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赤軍大粛清 -20世紀最大の謀略- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ルドルフ・シュトレビンガー著の「赤軍大粛清」を読破しました。

この「独破戦線」でも何度か登場したキーワードである「赤軍大粛清」。
主に独ソ開戦前、トハチェフスキー元帥らがスターリンによって粛清されたという話で使いますが、
格好つけて書いていた割には、本書は読んだことがありませんでした・・・。
まぁ、それでもこの有名な話・・。独ソ戦記だけではなく、SS興亡史にも付き物と言える話ですから、
ある程度は知っているという、根拠のない自信も持ちつつも、
モスクワ攻防1941」で改めて興味を持ったことで、本書にチャレンジしてみました。

赤軍大粛清.jpg

序文では「なぜトハチェフスキー元帥が1937年6月11日に殺されねばならなかったのか?」
その噂・・スターリンに対する謀反を企んだ・・やナチス・ドイツの手先として、または共謀した・・、
そしてソ連邦の軍事独裁者「赤いナポレオン」になろうとしていたのか・・?
といった疑問を紹介し、続く各章でその他の疑惑なども検証していく展開です。

Budyonny_Tukhachevsky.jpg

この「赤軍大粛清」の裏の主役と一般的に解釈されているドイツのSD長官ハイドリヒ
1936年暮れにソ連の軍事クーデターの情報を入手します。
彼はSD東方課長、ヘルマン・ベーレンツSS中佐と共に、この情報を
ドイツの将来にとって有益に活用する方法を検討。
それは、ヒトラーにとってより危険なのは、血なまぐさいボルシェヴィキ独裁者、スターリンか、
ドイツの将軍たちとも手を結びそうな、赤い将軍連なのか・・。

RSHA Head Reinhard Heydrich.jpg

ヒトラーの決断は、その非情さと残忍さを密かに賞賛しているスターリンよりも
軍人に対する憎悪心が勝ります。

続いてはミハイル・トハチェフスキーの幼少時代からの生い立ちが語られ、
第1次大戦でのドイツ軍の捕虜時代、そこでフランス軍将校と非常に親しくなり、
そのなかには、若きシャルル・ド・ゴール大尉も含まれます。

やっと帰国を果たすも、内戦の真っ只中です。
ここで戦功を挙げるものの、ポーランド戦では敗北・・。
しかしその敗因には政治委員スターリンが関与していたことが、後の粛清に繋がっていきます。

Joseph Stalin_ 1918.jpg

1920年代のドイツは「国防軍とヒトラー」に書かれていたように、
ゼークトによってソ連と連携した軍事政策が取られ、1932年の軍事演習には
トハチェフスキーも4週間にも渡って訪独し、ヒンデンブルク大統領とも握手を交わします。
この時のドイツ側では最後の参謀総長クレープスが「トハチェフスキー付き」として同行。
またブロムベルク将軍のトハチェフスキー評も興味深いものです。

generalfeldmarschall werner von blomberg.jpg

しかし翌年のヒトラー政権誕生により、独ソの軍事協力関係も解消され、
ドイツの再軍備を懸念したトハチェフスキーは第1次大戦の盟友、英仏との協力を進めていきます。
それとは逆にスターリンはヒトラーへ接近し、友好関係を維持しようと画策します。

このようにして1936年のハイドリヒによる、偽造文書作戦が始まり、
シェレンベルクの回想録も紹介しながら
ベーレンツの他、ナウヨックスSS大尉なども登場してきます。

Alfred Helmuth Naujocks.jpg

1935年には5人のうちの元帥の一人となったトハチェフスキーが
クーデターを目論んでいるといった偽造書類は完成したものの、
コレをいかにして疑心暗鬼の権化であるスターリンのもとへ疑いのないように届けるのか・・、
ハイドリヒは頭を痛めます。
最終的には独ソ両大国の狭間で生き残りを模索し、ヨーロッパ中のスパイが暗躍する
チェコのベネシュ大統領のもとへ・・。
この中盤での部分にはかなりの調査とページを割いて、ベネシュ大統領の人格から
彼の外交政策などを詳細に分析しています。

Edvard Beneš.jpg

NKVDからトハチェフスキーに関する文書を受け取ったスターリン。
1937年5月、人民委員第一代理というポストを解任され、
ヴォルガ軍管区へ突然の転属命令を受け取ったトハチェフスキー。
そのヴォルガ軍管区とはわずか3個師団と2個戦車大隊という軍団長レベルの場所です。

Михаил Николаевич Тухачевский.jpg

そして遂に逮捕。トハチェフスキー以外にも共謀者として7名の戦友も逮捕され、
「拷問と死の家」として名高い、ルビャンカへ収容されます。
1937年6月11日、秘密軍法会議が開かれ、全員に死刑判決が・・。
「スターリンに言え! 奴こそは人民の敵、赤軍の敵だ!」トハチェフスキーは叫び、
ルビャンカの中庭で即刻、銃殺刑に処せられます。。

それからの大量殺戮・・。元帥5人のうち3人が、軍司令官15人のうち13人、
軍団長85人のうち62人、師団長195人のうち110人、大佐も3/4が粛清されます。
こうして書いていても、相変わらず信じられない数字です。
さらに軍人だけではなく、政治委員も最低2万名が殺され、
彼らの近親者にもそのスターリンの魔の手が及びます。
トハチェフスキーの妻や兄弟も処刑され、12歳の末娘は自ら首を吊っています。
このような苛烈な手段は、戦争末期にはヒトラーも採用した手口ですね。

5marshals_01.jpg

結局、序文での「なぜトハチェフスキー元帥が殺されねばならなかったのか?」は
この400ページの本書の最後の1行に結論が書かれています。
あくまで個人的な感想ですが、ソレは、かなり衝撃的なものでした。。。
でも、決して、大どんでん返しではありませんよ。あくまで読書家としての個人的な感想ですから・・。

著者のシュトレビンガーは武装SSの連隊長にいそうな名前ですが、
1931年生まれのチェコ人で、1968年に西ドイツへ亡命した現代史研究家です。
プラハにおける一大事件「ハイドリヒ暗殺」を調査中に、
この赤軍大粛清とチェコの大きな関与に気付いたということで、
もちろん「プラハの暗殺」という本も書いているようです。これも読みたいですねぇ。



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ソヴィエト復活

日本がノモンハンでソヴィエトに惜敗したのもトゥハチェフスキーが強力な赤軍機械化部隊を作ったからです。
この赤軍の至宝がスターリンに抹殺されることなく第二次大戦や冷戦を迎えていたら、歴史は全く異なっていたでしょう。
ソ・英・仏が硬く手を結べばヒトラーはチェコスロバキアやポーランドにさえ手を出せず、あのような悲惨な戦争にはならなかったかもしれません。
さらにソヴィエト軍の近代化が進み、冷戦に勝利するのはソヴィエトになったかも…などと考えると歴史が面白くなります。

by ソヴィエト復活 (2012-06-01 21:39) 

ヴィトゲンシュタイン

なるほど。歴史のIFはどのようにでも考えられますから、確かに面白いですね。
ノモンハンのことを言えば、その後のソ・フィンの冬戦争の失態もありますし、当時の赤軍の実力はどうだったんでしょうか?
トゥハチェフスキーは素晴らしい軍人だったとは思いますが、近代の20世紀に突出した一軍人が歴史をどこまで変えられたのかは疑問です。
個人的にはヒトラーの存在がなくとも、ソ・英が硬く手を結ぶことが政治面で現実的だったとは思えませんし、トゥハチェフスキーを含む大粛清があったからこそ、独ソ不可侵条約からポーランド侵攻、そして独ソ戦へと進み、結果、ドイツを敵としたソ・英の関係になったのは国際政治の流れの延長であって、軍事を超える政治を無視して、軍事的観点からのみ歴史のIFを考えるというのはどうなんでしょうか?

by ヴィトゲンシュタイン (2012-06-01 23:19) 

軍史マニア

私も、トゥハチェフスキーの事を調べてみましたら、第一次世界大戦の頃にドイツ軍の捕虜収容所で後にフランス大統領となるシャルル・ド・ゴールとは大親友の仲だったとは始めて知りました。(ド・ゴールに関する著書でも、トゥハチェスキーの関係が触れられています「未来は俺達の物だくよくよするな」と言って励ましたエピソードもあります)トゥハチェスキーはスターリンの粛清で処刑された部分は同情しますが、同情できない部分もあります。自分達ボリシェビキ(後のソビエト共産党)に従わない何の罪の無い農民達に毒ガスによる大虐殺を平気で行ったのですから、同情しません。スターリンによってトゥハチェフスキーが処刑された事でフィンランドの救国の英雄マンネルヘイム元帥は大いに助かったと思います。なせなら、ソ・フィンの冬戦争と継続戦争でトゥハチェフスキーが処刑されず健在だったら、フィンランドとマンネルヘイムは今頃、歴史に存在しなかったでしょうし。
by 軍史マニア (2014-01-20 22:08) 

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