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モスクワ攻防戦 -ドイツ軍クレムリンに迫る- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェフレー・ジュークス著の「モスクワ攻防戦」を読破しました。

2年半ほど前に出た「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」でも
そろそろ買ってみようか・・と思っていたところ、同じタイトルである
1972年の第二次世界大戦ブックスの本書を先に読んでみることにしました。
著者は以前紹介した名著「スターリングラード―ヒトラー野望に崩る」の方で、
訳者さんも大好きな加登川 幸太郎氏というコンビです。
東京はモスクワのごとき大雪となりましたので、我ながらナイス・タイミング。。

モスクワ攻防戦.jpg

「はじめに」を書くのは、ハッソ・フォン・マントイフェル装甲兵大将です。。
思わず「うわっ!」と仰け反ってしまいました。
こういう古い本というのは、このような驚くような仕掛けがあるのが嬉しいですね。
4ページほどバルバロッサ作戦の経緯が語られ、
当時、彼は連隊長の大佐(第7装甲師団)であったということです。
そして著者の「スターリングラード」、「クルスク大戦車戦」にも触れて、
本書に対するお墨付きまで・・。
そ~ですか。そういうことなら未読の「クルスク大戦車戦」も早速、読まなければ・・!
まさか「はじめに」を書いているのはヘルマン・ホトじゃないでしょうね?

Hasso-Eccard Freiherr von Manteuffel 1941.jpg

第1章は「北国の白熊-ジューコフ」です。 
予想を裏切る出だしですが、まずはここで「陥落寸前のモスクワを救った男」として、
1896年(明治29年)生まれの彼の簡単な生い立ちから
第1次大戦と、それに続く内戦が終わった時、彼は赤衛軍の精鋭である
ブジョンヌイの第1騎兵軍の中隊長であり、旅団長であったティモシェンコがとの触れ合いが
のちに国防大臣と44歳の若き参謀総長という関係に繋がって行くことを紹介します。

zhukov.jpg

第2章はうって変わって、ポーランドとフランスを席巻したグデーリアンドイツ軍装甲部隊と
対ソ戦の戦略を練る参謀総長ハルダーが、当時、第18軍参謀長だった
エーリッヒ・マルクス少将を特別補佐官として攻勢作戦を研究させていたということです。
お~、この人は1944年にノルマンディ地区の責任者だった人ですねぇ。
そして1941年6月22日に始まった「バルバロッサ作戦」。
1日平均、30㎞に近いスピードでフォン・ボック元帥の中央軍集団は驀進。
先鋒を務めるのはグデーリアンとホトの第2、第3装甲集団です。

Guderian_Hoth.jpg

開戦19日目にして680㌔も前進してスモレンスクまで侵入し、
モスクワまで残り420㌔・・。今までの前進速度なら、あと2週間の行程です。

panzers in russia 1941.JPG

一方のソ連側ではティモシェンコとジューコフのコンビが必死で防戦。
前線ではコーネフエレメンコなどが登場しながら独ソ戦記が続きます。
そして8月、とりあえずはモスクワへの前進を中止する総統命令が・。
キエフ包囲のために南方軍集団へと向かうグデーリアンの装甲集団。
ドイツ軍の前進速度は75%も落ち、逆に損害は50%増大するという事態に陥るのでした。

Barbarossa-PanzergrGuderian.jpg

そしてヒトラーレニングラード、モスクワ、キエフの3ヵ所の目標から
首都モスクワを外します。これに大反対するのは陸軍総司令部です。
「ソ連側の狙いが冬まで持ちこたえようとしているのは明らかだ。
もしソ連がそれに成功すれば、避けなければならない二正面戦争に
引きずり込まれることにもなろう。
それを避けるための最上の方法はモスクワを攻撃することである」というのがその主張です。

russia_1941.jpg

9月、ソ連の歴史上最大の敗北である「キエフ大包囲」によって、
スターリンは50万人の死者、捕虜、行方不明者を出します。
グデーリアンにとっては彼の装甲戦闘理論の正しいことを自ら証明し、
いよいよ、モスクワに目を向けるのでした。
そして"秋の上天気"の最中、9月30日に開始されたモスクワ侵攻「台風作戦」。
しかし10月6日には早くも"悪路の季節"が到来してしまい、進撃速度はガタ落ちに・・。

horse drawn supply.JPG

レニングラードを立て直したジューコフは危機迫るモスクワ防衛を任され、
100万という大部隊を指揮することになります。
そして204ページの本書のちょうど真ん中を過ぎた112ページから、
後半にかけての必死の防衛、そして反撃を「ジューコフ元帥」が振り返ります。

Soviet POWs.jpg

10月15日には党中央委員会と政府がモスクワから撤収を開始。
避難先は東へ800㌔のタタール自治共和国のクイビシェフです。
そんななかでモスクワ市民は奮い立ちます。
10万人の労働者が戦闘部隊に招集され、
2万人弱の婦人や娘たちも看護婦などの訓練を受け、
モスクワ周辺の大部分が女性から成る労働者が首都に通じる接近路の
防御工事に駆り出されます。
お偉方はさっさと逃げて、まぁ、どこまで労働者が自主的だったのか、
あるいは強制的だったのか・・は、本書では読み取れませんね。

russia 1941.JPG

クレムリンから僅か23㌔の所まで迫ったドイツ軍ですが、
寒さと抵抗によって阻まれ、11月末には全く動けなくなってしまいます。

the road to moscow.JPG

まさしく「冬将軍」と「ジューコフ将軍」、2人の強烈な将軍がタッグを組んだ防衛戦。
やがて12月3日になるとソ連の反攻作戦が始まり、
ドイツ軍は150㌔~285㌔も撃退されてしまうのでした。

Deutsche Soldaten vor einem brennenden Dorf 1941.jpg

ということで、第1章がジューコフで始まったのが意外だったとおり、
終始、ジューコフ中心で進む一冊でした。
後半は「ジューコフ元帥回想録」からの抜粋・・というか、ほぼそのまま掲載。。
個人的には「手抜き過ぎだろ・・」と思いましたが、
まぁ、ソ連側から見た経緯としては決して悪くはありません。
それにジューコフの回想録は600ページ弱と強烈ですし、古書価格も1万円ですから、
読まれていない方には、その雰囲気が味わえるかも知れませんね。

stugiii 1941.jpg

また、本書は相変わらず写真が素晴らしい。。
ドイツ軍の対戦車砲兵が「獲物を仕留めてバンザ~イと喜ぶ」写真に、
「軍事訓練を受けるモスクワの婦人たち」、
さらには「ワンワン爆弾」こと、爆薬を背負った地雷犬が倒れている写真まで登場し、
キャプションでは「出陣むなしく? 敵弾に倒れた"勇者"」

Anti-tank dogs.jpg

これで「モスクワ攻防戦―20世紀を決した史上最大の戦闘」に挑むことが出来ます。
内容的には本書のような戦記中心ではなく、西側も含めた各国の政治的駆け引きが
近年公開された資料に基づいて書かれているということなので、
コレはコレで楽しそうな一冊ですね。







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