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第三帝国と音楽 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

明石 政紀 著の「第三帝国と音楽」を読破しました。

ヒトラーと退廃芸術」、「パリとヒトラーと私」といった第三帝国の美術品、
ミッキー・マウス ディズニーとドイツ」、「映画大臣」といった第三帝国の映画産業について
これまで読んできましたが、もうひとつあるジャンルが第三帝国の音楽です。
「第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影」や、
「モーツァルトとナチス: 第三帝国による芸術の歪曲」を今までチェックしていましたが、
1995年に出た213ページの本書があることを知ったので、一発目に選んでみました。
タイトルもシンプルだし、表紙を飾る有名なポスターも惹かれた要因ですね。

第三帝国と音楽.jpg

1920年代、ワイマール共和国時代の経済不況によって、
ドイツの音楽家たちの職は脅かされています。
さらにトーキー映画の出現で、それまでサイレント映画の伴奏をしていた音楽家たちは
大量にクビになり、ベルリンの映画館では1928年に200人いた音楽家が、
2年後には50人が残されただけ・・。
レコードの生産量も激減し、消費者の財布の紐も固いのです。

silent film orchestra.jpg

そして1933年にヒトラーが政権を奪取すると、ナチ党の組織である
「ドイツ文化闘争同盟」が反リベラリズム、反ユダヤ、反モダニズムを掲げて、
忘却の彼方に追いやられていた後期ロマン派のドイツ人作曲家のオペラを歌劇場で
上演するよう推奨したりと、新体制に相応しい「ドイツ的レパートリー」を熱心にアピール。
この「ドイツ文化闘争同盟」を牛耳っているのは、やっぱりローゼンベルクです。

またベルリン音楽大学の幾人もの教師は「我慢ならぬユダヤ人のため」、
「いけ好かない性格のため」といった理由で退陣を求められ、
やがて官僚機構と公立音楽界は人種的にも、思想的にも「きれい」になっていくのです。

alfred_rosenberg.jpg

党内では融通の利かないイデオローグであるローゼンベルクから、
ベルリンの大管区指導者であり、国民啓蒙・宣伝省の大臣となったゲッベルス
文化界の指導者として実権を握り始めます。
「全国文化院」が創設され、自らその総裁となったゲッベルス。

映画大臣」で触れられていた全国映画院(帝国映画院)の他、全国著述院、全国新聞院、
全国放送院、全国美術院、全国劇場院、全国音楽院の7つの専門院から成り、
「全国音楽院」配下の組織も詳しく、例えば音楽家組織にコンサート局、
ドイツ男声合唱団連盟など、第三帝国の音楽が一元管理されているのがわかります。

そして現存ドイツ人作曲家のなかで最も高名な人物である
リヒャルト・シュトラウスを音楽院総裁に任命。

Strauss_Drewes_Goebbels.jpg

「伝統的無関心派」のシュトラウスはナチスを見下していたものの、
指導者原理を気に入ってそれなりに順応しますが、
第三帝国に対する「放言」が見つかって、総裁職を下ろされてしまうのでした。
ふ~ん。シュトラウスについては「第三帝国のR.シュトラウス―音楽家の“喜劇的”闘争」
という本が出ているようですね。



副総裁の同じく最も高名な指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ゲッベルスと衝突を繰り返して、副総裁を下りてしまいます。
しかし2年も経つと、彼らの威光に頼らなくてもよいほどに確固たる組織になるのでした。

Magda Goebbels Wilhelm Furtwangler Joseph Goebbels Zitla Furtwangler.jpg

総裁顧問会というのもあって、ここには「ライプシュタンダルテ」の上級軍楽隊長、
ヘルマン・ミュラー=ヨーンの名前もありました。
ここら辺は、もうちょっと詳しく知りたいところですね。

Müller-John.jpg

ゲッベルスはそれまで不当な扱いを受けて、賃金が支払われなかったような
自由市場の音楽家たちに、相応しい賃金レートを制定し、
景気の回復によって、音楽家の失業率も回復。
財政難に陥っていた劇場やオーケストラにも救済策が講じられます。
その反面、彼らは「自由」を奪われ、1934年には外国語、または外国語風の芸名や、
アンサンブル名を名乗ることは禁止され、名前の「国粋化」が・・。
偉大なドイツ巨匠の作品の一部をメドレーにしたり、パロったりすることは
尊厳を損ねる不遜な行為として取り締まられ、
1938年になると「非アーリア人」のレコードが公式に発売禁止になりますが、
ポーランドの国民的作曲家であるショパンのピアノ曲だけは例外です。。

The Berlin Philharmonic Orchestra and the Third Reich.jpg

「ニーベルンゲン行進曲」は党大会のときに限って演奏が許可され、
ヒトラーのお気に入りのマーチである「バーデンヴァイラー行進曲」は
ヒトラー臨席時以外は演奏しないよう通達されます。
このヒトラーのテーマでもあるかのような「バーデンヴァイラー行進曲」。
第1次大戦でバイエルン近衛歩兵連隊が勝利したことを讃えた曲だそうで、
どんな曲なのか、聞いてみました。目覚ましにモッテコイだなこりゃ。



ヒトラーが崇拝した作曲家はワーグナーだけではなく、
総統と同じ、オーストリアの田舎者である、アントン・ブルックナーも。
その交響曲はナチスの巨大趣味と合致し、舞台装置としても徴用したそうです。

Anton Bruckner_hitler.jpg

ヒトラー政権以前からドイツではたくさんの音楽祭が開かれていますが、
1938年、ナチ党は新たに「全国音楽祭」をデュッセルドルフで華々しく開催します。

Reichsmusiktage 1939.jpg

ゲッベルスの肝いりで「ドイツ音楽のオリンピック」などと大々的に宣伝された
この1週間続く音楽祭は30もの催し物に、ヒトラー・ユーゲント歓喜力行団
陸空の軍楽隊、労働奉仕団と大管区の音楽隊といったあらゆる楽団が参加。
クライマックスはベルリン・フィルによる「第九」です。

The Musikkorps of the elite General Göring Regiment.jpg

ゲッベルスが生まれ故郷に近いこのデュッセルドルフを「新ドイツの音楽の都」にしようと
奮闘したのに対して、ヒトラーは1年前の「大ドイツ芸術展」のような興味を寄せません。
総統にはワーグナーのバイロイト音楽祭さえあれば、それ以上は必要ないのです。
そして「大ドイツ芸術展」の時に「退廃芸術展」を開催したのと同様、
ここでも「退廃音楽展」を開催します。
展覧会の主導者である古参党員のツィーグラー曰く、
「魔女のどんちゃん騒ぎと精神的・芸術的文化ボルシェヴィズムのいかがわしい姿であり、
下等人間、傲慢なユダヤ的厚顔無恥、完全な精神的痴呆が晒される」。

Entartete Musik 1938 Düsseldorf.jpg

しかし、音楽を展示するのは困難で、結局は下等人間たちのポートレートや楽譜、
オペラの舞台写真などが展示されたのみであり、
ゲッベルスも乗り気ではなく、予定よりも2週間も早く打ち切りになるのでした。
この「退廃音楽展」のパンフレットが、本書の表紙になっています。
これは1926年の黒人主人公の歌劇「ジョニーは弾き始める」をカリカチュア化したもので、
襟の折り返しにはカーネーションではなく、「ダビデの星」が飾られています。

Jonny spielt auf.jpg

1931年に発足し、ブルックナーの交響曲を目前で披露した楽団に対して、
「総統のオーケストラ」を名乗ることを認可したヒトラー。
「ナチ全国交響楽団」と命名されて、副総裁のヘスが理事長に就任し、
総勢86名が総統案出の褐色のタキシードを着て、ドイツ各地で演奏します。

reichs symphonieorchester.jpg

このように第三帝国では保守的なクラシック音楽が重要な位置を占めていますが、
実際は他の国と同じく、民衆は軽いポピュラー音楽を望んでおり、
そのことを充分に理解していたゲッベルスは、娯楽映画と同様に
「気晴らし供給」をラジオを通じて実施します。
1939年には「国民受信機」の聴取者は1100万人にまで激増し、
大事なニュースや報道番組に耳を傾かせるために、
人気のあるポビュラー音楽を流すことで人々を引きつけるのです。

Kinder hören Radio.jpg

とはいっても、なんでもかんでも流してよいわけではありません。
特に「ジョニーは弾き始める」がそうだったように、ナチスの目に映った「ジャズ」とは、
「ニグロ起源の音楽であり、それを流布しているのはユダヤ人であり、
人種的汚辱で、非芸術的な下半身音楽であり、音楽の姿を借りた文化ペストであり、
音楽大国であるドイツの文化的音楽を汚し、あらゆる形で破壊しようと目論んでいる」のです。

Louis Armstrong stamp.jpg

もちろんジャズに敵対していたのはナチスだけでなく、ヨーロッパ各国の保守層も同じこと。
若者たちをたぶらかす、新大陸からの侵入物に激しく反発し、
シュトラウス大先生に言わせれば「ジャズなぞ、人食人種の音楽」。
まぁ、プレスリーの下半身の動きが前髪クネ男的でテレビ番組でNGだったり、
ビートルズのマッシュルーム・カットやエレキ・ギターが不良への道だったり、
セックス・ピストルズが・・、と、古今東西変わらない若者と老人の対立ですね。

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しかし問題なのは1932年にパーペン保守政権が「黒人音楽家の就労禁止令」を出したように、
ルイ・アームストロングに代表されるような「ニグロ・ジャズ」がマズイのであって、
ジャズの担い手にも白人が現れ、管弦楽団のごとき統制のとれたビッグ・バンドが登場すると、
「一線を越えない限り」ジャズ音楽を容認するようになり、
1936年のベルリン・オリンピックでは外国人観光客のために、バンド・リーダーたちに
「米国の曲の楽譜を揃えておくよう」促すほどです。

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ただし、「ニグロ・ジャズ」だけではなく、ユダヤ系音楽家は全面的に禁止ですから、
「典型的なスウィング・ユダヤ人」との烙印を押されたベニー・グッドマンのレコードは、
1937年には発売禁止となるのです。

ベニー・グッドマンといえば、「シング・シング・シング」が有名ですが、
林家こぶ平の「二木ゴルフ」のCMでもお馴染みですね。 「ヘイ、二木!」ってやつです。
それだけじゃあアレなので、「ベニイ・グッドマン物語」からご紹介します。
見どころはジーン・クルーパのドラムですよ。



対米戦が始まる1940年まではディズニーなど、米国映画も上映されていたドイツ。
ハリウッドのミュージカル映画も高い人気を誇り、
「踊るニュウ・ヨーク」の挿入歌は空前の大ヒット。
この当時のドイツの映画館では週間ニュースで怒号するヒトラーと、
ミュージカル映画で華麗に踊るフレッド・アステアが共存する世界だったのです。

broadway-melody-of-1940 poster.jpg

そんな奇妙な関係も1942年以降は、「敵性音楽」となって、英米のレコードが発売禁止に・・。
しかし禁止になったのはドイツ国内だけであり、周辺諸国からの外貨獲得のために
英米ジャズのレコードは生産され続けます。
こっそりと米ジャズを演奏する場合にはドイツ語の偽装タイトルが使われ、
「セント・ルイス・ブルース」なら、「ザンクト・ルートヴィヒ・ゼレナーデ」といった具合。。

ジャズ好きのドイツ兵は占領国でしっかりとレコードを買い集め、
聞くことを禁止されていた英BBCラジオから流れるダンス・ミュージックに歓心を寄せるのは、
ルフトヴァッフェの誇る大エース、ガーランドマルセイユです。
ついでにグレン・ミラーのファンだったのはメルダースだそうな・・。
そういうことなら、V1飛行爆弾にも負けない「イン・ザ・ムード」を「グレン・ミラー物語」から。



ティーンエイジャーたちはヒトラー・ユーゲントや歓喜力行団が主催する
フォークダンス大会で人生を楽しみますが、
ハンブルクをはじめとして、スウィング・ジャズで熱狂的に踊る若者の姿もあります。
「スウィング・ユーゲント」と呼ばれたこの若者たちは、
服装にも金をかけることもできたブルジョワ家庭の子どもであり、
英米かぶれで、16歳にもなって強制的に半ズボンを履かされることに抵抗し、
英国紳士を範にとって、仕立の良いジャケットに、ネクタイ、コート、
そして中折れ帽で街を闊歩し、ヒトラー・ユーゲントとの喧嘩に発展することも・・。

Swing-Jugend.jpg

このような不良少年の羽目を外した行動に怒りを表すのは、ヒムラーです。
「スウィング・ユーゲントをまず殴打し、最も厳しい形で教練し、労働させる」と
ハイドリヒに書き送り、ふしだらな音楽で踊り狂って秩序を乱す若者たちは
国防教練キャンプに送り込まれて根性を叩き直され、
徴兵年齢に達していた場合には戦線送り。
最悪の場合にはラーヴェンスブリュック強制収容所が待っています。
このスウィング・ユーゲントはなにかの本で読んで記憶がありますが、
1993年に「スウィング・キッズ」という映画になっていたようです。ただ評判はイマイチ。。
「スウィングガールズ」っていう邦画もありましたっけ。

swing-kids-poster 1993.jpg

最後は、その強制収容所の音楽です。
SS隊員たちは囚人楽団のバラックに足しげく通って、好みの曲を演奏させ、
「アウシュヴィッツ少女楽団」の演奏するシューマンの「トロイメライ」に、
「ベルゼンの野獣」と呼ばれたヨーゼフ・クラーマーは涙を流します。

auschwitz-orchestra.jpg

音楽家だったユダヤ人たちはほとんどが収容所送りとなっていますから、
どこの収容所でも楽団があったんですね。

Mauthausen Camp, 1943, prisoners being led to their execution accompanied by the camp orchestra.jpg

通過収容所の役目を果たしていたテレージエンシュタットでは
外部へのプロパガンダのためにオペラの公演も行われて、
ヒトラーの好きなモーツァルトの「フィガロの結婚」や、「魔笛」も演奏されます。
さらにはジャズ・バンドまで。
その名も「ゲットー・スウィンガーズ」です。

theresienstadt-kz-ghetto swingers.jpg

その他、日本人著者ということもあって、ハンス・フランクが統治するポーランドの
総督管区立劇場シンフォニーの客演指揮者として、近衛秀麿が招かれ、
フランクが昼食会でもてなした・・なんていう話出てきました。

第三帝国と音楽というと、どうしてもワーグナーやベルリン・フィルなど、
クラシック音楽を連想しますし、実際、出版されている本もそのようなテーマが中心です。
しかし本書は213ページというボリュームにもかかわらず、クラシックだけでなく、
ジャズにポビュラー音楽、強制収容所での演奏と、幅広く触れられていて、
このテーマを知るための入門書としては最適だったどころか、
改めてよく考えてみると、このテーマに興味のある方なら必読の、素晴らしい一冊です。

















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NO NAME

ヴィトゲンシュタイン様こんばんは!
これはまた。興味深いジャンルの本ですね。
こんな時代にもちゃんと不良君がいるのも驚きです。


バーデンヴァイラー行進曲…再生してびっくり!大昔に渋谷にあったアルバンという店で買った第三帝国愛唱歌集みたいなCDに入っていて知ってますわ^^; 早速明日の朝、寝ぼけた頭を覚醒させるために流します♪
by NO NAME (2014-01-20 22:49) 

ハッポの父

↑名無しの「ハッポの父」です。

今年も酔っ払いがやってしまいました。
お恥ずかしい。すみません。
by ハッポの父 (2014-01-20 22:53) 

ルー

ヴィト様おはようございます。このたびも楽しくかつ興味深く読ませていただきました。バーデンヴァイラー行進曲も懐かしく聞かせていただきました。高校生の頃にドイツ第三帝国系の行進曲などをとてもよく聞いておりましたので・・・ありがとうございました。おかげさまで目もしっかりさめました。
by ルー (2014-01-21 04:48) 

ヴィトゲンシュタイン

ハッポの父さん。おはようございます。
お目覚めはいかがでしょうか。

バーデンヴァイラー行進曲をご存じだったとはさすがです。
コレは結構、癖になりますね。

第三帝国の不良くんについては、
「エーデルヴァイス海賊団―ナチズム下の反抗少年グループ」
という本もありますし、有名な「白バラ」も該当するのかも知れませんね。

by ヴィトゲンシュタイン (2014-01-21 07:52) 

ヴィトゲンシュタイン

ルーさん。おはようございます。

>高校生の頃にドイツ第三帝国系の行進曲などをとてもよく聞いており・・

そりゃすごい、年季が入っていますね。
バーデンヴァイラー行進曲、ボクは初めて聞いたんですが、特に後半のヒトラーらしくない爽やかな盛り上がりが好きです。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-01-21 08:00) 

f.m.

 はじめまして。個人的には1930,40年代の曲が好きなのですが、中でもカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」が好きな曲の一つです。しかし、「カルミナ・ブラーナ」は1937年のドイツで成功を収めたにも関わらず、戦後も演奏されるのに、オルフについて単独で書かれた本は日本語ではないのではないでしょうか?彼について「第三帝国の音楽家たち」以上に書かれた本は何かあるのでしょうか?
by f.m. (2014-02-02 01:31) 

ヴィトゲンシュタイン

f.m.さん。はじめまして。
カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」はTVでもよく使われるので、日本でも大抵の人が知ってるような有名な曲ですね。
で、ご質問の件ですが、本書にも書かれていなかった思いますし、この手の本を読んだのは今回が初めてなので、彼について書かれた書籍があるかはわかりません。お役に立てませんで・・。

by ヴィトゲンシュタイン (2014-02-02 07:33) 

f.m.

 ご返事ありがとうございます。第三帝国時代について書かれた本は日本語でも図書館が出来るほどあると思いますが、書かれていない分野も結構あって、オルフと「カルミナ・ブラーナ」についても、その一つだと思います。この曲のCDなら国内盤でも何枚も発売されていて、上演される機会も多く、第三帝国時代に成功を収めたにも関わらず、戦後も演奏される作品は、他に何曲あるのかどうか?何故、この種の本はオルフと「カルミナ・ブラーナ」について皆無ではないにしろ、殆ど触れないのか、不思議に思います。
by f.m. (2014-02-02 17:14) 

通りすがり

「カルミナ・ブラーナ」にそのような過去があったとは。普段ホロコースト原因論の類の本しか読んでいなかったので、こういう事実に触れると自分の無知を思い知らされますね。

ちなみに、私が「カルミナ・ブラーナ」を聴いて思い出すのは「ビートたけしのこんなはずでは」というTV番組です。もっと最近では『SOUL CATCHER(S)』という漫画に、上級者の先輩がやたら説明的な(というより読者に向けた説明だったのか)台詞を言うシーンがあります。

http://blog-imgs-47.fc2.com/d/a/n/danshakud/112303.jpg
by 通りすがり (2014-03-10 00:30) 

ヴィトゲンシュタイン

ほこ×たて・・、確かに。。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-03-10 18:34) 

f.m.

 「イスラエル・フィル誕生秘話」という本の中に90年代になってからリヒャルト・シュトラウスと一緒にオルフの作品が演奏されるようになった事が書かれています。何故オルフがイスラエル・フィルでは演奏されなかったのか、一言も書かれていません。イスラエル・フィルが結成された歴史からして、第三帝国時代に初演されて成功を収めたオルフの「カルミナ・ブラーナ」をはじめとする作品群は演奏出来なかったのは見当がつきますが。イスラエル・フィルが演奏した「カルミナ・ブラーナ」のソフトがあれば一度聞いてみたいものです。
by f.m. (2014-04-15 23:04) 

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