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第二次世界大戦〈1〉 W.チャーチル [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

W.S.チャーチル著の「第二次世界大戦〈1〉」を読破しました。

英首相チャーチルの、この有名な第二次世界大戦回顧録を購入したのは2年ほど前ですが、
挑戦しようと2~3回は試みたものの、一巻350ページ程度で、最後の第4巻は480ページ。
合計1500ページの大著ですから、結局いつも「や~めた」となってしまいます。
今回は、4月にWOWOWで放送され、録画していたドラマ「チャーチル 第二次大戦の嵐」を
興味深く観たことなので、その記憶が残っているうちに・・・と本格的に挑んでみました。
英国人の回想録では「モントゴメリー回想録」に続いて2人目になりますね。

第二次世界大戦〈1〉.jpg

まずはチャーチルのこの有名な回顧録と、日本での出版の経緯について簡単に整理すると、
もともと政治家でありながら、過去の「戦記」などの執筆も行っていたチャーチルは
第一次世界大戦の回想録、そしてこの全6巻の大作、第二次世界大戦も書き上げたことで
1953年にノーベル文学賞を受賞。

日本で全6巻の完全な翻訳本が出たのは1950年代のようで、後に戦争の部分を中心に、
チャーチル自身で短くまとめたものが、本書「第二次世界大戦」。
これは1972年に上下巻の単行本として、1975年には4分冊となり、1983年に文庫化。
最近では2001年に文庫で再刊されていて、ヴィトゲンシュタインが購入したのは
一番安かった1983年の文庫版①~④のセットです。
ちなみに抄訳版「第二次大戦回顧録 抄」も出ていますが、わずか300ページというもので
さすがにこれは・・、大作映画の長めの予告編みたいな感じですかね。。

THE SECOND WORLD WAR.jpg

それにしても、ただ単に「第二次世界大戦〈1〉」なんてタイトルは味気ないなぁ、
と思いながら目次を見ると、どうやら各巻に副題が付いていました。
この第1巻は「不幸への一里塚」で、以降「単独で」、「大同盟」、「勝利と悲劇」と続くようです。

第一次大戦後の1919年から始まるこの第1巻は、1931年にかけてのドイツ、英国、
フランス、米国の社会と政治をヴェルサイユ条約、フランスによるラインラント占領、
インフレ、ヒンデンブルク大統領の誕生・・などのキーワードと共に簡単に紹介します。

Kiel, Paul v. Hindenburg, Erich Raeder.jpg

そして第3章は「アドルフ・ヒトラー」。ゲーリングレームローゼンベルクといった
初期の重要人物も登場させながら、「わが闘争」に触れ、ヒトラーが政権を握った当時、
連合軍の軍事・政治家たちにとって、これほど注意深く研究に値する本はなかった・・として、
「わが闘争」の主要テーゼは簡単・・と2ページほど解説。

ちょっと抜粋すると「つまり、人間は闘う動物であり、ゆえに国家は戦闘単位である。
教育は最小限の訓練によって軍人となれるようなドイツ人を作ることである。
英国とイタリアのみがドイツと同盟となり得る二国であり、
フランスを感情的理由だけで攻撃するのは馬鹿げている。
西欧に対してソ連と手を組んで戦いを仕掛けることは罪悪である」。
ヴィトゲンシュタインはこの「わが闘争」を読んだことがないので、大変参考になりました。
しかし、まさかチャーチルのレビューで教えてもらうことになろうとは・・。

mein_kampf.jpg

そして1932年の夏、著作のために各国の古戦場巡りをしていたチャーチルは
滞在したミュンヘンのホテルで、「ヒトラーを紹介しましょう」という人物に出会います。
しかし、この人物に総統のユダヤ人問題についての意見を聞いたところ、
翌日の会見はヒトラーが来られなくなったとのことで「キャンセル」。
「こうしてヒトラーと会見する唯一の機会を失ってしまった」と回想します。

長いナイフの夜」事件に衝撃を受け、さらに軍備の拡張を進めるナチス・ドイツに対する
懸念を下院で報告するチャーチル。
「ドイツはすでに空軍力を保有していることを断言いたします。
しかもこれは、急速にわが軍との均等に近づいているのであります」。
ですが、この声明は下院で否定され、すべての人々が喜ぶことに・・。

Hitler und Röhm.jpg

第9章「ヒトラー出撃す」からは1936年のヒトラー最初の軍事行動、ラインラント再占領
詳しく書かれています。当時のフランスがドイツ軍が追い出すだけの力があるにも関わらず、
英国の顔色を見ながら、戦争の危険を冒すことが出来ないと、コレを見逃したといった感じです。
また英国でもこんな論調が・・「結局、ドイツ人は自分たちの領土に帰るだけに過ぎないのだ」。

demilitarized Rhineland in 1936.jpg

その英国の議場では別の大問題が持ち上がっています。
チャーチルが幼少の頃から知っていたエドワード8世が愛する女性と結婚しようとする情熱のために
その座を弟、ジョージ6世に譲るという英国王室の大スキャンダルです。
う~ん。やっぱり「英国王のスピーチ」観たいなぁ。。

The Three Kings_Prince Edward (later Edward VIII_Duke of Windsor), George V, and Prince Albert (George VI).jpg

翌年の駐英ドイツ大使、リッベントロップとの2時間にも及ぶ会談の様子も。
「ドイツはポーランドとダンツィヒ回廊、白ロシアとウクライナを増加する人口のために
併合しなければならない。英国に対して求めるのは、
ただ干渉してもらいたくないということだけである」。

アンシュルスについてもベルヒテスガーデンに呼びつけられて、ヒトラーに脅された
当時のオーストリア首相シュシュニクの記録を用いながら、その対話を詳細に再現し、
続くズデーテンラント問題でも「ミュンヘン会談」によって戦争を回避させたチェンバレン首相を中心に
ドイツ国防軍の将軍たちの、それまでのヒトラーに対する嫌悪と不信感が、天才的指導能力と
奇跡的な幸運に対する驚嘆に圧倒された・・ということにまで触れています。

Ribbentrop Chamberlain.jpg

後半、スターリンとソ連が登場してきますが、ここでチャーチルがあえて説明を加える人物は
ソ連の新外相、モロトフです。
曰く「卓越した才能を持った、冷酷無慈悲な人物であり、粛清の脅威を伴った、変転極まりない
陰謀の社会を生き抜いた、予想しがたいカラクリ政策の代理人」というものです。
こうして両外相、リッベントロープとモロトフによって「独ソ不可侵条約」が結ばれ、
この不吉なニュースは爆発のように世界を襲います。

hitler_molotov.jpg

1939年当時、英国にはドイツ人のナチ党員が2万人いることがわかっていたそうで、
ヒトラーから個人的に「敵」と思われていることを知っている「重要人物」のチャーチルは、
護衛も付けて、自らも銃を携帯することになります。

churchill_decides_to_fight_on.jpg

遂にドイツがポーランドへ侵攻するのと同時に英国は宣戦を布告。
チェンバレンから戦争内閣に入閣し、海相の地位を提供したいと言われたことに喜ぶチャーチル。
第一次大戦でも同様の地位を務めた、この人事に海軍省は即刻、全艦隊に打電します。
「ウィンストン帰れり」。

そんなことも束の間、スカパフローで戦艦ロイヤル・オークがUボートに撃沈され、
800名が戦死するという大失態が・・。
新任だったためにこの非難から逃れられたチャーチルは、本書では
「U-47の艦長、プリーン大尉の武勲と見なさなければならない事件」と表現しています。

Prien in Berlin.jpg

ここからは通商破壊作戦を始めたドイツ艦隊との戦い、巡洋艦シャルンホルストとグナイゼナウ
ポケット戦艦 ドイッチュラントと「大胆で想像力に富んでいた」グラーフ・シュペー

一方、地上では「まやかし戦争」が続き、英仏が宣戦布告後、
ドイツに対する攻勢に出なかった理由を軍事的観点で説明します。
「たとえフランス軍が緒戦において成功を収めたとしても、
1ヶ月以内に征服地を維持することが困難となり、やがて北方において
ポーランド戦を終えたドイツ軍の全兵力を挙げての反撃にさらされたであろう」。

また、その後のソ連によるフィンランド侵攻も「ソ連政府に感じていた激しい怒りは、
この残忍な弱い者いじめと侵略行為によって、炎と燃え上がった・・」と振り返ります。
クライマックスはノルウェーを巡る英独の海戦です。
しかし結局はドイツの勝利に終わり、ファシズム政党のクヴィスリングが支配者として登場。

Minister President Vidkun Quisling of Norway with Führer Adolf Hitler.jpg

こうして1940年5月10日の朝を迎え、ドイツ軍の満を持した西方への進撃の情報が・・。
チェンバレンは辞任し、国王から首相としての組閣を依頼されるチャーチル。
かくして今後5年に渡る、英首相チャーチルの戦いが始まるのでした。





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