説明が「オランダ人義勇兵」だったり、
「フルンツベルク」のハルメル師団長の就任期間が「1945年5月のちょっとだけ」という
意味不明な部分があった以外、読んでいてそれほど気になるところはありませんでしたが、
この筋の専門家の方が読んだら、ひょっとするといろいろ怪しいところもあるかも知れません。

Heinz Harmel2.jpg

また、良く言われる「武装SSによる残虐行為」も東部戦線の村人から
西部戦線での捕虜に至るまで、ヴィトゲンシュタインが知らなかった話も簡単に登場してきます。
しかし、これらもマイヤーやパイパーが、実際どこまで係わっていたのか・・ということを
改めて検証しているわけではなく、彼らの具体的な指示や命令があったのか、
などの疑問には残念ながら答えてくれていません。
副題の「ドイツ軍の異色兵力を徹底研究」というほどではないかも・・。

ヒトラーユーゲント」の章では、カーンでの「狂信的な」防衛戦で師団の20%が戦死し、
負傷者も40%という記述を改めて見ると、彼らが起こした「捕虜数十人の射殺事件」も
単に武装SSの残虐性を現したもの・・とは言えない気もします。

12th SS Panzer Division Hitlerjugend in Caen.jpg

平均年齢18歳の彼ら・・33日間も昼夜に及ぶ連合軍の爆撃に耐え、
1年間一緒に訓練に励んだ仲間の5人に1人が戦死し、
敬愛する師団長も艦砲射撃により、顔を吹き飛ばされて戦死。。。

witt_waffenss1943.jpg

どこの国の戦記を読んでも、仲の良い戦友が戦死した途端、
敵に対して「復讐心」を持つのは当たり前・・といった戦争で、疲労困憊し、
精神的にも追い詰められた彼らの2~3人が怒りに駆られ、戦友の仇とばかりに
勢い余って、捕虜を銃殺したとしてもおかしくないと思うのです。

この事件を勝者である西側が「ナチのイデオロギーに洗脳されたヒトラーの子供たちによる
狂信的な残虐行為」と宣伝し、戦後も一般的にそのような解釈であることも理解できますが、
前線における捕虜虐待はある程度、双方で起こったことですし、
東部戦線でも西部戦線でも、その報復がエスカレートしていくのは避けられないと思います。

Young grenadier of 12th SS-Panzer-Division Hitlerjugend in Normandy.jpg

バルカンでチトーのパルチザンと戦った「プリンツ・オイゲン」の紹介でも、
「この師団は残忍を極めて、犯罪師団と呼ばれるほど悪名が高かった」と書かれていますが
これもバルカンという土地の残虐性が、より残虐な殺し方に双方発展したいったと解釈するべきで、
東部、西部、バルカン、北アフリカ(ここには武装SSは行っていませんが)など
その土地と相手、快進撃中の時期や敗戦濃厚となった時期などで戦い方も違うわけであって、
もともとの部隊の性質が残虐であるとは個人的には考えていません。
まぁ、ディルレヴァンガーは別にして・・ですが・・。

Officers of the 7th Division SS Prinz Eugen.jpg

なので単純に「武装SSの残虐行為」と一括りにするのには抵抗があり、
パルチザン相手にしても、SS指揮官にしていつ自分が背後から殺されるかわからないという状況は
その恐怖から、怪しい人間は皆殺し・・と考えたとしても不思議ではありません。
イメージ的に最新鋭の装備を持つSS部隊と、短銃を持って隠れる僅かなパルチザンという図式は、
当事者たちにとっては、実はそれほど大きな力の差がなかったのかも知れません。
「殺したい」という欲求ではなく、「殺されたくない」思いからの虐殺もあったのではないでしょうか。

いやはや、ちょっと脱線気味になってしまいましたが、
本書の内容は大きめのハードカバーであれば、間違いなく¥3000オーバーとなり、
その意味では¥1000でこれだけの内容であれば、とても費用対効果は良いと言えますし、
武装SSについて勉強しようという方にとって、手頃な値段で取っ付きやすい1冊だと思います。