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パリとヒトラーと私 -ナチスの彫刻家の回想- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルノ・ブレーカー著の「パリとヒトラーと私」を読破しました。

2011年に発刊された347ページの本書は、この数年、ヒトラーとなんとか・・や、
ナチスのなんとか・・という新刊はチェックしているだけに気がついてはいましたが、
著者の名を知らないことからスルーしていました。
しかし3月の「ヒトラーと退廃芸術」で著者の彫刻家を知りました。
彼は1936年のベルリン・オリンピックの大きな彫刻でヒトラーに認められ、
表紙の有名な1940年のヒトラー・電撃パリ観光に同行した芸術家です。
このようにして「独破戦線」は半永久的に続いていくんでしょうか。。
それではナチス芸術シリーズの第2弾として、早速、いってみましょう。

パリとヒトラーと私.jpg

まずはその1936年のベルリン・オリンピック競技場正面を飾る
彫像製作を競うコンクールから始まります。
すでに著名な彫刻家15人が参加しており、著者のブレーカーは、
3.25mの高さの2体の彫像を作成します。
そしてこの2体、「十種競技の走者」と「オリーヴの小枝を持った勝利の女神」は
見事、銀メダルの輝くのでした。

Der Zehnkämpfer fürs_Die Siegerin fürs Olympia-Stadion, Berlin (1936).jpg

「ヒトラーと退廃芸術」にも書かれていたゲッベルスによってミュンヘンで開催される
「ベルリン美術展」の選定に参加し、ミュンヘンの大管区指導者ワーグナーが乱入してきた話も・・。
そして1937年の「退廃芸術展」を中止させるために奔走します。
そんなナチ党員ではないものの、一目置かれている芸術家の著者の元に翌年現れたのは、
ヒトラーの主任建築家、アルベルト・シュペーア
新しい総統官邸の模型を見せ、中庭の階段両端に立つ、2体の彫像の製作依頼です。

Es sind Entwürfe für die Ausführung der überlebensgroßen Figuren am Hauptportal der Neuen Reichskanzlei in Berlin.jpg

ドイツの都市を刷新するための仕事が任されたシュペーアのために働きたい・・
という願望が芽生えた彼は、一方は松明、一方は剣を手にした彫像を製作。
その作品にいたく感動したヒトラーの指名によって、ゲルマニア計画の中心のひとつ、
円形広場の直径126mもの巨大な噴水の製作の依頼まで舞い込んでくるのでした。

Es sind Entwürfe für die Ausführung der überlebensgroßen Figuren am Hauptportal der Neuen Reichskanzlei in Berlin2.jpg

ここまで、著者ブレーカーの生い立ちなどには触れられませんでしたが、
徐々にそれらも回想されます。
1900年生まれでデュッセルドルフの芸術学校で彫刻と建築を学び、
その後、パリで腕を磨き、1927年にはヒンデンブルク大統領の胸像の注文を受け、
大金を貰って2年間はパリ生活を謳歌・・。

Az Arno Breker-féle szobrokkal tagolt Körtér.jpg

こういった経歴で同世代のシュペーアとも親友になり、ヒトラーの主治医カール・ブラント
自宅を訪問してくるなど、ヒトラーの側近たちの仲間入り。
ソ連から外相のモロトフがやって来た時には、直接、仕事の依頼まで・・。
「我々には巨大な建築がいくつもあり、そこに置かれている石の塊は、加工されるのを
待っているのです。スターリンはあなたの作品の熱烈な賞賛者です」。
唖然としながらも、丁重に謝意を示すしかありません。

Arno_Breker,_Albert_Speer_(1940).jpg

1940年6月の朝、突然、電話が鳴り響きます。
「ゲシュタポだ! 我々はあなたに小旅行の準備をするように指示する!」
訳もわからずJu-52に乗り込み、ベルギーの総統指令部へ。
そこでヨードル少将と陸軍副官エンゲルを従えて、ヒトラーが登場します。
「数年来、私はパリを訪れたいという燃えるような願望を抱いてきた。
パリは私にとって模範なのだ。ドイツの都市の改造計画をパリと比較照合することができるだろう」。

こうしてパリに詳しい芸術家の彼がお供をすることになり、
空軍のボーデンシャッツ、カール・ブラント、エンゲル、ボルマン、カイテルも同行が決定。
陸軍中尉の階級の付いたコートと士官帽だけを身に付け、翌朝、午前3時に出発します。

visite-hitler-paris.jpg

占領されたばかりのパリは死んでいるかのように、人っ子ひとりいません。
電撃ツアーの一発目はオペラ座です。そこでは国防軍の分遣隊が待っていて、
責任者はシュパイデル大佐・・。あのシュパイデルですね。。
当然、いろんな本に登場するフランス人の守衛の逸話・・
ヒトラーがチップを渡すよう求めても、キッパリ断られたなど・・も、
その断られた本人ですから、実に詳しく書かれています。

Paris 1940_Hitler Keitel and Colonel Hans Speidel.jpg

続いてマドレーヌ寺院、コンコルド広場にシャンゼリゼ大通りを進み、凱旋門へ。
ヒトラーが再び車を止めさせると、眼前にはエッフェル塔の姿・・。
ヒトラーはエッフェル塔という存在に、芸術的着想を基礎に技術と機能性が
理想的な形をとった、最も幸運な典型と見ていたとして、パリの建築家たちに敬意を表します。

Paris 1940_Hitler_Bormann,  Breker, Speer,.jpg

ある意味、メイン・イベントであるのはアンヴァリッド(廃兵院)のだったように思います。
礼拝堂正面の見事な建築もさることながら、その内部にあるのは「ナポレオンの墓」。
ヒトラーは制帽を手に持ち、胸に当て、頭を下げるのでした。

Hitler viewed Napoleon's tomb.jpg

まだまだ、ノートルダム大聖堂にルーヴル美術館と名所を巡るなか、
新聞売りが車両の隊列を見て近づいてきますが、ヒトラーの顔に気がついた彼は、
口をあんぐりと開け、新聞を放り出して、助けを求めて逃げ去っていくのでした。
本書は写真も豊富でなかなか楽しめます。

Les Invalides hitler.jpg

この140ページほどで、ヒトラー唯一のパリ観光の部分は終わってしまいましたが、
まだまだ面白いエピソードがいろいろと紹介されています。
著者が気になっていたのは大聖堂のあるランス。
前大戦では激しく傷ついたこの町は今回、果たして無事なのか・・?
行ってみるとランスに至る道路は軍司令官によって完全封鎖されています。
その理由は、町の地下の迷路となった巨大な酒蔵に眠る
億を数えるシャンパンの略奪を回避するためのものだった・・。

Champagne caves.jpg

また1941年に初めてベルヒテスガーデンを奥さんと共に訪れると、
ヒトラーは彼のギリシャ人の奥さんの姿を見て動揺し、急いでやってきます。
「マダム・ブレーカー、お会いするまで、あなたのことをしきりに思っておりました。
政治上の回避しえない揉め事によって、ギリシャの英雄的な国民を敵に回して
戦争を始めたことが、如何に私にとって苦痛であったか・・」。

Arno Breker  im  Atelier.jpg

そして6月22日を迎えると、彼の家にやって来たのはマルティン・ボルマンです。
いつもの燦然とした自信は消え、意気消沈したボルマンは語ります。
「君はラジオでソ連との戦いが始まったことを知ったね。
厳しいことになるだろう! 我々は、存在と非存在の境界にいる・・」。
手を取りながら、これが言うべきことのすべてだ・・と去っていくボルマン。。

ボルマンについては結構書いていて、特に彼の奥さんも
「貴族の出で、驚くほどの美しさだった。7人の子供たちの母親であった彼女は、
その優しさによって、野蛮な見せかけの夫と好対照をなしていた」と、
この奥さん、ゲルダの胸像まで作っていたようです。

Breker_frau_bormann.jpg

しかし軍人でもSS隊員でもない芸術家の彼は東部戦線とは関係がありません。
1942年にはパリのオランジェリー美術館で個展を開催。
それを楽しみにやって来るのは美術品蒐集家のゲーリングです。
「これらの作品はベルリンのもので、何一つ売渡しはしないように!」
特にゲーリングは、びた一文も払わない・・とヒトラーからも忠告されている
非常に厄介な展開です。
すると案の定、「おおっ! ここにカリンハルに置きたいと思ったものがある」。

Inauguration à l'orangerie de l'exposition Arno Breker en mai 1942.jpg

後に広大な森林のなかにあるカリンハルを訪れた著者。
ゲーリングは武器のコレクションを見せようと部屋に誘います。
中世のドイツの傭兵が使っていたどっしりした剣を壁から取り外し、
両手で振って見せるゲーリング。
「ボルマンの首をこの剣で切り落としてみたい。
奴は総統を孤立させようとしているし、報告を加減し、
前線に関して常識外れで破滅的な決定をさせている。
我々、古くからの取り巻きは受け入れられず、もはや総統に話をすることもできない・・」。

Arno_Breker_-_Der_Rufer.jpg

ヒトラーがフランス人芸術家に対する共感の気持ちがあることに気付いた彼は、
25000人もの芸術家たちが捕虜として無益な生活を送っており、
彼らを解放する試みを実践します。
しかし、アンリ・ジロー将軍の収容所からの逃亡が、この希望を打ち砕くのでした。

戦後にグデーリアン将軍と再会し、敗北の理由を話し合い、
米陸軍情報部から出頭を命ぜられ、「連合軍はあなたを逮捕することを禁じられている」
ことを伝えられます。ただし心から悔いていることを公に表明するように・・。
そのような忠告は、彼の芸術家としてのプライドが許さないのでした。

Adolf_Hitler_-_Arno_Breker_Medallion.jpg

最後の章はフランス人の友人たちについて語ります。
活動的な共産主義者とされたピカソが逮捕されそうだと知ったブレーカー。
ベルリンのゲシュタポ本部に乗り込み、長官のミュラーに直談判。
「ピカソを捕まえてみなさい。世界中の新聞が大騒ぎをして、
あなたは茫然とするだろう。あなたは国際世論を考慮しなければ・・」。

他にはジャン・コクトーともかなり仲良しですし、
ジャン・ポール・ベルモントの彫刻家の父とも友人。
<ドイツのミケランジェロ>とも称され、
後年はサルヴァドール・ダリとも知り合って、胸像を製作したり・・。

MY FRIEND SALVADOR DALI By Arno Breker.jpg

訳者あとがきによると、本書はブレーカー自身がドイツ語で書いたものが
フランス語に翻訳されて1970年に出版されたものの日本語版だということです。
今回、興味が湧いたのでブレーカーの作品もいろいろと調べてみましたが、
本書に書かれていない第三帝国関係者の胸像も結構、作成していて、
ヒトラーやリヒャルト・ワーグナーは当然ながら、ゲッベルス
シュペーアの奥さんマルガレーテ、ゲーリングの愛娘エッダちゃんまで・・。

Breker_portraet_Goebbels_Edda Goering.jpg

ドイツ人ながらも芸術家同志の付き合いを大切にし、
フランス人の友人を助けた経緯なども書かれた本書ですが、
ヒトラーの側近の一人としての、今まで読んだことない様々なエピソードが楽しめました。
また、単なる側近ではなく、ヒトラーの認めた芸術家としての彼に絡んでくる
シュペーア、ゲーリング、そしてボルマンの芸術観もなんとなく理解出来ました。



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コメント 2

ジャルトミクソン

いつも楽しみに拝見しております。

まったくしらなかった話の連続でびっくりでした。
ボルマンという謎の多い人物がだいぶ絡んでいるのが特に。
一方ヒムラーはまるっきり芸術の素養がなかったんでしょうかね。
by ジャルトミクソン (2013-05-20 00:14) 

ヴィトゲンシュタイン

ボルマンが出てくると、ボクも俄然興味が出てきます。
ただ、この人は食えない人物ですから、ホントに著者と友人になったのか?? いつものように総統が認めた芸術家という理由で接近していたのでは?? とも思えますね。
一方、ヒムラーはこの方面は全然ダメです。。本書にもチラっと出てきますが、ベースが古代ゲルマン様式ですから・・。
児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈9〉」でも、後継者に悩むヒトラーに、秘書が「ヒムラーは??」と薦めるも、、「あいつには芸術的センスがない」と一蹴してました。。

by ヴィトゲンシュタイン (2013-05-20 07:07) 

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