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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈4〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈4〉」を読破しました。

ドイツ空挺部隊の名を知らしめた「クレタ島攻略」を実施した1941年5月、
同じときにドイツ海軍は、未だ秘密のヴェールの包まれている日本海軍の「大和」と「武蔵」を除けば
当時の最新鋭で最強艦であった戦艦「ビスマルク」を通商破壊作戦に送り出します。

ヒトラーの戦い④.jpg

重巡「プリンツ・オイゲン」と共に英海軍の誇る「フッド」を瞬く間に撃沈するものの、
旧式複葉機「ソードフィッシュ」の雷撃の前に舵が利かなくっなったビスマルクは
まさに「虎狩り」のような英海軍の戦艦8隻、空母2隻、巡洋艦12隻という執念の追跡の前に
「焼けただれた巨大な鉄塊と化し」ていきます。。。

1941, Sink the Bismarck!.jpg

「ソ連は巨大なシャボン玉かも知れないが、違うかも知れない」と語るヒトラーは遂に
ソ連侵攻の「バルバロッサ作戦」を発動します。
東プロイセンの松林のなかにつくられた、平屋の集落「ヴォルフスシャンツェ」。
ここから独ソ戦の指揮を執るヒトラーですが、あまりの蚊の多さに秘書のシュレーダー夫人が
苦情をあげます。「ふむ・・。それは空軍の仕事だ。ゲーリングに指示しよう」、
そして空軍総司令官は「ハエ叩き」を・・。

Hermann Goering  Wolfschanze.jpg

快進撃を見せるドイツ軍。7月にはスモレンスクで「これ以上の抵抗がバカバカしいことを悟った」
として投降してきたスターリンの息子、ヤコブ・スターリン中尉まで捕虜にします。
極東では枢軸の日本が、「日ソ戦」に踏み切るか否か・・意見は分かれますが、
結局のところ、「ソ連が崩壊に瀕し、日本が絶対に勝てるとき以外は戦わない」という
まるで前年のイタリアのような結論に達します。

Into Russia! June 22nd 1941,Panzergruppe_Guderian.jpg

とにもかくにも、主力であるフォン・ボックの中央軍集団で一気にモスクワを取りたい将校団に対し、
「元伍長」ヒトラーは突然「ゆっくりやれ」だの、クラウゼヴィッツを持ち出して
「包囲戦」を説いたりし始めます。憤慨する前線指揮官たち・・ボックだけではなく、
グデーリアンホトといった装甲集団の指揮官以外にも南方軍集団司令官の
ルントシュテットも異を唱え、当然、ブラウヒッチュハルダーも説得を試みます。
面白かったのはOKHだけではなく、OKWもカイテルを除き、ヒトラー戦術には反対をしていて
特にヨードルが「冒涜だ。クラウゼヴィッツという偉大な先輩に対する非礼は、
我々、国防軍将校に対する侮辱に等しい」と声を荒げますが、
その相手はもちろんヒトラー本人ではなく、部下のヴァーリモントです。。。

Hitler y Jodl.jpg

本書でも大いに活躍する「ハルダー日記」ですが、ヨードルとの話し合いやグテーリアンに対する
憎悪を剥き出しにした陰険な記述もやっぱり出てきました。
他にもエンゲルら副官たちの回想も大いに活用して、ヒトラーの周辺の様子を再現しています。
そんな作戦会議の様子も随所にあり、例えば、
ヒトラーの悪夢の様な話術の前にまともに発言すらできない将軍たちは、
徐々にその役目を総統付き副官たちに押し付け、その副官たちも互いに譲り合い、
大抵は空軍副官のフォン・ベロー少佐が出席を余儀なくされていた・・。

OKHとOKWの陸軍将校団が団結して書き上げたモスクワ奪取の「覚書」も
あっさりヒトラーに退けられ、陸軍総司令官のブラウヒッチュも心臓発作で倒れます。
「すぐにモレル博士を呼べ!」、「いや!モレルはいかん!あんなヤブ医者じゃ総司令官は助からんぞ!」。

Hitler, von Brauchitsch, Keitel bei Besprechung.jpg

しかし8月末、ヒトラーもモスクワ進撃を決意します。この変化については
彼が耳を傾ける少ないひとりである秘書のシュレーダー夫人によるもの・・という話が・・
「10月になったら私たちは寒くて凍えてしまいます。考えてください」。

キエフでの大包囲。ここでは脱出を求める南西方面軍司令官キルポノス大将が主役で印象的です。
モスクワの死守命令に涙するキルポノスは、最終的に脱出は叶わず、戦死・・。
ソ連軍の捕虜は、一度の会戦では記録がないほどの「40万人」にもなります。

Colonel-General M.P. Kirponos.jpg

いよいよモスクワ侵攻の「台風」作戦が発動・・というこの時期、チェコでは温厚な老紳士である
ノイラートの代行としてRSHA長官のハイドリヒがベーメン・メーレン保護領副総督に任命されます。
この人事はボルマンの推薦によるものだとしていますが、さらに
ヒトラーがお気に入りのハイドリヒを後継者として考えていたとまで書かれ、
そのハイドリヒの暗殺による最期、その葬儀で涙した人物・・カナリス提督まで語られます。

一路モスクワを目指すドイツ軍ですが、10月半ばには早くも「冬将軍」が到来し、
雨から雪へと変わり、日中帯は泥に阻まれ、進軍も遅れ出します。
グデーリアンの第2装甲集団は最後の総攻撃の準備をしますが、
同じくモスクワを目指すクルーゲの第4軍からは「進撃の目途がたたず・・」との連絡が・・。
これに軍集団司令官のボックは「クルーゲがサボっているからだ!」。

Panzer Unit on the way to Moscow, presumably Winter of 1941.jpg

フォン・レープの北方軍集団はすでにレニングラードを包囲し、市内ではドイツ軍の狙い通り、
飢餓が発生しています。配給切符の偽造も横行し、印刷局で着服した女工は銃殺刑・・。
大人よりも成長期の少年が真っ先に餓死。犬、猫、ネズミは無論のこと、
大学のホルマリン漬けの臓器標本まで、いつの間にか姿を消します。

この悪天候で出動もままならないドイツ空軍では、ウーデットが自殺・・、さらに
その葬儀に駆け付けようとしたエースのメルダースの墜落死するという、呪われた時を過ごします。

Hauptmann Mölders errang seinen 20. Luftsieg..jpg

南方軍集団にも冬が訪れ、進撃停止も検討されます。
ライヒェナウの第6軍はとっととストーブ付きの兵舎にこもって大ヒンシュクを買い、
軍集団司令官ルントシュテットもヒトラー命令に反抗・・。
しかし、OKH、OKWの誰もルントシュテットを擁護し、ヒトラーに立ち向かう者はなく、解任・・
そして後任には、ヒトラーの昔からお気に入りである、あのライヒェナウが・・。

Adolf Hilter,Gerd von Rundstedt.jpg

力尽きつつある中央軍集団でも司令官フォン・ボックが解任され、
第4軍のクルーゲが後任になると、仲の悪いグデーリアンも彼によってクビになり、
第4装甲集団のヘプナーも罠にかけられ、陸軍から追放・・。ヒトラーの「死守命令」の前には
北方軍集団のレープも辞任し、就任したてのライヒェナウも心臓発作で死亡。

v. Brauchitsch_v. Leeb.jpg

前線では「明らかに身体の一部を喰われた戦友の遺体が散乱していた」という報告や
ソ連軍に襲われた野戦病院では、引きずり出された負傷者が生き埋めにされたり、
ガソリンを掛けられて、生きながら焼かれた・・」という異常な戦いも紹介されますが、
持ちこたえた戦線では春を迎えようとしています。

Winter 1941. Der russische Winter.jpg

早くも1942年の対ソ作戦を策定した参謀本部。作戦名は「ジークフリート」です。
しかし、バルバロッサに続いて英雄ジークフリートで名前負けすることを懸念したヒトラーによって
以前の伝統「青」作戦に改名されます。

最後は「砂漠のキツネ」の戦いです。
遂にトブルクを攻略し、3万人の英連邦軍守備隊を捕虜にしたロンメル
「白人兵と黒人兵を分けて収容して頂きたい」との申し出が・・。
「肌の色の違いは問題にならない。貴下らの将兵は同じ軍服で戦ったではないか」とあっさり、拒否。

AfricaCorps6.jpg

このまま勢いに乗ってエジプトのカイロまで・・と目論む昇進したロンメル元帥に
ロシア侵攻が停滞し、暗い気分のドイツ国内は大いに盛り上がり、
英国を毛嫌いするエジプト国民もドイツ・アフリカ軍団の侵攻を心待ちにしています。
ヒトラーもロンメルの要請を許可しますが、北アフリカの先輩、ムッソリーニ
イタリア軍も同じ兵力で進軍し、白馬でカイロ入りすることを希望します。しかし、ここでも
「ロンメルは良いが「イタ公」だけは勘弁・・」という、英国以上に悪いイタリアの評判が・・。
ホント、イタリアはどこでも評判が悪くて、笑ってしまいます。。

erwin-rommel-libya-ww2.jpg

結局、この攻勢が「エルアラメイン」で力尽きたところで、この第4巻は終わりますが、
ヒトラーの寵愛を受け、ドイツ陸軍最年少元帥となったロンメルに対する「妬み」も紹介されます。
過去にココでもいくつか紹介した「ロンメル戦記」・・例えば「砂漠のキツネ」や「ロンメル将軍」など
北アフリカにおける「ロンメル主役本」では、特にアフリカ軍団に対する補給問題で
南方軍司令官のケッセルリンクやOKHのハルダー、
OKWのヨードルらが悪役的な扱いを受けますが、
確かに「妬み」もあったにしろ、本書の展開のように東部戦線で「バルバロッサ作戦」という
未曾有の戦いの前には、拡大したとはいえ、
わずか1個軍の戦いである北アフリカ戦線が軽んじられるのは致し方ない気がしました。
裏庭で遊んでいるご主人のやんちゃ坊主が、オモチャが壊れたと言って駄々をこねている・・
という感じだったのかもしれません。

El Alamein 1942.jpg

それにしても、いまの北アフリカ・・、エジプトやリビアのニュースが連日流れる状況で
このような戦記を読むというのも、なんだか複雑な心境です…。



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ハッポの父

ヴィトゲンシュタイン様

『ヒトラーの戦い』、毎回「そうなんだ~」とうなずきながら読ませていただいています。

自分自身はとてもこんな大作を読破できないので、とってもありがたいです。
by ハッポの父 (2011-02-21 22:58) 

ヴィトゲンシュタイン

ハッポの父さん。励ましコメント、ど~も、ありがとうございます。

コレは思っていたより、かなり面白いです。サクサク読んでます。
やっぱり、もともとが日本人による日本人向けの連載だからですかねぇ。ダレるところもないですし、他の本ならサラっと書かれているエピソードも、結構、しつこく書かれています。
まぁ、その分「ホントか??」と思うところもありはしますが・・。ちなみにココではそういう賛否分かれそうな話も、敢えて書いてます。
イメージ的には連続ドラマみたいなもんですかねぇ。良いところで「次巻へ続く・・」。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-02-22 06:33) 

グライフ

こんばんは!

シュレーダー夫人!私が知りたかったヒトラーに噛み付いたというところ。
彼女の回想録調べた限りでは同じ記述はありますが、それをヒトラーに面と向かって言ったとは書かれてないんですよ。この辺はまあ司馬作品を読む感じでしょうかね。
ハルダーの憎悪も英語版のは削除されているんですよ、独語完全版にあたってみたら、グデーリアンの悪口そのまま書かれてました。戦史本読む上で気をつけないといけないのはまさにそこで、都合の悪い事は消されるんですよね。児島さんはホントいい資料使ってます。巻末の参考文献見ると、戦後アメリカ軍が訳した独軍資料使ってます、これ今では手に入りません。CD-ROMならあるんですが、本がいいですよね。
北アフリカ戦なら「ロンメル戦記」読売新聞社がいいです、なにせロンメル本人が書いてますから、おすすめです。
先に「一般人」と書いて???されてしまいましたが訂正します
「重度の独軍オタク」です、とても常人ではないかな。
by グライフ (2011-02-23 18:54) 

ヴィトゲンシュタイン

「重度の独軍オタク」の グライフさん。。こんばんわ。
グライフさんのホントの正体がわかって、少し安心しました。

シュレーダー夫人の回想録読まれてるんですかぁ。相変わらずスゲ~です。。。ハルダーというのも「ハルダー日記」を英語版と独語版で読まれているんですか????

シュレーダー夫人のここら辺りの話はアーヴィングの「ヒトラーの戦争〈2〉」にも出てたと思いますが、「ハエ叩き」の部分は憶えてますが、「凍えてしまいます」はど~でしたかねぇ。

おすすめの「ロンメル戦記」、以前に一応、読みました。リデル・ハート「編」・・というヤツですね。これって「ロンメル戦記 -ドキュメント-」が正しいようですねぇ。独破リストにもあがってますが、「ドキュメント ロンメル戦記」にしています。確かに生々しくって面白かったですね。
今度、学研M文庫の日本人の著者による「ロンメル戦記」も、そのうち読むつもりです。

by ヴィトゲンシュタイン (2011-02-23 20:22) 

さくら

メリー・クリスマス!

独破リスト、あまりに数が多いのでどれを読もうか迷いますが、とりあえずこちらを。

イタリアが評判悪いのは、弱いくせに勝ち馬に乗ってるからですか?
素行も悪いのでしょうか?
by さくら (2014-12-25 00:12) 

ヴィトゲンシュタイン

イタリアが各国に評判が悪いのは、第1次大戦のときからでしょう。

もともとイタリアは、ドイツ、オーストリアと同盟を組んでいたものの、1914年に戦争が勃発すると、「中立」を宣言してしばらく様子を伺い、翌年に「連合軍」として参戦してオーストリアと戦う・・という、1940年の西方戦のように、有利な方に後出しで参戦するのを得意技にしています。

例えばすでに1934年の時点で、当時のドイツ軍務局長ライヒェナウ将軍は、英国人歴史家の質問、、「次の戦争でのイタリアの役割は?」にこう答えています。

「イタリアが開戦時にどちらについているかは問題ではありません。
なぜなら、その戦争が終わる頃には”ヨーロッパの淫売婦”の役割を演じているでしょうから・・」。

エジプトがイタリアを嫌っている具体的な理由は、ローマ帝国時代のこともあるし、この当時の英国の支配下ではある程度「儲ける」ことが出来ていて、ドイツも「支払いはキッチリしているだろう」、しかしイタリアだけは「奪うだけで何も与えてはくれない」という思いがあったようです。


by ヴィトゲンシュタイン (2014-12-25 12:10) 

さくら

それは嫌われて当たり前ですね。
有難うございます。
by さくら (2014-12-27 04:25) 

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