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アイヒマン調書 -イスラエル警察尋問録音記録- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヨッヘン・フォン・ラング著の「アイヒマン調書」を読破しました。

初体験となるアイヒマン本は2009年に発刊された最も新しいものですが、訳者あとがきによると、
膨大な「調書」を基に出版されたものとしてはフランス人ジャーナリストによるものがあり、
これを1/3に抄訳したものが、1972年の「アイヒマンの告白」だということです。
本書はそのフランス版よりあとに、ドイツ人ジャーナリストである著者によって
ドイツ語版で出版されたものの翻訳になります。
ちなみに訳者さんは「人間の暗闇」と同じ方ですね。

アイヒマン調書.jpg

1960年、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関「モサド」によって発見、拉致され
イスラエルで拘留されたアイヒマン。
イスラエル警察の大尉、アヴネール・レスが尋問官として任命され、
「第三帝国時代の任務を積極的に話します」というアイヒマンとの275時間に及ぶ、
尋問が始まります。

1906年、ラインラント生まれのアドルフ・アイヒマンは、父親の仕事の関係で
オーストリアのリンツへ移住。少年時代から、石油会社で務めるまでが語られます。
そして1932年、オーストリアにもナチスが台頭すると、父親同士が20年来の付き合いであるという
顔見知り、エルンスト・カルテンブルンナーから「俺たちの仲間になれよ」と声を掛けられ、
「いいとも!」とそのまま、ナチ党へ・・。同時に親衛隊にも入隊します。

Adolf Eichmann standing in uniform at beginning ofW.W.II.jpg

「伍長かなにかに昇進」していたアイヒマンは軍隊式訓練に嫌気がさし、
噂で聞いた「親衛隊保安部=SD」の人員募集に応募、「索引カード室」から
「フリーメーソン展示室」勤務を経て、1935年、遂に「ユダヤ人課」に配属されます。

パレスチナへ視察旅行した際の報告書や当時の上司であったアルフレート・ジックスの話、
ドイツ領となっていくオースチリアやチェコでの勤務も詳細に語ります。
命令を忠実にこなす彼は、大尉へと昇進し、権力のないSDが保安警察と統合され、
「国家保安本部=RSHA」が誕生すると、ゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラーの直属として
ゲシュタポのユダヤ人課課長というポストに就くのでした。

Adolf Eichmann 1933.jpg

当初のユダヤ人に対する移住計画、テレージエンシュタットもすし詰め状態で、
このようなゲットー化だけでは話にならず、マダガスカル島への移住計画も出てきます。
しかし1941年、対ソ戦が始まると、アイヒマンはハイドリヒに呼ばれ、こう告げられます。
「総統はユダヤ人の抹殺を命じられた」。そして「ルブリンのグロボクニクのところに行き、
すでに対戦車壕を利用したユダヤ人抹殺の状況を視察して報告するように」。

globocnik2.jpg

アウシュヴィッツトレブリンカ、レンベルクでガスや銃による大量虐殺を目撃し、
「サディストを育てているようなもので、何の解決にもならない!」とミュラーに報告するアイヒマン。
「こんな視察は自分には耐えられない」と要望を出すも、認められません。

Einsatzgruppen3.jpg

フランスやオランダムッソリーニが失脚したイタリアも含め、各国のユダヤ人を
数千人単位で収容所へと送る「輸送列車の手配」が主たる業務であり、
その困難さを熱心に語る一方で、それ以外のことは曖昧な返答を繰り返すアイヒマン。

Jews are sent to their deaths. This process was facilitated by SS Colonel and transport manager, Adolf Eichmann.jpg

尋問官のレスが「チクロンB」について尋ねると、「人から聞いた以外には知りません」。
しかしここでアウシュヴィッツの所長ヘースの自伝に書かれているアイヒマンの関与を問われます。
ガス・トラックに代わる方法を調査したいとアイヒマンが積極的に関わったとされる部分です。
さらに「衛生班で消毒技術の責任者」、クルト・ゲルシュタインの文書も登場。
この後も度々出てくるヘースの自伝の内容について、アイヒマンは「まったくデタラメです!」
彼の反論は「強制収容所を管轄するオスヴァルト・ポールの経済管理局技術部門の仕事であって、
ゲシュタポは全く、関与していない」というものです。

Rudolf Höß Commandant of Auschwitz.jpg

アイヒマンはニュルンベルク裁判で自らの関わりを否定した、このSS大将ポールに対しては
怒りを持って語ります。
「あれだけの采配を振るっていた人間が、すべて部下に責任をなすりつける。何の勇気もない」。
そして自らについては「ユダヤ人の疎開については責任を取ります。
それくらいの勇気はありますよ」。

Oswald Pohl_2.jpg

例の「ヴァンゼー会議」で如何に自分が「小物」であったかを説明し、
その主催者であったハイドリヒの死後SS全国指導者ヒムラーから、
ユダヤ人解決を全面的に委託されたという証言に対しても、
「ヒムラーに直接会ったのは3回だけで、ヒムラー直属になったことは一度もない」と反論。

Reinhard Heydrich (right) and his deputy, Karl Hermann Frank.jpg

1944年、東部戦線が困難な状況になってくると、寝返り寸前のハンガリーから
大量のユダヤ人を移送する作戦が・・。これに「アイヒマン特別行動部隊」が出動します。
しかし連合軍の爆撃によって破壊された線路やハンガリー警察の支援が必要なことなど、
思惑通りに事は運びません。
そして進撃してきたソ連軍・・1万人のドイツ系住民を避難させる命令を受けたアイヒマンは、
占領されていた野戦病院を開放して「二級鉄十字章」を受章。

以前から何度も前線への転属をミュラーに訴えていたというアイヒマン。
ベルリンに戻っても首都防衛で死ぬことを選び、用意されていた逃亡用の偽造書類には
「反吐が出る思い」と目もくれません。
しかし、アイゼンハワーとの交渉の人質を必要とするヒムラーの命令で
テレージエンシュタットの有力ユダヤ人をチロルへ疎開させよ・・という任務が・・。

heinrich-himmler_viking-division.png

アイヒマンの部署の「お客」として元アインザッツグルッペン指揮官の
パウル・ブローベルSS大佐が登場し、「1005部隊」が紹介されます。
この部隊はあまり知りませんでしたが、東部で虐殺された遺体を掘り返し、
証拠隠滅のために焼却する特別部隊だそうで、
汚れ作業に駆り出された強制収容所の囚人たちは、完了後に見張りの補助警官に射殺され、
その補助警官も最後に数少ないSS隊員に射殺されたということです・・。
本書には尋問のなかで出てきた重要な事柄について、この部分のような注釈が挿入されており
なかなか勉強になります。

Paul Blobel.jpg

終戦後、「反吐が出る思い」の偽名で2度捕虜となったアイヒマンは都度、逃走し、
ドイツ国内に潜伏した後、「リカルド・クレメント」の名で1950年、
アルゼンチンへの逃亡に成功します。

Ricardo Klement.jpg

尋問官レスの20ページにも及ぶ「あとがき」も印象的です。
1933年までベルリン市民であった彼、そして彼の父親が移送によって東部に送られたことに
アイヒマンが「それはとんでもないことだ!」と言った話、
また看守が看守を監視するという独房の厳重な監視の様子は
「もし、アイヒマンが自殺したとしても世界中の誰もが信用しないだろう!」ということです。

adolf_eichmann_1960.jpg

1962年に絞首刑となって、その遺灰は海に撒かれたアイヒマンですが、
もしも仮に、上司であったミュラーやハイドリヒ、ヒムラーが罪を認め、
生きたまま裁かれたとしても、やはり「死刑」となったのでしょうか?
もちろん、ヒトラーも含めて、この「最終的解決」に関する責任者が不在である・・ということもあり、
アイヒマンは贖罪の山羊(スケープゴート)でもある気が、やっぱり拭えません。











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コメント 4

しゅり

ヴィトゲンシュタインさん、こんばんは。
アイヒマンのこの本は私も狙っています。
先日、≪スペシャリスト≫という映画化されたアイヒマンの裁判関連の本≪不服従を讃えて≫というのを読んで私もヴィトゲンシュタイン同様、彼はスケープゴートであったのではないかというのが拭いされません。
もちろん彼が無罪だというのではなく、いろんな思惑に巻き込まれ戦後もイスラエルの外交の切り札として使われた感がするのです。
 
しかし、裁判となり罪の大きさに最悪絞首刑や終身刑が免れないというナチスのビッグネーム達が裁判ではドイツを讃えつつも、罪を決して認めないというか正当化、もしくは部下のせいにするというシーンは多くあったんでしょうかね。

私が今読んでいる本もそんな展開が多くて、偉大なるドイツ帝国軍人の魂の行方はどうなっているのだと思案しています。

でも、極刑を前だと誰でもそんな風になっちゃうのでしょうか。。。
by しゅり (2011-02-04 04:08) 

ヴィトゲンシュタイン

「不服従を讃えて」を読まれてましたかぁ。さすがですね。
アイヒマン本は「裁判系」と「尋問系」に分かれますが、
実は以前BSで放送された「スペシャリスト」観ながら「寝た」という前科があるので、この「裁判系」には及び腰になっています。

本書でもアイヒマンは「全部喋る」と言いつつ、後の裁判を想定して、あまり認めたがらないところも多々ありました。
これはシュトロープも同様でしたね。

しゅりさんが今、読まれている本も気になりますが、
やはり「死刑」免れないとは思っていても、「ひょっとしたら・・」と考えてしまうものなのかも知れませんね。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-02-04 16:56) 

IZM

今日の地元紙にこの人A アイヒマンが1ページ丸ごと特集されていたので、こちらにお勉強に来ました。何でこのタイミングで新聞に???と思ったら調度50年前の4月にイスラエルで彼の裁判が始まったからだとか何とか。。。
でもこの本を読む前にもう少しドイツ軍の組織的なものを把握してないと、むずかしそうかな???と思いました。
最後の写真の彼の目を見ると、何とも不思議な気持ちにさせられてしまいます。。。
by IZM (2011-04-05 15:20) 

ヴィトゲンシュタイン

なるほど~。1961年って50年前なんですね。
ちょっと前まで「戦後50年」なんて言っていた気がしましたが、そりゃ年取りますわなぁ。
アイヒマンというのは極悪人間というより、「服従」人間の代名詞ですから、確かに彼が所属していた組織「国家保安本部」や「ゲシュタポ」、そして上司のヒムラーやハイドリヒなんかを知っておいた方が良いかも知れません。
クノップ先生の「ヒトラーの共犯者(下)」や「ヒトラーの親衛隊」あたりがお勧めですが、こんなの家に置いてあったら、旦那さんに泣かれること請け合いです。。。
by ヴィトゲンシュタイン (2011-04-05 20:55) 

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