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ナチス突撃隊 ヒトラーに裏切られた悲劇の集団 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

桧山 良昭 著の「ナチス突撃隊」を読破しました。

ここのところ、突撃隊(SA)について、しこしことネットで調べていたんですが、
ちょっと頭の中を整理したいなぁ・・と、未読だった本書を選んでみました。
1993年、487ページというなかなかボリュームのある文庫ですが、
もともと1976年に発刊された、その筋では有名な一冊です。
本書を読む前には「将軍たちの夜」のキルスト著の小説「長いナイフの夜」も再読して、
すっかり「粛清」モードに入ってしまいました。

ナチス突撃隊.jpg

第1章は「突撃隊の設立」。
1920年、ドイツ労働者党を設立したドレクスラーの話から始まります。
やがて怪我の癒えたヒトラーも入党し、ビアホールでの集会も活発化すると、
2000名もの聴衆が詰めかけることとなり、その結果、会場警備隊が必要に・・。
最初の警備隊員は旧軍人と旧警官から優先して選ばれた25名。
隊長には23歳の時計修理工、エミール・モーリスが任命されるのです。
後にヒトラーの姪ゲリと結婚しようとして、クビになったあの人ですね。

Emil Maurice.jpg

そして「SA」といえばこの人、第11歩兵旅団司令部副官であったエルンスト・レームが登場し、
まだ、ヒトラーに出会う前の、彼がミュンヘンでエップ義勇軍の装備と兵站の仕事を任され、
抜群の組織能力が認められて、この道の専門化になっていく過程を紹介。
彼の野望はバイエルンの極右団体すべてを軍事団体化し、国防軍第7軍に合体させ、
ベルリンに攻め上がるという雄大なものであり、ナチ党委員長となったヒトラーもこの構想に同意。

Ernst Röhm.jpg

ヒトラーは会場警備隊を「体育・スポーツ隊」と改め、元少尉のウルリッヒ・クリンチを指導者に・・。
この改称については中央政府の目を欺こうとするレームが名付け親だろうと推測しますが、
実は指導者に任命されたクリンチというのがくせ者で、ナチ党員でもなく、カップ一揆によって
解散となったエアハルト義勇軍の隊員によって設立された「コンスル組織」のメンバー。
全国各地に支部を置いたコンスルは5000名から成り、1922年までに「売国的」という理由で、
350名もの人々を暗殺している恐るべき暗殺結社なのです。

Hans Klintzsch.jpg

ベルリンでカップ一揆を見学したヒトラーも、この時のエアハルト義勇軍に深く印象付けられて、
党の軍隊の理想像としていたことによる人選では? と推測します。
体育・スポーツ隊のメンバーは、大戦中の決死的任務のために臨時編成された部隊の名称、
「突撃隊」を名乗るようになると、党本部でもそっちの方が勇ましくて格好良いということで
あっさり改称・・。こうして正式に「突撃隊(SA)」が誕生するわけです。

SA-1922.jpg

1921年末の時点で党員数は6000名、そのうち突撃隊は100名程度。
しかし1923年の「ミュンヘン一揆」に向けて党員が増大すると、突撃隊員も3000名へと拡張。
ヒトラーによる選抜条件は、「戦闘能力がある18歳~32歳までの男子」であり、
「党のエリートから構成される」という編成方針があったものの、最も厳格な規律に欠け、
かなりの者がコンスルなどの他の組織や、ナチス協力団体のメンバーなのでした。

無鉄砲さが売りのSA隊員。会場警備の際の妨害者との乱闘、政敵の会場への妨害行為、
街頭での政敵との乱闘は党中央、およびSA幹部からの命令による暴力ですが、
隊員個人による乱暴狼藉も多いこの時代、ヒトラーも私的犯罪を放任・・。
最初は素手だった共産党や社会民主党との乱闘もエスカレートし、棍棒にナイフ、チェーン、
やがてピストル、機関銃、手榴弾へとグレードアップしていくのでした。

Hitler and Gerhard Rossbach at an SA meeting on the Frottmaning Heath near Munich 1923.jpg

ムッソリーニの「ローマ進撃」の成功を見て、ベルリン進撃を唱えるようになったヒトラー。
結局はコレが「ミュンヘン一揆」へとなるわけですが、第2章で詳しく書かれています。
ナチス単独では不可能な構想なことから、各団体と同盟を結びつつ、SAは民間防衛隊として
国防軍の手によって軍事訓練を受けさせようとなると、レームの息がかかったクリンチに代えて、
新たなSA指導者としてゲーリングを任命します。

hermann_goering_1925.jpg

ゲーリングによって3個大隊からなる1115名の連隊に編成されたミュンヘンのSA。
連隊長には大柄なブリュックナーが登用されます。
一方のクリンチはSA隊員の中からヒトラーに忠実な者を8名選び出し、
新たに「本部衛兵隊」を組織することに・・。
しかしエアハルト大佐の命令でナチスに送り込んでいたコンスルは人員の引き上げを行い、
クリンチも手を引いて、歴史から消え去っていくのです。
そして彼の遺産である本部衛兵隊はユリウス・シュレックにより、
アドルフ・ヒトラー衝撃隊」と改名し、その隊員数も150名を数えるのでした。

Heinrich Hoffmann postcard of SA-Obergruppenfテシhrer Wilhelm Bruckner.jpg

見事に「一揆」は失敗し、逮捕される寸前にローゼンベルクを党首代理に任命したヒトラー。
そしてSAは・・というと、怪我を負い、国外へ逃れたゲーリングに代わり、
出獄したレームに「無条件で服従する」ことをSA隊員に求めるのでした。

東アフリカの旧ドイツ植民地駐留軍の制服であった褐色シャツもロスバッハが手に入れ、
新たに再建への道を進むSA。しかしSAを民間防衛隊に発展させるのか、
それとも宣伝・集会防衛の機関とするのかで激しくやりあうレームとヒトラー。
結局、SA司令官を辞任すると通告したレームは、政治軍事活動から手を引き、
セールスマン、機械工場の事務員など職を転々とし、アルコールとホモの生活に溺れた末、
ボリビア軍の軍事顧問に招かれ、1926年、ドイツを去っていくのでした。

Hitler-Ernst Röhm-Wilhelm Frick.jpg

そんなころ、ヒトラーはシュレックに命じて、「本部警備隊」を作らせ、間もなく「親衛隊」と改称。
そのメンバーは以前の「アドルフ・ヒトラー衝撃隊」と同様です。
SAもバイエルンだけでなく、ドイツ各地で再編成。
ベルリンではロスバッハ義勇軍だったクルト・ダリューゲがナチスに加わり、
SA指導者に任命されますが、大部分は彼が引き連れてきた600名の義勇兵。
このダリューゲはベルリンの暗黒街で「無鉄砲ダリューゲ」の異名をとった、
ちんぴらギャング団のボスでもあり、アウトローな方法で収入を得ていた・・と。

また同じ1926年春、ルール管区ではヴィクトール・ルッツェがSA指導者に・・。
いやいや、そろそろお馴染みさんたちが登場してきましたねぇ。

Kurt Daluege.jpg

党再建拡張による宣伝・集会に必要なSAが不足している・・とヒトラーは感じる反面、
管区指導者、いわゆる政治部門のガウライターに反抗する過激なSAにも嘆くという矛盾・・。
そこで新たなSA指導者にプフェファ・フォン・ザロモンを任命して組織改革を実行します。
それまで各管区の下にあったSAをザロモンを頂点とした中央集権的構成に再編成し、
各指導者に絶対的服従を要求します。

そしてガウライターら政治組織との関係も新たに規定しますが、
それは政治指導者が下す、SA指導者への指令が強制権を持たず、
具体的に干渉することも出きないというものであり、その結果、
指令を受けたSAは任務が自分たちの能力を超えている・・とか、
SAの仕事に相応しくない・・と拒否できることになってしまうのです。
最終的には政治指導者とSA指導者、2人の力関係で強いほうが勝つ・・という論理です。

Pfeffer von Salomon.jpg

SAの本来の任務とは、ビラを配ったり、プラカードを掲げた行進といった宣伝活動に、
音楽会やダンス会、スポーツ競争などによって地域の住民と接触するのも仕事です。
本書では1928年7月の上バイエルン管区での「夏祭り」のプログラムも紹介。
7:30に駅で来賓の歓迎会に始まり、教会まで吹奏楽団付きのSA行進、
昼には音楽会、水泳競技に市民競技場での競技大会、19:00にはダンス会・・といった具合で、
時間と共に住民を観客から参加者に変えてしまうよう、周到に計画され、
最後にはナチスと住民の違和感が取り除かれた親密な一体感が生まれる仕組みなのです。

sa 0012.jpg

1929年になると経済恐慌の波がSAにも押し寄せます。
党員費1マルクの払い込みが減少したことで、その半額50ペニッヒによってまかなわれていた
SA財政が苦しくなり、そのSAを維持するために新たに新党員を確保しなければならない・・
ということで、過去の政治歴や思想を問わず、誰でも入党させてしまうという悪循環・・。

Hitler avec les vieux combattants en février 1929 dans le Hofbrauhaus.jpg

低額所得者の多いSA隊員にとって給与のストップは死活問題であり、
党とヒトラーのちまちました「合法戦術」に我慢の限界が近づいてくるのです。
そこでザロモンは負傷保険制度を導入して、積立金から怪我の程度によって
保険金が支払われることにすると、隊員たちは政治闘争に励むことになります。
1929年下半期だけで、621件の負傷保険の支払いがあったそうな・・。

sa 0003.jpg

それでもSA隊員の不満は収まりません。
ベルリンではガウライターのゲッベルスがSA隊員に完全服従を要求すると、
彼らはSAの自立性を主張し、選挙運動をボイコット。ゲッベルスが除名をもって脅すと、
SA東部指導者のヴァルター・シュテンネスは逆にゲッベルスの解任を党本部に要求。
そしてこれが拒否されると激昂したSA隊員の一部がゲッベルスの本部に乱入して占拠。
危うく監禁を逃れたゲッベルスはダリューゲの親衛隊を差し向けますが、
凄まじい死闘の末、数に勝るSAがSSを叩きのめして追い出します。
ならばとベルリン治安警察に依頼して、またもや激しい格闘の末、
なんとか党本部を取り戻したゲッベルス。

Stennes Goebbels.jpg

この事件の後、ザロモンは辞任し、ヒトラーは自らがSA最高指導者となって、
SA中隊の間を巡回して彼らの説得と、絶対的忠誠、そして経済状態改善を約束するのです。
入党費も倍の2マルクに引き上げて、SAには1マルクをまわし、
党員から臨時SA隊費30ペニッヒを徴収。
規律を無視するSA隊員であろうとも、共産党に移っていくのを恐れる彼は、
彼らを除名する勇気にも欠け、この危機を乗り越えるのが難しいと感じたヒトラーは、
SAを抑え込める唯一の人物として、ボリビアからレームを呼び寄せるのでした。

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1931年春に組織改革を行い、再び、管区長の指揮下にSA連隊が配されることに・・。
レームをトップの参謀長(幕僚長)にして、ルッツェら4人が上級集団長に任命され、
ベルリンではシュテンネスに代わってレームの信頼の厚いヘルドルフが選ばれます。
ヒトラーに呼び出されたシュテンネスは解任通知を平然と聞き流して、大規模な反抗を準備。

Helldorf-und-goebbels.jpg

4月、シュテンネス配下のSA隊員がベルリンの管区本部と支部を急襲。
ゲッベルスはまたもやダリューゲのSSを投入しますが、争奪戦は半日続き、
結局、警官隊の出動で終息します。
シュテンネスは離党し、オットー・シュトラッサーのグループに合流。
ベルリンの25000名の隊員のうち、1/3がシュテンネスに従って去っていくのでした。

なにか、近年の日本でもニュースなった問題・・。
有名な弁当チェーンが分離して、裁判沙汰になったりとか、
牛丼チェーン店の激しい値下げ争いとか、全国展開する組織づくりの大変さを感じますね。
実は夜間の「バイト1オペ」を狙った強盗なんて、ライバル店の差し金だったりして・・。
その結果、近所でも閉店しちゃってますからね。。こわっ!

Walther-Stennes.jpg

この事件にショックを受けたヒトラー。勇敢に戦ったダリューゲのSSに感激し、
それまでザロモンの抵抗にあって存在感のなかったヒムラーのSSに関心も移るのです。
SAの過激派から党組織を守るため、SSを党の警察機構にしようと考え、
SAの部分組織から、独立した組織に発展させていくのです。

情報組織の設立を命ぜられたヒムラーは、1931年にヨットに乗りたくて入党したSA船舶隊長、
ハイドリヒに3人の部下を与えて、後のSS保安情報部が誕生するのでした。

Brownshirts in a Munich beer hall in the early 1920s..jpg

1931年末の党員数は80万名で、1年前の2倍に膨れ上がり、レームは頑強な青年党員を
精力的にSAへと編入します。SA隊員は同じ期間に6万名から20万名へと拡張。
しかし政権争いが本格化すると、ブリューニングとグレーナーによって、「SA禁止令」が・・。
これに不満を申し立てるのは国土防衛でSAの協力を得ている軍管区司令部将校たち。
ヴィルヘルム皇子はグレーナー国防相宛ての抗議電報を送り、
第2軍管区司令官のフォン・ボック将軍も国防省に抗議にやってくる始末・・。

それでもパーペン内閣に代わると禁止令は撤回。
このあたりは策士シュライヒャー将軍と、事実上の党No.2、グレゴール・シュトラッサー
頻繁に登場する展開で、どちらかというと「SA」は政権争いに振り回される1組織ですね。

Röhm-und-Hitler-Duzfreunde-1933.jpg

こうして1933年にヒトラー内閣が誕生すると、主役はプロイセン内相となったゲーリングです。
SAとSS、併せて4万名が補助警官に任命され、その指揮官にはダリューゲが・・。
そして「国会議事堂放火事件」が起こると、積年のライバル共産党が解党へと追い込まれ、
ゲシュタポ長官ディールスの回想録からも抜粋します。

バイエルンでもレームがプロイセンに倣って「治安補助警官隊」を編成しますが、
もちろんほとんどがSA隊員であり、本書では、「犯罪者的気質をもつSA隊員が、警察的任務を
遂行するのだからたまらない。暴力団が警察権を握った場合を想像すると良い」と・・。

Marsch der SA-„Hilfspolizei“ unter Führung eines Schutzpolizeibeamten in Düsseldorf, 1933.jpg

全国で一般党員とSA隊員が市政府の辞職を迫り、市庁舎を占拠してハーケンクロイツ旗を掲揚。
しかしヒトラーも党本部も政権獲得後の公職ポストの配分を計画していなかったことから、
管区長以上の党員は、自分が望む公職に殺到し、激しい争奪戦を演じることに・・。
党内における序列、当人の専門的能力とは無関係で、すばしこい者が勝ちを収めるのです。
これにより、党内と公職の序列が逆転したり、1人で関係ないポストをいくつも所有する例も続出。

Gauleiter's _Hitler.jpg

補助警官は案の定、不当逮捕や私設収容所への監禁、私刑を繰り返し、
500人以上が殺されると、ゲシュタポのディールスが取締りに乗り出し、
ベルリンのSA本部を包囲して機関銃を撃ちこんでSAの若造たちを引きずり出すほど。
ゲーリングも補助警察を解散させてしまうと、また失業者となったSA隊員は不満が堪るのです。

混乱はプロイセンで権力を握ったゲーリングと、ミュンヘンのレームの対立という構図に。
レームは行政を監視して助言与えるSA特別全権官制度を導入して、
プロイセンにもSA政治部長のゲオルク・フォン・デッテンを派遣します。
デッテンはゲーリングに対し、「同意しなければ国会放火の真相を暴露する」と強請ったそうな。。

Georg von Detten.jpg

さらにレームは国防軍の軍事訓練センターを奪って管理し、その他の訓練施設も独占。
SA訓練局を管理するのはSA幹部学校の校長でもあるヴィルヘルム・クリューガーです。
一方で、ゲーリングからゲシュタポを引き継いだヒムラーとハイドリヒのSSチームは、
レーム暗殺を目論むものの、ヒトラーから抑えられ、SA隊員の尾行と監視に着手します。

Kurt Daluege (left) with Reinhard Heydrich (center) and Heinrich Himmler (right) in 1935 on a hunting trip..jpg

同じ時期、SAの解体やむなしと考えていたのは政務局長のフォン・ライヒェナウ
彼は軍情報部以外にも、SA内部に情報ルートを持っていて、それはルッツェとクリューガーです。
こうして「SAの武装蜂起の計画」なるものが、ハイドリヒとライヒェナウの周りに姿を現すと、
それが証拠となって、SA幹部粛清の「長いナイフの夜」へと進んでいくのです。

Victor Lutze.jpg

ゲーリングがプロイセンのライバル、デッテンも粛清対象に組み込むと
ゲッベルスもシュライヒャーとシュトラッサーの名前を書き入れ、
ヒムラーに連れられてきたハイドリヒは「誰彼も危険人物だから除きましょう」と提案・・・。

HeinesHimmlerEpp.jpg

クライマックスの「長いナイフの夜」もなかなか詳細に書かれていて、
SA幹部の中でも「殺人鬼」として恐れられていた大男エドムンド・ハイネスは、
若い男と寝ていたところを双璧の大男、ブリュックナーが拳で殴り倒し、
レームも逮捕されて、裏切り者のルッツェらを除くSA幹部が処刑されていくのです。

SA cap hitler.jpg

思っていたよりもシッカリと書かれた一冊でした。
巻末に出典一覧はないものの、途中途中でディールスの回想録などから抜粋したりと、
気になっていた未訳の文献がいくつかありました。

ただし、純粋に突撃隊(SA)について触れられているのは、全体の1/3程度でしょうか。
ヒトラーとナチ党がいかにして政権を獲ったか・・の過程が非常に詳細であり、
その中でのSAの役割の変化、別の言い方をすれば「SA興亡史」が展開される構成なので、
その意味では必要かとは思いますが、ヒトラーが首相となる経緯などはちょっとやり過ぎ感も・・。
シュライヒャー将軍の名前が何十回も出てくるわけですからね。

また、国会議事堂放火の下手人はゲーリングとSAだと断定していますが、
著者は「ヒトラーの陰謀 ドイツ国会放火事件」という本も書いているんですねぇ。
ちなみに別の著者による「国会炎上(デア・ライヒスターク)―1933年-ドイツ現代史の謎」
という本もありました。

ヒトラーの陰謀_国会炎上.jpg

まぁ、その件も含めて、本書が若干古いとか、日本人が書いたとかの意見は置いておいても、
いくつか「ホンマかいな??」というのもありましたので、それらも今回は取り上げています。
なにが真実かということに拘るより、名前も知らなかった初期のナチ党員やSA隊員らの、
虚虚実実の駆け引きを味わうことができた一冊でした。












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さくら

SAの歴史って、まんま、暴力団の歴史って感じですね。
暴力団が警察権を握ったら怖すぎですね。
ナチスも暴力組織だけど、敵対しなければ攻撃はされないから、マシかな……。


by さくら (2015-08-03 15:14) 

ヴィトゲンシュタイン

まあ、そうです。暴力団っていうかチンピラ、古い言い方するなら「愚連隊」かな?? 結構、勉強になりましたよ。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-08-03 22:46) 

水

ブログ再開、おめでとうございます&ありがとうございます。

祖母が従軍看護婦で、私も看護師になっていた水です。

仕事がら、戦争体験者の方から生々しい話を聞く事が多いのですが、
先日は元空軍パイロットだった方からお話を聞きました。

終戦の半年前は
やる事がなくて、ずっと毎日プロペラ研きしていたそうです。

飛ばすガソリンがないから。


「特攻も出来ないなぁ。もう、日本は負けるなぁ」

と思いつつ、毎日プロペラ研きされてたそうです。

これからも楽しみにしてます。

暑いので御自愛下さい。
by (2015-08-04 16:01) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、水さん。こんばんわ。
ちょうどレッドクロス っていう松嶋奈々子主演のドラマをやってましたねぇ。
ボクは見逃しましたが、以前の記事、「従軍看護婦たちの大東亜戦争」 http://ona.blog.so-net.ne.jp/2013-09-22 のアクセスが凄いコトになってましたよ。

by ヴィトゲンシュタイン (2015-08-04 20:07) 

IZM

暑中お見舞い書きコ申し上げます。ヴィト様はいかがお過ごしですか?
>すっかり「粛清」モード
にのっけから笑ってしまいましたが。
>1928年7月の上バイエルン管区での「夏祭り」
これ面白いですね。ガスマスク装着のランナーってすごいインパクト。大真面目にやってるのが又。。。。www 最近ドイツのスポーツ系資格を取得したんですが、その中の講義でドイツのスポーツ協会(Sportverein)の設立が1914年で、(ほぼ)大戦と共に歴史を歩んできたのねえ、としみじみしてしまったり。
あと、余談のほうの
>夜間の「バイト1オペ」を狙った強盗なんて、ライバル店の差し金
に驚きましたが。。。 そ、そうなんだ。。。。 世の中の闇って濃いですね。

広島・長崎原爆投下から70年で、地元新聞でも2P丸々当時の原爆の特集組んだり、TVでもドキュメント放送しています。
暑さもこれからが本番でしょう。お体にお気をつけて。
by IZM (2015-08-06 17:15) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、IZMさん。東京は連日の35℃で死にそうです。。
まぁ、写真はイメージなんで、ガスマスク装着のランナーが上バイエルン管区での「夏祭り」の写真というわけじゃないんですけどね。
それと余談の件も、ボクの妄想なんで信じてはいけません・・。

こちらも70年だからか、更新頻度は少ないのに独破戦線のアクセス数は史上最高を更新し続けています。特に日本モノが人気ですね。
戦争映画も良いのがたくさん放送されていて、今日はやっと「パリは燃えているか」が観れます。楽しみだなぁ。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-08-07 08:05) 

藤原莉子

私は、SAと聞くと「長いナイフの夜」と美青年を脇に侍らせていた(いいなぁ!)レームのおっさんしか、思い浮かんできません。どうせ、偏見なんでしょうけど。
しかし、これはまた深い話なようですので、読むと世界が目からウロコではないにしろ、見方が変わるかもですね。
そんなことを思ってしまいました。
by 藤原莉子 (2015-09-15 20:18) 

ヴィトゲンシュタイン

SAってのは、何十万人という組織ですから、一口で語ることは出来ませんね。本書で書かれているのは1934年までですが、ナチ党が巨大化するまでの過程で、トップも変われば、彼らの力も変化し、戦争が始まってもSAは弱体化しつつも存続し続ける・・という・・。なかなか勉強になるほんでした。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-09-16 21:05) 

88

ヒトラーの統率、ナチスの文化、組織には、とても興味があります。現在ではタブーのように扱われていますが、これからもツイッター、サイトで発掘、お願いします。
by 88 (2015-12-24 08:38) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、88さん。
最近はBlogの更新がままならないんですが、テキトーに頑張ります。。
by ヴィトゲンシュタイン (2015-12-25 20:32) 

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