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ポルシェ博士とヒトラー -ハプスブルク家の遺産- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

折口 透 著の「ポルシェ博士とヒトラー」を読破しました。

第三帝国モノにはある意味、「付き物」であるポルシェ。
ポルシェ・ティーガーにエレファント、マウスといった訳あり戦車に
国民車であるフォルクスワーゲン
1988年発刊で195ページの本書は以前から知っていましたが、
ニセドイツ<3>」と「宮崎駿の雑想ノート」で
ポルシェ博士が紹介されたこともあって、本書を読んでみることにしました。

ポルシェ博士とヒトラー .jpg

著者はモーター・マガジン誌の編集長を務めた方で、
「はじめに」では、フォルクスワーゲンという矛盾に満ちた車の創られた動機、
その技術の流れを、ポルシェとヒトラー、2人を通じて解き明かそうとした・・、
ということで、1875年生まれのフェルディナント・ポルシェの生い立ちへ。

hitler_Ferdinand Porsche.jpg

オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方のマッフェルスドルフ生まれ。
チェコスロヴァキアの首都プラハよりも、ドイツ国境まで10キロ満たず・・という場所です。
当時、実用化されつつあった電気に興味を示し、屋根裏部屋で実験を繰り返す少年。
18歳でウィーンへ上京し、電気装置のメーカーに勤めます。
23歳の時にローネル・ポルシェという電気自動車を製作し、
1900年のパリ万博にも出品されて大反響・・。
その5年後にはオーストリア最大の自動車メーカーである
アウストロ・ダイムラー社の技師長に抜擢されます。

ferdinand-porsche-in-the-lohner-porsche-car.jpg

そんな頃、やっぱり18歳でウィーンへ上京してきたのは14歳年下のヒトラーです。
画家を目指して挫折、浮浪者のような生活・・と、若きアドルフくんをしっかりと紹介。
そしてヒトラーの家系も元をたどればチェコに近く、ポルシェと同じボヘミア系であり、
いずれにしろ2人ともハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国出身なわけですね。

そして本書はオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する第1次世界大戦と、
20世紀初頭のT型フォードに代表される自動車開発の歴史などを織り込みながら進み、
ヒトラーの台頭、ポルシェのダイムラー・ベンツでの業績へと続きます。
メッサーシュミットに搭載されたDB600エンジンの設計などもやってるんですねぇ。
しかし一癖も二癖もある技術屋ポルシェは、1931年、遂に独立します。

Bayern,_Hitler.jpg

その翌年、火の車状態のポルシェの元にやって来たのはソ連の技術使節団です。
「ソ連政府の技術的進歩、動力化および電気設備と
その可能性を貴殿の目で判断して頂きたい・・」。
好奇心旺盛なポルシェは申し入れを快諾してキエフ、クルスク、オデッサへと旅をし、
自動車工場に戦車、トラクター、航空機工場を視察。
本書ではスターリンの目的は、ポルシェ本人を手に入れることであり、
「国家設計家」の称号を与えようとした・・としています。

1923_Ferdinand_Porsche.jpg

第1にレーシングカーをつくること。
第2に大衆のために廉価な乗用車をつくること。
第3が優れた農業用トラクターをつくること、というのがポルシェの夢。
第3だけならその可能性はあるにしても、それ以外は難しいと悟った彼は丁寧にお断り・・。

ドイツではナチスが政権をとって間もない1933年2月に開催された
恒例のベルリン・モーターショーでヒトラーが演説します。
「国家を真に支えている国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、
素晴らしい生活を約束してくれる。我々は今こそ「国民のための車」を持つべきである」。

1933  Adolf Hitler admires the new Mercedes-Benz W25.jpg

暫くして総統官邸に呼び出されたポルシェ博士。
ヒトラーは国民車についてのアイデアを述べ、1000マルク以下の自動車開発計画の提出を求め、
1934年6月、ドイツ帝国自動車産業連盟(RDA)とポルシェ設計事務所は正式に契約を交わします。
その翌年のモーターショーではヒトラーの演説にもプレッシャーが・・。
「私は優れた技術者、ポルシェ博士がその才能のすべてを注ぎ込んだドイツ大衆車の
設計を完了し、試作車のテストを行うまでになったことを大いに喜びとするものである」。

VW Porsche_Hitler.jpg

ドイツ労働戦線に直属するフォルクスワーゲン生産会社が設立され、
フリッツ・トート率いる建設部隊によってハノーヴァー近くの荒地に
生産台数100万台を目標とする超近代工場が設立。

Construction of the power plan complex at Wolfsburg.jpg

戦後、この場所が日本代表キャプテンのいるヴォルフスブルクとなるわけですね。
メインスポンサーは当然、フォルクスワーゲン。

Hasebe Wolfsburg.jpg

そしてこの工場の起工式でヒトラーは、この大衆車を「KdF」と命名します。
KdFとはドイツ労働戦線の下部組織である「歓喜力行団」のことであり、
確かに当時のポスターは「KdF Wagen」となっていますね。

KdF wagen.jpg

毎週6マルク、4年間払い込めば手に入る予定のこの国民車ですが、
1939年には戦争が勃発し、結局は国民の手には渡らず、
「キューベルワーゲン(たらいの車)」として、軍事用に大量生産されるのでした。

kubelwagen.jpg

後半には「独裁者と自動車レース」という章が出てきました。
自動車好きのヒトラーだけではなく、兄貴分のムッソリーニも自動車レースを重要視。
1927年にはミッレ・ミリア(1000マイル)レースを企画し、1933年にはアルファ・ロメオを国有化。
「イタリアのためにレースに勝て」という電報をチーム監督のエンツォ・フェラーリに送るほど・・。

The Racing Team Alfa Romeo,Enzo Ferrari, Benito Mussolini,.jpg

そんなイタリア車に勝つべく、政権をとったヒトラーはダイムラー・ベンツととポルシェに
レーシングカーの設計を打診し、すでに設計図の完成していたポルシェ・エンジンを
アウト・ウニオン社で製作させます。この会社は後のアウディなんですね。
こうして、ベンツとポルシェのPワーゲンと呼ばれるレーシングカーは
グランプリ・レースでイタリア勢を圧倒・・。
レーサーとしてはフォン・ブラウヒッチュ陸軍総司令官の甥マンフレートもご活躍です。

Manfred von Brauchitsch.jpg

一度もレース場には姿を見せなかっヒトラーですが、
ベルリン・モーターショーの開幕式典では総統官邸の前にレーシングマシンを整列させ、
ショー会場までベルリンの街中を走らせて満足するのでした。

1939, A racing car passing by Hitler.jpg

最後は戦車の章です。
ポルシェ博士は1943年ごろに「ドイツ戦車委員会」の議長を務めていたそうで、
お馴染みポルシェ・ティーガーがヘンシェル社に敗北した話や、
クルスク戦に向けて回転砲塔を持たないフェルディナンド(エレファント)の製造、
そして超重戦車マウス・・と、ポルシェ寄りの本書でもダメ出しされます。

Ferdinand Porsche Tiger(P).jpg

戦後はフランス軍占領下で対独協力者として逮捕されたルイ・ルノー
別荘の門番小屋に幽閉されたという出来事まで書かれていました。
ヴィトゲンシュタインは自動車に乗らないので、本書にも多く書かれている
自動車開発の話やフォルクスワーゲンのエンジンやデザインの特性は端折りましたが、
なかなか幅広く書かれていて、初めて知った興味深いエピソードもありました。

Adolf Hitler was presented with his own volkswagen convertible.jpg

同じ、グランプリ出版からは2007年に「ポルシェの生涯―その時代とクルマ」
という本が出ていました。
コレを書いている今、気がつきましたので、タイトルからもひょっとすると本書よりも
ポルシェ博士の人生については詳しく書かれているのかも知れませんね。





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コメント 2

ハッポの父

ヴィトゲンシュタイン様こんにちは!

偶然オークションに出品されてました!

http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w84275732

ちょっと高いですね~
by ハッポの父 (2013-03-12 18:00) 

ヴィトゲンシュタイン

ど~も、ハッポの父さん。
こりゃ凄い! 初めて見ました。
38000円かぁ・・。欲しいなぁ。。
いや~、でも高いですねぇ。
グリーンジャンボが当たるのを祈るのみ・・。

by ヴィトゲンシュタイン (2013-03-12 19:37) 

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