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水晶の夜 -ナチ第三帝国におけるユダヤ人迫害- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

H‐J・デッシャー著の「水晶の夜」を読破しました。

「水晶の夜 = クリスタルナハト」というのはとても有名なキーワードですが、
コレについて詳しく書かれたものはほとんどありません。
ヴィトゲンシュタインが今まで読んできた書物に書かれていたことを思い出しても
・若いユダヤ人がどこかでドイツ外交官を暗殺した。
・それを受けてゲッベルスがユダヤ人商店に対する報復的な暴動をSAに指示した。
・警察長官でもあるヒムラーとハイドリヒは、事前に知らされずに乗り遅れた。
・総統は当初ゲッベルスを支持したものの、外国からの批判にゲッベルスの行為を非難。。
と、だいたいこんな程度のザックリした知識しかありません。。
1990年発刊で267ページの本書を読まれた方のレビューが良かったのもあって、
今回、しっかりと勉強してみたいと思います。

水晶の夜.jpg

最初に本書の立ち位置を理解するため、「訳者あとがき」から読んでみました。
それによると「水晶の夜」について一般的に理解されているのは1950年代後半に
出版された古い書物に依存しており、1943年生まれのドイツ人現代史家である著者が
東西ドイツの公文保管所から多数の新史料を発掘し、当時の証人を探し当てて、
重要な証言も引き出し、1988年に出版したということです。

第1章は「水晶の夜」事件が起こる前のナチスのユダヤ人政策を検証します。
1933年に政権を取ったナチスは、早々に反ユダヤ人主義の新聞、シュテュルマーを発行する
シュトライヒャーがユダヤ人商店や、ユダヤ人弁護士、医師の活動に対するボイコットを指導し、
その首唱者が宣伝大臣ゲッベルスであったこと。
1935年には悪名高き「ニュルンベルク法」が公布され、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚と
結婚外の「性交」を禁止するなど、徹底的な排除政策が始まります。

Julius Streicher.jpg

翌年はベルリン・オリンピック開催のために控えめな態度を取ったナチス政府。
1938年に併合したオーストリアでも「ポグロム(ユダヤ人迫害)」は激しくなりますが、
この大ドイツから離れるユダヤ人は少なく、同じく5年以上外国に住むユダヤ人に対して
公民権を取り消して帰国を阻止しようとするポーランド政府・・という
ユダヤ人国外移住問題が大変こじれたものに・・。
このあたりは「ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間- 〈上〉」にも書かれてました。

SA-Hetzmarsch gegen Juden.jpg

このような内容の本文に続いて、各章の後半部分は「ドキュメント」としてページを割きます。
例えば、SA(突撃隊)の屈強部隊が裁判所からユダヤ人裁判官などを追い出しにかかったという
新聞記事に、ベルリンからスイスへ追放されたユダヤ人医師の公使館宛ての手記。
「ボイコットに対する一切の宣伝は行わないよう・・」とする副総裁ヘスによる
全国指導者および大管区指導者に宛てた文書。
「ニュルンベルク法」の詳細に、SAやSSの関連写真、反ユダヤ・ポスターなどです。

この本書の構成はとても変わっていますね。
実は本文は、章後半のドキュメントを整理/解説したものであり、それを理解してから、
各々のドキュメントで詳細を確認する・・という流れです。

Jude.jpg

第2章は17歳のユダヤ人少年グリューンシュパンがパリ駐在の外交官、フォム・ラートを
拳銃で暗殺するという、俗に「水晶の夜」の発端となった事件に焦点を当てます。
ハノーファー生まれのグリューンシュパンはベルギーのブリュッセルを経由して
仕立業を営むパリの叔父に引き取られ仕事を手伝う少年です。
しかし不法入国者である彼にフランス内務省は1938年、国外退去を決定。

一方、犠牲者となるフォム・ラートは高級官吏の息子として1908年に生まれ、
1932年には多くの若者と同様にナチ党に入って、SA隊員となります。
外交官としてカルカッタ総領事館で勤務しますが、「腸疾患」のために帰国。
治療の後、1938年、パリのドイツ大使館の公使館書記官に任命されるのでした。

Ernst vom Rath.jpg

こうして11月、ポーランド国境へと追放され、苦境を訴える家族の手紙を受け取っていた
グリューンシュパンは、パリのドイツ大使館を訪れ、フォム・ラートに発砲。
事件を聞いたヒトラーはすぐさま侍医のカール・ブラント博士とマグヌス教授を派遣しますが、
その甲斐もなくフォム・ラートは死亡。。

Brandt with Professor Magnus.jpg

一般的に「迫害されている家族らユダヤ人に対する抗議のため、ドイツ大使ヴェルチェック狙った」
とされているグリューンシュパンの行動ですが、
本書では撃たれたフォム・ラートの「腸疾患」が、同性愛行為による淋病性腸炎であったとし、
ユダヤ系医師に治療を任せたのも、アーリア系医師に密告されて
経歴を失うことを怖れたためとしています。
さらにグリューンシュパンが「大使」ではなく、「公使館書記官」に面会を求めたという証言から、
同性愛行為を見返りとした、出国手続き援助の約束が反故にされたことによる暗殺・・
と仮定しています。

Der Stuermer, of Herschel Grynszpan, the Jewish assassin of Ernst vom R.jpg

11月9日夜、「フォム・ラート、暗殺に斃れる」の報がベルリンにもたらされると、
いよいよゲッベルス指揮の元、SA隊員を中心とした「水晶の夜」が始まります。
「煮えたぎる民族精神の正当な蜂起」という自然発生的なものを強調したこのポグロムですが、
ヒトラー自身は無関係を装ったり、SS指導部、とりわけハイドリヒによって実行された・・という
もろもろの説についても検証。

kristallnacht_2.jpg

ドイツ全土の100以上の「シナゴーグ(ユダヤ教教会堂)」に火が放たれ、
ユダヤ人商店のショーウィンドウは割られて、家を荒らされ、暴行を受けるユダヤ人たち・・。
この章のドキュメントではハイドリヒSS中将が全州の警察本部とSDに流した特別至急電信や
ゲシュタポのミュラーの電信などがおそらく全文の形で掲載されていて、興味深かったですね。
「ユダヤ人商店や住居はただ破壊するだけにせよ。略奪は禁止する。裕福な者は逮捕し、
シナゴーグなどに保存されている文書を速やかに押収すること。・・」などなど。。

Synagoge in der Bergstraße in Hannover.jpg

しかし、多くのナチ党員と、その尻について略奪を働く暴徒の存在のために
副総裁ヘスは翌日の11月10日には「放火は厳禁」の司令を全国に出し続ける羽目に。。
そしてこの日から12月までに逮捕されたユダヤ人3万人は、ダッハウブッヘンヴァルト
ザクセンハウゼンの強制収容所送り。。
それを免れたユダヤ人はわれ先にと国外移住を図るのでした。

SS guards force Jews.jpg

11月12日に開かれたゲーリングを議長とする、ユダヤ人問題会議の議事録が
ほぼ20ページに渡って掲載されていました。
この会議における反ユダヤの最先鋒を自負するゲッベルスが
「ユダヤ人が劇場や映画館、サーカスに行くことを禁止する必要がある」と言い出し、
「列車の座席も要求してはならない」と要望をエスカレートさせると、
ゲーリングと押し問答が繰り広げられます。

Goebbels and Goering.jpg

ゲーリング-「その場合は、最初からユダヤ人専用の車室を・・」
ゲッベルス-「だけど列車が満員の場合はダメでしょう」
ゲーリング-「ちょっと待って!一両だけユダヤ人専用というのは・・」
ゲッベルス-「しかし、こうゆう場合もありますよ。・・」
ゲーリング-「特別室を2、3と言ってるわけではなくて・・」
ゲッベルス-「反対だ。そんな処置では・・」

そして会議の最後には、ハイドリヒによって「特定のユダヤ人章」着用の提案がなされます。

jewishfamilydeportation.jpg

話は「水晶の夜」の起因となった2人に戻ります。
ヒトラーも出席し、国葬されたフォム・ラート。
逮捕されていたグリューンシュパンは1939年秋にパリで裁判にかけられることに・・。
ゲッベルスの宣伝省は、グリューンシュパンの背後には「世界ユダヤ民族」が控えているとし、
ユダヤ民族の意図的な陰謀であると主張しようとしますが、戦争の勃発により、結局中止。
フランスの少年刑務所からザクセンハウゼン強制収容所へと送られたグリューンシュパン。

Trauerfeier für Ernst vom Rath.jpg

1942年になると、強制連行されているユダヤ人に対する潜在的な「同情心」を骨抜きにしようと、
外国の特派員を傍聴人として招待し、再度グリューンシュパン裁判を開くことが検討されますが
暗殺の裏には「ドイツ人外交官」との同性愛が絡んでいたことを持ち出して、
ナチの宣伝裁判の全戦略をぶち壊してしまうグリューンシュパン。。

Herschel Grynszpan, right after his arrest.jpg

このグリューンシュパンくんについてはその後の消息はハッキリしていないそうです。
第2次大戦を生き延びて、素性を偽ってパリに行方をくらました・・という説があるものの、
ザクセンハウゼンで絞首刑に処せられたというのが本書の見解です。

1939年11月9日から10日にかけて起こった「水晶の夜」については
まぁまぁ、知っていたことと大きく変わりがありませんでしたが、
その起因であるグリューンシュパンとフォム・ラートの関係・・、
一般的ではない「同性愛」という仮説を深く追及しているところが印象に残ります。
また、ドキュメント部分の文書や写真も特に興味深く、
全体としてこの事件の前後関係を詳しく知ることが出来たのも大きかったですね。



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コメント 2

IZM

フォム・ラート氏の写真今回初めて見ましたが、結構かわいい感じですね。同性愛者だったという仮説も何か死者に鞭打つみたいでちょっとかわいそうな気もしますが。。。でもあの事件の発端がそもそもこれなのか?って、ちょっと驚きでした。

by IZM (2012-05-22 20:44) 

ヴィトゲンシュタイン

う~ん。この同性愛者説っていうのがどれだけ支持されているのか・・、本書を読み終わった後に調べてみましたが、やっぱり一般的ではないようです。ただ、だからと言ってそうではないというのも最初に書いているように情報が1950年代と古いことや、この事件がナチ党全盛の時代に起こったことで、制限されている気もしますね。
まぁ、このように諸説入り乱れるところが、歴史の面白さでもあるんですが。。ちょっと酔っ払い気味なので日本語になっていなかったらスイマセン。。

お詫びに明日UPする予定のレビューをお知らせすると、一見、IZMさん好みではないと思いますが、自分でもビックリの、あのS大佐が登場します。お楽しみに・・。
by ヴィトゲンシュタイン (2012-05-22 21:40) 

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