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おすもうさん [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 秀実 著の「おすもうさん」を読破しました。

2年ほど前から「何か相撲の本を読んでみたい」と思っていました。
江戸時代のスター「力士雷電」なんかが気になっていましたが、
2010年発刊で272ページの本書をなんとなく一発目に選んでみました。

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ヴィトゲンシュタインが小学生の頃、本場所のTV中継は家族揃っての観戦。
大関、貴乃花が人気絶頂で、ライバルの高見山、横綱は北の湖に輪島の時代です。
母親はなぜか魁傑の大ファンで、その時だけ「きゃ~きゃ~」言ってましたね。
いったいドコが好きだったのか、一度、聞いておけばよかった・・。

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本書の著者は相撲好きのノンフィクション作家であり、外国人向け季刊誌に
相撲を紹介する記事を書くことになっていた話から始まります。
しかし、相撲を知らない外国人にどうやって説明するか・・??
相撲を取る人のことを「相撲取り」と呼ぶし、土俵から押し出すことは「押し出し」、
寄り切ることは「寄り切り」、相撲取りを呼び出す人を「呼出」というわけで、
名詞と動詞が一緒では何の説明にもなりません。

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本場所も朝一から観戦して、日々の稽古こそ「相撲道」の現場・・ということで、
追手風部屋を訪れて、幕下以下の若い衆の稽古の様子とインタビュー。
兄弟子が怖くて思いっきり当たれない・・、喧嘩もしたことないから突っ張れない・・と語る、
巨漢中学生というだけでいつの間にか部屋に連れて来られた若者たち。。
「一般の人は簡単に『横綱目指して頑張って』とか言いますよね。軽々しく言うな、と思います。
横綱になるってことは野球だとイチローになるくらい難しいんです」。
彼らの目標は「雪駄が履ける三段目」や、「給料がもらえ、関取と呼ばれる十両」なのです。

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この当時の追手風部屋の出世頭はグルジアからやって来た「黒海」です。
外国人力士たちが活躍する今の相撲界。
四股名も「風斧山(かざふざん)」に、「琴欧洲」、「把瑠都」、「大露羅(おおろら)」と
ヨーロッパ大陸や大自然を背負っています。
好きだった「把瑠都」は引退してしまいましたが、
来場所からエジプト出身の「大砂嵐」が新入幕です。応援しますよ。

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ちなみに現在、黒海も引退し、この部屋の出世頭はあの「遠藤」くんなんですね。
日本人力士では「右肩上(みぎかたあがり)」とか、「爆羅騎(ばらき)」、「弾丸(だんがん)」など
変わった四股名のおすもうさんが現在もいますが、明治から昭和初期は半端じゃありません。
本書には載っていませんが、笑えるヤツをいくつか紹介してみましょう。

膃肭臍 市作 (おっとせい いちさく)
猪シ 鍋吉 (いのしし なべきち)
三毛猫 泣太郎 (みけねこ なきたろう)
月ノ輪 熊之介 (つきのわ くまのすけ)
電気灯 光之助 (でんきとう ひかりのすけ)
自動車 早太郎 (じどうしゃ はやたろう)
浦島 亀之助 (うらしま かめのすけ)
鬼の臍 常吉 (おにのへそ つねきち)
文明 開化 (ぶんめい かいか)
突撃 進 (とつげき すすむ)
凸凹 太吉 (でこぼこ たきち)
ヒーロー 市松 (ひーろー いちまつ)
一二三山 四五六 (ひふみやま しごろく)
大丈夫 吾三郎 (だいじょうぶ ごさぶろう)
馬鹿の勇介 (ばかの ゆうすけ)

来場所からは序二段の桜潮が「宇瑠虎 太郎(うるとら たろう)」に改名するそうです。
負けてないですねぇ。。

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相撲では「立合い」がとても重要なのはお好きな方ならご存知だと思いますが、
息が合わなくて、「待った」をすると正面審判長からお叱りを受けてしまいます。
江戸時代の初期には行司の合図によって力士は立ち合っていたそうですが、
八角という力士が「待った」を考案・・。
以来、「待った」が流行して、仕方なく行司は合図を止めてしまったそうです。
明治45年の天覧相撲では、ある取組で「待った」を54回、
立ち合うまでに1時間37分もかかったという逸話まで・・。

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しかし昭和3年にラジオ中継が始まると、放送時間に合わせるために
「仕切り制限時間」が設けられ、幕内は10分、幕下以下は5分以内となります。
かなり現在と似たルールですが、10分はまだ長いかな??
今は「時間いっぱい」で立つのが基本ですが、昔は「時間内に立つ」のが多かったとか。
3月場所で白鵬が時間前に立ったことがありましたけどね。
そういえば子供の頃、親父曰く、
「名古屋で相撲観てて、新幹線で帰ってきたら、その取組がまだ仕切ってた」。
まぁ、酔っ払いのジョークなんでしょうが、半分信じてました・・。

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100ページを過ぎると「国技たる相撲とは」といった重要な問題へ・・。
結論から書くと、日本大相撲協会は自ら「国技」だとは名乗っておらず、
政府にしても国宝やら国歌、国旗のように、「国技」と認定しているわけでもありません。
明治時代まで本場所は両国の回向院で一場所10日間の年二回開催。
「1年を、20日で暮らす、いい男」なんてのを聞いたことがありますね。

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野外のため大雨が降ったら中止という粗末な競技ですが、
欧米人に町中を裸で歩いているのを見られるとみっともないと「裸体禁止令」も出て、
遂に明治42年、高さ30mのドーム型スタジアム「国技館」が完成します。
そして「国技館」と名付けられたことで、そこで行われる相撲は「国技」であると・・。
行司の装束も「いかにも」昔風の装束へと変えられ、海外からの国賓も観戦。
しかし、相撲の内容は昔ながらの「暢気」なまま・・。
東京朝日新聞によれば、「八百長に次ぐに八百長を以ってしている。
幕内の力士でも、いやに力の入らない様な取り口をしている。行司もニヤニヤ笑っている。
力士が四つになって、右へ行ったり左へ行ったり、丸でダンスをやっているようだ」。

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さぁ、来ました。相撲と切っても切れない「八百長」です。
大正7年に出版された本では「八百長の禁止は、絶対に不可能である」と記され、
その場所に昇進のかかっている場合、勝ち星を借り、次の場所で返すというもの。
義理人情の為せる技であり、それを拒絶しようものなら、
「あの男はまったく任侠(おとこぎ)がない」と爪弾きにされ、
断ったことで体が強張って、結局負ける。だったら素直に応じた方が得をするのだ。。

数年前にも「無気力相撲」問題が起こりましたが、ある意味、伝統ですね。
当時、国技となって不正、呑気許すまじと価値観が一転すると、
国技らしくないという非難は、「武士らしくない」という言葉へ展開します。
しかし江戸時代に「武士道」を確立した山鹿素行は、
相撲ばかりやると怪我はするし、手足が太くなって見苦しくなるということで、
相撲は相撲取りがする「遊芸」の見世物と説明。
もともと武士道からも外されているのに、「武士道を名乗る資格がない」と
非難されたおすもうさんたち。彼らにとってはほとんど言い掛かりです。。
また、武士道の一種であるかのような「相撲道」などと称されるようになったのもこの頃で、
それまで、そんな「道」はありません。

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今でも「国技なのにだらしない」、「相撲道の精神に背く」という批判的な言い方がある相撲。
昭和の戦時体制に入ると、日本精神を具現化した我が国、固有の技として持ち上げられます。
月刊誌「野球界」は、昭和18年に「相撲と野球」となり、翌年には「相撲界」へ。
米国からの輸入品である野球とは、雲泥の差が出てくるんですね。
「肉弾と肉弾がぶつかり合い、土俵の外へ、踵が一厘、爪先が半毛出ただけでも
敗となるような、厳酷な競技は相撲を除いて、世界中どこを尋ねてもない」。
昭和14年からは「満州場所」も行われ、兵士たちも各戦地で、
或いは艦上で、相撲大会を頻繁に開催します。

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過去に読んだ本でもヒトラーがその強さを褒め称えていたおすもうさん。
来日したヒトラー・ユーゲントも大横綱、双葉山に会いに行っています。

やがて神風特攻が始まると、まさに「体当たり精神」そのものの相撲こそ
見本であると、本場所は開催され続けます。
どことなく「ナチス第三帝国とサッカー」を思い出させますね。 
力士たちも招集され、ピーク時の半分、450人に減り、
残った力士も栄養失調で体重が50kgも減ってしまいます。
そして昭和19年、「風船爆弾」の製造のために天井の高い建物が必要ということで、
ドーム天井の国技館は陸軍兵器行政本部に接収され、
追い出された国技は後楽園球場へ・・。
翌年には東京大空襲。関東大震災で被害を受け、今度も館内は全焼してしまうのでした。

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本書では詳しく書かれていませんが、戦後はGHQによって「メモリアルホール」となり、
蔵前に新たに「国技館」が。そして再び、両国に現在の「国技館」が・・という歴史ですね。

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国技、相撲道について面白おかしく振り返って来た本書ですが、
ここにきて最近の流行言葉のひとつを紹介します。それは「品格」。
この「品格」を誰が求めているのか・・?? それは「横綱審議委員会」です。
昭和25年、5日目までに3横綱全員が休場してしまい、世間から非難を浴びると、
協会は、横綱も成績次第で大関に降格させると決定するものの、
自分たちで決めるとお互い角が立つので、第三者に話し合ってもらおうとして誕生した
第三者委員会ですが、答申と進言をするだけで、実は決定権も責任もありません。

朝青龍が巡業さぼって、モンゴルでサッカーをやっていたのがバレると、
審議委員である内館牧子氏は、
「横綱がやることではない。たとえ己の本心に反してでもだ。これも武士の姿勢だろう」。
個人的には、女性が土俵には上がれないという独特の世界である大相撲に
こんなおばちゃんが物申すのを以前から不思議に思っていましたが、
著者も「武士の姿勢」や、相撲に「品格」の伝統があるわけではないと、
横審に対しては筆も辛辣です。

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後半、立行司である木村庄之助 (33代)のインタビューも面白かったです。
唯一、決定戦以外は本割での同部屋力士同士の対戦はないものの、
行司も呼出も審判もみんなどこかの部屋に所属しており、
その内輪の世界で勝敗が決定されるわけです。
公平・中立という観点からは程遠いシステムですね。
野球でいえば、球団オーナーたちが審判やってるみたいなもんです。。

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行司の黒星である「行司差し違え」についても詳しく解説。
立行司は腰に短刀を差し、「腹を切る覚悟」をしていますが、あくまで"覚悟"。
差し違えた場合には「進退伺い」を出すというところまでは知っていましたが、
もちろん、腹を切った人もいなければ、辞めた人もいません。
進退伺いの段取りとしては、まず理事長室に入り、審判長がお詫びの言葉を話すと、
すぐ理事長がそれを遮り、「今日の勝負は際どかった。あれは仕方ないでしょう。
見る位置も難しかったし、また明日から頑張ってください」という激励の言葉が・・。

9月場所でも、常幸龍-嘉風の一番で顔面に回し蹴りが入ったりして、
行司さんも実に大変です。
この時にも口の中を切りながらも「勝ち名乗り」までシッカリこなしていましたが、
やっぱり、四股名を忘れてしまうことがあるそうです。
土俵上で直接本人に「名前は何だった?」と小さな声で訊いたものの、
本人は息を切らしてハアハアしているし、何を訊いているんだ?という顔をして・・。

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そんな場合には伝統的な名乗り方でその場を凌ぐそうです。
「むにゃ~むにゃ~」。

行司さんの仕事は多肢に渡り、場内アナウンスもその一つです。
過去に木村さんは「東方、横綱、千代の富士」とアナウンスすべきところを
正面審判長の九重親方の姿が目に入り、思わず「東方、横綱、北の富士」と・・。
わかる人がわかる・・というネタですが、
現役時代は知りませんが個人的には北の富士の解説が一番好きです。
特に向こう正面の解説が舞の海だと、イジラれまくってより楽しめますね。

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読み終えて思ったのは、現在の大横綱、白鵬が手本とする昭和の大横綱の双葉山。
確かに双葉山は連勝記録も持っていますが、
その大活躍は戦時の時であり、大相撲が国家スポーツ化した時であるわけです。
だとすれば、その言動や立ち振る舞いも、少なからずコントロールされていたのでは??
そしてその実力と品格が横綱のイメージとして確立したのでは??

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まぁ、難しいことはともかく、純粋に楽しめた一冊でした。
写真が一枚もないのは残念でしたが、ヴィトゲンシュタインのように
"普通に"大相撲中継を観てきた程度の人間でも
何度か思わず「けけけ」と笑ってしまいましたし、
中学生の時に20回は読んだ筒井康隆の「走る取的」が読みたくなって、
本棚からその短編が収められている「メタモルフォセス群島」を引っ張り出しました。
いや~、「走る取的」、この歳になってもホント恐ろしい話です。





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