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対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第2巻〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アラン・ブロック著の「対比列伝 ヒトラーとスターリン〈第2巻〉 」を読破しました。

〈第1巻〉 はヒトラーとスターリンのそれぞれ1934年まで。
ヒトラーは45歳、スターリンは55歳で絶対的な権力を掌握したところでした。
575ページの〈第2巻〉 ではまず、ここまでを
「スターリンとヒトラーの比較」として振り返る章から始まります。

対比列伝 ヒトラーとスターリン 2.jpg

ヒトラーの首相就任に先立つこと100年前にドイツの著名な哲学者、
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが語ったこと・・。
「世界史とは、個人心情や良心の支えとなる道徳が占める地盤よりも、
一段高い地盤で動くものである。見当違いの道徳的な要求を持ち出して、
世界史的な行為とその成果に文句をつけてはならない。
世界史的な人物に対して、慎ましさ、謙虚さ、人間愛、寛容といった
私的な徳目を並べ立ててはならないのである。
このような偉人がその途上で多くの無垢な花々を踏みにじり、
行く手に横たわる多くの者を踏み潰すのは仕方のないことである」。

著者はこの言葉を2人に共通する信念として、この信念こそが
ヒトラーとスターリンを直接比較する時の基礎とします。

Rede Adolf Hitler.jpg

1931年にヒトラーの愛する姪であるゲリ・ラウバルが拳銃自殺すると
その一年後にはスターリンの2番目の妻であるナジェージダが拳銃自殺を遂げます。
ヒトラーとゲリ、スターリンとナジェージダの歳の差も、ほぼ20歳・・。
このような偶然というか、運命というか、不思議なもんですね。。

本書には触れられていませんが、いずれにも他殺説があるんですね。
主役の2人が直接手を下した説から、第3者によるものまで実に豊富です。
ヒトラーを例にとると、姪と変態叔父さんの情事のもつれから、
大事な選挙中に総統を悩ます、邪魔でワガママな姪を側近が・・、というヤツです。

Adolf Hitler _ Geli Raubal.jpg

しかしスターリンは2度の結婚の縁者に対しては血も涙もありません。
3人の子供たちは以前に「スターリン―赤い皇帝と廷臣たち」で書きましたが、
最初の妻エカテリーナの兄はスパイとして処刑、その妻も逮捕されて収容所で死亡。
2人の間に生まれた子供は「人民の敵の息子」としてシベリア送り、
エカテリーナの妹マリアも逮捕されて獄死です。
ナジェージダの妹アンナもスパイ活動の容疑で逮捕されて10年の刑、
夫は「人民の敵」として銃殺、その他、ナジェージダの叔父の妻まで逮捕されています。

Nadezhda Sergeyevna.jpg

続いては大建築合戦。
ヒトラーがシュペーアに依頼した「ゲルマニア計画」に水を差すことがひとつ。
それはスターリンが計画していたモスクワの「ソヴィエト宮殿」が
「巨大なドーム型の講堂」を高さで上回ることがわかったのです。
ヒトラーと同じくスターリンはモダニズムよりも記念碑的な建造物を好み、特徴は規模の大きさ。。
最上部には高さ30mのレーニン像が安置されることになっていますが、
戦争が始まって結局は建築されず・・。

〈第1巻〉を読んでるときにこの宮殿を思い出しましたが、ココで詳しく紹介されました。
ヒトラーは「これでロシアの例の建物は永久に完成しないだろう」とほくそ笑みますが、
戦後、宮殿が6つの高層ビル化けるという変更を余儀なくされたものの、
モスクワの街並みが刷新されるのをスターリンは見続けられるのでした。

Germania Dome_Palace of Soviets.jpg

芸術についても口を挟みたがる両者。
ヒトラーの「ドイツ芸術の家」と「退廃芸術展」などにも触れられ、
モダニズムを嫌っていたのと同様、
スターリンも書物に芝居、オペラに対して口をだし、賞賛したり、非難したり・・。
彼の求める芸術は、ソ連の生活をありのままに描くのではなく、
自分が望み、必要と感じ、そうだと信じたように描かれる芸術です。
政権を支持する作家の影響力を重要視し、存命中のロシア人作家では最も優れていた
マキシム・ゴーリキーをイタリアから帰国させて、効果的に利用します。

そういえば最近、この作家の名前をWebで良く目にしますが、
剛力彩芽ちゃんが「ゴーリキー」って言われてるんですね。。可哀想に・・。
「八重の桜」にも出ててビックリ・・・くなんしょ。。

Maxim Gorky_Stalin.jpg

この比較の章の〆には両者のイデオロギーを簡単に説明します。
ナチのイデオロギーがバラバラで、時には矛盾していたことは周知のとおりですが、
本書ではこのように解説。
「ヒトラーの場合には、総統である彼がイデオロギーだとしたものがイデオロギーだった」。
一方、スターリンの場合、
「マルクスとレーニンがイデオロギーだと言ったと、
書記長であるスターリンが認めたものこそがイデオロギーなのであった」。

次の第11章は「総統国家」と題して、ヒトラーとナチス・ドイツの1938年まで。
ヒトラーがヒンデンブルク大統領の後継者になってから、
政府の日常的な業務から手を引いてしまい、既存の省庁にナチ党の各部署、
各州の長官と大管区指導者が対立し、SSのヒムラーとハイドリヒによって警察も合体。
実際は問題だらけの行政はヒトラーの気まぐれな介入によって一層悪化し、
「独裁主義の無政府状態」、「永遠の一時しのぎ」などと言われます。

Hitler speaking at the renovated Reichskanz​lei..jpg

反目しあう共産党と社会民主党を叩きのめして、指導者を逮捕し、
彼らの資産を奪うことが成功しても、その支持者たちはまだ1000万人以上・・。
ゲッベルスを中心としたダイナミックなプロパガンダ作戦で
批判の声を押さえつけようとします。

nazi 11584.png

1月30日の「ヒトラー首相任命の日」から祝祭日のカレンダーは始まり、
2月24日は「1925年に党を再建した日」、4月20日は「ヒトラーの誕生日」、
11月9日は「1923年のミュンヘン一揆の記念日」となって、
9月には数日間に渡る盛大な「ニュルンベルク党大会」が開催されます。
何万人という人々が直接参加することを求められ、参加しなかったり、
国旗の掲揚を怠ったりすれば、街区監視者の目に留まり、
「政治的に信用できない人物」としてマークされて、職場での昇進の妨げから
免職、逮捕・・へとつながっていきます。
ナチ党の都合たっぷりの祝日ですが、5月にはちゃんと「母の日」があるところがなんとも。。

Heil!!.jpg

そのころ、農業の集団化に第1次5ヶ年計画の過酷なキャンペーンを終えたスターリン。
自分自身を敵意に満ちた世界に立ち向かう偉大な人物だと想像し、
そこに住む嫉妬深くて油断のならない敵が常に陰謀を凝らしていて、
先に攻撃を仕掛けなければ自分がやられてしまうと妄想する偏執症。。
トロツキーが「人民の敵」として国外追放され、
レニングラードでは力をつけてきた第1書記のキーロフが暗殺されます。
そして始まった「大粛清」。
死刑を含むあらゆる刑罰の適用が12歳の子供にまで広げられ、
国外逃亡も死刑となり、その「裏切り者の家族」はそれを知っていようが、
知るまいが禁固刑という、人質制度を導入。

Kirov_Stalin 1934.jpg

「クレムリンでスターリンの暗殺を企てた」というフィクションが準備され、
古参ボルシェヴィキを含む40名が逮捕。
古い仲間のブハーリンやルイコフも追放され、NKVD長官のヤーゴダも・・。
そしてソ連の歴史でも身長わずか150㎝程度の小人ほど、
軽蔑と憎しみの感情をかきたてた者は他にいないと紹介されるエジョフ
粛清されたヤーゴダの後任として、テロ機構を作り上げます。
もちろん、トハチェフスキー元帥らの赤軍も大粛清の餌食です。

Stalin_Bukharin.jpg

大飢饉を味わったウクライナはその独立した地位を潰そうとするスターリンの標的となり、
モロトフフルシチョフ、そしてエジュフの委員会がNKVDの大部隊とともに乗り込み、
ウクライナ政府の閣僚17人全員が逮捕され、ウクライナ中央委員会の102人のうち、
生き残ったのはわずか3人のみ。。
ウクライナ共産党は事実上壊滅し、フルシチョフが党第1書記に任命されて
再建を任され、ブレジネフなど、若い幹部候補生を育てるのでした。

Khrushchev_Brezhnev.jpg

このNKVDの活動の基盤は「自白システム」です。
証拠というものは一切関係なく、とにかく囚人が自分の罪を認め、他者を告発すること。
そしてそれには「拷問」が必要な場合も多々あり、
本書では睡眠や食事を許さず、数日間もぶっ続けで尋問するという基本的な「コンベア」から、
当たり前の「殴打」、お前の子供を銃殺する・・と脅す心理作戦に、
隣室で女性のあげるかな切り声を奥さんだと思わせるゲシュタポ方式など。。

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グラーグ」で書かれていた収容所と、その極東の流刑地帯についても詳しく、
フランスの4倍もの広さのコルイマ地方では50万人が働き、
氷点下70℃にもなるこの収容所では氷点下50℃まで戸外労働が強制され、
どこよりも死亡率が高い・・と、まぁメチャクチャですね。
ちなみにNKVDの職員も粛清されると、ココへ飛ばされて収容所職員になるそうです。

kolyma_gulag_crosses.jpg

次の章では1936年~38年までの独ソの外交政策について比較します。
スペイン内戦では、ゲーリングブロムベルクカナリスの意見を聞いたヒトラーが
フランコ将軍を援助することを決め、コンドル軍団を派遣。
スターリンは共和国政府を援助することを決定します。
まぁ、しかし、当時のスペイン国内の状況にイタリア、フランスなども絡んでいるこの話は、
一度、ガッチリ勉強しないと、ど~も良くわかりません。
やっぱりビーヴァーの「スペイン内戦―1936-1939」を読むしかなさそうですね。

LEGION CONDOR Y MOROS POSIBLEMENTE REGULARES.jpg

そしてヒトラーは外務省をナチ化するために外相フォン・ノイラートを解任し、
英国大使リッベントロップを抜擢します。
また、国防軍に対して不満があるものの、スターリンの行った「赤軍大粛清」規模のことを
実施するわけにもいかず、そこでブロムベルク=フリッチュ事件によって
国防相と陸軍総司令官を葬り去り、OKW(国防軍最高司令部)を創設することで、
保守的で口うるさいOKH(陸軍最高司令部)を無視することに・・。
OKW長官にカイテル、作戦部のヨードルが登場してくると、いよいよといった雰囲気ですね。

Adolf Hitler, Hermann Göring, Werner von Blomberg, Werner Freiherr von Fritsch and Erich Raeder.jpg

第14章は遂にお互いが直接絡み合う「独ソ不可侵条約」です。
1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合され、一つの国が地図から抹消。
そしてもう一つの国も脅威にさらされていることをスターリンは危惧します。
チェコスロヴァキア・・。もし、この国まで併合されることになれば、
ヨーロッパの勢力の均衡が崩れ、ドイツ軍がソ連国境のすぐ近くにやってきます。
しかも、仏ソ条約によってチェコが攻撃された場合、それを支援する義務も・・。

こうした戦争の危機に反ヒトラー派の陸軍参謀総長ベック
その後任のハルダーを中心にクーデター計画が練られる一方、
英首相チェンバレンの訪独と、それに続く4ヵ国のミュンヘン会談によって
戦争の危機はなんとか回避されますが、ソ連は孤立主義に傾いています。

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スターリンは英仏が侵略者に立ち向かえなかったのは、国力の弱さが原因ではなく、
とりもなおさず侵略を黙認し、戦争が起こるのを黙って見ていること・・と考え、
この危険なゲームの行き着くところは、英仏がドイツをそそのかして東に進ませ、
「さっさとボルシェヴィキに戦争を仕掛けろ。そうすれば、万事うまくいく」と
互いに相手を弱め、消耗するのを待っていると思っているのです。

soviet-poster-munich-agreement.jpg

こうして「独ソ不可侵条約」が締結。日本の内閣は衝撃によって倒れ、
ドイツ軍の年配の将軍たちは、フォン・ゼークト将軍の持論だった「ソ連との協調」
ヒトラーが立ち返ったことを喜んで、プロイセンの宿敵たるポーランドへの電撃戦に向けて、
若い将軍も自分たちが何ができるかを示す機会だと喜ぶのでした。

Adolf Hitler watching parades at the Reichs Veterans Day at Kassel, 4 June 1939.jpg

最後の章は「ヒトラーの戦争」。
1939年9月、ポーランドに侵攻したドイツ軍。
そのあまりの速さに、東の領土を貰う約束のスターリンも慌てふためきます。
ドイツ領となったポーランド西部ではヒムラーのSSの手荒さに、総督ハンス・フランクが抗議。
ソ連領となった東部では、商工業を国有化して、農業を集団化。
赤軍を伴った行政官がウクライナ人と貧しい農民を駆り立てて、
ポーランド人の地主、富農、警官を襲わせ、ポーランド人支配下の20年間、
彼らを苦しめてきた不正に報復するため、積年の恨みを晴らさせます。
また、ポーランド軍将校の扱いについては、もちろん「カティンの森」なわけです。

Himmler in Poland.jpg

その後にソ連が起こしたフィンランド侵攻ではヒトラーが中立を守ったことで、
似た者同士のNKVDとゲシュタポが協力関係を示すことになります。
それはソ連の強制労働収容所に服役中のドイツ人共産主義者ら、500名を選んで
ゲシュタポに引き渡し、その全員が今度はナチの強制収容所に移されたというものです。

その中の一人、1937年に粛清されたスターリンのかつての盟友だったハインツ・ノイマンの妻、
元共産主義者のマルガレーテ・ブーバー=ノイマンは
ラーヴェンスブリュック女性収容所へと送られ、1945年に解放されますが、
スターリンとヒトラーの両方の強制収容所を経験して生き残った数少ない例だということで、
ちょっと調べてみると、彼女の書いた
「スターリンとヒットラーの軛のもとで―二つの全体主義 」という本があるのを発見しました。

buber-neumann.JPG

翌1940年には西方電撃戦が成功し、絶好調で有頂天となったヒトラー。
そんな8月にスターリンも生涯またとない喜びを味わう瞬間が訪れます。
それは永遠のライバル、トロツキーの死。。
メキシコに滞在していたトロツキーに前年の「独ソ不可侵条約」の際、
「ヒトラーの補給係将校 スターリン」という見出しの屈辱的な記事を書かれていただけに、
粛清されたエジョフに代わったNKVD長官ベリヤにハッパをかけ、
「もっと力を入れてトロツキーを黙らせろ」と命令した末の暗殺成功です。

Dead Trotsky.1940.jpg

最後のページである575ページ目には、「バルバロッサ作戦」を命じるヒトラー。
〈第3巻〉は、まさに「独ソ戦」ですね。







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うなぎ

日本共産党は昔、資本主義国が福祉を取りいれるのはおかしい、それは共産主義国になってからするべきだと主張していた。
日本共産党はかつて、中国共産党の手先であった。
日本共産党の本音は日本国を共産主義国にすることであるが、口が裂けても本音は言わない。

by うなぎ (2013-07-13 16:27) 

NAL

こんにちは
ビーヴァーの「スペイン内戦―1936-1939」読んでてこんがらがってきて
途中で放り出してしまいました、ヘタレな私・・・。
いつかちゃんと読めるようになりたいなあ。
by NAL (2013-07-14 10:13) 

ヴィトゲンシュタイン

NALさん。ど~も。こんばんわ。
ビーヴァーの「スペイン内戦―1936-1939」、そんなになっちゃいますか・・。
この関連ではバーネット・ボロテン著の「スペイン内戦―革命と反革命」もありますが、ボリューム(と値段)が半端じゃないですし・・。

by ヴィトゲンシュタイン (2013-07-14 18:04) 

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