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ヒトラー・ユーゲント -戦場に狩り出された少年たち- [ヒトラー・ユーゲント]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

H.W.コッホ著の「ヒトラー・ユーゲント」を読破しました。

近頃、すっかりお気に入りで、全巻読み倒そうか・・と密かに企んでいる
「第二次世界大戦ブックス」からの紹介です。
このシリーズで面白いのは、古書の価格が結構マチマチなことですね。
綺麗なのにタダ同然のモノもあれば、本書はかなり良い値段がします。
ヴィトゲンシュタインは¥1600で購入しましたが、これでもだいぶ安いほうです。

ヒトラー・ユーゲント -戦場に狩り出された少年たち-.png

このヒトラー・ユーゲントを題材にしたものは、ココでも以前に
ヒトラー・ユーゲント -第三帝国の若き戦士たち」を紹介していますが、
これもなかなか良い本で、自分にとってはヒトラー・ユーゲントの基礎となっています。

本書は帝政時代の青少年運動から始まり、特に第1次大戦勃発による
ドイツ学生志願兵の一団が、1914年11月、ランゲマルクの英国陣地に
ドイツ国歌を口ずさみながら正面攻撃を掛け、機関銃の掃射の前に全滅した・・という
「ドイツの若者は身を捨ててまで祖国に献身する」ランゲマルク神話なるものが紹介されます。
そしてこの神話の不気味な影響力は、事実上、第2次大戦が終わるまで続いたということです。

Blood and Honour.jpg

1920年代には様々な青少年運動と団体が乱立している状態ですが、
ヒトラーとナチ党の台頭によって、これらの青少年団体は徐々に吸収されていき
1926年、ナチ党唯一の公認青少年組織「ヒトラー・ユーゲント」が誕生します。

その2年後には10歳から14歳未満の少年たちの組織「小国民隊」と
女子部門(のちのBDM=ドイツ少女連盟)とその組織と対象も拡大していきます。

BDM girls in Kletterjackel.jpg

ドイツ国内で政治活動も繰り広げるヒトラー・ユーゲントたちですが、
1931年~33年の間に26人もの生命が失われ、その最も有名な事例として
12歳のヘルベルト・ノルクス君がベルリンの共産主義者に捕まり、
7か所もナイフで刺されるという痛ましい話を紹介して、これがゲッベルスにより
殉教者としての宣伝材料として、映画化もされることになります。
まぁ、このノルクス君については、15歳とか16歳とか、いろいろ説はありますね。

Goebbels&HitlerYouth.jpg

ヒトラー・ユーゲントという組織が勢力を増していく過程が丁寧に書かれている本書ですが、
プロテスタント団体やカトリック団体との対決については、特に深く書かれています。
プロテスタント国家主教ルートヴィヒ・ミュラーが早くからナチズムに転向し、
彼がライヒェナウ大佐を転向させ、そしてブロムベルク将軍までも
彼の自宅でヒトラーに紹介してしまいます。
抵抗のアウトサイダー」でゲルシュタインが早々とナチ党へ入党していた理由も
わかったような気がしました。

ヒトラー・ユーゲントの入隊式の様子や2ヶ月~6ケ月行われたという「テスト訓練」も詳細です。
そのハイライトである「勇敢度テスト」では2階の窓から飛び降りることが求められた・・と
これは著者コッホが「私の場合・・」の例として挙げています。

Hitlerjugend2.jpg

シーラッハの全国青少年指導部と学校の対立も非常に興味深い話が多くありました。
ヒトラー・ユーゲントの活動に対し、学校側が考慮を払うように迫り、
例えば、リーダーのユーゲントの活動や訓練のために休校を認めるよう求めたり、
このようなリーダー・ユーゲントを部下や仲間の前で
彼の威信を傷つけることがないよう、要請したり・・。

1943年に中等学校の生徒だった著者の受け取った教科書の内容もそれぞれ紹介され、
算数の問題では「ドイツ民族を絶やさないために家庭では子供を何人つくる必要があるか?」
しかもこのような問題は、別に珍しくもなかったということです。

BDM_G.jpg

エリート育成」の章では、ナチ党の指導者養成に重点を置いた「アドルフ・ヒトラー学校」と
政治、経済、軍事、学問と国民のあらゆる領域におけるエリートの養成を目指す
「NAPOLA(ナポラ) = 国家政治教育学院」が登場してきます。
1933年に3校が開校された「NAPOLA」は1944年までに計18校が創設され、
そのうち2校は女子校だっということです。う~ん。「NAPOLA」の女子校があったとは・・。

HJ.jpg

寄宿生活を送る「NAPOLA」は英国のパブリックスクールを手本とし、
ドイツ軍士官養成学校の伝統との融合を目指したもので
その入学の選抜基準は10倍という高さです。

Farbige Ansichtskarte aus den Anfangsjahren der Napola.jpg

ここでも著者の経験談として、管区指導者でもある校長が勝手に申込みをしたいきさつを語り、
未亡人で、すでにロシア戦線に兄を送っている母親の抗議に対し、
「奥さん、息子さんはあなたに預けられているものの、ドイツの財産であり、
これに反対することは、総統と帝国に反対することにほかならないのです」。

NAPOLA.jpg

やがてSSが「NAPOLA」の費用を持つようになるとハイスマイヤーSS中将が責任者となり、
その教育方針や、卒業生の扱いなどでSS本部長のベルガーや、上司のヒムラーとも対立します。

そして1943年に「第12SS装甲師団 ヒトラー・ユーゲント」が創設されると、
17歳程度の少年たち1万人が新師団に合流します。
しかし彼ら全員が志願兵であったわけではなく、空軍などへ志願していたものの、
「着いた先は武装SSの兵舎だった・・」という者も多かったそうです。

Hitlerjugend Recruiting Poster -Also You-.jpg

なかば強制的にヒトラー・ユーゲントに入団させられた少年たちのなかには、反発心から
ユーゲントの集会をぶち壊したり、リーダーを襲ったりする反逆ユーゲントも現れます。
ただし、このような不良ユーゲントたちの行為が「反ナチ・イデオロギー」に基づいたものではなく、
いつどこの時代にも共通する、画一性に対する反抗と
そして第三帝国の息苦しい管理体制に対する反抗でもあるとしています。

また、ヒトラー・ユーゲントたちを動かしたものが「イデオロギー」であったかは疑わしい・・・
として、パレードやデモ行進は彼らのエネルギーはけ口であり、
タダで旅行ができて、食料もタップリ、学校も休むことができたというのが魅力であって、
それが彼らの本音だっただろう・・と推測しています。

Bój o Kołobrzeg.jpg

このような解釈は著者コッホの体験談が度々出てくることもあり、
自分のしょうもなかった少年時代に照らし合わせてみても非常に納得できる結論です。
割と新しい「ヒトラー・ユーゲント -第三帝国の若き戦士たち」に決して引けを取らない内容で、
改めて「第二次世界大戦ブックス」をつくづく見直しました。



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