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ナチス狂気の内幕 -シュペールの回想録- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルバート・シュペール著の「ナチス狂気の内幕」を読破しました。

「ヒトラーの建築家」、または「ナチの軍需大臣」として有名な
アルベルト・シュペーアの回想録です。
非常に濃密な回想録で、ヒトラーを含む、第三帝国の内部の様子が
これほど長期間に渡り、生々しく書かれている回想録は他にはないでしょう。

狂気の内幕.JPG

まずは大学で建築を助手として学んでいた1930年、ヒトラーの演説に
強烈な印象を受け、ナチ党に入党したいきさつから語られます。
その後、党の建築家としてゲッベルス、そしてヒトラーに認められ、
28歳にして、ほとんどヒトラー専属のお抱え建築家という地位に就き、
新総統官邸からニュルンベルク党大会会場、やがて首都ベルリンの壮大な
「ゲルマニア計画」も委ねられる事になります。

albertspeersarquitectohitlergermania-imperioromano.jpg

それからの1939年の開戦までの期間はオーバーザルツブルクの別荘における
ナチ政府内の要人やヒトラーにまつわる様々なエピソードが紹介されています。
特に本書の日本版に向けて加筆したものと思わせるような、日本ネタも・・。

ヒトラーが人種的観点から日本と手を握ったことを残念がり、
遠い将来に日本との対決を覚悟していたという話が出たかと思えば、
ゲルマン原種族信仰など滑稽な道を歩むヒムラー
日本人からサムライの刀を贈られたとき、日本人とゲルマン人の祭式の共通性を発見し、
どうしたらこの共通性を種族的に解決できるかを学者の協力を得てまで腐心した・・。

hitler-himmler.jpg

第2次大戦の開戦後、特に1942年に入り、対ソ戦が長期化の様相を見せてくると
党内でのライバル争いが激化してきます。
特にシュペーアの尊敬する軍需大臣のフリッツ・トートが飛行機事故で死亡すると
後釜を狙っていた「4ヵ年計画」の責任者ゲーリングがヒトラーに直訴しに来ますが
それを想定していたヒトラーにより、一歩早く、シュペーアが後任に指名されます。
これを引き金に、ゲーリングとは最後まで航空機を含む、軍事や地位、
ヒトラーの寵愛といったことに悩まされることになります。

Fritz Todt.JPG

労働力配置総監のフリッツ・ザウケルとも終始、争いが絶えません。
第1次大戦当時のドイツや英米の雑誌を見ても、軍需生産の婦女子の就業率が
高いことから、ザウケルに提案を行ったところ、結局はゲーリングも巻き込み
女子の工場労働は「風紀上の問題あり」ということでヒトラーにも却下され、
その挙句、ドイツの主婦の負担軽減という理由で、ウクライナなどから
50万人もの女子を奉仕人として逆に連れて来ることになったそうです。

Fritz Sauckel.jpg

バルバロッサ作戦」に登場した山岳部隊によるエルブルス山登頂事件も出てきました。
もともと戦前からヒトラーは山登りやスキーを無意味なスポーツであるとして
禁止しようとしていたようですが、
「このような連中が山岳兵になるんだからしょうがない」と諦めていました。
そのようなヒトラーがカフカス戦線におけるエルブルス山登頂の報告を受けた時ほど
激怒したのを見たことがなかったとシュペーアは語っています。
その後数日もあらゆる人に「あの馬鹿な登山家たちは軍法会議ものだ!」
と怒り狂っていたそうです。

1943年暮れ、西方での連合軍上陸に向けた調査を行っていたロンメルがヒトラーのもとを訪れ、
水際で撃破すべきだとの報告を行い、それに対し、ヒトラーは全面的に賛成します。
しかしそれでも空からの脅威を懸念するロンメルに、
待っていましたとばかりに新型の高射砲を披露して
「これさえあれば大丈夫だ」と自慢するヒトラーにロンメルは
冷ややかな笑みで答えたそうです。

Erwin_Rommel,_Adolf_Hitler.jpg

翌年のヒトラー暗殺未遂も、事件の一報を受けたゲッベルスから呼び出され、
あの映画でも知られるレーマー少佐にヒトラーの声を電話で伝える場面にも
シュペーアは立ち会っており、フロムやオルブリヒトといった当事者の将軍に
電話を掛け、状況を探っていました。
このようなことを起こすのは短気なグデーリアンぐらいなものだと当初考えたそうです。

goebbels Hitler.jpg

雲隠れしたヒムラーには連絡がつかず、シュタウフェンベルク大佐の
クーデター派が立てこもる国内予備軍司令部へ向かうと、
そこではカルテンブルンナースコルツェニーというSSの強面が立ち塞がって
この問題は国防軍のものであり、SSは関与しないということを表明したとのことです。
その後はご存知のようにヒムラーとSSは、国防軍の粛清に当たることになります。

また、シュペーア自身も嫌疑に掛けられていたというギリギリの話や
知っていたらクーデターに参加していたであろうとの話、
そして1945年には毒ガス「タブン」を密かに入手して、ヒトラーを地下壕で暗殺しようと
企んだ話まで告白しています。

Hitler (L, in brown) inspecting West Wall, w. (2L-R) engineer Fritz Todt, Martin Bormann & Heinrich Himmler.jpg

後半、「遠すぎた橋」の後日談も突然出てきました。
ひどく立腹した武装SSのビットリッヒ将軍にシュペーアは出会いますが、
連合軍の要請で休戦協定を結び、後方に野戦病院を作ることを許可したものの
党役員によって連合軍の空挺部隊員が殺害されたということです。
この話はまったく知りませんでした・・。

このナチ党/政府内で、終戦までの12年間を生き抜いたシュペーアの最大の天敵は
マルティン・ボルマンです。
最初の出会いからウマが合わなかったと語っており、
このボルマンの策略は2章に1回程度の頻度で出てきますが、
最終的には生き延びたいボルマンからヒトラーをベルリンから脱出するように
説得することを懇願されたことで、宿敵に対して勝利したという思いまで述べています。

Hitler & Bormann.jpg

総統の地下壕でヒトラーに最後の別れを告げた後、
次期後継者を自認するヒムラーと対談した際、突如カイテルが現れて
ヒトラーに誓ったのと同様に、ヒムラーに対しても厳かに服従を誓う姿を目撃したり、
デーニッツ新政権下にエーリッヒ・コッホが訪れ、南アメリカに向かうUボートを要求したりと
その最後の最後まで、人間の見苦しさに思わず苦笑いしてしまいます。
しかしこんな話から「ヒトラーがUボートでドイツから脱出した」というような
伝説が始まったのかもしれませんね。

Göring, Keitel, Dönitz.jpg

ニュルンベルク裁判でもシュペーアの責任として有罪とされた
外国人やユダヤ人の強制労働者の問題については、
死刑となったザウケルや強制収容所が管轄のヒムラーに対し
再三、改善を求めたと語っており、アウシュヴィッツの存在についても
「うすうすは気づいていたが、目をつむっていた」と反省しています。
このあたりのシュペーアが果たしてどこまで真実を語っているのかというのは
いまだに意見が分かれているようです。
ヒムラーも自殺していますので、死人に口無し的だと言われる所以ですかね。

Albert Speer.jpg

いずれにしても、回想録としては第一級だと思います。
人間が自らの半生を振り返る回想録に「言いたくない」、「思い出したくない」ことも含め
100%客観的に真実が書かれているなどということはあり得ないでしょう。

Albert Speer - Architect 1970.jpg

ということで、個人的に回想録を読破するときの取り組み方は
著者本人の犯罪的な責任に関することは、事実は半々くらいの
軽い気持ちで読んでいます。
そうでないと、この本は欺瞞に満ちているとか嘘八百で読む価値なし
ということになってしまいます。

なお「第三帝国の神殿にて」は本書の文庫版です。
ホントはこっちを買いたかったんですが、だいぶ高いんで諦めました。
「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア」のDVD-BOXも買おうか検討中です。








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トイフェル

こんにちは、プリンツ[わーい(嬉しい顔)]
「狂気の内幕」読みました。面白かったですが、驚いたのは、ハイドリヒのハの字も出て来ないこと。収容所に関しては慎重に触れているのに。
個人的に、全ての文章は何等かのかたちでのプロパガンダであり、何を描いてあるかと同じく、何を描いてないかに注目すべきであると考えています。
ですから、パンツァーマイヤーやグデーリアンのと同じく、「佳い」回想録だと思いました[わーい(嬉しい顔)]
by トイフェル (2014-03-02 16:40) 

ヴィトゲンシュタイン

は~、トイフェルさんも読むの早いですねぇ。
そうか、ハイドリヒとは「HHhH」で絡んでましたからね。
また、トイフェルさんの回想録論も興味深い。
ボクも敢えて言えば、「何を描いてないかの理由」を考えます。

まぁ、そんな特別なことじゃなくて、自分が回想録を書いたらどうなるのか?? というのが基準です。
若い頃、悪さをして皆でパクられたことは書けるけど、パクられなかった4つか5つの単独犯の(軽)犯罪は書きたくない。
何度か嘘もついたことがあるけど、「実はアレは嘘でした・・」と認める度胸はない。
仕事で後輩に厳しすぎたことも今更認めたくないし、血気盛んで先輩や上司に「やり方が気に喰わない」と喰って掛かったことなんか、恥ずかしくて思い出したくもない。
一番、書きたくないのが大嫌いなヤツ・・。
こんな調子だと、我がショボい人生ですら半分は書けないですね。。

シュベーアにしても、パンツァーマイヤーにしても、シェレンベルクにしても、当時の彼らは自らを正当化しなければならなかったわけで、自己検閲はより多かったでしょう。
もし正直に自分の人生を描けるとすれば、死の床かな??

グデーリアンが回想録で、クルーゲに対していろいろ書いたことを「死者を鞭打つ行為」と非難されていたように、良い風に解釈すれば、単に死んだハイドリヒを悪く書きたくなかっただけかも知れません。万一、シュペーアがハイドリヒを個人的に好きだったとしても、「彼は良いヤツだった・・」とは書けないでしょう。

あ~、いま呑みながらなので、調子に乗って書き過ぎました。
でも、トイフェルさんのナイス・コメントでボクも改めて、個人的回想録論を恥ずかしくなくブチ上げることができました。
by ヴィトゲンシュタイン (2014-03-02 18:19) 

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