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ディナモ・フットボール 国家権力とロシア・東欧のサッカー [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

宇都宮 徹壱 著の「ディナモ・フットボール」を読破しました。

2002年に出た269ページの本書が本棚に未読のまま眠っていたのを発見しました。
買った記憶もなく、「ディナモ ナチスに消されたフットボーラー」と
ごっちゃになっていたようですね。
もともと東欧のサッカーにも興味があって、6~7年前に購入したんだと思いますが、
この「ディナモ」と付くサッカークラブは、共産国における「内務省」のチームとして知られています。
言い方を変えれば「秘密警察サッカークラブ」っトコですね。。
本書はベルリンの壁が崩壊し、ソ連も解体してから10年後である2000年に
各国の「ディナモ」の現状を取材した、ルポルタージュです。

ディナモ・フットボール.jpg

著者がまず訪れた街はベルリン。
冷戦時代も西側のブンデスリーガに在籍していた有名な「ヘルタ・ベルリン」ではなく、
壁の向こう側、東ドイツリーグで無敵を誇り、1979年から10連覇を達成した最強クラブ、
「ディナモ・ベルリン」が取材対象です。
しかしながら、昔から東ベルリン市民に愛されるどころか、忌み嫌われており、
その理由は、「ディナモ」の東ドイツ秘密警察といえば、あの「シュタージ」というわけです。

Das Ministerium für Staatssicherheit.jpg

内務大臣、すなわちシュタージのトップはエーリッヒ・ミーケレという人物で、
クレムリンの代理人として、1957年から壁が崩壊するまでその座に君臨。

Erich Mielke.jpg

体制を維持する機関であるシュタージは「正義」であり、
そして「正義」は必ず勝利しなければなりません。
となれば、対戦相手とレフェリーにも、不可解なオフサイドやPKが求められ、
何千人もの観衆の前で公然と行われた不正による勝利の結果、
「いかさまマイスター」という綽名を頂戴するのでした。

なにか「ニセドイツ」を読んでいるような気になってきました。
1980年代のユニフォームも確かに「シュタージ」っぽい色合いですね。

dynamo berlin 1984.jpg

東西ドイツ統合後は、後ろ盾のシュタージも消滅して西側クラブとの実力差は明らか。
アンドレアス・トームといった点取り屋も移籍し、あっという間に4部へ降格・・。
カメラマンでもある著者は7万6千人を収容する巨大なオリンピア・シュタディオンで行われる
魅力的な一戦、ヘルタ・ベルリンvsハンブルガーSVではなく、
1万2千ぽっちのシュタディオンでの「ディナモ・ベルリン」の戦いざまを選ぶのです。
しかも相手はアマチュア・クラブ・・。

この「ディナモ・ベルリン」というのはほとんど知らなかったんですが、
ドイツでもっと有名な「ディナモ」である、「ディナモ・ドレスデン」にも触れながら、
DDR時代、「ディナモ・ベルリン」の最大のライバルであった
東ベルリンの労働者のクラブ、「1. FCウニオン・ベルリン」への取材へと進みます。

Dynamo Dresden.jpg

次にやって来たのはウクライナのキエフ。
1927年に設立され、第2次大戦中「ナチスに消されたフットボーラー」となったクラブです。
本書ではこの件も紹介しますが、「ソ連のプロパガンダであったという説もある」としています。
まぁ、「カティンの森」がドイツの仕業と言い張るくらいですからねぇ。
有り得ない説じゃありません。。

1975年にはロシア勢を差し置いて、ソ連初のヨーロッパ・カップを獲得。
これはバイエルンを下したカップウィナーズカップです。
このような快挙もウクライナの弾圧された歴史を振り返りながら進むことで、
ウクライナが世界に誇れるものは天然資源ではなく、
ディナモ・キエフ・フットボールだったのだとしています。

Dynamo Kyiv 1975 cup winners cup.jpg

独立を果たした90年代には、カリスマ指導者ロバノフスキー監督のもと、
レブロフやシェフチェンコらが大活躍。
チャンピオンズリーグの98-99シーズンにはベスト4と一大旋風を巻き起こします。
いや~、懐かしい。この時は凄かったです。ロバノフスキーはベンチで全然、動かないし。。

Valeri Lobanovsky_Shevchenko.jpg

1887年、モスクワ郊外で「モロゾフ」という工場を経営していた英国人チャーノックが
ロシア初のフットボール・クラブ「モロゾフツィ(モロゾフの仲間たち)」を設立。
やがて「モスクワの恐怖」と呼ばれるようになったクラブのカラーは青と白。
これはチャーノックが熱烈なブラックバーン・ローバーズ・ファンであったことに由来します。
ヴィトゲンシュタインも好きで、実は上下のトレーニング・ウェアを持っています。。

Blackburn as they won the Premiership in 1995.jpg

革命の混沌のなかを生き延びたこのクラブは1923年に生まれ変わります。
新たな名称は「ディナモ・モスクワ」で、受け継いだのは青と白のチームカラーのみ。
創設の主要メンバーにはあの「チェーカー」の議長、ジェルジンスキーが名を連ね、
この時から「ディナモ」は秘密警察のクラブとなり、モスクワに倣えと
各地で誕生した「ディナモ」も、このチームカラーを選択するのです。

parad_Dzerzhinskii 1935.jpg

なるほど・・、確かに「ディナモ・キエフ」もこの色ですね。
秘密警察の青だから、NKVDの青をイメージしてるんじゃと思ってたんですけどね。。
「ディナモ・ベルリン」が違うのは、この色を「ヘルタ・ベルリン」が使っていたからかも・・。

NKVD_1940.jpg

著者が訪れた2000年、モスクワでは5つクラブがトップリーグでしのぎを削り、
内務相のディナモの他、生産者組合のスパルタク、鉄道労働者組合のロコモティフ、
自動車工場組合のトルペド、そして本田くんがいたCSKAは、もともと赤軍の後援です。

地下鉄の駅名にもそのまま「ディナモ」が付けられているこのクラブは、
単なるサッカークラブではなく、欧州でよくある総合スポーツ・クラブであり、
「ロシアの白い巨塔」と呼ばれる女子バレーのエカテリーナ・ガモワも
2009年まで、「ディナモ・モスクワ」に所属していたようです。

Ekaterina Gamova_Dynamo Moscow.jpg

「ディナモ」の名付け親はマキシム・ゴーリキーであるという伝説があるそうで、
その語源は「ダイナミズム」、「運動」のイメージであり、転じて「革命」にも通じると・・。
ロシアにおいては本来的に、「スポーツ・クラブ」と同義であるともしています。

3万6千席のディナモ・スタジアムでは、ベリヤが座っていた貴賓席を見学し、
フットボール狂だったベリヤが露骨にゲームに介入した話も紹介。
KGB出身の現大統領プーチンも「ディナモ」サポーターかと思いきや、
ザンクトペテルブルク出身なので「ゼニト」を応援しているのでは?? とのことで、
う~む。。そういえば、ここ数年ゼニトはメキメキ強くなっています。怪しいなぁ。

putin_kop.jpg

一方、内務省のサポートが途絶えたディナモは落ち目で、実際、有名な選手は
「黒蜘蛛」を異名を持つ、唯一のバロンドール受賞GKであるレフ・ヤシンくらい。。

Lev Yashin.jpg

それでも「ディナモ」の総本山である「ディナモ・モスクワ」ですから、
実は本書では「プロローグ」として、1945年11月にモスクワから英国へやって来た
この謎のフットボールクラブが、チェルシーに3-3で引き分け、カーディフ・シティには10-1と圧勝。
ハイバリー・スタジアムがドイツ軍の空爆によって破壊されていたアーセナルは、
スパーズのホワイトハート・レーンで迎え撃ちますが、4-3と逆転負け。
「ディナモ・モスクワ」は最後にグラスゴーでレンジャースと2-2で引き分けて帰国します。

Friendly 28_11_1945 2-2.jpg

ナチス相手に共に戦った同盟国ソ連に対して、この遠征を打診したのは英国ですが、
第2次大戦当時、英国ではリーグ戦は中止され、終戦後も徴兵されていた選手たちが
戻ってくるのが遅れていたことがあるにしても、フットボールの母国としてはショックです。

Dynamo Moscow 1945.jpg

すでに「大祖国戦争」での勝利を確信していたスターリンによって、
「ディナモ」のメンバーだけでなく、国家から認められたスポーツ選手は中央アジアの
ウズベキスタンの首都、タシケントなどに集められてトレーニングに励んでおり、
「ソヴィエト社会主義がいかに優れているか」を
スポーツを通じて証明する機会を探っていたのです。
こうしてスターリンとベリヤの決定によってやって来たのが、
ソ連最強のコマンドである「ディナモ・モスクワ」だったのです。

rangers v moscow dynamo 1945.jpg

2勝2分で英国人を驚かせたから良かったものの、もしボロ負けしてたら、
全員そのまま亡命・・とか、帰国後はシベリアへ・・、なんてことが起こったでしょうね。
ちなみに現在の監督はダン・ペトレスクでした。
昔、スタンフォード・ブリッジで観たことありますし、同い年なのでファンなんです。

Dynamo Moscow_Petrescu & Karpin.jpg

また、オリンピックなどの戦後のソ連スポーツについても書かれていますが、
このあたりも「ソチ・オリンピック」も手伝って、非常に興味深いですね。

いちスポーツ好きの日本人として言わせてもらえれば、
オリンピックやワールドカップなど、4年に一度の世界最高峰の大会では、
その競技における世界最高のプレーと選手が、まず見たいのであって、
日本人が・・とか、アジア初の・・だとか、そんなことは二の次なんですね。
外国人選手の紹介があったにしても、やれ「イケメン選手」、「美人アスリート」ですし、
日本人中心の放送や報道を否定するつもりはありません。

しかし、「金メダル候補が怪我で欠場するからチャンスだ!」というのはどうでしょう。
そのような外国人選手に勝ってこそ、メダルの価値があるんじゃないでしょうか?
上村愛子ちゃんには今回こそメダル獲ってほしかったですが、
もう少し、世界最高のプレーヤーたちに対する敬意を払ってほしいものです。

それにしてもロシアの"カー娘"、アンナ・シードロヴァちゃんは、なんてハシタナイ格好で・・。

Anna Sidorova, Curling.jpg

共産党から距離を置いた形で1922年に設立されたのが、「スパルタク・モスクワ」です。
「民衆のクラブ」として、ベリヤにも迫害されるディナモ最大のライバルであり続けますが、
ソ連崩壊後はいち早く民営化に成功。
チャンピオンズリーグにもオノプコ中心に、毎年出場していましたねぇ。

8万人の収容人数を誇る有名なルジニキ・スタジアムでは、
1982年に起こった340人が死亡したという史上最悪の大惨事を取り上げ、
共産党指導部がこの事件を隠蔽した・・という話や、
今もなおそびえる巨大なレーニン像も、白黒ながら写真を掲載。

Lenin at Luzhniki Stadium.jpg

スターリンの生まれ故郷であるグルジアまで取材する著者。
首都のトビリシには「ディナモ・トビリシ」が存在します。
ここの卒業生はアヤックスに移籍したアルフェラーゼに、ミランで活躍したカラーゼ。

kakha kaladze_dinamo tbilisi.jpg

あ~、ここでも懐かしい名前。。
ゴルバチョフ時代の有名な外相で、後のグルジア大統領がシュワルナゼでしたから、
「なんとかーゼ」って言ったらグルジア人・・という風に覚えたもんです。
もちろん例外もあって、一番好きなグルジア人選手はニューカッスルのケツバイヤでした。

temuri ketsbaia_Shearer.jpg

1925年設立のこのクラブは「グルジア人の誇り」であり、事実上の「グルジア代表」。
ソ連リーグではリーグとカップで2回ずつ優勝し、1981年にはディナモ・キエフに続き、
カップウィナーズカップを獲得します。
ロシアのクラブが一度も手にすることの出来なかった欧州カップを
グルジア人たちが掲げたことは、切手になるくらいの大きな事件なんですね。

Dinamo Tbilisi 1981_cup winners cup.jpg

続いてやって来たのはルーマニアの首都、ブカレスト。
戦後の1948年に設立された「ディナモ・ブカレスト」は、内務省と
秘密警察「セクリターテ(セクリタテア)」にサポートされたクラブです。
著名なプレーヤーなら、1994年のW杯で4点取る大活躍をしたラドチョウが筆頭ですね。

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銃殺されたチャウシェスク大統領夫妻の件など、ルーマニア政治にも触れながら進み、
ライバルの「ステアウア・ブカレスト」についてもなかなか詳しく・・。
「ステアウア」とは「星」を意味するそうで、陸軍のクラブであり、
チャウシェスクの息子、ヴァレンティンの所有財産のひとつでもあります。
日本でもディナモよりもステアウアの方が有名だと思いますが、
1986年、スペインのセヴィージャでバルセロナを下してチャンピオンズ・カップを獲得し、
翌年にはトヨタ・カップで来日していることも大きな理由でしょう。

しかし、バルサとの決勝で4本のPKを止めた、守護神デュカダムは日本に来ることはなく、
「右腕が原因不明の血栓症に冒された」とのことで突然、引退。
スペイン国王から贈られた高級車をチャウシェスクの息子に譲らなかったことで、
「セクリターテに右腕を潰された」という恐ろしい話が伝わっているそうな。。

steaua_86_si_cupa_campionilor_europeni.jpg

最後にやって来たのはクロアチアのザグレブ。
ユーゴの内戦が終わり、独立したクロアチアはリーグも独立。
仇敵レッドスター・ベオグラードとのゲームが行われなくなってサポーターも淋しい限り。。
トゥジマン大統領によって共産主義のイメージが強すぎるとの理由で、
「ディナモ」が外され、「クロアチア・ザグレブ」へと名称変更されると、
愛するクラブの名称が勝手に変更されたことにサポーターは激怒しますが、
本書で紹介したその他の「ディナモ」でも同様の問題が起こっています。

そんな1999年に移籍してきたのは「キング・カズ」。
12試合に出場してゴールは「0」。日本でも中継されましたねぇ。

Dinamo Zagreb_miura.jpg

第2次大戦のナチスによる傀儡国家クロアチアや、「ウスタシャ」も紹介しながら、
セルビア人との長年の確執について言及します。
1945年にはベオグラードに2つのクラブ、レッドスターとパルチザンが、
クロアチアにはディナモ・ザグレブとハイジュク・スプリトという4強時代の幕開け。

1990年、独立目前の状況で行われたディナモ・ザグレブvsレッドスターの民族対決。
ザグレブのマクシミール・スタジアムでサポーター同士が激しく衝突し、
セルビア人警官隊もディナモ・サポーターに襲い掛かると、
10番を付けたボバンが警官に飛び蹴りを喰らわせて、一躍、国民のアイドルに・・。
有名な事件ですね。



その後、クロアチア代表は1998年のW杯でも日本と戦い、好成績を残しますが、
ボバンを筆頭にプロシネチキやシューケルも、この「ディナモ・ザグレブ」の出身なのです。

Dinamo Zagreb_Suker_Boban.jpg

予想以上に楽しめた一冊でした。
確かに購入当時に読んでいても、サッカー好きとしてそれなりに面白かったでしょうが、
独破戦線でスターリンやベリヤの本も読んできただけに、
本書に書かれている各国の歴史や秘密警察についても同じくらい
興味深く読みましたし、いろいろと調べてしまいました。

共産主義国家から民主化に移行したものの、現在の欧州サッカー界では、
多くの選手が西側のリーグへと流出し、国内のスタジアムは閑古鳥が鳴いています。
まして政府の「ディナモ」系クラブはクラブ自体の民主化にも乗り遅れて、
往年の名声を取り戻せないまま・・。
このようなことはサッカーだけでないことが本書では良く伝わってきました。



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