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ドイツ参謀本部 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

バリー・リーチ著の「ドイツ参謀本部」を読破しました。

なぜか今まで購入するのを忘れていた、かなり有名な一冊ですが、
原著は1973年、最初の翻訳版は1979年というやや古いもので、
今回、2001年の新装版を選んでみました。
著者のリーチは12年間英陸軍砲兵隊に勤務した後、
旧ドイツ陸軍の研究を行ったという方です。
過去に紹介したゲルリッツの「ドイツ参謀本部興亡史」が大作だったことに比べ、
本書は261ページとボリュームが少ないのが、ちょっと心配なんですね。

ドイツ参謀本部.jpg

1935年、ヴェルサイユ条約によって閉鎖されていた「陸軍大学校」再開式典のために
ベルリンに集まった将軍たち・・。
髑髏軽騎兵連隊の礼装姿の老マッケンゼン元帥を筆頭に、モノクルをはめたフォン・ゼークト
廃止された参謀本部の伝統と機能を維持し続けてきた彼の周りを固めるのは
佐官から出世した国防相ブロムベルク、陸軍総司令官フリッチュ、さらにベック、ルントシュテット、
ヴィッツレーベンといった現役の軍指導者たちです。

hans-von-seeckt.jpg

そして100年以上の歴史を誇る参謀本部の歴史を簡単に振り返りながら、
防衛なきところに国家の存在はありえないとしたクラウゼヴィッツが
「陸軍の生存の方が国家の生存よりも優先する」と信じたという話を紹介し、
この哲学が20世紀においても参謀将校団の哲学の基礎になっていた・・としています。

Carl_von_Clausewitz.jpg

ゼークトの10万人軍隊では高い比率で保持された参謀と、その教育課程が語られます。
教官を務めたのはリストクルーゲ、マンシュタイン、パウルス、モーデル、ハルダー、
さらにグデーリアン、ヨードル、ラインハルトと、後の上級大将か元帥という錚々たるメンバーですね。

そして作戦課の一員であったマンシュタイン少佐によるドイツ軍の拡充計画の話では
編成課の計画を拒否し、上級司令部を恐れるような男ではなかったというマンシュタインの態度が
「同僚や上官にとっては許しがたいほど傲岸であった」とヴェストファール将軍が語ります。
ちなみに、そのマンシュタインに拒否られた、想像力が貧弱な編成課の課長の名は、
ヴィルヘルム・カイテルです。。

manstein_648.jpg

1933年にヒトラーが政権を握ると、「がんこなハマーシュタイン」でも書かれていた
軍管区司令官たちとの会食の様子が・・。
参謀総長アダムは10月には、より慎重なルートヴィヒ・ベックに交代。
翌年には計画通り、陸軍3倍化計画を開始しますが、空軍の新設のために
陸軍は将校200名を含む適任者を出さねばならなくなり、混乱に陥ります。
こうして空軍に転出したのはシュペルレシュトゥーデントリヒトホーフェンらであり、
最初の空軍参謀総長のヴェーファーを含め、彼の後任ケッセルリンクや、
シュトゥンプイェショネクは陸軍参謀本部の出身なのでした。

Kesselring & Mölders.jpg

ブロムベルクが1927年には参謀総長、1930年には陸軍総司令官と昇進することで、
ゼークト失脚後の権力を獲得することを恐れた国防相シュライヒャーとの争いも出てきます。
国境の安全措置の手落ちの責任を負わされて、東プロイセンに左遷させられますが、
首相となったシュライヒャーに対してヒンデンブルク大統領にヒトラーを推薦し、
復讐は成功・・。ヒトラー政権下で国防相の地位に就くのでした。
いや~、本書は対人関係が細かくてドキドキしますねぇ。

schleicher.jpg

このヒトラー派のブロムベルクの右腕が、彼をヒトラーに紹介したライヒェナウですが、
辞職したハマーシュタインの陸軍総司令官の後釜を狙うものの、
ヒンデンブルク大統領に政治的過ぎることを理由に拒否され、フリッチュが選ばれることに・・。
そのライヒェナウの要請によって国防軍最高司令部(OKW)が創設されると、
ベック参謀総長は、能力があり、野心的なヨードル大佐を送り込みますが、
あまりにも利己的で上司たちから嫌われていたための厄介払いでもあったようです。

von Blomberg, Minister Göring, der Oberfehlshaber des Heeres General der Artillerie Freiherr von Fritsch and Minister Raeder.jpg

結局、野心剥き出しのライヒェナウは新任の総司令官ブラウヒッチュに敬遠されて
軍管区司令官に転出されてしまいますが、その彼の後任に選ばれたのはカイテルです。
ヒトラーがブロムベルクとの対話からカイテルを選んだ話も出てきますが、
本書では「参謀本部の団結にとって、ずっと危険な人物であった・・」。

Wilhelm Keitel.jpg

また、フリッチュのスキャンダルに伴う、総司令部の大人事異動で作戦部長マンシュタインが
歩兵師団長へ転出された件については、ベック参謀総長と、彼が後継者と目していた
マンシュタインのコンビがブラウヒッチュ総司令官にとって、決して魅力のあるものではなく、
この強力にして自信に満ちたプロイセン人を追い出すのに反対する理由はなかった・・
としています。
その理由も具体的で、軍管区司令官当時のブラウヒッチュが
参謀本部から派遣されたマンシュタインの高飛車な態度に腹を立て、
その恨みが尾を引いていた・・ということです。
いやはやマンシュタインは敵づくりの天才のような気もしますが、
平時にあえて強敵を作って、戦術の勉強でもしてたんでしょうか・・?

Walther von Brauchitsch on Reichs Veterans Day at Kassel.jpg

オーストリア併合では、武力による軍事行動計画の動員命令を急いで作成するため、
一介の歩兵師団長であるマンシュタインが首相官邸に呼び出され、チェコ危機では
遂にベックが辞任し、マンシュタインの後任の作戦部長だったハルダーが参謀総長に・・。
こうしてポーランド作戦、西方作戦と進んでいきますが、
彼はもはや、軍を代表して国家元首に軍事の助言をする責任者ではなく、陸軍総司令官さえ、
影響力を失い、ヒトラーはゲーリングやカイテル、ヨードルの主張に耳を傾けているのでした。

Ludwig_Beck.jpg

そしてブラウヒッチュとハルダーが「中途半端な利口者」と見る、重鎮ルントシュテット・・。
その軍集団参謀長となっていたマンシュタインによる西方作戦計画・・、
いわゆるマンシュタイン・プランがハルダーの頭を悩ませます。
今度も「しつこい邪魔者」を歩兵軍団長へ昇進させて、始末した陸軍総司令部・・。

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さらにもう一つの重要な軍集団司令官を務める、「気まぐれなプリ・マドンナのような性格」の
フォン・ボックには、堅実さと忠誠心を持った参謀長を付ける必要がありますが、
ボックの参謀長、ザルムート将軍はマンシュタイン同様、扱いにくい人物で、協調性がなく短気・・。
しかし、軍隊が大幅に拡大し、陸軍大学校もすでに閉鎖した現状では参謀将校は不足しています。

von_bock.jpg

「電撃戦」で制した西方戦役に続き、東部での「バルバロッサ作戦」に向けて、
ハルダーは自ら手を出さず、多くの部下に作戦計画を委任します。
より近代的な参謀本部という印象をヒトラーに与えるため、保守的なシュテルプナーゲルに代えて、
新たに登用した作戦部長は、グデーリアンの参謀長も務めたことのある
ヒトラーの熱心な支持者、パウルスです。

Karl Heinrich von Stülpnagel.jpg

その「バルバロッサ作戦」直前にまたしてもハルダーの頭を悩ます事態が発生。
北アフリカで「あらゆるところに威力偵察を行い、兵力を分散させていた」ロンメルです。
自ら赴くことを思いとどまり、友人のパウルスをこの
「戦闘指揮についての責任を取ろうとしない、狂った軍人」のもとに送ります。
ロンメルのリスクを顧みない「即戦即応方式」に驚いたパウルスは、
補給を充分にして海岸を防備するよう勧告しますが、著者は
英国にとって「不幸」だったのは、この勧告をロンメルが無視したことである・・。

Rommel, flight in the Ju 87 Stuka.JPG

ポーランドでのSS部隊による残忍な行為を知っていた軍の指導者たち。
対ソ戦においては、有名なパルチザンと政治将校の射殺命令がヒトラーから伝えられますが、
ボックだけは自分の軍集団に適用されることを拒否します。
しかし彼の作戦参謀であるトレスコウらは、ヒムラーの行動隊が進撃する軍隊についてまわり
数万人を逮捕しては虐殺するのを恐怖を持って見つめるのでした・・。

Tresckow.jpg

そしてモスクワ前面で攻勢が頓挫すると、いまやハルダーが「あの藁人形」と呼び、
ヒトラーの恫喝の前に硬直を繰り返していた総司令官ブラウヒッチュが辞任。
陸軍参謀本部とOKWの上級メンバーが毎日、会議で顔を合わせ、2つの派閥の分裂は
広がらなくなったものの、本来なら、軍団参謀長の地位もどうか・・と思われる人物であり、
1938年にハルダーが参謀総長に就任したころには、参謀本部の忠実な一員として、
最高司令部に対する批判に上機嫌で同調していたOKW総監たるカイテルと、
それよりも大人物で軍事的才能もありはしますが、自己過信が強すぎるヨードルに対して
侮辱の念を抱くハルダー。。。

Adolf_Hitler_&_Alfred_Jodl_analyzing_a_map.jpg

最後までブラウヒッチュの後任の総司令官になると恐れられていた第6軍司令官、
ヒトラー派のライヒェナウが急死すると、その後任にヒトラーはパウルスを指名します。
しかし軍集団司令官のボックはハルダーに苦情を・・。
「パウルスはその任に耐えず、物事の暗い面だけを見、自軍将兵の力を過小評価し、
端的に言って気迫にも欠ける」
さらに「融通の利かない人物」として、どうしてもと言うなら新しい参謀長を付けるべきということで、
アルトゥール・シュミット将軍が第6軍参謀長に任命されたそうですが、
スターリングラード包囲の最後では、彼が実質的な司令官になったという話も良くありますね。

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ソ連の国力を過小評価してきたことを反省し、有能な参謀部員であったラインハルト・ゲーレン
東方外国軍課の長に据えますが、時すでに遅く、疲れ切ったハルダーはヒトラーにより解任。。
この彼が辞任をせず、解任されるまで粘ったのは、カイテルやヨードルら、
OKWの参謀連中に対する意地だったようにも感じました。

Time_1942_06_29_Franz_Halder.jpeg

後任は西方軍総司令部の参謀長として、英加軍による「ディエップ奇襲」を撃退したツァイツラー
作戦部長のブルーメントリットがその穴を埋めることになります。
1943年にはクルスク戦が失敗に終わり、翌年にはシュタウフェンベルクの爆弾が炸裂して
関与はしていなかったものの、ヒトラーは彼を罷免。
後任は装甲兵総監のグデーリアンですが、ベルリンへと迫るソ連軍の前に彼も罷免され、
最後の参謀総長クレープスも自ら命を絶つのでした・・。

Generaloberst Kurt Zeitzler.jpg

いや~、かなりの本のネタ本と思われますが、面白かったですねぇ。
261ページというページ数で、1ページ14行と、文字数は少ないですが、
まるで大奥のようなドロドロ感満載で、あの人とこの人はそうだったのね・・
という発見が本書の読みどころでした。
あくまで参謀本部が主役ですから、度々出てきたマンシュタインも野戦司令官になれば
お役御免ですし、ココに挙げなかった参謀将校も沢山登場してきて勉強になりました。
ゲーレンとウラソフ将軍の話では、シュトリク・シュトリクフェルト大尉が出てきてビックリ。。
幻影」以外でシュトリク・シュトリクフェルトが出てくる本があるとは思いませんでした。

所々でOKHやOKWの機構図や、戦況図に写真も掲載されています。
しかし事実上、戦記部分は無いと言ってよく、1939年~1945年の戦局の推移や
今回挙げた軍人くらいはある程度知っている方でないと、ちょっと難しいかも知れませんが、
古書価格も安いですから、ドイツ陸軍に興味のある方は是非ど~ぞ。
著者の「独軍ソ連侵攻」も無性に読みたくなりましたが、ドコ探しても売ってません・・。
以前はあったのになぁ・・。



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コメント 2

レオノスケ

こんばんは、ヴィトゲンシュタイン様。
興味深いレビュー、いつも楽しみにしております。
こちらを見た瞬間、アマゾンでクリックしてしまいました。こういうドロドロの人間関係を覗き見るのって好きですねー。好き嫌い、派閥、どこの組織にもどの時代でもあるんですね。
生出寿氏の「海軍人事失敗の研究」という日本海軍の本がありますが「ドイツ陸軍人事失敗の研究」という本を妄想してます。
ではまた~。
by レオノスケ (2012-02-16 22:52) 

ヴィトゲンシュタイン

>こちらを見た瞬間、アマゾンでクリックしてしまいました。
いや~、笑っちゃいましたけど、良かった、良かった。。
コレは面白いですよ。レオノスケさんなら間違いないと自信を持ってオススメします。
>好き嫌い、派閥、どこの組織にもどの時代でもあるんですね。
組織が大きくなればなるほど、そういうことになりますから、個人的な「好き嫌い」が大事な戦局を左右した・・なんてこともあったのかも知れません。
>「ドイツ陸軍人事失敗の研究」という本を妄想してます。
なるほど。ボクも「ドイツ軍名将列伝」を読んだときに「しょうもない悪人や無能軍人を集めたような「第三帝国の悪人たち」みたいな本が出たら・・」なんて妄想してました。。同じ感じかなぁ・・。

by ヴィトゲンシュタイン (2012-02-17 12:30) 

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